菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)は、石川県加賀市大聖寺敷地にある神社。式内社、加賀国二宮で、旧社格は国幣小社。現在は神社本庁の別表神社。通称を「敷地天神」・「菅生天神」とも。
菅生石部神社 拝殿
祭神
現在の祭神は「菅生石部神」となっており、これは天津日高日子穗穗出見命、豐玉毘賣命、鵜葺草葺不合命の三柱の総称としている。
祭神については諸説あり、少彦名神とする説もある。菅生石部神の本体三柱も、元は祭神の諸説の一つであった。
歴史
社伝によれば、用明天皇元年(585年)、この地で疾病が流行したとき、宮中で祀られていた菅生石部神が勧請されたのに始まるという。延喜式神名帳では小社に列し、加賀国二宮とされた。古来より朝廷・武門からの崇敬が篤く、天慶3年には正四位下の神階が授けられた。『平家物語』巻七には、木曾義仲が当社へ「のみ(野美)の庄」を寄進したとの記述がある。中世には、一帯は北野天満宮の社領となっていた。「天神」の通称はそこからきたものであり、現在もその名残で境内に牛の像が残っている。
明治29年(1896年)に国幣小社に昇格した。
京都の敷地神社(わら天神)は、当社からの勧請と伝える。
本殿
歴史
社伝によれば、用明天皇元年(585年)、この地で疾病が流行したとき、宮中で祀られていた菅生石部神が勧請されたのに始まるという。延喜式神名帳では小社に列し、加賀国二宮とされた。古来より朝廷・武門からの崇敬が篤く、天慶3年には正四位下の神階が授けられた。『平家物語』巻七には、木曾義仲が当社へ「のみ(野美)の庄」を寄進したとの記述がある。中世には、一帯は北野天満宮の社領となっていた。「天神」の通称はそこからきたものであり、現在もその名残で境内に牛の像が残っている。
明治29年(1896年)に国幣小社に昇格した。
京都の敷地神社(わら天神)は、当社からの勧請と伝える。
鳥居
祭事
毎年2月10日の例祭では、「竹わりまつり」の異名を持つ御願神事(ごんがんしんじ)が行われる。御願神事は1987年に石川県指定無形民俗文化財となる。
文化財
重要文化財(国指定)
蒔絵角赤手箱(附 文章1巻)(工芸品) - 東京国立博物館寄託。1900年(明治33年)4月7日指定。
正親町天皇宸翰御詠草 永禄四年八月十五日夜三条西公条点(書跡・典籍) - 石川県立美術館寄託。1900年(明治33年)4月7日指定。
石川県指定文化財
無形民俗文化財
御願神事 - 1987年(昭和62年)3月23日指定。
神門(加賀市指定文化財)
所在地 石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
位置 北緯36度18分46.95秒 東経136度19分14.94秒
主祭神 菅生石部神
社格等 式内社(小)
加賀国二宮
旧国幣小社
別表神社
創建 (伝)用明天皇元年(585年)
本殿の様式 流造
例祭 2月10日
2023年06月17日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12037489
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック