現在呑みに行く店の選択肢は3店しかない。2店は安い大衆酒場、1店はおばんざいの店でそんなに高くはないが大衆居酒屋の1,5倍はするか。
もっといろんな店を探して行こうと思いながらもその意欲が薄れている。
20時30分のバスに乗って帰る。そのあとは21時30分、22時45分がある。翌日は休みなのでゆっくりしてもいいのだが、怖いのは乗り越しだけ。これまで2回の乗り越し。
田舎は乗り越したからといってすぐにタクシーがあるわけではない。大きな駅周辺以外は路上にタクシーの空車は走っていない。自宅を超えると真っ暗な道に自動車通勤の車がまばらに通るくらい。
その2回の乗り越しで懲りた。それ以来バスに乗って一息という気分になれず、目を見開いて降車駅を待っている。
これがかなりツライ。呑んだら眠くなるようになってしまっている。これは受傷による影響なのか、単なる加齢なのか。自分の思いとしては受傷の影響で神経的な要素があるように感じる。
呑むという行為は脳の働きが混乱する。今は脳を強く念じてようやく普通の人のように動く身体なのだ、酔って混乱した脳で健常な時のように様々な機能を発揮させられる身体ではない。
眠くなるという働きに対しても、ガマンができなくなってしまっている。
19時前からバス乗り場に行く20時過ぎまでの1時間半で呑む量が、バスの30分を起きていられるギリギリの量だ。もちろん満足する酒量となればその2・3倍は呑めるのだが。
そういうこともあり新しい店を探して美味しく食べて吞むことを楽しむというより、軽く呑んで気持ちよく帰れることを優先している。
タクシーで家に帰るとしたら今は6000円くらいかかる。一度タクシーで帰ったが、6000円はもったいない。6000円で美味しいものを食べる方がよい。
バスに乗って家に帰ると21時過ぎ。ちょうど父親が風呂を終えてリビングにいる時間だ。
ここ数回、父親と30分位話をしながら過ごしている。こんなふうに一緒に時間を過ごすことを一番望んでいたことなのだ。
風呂に入って1杯程度の酒を呑む。翌日は休みなのだが23時まで眠気を我慢することはできない。
翌朝は5時過ぎに目が覚めても2度寝を楽しむ。リタイアした身なのだ、それくらいは許されるだろう。ただ最近は7時半にはベッドを出るようにしている。
ジムのある日は昼食後に出かける。戻ってくるのが16時ころ。それから母親を連れて買い物。
母親は自分が日々やっている目の前のことはできるが、すぐに忘れてしまう。買い物ではその日の夕食、翌日の朝食・昼食と夕食の食材を買う。
買う前に冷蔵庫をチェックして買う物を書き出しているのだが、それもアテにできない。豆乳・ヨーグルトと毎日消費しているものはある程度買ってあるのだが、また買い物リストに書いている。
使ったフライパンをペーパーでふき取るだけで洗わない。何度怒って言っても同じことをするのだ。それは長年身についた習性であり、行動を良いように修正するということまでは出来ないのだろう。その習性である行動ができているだけでも感謝すべきことなのだろう。
ついつい怒鳴ってしまいいつも反省する。救われるのは怒ったことを忘れることか。
こんな毎日を過ごしていけるのは身体の状態が悪くなっていないからだろう。
昨日も脚をローラーで耕してストレッチ。明日もその予定。明後日はゴルフ、34℃予報だ。
さあ、あと2時間を過ごして今日はおばんざいの店に行ってみよう。
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