アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2024年07月11日

葦守八幡宮(あしもりはちまんぐう)は岡山県岡山市北区下足守にある神社

葦守八幡宮(あしもりはちまんぐう)は岡山県岡山市北区下足守にある神社。旧社格は郷社。建立年代の明らかなものとしては日本最古の鳥居がある。

27en5ZUP.jpg
建立年代が明らかな日本最古の鳥居(重要文化財)

歴史
日本書紀の卷第十・譽田天皇紀の五.追隨妃兄媛歸省之吉備行幸に「庚寅、亦移居於葉田葦守宮時御友別參赴之」とある。これによれば、応神天皇が帰省した妃の吉備兄媛を追って応神天皇22年9月に行幸し、葉田葦守宮で兄媛とその兄・御友別命に饗応を受けたとされる。御友別命はこの行幸地に天皇の死後、天皇の遺徳を偲んで祭祀し葉田葦守宮を設けた。これが葦守八幡宮の始めであるとされている。

平安時代末期の嘉応元年(1169年)に描かれた「足守庄絵図」には現在地に八満山と八幡宮の文字が記されており、これが現在の八幡宮の前身である。なお、「足守庄絵図」の実物は京都市の神護寺にあり、地割りや集落や寺社の配置など荘園の実態を伝える貴重な資料として重要文化財に指定されている。

江戸時代初期の慶長12年(1607年)足守藩主木下家が豊臣家の姻戚であることから、豊臣秀頼は奉行の小出吉政を遣わして木瀬浄阿彌作円鏡と呼ばれる青銅鏡を豊臣家再興を願って寄進した。これが現在の御神体である。木下家の入府後、江戸時代を通じて足守藩の総鎮守となり、木下家の産土神とした。

本殿が宝永3年(1706年)に現在地に造営された。しかし、幕末には焼亡し、現在の本殿は明治3年(1870年)に再建されたものである。

CIMG8459-768x575.jpg

文化財
重要文化財(国指定)
八幡神社鳥居:南北朝時代の康安元年(1361年)に石大工の沙弥妙阿によって建造され、建造年が特定される鳥居としては日本最古のものである。明神鳥居の形態を採り両柱の基部に稚児柱を伴う両部鳥居である。花崗岩製で高さは4.3m、柱の中央間の幅は3.4mである。正面向かって右の柱には「康安元年辛丑十月二日 (中央)願主神主賀陽重人、(右)大工沙弥妙阿、(左)祝主僧頼澄」の刻銘がある。昭和31年(1956年)6月28日指定。

10066-858x600.jpg

アクセス
JR吉備線足守駅よりタクシーで約5分
岡山自動車道岡山総社ICより車で東へ約10分

所在地 岡山県岡山市北区下足守468
位置 北緯34度43分26.6秒 東経133度48分27.8秒
主祭神 応神天皇、神功皇后、玉依媛命、兄姫命、御友別命
社格等 郷社
本殿の様式 入母屋造
例祭 歳旦祭(元日)、大祓祭(7月第4日
posted by Kazu at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 岡山県

2024年07月10日

水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、大阪府三島郡島本町にある神社

水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、大阪府三島郡島本町にある神社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は水無瀬宮。境内には環境庁認定「名水百選」に選ばれた「離宮の水」がある。

ba050580-04c2-11e8-92e4-06326e701dd4.jpeg

祭神
主祭神 - 後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇

歴史
この地には後鳥羽天皇が大変気に入っていた離宮・水無瀬殿下御所が建てられていたが、後鳥羽上皇は承久の乱で鎌倉幕府に敗れて隠岐国に流され、そこで崩御すると、水無瀬殿一帯は荒れ果てた。その後、仁治元年(1240年)に後鳥羽上皇の遺勅(後鳥羽天皇宸翰御手印置文・国宝)に基づき、水無瀬信成・親成親子が水無瀬殿下御所の跡地に御影堂を建立し、上皇を祀った。この水無瀬御影堂が当宮の始まりである。明応3年(1494年)、後土御門天皇が隠岐より後鳥羽上皇の神霊を迎え、水無瀬宮の神号を奉じた。

安土桃山時代には、豊臣秀吉が福島正則を普請奉行として客殿(重要文化財)を建立している。寛永年間(1624年 - 1645年)には京都御所にあった明正天皇の内侍所を移築して改築し、新たな本殿とした。

江戸時代までは仏式で祀られていたが、明治時代になると神仏分離が行われ、1873年(明治6年)に水無瀬御影堂は神社となり、水無瀬宮に改称すると官幣中社に列せられた。同時に、後鳥羽天皇と同じく承久の乱により配流されてそこで崩御した土御門天皇と順徳天皇の神霊も配流地から迎えて合祀している。

1939年(昭和14年)に神宮号を賜って官幣大社に列格すると、水無瀬神宮と改称された。大阪府唯一の神宮である。

1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。

b-6-2-1.jpg

文化財
国宝
紙本著色後鳥羽天皇像 - 鎌倉時代の似絵の代表作。承久の変に敗れた後鳥羽上皇は出家して隠岐国に配流される前に、絵師の藤原信実に命じて自身の出家前の肖像画を描かせたことが『吾妻鏡』に見え、その絵にあたるものという。京都国立博物館寄託。
後鳥羽天皇宸翰御手印置文 - 「宸翰」は天皇直筆の意。「置文」は遺言とほぼ同意。暦仁2年(1239年)、隠岐に流されていた後鳥羽上皇が崩御の13日前に書いた自筆の遺言状。文面には上皇の手印(手形)が鮮明に付されている。歴史上著名な天皇の宸翰としてきわめて貴重な史料である。京都国立博物館寄託。

R.jpeg

交通機関
阪急京都本線 水無瀬駅 徒歩10分
阪急京都線 大山崎駅 徒歩18分
JR京都線 島本駅 徒歩12分
JR京都線 山崎駅 徒歩15分

所在地 大阪府三島郡島本町広瀬3丁目10-24
位置 北緯34度53分5.6秒 東経135度40分23.1秒
主祭神 後鳥羽天皇
土御門天皇
順徳天皇
社格等 旧官幣大社
別表神社
創建 仁治元年(1240年)
札所等 神仏霊場巡拝の道62番(大阪第21番)
例祭 12月7日
posted by Kazu at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 大阪府

2024年07月09日

サンチャゴの鐘(サンチャゴのかね)は、大分県竹田市大字拝田原の中川神社に伝わる銅製の鐘

サンチャゴの鐘(サンチャゴのかね)は、大分県竹田市大字拝田原の中川神社に伝わる銅製の鐘。1612年(慶長17年)に制作されたキリシタンの遺物であり、1950年(昭和25年)8月29日に「銅鐘」という名称で国の重要文化財に指定されている。

04.jpg
竹田市歴史文化館・由学館・国重要文化財に指定されている謎のキリシタン遺物「サンチャゴの鐘」

概要
銅鐘は、高さ80.5cm、口径66.0cm、重量108.5kg。舌(ぜつ)は失われている。表面に十字の紋と「HOSPITAL SANTIAGO 1612」の銘文が陽刻されており、この銘文から、1612年(慶長17年)に制作されたもので、長崎にあったミゼリコルディア(慈善院)附属のサンチャゴ病院の鐘であると考えられている。サンチャゴ病院は、レオン・パジェスが著した『日本切支丹宗門史』に「聖ヤコボの病院」として記述されている(「サンチャゴ」はスペイン語・ポルトガル語、「聖ヤコボ」はラテン語で、ともにヤコブのこと)。サンチャゴ病院はミゼリコルディアとともに1620年(元和6年)に破壊されている。

中川神社は代々の岡藩藩主中川氏を祀った神社で、1871年(明治4年)に岡城が取り壊された際に、場内にあった荘嶽社を1872年(明治5年)に現在地に移築したものである。中川氏がこの鐘を所有するに至った経緯については、1629年(寛永6年)から長崎奉行を務めた府内藩主竹中重義によって府内城に運ばれ、竹中重義が汚職の咎により切腹を命じられたあと、府内城の城番を任ぜられた岡藩第2代藩主中川久盛によって岡城にもたらされたのではないかとの推測がある。

f.jpg
資料館の入り口にかけられたレプリカのサンチャゴの鐘

複製の制作
2012年には、竹田市において、岡藩初代藩主中川秀成の没後400年を記念して、岡藩城下町400年祭事業が行われたが、中川秀成の没年がこの鐘が制作されたのと同じ1612年であったことから、サンチャゴの鐘はイベントのシンボル的存在とされ、複製の制作等が企画された。

2011年末から、オリジナルと同じ音色の複製を制作するための準備として、九州国立博物館によってサンチャゴの鐘の成分分析が行われ、組成は銅87%、スズ8%、鉛3%、鉄2%であることが判明。鉛同位体比の測定結果が日本産鉛とタイ産鉛の中間値を示しており、当時は国内産の鉛が不足してタイからの輸入が行われていたことから、産地は不明であるものの、日本において国内産の鉛をタイ産の鉛を混合して制作されたのではないかとの推定が行われている。

また、この鐘は重要文化財に指定されており保護が優先されることから、これまで鳴らされたことがなかったが、文化庁から4回に限って鐘を打つ許可を得て、2012年5月9日にスタジオで鐘の音が録音された。

サンチャゴの鐘の複製は9月30日に鳴らし初めが行われた。

posted by Kazu at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 大分県

2024年07月08日

豊島家住宅(としまけじゅうたく)は、愛媛県松山市井門町にある歴史的建造物(民家)

豊島家住宅(としまけじゅうたく)は、愛媛県松山市井門町にある歴史的建造物(民家)。国の重要文化財に指定されている。

38201ae2180021826_1.jpg

概要
中予地方の豪農で大庄屋格であった豊島家の邸宅である。1758年(宝暦8年)に建設された主屋(おもや)と表門、長屋門、長屋、米倉、衣装倉、中倉の計7棟が重要文化財に指定されている。豊島家には、藩の軍用馬の飼育が命じられ、馬屋が設けられていた。現存する長屋は、もとの馬屋を後に居室に改造したものである。また、当家は幕府の巡見使の宿泊所にも使用され、巡検使が滞在した座敷が残されている。主屋は、奥の居室部と手前の座敷部を雁行形に配し、これらを相の間で繋いで一体化し、それぞれに入母屋造屋根を架けた複雑な構成に特徴があり「井門の八棟造り」(いどのやつむねづくり)と呼ばれる。

1970年(昭和45年)6月17日に国の重要文化財に指定され、主屋は1972年(昭和47年)から1974年(昭和49年)にかけて、表門等の付属建物と塀は1977年(昭和52年)から1979年(昭和54年)にかけて、それぞれ解体修理が行われた。

八棟造りの代表例として、東武ワールドスクウェアに1/25のミニチュアがある。

toyoshimake1.jpgtoyoshimake2.jpg


建築概要
主屋
建築年代:1758年(宝暦8年)
総茅葺、庇本瓦葺
居室部 桁行24.6m、梁間11.8m、入母屋造、四面庇付
居室座敷取合部 桁行4.9m、梁行8.9m、入母屋造、東西面庇付
座敷部 桁行12.9m、梁間6.9m、入母屋造、東西面及び南面庇付、便所附属
主屋は敷地の東寄りに建ち、西側は庭園になっている。居室部(主体部)は、東側3分の2を土間、西側3分の1を居間、台所等の居室とする。東西棟の居室部の西端に矩折りに南北棟の屋根を架け、その南の東西棟の角屋(つのや)が座敷部となる。座敷部は書院、二の間、三の間からなり、書院は床(とこ)、棚、付書院を設けた本格的な数奇屋風の造りとし、欄間などに意匠をこらしている。修理時に居間の鴨居から宝暦8年(1758年)の墨書が発見され、これが建立年とされている。
表門
建築年代:18世紀中期頃
棟門、本瓦葺
長屋門
建築年代:江戸末期
長屋門、桁行11.0m、梁間2.5m、切妻造、本瓦葺
長屋
建築年代:江戸後期
桁行8.3m、梁間4.2m、切妻造、西面庇付、本瓦葺
米倉
建築年代:1917年(大正6年)
土蔵造、桁行9.6m、梁間7.1m、二階建、切妻造、南面庇付、本瓦葺
衣装倉
建築年代:明治
土蔵造、桁行4.1m、梁間4.6m、二階建、西端切妻造、東端米倉に接続、南面庇付、本瓦葺
中倉
江戸末期
土蔵造、桁行5.9m、梁間5.0m、両下造、東端衣装倉に接続、南面庇付、本瓦葺

o4032302415184581933.jpg

公開状況
原則非公開。

所在地 愛媛県松山市井門町421-1
位置 北緯33度47分53.5秒 東経132度46分49.1秒
類型 大庄屋
敷地面積 3137平方メートル
延床面積 975平方メートル
建築年 1758年(宝暦8年)
文化財 国の重要文化財:1970年(昭和45年)6月17日指定
posted by Kazu at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛媛県

2024年07月07日

伊賀八幡宮(いがはちまんぐう)は、愛知県岡崎市伊賀町にある神社

伊賀八幡宮(いがはちまんぐう)は、愛知県岡崎市伊賀町にある神社。

5.jpeg

概要
本殿、隨神門、神橋などが重要文化財に指定されている。

歴史
文明2年(1470年)、松平親忠が、松平氏の氏神として社(やしろ)を伊賀国より現在の地に移した。これが伊賀八幡宮の始まりとされる。

その後、慶長年間に徳川家康によって社殿の改築が行われた。さらに三代将軍家光が社殿を拡張し、祖父家康(東照大権現)を祭神に加えた。江戸時代を通じ、家康の命日である4月17日に将軍の名代として岡崎藩主が代参することが慣習となった。

祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現。

愛知県岡崎市に徳川家ゆかりの神社の伊賀八幡宮の鳥居-2048x1152.jpg

境内
本殿
慶長年間に徳川家康によって造営された。国の重要文化財である。
随身門
神域を守る随身を門の両側に安置する。同じく国の重要文化財である。
神橋(石橋)
同じく国の重要文化財だが、現在は渡ることはできない。

25759-bupSnKkyML41QxuE0fxc_lrg_re.jpg

文化財
重要文化財
本殿、幣殿、拝殿、附、宮殿(くうでん)1基、棟札4枚
透塀
御供所
随身門
神橋
鳥居

2.jpeg

R (4).jpeg

所在地 愛知県岡崎市伊賀町東郷中86
位置 北緯34度58分17.15秒 東経137度9分52.82秒
主祭神 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現
社格等 旧県社
創建 文明2年(1470年)
本殿の様式 権現造
例祭 10月第1土曜・日曜
posted by Kazu at 08:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 愛知県

2024年07月06日

旧千葉家住宅(きゅうちばけじゅうたく)は岩手県遠野市にある歴史的建造物

旧千葉家住宅(きゅうちばけじゅうたく)は岩手県遠野市にある歴史的建造物、国の重要文化財。

d4bf628c868d9173769986e73d310e1a.jpg

概要
江戸時代の南部地方特有の住居と馬屋を平面L字形に連結した農家建築「曲り家」を代表する建物として知られている。江戸時代後期に、斜面地に築かれた石垣上の平地にある面積540m2 の大型の住居で、25名の人と20頭の馬がこの一軒の家で生活していた。以前は住居として使われていたが、2013年6月より遠野市の管理となり、住人はいない。おり、敷地と建物の一部を公開している。付属建物や石垣などを含め、屋敷構えがよく残されており、2007年に建物と宅地が国の重要文化財に指定された。敷地の一部はNHK大河ドラマ「花の乱」の撮影に使われ、当時のセットが保存されている。

25525001566.jpg

文化財指定
以下の建物と土地が重要文化財に指定されている。

主屋 - 江戸時代後期。
土蔵 - 明治45年(1912年)建立。主屋の西側に建つ。
石蔵 - 大正時代。土蔵の北に接して建つ
稲荷社(附:鳥居) - 嘉永2年(1849年)建立。屋敷地北西の小高い位置に建つ。
大工小屋 - 江戸時代末期。主屋北東に建つ。
ハセ小屋(附指定) - 江戸時代末期。屋敷地の南西に建つ。
土地 - 5599.63m2
主屋は茅葺で、寄棟造の居室部の手前に入母屋造の馬屋部分が突出し、全体としてはL字状の平面をなす。居室部は上手(東側)に南北2列、東西3室の計6室を設け、下手(西側)は台所と土間とする。上手の一部に2階(2室)を設ける。突出部はもとは馬屋であったが、展示室等に改造されている。

屋敷地は南向きの傾斜面に石垣を築いて整地している。付属建物等もよく残り、豪農の屋敷構えがよく保存されている。こうした点が評価され、2007年12月4日、国の重要文化財に指定された。2022年9月20日には宅地内の便所が追加指定されている。

43967_113101949809531072744_900.jpg

利用情報
開館時間
4月 - 10月 - 8:30 - 17:00
11月 - 3月 - 9:00 - 16:00
年中無休

建築概要
竣工 - 江戸時代後期(1800年頃)
構造 - 木造、茅葺
床面積 - 540m2
所在地 - 〒028-0533 岩手県遠野市綾織町上綾織1地割14番地

交通アクセス
釜石線 遠野駅からバスで10分、「南部曲り家千葉家」下車 徒歩すぐ

所在地 岩手県遠野市綾織町上綾織1地割14
位置 北緯39度20分26.89秒 東経141度26分30.43秒
類型 農家
形式・構造 曲り家、木造、茅葺
敷地面積 5599.63m2
延床面積 (主屋)540m2
建築年 江戸時代後期
文化財 国の重要文化財
posted by Kazu at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 岩手県

2024年07月05日

常福寺(じょうふくじ)は、茨城県土浦市下高津にある新義真言宗の寺院

常福寺(じょうふくじ)は、茨城県土浦市下高津にある新義真言宗の寺院である。土浦旧市街の南側に位置し、旧水戸街道の西側にほぼ隣接している。隣接地には茅葺の社殿を有する愛宕神社がある。

学校法人常福寺学園(もみじ幼稚園)を経営している。

999b424af95c5cd53969f6f6ac4eb0fb.jpg

歴史
常福寺は、平安時代初期、最澄の高弟最仙の開基と伝えられている。

1905年(明治38年)10月1日の創立から1913年(大正2年)3月20日の移転までの間、旧制常総学院中学校が境内にあった。

e2aaf8f70ff05d42ebc265382a453457.jpg

文化財
重要文化財(国指定)
木造薬師如来坐像
1920年8月16日重要文化財指定。制作は平安末期。

所在地 茨城県土浦市下高津2丁目10-22
位置 北緯36度4分28.4秒 東経140度11分19.3秒
宗旨 新義真言宗
本尊 薬師如来
創建年 平安時代
開基 最仙
文化財 常福寺の薬師如来坐像(重要文化財)
posted by Kazu at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 茨城県

2024年07月04日

革秀寺(かくしゅうじ)は、青森県弘前市にある曹洞宗の寺院

革秀寺(かくしゅうじ)は、青森県弘前市にある曹洞宗の寺院。山号は津軽山。本尊は釈迦牟尼仏(釈迦如来)。本堂などは重要文化財に指定されている。

CNT00403281712269647_1_M.jpg
本堂(重要文化財)

歴史
もとは弘前藩祖津軽為信が慶長年間(17世紀初)、現在の藤崎町に創建したもので、為信が帰依した長勝寺8世の格翁舜逸が、自らの隠居所としたという(津軽一統志)。

津軽為信が没した翌年の慶長13年(1608年)、弘前藩2代藩主津軽信枚が藤代村(現在の弘前市藤代)に移し、父・為信の菩提寺としたと伝える。一方、慶長14年(1609年)、津軽信枚が父・為信菩提のための位牌所として創建したとの伝えもある(津軽歴代記類)。

革秀寺の周囲には池や2重の土塁が築かれ、家臣でも出入には制限が設けられるなど聖地化し、藩祖為信を神格化させた。慶長14年7月18日の津軽信枚寺領宛行状では、藤崎・舞田屋敷・川辺の3村で寺領100石が安堵され、藩祖菩提寺として歴代藩主の帰依をうける。また、本堂の修繕銘板から、現在地に移転した直後に火災に遭い、慶長15年(1610年)に修繕されたと思われる。

明治期には堂宇が荒廃していたことから、明治39年(1906年)に修築再建され、現在に至る。

04-4-1200x900.jpg

文化財

重要文化財(国指定)
津軽為信霊屋(境内) - 江戸時代初期に建立された当時は質素であったが、文化年間(1804年〜1817年)に大修理し、現在の華麗な姿になった。規模は小さいが豪華で凝った建築が松や杉の古木が茂る中に建っていて、桁行一間、梁間一間、柱は総円柱、入母屋造、正面軒唐破風をつけたこけら葺き屋根。内部は非公開だが、板卒塔婆を巡らし宝篋印塔と元弘前城の館神であった木造太閤秀吉座像が安置されていて、彫刻や天井絵などの漆塗り、極彩色の華麗な塗装の多くが、文化年間の大修理によるものである。
本堂 - 入母屋造、茅葺。内部を八間取りとする方丈形式の本堂で、江戸時代初期の建立。

c714c008beab8313ee4910c0d66eb71f.jpg

交通
弘南バス
弘前駅 - 城西大橋・工業高校経由 - 藤代営業所線
向駒越停留所。

所在地 青森県弘前市藤代1丁目4−1
位置 北緯40度36分45.8秒 東経140度27分00.4秒
山号 津軽山
宗旨 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 慶長年間(17世紀初頭)
開基 格翁舜逸
津軽信枚
文化財 本堂(国の重要文化財)
津軽為信霊屋(国の重要文化財)
posted by Kazu at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 青森県

2024年07月03日

横手神明社(よこてしんめいしゃ)は、秋田県横手市神明町にある神社

横手神明社(よこてしんめいしゃ)は、秋田県横手市神明町にある神社である。旧社格は郷社。

1858_20200703165356_l.jpg

由緒
社伝では、日本武尊が東征するに際し、上総国(千葉県)より随従した者が当地方に滞留して社殿を建立したとしている。

享保元年(1716年)、当時横手町の富豪として知られた大沼津右衛門、金子吉右衛門、泉兵右衛門らが横手城下町と横手前郷村の境にあたる前郷村大乗院塚に社殿を建立し、外町(町人地)の鎮守とした。横手を訪れた江戸時代の旅行家菅江真澄も『月の出羽路』において当時の横手町の町屋が前郷集落まで続いているようすを伝えている。町人の信仰篤い神社で、石灯籠など多くの寄進があり、境内には華道をたしなむ人たちによる「花塚」の石碑もある。

明治6年(1873年)郷社に列し、明治13年(1880年)2月、大乗院塚から現在地の神明町に移転した。長い年月によって多くの神社と合祀した結果、境内には小祠が軒を連ねている。社宝の「銅錫杖頭」は国の重要文化財に指定されている。

本殿には菅原道真公も祀られていることから、平成31年(2019年)より鷽替えまつりを開催。

20200806223422.jpg

祭神
天照大神
豊受姫大神
猿田彦神
須佐之男神
菅原大神

20230628-040100_pUVwMtrh5O.jpg

文化財
重要文化財(国指定)
銅錫杖頭(どう しゃくじょうとう) 正元元年銘(1259年)

交通
鉄道
JR東日本 奥羽本線 横手駅より930メートル
バス
バス停「神明町」
羽後交通
その他
駐車場 : 有り

20210725-113147_WZRWf3CfFg.png

所在地 013-0046 秋田県横手市神明町7-2
位置 北緯39度18分28.6秒 東経140度34分7秒
主祭神 天照大神
豊受姫大神
猿田彦神
須佐之男神
菅原大神
社格等 旧郷社
例祭 5月4日・5
posted by Kazu at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 秋田県

2024年07月02日

伏見寺(ふしみじ)は、石川県金沢市寺町5丁目にある高野山真言宗の寺院

伏見寺(ふしみじ)は、石川県金沢市寺町5丁目にある高野山真言宗の寺院である。山号は行基山。

50143_1_l.jpg

概要
717年、金沢市の地名の由来である芋堀藤五郎が建立、のちに行基が伏見寺とした。
芋堀藤五郎にゆかりのある寺であり、今でも芋掘藤五郎の墓が残る。

文化財
重要文化財(国指定)
銅造阿弥陀如来坐像 - 平安時代前期

img_5740.jpeg

img_5739.jpeg

所在地 石川県金沢市寺町5丁目5番28号
位置 北緯36度33分14.3秒 東経136度39分0.60秒
山号 行基山
宗派 高野山真言宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 717年
開基 芋掘藤五郎
札所等 金沢三十三観音霊場第14番
文化財 銅造阿弥陀如来坐像(重要文化財)
posted by Kazu at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 石川県
検索
<< 2025年01月 >>
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

にほんブログ村 PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 歴史ブログ 日本史 トラブルに負けない強い肌に導く美容液【HANATSUYU】 無理なく始めるおうち妊活♪プレメントシリンジリング誕生 お腹周りに自信!骨盤ガードル「キュリーナ」 オルビス アクアニスト
カテゴリーアーカイブ
最新記事
はくだけ整体ショーツNEO+
写真ギャラリー
サロン専売品・正規新品をお取扱い|各メーカー・ディーラー協賛|【TRICCA】 暖かさも、デザインも北欧で愛されてNo.1 風なしオイルヒーター【mill】
最新コメント
カワイイも機能性も叶える!momoful【色っぽナイトブラ】
タグクラウド
国の重要文化財・佐竹寺(さたけじ) 国の重要文化財・土井家住宅(どいけじゅうたく) 国の重要文化財・地蔵院(じぞういん) 国の重要文化財・天徳寺(てんとくじ) 国の重要文化財・太宰治記念館 「斜陽館」(だざいおさむきねんかん しゃようかん) 国の重要文化財・清水寺(きよみずでら) 国の重要文化財・済生館(さいせいかん) 国の重要文化財・焼火神社(たくひじんじゃ、たくびじんじゃ) 国の重要文化財・石場家住宅(いしばけじゅうたく) 国の重要文化財・筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう) 国の重要文化財・金剛證寺(こんごうしょうじ) 国の重要文化財・鞆淵八幡神社(ともぶちはちまんじんじゃ) 国宝・勝興寺(しょうこうじ) 国宝・善水寺(ぜんすいじ) 国宝・大善寺(だいぜんじ) 国宝・太山寺(たいさんじ) 国宝・浄土寺(じょうどじ) 日本の仏閣・円通寺(えんつうじ) 日本の仏閣・切幡寺(きりはたじ) 日本の仏閣・北山本門寺(きたやまほんもんじ) 日本の仏閣・喜宝院布教所(きほういんふきょうしょ) 日本の仏閣・四天王寺(してんのうじ) 日本の仏閣・地蔵院(じぞういん) 日本の仏閣・大法寺(だいほうじ) 日本の仏閣・安国寺(あんこくじ) 日本の仏閣・安楽寺(あんらくじ) 日本の仏閣・崇福寺(そうふくじ) 日本の仏閣・常福寺(じょうふくじ) 日本の仏閣・昌光律寺(しょうこうりつじ) 日本の仏閣・極楽寺(ごくらくじ) 日本の仏閣・正楽寺(しょうらくじ) 日本の仏閣・称念寺(しょうねんじ) 日本の仏閣・等澍院(とうじゅいん) 日本の仏閣・西蓮寺(さいれんじ) 日本の仏閣・観興寺(かんこうじ) 日本の仏閣・観音寺(かんのんじ) 日本の仏閣・金倉寺(こんぞうじ) 日本の仏閣・鉄舟寺(てっしゅうじ) 日本の仏閣・長谷寺(ちょうこくじ) 日本の仏閣・阿岸本誓寺(あぎしほんしょうじ) 日本の仏閣・青蓮寺(しょうれんじ) 日本の仏閣・願成寺(がんじょうじ) 日本の仏閣・高蔵寺(こうぞうじ) 日本の仏閣・黒石寺(こくせきじ) 日本の神社・武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ) 日本の神社・水神社(すいじんじゃ) 日本の神社・江沼神社(えぬまじんじゃ) 日本の神社・生目神社(いきめじんじゃ) 本棟造(ほんむねづくり) 石川県・尾崎神社(おざきじんじゃ)
【千年サジー】果汁100%の千年サジーで置き換えダイエットに決着を。 MANOMA(マノマ)「親の見守りセット」 全身のスキンケアができる.美容液に浸るようなバスエッセンス【BOJOLIE】 人生の大切な瞬間を紙面に刻む【夢の記念日】
ファン
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。