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2013年04月23日
エイゴと私(ワタクシ) 2
夫の許可を得ていないため、「エイゴと我が夫」はアイデアのみで雲散霧消の気配。
で、第二弾。
大学まで行っておきながらお気楽な勉強で済んでた(済ましてた)ワタクシ。そんでもそんときに国際経済とかゆーのを専攻してて、大学4年になる春休みのときにODA(政府開発援助)を卒論課題に決めフィリピンに行ったんよね。
そこで出会った人たち(日本人)がエイゴペラペラ。わたしだけが蚊帳の外状態で。ODAによる援助の影で大規模な大事業で健康被害とかでてるケースもあって、草の根の援助とはといったテーマでの話し合いだったように思う。
日本から来た弁護士とか、それからODAに関係のある銀行員とか現地にきてて。もちろんタガログ語もしゃべれないから本当にカタコトのエイゴのみで会話をしてた。このときがくやしくってねー。絶対しゃべれるようになってやるって思ったん。
ほんでこりもせんと社会人1年めにもフィリピンに行ってね、また交流深めて、やっぱしこれは海外に住もうって思って社会人2年目が終わるころに退職して、念願やったオーストラリアに行った。
語学身につけるために。
ちゃんとしたとこ行きたかったから、大学付属の語学学校を選んだ。当時はインターネットとかなくて、自分で「留学のとらの巻き」の本の資料請求とかをコピーして郵便で送付して資料を送ってきてもらって入学申請した。みーんな郵便でやりとりしてたから大変っちゃ大変やったよな。
この年に奇しくも阪神大震災が起こって、それからカルト集団と呼ばれてたある宗教がらみの事件が起こったりの年に渡豪したん。
で、学校は中級の下くらいから始まったけど、先生がまず何言ってるかわからない。わたされたreadingなんかわからん単語だらけ。ええーっ まわりのコはみんな先生の言うことわかっててツラかったわー、最初の数ヶ月。生まれて初めてそのときにホームステイしてオージーの家庭に住まわせてもらって、発音の仕方とか会話表現とか教えてもらった。そのホストママがフランス語の先生やったのもあって、どうやって語学を習得していくかっていうノウハウみたいなのよくわかってて、丁寧やった。
エイゴものにしようと思ったらAUSで進学しないとあかんわな、って思ってアカデミックのコースを選択して、アドバンスまで上がってそれなりにはしゃべれるようにはなった。
そこの語学学校は結構厳しかったからね。ディベートとかプレゼンとかタームに2回ずつくらいあったしそのための準備もあったから勉強しないとしゃべれなかったから。あと最後は論文も書かないといけなくて、portfolio(エッセイを紙に綴じて完成させて提出するやつ)の作成とかもあったし。タームの最後にどの程度まで理解したか理解度をくれるのやけど、80%以上を取ったことがなかった。
なんか中途半端やわ。今もベラベラ〜ってしゃべりかけられたら、きょとんって反応を示してる。ぱ、ぱーどん? みたいな(笑)。
細かいとこなんか正直わからんわ。でもこのお気楽な我慢強くないとこがようないんやろね。「わからんもんはわからん」って。高校時代となんら変わらんちゅうか。
ほんでも何をおいても、エイゴしゃべれんとあかんわけですわ。ここではね。だって交流したいし、こっちのこともわかってほしいし、今は自分だけじゃないし娘ら守ってかなあかんしね。
てな感じで、今もたいしたことないワタクシ。「〜って言ってんのかなあ」からいつ脱出できるんでしょ? たぶんこれはムリって思ってるけど、不安が解消されるのが目標でいいっか。
なのでワタクシにエイゴの質問はお断りでございます。
〜ってなんてゆうの?とか。 ムリ。 ようお答えできません。申し訳ございません。
やっと調子でてきたかな。ポチっとしてやってください。
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で、第二弾。
大学まで行っておきながらお気楽な勉強で済んでた(済ましてた)ワタクシ。そんでもそんときに国際経済とかゆーのを専攻してて、大学4年になる春休みのときにODA(政府開発援助)を卒論課題に決めフィリピンに行ったんよね。
そこで出会った人たち(日本人)がエイゴペラペラ。わたしだけが蚊帳の外状態で。ODAによる援助の影で大規模な大事業で健康被害とかでてるケースもあって、草の根の援助とはといったテーマでの話し合いだったように思う。
日本から来た弁護士とか、それからODAに関係のある銀行員とか現地にきてて。もちろんタガログ語もしゃべれないから本当にカタコトのエイゴのみで会話をしてた。このときがくやしくってねー。絶対しゃべれるようになってやるって思ったん。
ほんでこりもせんと社会人1年めにもフィリピンに行ってね、また交流深めて、やっぱしこれは海外に住もうって思って社会人2年目が終わるころに退職して、念願やったオーストラリアに行った。
語学身につけるために。
ちゃんとしたとこ行きたかったから、大学付属の語学学校を選んだ。当時はインターネットとかなくて、自分で「留学のとらの巻き」の本の資料請求とかをコピーして郵便で送付して資料を送ってきてもらって入学申請した。みーんな郵便でやりとりしてたから大変っちゃ大変やったよな。
この年に奇しくも阪神大震災が起こって、それからカルト集団と呼ばれてたある宗教がらみの事件が起こったりの年に渡豪したん。
で、学校は中級の下くらいから始まったけど、先生がまず何言ってるかわからない。わたされたreadingなんかわからん単語だらけ。ええーっ まわりのコはみんな先生の言うことわかっててツラかったわー、最初の数ヶ月。生まれて初めてそのときにホームステイしてオージーの家庭に住まわせてもらって、発音の仕方とか会話表現とか教えてもらった。そのホストママがフランス語の先生やったのもあって、どうやって語学を習得していくかっていうノウハウみたいなのよくわかってて、丁寧やった。
エイゴものにしようと思ったらAUSで進学しないとあかんわな、って思ってアカデミックのコースを選択して、アドバンスまで上がってそれなりにはしゃべれるようにはなった。
そこの語学学校は結構厳しかったからね。ディベートとかプレゼンとかタームに2回ずつくらいあったしそのための準備もあったから勉強しないとしゃべれなかったから。あと最後は論文も書かないといけなくて、portfolio(エッセイを紙に綴じて完成させて提出するやつ)の作成とかもあったし。タームの最後にどの程度まで理解したか理解度をくれるのやけど、80%以上を取ったことがなかった。
なんか中途半端やわ。今もベラベラ〜ってしゃべりかけられたら、きょとんって反応を示してる。ぱ、ぱーどん? みたいな(笑)。
細かいとこなんか正直わからんわ。でもこのお気楽な我慢強くないとこがようないんやろね。「わからんもんはわからん」って。高校時代となんら変わらんちゅうか。
ほんでも何をおいても、エイゴしゃべれんとあかんわけですわ。ここではね。だって交流したいし、こっちのこともわかってほしいし、今は自分だけじゃないし娘ら守ってかなあかんしね。
てな感じで、今もたいしたことないワタクシ。「〜って言ってんのかなあ」からいつ脱出できるんでしょ? たぶんこれはムリって思ってるけど、不安が解消されるのが目標でいいっか。
なのでワタクシにエイゴの質問はお断りでございます。
〜ってなんてゆうの?とか。 ムリ。 ようお答えできません。申し訳ございません。
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