勝鬘院(しょうまんいん)は、大阪市天王寺区にある和宗の寺院。山号は荒陵山。本尊は愛染明王。愛染堂とも呼ばれる。四天王寺別院。西国愛染十七霊場第1番札所。真言密教勝鬘流根本道場。多宝塔は大阪市内最古の木造建造物である。
勝鬘院金堂(愛染堂)
歴史
寺伝によれば、この寺は聖徳太子が開いた四天王寺にある敬田院、施薬院、療病院、悲田院のうちの施薬院に始まると伝えられる。この施薬院の本堂に勝鬘夫人の像が祀られており、また聖徳太子が勝鬘経を講ぜられていたことから施薬院は勝鬘院とも呼ばれるようになっていった。
平安時代以降は金堂の本尊として愛染明王が祀られるようになると、勝鬘院は愛染堂とも呼ばれるようになった。
鎌倉時代には鎌倉幕府5代執権北条時頼から寺領を寄進されたという。13世紀末には忍性によって真言院が創建されている。
元亀元年(1570年)から天正8年(1580年)まで戦われた織田信長と大坂本願寺による石山合戦によって伽藍が焼失するが、慶長2年(1597年)に豊臣秀吉により伽藍が復興され多宝塔が再建される。多宝塔は大阪市内最古の木造建造物である。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣によって再び戦火に遭うが、元和4年(1618年)に江戸幕府将軍徳川秀忠によって金堂が再建される。
太平洋戦争中の1945年(昭和20年)3月13日・14日に行われた第1回大阪大空襲によって、当院西側の大江神社や東側の四天王寺がほぼ全焼してしまう被害を受けたが、当院は被害を免れた。
多宝塔(重要文化財)
所在地 大阪府大阪市天王寺区夕陽ヶ丘町5-36
位置 北緯34度39分25.6秒 東経135度30分46.5秒
山号 荒陵山
宗派 和宗
寺格 四天王寺別院
本尊 愛染明王
創建年 伝・推古天皇元年(593年)
開基 伝・聖徳太子
別称 愛染堂、愛染さん
札所等 西国愛染十七霊場第1番
聖徳太子霊跡第29番
文化財 多宝塔(重要文化財)
金堂(府指定有形文化財)
木造大日大勝金剛坐像(市指定有形文化財)
2023年11月12日
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