相内神社(あいのないじんじゃ)は、北海道北見市に鎮座する神社本庁包括下(北海道神社庁網走支部管内)の神社。旧社格は無格社。旧相内村の大部分を氏子区域とする。
概要
天照大神・豊受大神を祭神として祀り、社殿は神明造、千木は内削ぎ、鰹木の数は8本。境内社として相馬神社、三吉神社がある。明治の末年、この地域に入植した屯田兵による神明奉斎を神社創立の淵源とし、同神社の祖霊殿には屯田兵及びその親族・家族の霊を祀っている。
例祭日は9月23日で、氏子区域一円において神輿渡御が行われる。特有の神事として、毎年3月(雛祭り後の最初の日曜日)に行われる人形感謝祭がある。
祭神
天照大神(あまてらすおおかみ)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の娘神。皇室の御祖神(みおやのかみ)にして、太陽神。皇大神宮(伊勢の神宮・内宮)の主祭神。皇室を初め国民崇敬の中心とされる神。高天原にて田畑を耕し、あるいは養蚕、織物をし、安定した国土を経営されたことにちなみ、国土安泰、福徳、開運、勝運を司る神とされる。
豊受大神(とようけのおおかみ)
稲または五穀の精霊神で、豊受大神宮(伊勢の神宮・外宮)の主祭神。天照大神に食事を給仕する職掌より食物・飲食を、また衣食住、商売繁昌、厄除開運、無病息災、延命長寿を司る神とされる。
交通
公共交通機関を利用する場合
JRを利用する場合は、石北本線相内駅下車、徒歩10分。北見駅、留辺蘂駅からの所要時間はいずれも約30分。ただし同駅には普通列車のみ停車。
バスを利用する場合は、北海道北見バス(温根湯・留辺蘂運動公園線)相内神社前停留所で下車、徒歩3分。北見停留所、留辺蘂停留所からの所要時間はいずれも約20分。
自家用車等を利用する場合
境内地が国道39号の北側に位置するため、北見市市街地方面からは右手、留辺蘂町方面からは左手となる。また、国道に面して駐車場入り口に看板が設置されている。
所在地 北海道北見市相内町51
位置 北緯43度48分2.7秒 東経143度45分54.7秒
主祭神 天照大神、豊受大神
創建 1921年(大正11年)
本殿の様式 神明造
例祭 9月23日
2024年04月15日
四天王寺(してんのうじ)は、三重県津市にある曹洞宗の寺院
四天王寺(してんのうじ)は、三重県津市にある曹洞宗の寺院。
沿革
推古天皇の勅願により、聖徳太子が建立したと伝えられている。
戦火で荒廃と復興を繰り返していたが、安濃津城主だった織田信包が再建し、織田信長、信包の母でもある土田御前の墓がある。その他、藤堂高虎夫人(一色氏)、富田知信の子千代丸、斎藤拙堂など津にゆかりのある人物の墓がある。
昭和20年(1945年)7月28日、空襲で総門、中雀門、鐘楼以外はほとんど焼失したが、本堂と庫裏は戦後再建された。
所在地 三重県津市栄町1丁目892
位置 北緯34度43分40秒 東経136度30分35秒
山号 塔世山
宗派 曹洞宗
中興年 元和5年(1619年)
正式名 塔世山四天王禪寺
塔世山四天王寺
札所等 西国薬師四十九霊場第34番
文化財 絹本著色藤堂高虎像、絹本著色聖徳太子像、木造薬師如来坐像、民部田所勘注状外古文書 4通1巻(重要文化財)
沿革
推古天皇の勅願により、聖徳太子が建立したと伝えられている。
戦火で荒廃と復興を繰り返していたが、安濃津城主だった織田信包が再建し、織田信長、信包の母でもある土田御前の墓がある。その他、藤堂高虎夫人(一色氏)、富田知信の子千代丸、斎藤拙堂など津にゆかりのある人物の墓がある。
昭和20年(1945年)7月28日、空襲で総門、中雀門、鐘楼以外はほとんど焼失したが、本堂と庫裏は戦後再建された。
所在地 三重県津市栄町1丁目892
位置 北緯34度43分40秒 東経136度30分35秒
山号 塔世山
宗派 曹洞宗
中興年 元和5年(1619年)
正式名 塔世山四天王禪寺
塔世山四天王寺
札所等 西国薬師四十九霊場第34番
文化財 絹本著色藤堂高虎像、絹本著色聖徳太子像、木造薬師如来坐像、民部田所勘注状外古文書 4通1巻(重要文化財)
2024年04月14日
五大堂(ごだいどう)は、宮城県宮城郡松島町の景勝地松島にある仏堂
五大堂(ごだいどう)は、宮城県宮城郡松島町の景勝地松島にある仏堂。同町にある臨済宗妙心寺派の寺院・瑞巌寺の境外仏堂である。
五大堂
歴史
日本三景の1つである景勝地・松島の景観上重要な建物であり、本州海岸に近い小島に建つ。伝承によれば大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされる。
その後、円仁(慈覚大師)が延福寺(瑞巌寺の前身)を創建した際に仏堂を建立し、大聖不動明王を中央に東方降三世明王、西方大威徳明王、南方軍荼利明王、北方金剛夜叉明王の五大明王像を安置したことにより、五大堂と呼ばれるようになった。
現在の堂は、慶長9年(1604年)、伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した。東北地方最古の桃山建築と言われており、現在、国の重要文化財に指定されている。
瑞巌寺は拝観料が必要であるが、五大堂は拝観料が無料である。
開帳
本州と五大堂のある島とは橋で繋がっている。本尊の五大明王像は33年に1回開扉の秘仏で、21世紀に入ってからでは2006年(平成18年)8月18日〜20日の3日間、「三聖堂、五太堂、日吉山王神社 三十三年御開帳」が開催された(堂の名は通常は「五大堂」と表記するが、前回の御開帳のときも「五太堂」という表記であった。五大堂の正面に掲げられている額に「五太堂」とあるが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれている)。
2016年(平成28年)9月10日〜11月13日には、東日本大震災復興祈念事業として、三井記念美術館の特別展「松島瑞巌寺と伊達政宗」で五大明王像が出開帳されている。2018年(平成30年)4月6日〜6月下旬には、瑞巌寺本堂落慶記念として瑞巌寺宝物館に出展されている。
文化財
五大堂(重要文化財)
すかし橋 - 五大堂が建立された小島に架けられた橋。橋げたの隙間から海が見え、五大堂へ行く際に足元を見て気を引き締めるために造られたと言われている。
木造五大明王像 - 33年に1回開扉の秘仏である。各像ともケヤキ材の一木造。不動明王像の像高64cm。作風から、平安時代中期の作で、中央(畿内)から持ち込まれたものではなく、地元で制作されたものと推定されている。1995年に国の重要文化財に指定された。
所在地 宮城県宮城郡松島町松島字町内111
位置 北緯38度22分11秒 東経141度3分51秒
山号 (瑞巌寺の仏堂につき山号はなし)
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 五大明王
創建年 大同2年(807年)
開基 坂上田村麻呂
札所等 東北三十六不動28番
文化財 五大堂、木造五大明王像(重要文化財)
五大堂
歴史
日本三景の1つである景勝地・松島の景観上重要な建物であり、本州海岸に近い小島に建つ。伝承によれば大同2年(807年)、坂上田村麻呂が奥州遠征の際に、毘沙門堂を建立したのが始まりとされる。
その後、円仁(慈覚大師)が延福寺(瑞巌寺の前身)を創建した際に仏堂を建立し、大聖不動明王を中央に東方降三世明王、西方大威徳明王、南方軍荼利明王、北方金剛夜叉明王の五大明王像を安置したことにより、五大堂と呼ばれるようになった。
現在の堂は、慶長9年(1604年)、伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した。東北地方最古の桃山建築と言われており、現在、国の重要文化財に指定されている。
瑞巌寺は拝観料が必要であるが、五大堂は拝観料が無料である。
開帳
本州と五大堂のある島とは橋で繋がっている。本尊の五大明王像は33年に1回開扉の秘仏で、21世紀に入ってからでは2006年(平成18年)8月18日〜20日の3日間、「三聖堂、五太堂、日吉山王神社 三十三年御開帳」が開催された(堂の名は通常は「五大堂」と表記するが、前回の御開帳のときも「五太堂」という表記であった。五大堂の正面に掲げられている額に「五太堂」とあるが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれている)。
2016年(平成28年)9月10日〜11月13日には、東日本大震災復興祈念事業として、三井記念美術館の特別展「松島瑞巌寺と伊達政宗」で五大明王像が出開帳されている。2018年(平成30年)4月6日〜6月下旬には、瑞巌寺本堂落慶記念として瑞巌寺宝物館に出展されている。
文化財
五大堂(重要文化財)
すかし橋 - 五大堂が建立された小島に架けられた橋。橋げたの隙間から海が見え、五大堂へ行く際に足元を見て気を引き締めるために造られたと言われている。
木造五大明王像 - 33年に1回開扉の秘仏である。各像ともケヤキ材の一木造。不動明王像の像高64cm。作風から、平安時代中期の作で、中央(畿内)から持ち込まれたものではなく、地元で制作されたものと推定されている。1995年に国の重要文化財に指定された。
所在地 宮城県宮城郡松島町松島字町内111
位置 北緯38度22分11秒 東経141度3分51秒
山号 (瑞巌寺の仏堂につき山号はなし)
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 五大明王
創建年 大同2年(807年)
開基 坂上田村麻呂
札所等 東北三十六不動28番
文化財 五大堂、木造五大明王像(重要文化財)
2024年04月13日
鵜戸神宮(うどじんぐう)は、宮崎県日南市にある神社
鵜戸神宮(うどじんぐう)は、宮崎県日南市にある神社である。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社に指定されている。 日向灘に面した断崖の中腹、東西38m、南北29m、高さ8.5mの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座し、参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」となっている。境内地を含む付近の海岸は、波の浸食を受け形成された海食洞や波食棚が多くあり名勝に指定されている。
本殿
祭神
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
大日孁貴(おおひるめのむち)(天照大御神)
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊を主祭神とし、相殿に大日孁貴以下の皇祖神と神武天皇を祀る。主祭神降誕の地とされ、縁結び・夫婦和合・子授け・安産などの信仰を集めている。また境内には主祭神の陵墓とされる古墳もある。
楼門
交通
宮崎空港から2時間に1本直通バスがある
日豊本線宮崎駅から宮崎交通バス日南線、鵜戸神宮前下車
所在地 宮崎県日南市大字宮浦3232
位置 北緯31度39分01秒 東経131度28分00秒
主祭神 日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊
社格等 旧官幣大社
別表神社
創建 伝崇神天皇朝
本殿の様式 八棟造
例祭 2月1日
主な神事 神幸祭
シャンシャン馬道中
本殿
祭神
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
大日孁貴(おおひるめのむち)(天照大御神)
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
彦火瓊々杵尊(ひこほのににぎのみこと)
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(神武天皇)
日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊を主祭神とし、相殿に大日孁貴以下の皇祖神と神武天皇を祀る。主祭神降誕の地とされ、縁結び・夫婦和合・子授け・安産などの信仰を集めている。また境内には主祭神の陵墓とされる古墳もある。
楼門
交通
宮崎空港から2時間に1本直通バスがある
日豊本線宮崎駅から宮崎交通バス日南線、鵜戸神宮前下車
所在地 宮崎県日南市大字宮浦3232
位置 北緯31度39分01秒 東経131度28分00秒
主祭神 日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊
社格等 旧官幣大社
別表神社
創建 伝崇神天皇朝
本殿の様式 八棟造
例祭 2月1日
主な神事 神幸祭
シャンシャン馬道中
2024年04月12日
若松寺(じゃくしょうじ)は、山形県天童市にある天台宗の寺院
若松寺(じゃくしょうじ)は、山形県天童市にある天台宗の寺院。別称は若松観音(わかまつかんのん)。「西の出雲、東の若松」と、出雲大社と並び称される縁結びの観音として知られる。室町時代には西国の観音巡礼信仰が東国にも普及し、最上三十三観音霊場第1番札所に位置づけられている。
歴史
寺伝によれば、和銅元年(708年)、元明天皇の勅命によって東国巡錫の途中であった行基が、鈴の音に導かれ現在の鈴立山に登り、山上で光り輝く三十三観音像を感得したことにより開山されたという。その後、空海や円仁(慈覚大師)が登山したとの伝承もあり、貞観2年(860年)、立石寺開山の円仁(慈覚大師)が立石寺の山頂付近にあった堂を現在の地に移したという。この頃法相宗から天台宗となる。
寺宝としては、弘長3年(1263年)に藤原真綱一族が二世安楽を願って奉納した「金銅聖観音像懸仏」(こんどう しょうかんのんぞう かけぼとけ、国の重要文化財)、永禄6年(1563年)、郷目右京進貞繁が奉納した「板絵著色神馬図」(いたえちゃくしょく しんめず、国の重要文化財)がある。観音堂は1963年に国の重要文化財に指定されている。
アクセス
車
駐車場あり。
JR天童駅より約15分。
山形自動車道山形北ICより約20分。
所在地 山形県天童市大字山元2205-1
位置 北緯38度21分47秒 東経140度25分8秒
山号 鈴立山
宗派 天台宗
本尊 聖観音
開山 (伝)行基
中興 (伝)円仁(慈覚大師)
正式名 鈴立山若松寺
別称 若松観音
札所等 最上三十三観音霊場第1番
文化財 観音堂、金銅聖観音像懸仏、板絵著色神馬図(重要文化財)
歴史
寺伝によれば、和銅元年(708年)、元明天皇の勅命によって東国巡錫の途中であった行基が、鈴の音に導かれ現在の鈴立山に登り、山上で光り輝く三十三観音像を感得したことにより開山されたという。その後、空海や円仁(慈覚大師)が登山したとの伝承もあり、貞観2年(860年)、立石寺開山の円仁(慈覚大師)が立石寺の山頂付近にあった堂を現在の地に移したという。この頃法相宗から天台宗となる。
寺宝としては、弘長3年(1263年)に藤原真綱一族が二世安楽を願って奉納した「金銅聖観音像懸仏」(こんどう しょうかんのんぞう かけぼとけ、国の重要文化財)、永禄6年(1563年)、郷目右京進貞繁が奉納した「板絵著色神馬図」(いたえちゃくしょく しんめず、国の重要文化財)がある。観音堂は1963年に国の重要文化財に指定されている。
アクセス
車
駐車場あり。
JR天童駅より約15分。
山形自動車道山形北ICより約20分。
所在地 山形県天童市大字山元2205-1
位置 北緯38度21分47秒 東経140度25分8秒
山号 鈴立山
宗派 天台宗
本尊 聖観音
開山 (伝)行基
中興 (伝)円仁(慈覚大師)
正式名 鈴立山若松寺
別称 若松観音
札所等 最上三十三観音霊場第1番
文化財 観音堂、金銅聖観音像懸仏、板絵著色神馬図(重要文化財)
2024年04月11日
豊榮神社(とよさかじんじゃ)と野田神社(のだじんじゃ)は、山口県山口市に隣接して鎮座する神社
豊榮神社(とよさかじんじゃ)と野田神社(のだじんじゃ)は、山口県山口市に隣接して鎮座する神社である。両神社は東に豊榮神社、西に野田神社と隣接するものの別の宗教法人であり、本殿や拝殿、廻廊等の社殿もそれぞれ別にあるが、社務所を始めとする共有の施設もあり、密接な関係にもある。
ともに旧社格は別格官幣社で現在は神社本庁の別表神社に指定され、隣接地には山口県神社庁もある。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
豊榮神社
祭神
戦国時代に中国地方に覇を唱え後の長州藩毛利家の礎を築いた毛利元就を「毛利元就公」として祀る。
豊榮神社
所在地 山口県山口市天花1丁目1-1
位置 北緯34度11分19.7秒 東経131度28分50.8秒
主祭神 贈正一位毛利元就公
社格等 旧別格官幣社・別表神社
創建 宝暦12年(1762年)
本殿の様式 三間社流造銅板葺
例祭 10月1日
主な神事 御正祭(7月16日)
野田神社
祭神
長州藩最後の藩主で明治維新の功労者である毛利敬親を「毛利敬親公」として祀り、敬親の養嗣子の元徳を「毛利元徳公」として配祀する。
野田神社
所在地 山口県山口市天花1丁目1-2
位置 北緯34度11分18.7秒 東経131度28分49.4秒
主祭神 毛利敬親公
社格等 旧別格官幣社・別表神社
創建 明治6年(1873年)
本殿の様式 三間社流造銅板葺
例祭 3月5日
主な神事 御正祭(5月17日(主祭神)・12月23日(配祀神))
ともに旧社格は別格官幣社で現在は神社本庁の別表神社に指定され、隣接地には山口県神社庁もある。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
豊榮神社
祭神
戦国時代に中国地方に覇を唱え後の長州藩毛利家の礎を築いた毛利元就を「毛利元就公」として祀る。
豊榮神社
所在地 山口県山口市天花1丁目1-1
位置 北緯34度11分19.7秒 東経131度28分50.8秒
主祭神 贈正一位毛利元就公
社格等 旧別格官幣社・別表神社
創建 宝暦12年(1762年)
本殿の様式 三間社流造銅板葺
例祭 10月1日
主な神事 御正祭(7月16日)
野田神社
祭神
長州藩最後の藩主で明治維新の功労者である毛利敬親を「毛利敬親公」として祀り、敬親の養嗣子の元徳を「毛利元徳公」として配祀する。
野田神社
所在地 山口県山口市天花1丁目1-2
位置 北緯34度11分18.7秒 東経131度28分49.4秒
主祭神 毛利敬親公
社格等 旧別格官幣社・別表神社
創建 明治6年(1873年)
本殿の様式 三間社流造銅板葺
例祭 3月5日
主な神事 御正祭(5月17日(主祭神)・12月23日(配祀神))
2024年04月10日
丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ、丹生都比賣神社)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある神社
丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ、丹生都比賣神社)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある神社。式内社(名神大社)、紀伊国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
別称として「天野大社」「天野四所明神」とも。全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社である。「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている。
境内(正面に楼門:重要文化財)
祭神
祭神は次の4柱。これら4神は「四所明神」とも総称される。
第一殿:丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)
通称「丹生明神」。古くより祀られていた神。
第二殿:高野御子大神(たかのみこのおおかみ)
通称「狩場明神」。高野山開創と関係する神。
第三殿:大食津比売大神(おおげつひめのおおかみ)
通称「気比明神」。承元2年(1208年)に氣比神宮(福井県敦賀市)からの勧請と伝える。
第四殿:市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)
通称「厳島明神」。第三殿と同年に厳島神社(広島県廿日市市)からの勧請と伝える。
本殿(国の重要文化財)右から第一殿・第二殿・第三殿
現地情報
所在地
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
交通アクセス
西日本旅客鉄道(JR西日本)和歌山線 笠田駅から
バス:かつらぎ町コミュニティバス(天野コース、丹生都比売神社行)で終点「丹生都比売神社」バス停下車すぐ。 所要約30分、1日6往復運行。
タクシー:約15分
外鳥居
位置 北緯34度15分45.8秒 東経135度31分19.2秒
主祭神 丹生都比売大神
高野御子大神
大食津比売大神
市杵島比売大神
社格等 式内社(名神大)
紀伊国一宮
旧官幣大社
別表神社
本殿の様式 一間社春日造4棟
別名 天野大社
札所等 神仏霊場巡拝の道第12番(和歌山第12番)
例祭 10月16日
主な神事 御田祭(1月第3日曜日)
花盛祭(4月第2日曜日)
別称として「天野大社」「天野四所明神」とも。全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社である。「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている。
境内(正面に楼門:重要文化財)
祭神
祭神は次の4柱。これら4神は「四所明神」とも総称される。
第一殿:丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)
通称「丹生明神」。古くより祀られていた神。
第二殿:高野御子大神(たかのみこのおおかみ)
通称「狩場明神」。高野山開創と関係する神。
第三殿:大食津比売大神(おおげつひめのおおかみ)
通称「気比明神」。承元2年(1208年)に氣比神宮(福井県敦賀市)からの勧請と伝える。
第四殿:市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)
通称「厳島明神」。第三殿と同年に厳島神社(広島県廿日市市)からの勧請と伝える。
本殿(国の重要文化財)右から第一殿・第二殿・第三殿
現地情報
所在地
和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
交通アクセス
西日本旅客鉄道(JR西日本)和歌山線 笠田駅から
バス:かつらぎ町コミュニティバス(天野コース、丹生都比売神社行)で終点「丹生都比売神社」バス停下車すぐ。 所要約30分、1日6往復運行。
タクシー:約15分
外鳥居
位置 北緯34度15分45.8秒 東経135度31分19.2秒
主祭神 丹生都比売大神
高野御子大神
大食津比売大神
市杵島比売大神
社格等 式内社(名神大)
紀伊国一宮
旧官幣大社
別表神社
本殿の様式 一間社春日造4棟
別名 天野大社
札所等 神仏霊場巡拝の道第12番(和歌山第12番)
例祭 10月16日
主な神事 御田祭(1月第3日曜日)
花盛祭(4月第2日曜日)
2024年04月09日
真光寺(しんこうじ)は岡山県備前市にある高野山真言宗の寺院
真光寺(しんこうじ)は岡山県備前市にある高野山真言宗の寺院。山号は御瀧山(おたきさん)。本尊は阿弥陀如来。
真光寺本堂(日本国指定の重要文化財)
文化財
重要文化財(国指定)
本堂:棟札には永正13年(1516年)の銘があるが、寺伝では応永年間(1394年〜1428年)に再建されたとある。永正13年(1516年)に修理増築された。昭和28年(1953年)11月14日重要文化財指定。
三重塔:室町時代中期に建造されたものといわれる。元来は瀬戸内市牛窓町の蓮華頂寺にあったものを慶長18年(1613年)に移築した。昭和28年(1953年)11月14日重要文化財指定。
三重塔(重要文化財)
アクセス
JR赤穂線 西片上駅にて下車、徒歩5分
所在地 岡山県備前市西片上1513
位置 北緯34度44分41.4秒 東経134度10分49.1秒
山号 御瀧山
宗派 高野山真言宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 伝・天平11年(739年)
開基 伝・行基
札所等 和気郡八十八箇所5番
備前四十八箇寺
文化財 本堂、三重塔(重要文化財)
仁王門(市文化財)
真光寺本堂(日本国指定の重要文化財)
文化財
重要文化財(国指定)
本堂:棟札には永正13年(1516年)の銘があるが、寺伝では応永年間(1394年〜1428年)に再建されたとある。永正13年(1516年)に修理増築された。昭和28年(1953年)11月14日重要文化財指定。
三重塔:室町時代中期に建造されたものといわれる。元来は瀬戸内市牛窓町の蓮華頂寺にあったものを慶長18年(1613年)に移築した。昭和28年(1953年)11月14日重要文化財指定。
三重塔(重要文化財)
アクセス
JR赤穂線 西片上駅にて下車、徒歩5分
所在地 岡山県備前市西片上1513
位置 北緯34度44分41.4秒 東経134度10分49.1秒
山号 御瀧山
宗派 高野山真言宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 伝・天平11年(739年)
開基 伝・行基
札所等 和気郡八十八箇所5番
備前四十八箇寺
文化財 本堂、三重塔(重要文化財)
仁王門(市文化財)
2024年04月08日
道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)は、大阪府藤井寺市道明寺にある神社
道明寺天満宮(どうみょうじてんまんぐう)は、大阪府藤井寺市道明寺にある神社。旧社格は郷社。境内には80種800本の梅の木があり、梅の名所として知られているとともに大阪みどりの百選に選定されている。
道明寺天満宮 拝殿
祭神
菅原道真公(すがはらみちざねこう)
天穂日命(あめのほひのみこと)
覚寿尼公(かくじゅにこう)- 菅原道真公のおばに当たる人物。
神門
境内
本殿 - 安土桃山時代の再建。檜皮葺。
幣殿 - 延享2年(1745年)再建。檜皮葺。
拝殿 - 延享2年(1745年)再建。檜皮葺。
能楽殿 - 文化12年(1815年)築。大阪府下最古の能楽殿。
絵馬堂 - 寛政8年(1796年)再建。現在は休憩所となっている。
神牛舎
幕内・花ノ国の手形の碑
宝物館 - 1902年(明治35年)に菅原道真公壱千年祭の記念事業として建設され、伝来の神宝等約200点を収蔵・展示している。開館日は、1月1 - 3日・1月25日・2月25日・3月25日、梅祭り期間中の土日祝日、釋奠の日と限定されており、それ以外は予約制となっている。
修羅 - 展示している修羅は、1978年(昭和53年)に三ツ塚古墳(道明寺6丁目)の出土品を西岡常一ら宮大工の手で復元したもの。この修羅は同年9月3日に朝日新聞社や考古学などの専門家によって、市内の大和川河川敷で巨石を乗せて牽引する実証実験に使われた。
大成殿(孔子廟) - 祭神:孔子、孔門十哲。1901年(明治34年)築。孔子像は小野篁の作だとされる。かつて下野国の足利学校に、次いで高松藩の藩校にあったもの。
梅園
皇居遥拝所 - 1913年(大正2年)築。
天寿殿 - 社務所。
明治天皇行在所の碑
庭園
筆塚
土俵 - 菅原道真の先祖が相撲の祖・野見宿祢であることから土俵が置かれている。
神門 - 三井八郎右衛門奉納。
夏水井
登り窯 - 2017年(平成29年)5月に復元。
境外
五重塔跡 - 礎石が残る。境内の南にある。
狛犬
現地情報
所在地
大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
交通アクセス
鉄道:近鉄南大阪線道明寺駅下車後、徒歩約3分(西へ約350m)
位置 北緯34度34分9.5秒 東経135度37分3.4秒
主祭神 菅原道真
天穂日命
覚寿尼
社格等 旧郷社
創建 垂仁天皇32年
別名 土師神社
札所等 菅公聖蹟二十五拝第8番
神仏霊場巡拝の道第58番(大阪第17番)
例祭 梅花祭(2月25日)
主な神事 初天神うそかえ祭(1月25日)
菜種御供大祭(3月25日)
道明寺天満宮 拝殿
祭神
菅原道真公(すがはらみちざねこう)
天穂日命(あめのほひのみこと)
覚寿尼公(かくじゅにこう)- 菅原道真公のおばに当たる人物。
神門
境内
本殿 - 安土桃山時代の再建。檜皮葺。
幣殿 - 延享2年(1745年)再建。檜皮葺。
拝殿 - 延享2年(1745年)再建。檜皮葺。
能楽殿 - 文化12年(1815年)築。大阪府下最古の能楽殿。
絵馬堂 - 寛政8年(1796年)再建。現在は休憩所となっている。
神牛舎
幕内・花ノ国の手形の碑
宝物館 - 1902年(明治35年)に菅原道真公壱千年祭の記念事業として建設され、伝来の神宝等約200点を収蔵・展示している。開館日は、1月1 - 3日・1月25日・2月25日・3月25日、梅祭り期間中の土日祝日、釋奠の日と限定されており、それ以外は予約制となっている。
修羅 - 展示している修羅は、1978年(昭和53年)に三ツ塚古墳(道明寺6丁目)の出土品を西岡常一ら宮大工の手で復元したもの。この修羅は同年9月3日に朝日新聞社や考古学などの専門家によって、市内の大和川河川敷で巨石を乗せて牽引する実証実験に使われた。
大成殿(孔子廟) - 祭神:孔子、孔門十哲。1901年(明治34年)築。孔子像は小野篁の作だとされる。かつて下野国の足利学校に、次いで高松藩の藩校にあったもの。
梅園
皇居遥拝所 - 1913年(大正2年)築。
天寿殿 - 社務所。
明治天皇行在所の碑
庭園
筆塚
土俵 - 菅原道真の先祖が相撲の祖・野見宿祢であることから土俵が置かれている。
神門 - 三井八郎右衛門奉納。
夏水井
登り窯 - 2017年(平成29年)5月に復元。
境外
五重塔跡 - 礎石が残る。境内の南にある。
狛犬
現地情報
所在地
大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
交通アクセス
鉄道:近鉄南大阪線道明寺駅下車後、徒歩約3分(西へ約350m)
位置 北緯34度34分9.5秒 東経135度37分3.4秒
主祭神 菅原道真
天穂日命
覚寿尼
社格等 旧郷社
創建 垂仁天皇32年
別名 土師神社
札所等 菅公聖蹟二十五拝第8番
神仏霊場巡拝の道第58番(大阪第17番)
例祭 梅花祭(2月25日)
主な神事 初天神うそかえ祭(1月25日)
菜種御供大祭(3月25日)
2024年04月07日
草野本家(くさのほんけ)は、大分県日田市豆田町にある歴史的建造物(旧商家)
草野本家(くさのほんけ)は、大分県日田市豆田町にある歴史的建造物(旧商家)である。
概要
草野本家は、幕府直轄領日田の商家町で、居蔵造の屋敷が並ぶ豆田町の南西部、「御幸の辻」と通称するクランク道路の正面に位置する。商標をカクジュウ(田)と定める旧精蝋店である。屋号は枡屋。傍ら、掛屋として公益に勤めた。現在の当主は開業から20代目である。
日本の雛祭りイベントの発祥の地ともいわれる。
歴史
草野家の祖は、筑後竹井城主草野三郎蔵人永経であるという。その子、永平は筑後国在国司、押領使に任ぜられ、以来1587年家清の代まで耳納山発心城(福岡県久留米市草野町)に居城し、草野郷を治めた。
天正14年(1586年)の秀吉の島津氏討伐の際、龍造寺氏勢に参加するも敗退し日田に落ちて帰農し、寛永18年(1641年)豆田魚町に移住。元禄元年(1688年)に現在の場所に精蝋を業として屋敷と店舗を構えたという。
文化財
草野本家の建造物のうち主屋など4棟とその敷地は2009年12月、「草野家住宅(大分県日田市豆田町)」の名称で国の重要文化財に指定された。指定物件は以下のとおりである。
主屋
座敷蔵
北蔵
隠宅蔵
附:家具蔵
附:井戸屋形
土地 1,599.63平方メートル
主屋は居蔵造と呼ばれる塗籠の防火建築で、玄関部、店舗部、隠宅部、客間部、新座敷部、仏間部からなる、複雑な平面をもつ建築である。このうち最も古い部分は仏間部で、江戸時代中期の享保10年(1725年)頃に造られたとも言われており、県内最古の商家である。主屋のその他の部分は安永元年(1772年)の豆田町の大火の後、江戸時代後期から明治時代初期にかけて順次建て増しされたものである。元は敷地の北部が本家、南側が分家であったが、18世紀末に本家が廃絶した後、両方の屋敷が一体化されている。付属建物の中では座敷蔵は瓦に享保16年(1731年)の銘があり、建築年代が明らかである。
なお、草野本家を含む豆田町一帯の10.7ヘクタールは、2004年12月、「日田市豆田町伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
所在地 大分県日田市豆田町11-4
位置 北緯33度19分34.9秒 東経130度56分8.2秒
類型 商家
形式・構造 (主屋)木造、居蔵造 、切妻造、瓦葺
建築年 享保10年(1725年)頃
文化財 国の重要文化財
所在施設・区域 豆田町
概要
草野本家は、幕府直轄領日田の商家町で、居蔵造の屋敷が並ぶ豆田町の南西部、「御幸の辻」と通称するクランク道路の正面に位置する。商標をカクジュウ(田)と定める旧精蝋店である。屋号は枡屋。傍ら、掛屋として公益に勤めた。現在の当主は開業から20代目である。
日本の雛祭りイベントの発祥の地ともいわれる。
歴史
草野家の祖は、筑後竹井城主草野三郎蔵人永経であるという。その子、永平は筑後国在国司、押領使に任ぜられ、以来1587年家清の代まで耳納山発心城(福岡県久留米市草野町)に居城し、草野郷を治めた。
天正14年(1586年)の秀吉の島津氏討伐の際、龍造寺氏勢に参加するも敗退し日田に落ちて帰農し、寛永18年(1641年)豆田魚町に移住。元禄元年(1688年)に現在の場所に精蝋を業として屋敷と店舗を構えたという。
文化財
草野本家の建造物のうち主屋など4棟とその敷地は2009年12月、「草野家住宅(大分県日田市豆田町)」の名称で国の重要文化財に指定された。指定物件は以下のとおりである。
主屋
座敷蔵
北蔵
隠宅蔵
附:家具蔵
附:井戸屋形
土地 1,599.63平方メートル
主屋は居蔵造と呼ばれる塗籠の防火建築で、玄関部、店舗部、隠宅部、客間部、新座敷部、仏間部からなる、複雑な平面をもつ建築である。このうち最も古い部分は仏間部で、江戸時代中期の享保10年(1725年)頃に造られたとも言われており、県内最古の商家である。主屋のその他の部分は安永元年(1772年)の豆田町の大火の後、江戸時代後期から明治時代初期にかけて順次建て増しされたものである。元は敷地の北部が本家、南側が分家であったが、18世紀末に本家が廃絶した後、両方の屋敷が一体化されている。付属建物の中では座敷蔵は瓦に享保16年(1731年)の銘があり、建築年代が明らかである。
なお、草野本家を含む豆田町一帯の10.7ヘクタールは、2004年12月、「日田市豆田町伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
所在地 大分県日田市豆田町11-4
位置 北緯33度19分34.9秒 東経130度56分8.2秒
類型 商家
形式・構造 (主屋)木造、居蔵造 、切妻造、瓦葺
建築年 享保10年(1725年)頃
文化財 国の重要文化財
所在施設・区域 豆田町