2015年06月30日
金剛界 微細会について
微細会について
つづいて微細会の下絵を描きます。
さて、微細会とは?
微細会では外周の二十天を覗く五十三尊(金剛界三十七尊+賢劫十六尊)が全て金剛三鈷杵に住し、金剛微細な智慧を観想しています。
金剛微細な智慧とは毘盧遮那如来の智慧(仏智)が金剛(ダイヤモンド)のように堅固不壊で永遠に光り輝き、また、微小微細で見ることができなくとも世界の隅々にまで行きわたって存在していることを表しています。
この金剛微細なる仏智に金剛界五十三尊が専念(三昧)している様を微細な三鈷金剛杵の中に住している姿として描いています。
この時、賢劫十六尊を除く金剛界三十七尊は成身会と同じ姿で描かれ、成身会に代表される完全な金剛界世界が目に見えない微細な世界にまで浸透していることを表しています。
前回シリーズの供養会の菩薩は両手で蓮華の茎を持つため、ほとんど同じ姿勢で描きましたが、微細会では各尊像が異なる姿勢や手の形をとっており、全体に動きがあって楽しい。
法曼荼羅としての微細会
以前、四印会のところで四種曼荼羅についてまとめました(2015/04/02の記事参照)。
その中で微細会は法曼荼羅に分類されます。
これは微細会が『金剛頂経』「金剛智法曼荼羅広大儀軌分」を基に描かれているためと考えられます。
一方で、一般的に法曼荼羅は尊格を種字(梵字一字)で表す種字曼荼羅のことを指しますが、種字は種子ともいい、微細な智慧の種子(種字)が成長し世界の隅々まで法を行き渡らせる役割を果たしているとも考えられます。
微細会ではほとけの智慧(法)が微細なすみずみにまで行き渡っていることを表していますので、種字曼荼羅の広がりゆく世界のイメージとなんとなく似通っているようにも思います。
ともあれ、微細会の三鈷杵に住する尊像を描くのが楽しみです。
では、また〜ヾ(。・ω・。)ノ
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