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2024年05月27日

千光寺(せんこうじ)は、岡山県赤磐市中島にある天台宗の寺院

千光寺(せんこうじ)は、岡山県赤磐市中島にある天台宗の寺院。

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概要
奈良時代、報恩大師が建立した備前四十八カ寺の一つとされる。

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境内
三重塔 明和2年(1765年)建立。平成11年(1999年)改修。赤磐市唯一の三重塔として貴重。
山門
本堂
鐘楼堂 鐘の銘文は山田恵諦(天台座主253世)のもの。

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交通アクセス
JR山陽本線瀬戸駅から車・タクシー利用

所在地 岡山県赤磐市中島350
位置 北緯34度45分43秒 東経134度2分43.1秒
山号 石井原山
宗旨 天台宗
創建年 (伝)天平宝字4年(760年)
開基 (伝)報恩大師
文化財 古備前四耳大壺(国の重要文化財)
紺紙金泥法華経(県指定重要文化財)
石造方柱碑(県指定重要文化財)
posted by Kazu at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 岡山県

2024年05月26日

葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺にある真言宗御室派の寺院

葛井寺(ふじいでら)は、大阪府藤井寺市藤井寺にある真言宗御室派の寺院。山号は紫雲山で、本尊は日本最古の十一面千手観世音菩薩(千手観音)。聖武天皇の勅願寺で神亀2年(725年)に創建され、開山は行基と伝えられる。西国三十三所第五番札所。

本尊真言:おん ばざら だらま きりく そわか 

ご詠歌:参るより頼みをかくる葛井寺 花のうてなに紫の雲

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文化財
国宝
乾漆千手観音坐像(十一面千手千眼観世音菩薩像) - 昭和13年(1938年)国宝指定。
神亀2年(725年)、聖武天皇が42歳のときに自身の厄除けを祈願して稽文會と稽主勲に造らせ、行基によって開眼法要が営まれたと伝えられる。日本最古の千手観音像にして大阪府唯一の天平仏で、文字通り千本の手を持つ数少ない「真数(しんすう)千手」である。胸前で合掌する2本の手を含め合計1041本の大小の脇手が円形に展開しており、千本以上の手を持つ千手観音像は本像しか確認されていない。天平彫刻の最高傑作のひとつとされる。鎌倉期には六角宝殿内に安置されていたという。八稜形框上に宝瓶を据えた五重蓮華座上に坐し、像高(髻頂部まで)は130.2cm(頂上仏面を含めた像高は144.2cm)。
合掌する本手を含む本体は大陸から伝来した脱活乾漆法(麻布を漆で貼り重ねて像の形をつくる)で造られ、これに木心乾漆の大小手(脇手)を組み合わせた構造で、X線透視による内部調査では天平前期乾漆像の特徴を示している。

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現地情報
所在地
大阪府藤井寺市藤井寺1丁目16番21号
交通アクセス
最寄駅:近鉄南大阪線 藤井寺駅下車後、徒歩約5分
西名阪道藤井寺ICから府道12号を西へ0.3 km、小山交差点左折して600mのNTT南まで

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位置 北緯34度34分12.67秒 東経135度35分47.60秒
山号 紫雲山
宗派 真言宗御室派
本尊 十一面千手千眼観音菩薩(国宝)
創建年 神亀2年(725年)
開山 行基
開基 聖武天皇(勅願)
正式名 紫雲山 葛井寺
別称 藤井寺、剛琳寺
札所等 西国三十三所第5番
河内西国三十三所特別客番
河内飛鳥古寺霊場第4番
神仏霊場巡拝の道第59番(大阪第18番)
文化財 乾漆千手観音坐像(国宝)
四脚門(重要文化財)など
posted by Kazu at 08:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 大阪府

2024年05月25日

財前家墓地(ざいぜんけぼち)は、大分県杵築市大田小野1609番地にある墓地

財前家墓地(ざいぜんけぼち)は、大分県杵築市大田小野1609番地にある墓地である。この墓地にある石造宝塔1基は「財前家宝塔」として1954年3月20日に国の重要文化財に指定されている。また、墓地全体が大分県の史跡に指定されている。

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概要
紀氏の血を引くと言われる国東地方の豪族財前家の墓地である。小野地区の高台にあり、3基の国東塔を中心に、国東塔 15基、宝篋印塔 2基、五輪塔 70基、板碑 14基の計101基の石塔・石碑が散在している。これらの石塔・石碑は鎌倉時代から南北朝時代にかけてのもので、このうち最大の国東塔は「財前家宝塔」として国の重要文化財に指定されている。

女優の財前直見は財前家に繋がる家系の出であり、財前はNHK総合テレビジョンのドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』でこの墓地を訪れている。

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財前家宝塔
財前家墓地の中心にある総高2.97mの国東塔で、財前氏の祖先である財前美濃守の墓と伝えられる。「元応第三祀歳次庚酉」の刻銘があり、鎌倉時代後期の元応3年(1321年)に建造されたものであることが分かっている。また、「現世安穏後世菩提出離生苦法界衆生」との文が刻まれていることから、被葬者の生前に建立された逆修塔であると考えられている。

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2024年05月24日

道後温泉本館(どうごおんせんほんかん)は、愛媛県松山市の道後温泉の中心にある温泉共同浴場

道後温泉本館(どうごおんせんほんかん)は、愛媛県松山市の道後温泉の中心にある温泉共同浴場。重要文化財であり道後温泉を象徴する建築物。

戦前に建築された歴史ある建物(近代和風建築)で、街のシンボル的存在であり、1994年に国の重要文化財(文化施設)として指定された。共同浴場番付において、東の湯田中温泉大湯と並び西の横綱に番付けされているほか、2009年3月、ミシュランガイド(観光地)日本編において2つ星に選定された。2009年、経済産業省の「近代化産業遺産」に認定。四国八十八景54番に選定。

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建築
以下の4棟が「道後温泉本館」の名称で国の重要文化財に指定されている。

神の湯本館棟(かみのゆ ほんかんとう) - 1894年(明治27年)建立。坂本又八郎の設計施工。3階建で、1階を脱衣場、2階を大広間、3階を客室とする。屋上に宝形造の塔屋(振鷺閣)を付す。3階の北西端には夏目漱石が使用した「坊っちゃんの間」がある。
又新殿・霊の湯棟(ゆうしんでん・たまのゆとう) - 1899年(明治32年)建立。坂本又八郎の設計施工。皇族の入湯用に建てられたもので、2階に「玉座の間」がある。
玄関棟 - 1924年(大正13年)建立。
南棟 - 1924年(大正13年)建立。

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漱石と本館
文豪・夏目漱石が松山中学の英語教師として赴任したのは、本館の完成した翌年のこと。漱石はその建築に感嘆し、手紙や、後の小説『坊つちやん』の中で「温泉だけは立派なものだ」と絶賛し、実際頻繁に通ったという。手紙によれば、8銭の入浴料で「湯に入れば頭まで石鹸で洗って」もらうことができ、また3階に上れば「茶を飲み、菓子を食」うことができたようである。小説には「住田」の温泉として登場する。

これにあやかり、本館は「坊っちゃん湯」とも呼ばれる。1階の男湯浴室内には、『坊つちやん』の主人公が湯船で泳いで注意の張り紙をされたことにちなんだ「坊っちゃん泳ぐべからず」の札が掲げられている。

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交通
伊予鉄道市内電車 城南線道後温泉駅から徒歩5分。

所在地 〒790-0842
日本の旗 日本
愛媛県松山市道後湯之町5番6号
座標 北緯33度51分7.4秒 東経132度47分11秒
文化財 重要文化財
(建造物)
指定・登録等日 1994年(平成6年)
12月27日
posted by Kazu at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛媛県

2024年05月23日

信光明寺(しんこうみょうじ)は、愛知県岡崎市岩津町東山にある浄土宗の寺院

信光明寺(しんこうみょうじ)は、愛知県岡崎市岩津町東山にある浄土宗の寺院。山号は弥勒山。本尊は阿弥陀如来。

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本堂

概要
1451年(宝徳3年)、岩津城主の松平信光が、父親の松平泰親の菩提を弔うため、増上寺開山聖聡の弟子で、下総国飯沼弘経寺(茨城県常総市)から三河に布教に来ていた千葉氏出身の釋誉存冏(そんげい)を開山として創建した。

1478年(文明10年)、法堂(現・観音堂、重要文化財)を建立。観音堂は初めは比叡山から迎えた釈迦像が安置されていたが、現在は観音像が祀られている。翌文明11年2月13日、後土御門天皇の勅願所とされた。

1481年(文明13年)松平信光の孫存牛(のちに浄土宗総本山知恩院25世)が当寺開山存冏のもとで出家し、1511年(永正8年)には信光明寺3世となった。

1570年(元亀元年)から1572年(元亀3年)にかけて、武田信玄の三河国侵入の際、戦闘で法堂の外は焼失したが、のち徳川家康の命で再建された。1602年(慶長7年)、朱印地120.82石を寄進された。

近世は徳川家光先祖菩提所として幕府によって修復が施され、1663年(寛文3年)には常紫衣綸旨を受けた。

1954年(昭和29年)に老朽化がはなはだしかった観音堂上屋根の復元工事が着手され、1955年(昭和30年)4月12日に竣工式が行われた。総工費は111万円(国費85万円、県費11万円、地元負担15万円)。

境内には酒井広親石宝塔や松平親氏・松平泰親・松平信光3代の墓がある。また、岩津保育園(1951年創立)という私立保育園が隣接している。

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観音堂(重要文化財)

交通手段
名鉄バス:奥殿陣屋行き、「岩津天神口」バス停下車、東へ約300メートル。

所在地 愛知県岡崎市岩津町東山47
位置 北緯35度00分10.61秒 東経137度10分30.34秒
山号 彌勒山
院号 崇嶽院
宗派 浄土宗鎮西派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1451年(宝徳3年)
開山 釈誉存冏
正式名 彌勒山崇嶽院信光明寺
文化財 観音堂(重要文化財)
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2024年05月22日

正法寺(しょうぼうじ)は、岩手県奥州市水沢黒石町にある曹洞宗の寺院

正法寺(しょうぼうじ)は、岩手県奥州市水沢黒石町にある曹洞宗の寺院。山号は大梅拈華山(だいばいねんげざん)。本尊は如意輪観音。かつては大本山の永平寺、總持寺に次ぐ第三本山と呼ばれた。1990年(平成2年)9月11日には、本堂などが国の重要文化財に指定された。

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歴史
曹洞宗第三の本寺としての隆盛と衰退
1348年(貞和4年)、無底良韶(むていりょうしょう)は、天台宗の古刹として知られた黒石寺奥の院に曹洞禅の道場を建てた。これが東北地方初の曹洞宗寺院、正法寺の始まりである。

無底は、これに先立つ1342年(康永元年)に師である峨山韶碩(がさんじょうせき)から、開祖道元が中国から持ち帰ってきた袈裟「僧伽梨(そうかり)」を授けられている。これは、道元から峨山まで、連綿と伝承されてきたものであって、これを授けるということは峨山門派を無底良韶が継承することを示唆していた。正法寺が開創されて2年後の1350年(観応元年)に崇光天皇が、「出羽奥州両国における曹洞の第三の本寺」として、住職に紫衣の着用が許された。

その後1361年(康安元年)、13年の歳月を経ても跡を継ぐ門弟がないまま無底良韶が死去。そのため、師の峨山が、弟弟子の月泉良印(げっせんりょういん)に正法寺を継がせた。このとき、「正法寺は末代まで奥羽両州曹洞の本寺たるべし」とする書状を月泉良印に与えている。月泉は40年にわたってその住職をつとめ、正法寺発展の基礎をきずいた。月泉良印は秋田郡松原に名刹補陀寺をひらき、北出羽にも曹洞宗の教線を拡大した。

東北地方に曹洞宗の拠点ができたことによって、布教は進み、月泉良印は「月泉四十四資」といわれる弟子を輩出することとなる。岩手県南部や宮城県を中心に次々に末寺が開かれることとなり、その数は508とも1200とも言われた。出羽国出身の道叟道愛(どうそうどうあい)は、兄弟子にあたる無底・月泉を補佐し、月泉に先立って世を去ったが、正法寺の経済基盤を確立するなどその功績は大きく、正法寺第3世として崇敬されている。

1615年(元和元年)の幕府法度により、本寺の格を失い、現在は72の末寺を持つのみである。

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文化財
以下の3棟が重要文化財に指定されている(他に鐘楼堂を附(つけたり)指定とする)。

本堂‐仙台藩による造営で、江戸時代後期に再建されたもの。当初は「客殿」と称していた。入母屋造、茅葺き。正面30メートル、側面21メートルの大規模な建築である。本堂の茅葺屋根は、棟高(屋根の高さ)約26メートル、勾配49度、面積は720坪と日本一の茅葺屋根を誇る。
庫裏‐本堂の手前右側に建つ。寄棟造茅葺き。江戸時代後期の再建。
惣門‐寛文5年(1665年)建立の四脚門

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所在地 岩手県奥州市水沢黒石町字正法寺129
位置 北緯39度4分05.1秒 東経141度13分29.7秒
山号 大梅拈華山
宗旨 曹洞宗
本尊 如意輪観音
創建年 1348年(貞和4年)
開山 無底良韶
文化財 本堂、庫裏、惣門(重要文化財)
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2024年05月21日

静神社(しずじんじゃ)は、茨城県那珂市静にある神社

静神社(しずじんじゃ)は、茨城県那珂市静にある神社。式内社(名神大社)、常陸国二宮で、旧社格は県社。神紋は「丸に桜」。

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祭神
祭神は次の4柱。

主祭神
建葉槌命(たけはづちのみこと) - 別名を「倭文神(しどりのかみ)」とする。
相殿神
手力雄命(たぢからをのみこと)
高皇産霊命(たかみむすびのみこと)
思兼命(おもいかねのみこと)

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境内
本殿・拝殿・楼門に代表される社殿は、天保年間(1830年 - 1844年)に徳川斉昭による再建である[3]。また、境内には東京織物卸商業組合が寄進した「織姫」像があるほか、静神社の使いは白い機織り物が長くのびる様子を表した「白蛇」とされており、現在も織物との関係は深い。

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現地情報
所在地
茨城県那珂市静2
交通アクセス
鉄道:東日本旅客鉄道(JR東日本)水郡線 静駅から1.5km[11]
車:常磐自動車道 那珂ICから6km
周辺
静峰公園 - 静神社に隣接し、約2,000本の八重桜が植えられている。

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位置 北緯36度30分6秒 東経140度25分20秒
主祭神 建葉槌命
社格等 式内社(名神大)
常陸国二宮
旧県社
創建 (伝)大同元年(806年)
本殿の様式 神明造銅板葺
例祭 4月1日
posted by Kazu at 09:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 茨城県

2024年05月20日

岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は、青森県弘前市百沢の岩木山の南東麓にある神社

岩木山神社(いわきやまじんじゃ)は、青森県弘前市百沢の岩木山の南東麓にある神社。別称、「お岩木さま」「お山」「奥日光」。旧社格は国幣小社で、津軽国一宮とされる。

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概要
昔から農漁業の守護神として、津軽の開拓の神として、地元の人々の祖霊の鎮まるところとして、親しまれてきた。なお神社の参道は岩木山の登山道の1つとなっていることでも知られており、この神社の奥宮は岩木山の山頂付近にある。

社殿は、神仏習合の時代の名残りをとどめ、鎌倉時代以後の密教寺院の構造がみられる中に、桃山時代の様式を思わせる色とりどりの絵様彫刻がみられ、そうした外観が日光の東照宮を思わせるとして、「奥日光」と呼ばれるに至った。

祭神
顕国魂神(うつしくにたまのかみ)-大国主神
多都比姫神(たつびひめのかみ)
宇賀能売神(うかのめのかみ)
大山祇神(おおやまつみのかみ)
坂上刈田麿命(さかのうえのかりたまろのみこと)
以上をまとめて岩木山大神(いわきやまおおかみ)と称する。

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文化財
国の重要文化財
岩木山神社楼門 附 棟札4枚 - 1908年(明治41年)4月23日指定。
岩木山神社拝殿 附 棟札2枚 - 1908年(明治41年)4月23日指定。
岩木山神社 4棟 - 1971年(昭和46年)6月22日指定。
本殿 附 棟札3枚。
奥門
瑞垣 附 棟札1枚
中門 - 1986年(昭和61年)1月22日追加指定。

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交通
東日本旅客鉄道(JR東日本)奥羽本線弘前駅(中央口)、弘南バス弘前バスターミナルより弘南バス枯木平行にて約40分、岩木山神社バス停下車。

所在地 青森県弘前市百沢字寺沢27
位置 北緯40度37分18.8秒 東経140度20分26.2秒
主祭神 顕国魂神
多都比姫神
宇賀能売神
大山祇神
坂上刈田麿命
社格等 旧国幣小社
別表神社
創建 (伝)宝亀11年(780年)
本殿の様式 三間社流造銅瓦葺
例祭 旧暦8月1日(八朔祭)
posted by Kazu at 09:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 青森県

2024年05月19日

保呂羽山波宇志別神社(ほろわさんはうしわけじんじゃ)は、秋田県横手市大森町八沢木の保呂羽山山腹にある神社

保呂羽山波宇志別神社(ほろわさんはうしわけじんじゃ)は、秋田県横手市大森町八沢木の保呂羽山山腹にある神社。式内小社「出羽国平鹿郡 波宇志別神社」、旧社格は県社。

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由緒
社伝によれば757年(天平宝字1年)、大友吉親が大和国吉野金峰山の蔵王権現を勧請し現在地に創建したという。秋田県に所在する式内社3社のうちの一つで、唯一断絶することなく現在に至る。中世には修験道の霊地として周囲より崇敬を集めていた。大友家に伝わる縁起によれば、創建以来大伴氏の末裔と伝えられる大友家が別当を務めてきたが、江戸時代初期、大友家当主が幼いため、一時的に大友家と守屋家から別当が出ていた。1853年(嘉永6年)に守屋家からの出火によって止宿していた参拝人が焼死するとともに藩主判物等が焼失した責任を問われ、守屋家当主であった守屋左源司は追放の処分となった。守屋家は、養子である守屋造酒進が神職とともに継がだ。しかし、造酒進は、明治2年3月27日に神主から近進並みに召し立てられれにより、守屋家は、久保田城下に。そのため、後現在まで大友家が宮司を務めているという。ただし、現在は神職としては廃絶した守屋家には別の由緒が伝わっている。近世には佐竹氏の定めた秋田藩三国社の一つとして崇敬を集め、波宇志別神社の別当が、藩の社家大頭を務めていた。大友親久が本居宣長、大友直枝が本居大平に学ぶなど国学研究をさかんにおこない、江戸期後半の地域の動向にも影響を与えた。

元来の祭神は天日鷲神ではないかとする新野直吉の説もあるが現在の祭神には入っていない。

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祭神
安閑天皇 合祀 火産霊神、須佐之男命、菊理姫命、大日孁命、菅原道真、金山毘古命、稻倉魂命、大名持神、少彦名命、岩戸別神、八意思兼命、伊邪那岐命、経津主命、猿田彦命、天津御女命、健御名方命、応神天皇、大山祇命、大山咋命

祭事
11月7日:保呂羽山の霜月神楽 (国の重要無形民俗文化財)

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文化財
建造物
波宇志別神社神楽殿(国の重要文化財)

交通
東日本旅客鉄道(JR東日本)大曲駅から車で35分
秋田自動車道 大曲ICから国道105号経由で20分
秋田自動車道 横手北SICから県道29号経由で30分

所在地 秋田県横手市大森町八沢木字保呂羽山1-1
位置 北緯39度22分16.34秒 東経140度18分35.54秒
主祭神 安閑天皇
社格等 式内社(小)・県社
創建 (伝)757年(天平宝字1年)
本殿の様式 両流造
例祭 8月15日、11月7日
主な神事 保呂羽山の霜月神楽
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2024年05月18日

大乗寺(だいじょうじ、大乘寺)は、石川県金沢市長坂町にある曹洞宗の寺院

大乗寺(だいじょうじ、大乘寺)は、石川県金沢市長坂町にある曹洞宗の寺院。山号は東香山、椙樹林、古くは金獅峯。僧堂がある。江戸時代にここで清規(僧侶の修行規則)が再構築され、規矩大乗と称された。

周防正行監督、本木雅弘主演の映画『ファンシイダンス』のロケ地のひとつである。

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歴史
寺伝によれば、弘長3年(1263年)、冨樫家尚が野市(現在の野々市市)に真言宗の澄海を招聘して創建したという。後、禅寺に転じ、弘安6年(1283年)、曹洞宗の徹通義介を招聘して開山とした。なお、開山の年については正応2年(1289年)または正応4年(1291年)との伝えもある。

乾元元年(1302年)、瑩山紹瑾が2世住持となる。応長元年(1311年)、臨済僧である恭翁運良が瑩山の後を継いだ。臨済僧が住持となったのは、十方住持制度(禅寺において、自派に限らず他派からも住持を選ぶ)に基づくものと考えられている。しかし、恭翁運良と大乗寺の間にはその後確執があったようで、彼の名は世代から除かれており、暦応元年(1338年)住持した明峰素哲が大乗寺第3世とされている。

寺は暦応3年(1340年)、足利尊氏の祈願所となるが、室町時代後期、戦乱に巻き込まれて焼失した。その後、前田利長の家臣・加藤重廉が檀越となり、寺は木新保(現在の金沢市本町)に移転した。さらに、江戸時代初期には 加賀藩家老本多家の菩提寺となり、現在の金沢市本多町に移転している。

寛文11年(1671年)には中興の祖とされる月舟宗胡が住持となり、次代の卍山道白(延宝8年・1680年住持となる)とともに寺の復興に努めた。寺が現在地に移転したのは元禄10年(1697年)のことであり、当時の住持は、その前年に就任した明州珠心であった。

寛延3年(1750年) 逆水洞流が住職に就任
次いで、一入覚心が住職に就任
明治時代初期には廃仏毀釈で一時衰退した。昭和50年代、板橋興宗が住職に就任。平成13年(2001年)には駒沢女子大学学長を務めた東隆眞が住職に就任した。

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文化財
重要文化財
仏殿
支那禅刹図式(寺伝五山十刹図)
仏果碧巌破関撃節(一夜碧巌集) - 『碧巌録』
三代嗣法書
韶州曹渓山六祖壇経(紙背仮名消息) - 通称、大乗寺本
羅漢供養講式稿本断簡 道元筆

交通アクセス
IRいしかわ鉄道線金沢駅から車で20分
IRいしかわ鉄道線金沢駅から北鉄バス26番泉野出町一丁目行きに乗り、長坂台下車徒歩約10分
香林坊から北鉄バス26番または81番泉野出町一丁目行きに乗り、長坂台下車徒歩約10分

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所在地 石川県金沢市長坂町ル10番地
位置 北緯36度31分57.2秒 東経136度39分32.2秒
山号 東香山(とうこうざん)
(林号:)椙樹林
金獅峯
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 弘長3年(1263年)
開基 徹通義介
別称 椙樹林
文化財 仏殿、五山十刹図、一夜碧巌、三代嗣法書、六祖壇経、羅漢供養講式稿本断簡 道元筆(重要文化財)
総門、山門、回廊、鐘鼓楼、庫裡、書院、法堂、聯芳堂、僧堂、碧厳蔵、本多家霊廟、附棟札(石川県/金沢市指定有形文化財)
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