前回予告していた今週末の土日は更新お休みする件について、土曜日は日中に山手線沿線にあるクリニックでうつ病治療と私用を一つこなして、そこから移動して夕方から夜にかけて友人と横浜で待ち合せなので丸一日バタバタします。記事にできそうなことなら後日アップします。
そして今日の本題はその翌日日曜日に行われる行事(?)について。
タイトルの結婚というのはくどいようですが私ではないですよ(笑)一生私には縁のないことだと思うので。
先月辺りに弟が結婚を前提に付き合っている彼女を初めて我が家に連れてきた話はしたかと思います。それから進展したのか、一ヶ月が経ち今週の日曜日にまた二人で今度は正式に結婚のための挨拶で来るという連絡がありました。
ずっと前から告知は受けていたから驚かないけど、ファーストコンタクトから一か月後に正式な挨拶というのはスピーディーな気がします。
こんな時にうちの両親は落ち着きが保てないようで、
親父は「嫁に来てもらうなら結納でこちらから相手のご実家に挨拶に行くのが筋だろう?あれ彼女の実家どこだっけ?」
はぁ〜親父殿この前彼女から直接聞いたじゃないですか…京都のある程度具体的な地名も言ってましたよと…
両親は学生時代の修学旅行以来京都に行っていないらしく土地勘はゼロ。訪問するとしてもたどり着くか心配です。
かくいう私は京都くらいの距離ならほぼ毎年のように散歩感覚で東京から行きますが、親から一緒に来いと言われても去年末の富山訪問で貯金使い切ったので行くつもりはありません。親は行かないといけないと思うけど兄弟が行く必要はないでしょう?結婚式の時には必ず相手のご家族とも顔合わせせるわけだし。
母親はもう少し冷静な感じですが、彼女に絶対聞いておかないといけないことが2点あるらしく、
@結婚相手がホントにコイツ(弟)でいいのか?
A結婚後の新居はどうするのか?
@については前回のコンタクトで彼女がしっかりしすぎていてこちらの方が問題多いことはわかっての発言。Aについては結婚式もまだなのに早すぎると思われるかもしれませんが、これは弟の職業柄の問題が絡んできてスルー出来ない事情があります。
その事情というのは、現在弟は独身なので職場直結の独身寮に強制的に入らされているわけですが、結婚したら寮を必ず追い出されます。その後の住居をどうするかは重要になってくるわけです。
そこからは住まいに強制力はなく、民間の賃貸に住むも良し、お金があればマンションでも戸建てでも買うも良し、ただ今回のように20代での結婚となると資金不足なことが多いらしく、大抵は会社が用意している社宅に住むことが多いです。
親父も弟と同じ職業だったので私ら兄弟が産まれた後も社宅での極貧生活が続いたため、母親は嫁ちゃんに同じ苦労はさせたくないそうで、社宅に入るのはよく考えろと伝えたいらしい。ましてや京都のご令嬢にそんなことさせられないと。
では社宅がどれだけの環境かというと、「兄弟揃って死にかけ事件」が起きる程。ちなみに私ら兄弟がそれぞれ赤ん坊の頃だったので記憶に無く、脚色無しの話です。
まず私から…両親が結婚して移り住み、程なくして私が産まれたときに住んでいた社宅は渋谷の街が見下ろせるところにありました。立地だけで言えば都会生まれで羨ましいと思われるかもしれませんが、築年数の結構経ったその社宅の間取りは6畳1部屋と2畳1部屋の2部屋だけ。そこで3人で暮らしていたわけです。2畳なんて狭さ聞いたことありますか?
新婚用の社宅だったらしいけど、そんな社宅に住むくらいなら離婚するわと奥さんから言われた新婚夫婦が相当数いたらしい(笑)なぜかというと当時はまだバブルの時代。奥さんも同僚でない限りは安月給の旦那よりはるかに収入ある時代だったらしいので我慢できない人も多かったようです。嫁入り道具なってとんでもない!!収納しきれないので大抵は身一つで嫁いでくることになります。
今になっては公務員は安定度最強な職業になっていますが、バブル時には全く恩恵受けていなかったようで、母も同僚ではなく民間の大手企業で勤めていたOLでしたが、当時の給料がボーナスで言えば一回の支給で月給の5ヶ月分、しかも3回とか4回も1年の間にボーナスが支給されるバブリーな時代だったらしいです。寿退社時の退職金も相当出たらしい。よくそんな恵まれた環境なのに寿退社して親父と社宅で同居したものだと思いました(汗)
だから息子である私自身が賞与無かったり、退職金も無いのは人間の働く環境じゃないとよく言いますが、もうそんなの当たり前なんですよね…
なぜそんな社宅で私が死にかけたかというと、当時渋谷のオンボロ社宅の1階に住んでおり、Gの奴らやネズミは常に室内で大運動会をしていたらしく、生後2か月の私は興味本位からかとある生物に手を伸ばしたらしい。それが毒アリだったようで、アリに刺されて毒が回ってそのまま意識不明。(物心すらついてないから意識とよんでいいかわかりませんが)赤ん坊だから体小さく、毒の廻りも早かったのでしょう。結構強力だったらしく完全に解毒されるまでピクリとも動かなかったそうです。
そしてそれがきっかけで両親はやばいと思い、すぐに別の社宅に引っ越したので、私には産まれた所の記憶がないわけです。それにしても私は赤ん坊のころから死にかけて、毒耐性まで身に着けていたのか(笑)
かくいう弟はというと…その引っ越した先の東京郊外にある社宅で弟は産まれました。私もこのころから記憶があります。築年数は先程とおなじくらいオンボロで間取りは2畳の部屋が4畳に広がり、プラス6畳1部屋追加されたくらいの感じ。弟が死にかけたというのは当時の社宅は3階建ての最上階に住んでいたのですが、ベランダの格子の隙間がガバガバで落っこちそうになったこと。
掴まり立ちが少しできるようになった赤ん坊の弟は、私がいたベランダに来て、外の景色に興味を持ったのか体を横にして格子をすり抜けようとした。体の3分の2は格子の外に出ていました(汗)3階から落ちそうな所を私が引っ張ってなんとか止めたというものでした。私もまだ幼少期だったので力加減知らず無理やり引きずり戻したので、弟は痛かったのかギャン泣きしてましたけどね。
セーフティーのためのゲージを設置するようなスペースすら無いベランダでした。
これは私の推測だけど、弟の嫁になる人には新婚の苦労もさることながら、子どもが産まれた後も社宅に住むのは色々問題があるよと実体験に基づいて母は伝えたいのだろうと思います。
両親も自分たちの結婚の時の段取りを結構忘れているらしく、長男である私が独身なのでお手本も無く、弟の性格などのルーズさからちゃんと事が運ぶのかヤキモキしているようですが、なるようにしかならないと思います。
日曜日に話を聞かないと判断できないけど、思ったよりここからの進展は早いのかもしれない。結納はさておき、職業上ナシ婚はありえないだろうから、相手のご家族との体裁を考えると結婚式までには早々に私自身無職を脱していないといけない気がします…
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image