氣比神宮(けひじんぐう、気比神宮)は、福井県敦賀市曙町にある神社。式内社(名神大社)、越前国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
祭神
祭神は次の7柱。本殿(本宮)に主祭神と2柱、本宮周囲の四社の宮(ししゃのみや)にそれぞれ1柱を祀る。
本殿(本宮)
伊奢沙別命(いざさわけのみこと) - 主祭神。「気比大神」または「御食津大神」とも称される。
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう) - 第14代天皇。
神功皇后(じんぐうこうごう) - 仲哀天皇の皇后。
四社の宮
東殿宮:日本武尊(やまとたけるのみこと)
総社宮:応神天皇(おうじんてんのう) - 第15代天皇。
平殿宮:玉姫命(たまひめのみこと、玉妃命) - 『気比宮社記』では神功皇后の妹の虚空津比売命とする。
西殿宮:武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)
祭神を7柱とする記載は、古くは『延喜式』神名帳に見える。『気比宮社記』によれば、当初の祭神は伊奢沙別命1柱であったが、大宝2年(702年)の社殿造営にあたって仲哀天皇・神功皇后を本宮に合祀、周囲に日本武尊ほか4柱を配祀したとする。
現地情報
所在地
福井県敦賀市曙町11-68
交通アクセス
鉄道:西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線・小浜線 敦賀駅
徒歩:約15分
バス:福鉄バスまたは敦賀市コミュニティバスで「気比神宮前」停留所下車、徒歩約2分。
位置 北緯35度39分17.85秒 東経136度4分28.92秒
主祭神 伊奢沙別命
社格等 式内社(名神大7座)
越前国一宮
旧官幣大社
別表神社
創建 (伝)第14代仲哀天皇8年(創祀は上古)
別名 笥飯宮・笥飯大神宮
例祭 9月4日
主な神事 御誓祭(3月6日)
御名易祭(3月8日)
御田植祭(6月15日)
牛腸祭(6月16日)
総参祭(7月22日)
気比の長祭(9月2日-15日)
2024年04月27日
2024年04月25日
根尾神所春日神社は岐阜県本巣市根尾神所にある武御雷命ほか四柱を祀る春日神社
根尾神所春日神社は岐阜県本巣市根尾神所にある武御雷命ほか四柱を祀る春日神社。根尾谷合の惣社にして旧郷社。所蔵する能装束が日本国により重要文化財に指定されている。
延喜2年(902年)に醍醐天皇の皇子が根尾に流罪となった際に、家臣の川口平馬尉がその傷心を慰めるために故郷の春日大社から勧請して祀ったのが始まりとされる。後にこの皇子の子孫は根尾、徳山の領主となって根尾氏を称した。元亀年間に暴風により倒壊したが、根尾氏に再建された。その後根尾氏は滅びて社運が傾いたが、元禄13年(1700年)に領主の戸田氏により再建された。 神社裏手の山が三笠山と呼ばれるほか、かつて境内にあった池が猿沢池と称していたなど、奈良の地名にちなんで地形が名付けられていた。
神宝のうち、安土桃山時代のものとみられる紺地白鷺文繍狩衣、紅地牡丹唐草文黄緞狩衣、茶海気狩衣ならびに白地草花文描絵角帽子2点の能装束が1986年6月6日に重要文化財に指定された。2023年現在、これらは岐阜県博物館に寄託されている。これに加えて室町時代から江戸時代にかけての能面が残されており、こちらは市指定の文化財となっている。また永和4年(1378年)の大般若経、鎌倉時代から室町時代にかけての銅造懸仏、元亀4年(1573年)の銅造鰐口、室町時代の鍍金鋳造仏像が廃仏毀釈を免れて現在まで残り、本巣市の文化財に指定されている。さらに、境内にある大フジは根尾入道(南朝方の武将)が植えたと伝わり、春日神社の大フジとして本巣市の天然記念物に指定されている。
所在地 岐阜県本巣市根尾神所550-1
位置 北緯35度38分29.5秒 東経136度36分23.0秒
主祭神 建御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比売神
社格等 旧郷社
創建 延喜2年(902年)
例祭 4月14日、4月15日
延喜2年(902年)に醍醐天皇の皇子が根尾に流罪となった際に、家臣の川口平馬尉がその傷心を慰めるために故郷の春日大社から勧請して祀ったのが始まりとされる。後にこの皇子の子孫は根尾、徳山の領主となって根尾氏を称した。元亀年間に暴風により倒壊したが、根尾氏に再建された。その後根尾氏は滅びて社運が傾いたが、元禄13年(1700年)に領主の戸田氏により再建された。 神社裏手の山が三笠山と呼ばれるほか、かつて境内にあった池が猿沢池と称していたなど、奈良の地名にちなんで地形が名付けられていた。
神宝のうち、安土桃山時代のものとみられる紺地白鷺文繍狩衣、紅地牡丹唐草文黄緞狩衣、茶海気狩衣ならびに白地草花文描絵角帽子2点の能装束が1986年6月6日に重要文化財に指定された。2023年現在、これらは岐阜県博物館に寄託されている。これに加えて室町時代から江戸時代にかけての能面が残されており、こちらは市指定の文化財となっている。また永和4年(1378年)の大般若経、鎌倉時代から室町時代にかけての銅造懸仏、元亀4年(1573年)の銅造鰐口、室町時代の鍍金鋳造仏像が廃仏毀釈を免れて現在まで残り、本巣市の文化財に指定されている。さらに、境内にある大フジは根尾入道(南朝方の武将)が植えたと伝わり、春日神社の大フジとして本巣市の天然記念物に指定されている。
所在地 岐阜県本巣市根尾神所550-1
位置 北緯35度38分29.5秒 東経136度36分23.0秒
主祭神 建御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比売神
社格等 旧郷社
創建 延喜2年(902年)
例祭 4月14日、4月15日
2024年04月24日
荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある菅原道真を祀る神社
荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある菅原道真を祀る神社。鶴岡八幡宮の東方に位置し、鎌倉と神奈川県横浜市金沢区六浦を結ぶ金沢街道に参道が接続し、参道入口から300mほど入った小台地にある。
鎌倉時代初期より鎌倉幕府との関わりが記録に見え、武家政権の守護神として、鶴岡八幡宮とともに信仰された神社である。関東を中心に茨城県、千葉県、埼玉県に数社の分祠、愛知県に2社、広島県に1社の分祠がある。境内から南西約200mに、源頼朝が鎌倉に入り邸を構え幕府を開いたとされる大倉御所があり、谷を挟さんで約300m西側の丘陵には史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)がある。
境内
拝殿・幣殿 - 1923年の関東大震災で損壊し、1936年(昭和11年)の本殿修理のさいに再建された。
本殿 - 三間社流造、銅板葺き。元は鶴岡八幡宮若宮社の本殿であった。国の重要文化財。
手水舎
社務所
古札奉納所
御輿蔵
かっぱ筆塚 - 漫画家の清水崑が、鎌倉に在住して以来の神縁を感謝し、自ら愛用した絵筆を納めている。表側に清水崑作の大きな筆を担いだ河童の絵、裏側には川端康成の「かっぱ筆塚」の字が刻されている。
絵筆塚 - 横山隆一などの漫画家が建立し、154人の漫画家によるカッパのレリーフが付けられている絵筆塚。青銅製で高さ3.2m、直径1m、重さ800kg。
大銀杏 - 推定樹齢900年の大銀杏。社伝によると「天神画像」が天降った地を、踏まれないように銀杏を植えたと伝わる。
やぐら - 本殿向かって右の山肌に、二箇所の横穴のやぐらがあり内部で繋がっている(内部へは立ち入り禁止)。また、昭和時代までは天園ハイキングコースの入口があった。
所在地 神奈川県鎌倉市二階堂74
位置 北緯35度19分33.1秒 東経139度33分51.5秒
主祭神 菅原道真
社格等 旧村社
創建 長治元年(1104年)
本殿の様式 三間社流造
鎌倉時代初期より鎌倉幕府との関わりが記録に見え、武家政権の守護神として、鶴岡八幡宮とともに信仰された神社である。関東を中心に茨城県、千葉県、埼玉県に数社の分祠、愛知県に2社、広島県に1社の分祠がある。境内から南西約200mに、源頼朝が鎌倉に入り邸を構え幕府を開いたとされる大倉御所があり、谷を挟さんで約300m西側の丘陵には史跡法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)がある。
境内
拝殿・幣殿 - 1923年の関東大震災で損壊し、1936年(昭和11年)の本殿修理のさいに再建された。
本殿 - 三間社流造、銅板葺き。元は鶴岡八幡宮若宮社の本殿であった。国の重要文化財。
手水舎
社務所
古札奉納所
御輿蔵
かっぱ筆塚 - 漫画家の清水崑が、鎌倉に在住して以来の神縁を感謝し、自ら愛用した絵筆を納めている。表側に清水崑作の大きな筆を担いだ河童の絵、裏側には川端康成の「かっぱ筆塚」の字が刻されている。
絵筆塚 - 横山隆一などの漫画家が建立し、154人の漫画家によるカッパのレリーフが付けられている絵筆塚。青銅製で高さ3.2m、直径1m、重さ800kg。
大銀杏 - 推定樹齢900年の大銀杏。社伝によると「天神画像」が天降った地を、踏まれないように銀杏を植えたと伝わる。
やぐら - 本殿向かって右の山肌に、二箇所の横穴のやぐらがあり内部で繋がっている(内部へは立ち入り禁止)。また、昭和時代までは天園ハイキングコースの入口があった。
所在地 神奈川県鎌倉市二階堂74
位置 北緯35度19分33.1秒 東経139度33分51.5秒
主祭神 菅原道真
社格等 旧村社
創建 長治元年(1104年)
本殿の様式 三間社流造
2024年04月23日
荒平天神(あらひらてんじん)は鹿児島県鹿屋市天神町に位置する神社
荒平天神(あらひらてんじん)は鹿児島県鹿屋市天神町に位置する神社。正式な名称は菅原神社(すがわらじんじゃ)だが、通称の方が広く知られている。
概要
祭神は菅原道真公で旧社格は無格社。創建年代は不明だが、一説に天文年間(1532年 - 1555年)と伝えられており、昔から地元住民の崇敬が篤く毎月25日は縁日として多くの参拝者が訪れる。
県道68号線沿いにあって、海岸から海に突き出した岩山に建立されており、満潮時に海に浮かぶその様子から岩山は「天神島」とも呼ばれる。神社とその風景は「鹿屋八景」にも選ばれており、周囲を含めて風光明媚な場所となっている。
交通
桜島のフェリーターミナル(桜島港)から国道224号・国道220号を経て県道68号、車で約1時間。
所在地 鹿児島県鹿屋市天神町4014
位置 北緯31度22分46.5秒 東経130度46分38.7秒
主祭神 菅原道真
社格等 無格社
創建 天文年間
別名 荒平天神
例祭 10月25日
概要
祭神は菅原道真公で旧社格は無格社。創建年代は不明だが、一説に天文年間(1532年 - 1555年)と伝えられており、昔から地元住民の崇敬が篤く毎月25日は縁日として多くの参拝者が訪れる。
県道68号線沿いにあって、海岸から海に突き出した岩山に建立されており、満潮時に海に浮かぶその様子から岩山は「天神島」とも呼ばれる。神社とその風景は「鹿屋八景」にも選ばれており、周囲を含めて風光明媚な場所となっている。
交通
桜島のフェリーターミナル(桜島港)から国道224号・国道220号を経て県道68号、車で約1時間。
所在地 鹿児島県鹿屋市天神町4014
位置 北緯31度22分46.5秒 東経130度46分38.7秒
主祭神 菅原道真
社格等 無格社
創建 天文年間
別名 荒平天神
例祭 10月25日
2024年04月22日
旧シャープ住宅(きゅうしゃーぷじゅうたく)は兵庫県神戸市中央区の北野町にある異人館
旧シャープ住宅(きゅうしゃーぷじゅうたく)は兵庫県神戸市中央区の北野町にある異人館。「萌黄の館」の名でも知られている。1980年12月18日に国の重要文化財指定を受けた。
著名な風見鶏の館の西に位置する建物は、風見鶏の館の重厚なネオ・バロック様式に対し、軽快な典型的コロニアル様式の2階建て建築である。装飾の基本はバロック様式で、2つの異るデザインのベイ・ウインドーやモザイク装飾の階段など随所に贅沢な意匠が見られ、また日本の様式も散見される。
歴史
アメリカ合衆国総領事ハンター・シャープ(Hunter Sharp)の邸宅として1903年に建てられたこの西洋館は、A.N.ハンセルの設計といわれている。その後ドイツ人から1944年小林秀雄(神戸電鉄社長)が取得して1978年まで居住していた。そのため1980年に「小林家住宅(旧シャープ住宅)」という名称で重要文化財に指定された。なお、建物だけでなく宅地803.6平方メートルも併せて重要文化財の指定を受けている。
この建物はその色から「白い異人館」と呼ばれていたが1989年に、1987年からの半解体修理で明らかになった創建時の外壁の色"萌黄色"に変更され、以後愛称は「萌黄の館」となった。
1995年の阪神・淡路大震災では3本の煙突がすべて崩落し外壁に亀裂が生じるなどの大きな被害を受けたが、1年をかけて復旧された。庭園の一角には落下した煙突がそのままの姿で展示されている。
利用情報
休館日― 毎月第2水曜日
開館時間
4月〜11月― 9:00〜18:00
12月〜3月― 9:30〜17:00
交通アクセス
山陽新幹線・神戸市営地下鉄(山手線・北神線)新神戸駅徒歩10分
JR神戸線(東海道本線)三ノ宮駅徒歩15分
阪急電鉄(神戸本線・神戸高速線)神戸三宮駅徒歩15分
阪神本線神戸三宮駅徒歩15分
神戸市営地下鉄山手線三宮駅徒歩15分
神戸市営地下鉄海岸線(夢かもめ)三宮・花時計前駅徒歩15分
ポートライナー三宮駅徒歩15分
所在地 兵庫県神戸市中央区北野町3-10-11
位置 北緯34度42分03.52秒 東経135度11分21.32秒
類型 西洋館
形式・構造 木造2階建、寄棟造、桟瓦葺、上下窓鎧戸付
敷地面積 803.66m2
延床面積 383.34m2
(1階192.91m2、2階190.43m2)
建築年 1903年(明治36年)
文化財 国の重要文化財(1980年指定)
著名な風見鶏の館の西に位置する建物は、風見鶏の館の重厚なネオ・バロック様式に対し、軽快な典型的コロニアル様式の2階建て建築である。装飾の基本はバロック様式で、2つの異るデザインのベイ・ウインドーやモザイク装飾の階段など随所に贅沢な意匠が見られ、また日本の様式も散見される。
歴史
アメリカ合衆国総領事ハンター・シャープ(Hunter Sharp)の邸宅として1903年に建てられたこの西洋館は、A.N.ハンセルの設計といわれている。その後ドイツ人から1944年小林秀雄(神戸電鉄社長)が取得して1978年まで居住していた。そのため1980年に「小林家住宅(旧シャープ住宅)」という名称で重要文化財に指定された。なお、建物だけでなく宅地803.6平方メートルも併せて重要文化財の指定を受けている。
この建物はその色から「白い異人館」と呼ばれていたが1989年に、1987年からの半解体修理で明らかになった創建時の外壁の色"萌黄色"に変更され、以後愛称は「萌黄の館」となった。
1995年の阪神・淡路大震災では3本の煙突がすべて崩落し外壁に亀裂が生じるなどの大きな被害を受けたが、1年をかけて復旧された。庭園の一角には落下した煙突がそのままの姿で展示されている。
利用情報
休館日― 毎月第2水曜日
開館時間
4月〜11月― 9:00〜18:00
12月〜3月― 9:30〜17:00
交通アクセス
山陽新幹線・神戸市営地下鉄(山手線・北神線)新神戸駅徒歩10分
JR神戸線(東海道本線)三ノ宮駅徒歩15分
阪急電鉄(神戸本線・神戸高速線)神戸三宮駅徒歩15分
阪神本線神戸三宮駅徒歩15分
神戸市営地下鉄山手線三宮駅徒歩15分
神戸市営地下鉄海岸線(夢かもめ)三宮・花時計前駅徒歩15分
ポートライナー三宮駅徒歩15分
所在地 兵庫県神戸市中央区北野町3-10-11
位置 北緯34度42分03.52秒 東経135度11分21.32秒
類型 西洋館
形式・構造 木造2階建、寄棟造、桟瓦葺、上下窓鎧戸付
敷地面積 803.66m2
延床面積 383.34m2
(1階192.91m2、2階190.43m2)
建築年 1903年(明治36年)
文化財 国の重要文化財(1980年指定)
2024年04月21日
吉備津神社(きびつじんじゃ)は、広島県福山市新市町宮内にある神社
吉備津神社(きびつじんじゃ)は、広島県福山市新市町宮内にある神社。備後国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
地元では「一宮さん(いっきゅうさん)」と通称される。
本殿(国の重要文化財)
祭神
祭神は次の4柱。
主祭神
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
第7代孝霊天皇の第三皇子。崇神天皇10年に四道将軍の1人として山陽道に派遣され吉備を平定した。
相殿神
大日本根子彦太瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと) - 第7代孝霊天皇(大吉備津彦命の父)を指す。
細比売命(くわしひめのみこと) - 孝霊天皇皇后(大吉備津彦命の生母ではない)。
稚武吉備津彦命(わかたけきびつひこのみこと) - 大吉備津彦命の弟。兄とともに吉備の平定に携わったとされる。
祭神は、吉備分国に関連して備中国一宮の吉備津神社から分祀されたことに由来する。
境内
本殿
江戸時代の慶安元年(1648年)、水野勝成による造営。桁行七間、梁間四間の入母屋造檜皮葺。国の重要文化財に指定されている。
拝殿
本殿とともに慶安元年(1648年)の造営。本殿の下段に建てられている。福山市指定文化財に指定されている
神楽殿
江戸時代、寛文13年(1673年)の造営。拝殿の下段に建てられている。桁行二間、梁間一間の高床の舞台に入母屋造妻入で屋根が設けられている。屋根は古くは檜皮葺であったが、現在は銅板葺。広島県指定文化財に指定されている。
上随神門
神楽殿の前に建てられている。社伝によると、10月の神無月には全国の神が出雲に集まるが、ここの大吉備津彦命のみが欠席した。そこで出雲から2人の使者が吉備津神社へ派遣されたが、2人は歓待を受けそのまま吉備津神社の親衛の門守として仕えることとなった。そのため上下の随神門が作られたとされる。
下随神門
鳥居を入ってすぐに建てられている八脚門。福山市指定文化財に指定されている。
大鳥居
慶安元年(1648年)造営の明神鳥居。額には「吉備津一宮」と記されている。福山市指定文化財に指定されている。
六角燈籠
本殿前左右に建てられている。水野勝成が本殿再興を記念して設置した。福山市指定文化財に指定されている。
イチョウ
梛
神池 - 神楽殿横にある池。
御池 - 鳥居を出て県道を越えた先に広がる池。
現地情報
所在地
広島県福山市新市町宮内400
交通アクセス
鉄道:西日本旅客鉄道(JR西日本)福塩線 新市駅 (徒歩約25分)
位置 北緯34度34分9.61秒 東経133度16分15.85秒
主祭神 大吉備津彦命
社格等 備後国一宮
旧国幣小社
別表神社
創建 (伝)大同元年(806年)
本殿の様式 入母屋造
例祭 11月23日前後
地元では「一宮さん(いっきゅうさん)」と通称される。
本殿(国の重要文化財)
祭神
祭神は次の4柱。
主祭神
大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)
第7代孝霊天皇の第三皇子。崇神天皇10年に四道将軍の1人として山陽道に派遣され吉備を平定した。
相殿神
大日本根子彦太瓊命(おおやまとねこひこふとにのみこと) - 第7代孝霊天皇(大吉備津彦命の父)を指す。
細比売命(くわしひめのみこと) - 孝霊天皇皇后(大吉備津彦命の生母ではない)。
稚武吉備津彦命(わかたけきびつひこのみこと) - 大吉備津彦命の弟。兄とともに吉備の平定に携わったとされる。
祭神は、吉備分国に関連して備中国一宮の吉備津神社から分祀されたことに由来する。
境内
本殿
江戸時代の慶安元年(1648年)、水野勝成による造営。桁行七間、梁間四間の入母屋造檜皮葺。国の重要文化財に指定されている。
拝殿
本殿とともに慶安元年(1648年)の造営。本殿の下段に建てられている。福山市指定文化財に指定されている
神楽殿
江戸時代、寛文13年(1673年)の造営。拝殿の下段に建てられている。桁行二間、梁間一間の高床の舞台に入母屋造妻入で屋根が設けられている。屋根は古くは檜皮葺であったが、現在は銅板葺。広島県指定文化財に指定されている。
上随神門
神楽殿の前に建てられている。社伝によると、10月の神無月には全国の神が出雲に集まるが、ここの大吉備津彦命のみが欠席した。そこで出雲から2人の使者が吉備津神社へ派遣されたが、2人は歓待を受けそのまま吉備津神社の親衛の門守として仕えることとなった。そのため上下の随神門が作られたとされる。
下随神門
鳥居を入ってすぐに建てられている八脚門。福山市指定文化財に指定されている。
大鳥居
慶安元年(1648年)造営の明神鳥居。額には「吉備津一宮」と記されている。福山市指定文化財に指定されている。
六角燈籠
本殿前左右に建てられている。水野勝成が本殿再興を記念して設置した。福山市指定文化財に指定されている。
イチョウ
梛
神池 - 神楽殿横にある池。
御池 - 鳥居を出て県道を越えた先に広がる池。
現地情報
所在地
広島県福山市新市町宮内400
交通アクセス
鉄道:西日本旅客鉄道(JR西日本)福塩線 新市駅 (徒歩約25分)
位置 北緯34度34分9.61秒 東経133度16分15.85秒
主祭神 大吉備津彦命
社格等 備後国一宮
旧国幣小社
別表神社
創建 (伝)大同元年(806年)
本殿の様式 入母屋造
例祭 11月23日前後
2024年04月20日
志度寺(しどじ/しどうじ)は、香川県さぬき市志度にある真言宗善通寺派の寺院
志度寺(しどじ/しどうじ)は、香川県さぬき市志度にある真言宗善通寺派の寺院。補陀洛山(ふだらくさん) 、清浄光院(せいじょうこういん)と号す。本尊は十一面観音菩薩。四国八十八箇所第八十六番札所。
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:いざさらば今宵はここに志度の寺 祈りのこえを耳にふれつつ
納経印:当寺本尊、閻魔大王
概要
藤原不比等に関わる伝説は謡曲『海人』で知られる「海女の玉取り伝説」が伝えられており、境内には「海女の墓」が五輪塔群として現存する。また、浄瑠璃の『花上野誉の石碑』(志渡寺の段/しどうじのだん)などの舞台にもなっている。 また、江戸時代、当地の出身の平賀源内を長崎に遊学させるため、当時の住職が尽力したという。本堂の背後で境内の北は志度湾で瀬戸内海が広がり、ひとつ前の札所である八栗寺のある五剣山と屋島が臨める。
伽藍
ここでは、参拝順路の順番に表示する。
山門(仁王門)- 仁王像を安置。
手水舎・鐘楼堂
五重塔 - 高さ33 m。1973年から着工され、1975年5月に落成。地元出身の実業家竹野二郎によって寄進された。本尊は胎蔵大日如来坐像。
奪衣婆堂 - 奪衣婆が拝観できる。脇侍は地蔵菩薩・太山府君
本堂 - 毎年、7月16日と17日午前中、本尊と脇仏の開帳をし堂内を見学できる。向かって右奥には凡薗子尼像が鎮座し、宮殿の背後には大きい阿弥陀如来図が直接描かれ、本堂奥の壁には伝持の八祖の掛け軸がかかっている。
大師堂 - 以前は中に入れたが、納経所が移動してからは外からの参拝となった。
三尊仏 - 阿弥陀・薬師・観音の金属製坐像。藩主松平頼重が切腹させた家来三人を祀る。
閻魔堂 - 十一面閻魔大王が鎮座。毎月17日開帳。
三社(祠)
薬師堂 - 薬師如来坐像を拝観できる。
松風塚・椎本芳室翁文塚 - 向かって左は渡辺桃源(俳号・三千舎みちのや)のもので、右は椎本芳室(しのもとほうしつ、俳号・甘泉庵)のもので、共に平賀源内(俳号・李山)を支えた。
書院 - 浄瑠璃『花上野誉の石碑』の舞台となった。
無染庭 - 枯山水庭園。細川勝元によって完成された。納経所の中からも眺めれる。
お辻の井戸 - 歌舞伎『花上野誉石碑』[注釈 1]に出てくるお辻が水垢離した井戸。無染庭の南側にあり。
曲水式庭園 - 室町時代、四国管領であった細川氏によって造成。
納経所
仁王門をくぐり、左側の2つ目の通路を行き手水舎と鐘楼堂の間を進むと五重塔の前に出る。その先にある奪衣婆堂を参拝後、右前に進むと本堂があり、その右に大師堂がある。大師堂を背に左に三尊仏があり、進むと閻魔堂がある、さらに進むと三社の祠を過ぎ薬師堂がある。右に曲がり左のピンク色の納骨堂を越えて左側の宝物館と書院の間を入って行くと右側に垣根に囲まれた無染庭があり前方に曲水式庭園が広がる。 無染庭の垣根に沿って右に進んだ先にお辻の井戸が前方にある。薬師堂前の参道に戻り、納経所は書院を過ぎて左手の白壁の蔵との間の小径を入って行くとある。
句碑 - 山頭火「月の黒鯛ぴんぴんはねるよ」が本堂の右前にある。
交通アクセス
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 高徳線 – 志度駅 (0.7 km)
琴電(ことでん) 志度線 – 琴電志度駅 (0.6 km)
バス
さぬき市コミュニティバス 「市役所前」下車 (0.7 km)
道路
一般道:国道11号 志度 (0.4 km)
自動車道:高松自動車道(高松東道路) 志度IC (2.3 km)
所在地 香川県さぬき市志度1102番地
位置 北緯34度19分27.5秒 東経134度10分46.7秒
山号 補陀洛山
院号 清浄光院
宗旨 古義真言宗
宗派 真言宗善通寺派
本尊 十一面観音菩薩
創建年 (伝)推古天皇33年(626年)
開基 (伝)尼凡薗子
正式名 補陀洛山清浄光院志度寺
札所等 四国八十八箇所86番
文化財
本堂、仁王門、木造十一面観世音菩薩両脇士立像ほか(国の重要文化財)
閻魔堂・奪衣婆堂、木造如来形坐像、木造金剛力士立像(県指定有形文化財)
絹本著色十一面観世音菩薩(市指定有形文化財)
生駒親正墓塔、海女の墓五輪塔群(市史跡)
本尊真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
ご詠歌:いざさらば今宵はここに志度の寺 祈りのこえを耳にふれつつ
納経印:当寺本尊、閻魔大王
概要
藤原不比等に関わる伝説は謡曲『海人』で知られる「海女の玉取り伝説」が伝えられており、境内には「海女の墓」が五輪塔群として現存する。また、浄瑠璃の『花上野誉の石碑』(志渡寺の段/しどうじのだん)などの舞台にもなっている。 また、江戸時代、当地の出身の平賀源内を長崎に遊学させるため、当時の住職が尽力したという。本堂の背後で境内の北は志度湾で瀬戸内海が広がり、ひとつ前の札所である八栗寺のある五剣山と屋島が臨める。
伽藍
ここでは、参拝順路の順番に表示する。
山門(仁王門)- 仁王像を安置。
手水舎・鐘楼堂
五重塔 - 高さ33 m。1973年から着工され、1975年5月に落成。地元出身の実業家竹野二郎によって寄進された。本尊は胎蔵大日如来坐像。
奪衣婆堂 - 奪衣婆が拝観できる。脇侍は地蔵菩薩・太山府君
本堂 - 毎年、7月16日と17日午前中、本尊と脇仏の開帳をし堂内を見学できる。向かって右奥には凡薗子尼像が鎮座し、宮殿の背後には大きい阿弥陀如来図が直接描かれ、本堂奥の壁には伝持の八祖の掛け軸がかかっている。
大師堂 - 以前は中に入れたが、納経所が移動してからは外からの参拝となった。
三尊仏 - 阿弥陀・薬師・観音の金属製坐像。藩主松平頼重が切腹させた家来三人を祀る。
閻魔堂 - 十一面閻魔大王が鎮座。毎月17日開帳。
三社(祠)
薬師堂 - 薬師如来坐像を拝観できる。
松風塚・椎本芳室翁文塚 - 向かって左は渡辺桃源(俳号・三千舎みちのや)のもので、右は椎本芳室(しのもとほうしつ、俳号・甘泉庵)のもので、共に平賀源内(俳号・李山)を支えた。
書院 - 浄瑠璃『花上野誉の石碑』の舞台となった。
無染庭 - 枯山水庭園。細川勝元によって完成された。納経所の中からも眺めれる。
お辻の井戸 - 歌舞伎『花上野誉石碑』[注釈 1]に出てくるお辻が水垢離した井戸。無染庭の南側にあり。
曲水式庭園 - 室町時代、四国管領であった細川氏によって造成。
納経所
仁王門をくぐり、左側の2つ目の通路を行き手水舎と鐘楼堂の間を進むと五重塔の前に出る。その先にある奪衣婆堂を参拝後、右前に進むと本堂があり、その右に大師堂がある。大師堂を背に左に三尊仏があり、進むと閻魔堂がある、さらに進むと三社の祠を過ぎ薬師堂がある。右に曲がり左のピンク色の納骨堂を越えて左側の宝物館と書院の間を入って行くと右側に垣根に囲まれた無染庭があり前方に曲水式庭園が広がる。 無染庭の垣根に沿って右に進んだ先にお辻の井戸が前方にある。薬師堂前の参道に戻り、納経所は書院を過ぎて左手の白壁の蔵との間の小径を入って行くとある。
句碑 - 山頭火「月の黒鯛ぴんぴんはねるよ」が本堂の右前にある。
交通アクセス
鉄道
四国旅客鉄道(JR四国) 高徳線 – 志度駅 (0.7 km)
琴電(ことでん) 志度線 – 琴電志度駅 (0.6 km)
バス
さぬき市コミュニティバス 「市役所前」下車 (0.7 km)
道路
一般道:国道11号 志度 (0.4 km)
自動車道:高松自動車道(高松東道路) 志度IC (2.3 km)
所在地 香川県さぬき市志度1102番地
位置 北緯34度19分27.5秒 東経134度10分46.7秒
山号 補陀洛山
院号 清浄光院
宗旨 古義真言宗
宗派 真言宗善通寺派
本尊 十一面観音菩薩
創建年 (伝)推古天皇33年(626年)
開基 (伝)尼凡薗子
正式名 補陀洛山清浄光院志度寺
札所等 四国八十八箇所86番
文化財
本堂、仁王門、木造十一面観世音菩薩両脇士立像ほか(国の重要文化財)
閻魔堂・奪衣婆堂、木造如来形坐像、木造金剛力士立像(県指定有形文化財)
絹本著色十一面観世音菩薩(市指定有形文化財)
生駒親正墓塔、海女の墓五輪塔群(市史跡)
2024年04月19日
喜宝院布教所(きほういんふきょうしょ)は、沖縄県八重山郡竹富町(竹富島)にある浄土真宗本願寺派の寺院
喜宝院布教所(きほういんふきょうしょ)は、沖縄県八重山郡竹富町(竹富島)にある浄土真宗本願寺派の寺院。日本最南端に位置する寺院である。1957年創建。
沿革
1949年に浄土真宗本願寺派竹富詰所長に任命され竹富島で布教を始めた初代住職・上勢頭亨が、1957年に開いた寺院である。
喜宝院蒐集館
寺院に併設されている喜宝院蒐集館(きほういんしゅうしゅうかん)は、上勢頭亨が少年時代から個人で蒐集していた竹富島の民芸品・生活用品を展示するため、1963年に開館した私設の民俗博物館である。
展示物は約4,000点にのぼり、このうち竹富島の伝統的生活用具842点が「竹富島の生活用具」として2007年1月19日、文化審議会から答申され、同年3月7日に登録有形民俗文化財に登録された。
展示物の中に方言札の現物や、税の徴収や記録のために用いられた藁算やカイダー字などの貴重な資料がある。
パナリ焼
サキシマスオウノキの舵
田鋤
所在地 沖縄県八重山郡竹富町字竹富109
位置 北緯24度19分54.0秒 東経124度5分3.5秒
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1957年
文化財 竹富島の生活用具842点
(登録有形民俗文化財
沿革
1949年に浄土真宗本願寺派竹富詰所長に任命され竹富島で布教を始めた初代住職・上勢頭亨が、1957年に開いた寺院である。
喜宝院蒐集館
寺院に併設されている喜宝院蒐集館(きほういんしゅうしゅうかん)は、上勢頭亨が少年時代から個人で蒐集していた竹富島の民芸品・生活用品を展示するため、1963年に開館した私設の民俗博物館である。
展示物は約4,000点にのぼり、このうち竹富島の伝統的生活用具842点が「竹富島の生活用具」として2007年1月19日、文化審議会から答申され、同年3月7日に登録有形民俗文化財に登録された。
展示物の中に方言札の現物や、税の徴収や記録のために用いられた藁算やカイダー字などの貴重な資料がある。
パナリ焼
サキシマスオウノキの舵
田鋤
所在地 沖縄県八重山郡竹富町字竹富109
位置 北緯24度19分54.0秒 東経124度5分3.5秒
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 1957年
文化財 竹富島の生活用具842点
(登録有形民俗文化財