水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、大阪府三島郡島本町にある神社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は水無瀬宮。境内には環境庁認定「名水百選」に選ばれた「離宮の水」がある。
祭神
主祭神 - 後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇
歴史
この地には後鳥羽天皇が大変気に入っていた離宮・水無瀬殿下御所が建てられていたが、後鳥羽上皇は承久の乱で鎌倉幕府に敗れて隠岐国に流され、そこで崩御すると、水無瀬殿一帯は荒れ果てた。その後、仁治元年(1240年)に後鳥羽上皇の遺勅(後鳥羽天皇宸翰御手印置文・国宝)に基づき、水無瀬信成・親成親子が水無瀬殿下御所の跡地に御影堂を建立し、上皇を祀った。この水無瀬御影堂が当宮の始まりである。明応3年(1494年)、後土御門天皇が隠岐より後鳥羽上皇の神霊を迎え、水無瀬宮の神号を奉じた。
安土桃山時代には、豊臣秀吉が福島正則を普請奉行として客殿(重要文化財)を建立している。寛永年間(1624年 - 1645年)には京都御所にあった明正天皇の内侍所を移築して改築し、新たな本殿とした。
江戸時代までは仏式で祀られていたが、明治時代になると神仏分離が行われ、1873年(明治6年)に水無瀬御影堂は神社となり、水無瀬宮に改称すると官幣中社に列せられた。同時に、後鳥羽天皇と同じく承久の乱により配流されてそこで崩御した土御門天皇と順徳天皇の神霊も配流地から迎えて合祀している。
1939年(昭和14年)に神宮号を賜って官幣大社に列格すると、水無瀬神宮と改称された。大阪府唯一の神宮である。
1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。
文化財
国宝
紙本著色後鳥羽天皇像 - 鎌倉時代の似絵の代表作。承久の変に敗れた後鳥羽上皇は出家して隠岐国に配流される前に、絵師の藤原信実に命じて自身の出家前の肖像画を描かせたことが『吾妻鏡』に見え、その絵にあたるものという。京都国立博物館寄託。
後鳥羽天皇宸翰御手印置文 - 「宸翰」は天皇直筆の意。「置文」は遺言とほぼ同意。暦仁2年(1239年)、隠岐に流されていた後鳥羽上皇が崩御の13日前に書いた自筆の遺言状。文面には上皇の手印(手形)が鮮明に付されている。歴史上著名な天皇の宸翰としてきわめて貴重な史料である。京都国立博物館寄託。
交通機関
阪急京都本線 水無瀬駅 徒歩10分
阪急京都線 大山崎駅 徒歩18分
JR京都線 島本駅 徒歩12分
JR京都線 山崎駅 徒歩15分
所在地 大阪府三島郡島本町広瀬3丁目10-24
位置 北緯34度53分5.6秒 東経135度40分23.1秒
主祭神 後鳥羽天皇
土御門天皇
順徳天皇
社格等 旧官幣大社
別表神社
創建 仁治元年(1240年)
札所等 神仏霊場巡拝の道62番(大阪第21番)
例祭 12月7日
2024年07月10日
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