アフィリエイト広告を利用しています

2024年06月25日

旧御子神家住宅(きゅうみこがみけじゅうたく)は、千葉県成田市大竹にある江戸時代中期の民家

旧御子神家住宅(きゅうみこがみけじゅうたく)は、千葉県成田市大竹にある江戸時代中期の民家。元は同県安房郡丸山町(現南房総市)にあったもので、安房地方の典型的な民家である。国の重要文化財に指定されている。

caption.jpg

概要
安房地方で代々農家を営んできた御子神家の住宅として1779年(安永8年)に建てられた。安房地方の典型的な「直屋(すごや)型」の民家である。座敷回りに縁側がつけられ、引違いの板戸に半間の明障子が使われている。また、建立当時の費用明細を書き記した「普請(ふしん)入用覚帳」と1844年(天保15年)に屋根の葺替え費用を書き記した「屋根替覚帳」も残されている。これら2冊の文書も建物とともに重要文化財に指定されている。

旧御子神家住宅は1969年(昭和44年)6月20日、国の重要文化財に指定され、1973年(昭和48年)6月、千葉県安房郡丸山町(現・南房総市)石堂12番の3から、千葉県成田市大竹の千葉県立房総風土記の丘(現・千葉県立房総のむら)内に移築保存され、現在に至る。千葉県立房総のむらは、成田市と印旛郡栄町にまたがっているが、当施設は成田市に位置する。

なお、移築時に復元修理が実施され、改変されていた間取り等は建立当時の状態に復元されている。

b0212342_11100268.jpg

構造形式
構造 : 木造
建築面積 : 126.3m2
階数 : 平屋建て
その他 : 茅葺屋根

b0212342_11084739.jpg

所在地 千葉県成田市大竹1451
位置 北緯35度49分17.7秒 東経140度16分24.1秒
旧所在地 千葉県南房総市石堂12-3
類型 農家
形式・構造 木造平屋、寄棟造、茅葺
延床面積 126.3m2
建築年 1779年(安永8年)
文化財 国の重要文化財
所在施設・区域 千葉県立房総のむら
posted by Kazu at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 千葉県

2024年06月24日

佐太神社(さだじんじゃ)は、島根県松江市鹿島町佐陀宮内にある神社

佐太神社(さだじんじゃ)は、島根県松江市鹿島町佐陀宮内にある神社。出雲国二宮、旧社格は国幣小社。出雲國神仏霊場第四番。9月25日の御座替祭の前夜に行われる佐陀神楽が知られる。

CIMG2552.jpg

「茣蓙替祭」は『出雲国風土記』にも記される年中行事。神職らは、本殿などの23ヶ所の茣蓙を取り替える。また、この夜は茣蓙を清める「七座神事」も奉納される。(引用:安達彰『安達彰 写真集 ユネスコ文化遺産佐陀神能』)

近辺に銅鐸・銅剣が出土した志谷奥遺跡がある。

祭神
正殿、北殿、南殿に、秘説四柱を含めて12柱が祭られている。

正殿
佐太御子大神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、速玉男命、事解男命の五柱。
北殿
天照大神及び瓊々杵尊の二柱。
南殿
素盞嗚尊及び秘説四柱の計五柱。
神紋
正殿:扇の地紙
北殿:輪違
南殿:二重亀甲

8e007445b309db6f165ca2089a1c7bb7.jpg

文化財
ユネスコ無形文化遺産
佐陀神能
国の重要文化財
建造物
佐太神社 3棟 - 文化4年(1807年)
正中殿
北殿
南殿
附:棟札3枚、指図板1枚

K8b3Odlx.jpg

所在地 島根県松江市鹿島町佐陀宮内73
位置 北緯35度30分32.1秒 東経133度0分23.2秒
主祭神 正殿:佐太御子大神
北殿:天照大神
南殿:素盞嗚尊
社格等 式内小社、国幣小社、別表神社
創建 養老元年(717年)
本殿の様式 大社造
札所等 出雲國神仏霊場4番
例祭 9月25日
主な神事 管粥神事、直会祭、神在祭裏祭、御田植祭、御座替神事、例祭、神在祭
posted by Kazu at 08:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 島根県

2024年06月23日

出津教会堂(しつきょうかいどう)は、長崎県長崎市西出津町にあるキリスト教(カトリック教会)の教会堂(聖堂)

出津教会堂(しつきょうかいどう)は、長崎県長崎市西出津町にあるキリスト教(カトリック教会)の教会堂(聖堂)である。国の重要文化財に指定されており、ユネスコの世界遺産(文化遺産)候補で2018年に登録審査が決まり、同年6月30日に登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する「外海の出津集落」に包括される教会である。正式名称はカトリック出津教会で、出津教会とも呼ばれている。

33033-x2d3vRE9tWCpx162ZYzQ_lrg_re.jpg

概要
1882年(明治15年)、出津地区において主任司祭を務めていたマルク・マリー・ド・ロ神父の設計により建設された。その後信徒数の増加等により2度の増築(いずれもド・ロ神父の設計による)を経て1909年(明治42年)にほぼ現在の姿が完成した。

教会堂は角力灘(五島灘)に面する風の強い当地の気象に対応して、レンガ造瓦葺き平屋建て(外壁は白漆喰を使用)の低い屋根を持つ建物となっている。

43967_162482316174385544903_900.jpg

所在地
〒851-2322 長崎県長崎市西出津町2633

アクセス
さいかい交通、「出津」または「出津文化村」バス停下車、徒歩7分。
長崎市中心部から車で約45分。

09-shitsu-ic-j2k-198.jpg

posted by Kazu at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 長崎県

2024年06月22日

金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗(修験道)の総本山の寺院

金峯山寺(きんぷせんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗(修験道)の総本山の寺院。山号は国軸山。開基(創立者)は役小角と伝える。かつては「山下(さんげ)の蔵王堂」と呼ばれていた。本尊は蔵王堂に安置される蔵王権現立像3躯。本尊は巨像として著名で中尊は約7mもあり、普段は非公開(秘仏)であることから「日本最大の秘仏」とも称される。現存の蔵王堂は、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の寄進によって再建されたもので、蔵王権現立像3躯の造仏は、秀吉の発願した方広寺大仏(京の大仏)の造仏にも携わった、南都仏師の宗貞・宗印兄弟が手掛けたことが、胎内の銘から知られる。

Kinbusen-Temple.jpg

金峯山寺の所在する吉野山は、古来より桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった。「金峯山」とは単独の峰の呼称ではなく、吉野山(奈良県吉野郡吉野町)と、その南方二十数キロメートルの大峯山系に位置する山上ヶ岳(奈良県吉野郡天川村)を含む山岳霊場を包括した名称である。

吉野・大峯は古代から山岳信仰の聖地であり、平安時代以降は霊場として多くの参詣人を集めてきた。吉野・大峯の霊場は、和歌山県の高野山と熊野三山、およびこれら霊場同士を結ぶ巡礼路とともに世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素となっている。

10-jours-au-japon.jpg

境内
吉野ロープウェイの吉野山駅を出てしばらく歩くと金峯山寺の総門である黒門があり、そこから旅館、飲食店、みやげ物店などの並ぶ上り坂の参道を行くと、途中に銅鳥居(かねのとりい)がある。吉野山駅から徒歩10分ほどのところに仁王門、その先の小高くなった敷地に本堂(蔵王堂)が建つ。

本堂(蔵王堂、国宝) - 山上ヶ岳の大峯山寺本堂(「山上の蔵王堂」)に対し、山下(さんげ)の蔵王堂と呼ばれる。屋根は入母屋造檜皮葺き。2階建てのように見えるが構造的には「一重裳階(もこし)付き」である。豊臣秀吉の寄進で再興されたもので、扉金具の銘に天正19年(1591年)とある(本尊の胎内銘には天正18年とあるので、工事自体はそれ以前からなされていた)。高さ34メートル、奥行、幅ともに36メートル。木造の仏堂としては全国屈指の規模(特に高さ)の建物である。

img4.jpg

文化財
国宝
本堂(蔵王堂)
二王門(仁王門)
大和国金峯山経塚出土品 1括
金銀鍍双鳥宝相華文経箱 1合
金銅経箱 台付 2合
附:紺紙金字法華経残闕 7紙、紺紙金字観普賢経残闕 2紙、経軸 2本

Niō-mon,_Kimpusenji_2009.3.10_-_panoramio.jpg

交通
吉野ロープウェイ吉野山駅から黒門、銅鳥居を経て蔵王堂まで徒歩10分

所在地 奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
位置 北緯34度22分5.7秒 東経135度51分29.4秒
山号 国軸山
宗派 金峯山修験本宗
寺格 総本山
本尊 蔵王権現 3躯(秘仏、重要文化財)
創建年 7世紀後半
開基 伝・役小角
札所等 神仏霊場巡拝の道第39番(奈良第26番)
役行者霊蹟札所
文化財 本堂(蔵王堂)、仁王門、大和国金峯山経塚出土品1括(国宝)
銅鳥居、木造蔵王権現立像3躯、木造金剛力士立像2躯ほか(重要文化財)
世界遺産
posted by Kazu at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 奈良県

2024年06月21日

静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は、静岡県静岡市葵区にある神社

静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)は、静岡県静岡市葵区にある神社。通称「おせんげんさん」。登記上の宗教法人名称は神部神社・淺間神社・大歳御祖神社。

SZ01601.jpg

概要
静岡市街地に接する賎機山(しずはたやま)の麓に所在する。

正式名称の通り、神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社からなり、「静岡浅間神社」は総称。三社はいずれも独立の神社として祭祀が行われている。式内社二社(神部神社・大歳御祖神社)、駿河国総社(神部神社)。三社合わせて旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。

以下の三社が鎮座する。

神部神社 (かんべじんじゃ)
祭神:大己貴命 (おおなむちのみこと) - 駿河国開拓の祖神
崇神天皇の時代(約2100年前)の鎮座と伝えられる。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされた。
浅間神社 (あさまじんじゃ)
祭神:木之花咲耶姫命 (このはなのさくやひめのみこと)
全国にある浅間神社の一社。延喜元年(901年)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社より総社神部神社の隣に勧請され、以来冨士新宮として崇敬されてきた。
大歳御祖神社 (おおとしみおやじんじゃ)
祭神:大歳御祖命(おおとしみおやのみこと) - 倉稲魂神・大年神の母神で、神大市比売命を指す
応神天皇の時代(約1700年前)の鎮座と伝えられ、元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神であった。古くは「奈古屋神社」と称された。延喜式内小社で祈年の国幣に預った。
三社は鎮座以来独立の神社として扱われ、江戸時代まではそれぞれ別の社家が奉仕してきた。1888年(明治21年)、三社別々に国幣小社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社となった。現在は一つの法人格となっている。

shizuokasengenjinja_romon01.jpg

社殿は江戸時代後期を代表する漆塗極彩色が施された壮麗なもので、計26棟が国の重要文化財に指定されている。この社殿群は1804年(文化元年)より60年の歳月と約10万両の巨費を投じて建造されたもので、信州諏訪の立川和四郎ほか門弟により彫刻された花鳥霊獣類は繊細を極めている。特に、重層な大拝殿は高さ25メートルで木造神社建築としては、出雲大社本殿(約24メートル)より高く、まさに日本一の威容を誇る。

境内には1975年(昭和50年)から2021年(令和3年)まで静岡市に関する歴史資料を保管・展示する静岡市文化財資料館があった。閉館後、資料館の果たしてきた役割や展示品は、駿府城公園の隣にできる静岡市歴史博物館に引き継がれ、資料館跡の建物では、2023年(令和5年)NHK大河ドラマ『どうする家康』の放送に合わせ大河ドラマ館が2023年1月27日から2024年 (令和6年)1月28日まで開館し、落語家の春風亭昇太が名誉館長に就任した。

OIP (1).jpeg

現地情報
所在地
静岡市葵区宮ケ崎町102番地の1

交通アクセス
静鉄静岡清水線 新静岡駅 (徒歩約21分)
東海旅客鉄道(JR東海)東海道新幹線・東海道本線 静岡駅 (徒歩約25分)

所在地 静岡市葵区宮ケ崎町102番地の1
位置 北緯34度59分1.12秒 東経138度22分31.19秒
主祭神 神部:大己貴命
浅間:木之花咲耶姫命
大歳:大歳御祖命
社格等 式内社(小)(神部・大歳)
駿河国総社(神部)
旧国幣小社
別表神社
創建 神部:(伝)崇神天皇年間
浅間:延喜元年(901年)
大歳:(伝)応神天皇年間
例祭 4月5日

posted by Kazu at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 静岡県

2024年06月20日

都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)は、日本の近畿地方北東部の、琵琶湖に浮かぶ島である竹生島に鎮座する神社

都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)は、日本の近畿地方北東部の、琵琶湖に浮かぶ島である竹生島に鎮座する神社。現在行政区画上では滋賀県長浜市早崎町(旧・東浅井郡早崎村)に属する(※過去については『所在地』を参照のこと)。竹生島神社(ちくぶしま じんじゃ)とも呼ばれ、公式案内などではこちらの呼称を用いている。神体は竹生島そのもの。

DSC09622.jpg

神仏習合時代(本地垂迹時代)には、同島の宝厳寺と習合して、竹生島弁才天社/竹生島弁財天社( - べんざいてんしゃ)、竹生島権現( - ごんげん)、竹生島明神( - みょうじん)などと呼ばれていた。往時も今も「日本三大弁才天(日本三弁天)」の一つに数えられる。また、あまり知られていないが、「日本五大弁才天(日本五弁天)」の一つに数えられる。

式内社。旧社格は県社。神紋は巳。

2efeb3a65d97df09887c419b865e6513.jpg

祭神
祭神について、滋賀県神社庁や長浜市は当社の由緒書の記述に基づいて以下の3柱としている。辞事典も記述のあるものは3柱としている。一方で、当の都久夫須麻神社は、宇賀福神と龍神(八大龍王)を別神として列し、4柱としている。

市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)
別名、竹生島大神(ちくぶしまのおおかみ)。宗像三女神のうちの一柱。
元来は日本古来の水の神。神仏習合においては本地垂迹では弁才天に比定され、同神とされた。「日本三弁天」は全てこの神・この天部のことである。
宇賀福神(うがふくじん)
宇賀弁才天の別名。宇賀弁才天とは、出自不明の蛇神である宇賀神(ウカノカミ、うがじん)と習合する形で、中世日本において作為された、弁才天の一形態である。
浅井比売命(アサイヒメノミコト、アザイヒメノミコト)
産土神の一柱。別表記:浅井比当ス、浅井姫命。
当社に関する最古の縁起である承平縁起はこの女神のみを祭神としており、竹生島縁起が形作られる初期から存在した唯一の神と考えられている。
龍神(りゅうじん)
その実は、八大龍王の一尊である黒龍(こくりゅう)。
黒龍堂前の鳥居の扁額によれば、黒龍大神と黒龍姫大神の二柱。黒龍を祀る黒龍堂は、黒龍伝説にまつわる神木の脇、当社へ向かう途中の宝厳寺境内にある。

8103456-2300x1535.jpg

文化財
国宝
本殿(附:棟札 1枚)
安土桃山時代の作。1899年(明治32年)4月5日、当時の古社寺保存法に基づき、特別保護建造物に指定、1953年(昭和28年)3月31日、文化財保護法に基づく国宝に指定。同日付けで「附」指定の棟札を追加指定。

所在地 滋賀県長浜市早崎町1665
位置 北緯35度25分14.5秒 東経136度8分38.7秒
主祭神 市杵島比売命
宇賀福神
浅井比売命
龍神(八大龍王)
社格等 式内社(小)
旧県社
創建 伝・雄略天皇3年
本殿の様式 入母屋造
別名 竹生島神社
例祭 6月15日
posted by Kazu at 09:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 滋賀県

2024年06月19日

土井家住宅(どいけじゅうたく)は、佐賀県杵島郡大町町大字大町上大町の旧長崎街道沿いにある歴史的な建築物

土井家住宅(どいけじゅうたく)は、佐賀県杵島郡大町町大字大町上大町の旧長崎街道沿いにある歴史的な建築物。国の重要文化財(1974年(昭和49年)2月5日指定)である。

img_2aedd1eb927249dcf8b6004b89c06ec3701686.jpg

歴史
19世紀初頭から半ば(江戸末期)までに造り、酒屋として建立された。だが、明治初期に農家の土井家が所有するようになり現在に至る。

構造
妻入りの建物。外観は町家のようだが、敷地面積の半分が土間という造りで農家風のところもあり、この地方の大型町家の一形態であると推定される。

R (1).jpeg

交通
福岡・佐賀方面より佐世保・早岐行き普通列車乗車後、大町駅下車。長崎・佐世保方面からは、鳥栖方面行き普通列車に乗車後同駅で下車(長崎本線からの大村線を経由しない普通列車は江北駅で乗り換える必要がある)。
JR九州佐世保線大町駅よりタクシーで約5分。駅前バス停で祐徳バス 山口駅・佐賀駅バスセンター行きに乗車後『大町学校前』バス停から徒歩約3分。

posted by Kazu at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐賀県

2024年06月18日

慈光寺(じこうじ)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある天台宗の寺院

慈光寺(じこうじ)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある天台宗の寺院である。山号は都幾山。院号は一乗法華院。本尊は十一面千手千眼観世音菩薩で、坂東三十三観音第9番札所。

本尊真言:おん ばざら たらま きりく そわか

ご詠歌:聞くからに大慈大悲の慈光寺 誓いも共に深きいわどの

taira_jiko8.jpg
観音堂

歴史
伝承によれば、天武天皇2年(673年)、興福寺の僧慈訓が千手観音を安置し、その後宝亀元年(770年)道忠が開山となって創建されたという。平安時代の貞観年間(859年 - 877年)には勅願所となり、天台宗の別院となりその中心的な寺院となった。その後、源頼朝をはじめ徳川将軍家などの帰依を得た。

taira_jiko3.jpg
本堂

文化財
国宝
法華経一品経・阿弥陀経・般若心経 33巻(附筆者目録1巻、補写目録1巻)東京国立博物館寄託 - 鎌倉時代の作品。昭和29年(1954年)03月29日指定。
重要文化財
開山塔 - 室町時代後期(1556年)の建立。宝塔、とち葺。昭和28年(1953年)08月29日指定。
銅鐘 (寛元三年銘) - 鎌倉時代(1245年)の作品。明治39年(1906年)04月14日指定。
金銅密教法具(独鈷鈴1、三鈷鈴1、塔鈴1、宝珠鈴1、五鈷杵1、羯磨4、花瓶3、金錍1、輪宝1)東京国立博物館寄託 - 鎌倉時代の作品。昭和36年(1961年)06月30日指定。
大般若経 152巻 貞観十三年安倍小水麿奥書 - 平安時代(871年)の作品。
貞観13年(871年)に安倍小水麿なる人物が発願・書写させた『大般若経』の巻子本。奈良国立博物館寄託。『大般若経』は全600巻の大部な経典で、本件の以外に諸所に数巻ずつ所在が知られる。同経の写本は数多く伝存しているものの、9世紀に遡る遺品は少ない。筆跡は様々で多数の人間が分担していると見られるが、技量は総じて高く、それだけの書写生を集められる環境が存在したと想定される。152巻のうち102巻の巻末に願文があり、貞観13年3月3日にかつて上野国の権大目を務めた従六位下の位階を持つ安倍小水麿が発願し、仏道を信仰する全ての人々を悟りの境地に至らしめ、合わせて小水麿自身の今生および未来世の願いの成就を祈願する目的で作られたことが記される。9世紀における仏教信仰のあり方と受容を物語る史料として貴重である。昭和39年(1964年)04月14日指定。

maxresdefault.jpg
慈光寺開山塔

交通アクセス
下記の駅からときがわ町営バス利用で、慈光寺または慈光寺入口下車
八高線(JR東日本)明覚駅から竹の谷行(大野行)
同駅から役場第二庁舎前行を利用、終点で竹の谷行・日向根行に乗継ぎ
八高線・東武越生線 越生駅から日向根行
同駅から役場第二庁舎前行を利用、終点で竹の谷行・日向根行に乗継ぎ

所在地 埼玉県比企郡ときがわ町大字西平386
位置 北緯36度0分41.4秒 東経139度13分55.6秒
山号 都幾山
院号 一乗法華院
宗旨 天台宗
本尊 十一面千手千眼観世音菩薩
文化財 法華経一品経・阿弥陀経・般若心経 33巻(国宝)
開山塔、銅鐘、金銅密教法具、大般若経 152巻(国の重要文化財)ほか
posted by Kazu at 08:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 埼玉県

2024年06月17日

青蓮寺(しょうれんじ)は、群馬県桐生市にある時宗の寺院

青蓮寺(しょうれんじ)は、群馬県桐生市にある時宗の寺院である。山号は仏守山(ぶっしゅざん)。院号は義国院(ぎこくいん)。本尊は阿弥陀三尊像。

817867.jpg

歴史
もと新田荘岩松郷(現・群馬県太田市)にあり、天正年間(1573 - 1592年)上野国金山城主由良成繁により当地に移されたと伝える。岩松郷を本拠とした岩松氏の岩松政経は一遍に帰依し、青蓮寺道空という法名を名乗っている。このことから、政経の活動期である13世紀後半には青蓮寺が存在していたと推定される。本尊阿弥陀三尊像もその頃の造像である。

d975d7c8.jpg

文化財
重要文化財
銅造阿弥陀如来及両脇侍立像

所在地 群馬県桐生市西久方町一丁目10番11号
位置 北緯36度25分32.4秒 東経139度20分54.0秒
山号 仏守山
宗派 時宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 1575年(天正3年)
正式名 仏守山義国院青蓮寺
札所等 桐生七福神福禄寿
文化財 銅造阿弥陀如来及両脇侍立像(重要文化財)
posted by Kazu at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 群馬県

2024年06月16日

藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)は、熊本県熊本市中央区にある神社

藤崎八旛宮(ふじさきはちまんぐう)は、熊本県熊本市中央区にある神社である。旧社格は国幣小社。熊本市域の総鎮守として信仰を集める。

応神天皇を主祭神とし、神功皇后・住吉三神を相殿に祀る。

社名は一般の八幡宮と異なり「旛」の字を用いるが、天文11年(1548年)に後奈良天皇から賜った宸筆の勅額に使用されていたもので、以降これを踏襲している。

0ab35f2f-197c-4d4f-9549-43e6bd0ba28e_l.jpg

歴史
承平5年(935年)、敕願により藤原純友の乱の追討と九州鎮護のために、国府の所在地であった宮崎庄の茶臼山に石清水八幡宮から勧請を受けて創建された。九州の石清水五所別宮の一社である。鎮座のとき、勅使が馬の鞭としていた石清水の藤の枝を地面に刺したところ、芽を吹き枝葉が生えたので、「藤崎」を社名としたという伝承がある。国府八幡宮として国司や朝廷の崇敬を受けた。鎌倉時代以降は歴代領主の崇敬を受け、江戸時代には熊本城の鎮守社とされた。

明治10年(1877年)、西南戦争で社殿を焼失し、現社地に移転して復興した。大正4年(1915年)、国幣小社に列格した。

o1920128014388955005.jpg

交通アクセス
バス
藤崎宮前バス停下車、東へ約300m。(産交バス、熊本電鉄バス、熊本都市バス)
桜町バスターミナル・熊本駅方面と熊本大学・竜田口駅・菊池方面を結ぶ路線などが利用できる。
浄行寺バス停下車、南へ約800m。(産交バス、熊本電鉄バス、熊本都市バス)
3ヶ所に分かれている。上記の路線の他、熊本駅や上熊本駅方面を結ぶ路線も利用できる。
※熊本市中心市街地に位置するため、このほかにも他の路線が利用できるバス停がいくつかある。
鉄道
熊本電気鉄道藤崎線 藤崎宮前駅下車、東へ約400m。
熊本市電A系統・B系統 水道町停留場下車、北へ約1km。
自家用車
九州自動車道熊本インターチェンジより7.5q

R.jpeg

所在地 熊本県熊本市中央区井川淵町
位置 北緯32度48分29.84秒 東経130度43分7.19秒
主祭神 応神天皇
社格等 肥後国三宮
旧国幣小社
別表神社
創建 承平5年(935年)
本殿の様式 流造
例祭 9月第3月曜日を最終日とする5日間(藤崎八旛宮秋季例大祭)
posted by Kazu at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊本県
検索
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

にほんブログ村 PVアクセスランキング にほんブログ村 にほんブログ村 歴史ブログ 日本史 トラブルに負けない強い肌に導く美容液【HANATSUYU】 【PR】【DMM FX】について詳しくはこちら お腹周りに自信!骨盤ガードル「キュリーナ」 パーソナル診断で自分に合う観葉植物が見つかるオンラインストア【AND PLANTS】
カテゴリーアーカイブ
トクホ取得数No.1企業の「薬用フラビアソープセット」スペシャル特典付き!
最新記事
はくだけ整体ショーツNEO+
写真ギャラリー
サロン専売品・正規新品をお取扱い|各メーカー・ディーラー協賛|【TRICCA】 著名人も愛飲【芋焼酎 伊七郎(いひちろう)】
最新コメント
カワイイも機能性も叶える!momoful【色っぽナイトブラ】
タグクラウド
国の重要文化財・ 円覚寺(えんがくじ) 国の重要文化財・佐竹寺(さたけじ) 国の重要文化財・土井家住宅(どいけじゅうたく) 国の重要文化財・地蔵院(じぞういん) 国の重要文化財・天徳寺(てんとくじ) 国の重要文化財・太宰治記念館 「斜陽館」(だざいおさむきねんかん しゃようかん) 国の重要文化財・清水寺(きよみずでら) 国の重要文化財・済生館(さいせいかん) 国の重要文化財・焼火神社(たくひじんじゃ、たくびじんじゃ) 国の重要文化財・石場家住宅(いしばけじゅうたく) 国の重要文化財・筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう) 国の重要文化財・金剛證寺(こんごうしょうじ) 国の重要文化財・鞆淵八幡神社(ともぶちはちまんじんじゃ) 国宝・勝興寺(しょうこうじ) 国宝・善水寺(ぜんすいじ) 国宝・大善寺(だいぜんじ) 国宝・太山寺(たいさんじ) 国宝・浄土寺(じょうどじ) 日本の仏閣・円通寺(えんつうじ) 日本の仏閣・切幡寺(きりはたじ) 日本の仏閣・北山本門寺(きたやまほんもんじ) 日本の仏閣・喜宝院布教所(きほういんふきょうしょ) 日本の仏閣・四天王寺(してんのうじ) 日本の仏閣・地蔵院(じぞういん) 日本の仏閣・大法寺(だいほうじ) 日本の仏閣・安国寺(あんこくじ) 日本の仏閣・安楽寺(あんらくじ) 日本の仏閣・崇福寺(そうふくじ) 日本の仏閣・常福寺(じょうふくじ) 日本の仏閣・極楽寺(ごくらくじ) 日本の仏閣・正楽寺(しょうらくじ) 日本の仏閣・称念寺(しょうねんじ) 日本の仏閣・等澍院(とうじゅいん) 日本の仏閣・西蓮寺(さいれんじ) 日本の仏閣・観興寺(かんこうじ) 日本の仏閣・観音寺(かんのんじ) 日本の仏閣・金倉寺(こんぞうじ) 日本の仏閣・鉄舟寺(てっしゅうじ) 日本の仏閣・長谷寺(ちょうこくじ) 日本の仏閣・阿岸本誓寺(あぎしほんしょうじ) 日本の仏閣・青蓮寺(しょうれんじ) 日本の仏閣・願成寺(がんじょうじ) 日本の仏閣・高蔵寺(こうぞうじ) 日本の仏閣・黒石寺(こくせきじ) 日本の神社・武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ) 日本の神社・水神社(すいじんじゃ) 日本の神社・江沼神社(えぬまじんじゃ) 日本の神社・生目神社(いきめじんじゃ) 本棟造(ほんむねづくり) 石川県・尾崎神社(おざきじんじゃ)
【千年サジー】果汁100%の千年サジーで置き換えダイエットに決着を。 MANOMA(マノマ)「親の見守りセット」 全身のスキンケアができる.美容液に浸るようなバスエッセンス【BOJOLIE】 人生の大切な瞬間を紙面に刻む【夢の記念日】
ファン
プロフィール