2017年07月06日
かあいがもんさんのブログおもしろいね
ネットで話題になっていたので、さっそく見てみた。
河相我聞さん、、若いころの記憶しかなったけど、
こういった人柄だとは思わなかった。
学歴に関する見解が面白い。
中卒である河相さんだが、なんだかんだいって生きている。
なんとかなっている。
なんでなんとかなっているのか、、という分析が入った記事
何故、学校の勉強が超絶出来ないのに四十二歳まで特に問題なく生きてこれたのか
の言葉
この言葉好きだなー。
ほんと、そう思うよ。周囲の一部のママさんを見て。
親が「問題」として扱うことで、子どもに「問題」という重荷をやたら作る。
なんで問題を問題と感じちゃうのか、、
さほど問題でないことも、問題視する。。
この辺りが原点だったりするのかなー、と。
記事を読みながらふむふむと。
「生きる」という能力ってあるよなあ。。
自分の頭で考えて自分で選択して人生を歩んでいく・・
学歴云々でなく、この能力さえあればなんとかなるかもしれない。。
逆に学歴良くたって、「生きる」能力が低けりゃ難しいものね。
そんな違和感を感じるのは、
私の家庭環境は裕福ではなく、親は私に勉強を押し付けることはなく、、
基本放置ではあったが、
それでも学ぶ、知る、には意欲的だったんだよなあ。。
途中からマニアックな方向への興味が強くなって、そればかりやっていて、
当時はなんも意味なさげだったけど、
しょーもないことでも気になると追求しないと気が済まない。
かなり追求しまくったので、それが今の仕事に生きている。
最近、専門職で働いている友人と話したが、
彼女もマニアックな子供時代があったからこそ今の仕事がある。
学歴関係なかった。と。
マニアックって大事だよな。
あ、私の父は勉強好きなのだ。
本当に勉強好きでしょっちゅういろいろと勉強してた。
でも、私に勉強を押し付けることは一切なく。
ただ、もくもくと勉強している父の姿というのは刻み込まれている。
日常の姿だった。
私の中で大人になってもいくつになっても学びたいものをもくもくと学ぶは当たり前になった。
私の仕事柄、日々勉強する必要がある分野だが、
苦ではなく、って学校の勉強よりもむしろ身になるし活かせると明解だから楽しかったりして。
それもあるので
「勉強しなさい」と子供に言ったり、よい塾を探して通わせるより、
親がそうしているだけで、
「勉強する」というのが根本的に身につくのでは、
と思っちゃうのだ。
子供の進路を考えるとき、ついつい周囲の動きや世間の流れで
「学歴」というものを意識してしまう。
「子供のため」という煽り文句で、「教育環境を与えるのが親の役目」
とか思いがちで。
だんだんそれに縛られていく感じがして。
かってに自分で世の中を狭めていって。。。
私自身見失いそうになる。
そんなときにときどきこのブログ読み返してみようかな。
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
河相我聞さん、、若いころの記憶しかなったけど、
こういった人柄だとは思わなかった。
学歴に関する見解が面白い。
中卒である河相さんだが、なんだかんだいって生きている。
なんとかなっている。
なんでなんとかなっているのか、、という分析が入った記事
何故、学校の勉強が超絶出来ないのに四十二歳まで特に問題なく生きてこれたのか
の言葉
問題というのは問題と感じたら問題なのであって、問題と感じて無いのであれば問題では無い
この言葉好きだなー。
ほんと、そう思うよ。周囲の一部のママさんを見て。
親が「問題」として扱うことで、子どもに「問題」という重荷をやたら作る。
なんで問題を問題と感じちゃうのか、、
さほど問題でないことも、問題視する。。
「何かを信じる時」に自分を本当に信じている人と、自分を信じてない人の違いはかなり大きい気がします。
この辺りが原点だったりするのかなー、と。
記事を読みながらふむふむと。
「生きる」という能力ってあるよなあ。。
自分の頭で考えて自分で選択して人生を歩んでいく・・
学歴云々でなく、この能力さえあればなんとかなるかもしれない。。
逆に学歴良くたって、「生きる」能力が低けりゃ難しいものね。
そんな違和感を感じるのは、
私の家庭環境は裕福ではなく、親は私に勉強を押し付けることはなく、、
基本放置ではあったが、
それでも学ぶ、知る、には意欲的だったんだよなあ。。
途中からマニアックな方向への興味が強くなって、そればかりやっていて、
当時はなんも意味なさげだったけど、
しょーもないことでも気になると追求しないと気が済まない。
かなり追求しまくったので、それが今の仕事に生きている。
最近、専門職で働いている友人と話したが、
彼女もマニアックな子供時代があったからこそ今の仕事がある。
学歴関係なかった。と。
マニアックって大事だよな。
あ、私の父は勉強好きなのだ。
本当に勉強好きでしょっちゅういろいろと勉強してた。
でも、私に勉強を押し付けることは一切なく。
ただ、もくもくと勉強している父の姿というのは刻み込まれている。
日常の姿だった。
私の中で大人になってもいくつになっても学びたいものをもくもくと学ぶは当たり前になった。
私の仕事柄、日々勉強する必要がある分野だが、
苦ではなく、って学校の勉強よりもむしろ身になるし活かせると明解だから楽しかったりして。
それもあるので
「勉強しなさい」と子供に言ったり、よい塾を探して通わせるより、
親がそうしているだけで、
「勉強する」というのが根本的に身につくのでは、
と思っちゃうのだ。
子供の進路を考えるとき、ついつい周囲の動きや世間の流れで
「学歴」というものを意識してしまう。
「子供のため」という煽り文句で、「教育環境を与えるのが親の役目」
とか思いがちで。
だんだんそれに縛られていく感じがして。
かってに自分で世の中を狭めていって。。。
私自身見失いそうになる。
そんなときにときどきこのブログ読み返してみようかな。
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