願徳寺(がんとくじ)は、京都市西京区大原野南春日町にある天台宗の寺院。山号は仏華林山(ぶっかりんざん)。院号は宝菩提院(ほうぼだいいん)。本尊は如意輪観音。「京都で一番小さな拝観寺院」を名乗っている。
歴史
寺伝によれば持統天皇が夢で啓示を受け、薬師如来を本尊として天武天皇8年(679年)に現在の向日市寺戸町古城3-6(願徳寺宝菩提院跡)に創建されたという。一時衰退するが、東山三条の宝菩提院に住した忠快(平安時代後期の武士平教盛の子)がこの寺に入って中興したと伝えられる。台密の中心的な寺院として隆盛したが、応仁の乱などの兵火により一時焼失する。江戸時代に入って再興されるも往時の勢いはなく、近代に入ってさらに荒廃した。
1962年(昭和37年)には本尊の観音像などが「花の寺」として知られる勝持寺に一時的に移された。1973年(昭和48年)には勝持寺に隣接する現在地に移転し、更に1996年(平成8年)には本尊などが願徳寺に戻され、34年の年月をかけてようやく再興が完了した。向日市寺戸の旧寺地は住宅地となり、その一部である例慶公園に願徳寺があったことを記した説明板が設置されている。
文化財
国宝
木造菩薩半跏像(伝如意輪観音)
重要文化財
木造薬師如来立像
菩薩半跏像
所在地 京都府京都市西京区大原野南春日町1223-2
山号 仏華林山
院号 宝菩提院
宗派 天台宗
本尊 如意輪観音(国宝)
創建年 天武天皇8年(679年)
開基 持統天皇
中興年 平安時代後期
1996年(平成8年)
中興 平忠快
正式名 仏華林山 宝菩提院 願徳寺
別称 宝菩提院願徳寺
札所等 京都洛西観音霊場第33番
文化財 木造菩薩半跏像(伝如意輪観音)(国宝)
木造薬師如来立像(重要文化財)
2024年06月15日
2024年06月14日
長谷寺(ちょうこくじ)は、新潟県佐渡市長谷にある寺
長谷寺(ちょうこくじ)は、新潟県佐渡市長谷にある寺。真言宗豊山派、佐渡八十八ヶ所霊場第五十五番札所。
概要
807年(大同2年)、空海の開基と伝わる奈良の長谷寺を模した寺。佐渡上陸後の世阿弥ゆかりの地であり、十一面観音立像3体(重要文化財)をはじめ、平安時代の金剛力士像、五智堂など、文化財が多数ある。また、県の天然記念物である三本スギや高野マキもある。本堂は、1777年(安永6年)の再建。観音堂は、1691年(元禄4年)建築で、1760年(宝暦10年)と1888年(明治21年)に修理されている。仁王門は1718年(享保3年)の建築で、1781年(天明元年)に修理されている。
ボタンの名所として知られ、5月には「ぼたんまつり」が開かれる。
2006年(平成18年)頃から境内ではウサギが放し飼いされており、草取り役を担う。2018年(平成30年)には「ウサギ観音」が建立され、夜間に目が赤く光る不気味さと恰好良さがテレビ番組やインターネットで話題となった。その後、個体数の増えすぎで保健所から指導を受けたが、譲渡や、ボランティアらによる飼育環境の改善に向けた取り組みが行われており、適正化に向かっている。また、そのための寄付も集まっているという。
交通アクセス
「畑野駅前」交差点より県道181号を南東へ約2.5 kmほどのところに立地する。
公共交通
新潟交通佐渡 南線ほか「畑野十字路」バス停(畑野駅前交差点近く)より県道181号を南東へ徒歩約40分
新潟交通佐渡 岩首線「長谷」バス停より徒歩すぐ ※本数わずか
所在地
新潟県佐渡市長谷13
山号
北豊山
宗派
真言宗豊山派
本尊
十一面観音
創建年
(伝)大同2年(807年)
開基
(伝)空海
札所等
佐渡八十八ヶ所霊場会 第五十五番札所
文化財
木造十一面観音立像3躯(重要文化財)
概要
807年(大同2年)、空海の開基と伝わる奈良の長谷寺を模した寺。佐渡上陸後の世阿弥ゆかりの地であり、十一面観音立像3体(重要文化財)をはじめ、平安時代の金剛力士像、五智堂など、文化財が多数ある。また、県の天然記念物である三本スギや高野マキもある。本堂は、1777年(安永6年)の再建。観音堂は、1691年(元禄4年)建築で、1760年(宝暦10年)と1888年(明治21年)に修理されている。仁王門は1718年(享保3年)の建築で、1781年(天明元年)に修理されている。
ボタンの名所として知られ、5月には「ぼたんまつり」が開かれる。
2006年(平成18年)頃から境内ではウサギが放し飼いされており、草取り役を担う。2018年(平成30年)には「ウサギ観音」が建立され、夜間に目が赤く光る不気味さと恰好良さがテレビ番組やインターネットで話題となった。その後、個体数の増えすぎで保健所から指導を受けたが、譲渡や、ボランティアらによる飼育環境の改善に向けた取り組みが行われており、適正化に向かっている。また、そのための寄付も集まっているという。
交通アクセス
「畑野駅前」交差点より県道181号を南東へ約2.5 kmほどのところに立地する。
公共交通
新潟交通佐渡 南線ほか「畑野十字路」バス停(畑野駅前交差点近く)より県道181号を南東へ徒歩約40分
新潟交通佐渡 岩首線「長谷」バス停より徒歩すぐ ※本数わずか
所在地
新潟県佐渡市長谷13
山号
北豊山
宗派
真言宗豊山派
本尊
十一面観音
創建年
(伝)大同2年(807年)
開基
(伝)空海
札所等
佐渡八十八ヶ所霊場会 第五十五番札所
文化財
木造十一面観音立像3躯(重要文化財)
2024年06月13日
西福寺(さいふくじ)は、福井県敦賀市にある浄土宗の寺院
西福寺(さいふくじ)は、福井県敦賀市にある浄土宗の寺院。山号は大原山。本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)。名勝の書院庭園が有名。
阿弥陀堂
歴史
応安元年(1368年)、後光厳天皇の勅願により、良如を開山として創建されたという。良如は越前国府中(現・越前市)出身の浄土宗僧で、越前市正覚寺の開山でもある。
文化財
重要文化財
「西福寺」3棟
御影堂
阿弥陀堂
書院及び庫裏
御影堂
アクセス
交通機関
北陸本線・北陸新幹線・小浜線・ハピラインふくい線 敦賀駅
敦賀市コミュニティバス
松原線
「西福寺」停留所下車、徒歩2分。
※所要時間:敦賀駅から約30分。
自動車
北陸自動車道
敦賀ICから約15分。
舞鶴若狭自動車道
敦賀南スマートIC(ETC搭載車専用)から約20分。
国道8号
敦賀バイパス
余座ランプから約15分。
敦賀市街地(本町(ほんまち)・元町(もとまち)方面)
気比神宮交差点から約10分。
国道476号
曙交差点(国道8号(市街地区間)の交点)から約12分。
国道27号(金山バイパス)
福井県道142号松島若葉線
福井県道210号余座若葉線
若葉交差点(金山バイパスと福井県道142号線・福井県道210号線の交点)から約10分。
タクシー
敦賀駅から約15分。
所在地 〒914-0824 福井県敦賀市原13-7
位置 北緯35度39分25秒 東経136度1分55.6秒
山号 大原山
宗派 浄土宗鎮西派
寺格 中本山
本尊 阿弥陀三尊
創建年 応安元年1368年
開基 後光厳天皇(勅願)、良如(開山)
別称 越の秀嶺
文化財 書院庭園(国の名勝)
御影堂、阿弥陀堂、書院及び庫裏、絹本著色観経変相曼荼羅図、西福寺一切経勧進経25巻ほか(重要文化財)
阿弥陀堂
歴史
応安元年(1368年)、後光厳天皇の勅願により、良如を開山として創建されたという。良如は越前国府中(現・越前市)出身の浄土宗僧で、越前市正覚寺の開山でもある。
文化財
重要文化財
「西福寺」3棟
御影堂
阿弥陀堂
書院及び庫裏
御影堂
アクセス
交通機関
北陸本線・北陸新幹線・小浜線・ハピラインふくい線 敦賀駅
敦賀市コミュニティバス
松原線
「西福寺」停留所下車、徒歩2分。
※所要時間:敦賀駅から約30分。
自動車
北陸自動車道
敦賀ICから約15分。
舞鶴若狭自動車道
敦賀南スマートIC(ETC搭載車専用)から約20分。
国道8号
敦賀バイパス
余座ランプから約15分。
敦賀市街地(本町(ほんまち)・元町(もとまち)方面)
気比神宮交差点から約10分。
国道476号
曙交差点(国道8号(市街地区間)の交点)から約12分。
国道27号(金山バイパス)
福井県道142号松島若葉線
福井県道210号余座若葉線
若葉交差点(金山バイパスと福井県道142号線・福井県道210号線の交点)から約10分。
タクシー
敦賀駅から約15分。
所在地 〒914-0824 福井県敦賀市原13-7
位置 北緯35度39分25秒 東経136度1分55.6秒
山号 大原山
宗派 浄土宗鎮西派
寺格 中本山
本尊 阿弥陀三尊
創建年 応安元年1368年
開基 後光厳天皇(勅願)、良如(開山)
別称 越の秀嶺
文化財 書院庭園(国の名勝)
御影堂、阿弥陀堂、書院及び庫裏、絹本著色観経変相曼荼羅図、西福寺一切経勧進経25巻ほか(重要文化財)
2024年06月12日
春日神社(かすがじんじゃ)は、岐阜県関市にある神社
春日神社(かすがじんじゃ)は、岐阜県関市にある神社。
概要
金幣社。関鍛冶の守護神。
例祭は関まつりと呼ばれ、古典芸能「童子夜行(どうじやこう)」が能舞台で奉納される。また、この例祭に使用される能装束類(63点)は昭和31年(1956年)に重要文化財に指定されており、毎年10月第2日曜日の刃物まつりなどで特別公開されている。
同じく使用される能狂言面は、平成22年(2010年)に重要文化財に指定されている。
歴史
鎌倉時代に大和の国(現在の奈良県)から何人もの鍛冶刀工が関に移り住んだ。正応元年(1288年)その大和鍛冶の出身者である金重と兼永は関鍛冶を総代して奈良の春日大明神を勧請して関鍛冶の守護神とし創建したと云われている。創建時に神宮寺として真言宗新長谷寺の末寺、勇猛山大雄寺を設けた。
その後、刀工孫六兼元等の登場により関の刀鍛冶が日本全国に知られることとなり、例祭が盛んになる。
永享5年(1433年)初代孫六兼幸が願主となって同地に再建。
明治時代に至って大雄寺が廃寺となり、鐘楼を遺して建物が撤去された。
明治6年(1873年)1月郷社、明治40年(1907年)神饌幣帛供進神社に指定され、昭和29年(1954年)に金幣社に指定された。
アクセス
長良川鉄道越美南線 せきてらす前駅下車、徒歩で約5分。
東海北陸自動車道 関インターチェンジから車で約5分。
所在地 〒501-3857:岐阜県関市南春日町1
位置 北緯35度28分56.42秒 東経136度55分0.76秒
主祭神 天児屋根命(あめのこやねのみこと)(春日大神)
社格等 金幣社
創建 正応元年(1288年)
例祭 試楽祭(4月第3土曜日)
本楽祭(4月第3日曜日)
主な神事 童子夜行(どうじやこう)
概要
金幣社。関鍛冶の守護神。
例祭は関まつりと呼ばれ、古典芸能「童子夜行(どうじやこう)」が能舞台で奉納される。また、この例祭に使用される能装束類(63点)は昭和31年(1956年)に重要文化財に指定されており、毎年10月第2日曜日の刃物まつりなどで特別公開されている。
同じく使用される能狂言面は、平成22年(2010年)に重要文化財に指定されている。
歴史
鎌倉時代に大和の国(現在の奈良県)から何人もの鍛冶刀工が関に移り住んだ。正応元年(1288年)その大和鍛冶の出身者である金重と兼永は関鍛冶を総代して奈良の春日大明神を勧請して関鍛冶の守護神とし創建したと云われている。創建時に神宮寺として真言宗新長谷寺の末寺、勇猛山大雄寺を設けた。
その後、刀工孫六兼元等の登場により関の刀鍛冶が日本全国に知られることとなり、例祭が盛んになる。
永享5年(1433年)初代孫六兼幸が願主となって同地に再建。
明治時代に至って大雄寺が廃寺となり、鐘楼を遺して建物が撤去された。
明治6年(1873年)1月郷社、明治40年(1907年)神饌幣帛供進神社に指定され、昭和29年(1954年)に金幣社に指定された。
アクセス
長良川鉄道越美南線 せきてらす前駅下車、徒歩で約5分。
東海北陸自動車道 関インターチェンジから車で約5分。
所在地 〒501-3857:岐阜県関市南春日町1
位置 北緯35度28分56.42秒 東経136度55分0.76秒
主祭神 天児屋根命(あめのこやねのみこと)(春日大神)
社格等 金幣社
創建 正応元年(1288年)
例祭 試楽祭(4月第3土曜日)
本楽祭(4月第3日曜日)
主な神事 童子夜行(どうじやこう)
2024年06月11日
円応寺(えんのうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の仏教寺院
円応寺(えんのうじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の仏教寺院。開山は桑田道海(智覚禅師)とも伝えるが未詳。山号は新居山。鎌倉時代作の閻魔像や冥界の十王の像で知られ、別名「新居閻魔堂」、「十王堂」とも呼ばれる。
歴史
『新編鎌倉志』等によれば円応寺は建長2年(1250年)の創建で、開山は建長寺開山蘭渓道隆の弟子にあたる桑田道海(智覚禅師)とされる。しかし、桑田道海は1309年の没で、年代が合わないこと、1250年といえば師の蘭渓道隆が開山した建長寺の落慶より以前であることなどから、当初から禅寺として建てられたことには疑問が持たれている。
円応寺は当初は由比郷見越岩(鎌倉大仏の東側)に建てられたようだが、ほどなく滑川の川岸へと移転した。鎌倉市材木座5丁目11番地に新居閻魔堂跡を示す石碑が残る。現在の川岸から200-300メートルほど東側に離れているが、閻魔堂創建当時はこのあたりが川岸だったと想定される。なお滑川下流部は別名閻魔川とも呼ばれるが、これはこの閻魔堂に由来する。
本尊の閻魔像から新居閻魔堂と呼ばれ信仰を集めたが、元禄16年11月23日 (旧暦)(1703年12月31日)の元禄大地震による津波被害により建物が大破した。その翌年山ノ内の現在地に移転した。寺は建長寺から鎌倉街道を挟んで向かい側の小高い敷地に位置するが、この地はもと建長寺塔頭の大統庵のあったところである。
伽藍
本堂
本尊の閻魔像や十王像等の像を安置する。
文化財
重要文化財
木造初江王坐像1躯(幸有作)、木造閻魔王坐像1躯、木造倶生神坐像2躯、木造奪衣婆坐像1躯(弘円作)、木造鬼卒立像1躯、木造檀拏幢1基
以上7点が一括して重要文化財に指定されている。
交通
北鎌倉駅より神奈川県道21号横浜鎌倉線沿いに鎌倉駅方向へ向かって徒歩15分程度。
所在地 神奈川県鎌倉市山ノ内1543
位置 北緯35度19分46.9秒 東経139度33分10.2秒
山号 新居山
宗旨 臨済宗
宗派 建長寺派
本尊 閻魔王
創建年 (伝)建長2年(1250年)
開山 (伝)桑田道海(智覚禅師)
別称 新居閻魔堂、十王堂
札所等 鎌倉地蔵尊霊場 第8番
鎌倉十三仏 第5番(地蔵菩薩)
文化財 木造初江王坐像、木造閻魔王坐像、木造倶生神坐像2躯、木造奪衣婆坐像、木造鬼卒立像、木造檀拏幢
歴史
『新編鎌倉志』等によれば円応寺は建長2年(1250年)の創建で、開山は建長寺開山蘭渓道隆の弟子にあたる桑田道海(智覚禅師)とされる。しかし、桑田道海は1309年の没で、年代が合わないこと、1250年といえば師の蘭渓道隆が開山した建長寺の落慶より以前であることなどから、当初から禅寺として建てられたことには疑問が持たれている。
円応寺は当初は由比郷見越岩(鎌倉大仏の東側)に建てられたようだが、ほどなく滑川の川岸へと移転した。鎌倉市材木座5丁目11番地に新居閻魔堂跡を示す石碑が残る。現在の川岸から200-300メートルほど東側に離れているが、閻魔堂創建当時はこのあたりが川岸だったと想定される。なお滑川下流部は別名閻魔川とも呼ばれるが、これはこの閻魔堂に由来する。
本尊の閻魔像から新居閻魔堂と呼ばれ信仰を集めたが、元禄16年11月23日 (旧暦)(1703年12月31日)の元禄大地震による津波被害により建物が大破した。その翌年山ノ内の現在地に移転した。寺は建長寺から鎌倉街道を挟んで向かい側の小高い敷地に位置するが、この地はもと建長寺塔頭の大統庵のあったところである。
伽藍
本堂
本尊の閻魔像や十王像等の像を安置する。
文化財
重要文化財
木造初江王坐像1躯(幸有作)、木造閻魔王坐像1躯、木造倶生神坐像2躯、木造奪衣婆坐像1躯(弘円作)、木造鬼卒立像1躯、木造檀拏幢1基
以上7点が一括して重要文化財に指定されている。
交通
北鎌倉駅より神奈川県道21号横浜鎌倉線沿いに鎌倉駅方向へ向かって徒歩15分程度。
所在地 神奈川県鎌倉市山ノ内1543
位置 北緯35度19分46.9秒 東経139度33分10.2秒
山号 新居山
宗旨 臨済宗
宗派 建長寺派
本尊 閻魔王
創建年 (伝)建長2年(1250年)
開山 (伝)桑田道海(智覚禅師)
別称 新居閻魔堂、十王堂
札所等 鎌倉地蔵尊霊場 第8番
鎌倉十三仏 第5番(地蔵菩薩)
文化財 木造初江王坐像、木造閻魔王坐像、木造倶生神坐像2躯、木造奪衣婆坐像、木造鬼卒立像、木造檀拏幢
2024年06月10日
最福寺(さいふくじ)は、鹿児島県鹿児島市平川町にある単立の寺院
最福寺(さいふくじ)は、鹿児島県鹿児島市平川町にある単立の寺院。山号は烏帽子山。本尊は不動明王。
概略
公式の寺伝では室町時代の創立とするが、現在の最福寺は1988年に宗教法人として設立され、1989年(平成元年)に現在の住職でもある池口恵観により事実上新設された寺である。本尊の不動明王立像は京仏師・田中文哉の作。松本明慶作の全高18.5メートルの木造大弁才天像を大仏殿に備える。
ただし、単立の最福寺の他に「最福寺」があり(つまり、2つ「最福寺」を名乗る寺院が存在する)、池口が「法主」と名乗る場合は、高野山真言宗系の最福寺ではない。また、江の島大師も単立である。
法主である池口恵観は政界で安倍晋三元総理の指南役だったことが知られており、自民党の小泉純一郎元総理はじめ二階俊博幹事長や竹中平蔵といった数多くのぼる中央政界の有力政治家と親密な交流を持つ僧呂として、その名が知られており、また有名スポーツ選手や文化人らにも信奉者が多く、プロ野球の清原和博はじめ金本知憲、新井貴浩らがおり、Jリーガーの柏レイソルの選手達、作家の家田荘子らは最福寺で何週間にも及ぶ護摩行をしている場面をマスメディアに盛んに取り上げられたことでも有名になった。なお、池口恵観が高野山の最高位に上り詰めた際、40年以上に渡って親交を持つ田原総一朗や櫻井よしこ、デヴィ夫人など錚々たる文化人達がいち早く祝電を送る他、貴乃花光司は角界在籍時、苦悩する立場を師と仰ぐ池口法主に吐露するなど政界、実業界、文化人、芸能界、スポーツ界など多岐に渡る層の人脈がうかがい知れる。日本青年社など右翼団体での講演や機関紙への寄稿、新右翼・一水会の機関紙「月刊レコンキスタ」などにも定期的に記事を執筆している。
交通アクセス
JR九州指宿枕崎線平川駅から車で10分
所在地 鹿児島県鹿児島市平川町4850
位置 北緯31度26分27.61秒 東経130度30分35.47秒
山号 烏帽子山
宗派 単立
本尊 不動明王
創建年 伝・室町時代
中興年 1989年(平成元年)
中興 池口恵観
概略
公式の寺伝では室町時代の創立とするが、現在の最福寺は1988年に宗教法人として設立され、1989年(平成元年)に現在の住職でもある池口恵観により事実上新設された寺である。本尊の不動明王立像は京仏師・田中文哉の作。松本明慶作の全高18.5メートルの木造大弁才天像を大仏殿に備える。
ただし、単立の最福寺の他に「最福寺」があり(つまり、2つ「最福寺」を名乗る寺院が存在する)、池口が「法主」と名乗る場合は、高野山真言宗系の最福寺ではない。また、江の島大師も単立である。
法主である池口恵観は政界で安倍晋三元総理の指南役だったことが知られており、自民党の小泉純一郎元総理はじめ二階俊博幹事長や竹中平蔵といった数多くのぼる中央政界の有力政治家と親密な交流を持つ僧呂として、その名が知られており、また有名スポーツ選手や文化人らにも信奉者が多く、プロ野球の清原和博はじめ金本知憲、新井貴浩らがおり、Jリーガーの柏レイソルの選手達、作家の家田荘子らは最福寺で何週間にも及ぶ護摩行をしている場面をマスメディアに盛んに取り上げられたことでも有名になった。なお、池口恵観が高野山の最高位に上り詰めた際、40年以上に渡って親交を持つ田原総一朗や櫻井よしこ、デヴィ夫人など錚々たる文化人達がいち早く祝電を送る他、貴乃花光司は角界在籍時、苦悩する立場を師と仰ぐ池口法主に吐露するなど政界、実業界、文化人、芸能界、スポーツ界など多岐に渡る層の人脈がうかがい知れる。日本青年社など右翼団体での講演や機関紙への寄稿、新右翼・一水会の機関紙「月刊レコンキスタ」などにも定期的に記事を執筆している。
交通アクセス
JR九州指宿枕崎線平川駅から車で10分
所在地 鹿児島県鹿児島市平川町4850
位置 北緯31度26分27.61秒 東経130度30分35.47秒
山号 烏帽子山
宗派 単立
本尊 不動明王
創建年 伝・室町時代
中興年 1989年(平成元年)
中興 池口恵観
2024年06月09日
石峯寺(しゃくぶじ)は、兵庫県神戸市北区にある真言宗の寺院
石峯寺(しゃくぶじ)は、兵庫県神戸市北区にある真言宗の寺院。山号は岩嶺山(がんれいさん)。
薬師堂(重要文化財)
歴史
寺伝によれば、651年(白雉2年)孝徳天皇の勅願により法道が開山したとされ、延命地蔵と称する地蔵菩薩を本尊とする。747年(天平19年)、行基が薬師堂を建立し、823年(弘仁14年)、嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立したとの伝えもある。
三重塔(重要文化財)
伽藍
薬師堂(重要文化財)
三重塔(重要文化財)
本堂
仁王門
鐘楼
鼓楼
1974年「石峯寺及びその周辺」として、十輪院、竹林寺とともに文化環境保存区域に指定され、1997年には「新・こうべ花の名所50選」の1つに選定されている。
文化財
重要文化財(国指定)
薬師堂 - 室町時代、桁行五間、梁間五間、入母屋造。
三重塔- 室町時代、銅板葺、高さ24.41m。日本にある重要文化財の三重塔のなかでも、最も高いものの1つである。
交通アクセス
JR福知山線・神戸電鉄、三田駅から神姫バスで30分、「野瀬」下車、徒歩
中国自動車道西宮北ICから西へ約10km
所在地 兵庫県神戸市北区淡河町神影110-1
位置 北緯34度49分57.2秒 東経135度8分14.2秒
山号 岩嶺山
宗派 高野山真言宗
本尊 地蔵菩薩(延命地蔵)
創建年 (伝)白雉2年(651年)
開基 (伝)法道仙人、孝徳天皇(勅願)
札所等 神戸十三仏 第7番 (薬師如来)
文化財 薬師堂、三重塔(重要文化財)
薬師堂(重要文化財)
歴史
寺伝によれば、651年(白雉2年)孝徳天皇の勅願により法道が開山したとされ、延命地蔵と称する地蔵菩薩を本尊とする。747年(天平19年)、行基が薬師堂を建立し、823年(弘仁14年)、嵯峨天皇の勅願により三重塔を建立したとの伝えもある。
三重塔(重要文化財)
伽藍
薬師堂(重要文化財)
三重塔(重要文化財)
本堂
仁王門
鐘楼
鼓楼
1974年「石峯寺及びその周辺」として、十輪院、竹林寺とともに文化環境保存区域に指定され、1997年には「新・こうべ花の名所50選」の1つに選定されている。
文化財
重要文化財(国指定)
薬師堂 - 室町時代、桁行五間、梁間五間、入母屋造。
三重塔- 室町時代、銅板葺、高さ24.41m。日本にある重要文化財の三重塔のなかでも、最も高いものの1つである。
交通アクセス
JR福知山線・神戸電鉄、三田駅から神姫バスで30分、「野瀬」下車、徒歩
中国自動車道西宮北ICから西へ約10km
所在地 兵庫県神戸市北区淡河町神影110-1
位置 北緯34度49分57.2秒 東経135度8分14.2秒
山号 岩嶺山
宗派 高野山真言宗
本尊 地蔵菩薩(延命地蔵)
創建年 (伝)白雉2年(651年)
開基 (伝)法道仙人、孝徳天皇(勅願)
札所等 神戸十三仏 第7番 (薬師如来)
文化財 薬師堂、三重塔(重要文化財)
2024年06月08日
海福寺(かいふくじ)は、広島県尾道市にある時宗の寺院
海福寺(かいふくじ)は、広島県尾道市にある時宗の寺院。「三ツ首様」伝説で知られる。
歴史
1328年(嘉暦三年)に遊行2祖他阿上人の開山で創建された。1320年(元応2年)他阿の法弟、但阿弥陀仏の開山という説もある。
言い伝え
江戸時代末期の1828年(文政十一年)、尾道地方を荒らした義賊、想兵衛・亀蔵・利助が捕らえられて処刑された。その夜、当時の住職・堪応の夢に三人が現れ、堪応はお告げに基づいて三人の首を貰い受けて供養した。この三ツ首様は、首から上の病を治すご利益があると伝えられる。
交通アクセス
西日本旅客鉄道山陽本線尾道駅より徒歩15分
所在地 広島県尾道市西土堂町14-1番地
位置 北緯34度24分25.9秒 東経133度11分51.7秒
宗旨 時宗
宗派 時宗遊行派
本尊 阿弥陀如来立像
開山 但阿弥陀仏
歴史
1328年(嘉暦三年)に遊行2祖他阿上人の開山で創建された。1320年(元応2年)他阿の法弟、但阿弥陀仏の開山という説もある。
言い伝え
江戸時代末期の1828年(文政十一年)、尾道地方を荒らした義賊、想兵衛・亀蔵・利助が捕らえられて処刑された。その夜、当時の住職・堪応の夢に三人が現れ、堪応はお告げに基づいて三人の首を貰い受けて供養した。この三ツ首様は、首から上の病を治すご利益があると伝えられる。
交通アクセス
西日本旅客鉄道山陽本線尾道駅より徒歩15分
所在地 広島県尾道市西土堂町14-1番地
位置 北緯34度24分25.9秒 東経133度11分51.7秒
宗旨 時宗
宗派 時宗遊行派
本尊 阿弥陀如来立像
開山 但阿弥陀仏
2024年06月07日
小比賀家住宅(おびかけじゅうたく)は、香川県高松市御厩町にある古民家
小比賀家住宅(おびかけじゅうたく)は、香川県高松市御厩町にある古民家。国の重要文化財に指定されている。
歴史
小比賀家は甲斐源氏武田氏の末裔と伝えられ、戦国時代末期には武田氏没落に伴って四国に渡り、讃岐室山城(高松市室新町、室山)の城主となった。そして一族がこの地、御厩へ住み始めたのは17世紀初頭の慶長年間である。
江戸時代に入ると村の庄屋を代々勤めるようになり、時には数か村を管轄する大庄屋を勤めることもあった。
文化財
主屋、午門、土蔵、米蔵の4棟が国の重要文化財に指定。土塀(主屋〜午門間)、土塀(屋敷周囲)、屋敷絵図が附(つけたり)指定となっている。
公開状況
常時見学可能なのは午門外観のみで、それより内部は毎月第3日曜にのみ有料開放される。
公開時間:10:00-16:00
入場料:大人300円、子供200円
所在地:〒761-8042 香川県高松市御厩町字落合331番地
見学者用の駐車場は無く、また周辺に案内看板などは設置されていない。
交通アクセス
ことでんバス
御厩・県立総合プール線「御厩」バス停より徒歩5分
JR
予讃線鬼無駅より徒歩26分
高松自動車道
高松西I.C.より車4分(松山・岡山方面専用)
高松檀紙I.C.より車2分(徳島・神戸方面専用)
国道11号高松南バイパス御厩交差点から県道177号円座香西線を北上すぐ。
位置 北緯34度18分33.3秒 東経133度59分22.9秒
類型 民家
形式・構造 木造、寄棟造、茅葺・本瓦葺
敷地面積 約4,400m2
建築年 17世紀前期-19世紀中期
文化財 建物:国の重要文化財
庭園:県の名勝
所在施設・区域 主屋、午門、土蔵、米蔵、日本庭園
歴史
小比賀家は甲斐源氏武田氏の末裔と伝えられ、戦国時代末期には武田氏没落に伴って四国に渡り、讃岐室山城(高松市室新町、室山)の城主となった。そして一族がこの地、御厩へ住み始めたのは17世紀初頭の慶長年間である。
江戸時代に入ると村の庄屋を代々勤めるようになり、時には数か村を管轄する大庄屋を勤めることもあった。
文化財
主屋、午門、土蔵、米蔵の4棟が国の重要文化財に指定。土塀(主屋〜午門間)、土塀(屋敷周囲)、屋敷絵図が附(つけたり)指定となっている。
公開状況
常時見学可能なのは午門外観のみで、それより内部は毎月第3日曜にのみ有料開放される。
公開時間:10:00-16:00
入場料:大人300円、子供200円
所在地:〒761-8042 香川県高松市御厩町字落合331番地
見学者用の駐車場は無く、また周辺に案内看板などは設置されていない。
交通アクセス
ことでんバス
御厩・県立総合プール線「御厩」バス停より徒歩5分
JR
予讃線鬼無駅より徒歩26分
高松自動車道
高松西I.C.より車4分(松山・岡山方面専用)
高松檀紙I.C.より車2分(徳島・神戸方面専用)
国道11号高松南バイパス御厩交差点から県道177号円座香西線を北上すぐ。
位置 北緯34度18分33.3秒 東経133度59分22.9秒
類型 民家
形式・構造 木造、寄棟造、茅葺・本瓦葺
敷地面積 約4,400m2
建築年 17世紀前期-19世紀中期
文化財 建物:国の重要文化財
庭園:県の名勝
所在施設・区域 主屋、午門、土蔵、米蔵、日本庭園
2024年06月06日
出雲大社沖縄分社(いずもたいしゃおきなわぶんしゃ)は沖縄県那覇市古島に鎮座している神社
出雲大社沖縄分社(いずもたいしゃおきなわぶんしゃ)は沖縄県那覇市古島に鎮座している神社である。出雲大社の正式な分社であり、国内最南・西端の出雲大社の分社である。出雲大社教では、「分祠」「大教会(分院)」「教会」「支教会」以外の名称は認められていないが、第二次世界大戦後の特殊事情から沖縄分社のみ「分社」の名称が認められている。
本殿はブロック塀に囲まれており、見ることは出来ない。同社には鳥居は無く、門のような囲いの下に手水などもある。沖縄各地から若い女性を中心に、恋愛の神社として参拝者が絶えない。
アクセス
沖縄都市モノレール線 古島駅より徒歩4分
所在地 沖縄県那覇市古島1丁目16-13
位置 北緯26度13分48.4秒 東経127度42分12.7秒
主祭神 大国主命
例祭
新年祭 1月1日
秋祭 11月23日
月始祭 毎月1日
本殿はブロック塀に囲まれており、見ることは出来ない。同社には鳥居は無く、門のような囲いの下に手水などもある。沖縄各地から若い女性を中心に、恋愛の神社として参拝者が絶えない。
アクセス
沖縄都市モノレール線 古島駅より徒歩4分
所在地 沖縄県那覇市古島1丁目16-13
位置 北緯26度13分48.4秒 東経127度42分12.7秒
主祭神 大国主命
例祭
新年祭 1月1日
秋祭 11月23日
月始祭 毎月1日