旧植松家住宅(きゅううえまつけじゅうたく)は、静岡県裾野市千福の裾野市中央公園内にある古民家。国の重要文化財に指定されている。植松家は建久4年(1193年)に尾張国津島より当地に移住し、江戸時代には当地の名主を務めた。1971年(昭和46年)には文化庁の古民家緊急調査対象となり、1973年(昭和48年)6月2日に国の重要文化財に指定され、翌1974年(昭和49年)に裾野市中央公園に移築された。
構造
寄棟造りで正面から北側にかけて土庇が巡っており、東を正面とし、土間、広間、座敷、納戸の3間取りで構成されている。桁行16.059メートル、梁間北面7.878メートル、南面8.787メートル。
植松家
植松家は富士山南側の愛鷹山の東側に住む農家である。口伝によると、建久4年(1193年)源頼朝が富士の裾野で鷹狩りをした頃、尾張国津島よりこの地に移住し、代々名主を務めたといわれる。
施設案内
営業時間:8時30分 - 17時(10/1〜3/31は16時まで)
休園日:年末年始(12/29 - 1/3)
入園料:無料
駐車場:約50台(バス用駐車場あり)※閉園時間中は施錠
団体利用:利用申請書を提出する必要あり
交通アクセス
JR御殿場線裾野駅から徒歩26分(2 km)
東名高速道路裾野インターチェンジから車で約10分(車で国道246号裾野バイパス千福南交差点を曲がりすぐ)
すそのーる富岡・深良循環「中央公園前」下車すぐ
所在地 静岡県裾野市千福7-11中央公園内
位置 北緯35度11分4.7秒 東経138度54分15.7秒
類型 民家
形式・構造 木造、寄棟造り、茅葺
文化財 重要文化財(建造物)
2024年05月06日
2024年05月05日
長寿寺(ちょうじゅじ)は、滋賀県湖南市東寺にある天台宗の寺院
長寿寺(ちょうじゅじ)は、滋賀県湖南市東寺にある天台宗の寺院。山号は阿星山(あぼしさん)。本尊は地蔵菩薩。
同じ湖南市に所在する常楽寺の「西寺(にしでら)」に対して、「東寺(ひがしでら)」と呼ばれている。常楽寺、善水寺とともに湖南三山の1つに数えられる。1月中旬には祭事の鬼ばしりが行われる。
歴史
創建の事情および時期については史料が乏しく定かでない。寺伝では、奈良時代の天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇が良弁に子宝の祈願をさせたところ皇女(後の孝謙天皇)が誕生した。そこで良弁がこもっていた阿星山中は紫香楽宮の鬼門でもあるので、ここに鬼門封じと皇女の長寿を願い七堂伽藍24ヵ坊からなる勅願寺を建立して長寿寺と名付け、行基に作らせた子安地蔵を本尊としたという。その後、鎮守社として境内の南に白山神社が建立されている。
平安時代の貞観年間(859年 - 877年)に本堂が焼失するがすぐに復興される。その後は、阿星山五千坊と呼ばれるほどの天台仏教園を形成した。
鎌倉時代には源頼朝が、室町時代には足利将軍家が祈願所として諸堂を造改修したといわれる。当寺にも常楽寺同様三重塔があったが、織田信長によって安土城山中のハ見寺に移築され、重要文化財となっている。楼門は栗太郡(現・栗東市)の蓮台寺(廃寺)に移設されたが現存しない。
明治時代の神仏分離によって白山神社が当寺から独立した。
文化財
国宝
本堂 附:厨子1基
重要文化財
弁天堂 - 入母屋造、桁行一間、梁間一間。
木造阿弥陀如来坐像
木造阿弥陀如来坐像
木造釈迦如来坐像
絹本著色十六羅漢像 16幀(とう) - 奈良国立博物館寄託。
アクセス
JR草津線石部駅から湖南市コミュニティバスで長寿寺停留所下車、徒歩1分。
同駅から車で8分。
駐車場
普通車10台、大型車7台
拝観情報
開門時間 - 9時から16時
拝観料 - 境内参拝自由、寺宝拝観500円(要予約)
所在地 滋賀県湖南市東寺5丁目1-11
位置 北緯34度59分7.17秒 東経136度3分35.62秒
山号 阿星山(あぼしさん)
宗派 天台宗
本尊 地蔵菩薩(秘仏)
創建年 伝・天平年間(729年 - 749年)
開山 伝・良弁
開基 伝・聖武天皇(勅願)
正式名 阿星山長寿寺
別称 東寺(ひがしでら)
札所等 湖南三山
文化財 本堂(国宝)
弁天堂、木造阿弥陀如来坐像、木造釈迦如来坐像ほか(重要文化財)
同じ湖南市に所在する常楽寺の「西寺(にしでら)」に対して、「東寺(ひがしでら)」と呼ばれている。常楽寺、善水寺とともに湖南三山の1つに数えられる。1月中旬には祭事の鬼ばしりが行われる。
歴史
創建の事情および時期については史料が乏しく定かでない。寺伝では、奈良時代の天平年間(729年 - 749年)に聖武天皇が良弁に子宝の祈願をさせたところ皇女(後の孝謙天皇)が誕生した。そこで良弁がこもっていた阿星山中は紫香楽宮の鬼門でもあるので、ここに鬼門封じと皇女の長寿を願い七堂伽藍24ヵ坊からなる勅願寺を建立して長寿寺と名付け、行基に作らせた子安地蔵を本尊としたという。その後、鎮守社として境内の南に白山神社が建立されている。
平安時代の貞観年間(859年 - 877年)に本堂が焼失するがすぐに復興される。その後は、阿星山五千坊と呼ばれるほどの天台仏教園を形成した。
鎌倉時代には源頼朝が、室町時代には足利将軍家が祈願所として諸堂を造改修したといわれる。当寺にも常楽寺同様三重塔があったが、織田信長によって安土城山中のハ見寺に移築され、重要文化財となっている。楼門は栗太郡(現・栗東市)の蓮台寺(廃寺)に移設されたが現存しない。
明治時代の神仏分離によって白山神社が当寺から独立した。
文化財
国宝
本堂 附:厨子1基
重要文化財
弁天堂 - 入母屋造、桁行一間、梁間一間。
木造阿弥陀如来坐像
木造阿弥陀如来坐像
木造釈迦如来坐像
絹本著色十六羅漢像 16幀(とう) - 奈良国立博物館寄託。
アクセス
JR草津線石部駅から湖南市コミュニティバスで長寿寺停留所下車、徒歩1分。
同駅から車で8分。
駐車場
普通車10台、大型車7台
拝観情報
開門時間 - 9時から16時
拝観料 - 境内参拝自由、寺宝拝観500円(要予約)
所在地 滋賀県湖南市東寺5丁目1-11
位置 北緯34度59分7.17秒 東経136度3分35.62秒
山号 阿星山(あぼしさん)
宗派 天台宗
本尊 地蔵菩薩(秘仏)
創建年 伝・天平年間(729年 - 749年)
開山 伝・良弁
開基 伝・聖武天皇(勅願)
正式名 阿星山長寿寺
別称 東寺(ひがしでら)
札所等 湖南三山
文化財 本堂(国宝)
弁天堂、木造阿弥陀如来坐像、木造釈迦如来坐像ほか(重要文化財)
2024年05月04日
土井家住宅(どいけじゅうたく)は、佐賀県杵島郡大町町大字大町上大町の旧長崎街道沿いにある歴史的な建築物
土井家住宅(どいけじゅうたく)は、佐賀県杵島郡大町町大字大町上大町の旧長崎街道沿いにある歴史的な建築物。国の重要文化財(1974年(昭和49年)2月5日指定)である。
歴史
19世紀初頭から半ば(江戸末期)までに造り、酒屋として建立された。だが、明治初期に農家の土井家が所有するようになり現在に至る。
構造
妻入りの建物。外観は町家のようだが、敷地面積の半分が土間という造りで農家風のところもあり、この地方の大型町家の一形態であると推定される。
交通
福岡・佐賀方面より佐世保・早岐行き普通列車乗車後、大町駅下車。長崎・佐世保方面からは、鳥栖方面行き普通列車に乗車後同駅で下車(長崎本線からの大村線を経由しない普通列車は江北駅で乗り換える必要がある)。
JR九州佐世保線大町駅よりタクシーで約5分。駅前バス停で祐徳バス 山口駅・佐賀駅バスセンター行きに乗車後『大町学校前』バス停から徒歩約3分。
歴史
19世紀初頭から半ば(江戸末期)までに造り、酒屋として建立された。だが、明治初期に農家の土井家が所有するようになり現在に至る。
構造
妻入りの建物。外観は町家のようだが、敷地面積の半分が土間という造りで農家風のところもあり、この地方の大型町家の一形態であると推定される。
交通
福岡・佐賀方面より佐世保・早岐行き普通列車乗車後、大町駅下車。長崎・佐世保方面からは、鳥栖方面行き普通列車に乗車後同駅で下車(長崎本線からの大村線を経由しない普通列車は江北駅で乗り換える必要がある)。
JR九州佐世保線大町駅よりタクシーで約5分。駅前バス停で祐徳バス 山口駅・佐賀駅バスセンター行きに乗車後『大町学校前』バス停から徒歩約3分。
2024年05月03日
狭山不動尊(さやまふどうそん)は、埼玉県所沢市上山口にある天台宗別格本山の寺院
狭山不動尊(さやまふどうそん)は、埼玉県所沢市上山口にある天台宗別格本山の寺院である。山号は狭山山、寺号は不動寺。本尊は不動明王。埼玉西武ライオンズが毎年シーズン開幕直前の3月下旬に必勝祈願を行う寺として知られる。
歴史
昭和20年代から30年代にかけて、堤康次郎が私的に収集した各地の歴史的建造物がこの地に移築された。当初はユネスコ村の一部として展示されていた。
1975年(昭和50年)、西武鉄道グループの堤義明と親しかった寛永寺の助力により、天台宗別格本山として開山。
2001年(平成13年)、本堂(京都東本願寺から移築・七間堂)が焼失(不審火)。
行事
初詣
1/1 - 1/7、1月土日祝日
花まつり
4/1 - 4/8
七五三の祝い
10月下旬から11月
護摩祈願
毎週日曜日14:00 -(都合により土曜日14:00 - の週もあり)
納め護摩
12/28 14:00 -
除夜の鐘つき
12/31 23:30 -
交通アクセス
西武狭山線・山口線(レオライナー) 西武球場前駅から徒歩5分
2008年(平成20年)まで池袋 - 西武球場前間、国分寺 - 西武遊園地 - 西武球場前間で、当寺への初詣の利便のため運転されていた正月の終夜運転が中止となる。以後現在に至るまで同社では終夜運転を行っていない。
所在地 埼玉県所沢市上山口2214
位置 北緯35度46分12.8秒 東経139度24分57.6秒
山号 狭山山
宗派 天台宗
寺格 別格本山
本尊 不動明王
創建年 昭和50年4月26日
開基 堤義明
正式名 不動寺
文化財 旧台徳院霊廟勅額門、御成門、丁子門(重要文化財)
第一多宝塔(埼玉県指定有形文化財)
歴史
昭和20年代から30年代にかけて、堤康次郎が私的に収集した各地の歴史的建造物がこの地に移築された。当初はユネスコ村の一部として展示されていた。
1975年(昭和50年)、西武鉄道グループの堤義明と親しかった寛永寺の助力により、天台宗別格本山として開山。
2001年(平成13年)、本堂(京都東本願寺から移築・七間堂)が焼失(不審火)。
行事
初詣
1/1 - 1/7、1月土日祝日
花まつり
4/1 - 4/8
七五三の祝い
10月下旬から11月
護摩祈願
毎週日曜日14:00 -(都合により土曜日14:00 - の週もあり)
納め護摩
12/28 14:00 -
除夜の鐘つき
12/31 23:30 -
交通アクセス
西武狭山線・山口線(レオライナー) 西武球場前駅から徒歩5分
2008年(平成20年)まで池袋 - 西武球場前間、国分寺 - 西武遊園地 - 西武球場前間で、当寺への初詣の利便のため運転されていた正月の終夜運転が中止となる。以後現在に至るまで同社では終夜運転を行っていない。
所在地 埼玉県所沢市上山口2214
位置 北緯35度46分12.8秒 東経139度24分57.6秒
山号 狭山山
宗派 天台宗
寺格 別格本山
本尊 不動明王
創建年 昭和50年4月26日
開基 堤義明
正式名 不動寺
文化財 旧台徳院霊廟勅額門、御成門、丁子門(重要文化財)
第一多宝塔(埼玉県指定有形文化財)
高麗家住宅(こまけじゅうたく)は、埼玉県日高市にある江戸時代の古民家
高麗家住宅(こまけじゅうたく)は、埼玉県日高市にある江戸時代の古民家。
概要
高麗神社の境内にあり、神職を務めた高麗家の住居として、慶長年間に建造された。東日本の民家の中では古い形を遺している極めて重要な例として1976年(昭和51年)6月22日に国指定の重要文化財に指定された。1976年から1977年にかけて大修理が行われた。
2017年(平成29年)9月20日に、明仁天皇、美智子皇后(いずれも当時)が、高麗神社に行幸啓した際、高麗家住宅を視察した。
所在地 埼玉県日高市大字新堀850番地
位置 北緯35度53分56.9秒 東経139度19分20.8秒
形式・構造 入母屋造、西面庇付、茅葺
延床面積 桁行14.3m、梁間9.5m
文化財 国の重要文化財
概要
高麗神社の境内にあり、神職を務めた高麗家の住居として、慶長年間に建造された。東日本の民家の中では古い形を遺している極めて重要な例として1976年(昭和51年)6月22日に国指定の重要文化財に指定された。1976年から1977年にかけて大修理が行われた。
2017年(平成29年)9月20日に、明仁天皇、美智子皇后(いずれも当時)が、高麗神社に行幸啓した際、高麗家住宅を視察した。
所在地 埼玉県日高市大字新堀850番地
位置 北緯35度53分56.9秒 東経139度19分20.8秒
形式・構造 入母屋造、西面庇付、茅葺
延床面積 桁行14.3m、梁間9.5m
文化財 国の重要文化財
2024年05月02日
雪蹊寺(せっけいじ)は、高知県高知市長浜にある臨済宗妙心寺派の寺院
雪蹊寺(せっけいじ)は、高知県高知市長浜にある臨済宗妙心寺派の寺院。高福山(こうふくざん)、幸福院(こうふくいん)と号す。本尊は薬師如来。四国八十八箇所第三十三番札所。
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:旅の道うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明(ありあけ)の月
納経印:当寺本尊、奥の院中谷堂
歴史
寺伝によれば空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して「慶運寺」と改めたという。
寺に伝わる毘沙門天および両脇侍像は、毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、高福寺創建の嘉禄元年(1225年)頃の作と推定されている。ただし、湛慶作の仏像が都から遠く離れた土佐に伝わった経緯は定かでない。
なお、『土佐国編年紀事略』には嘉禄元年(1225年)、右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。天正16年(1588年)の長浜地検帳には「慶雲寺」とあり、この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。。
その後、寺運が衰え、廃寺となっていたが、天正年間(1573年 – 1593年)の後期に月峰和尚が住職となり、土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。慶長4年(1599年)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から「雪蹊寺」と称した。
江戸時代初期には「南学発祥の道場」といわれ天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍、野中兼山などの儒学者を生み出した。
明治時代になると廃仏毀釈により明治3年(1870年)廃寺となり、翌年、本堂跡に当寺所蔵の長宗我部元親坐像を神体とした秦神社が建立された。明治12年(1879年)大玄和尚により維新館の跡地に再興、明治44年(1911年)までに寺域を拡張して本格的な復興を遂げた。なお、明治12年に再興されるまで納経は、31番竹林寺で「高福寺」の名でされていたという。
交通案内
鉄道
とさでん交通桟橋線 - 桟橋通五丁目停留場 (5.1 km)
バス
とさでん交通 長浜行き・桂浜行き「長浜」下車 (0.3 km)
道路
一般道:高知県道34号桂浜はりまや線 長浜 (0.3 km)、高知県道278号弘岡下種崎線 雪蹊寺前 (0.1km)
所在地 高知県高知市長浜857番地3
位置 北緯33度30分3秒 東経133度32分35.1秒
山号 高福山
院号 幸福院
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)弘仁6年(815年)、嘉禄元年(1225年)とも
開基 (伝)空海(弘法大師)
中興年 天正年間(1573年 – 1593年)後期
中興 月峰
正式名 高福山 幸福院 雪蹊寺
札所等 四国八十八箇所33番
文化財 木造薬師如来および両脇持像、木造毘沙門天および脇侍吉祥天・善膩師童子立像(国の重要文化財)
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:旅の道うえしも今は高福寺 のちのたのしみ有明(ありあけ)の月
納経印:当寺本尊、奥の院中谷堂
歴史
寺伝によれば空海(弘法大師)の開基で、創建当初は真言宗に属し、「少林山高福寺」と称したという。鎌倉時代に仏師運慶と長男の湛慶が来山して「慶運寺」と改めたという。
寺に伝わる毘沙門天および両脇侍像は、毘沙門天像の足枘銘から湛慶の真作と判明し、高福寺創建の嘉禄元年(1225年)頃の作と推定されている。ただし、湛慶作の仏像が都から遠く離れた土佐に伝わった経緯は定かでない。
なお、『土佐国編年紀事略』には嘉禄元年(1225年)、右近将監定光なる人物が高福寺を創建したとする。天正16年(1588年)の長浜地検帳には「慶雲寺」とあり、この頃までに慶雲寺と改称していたことが窺える。。
その後、寺運が衰え、廃寺となっていたが、天正年間(1573年 – 1593年)の後期に月峰和尚が住職となり、土佐国の戦国大名長宗我部元親の後援で臨済宗の寺として復興した。慶長4年(1599年)の長宗我部元親の病没後、当寺は長宗我部家の菩提寺となり、元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」から「雪蹊寺」と称した。
江戸時代初期には「南学発祥の道場」といわれ天室僧正が朱子学南学派の祖として活躍、野中兼山などの儒学者を生み出した。
明治時代になると廃仏毀釈により明治3年(1870年)廃寺となり、翌年、本堂跡に当寺所蔵の長宗我部元親坐像を神体とした秦神社が建立された。明治12年(1879年)大玄和尚により維新館の跡地に再興、明治44年(1911年)までに寺域を拡張して本格的な復興を遂げた。なお、明治12年に再興されるまで納経は、31番竹林寺で「高福寺」の名でされていたという。
交通案内
鉄道
とさでん交通桟橋線 - 桟橋通五丁目停留場 (5.1 km)
バス
とさでん交通 長浜行き・桂浜行き「長浜」下車 (0.3 km)
道路
一般道:高知県道34号桂浜はりまや線 長浜 (0.3 km)、高知県道278号弘岡下種崎線 雪蹊寺前 (0.1km)
所在地 高知県高知市長浜857番地3
位置 北緯33度30分3秒 東経133度32分35.1秒
山号 高福山
院号 幸福院
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
創建年 (伝)弘仁6年(815年)、嘉禄元年(1225年)とも
開基 (伝)空海(弘法大師)
中興年 天正年間(1573年 – 1593年)後期
中興 月峰
正式名 高福山 幸福院 雪蹊寺
札所等 四国八十八箇所33番
文化財 木造薬師如来および両脇持像、木造毘沙門天および脇侍吉祥天・善膩師童子立像(国の重要文化財)
2024年05月01日
熊ノ平駅(くまのたいらえき)は、かつて群馬県碓氷郡松井田町大字坂本(現安中市松井田町坂本)に存在した、日本国有鉄道(国鉄)信越本線の駅
熊ノ平駅(くまのたいらえき)は、かつて群馬県碓氷郡松井田町大字坂本(現安中市松井田町坂本)に存在した、日本国有鉄道(国鉄)信越本線の駅である。
【旧熊ノ平駅】
歴史
1893年(明治26年)4月1日:信越本線横川 - 軽井沢間が開通し、熊ノ平信号場(くまのたいらしんごうじょう)が、給水給炭所として設置。
丸山信号場 - 矢ヶ崎信号場間は単線のため、列車交換設備も設けられた。
1901年(明治34年)7月13日:矢ヶ崎信号場付近で碓氷峠列車逆走事故。
1906年(明治39年)10月1日:鉄道駅に昇格。
1918年(大正7年)3月7日:駅構内で脱線事故が発生。
1937年(昭和12年)7月:熊ノ平変電所が設けられる。
同変電所は、アプト式廃止後も改修されて横川 - 軽井沢間の廃線まで使用された。
1950年(昭和25年)6月9日:駅構内で土砂崩れが発生。
1966年(昭和41年)2月1日:信号場に降格。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承。
1997年(平成9年)9月30日:北陸新幹線(高崎駅 - 長野駅間)先行開通に伴い、信越本線横川 - 軽井沢間廃線と共に廃止。
2018年(平成30年)8月17日:旧熊ノ平変電所本屋が重要文化財「旧碓氷峠鉄道施設」に指定される。
駅構造
相対式ホーム2面2線(信号場降格時にホームは使用停止)を有する地上駅。大正時代には上下線の間に通過線が敷設されたが、第二次世界大戦後に撤去されている。トンネルに挟まれ有効長を十分に確保できないため、アプト式鉄道時代の列車は突込線によっていったんトンネルに突っ込んでから本線脇の引上線に後退して停車する、一種のスイッチバック駅だった。信号場としての末期は複線だったため、閉塞境界としての機能だった。
現在のアクセス
信越本線横川駅よりJRバス関東碓氷線(碓氷旧道めがね橋経由)軽井沢駅行で約25分、熊ノ平駐車場バス停下車。※季節運行路線
アプトの道終点部として横川より遊歩道が整備され駅構内の一部へは立ち入りが可能。歩道は新設された階段にて国道18号へ接続されている。(旧突込線延長部の接続路は立ち入り禁止)
国道18号旧道沿い上記歩道階段前に駐車場有り。
アプト式最後の秋 熊ノ平駅の「ED42形電機」2012/08/26
所在地 群馬県碓氷郡松井田町大字坂本(現安中市松井田町坂本)
北緯36度21分19.8秒 東経138度41分4.9秒
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 信越本線
キロ程 35.8 km(高崎起点)
電報略号 クタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1893年(明治26年)4月1日
廃止年月日 1997年(平成9年)10月1日**
【旧熊ノ平駅】
歴史
1893年(明治26年)4月1日:信越本線横川 - 軽井沢間が開通し、熊ノ平信号場(くまのたいらしんごうじょう)が、給水給炭所として設置。
丸山信号場 - 矢ヶ崎信号場間は単線のため、列車交換設備も設けられた。
1901年(明治34年)7月13日:矢ヶ崎信号場付近で碓氷峠列車逆走事故。
1906年(明治39年)10月1日:鉄道駅に昇格。
1918年(大正7年)3月7日:駅構内で脱線事故が発生。
1937年(昭和12年)7月:熊ノ平変電所が設けられる。
同変電所は、アプト式廃止後も改修されて横川 - 軽井沢間の廃線まで使用された。
1950年(昭和25年)6月9日:駅構内で土砂崩れが発生。
1966年(昭和41年)2月1日:信号場に降格。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承。
1997年(平成9年)9月30日:北陸新幹線(高崎駅 - 長野駅間)先行開通に伴い、信越本線横川 - 軽井沢間廃線と共に廃止。
2018年(平成30年)8月17日:旧熊ノ平変電所本屋が重要文化財「旧碓氷峠鉄道施設」に指定される。
駅構造
相対式ホーム2面2線(信号場降格時にホームは使用停止)を有する地上駅。大正時代には上下線の間に通過線が敷設されたが、第二次世界大戦後に撤去されている。トンネルに挟まれ有効長を十分に確保できないため、アプト式鉄道時代の列車は突込線によっていったんトンネルに突っ込んでから本線脇の引上線に後退して停車する、一種のスイッチバック駅だった。信号場としての末期は複線だったため、閉塞境界としての機能だった。
現在のアクセス
信越本線横川駅よりJRバス関東碓氷線(碓氷旧道めがね橋経由)軽井沢駅行で約25分、熊ノ平駐車場バス停下車。※季節運行路線
アプトの道終点部として横川より遊歩道が整備され駅構内の一部へは立ち入りが可能。歩道は新設された階段にて国道18号へ接続されている。(旧突込線延長部の接続路は立ち入り禁止)
国道18号旧道沿い上記歩道階段前に駐車場有り。
アプト式最後の秋 熊ノ平駅の「ED42形電機」2012/08/26
所在地 群馬県碓氷郡松井田町大字坂本(現安中市松井田町坂本)
北緯36度21分19.8秒 東経138度41分4.9秒
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 信越本線
キロ程 35.8 km(高崎起点)
電報略号 クタ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1893年(明治26年)4月1日
廃止年月日 1997年(平成9年)10月1日**
2024年04月30日
塔福寺(とうふくじ)は、熊本県宇城市小川町東海東に所在する真宗大谷派の寺院
塔福寺(とうふくじ)は、熊本県宇城市小川町東海東に所在する真宗大谷派の寺院である。山号は竜光山。
概要
1293年(永仁元年)、元寇で活躍した海東郷の地頭・竹崎季長の菩提寺として建立される。はじめ、天台宗の寺院であった。
キリシタン大名小西行長のキリスト教布教のもと、寺院の焼打ちになどによって廃寺同様となり、1590年頃(天正末年頃)には、わずかに観音堂一宇を残すだけとなっていた。
1702年(元禄15年)、延寿寺の僧・知栄が真宗大谷派に改め再興した。寺に残る文化財は、すべて竹崎季長関係のものである。
所在地 熊本県宇城市小川町東海東45
位置 北緯32度35分5.9秒 東経130度44分43.9秒
山号 竜光山
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1293年(正応6年)
開基 竹崎季長
文化財 竹崎季長寄進状并置文
蒙古襲来絵詞(写本)
概要
1293年(永仁元年)、元寇で活躍した海東郷の地頭・竹崎季長の菩提寺として建立される。はじめ、天台宗の寺院であった。
キリシタン大名小西行長のキリスト教布教のもと、寺院の焼打ちになどによって廃寺同様となり、1590年頃(天正末年頃)には、わずかに観音堂一宇を残すだけとなっていた。
1702年(元禄15年)、延寿寺の僧・知栄が真宗大谷派に改め再興した。寺に残る文化財は、すべて竹崎季長関係のものである。
所在地 熊本県宇城市小川町東海東45
位置 北緯32度35分5.9秒 東経130度44分43.9秒
山号 竜光山
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1293年(正応6年)
開基 竹崎季長
文化財 竹崎季長寄進状并置文
蒙古襲来絵詞(写本)
2024年04月29日
観智院(かんちいん)は、京都市南区にある東寺真言宗の別格本山の寺院
観智院(かんちいん)は、京都市南区にある東寺真言宗の別格本山の寺院。総本山東寺の塔頭。本尊は五大虚空蔵菩薩。十三参りで有名である。
歴史
東寺の塔頭であるが、同時に東寺真言宗の別格本山ともなっている当院は、東寺北大門を出て平安時代以来そのままの幅で残っている京都市内ただひとつの小路である櫛笥(くしげ)小路を少し北に進んだ右側に位置している。
鎌倉時代に後宇多法皇によって東寺の寺僧の住房が計画されると、南北朝時代の延文4年(1359年)もしくは延文3年(1358年)に学僧であった杲宝によって東寺の子院として創建された。杲宝は現在国宝となっている「東宝記」という東寺の創建から室町時代に至る寺史をまとめた人物である。これは弟子の賢宝により補足完成された。他にも杲宝と賢宝は密教の聖教類を1万5千件以上も収集し、その保存を図っている。
また、賢宝は永和2年(1378年)に山科の安祥寺・上寺を訪れた際に、五大堂が台風で倒壊してそこで祀られていた恵運が唐の長安・青龍寺より請来したという五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)が破砕して泥土にまみれているのを見つけ、引き取って修理して当院の本尊としている。
江戸時代には当院は東寺のみならず真言宗全体の勧学院と位置づけられ、多くの学僧を輩出した。経蔵である金剛蔵には膨大な文書・典籍・聖教類が所蔵されていたが、現在は東寺宝物館に移されている。
アクセス
近鉄京都線 東寺駅より徒歩10分。
JR西日本・JR東海・近鉄京都線・京都市営地下鉄 京都駅八条口より徒歩15分。
所在地 京都府京都市南区九条町403
宗派 東寺真言宗
寺格 総本山東寺塔頭
別格本山
本尊 五大虚空蔵菩薩(重要文化財)
創建年 延文4年(1359年)もしくは延文3年(1358年)
開山 杲宝
別称 弘法さんの虚空蔵菩薩十三参り
文化財 客殿(国宝)
木造五大虚空蔵菩薩坐像(重要文化財)
絹本著色弘法大師像(府指定有形文化財)
歴史
東寺の塔頭であるが、同時に東寺真言宗の別格本山ともなっている当院は、東寺北大門を出て平安時代以来そのままの幅で残っている京都市内ただひとつの小路である櫛笥(くしげ)小路を少し北に進んだ右側に位置している。
鎌倉時代に後宇多法皇によって東寺の寺僧の住房が計画されると、南北朝時代の延文4年(1359年)もしくは延文3年(1358年)に学僧であった杲宝によって東寺の子院として創建された。杲宝は現在国宝となっている「東宝記」という東寺の創建から室町時代に至る寺史をまとめた人物である。これは弟子の賢宝により補足完成された。他にも杲宝と賢宝は密教の聖教類を1万5千件以上も収集し、その保存を図っている。
また、賢宝は永和2年(1378年)に山科の安祥寺・上寺を訪れた際に、五大堂が台風で倒壊してそこで祀られていた恵運が唐の長安・青龍寺より請来したという五大虚空蔵菩薩像(重要文化財)が破砕して泥土にまみれているのを見つけ、引き取って修理して当院の本尊としている。
江戸時代には当院は東寺のみならず真言宗全体の勧学院と位置づけられ、多くの学僧を輩出した。経蔵である金剛蔵には膨大な文書・典籍・聖教類が所蔵されていたが、現在は東寺宝物館に移されている。
アクセス
近鉄京都線 東寺駅より徒歩10分。
JR西日本・JR東海・近鉄京都線・京都市営地下鉄 京都駅八条口より徒歩15分。
所在地 京都府京都市南区九条町403
宗派 東寺真言宗
寺格 総本山東寺塔頭
別格本山
本尊 五大虚空蔵菩薩(重要文化財)
創建年 延文4年(1359年)もしくは延文3年(1358年)
開山 杲宝
別称 弘法さんの虚空蔵菩薩十三参り
文化財 客殿(国宝)
木造五大虚空蔵菩薩坐像(重要文化財)
絹本著色弘法大師像(府指定有形文化財)