大乗寺(だいじょうじ、大乘寺)は、石川県金沢市長坂町にある曹洞宗の寺院。山号は東香山、椙樹林、古くは金獅峯。僧堂がある。江戸時代にここで清規(僧侶の修行規則)が再構築され、規矩大乗と称された。
周防正行監督、本木雅弘主演の映画『ファンシイダンス』のロケ地のひとつである。
歴史
寺伝によれば、弘長3年(1263年)、冨樫家尚が野市(現在の野々市市)に真言宗の澄海を招聘して創建したという。後、禅寺に転じ、弘安6年(1283年)、曹洞宗の徹通義介を招聘して開山とした。なお、開山の年については正応2年(1289年)または正応4年(1291年)との伝えもある。
乾元元年(1302年)、瑩山紹瑾が2世住持となる。応長元年(1311年)、臨済僧である恭翁運良が瑩山の後を継いだ。臨済僧が住持となったのは、十方住持制度(禅寺において、自派に限らず他派からも住持を選ぶ)に基づくものと考えられている。しかし、恭翁運良と大乗寺の間にはその後確執があったようで、彼の名は世代から除かれており、暦応元年(1338年)住持した明峰素哲が大乗寺第3世とされている。
寺は暦応3年(1340年)、足利尊氏の祈願所となるが、室町時代後期、戦乱に巻き込まれて焼失した。その後、前田利長の家臣・加藤重廉が檀越となり、寺は木新保(現在の金沢市本町)に移転した。さらに、江戸時代初期には 加賀藩家老本多家の菩提寺となり、現在の金沢市本多町に移転している。
寛文11年(1671年)には中興の祖とされる月舟宗胡が住持となり、次代の卍山道白(延宝8年・1680年住持となる)とともに寺の復興に努めた。寺が現在地に移転したのは元禄10年(1697年)のことであり、当時の住持は、その前年に就任した明州珠心であった。
寛延3年(1750年) 逆水洞流が住職に就任
次いで、一入覚心が住職に就任
明治時代初期には廃仏毀釈で一時衰退した。昭和50年代、板橋興宗が住職に就任。平成13年(2001年)には駒沢女子大学学長を務めた東隆眞が住職に就任した。
文化財
重要文化財
仏殿
支那禅刹図式(寺伝五山十刹図)
仏果碧巌破関撃節(一夜碧巌集) - 『碧巌録』
三代嗣法書
韶州曹渓山六祖壇経(紙背仮名消息) - 通称、大乗寺本
羅漢供養講式稿本断簡 道元筆
交通アクセス
IRいしかわ鉄道線金沢駅から車で20分
IRいしかわ鉄道線金沢駅から北鉄バス26番泉野出町一丁目行きに乗り、長坂台下車徒歩約10分
香林坊から北鉄バス26番または81番泉野出町一丁目行きに乗り、長坂台下車徒歩約10分
所在地 石川県金沢市長坂町ル10番地
位置 北緯36度31分57.2秒 東経136度39分32.2秒
山号 東香山(とうこうざん)
(林号:)椙樹林
金獅峯
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼仏
創建年 弘長3年(1263年)
開基 徹通義介
別称 椙樹林
文化財 仏殿、五山十刹図、一夜碧巌、三代嗣法書、六祖壇経、羅漢供養講式稿本断簡 道元筆(重要文化財)
総門、山門、回廊、鐘鼓楼、庫裡、書院、法堂、聯芳堂、僧堂、碧厳蔵、本多家霊廟、附棟札(石川県/金沢市指定有形文化財)
2024年05月18日
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