2016年03月05日
子を注意しない母親へ注がれる視線
さて、筋ママのことを最近書いていたら、
ちょっと、考えさせられる出来事があった。
筋ママは、
「子供は放って置いても育つ力があるから、それを邪魔しせず見守る」
で、毅然と一貫している。
子供を叱らない。注意はするけどね。
私みたいに「片づけなさーい!」「静かにしなさーい」てきな怒鳴りかたはしない。
筋ママは感情をあらわにしない冷静なしゃべり方なので、
むしろそのほうが子供に伝わるのかもしれないなあ。
と反省することもある。
自分の育児を振り返るきっかけを与えてくれる存在。
私は自分の怒りの感情をはっさんしながら怒鳴っているし。もうね、のび太のママ的な。
あ、発散したくて怒鳴っているのかも。
たまに長女たちを連れて、
筋ママが少し離れた大きな公園に連れていってくれる。
のびのび遊べる広い公園。
しかし、まだ子供だけで行かせるには少し遠い。
引率してくれるのはありがたいし、私も大抵はそれに参加する。
そこに来ないママもいる。忙しいから。
私は、暇だからねー。
「いつも見てくれて申し訳ない」と予定の合間に来てくれるママさんもいる。
帰り道など、長女たちが広がって歩くと、
私や合間に来るママなどで「ほら、広がらない!」と注意するのだが、
筋ママは自分の下の子のペースで歩いているから、
いつも長女たちと離れて歩く。
それを合間ママが何度か見て「筋ママさん、連れていってくれるからありがたいと思ったけど、ほったらかしだよね。いつもぴいぴいさんばかりが子供たちを注意している」
と言ってきたのだ。
言われてみればそうかもしれない。
そう、周りから見るとそう映るのだ。
例えば。
公園で子供が水道で遊びだしたら、確かに暑いし子供楽しそう。
でも、そこでママが注意する、という振る舞いを見せないと、
「ほったらかしの親、ちゃんと注意しろよ」と白い目で見る存在は本当にいる。
私はそれが怖いし。
自分が注意する振る舞いを見せるだけでその白い目を逃れられるのなら、
と振る舞いだけでも取ってしまう。
自分一人の問題なら、、とは思えるけど、子供に影響したら、、とどうしても考えてしまう。
「人様の子」を預かっているから、少しでも何かあったらいけない、と不安な私は注意してばかり。
筋ママは堂々?と、まあ、本当に危険な時は注意はするけれど、
それも2,3回注意したくらいであっさり引く。
私は、本当に危険な状態が過ぎ去るまで注意し、その後も「またやらないよね?」と気にする。
筋ママなりに「この子はこれで大丈夫」があるんだろうけど、
私にはそういった感覚はない。わが子ならある程度分かるけど、人んちの子なんて分からない。
私が放置家庭で育ち、分からないまま好奇心のまま外で取った行動で、
他の子をケガさせたり、見知らぬ人に怒鳴られたり、
、、それで私は学んだけれど、、それ以上に傷ついた。
外がこわい。
うまく状況説明できなかった私は、それでも数回母親に、その辛さを伝えようとしたのを思い出した。
うまく説明できないから「・・・知らない人に怒られた」としか、、
わが子の状況をいつも見ていないから、察することもできない母親は
「やあね、その人、変な人ね、気にしないで」みたいな返し。
そうだ、私は悪くない、怒る相手が悪いのだ、と受け取る私。
これ以外にも、、ゆがんだ流れ。
といっても、うちの家庭が特殊で、基盤がすでにおかしかったから、ゆがんだんだろうけど。
筋ママの育て方がまずいとか思わない。
ただ、「育つ力を邪魔しない」と距離を置くことに、私のトラウマが勝手にうずいてしまう。
「ああ、自分のトラウマにひっかかるのねえー」と、自己分析の材料に使っている。
ブログ村参加中。ぽちっと押していただけると大変励みになります
ちょっと、考えさせられる出来事があった。
筋ママは、
「子供は放って置いても育つ力があるから、それを邪魔しせず見守る」
で、毅然と一貫している。
子供を叱らない。注意はするけどね。
私みたいに「片づけなさーい!」「静かにしなさーい」てきな怒鳴りかたはしない。
筋ママは感情をあらわにしない冷静なしゃべり方なので、
むしろそのほうが子供に伝わるのかもしれないなあ。
と反省することもある。
自分の育児を振り返るきっかけを与えてくれる存在。
私は自分の怒りの感情をはっさんしながら怒鳴っているし。もうね、のび太のママ的な。
あ、発散したくて怒鳴っているのかも。
たまに長女たちを連れて、
筋ママが少し離れた大きな公園に連れていってくれる。
のびのび遊べる広い公園。
しかし、まだ子供だけで行かせるには少し遠い。
引率してくれるのはありがたいし、私も大抵はそれに参加する。
そこに来ないママもいる。忙しいから。
私は、暇だからねー。
「いつも見てくれて申し訳ない」と予定の合間に来てくれるママさんもいる。
帰り道など、長女たちが広がって歩くと、
私や合間に来るママなどで「ほら、広がらない!」と注意するのだが、
筋ママは自分の下の子のペースで歩いているから、
いつも長女たちと離れて歩く。
それを合間ママが何度か見て「筋ママさん、連れていってくれるからありがたいと思ったけど、ほったらかしだよね。いつもぴいぴいさんばかりが子供たちを注意している」
と言ってきたのだ。
言われてみればそうかもしれない。
そう、周りから見るとそう映るのだ。
例えば。
公園で子供が水道で遊びだしたら、確かに暑いし子供楽しそう。
でも、そこでママが注意する、という振る舞いを見せないと、
「ほったらかしの親、ちゃんと注意しろよ」と白い目で見る存在は本当にいる。
私はそれが怖いし。
自分が注意する振る舞いを見せるだけでその白い目を逃れられるのなら、
と振る舞いだけでも取ってしまう。
自分一人の問題なら、、とは思えるけど、子供に影響したら、、とどうしても考えてしまう。
「人様の子」を預かっているから、少しでも何かあったらいけない、と不安な私は注意してばかり。
筋ママは堂々?と、まあ、本当に危険な時は注意はするけれど、
それも2,3回注意したくらいであっさり引く。
私は、本当に危険な状態が過ぎ去るまで注意し、その後も「またやらないよね?」と気にする。
筋ママなりに「この子はこれで大丈夫」があるんだろうけど、
私にはそういった感覚はない。わが子ならある程度分かるけど、人んちの子なんて分からない。
私が放置家庭で育ち、分からないまま好奇心のまま外で取った行動で、
他の子をケガさせたり、見知らぬ人に怒鳴られたり、
、、それで私は学んだけれど、、それ以上に傷ついた。
外がこわい。
うまく状況説明できなかった私は、それでも数回母親に、その辛さを伝えようとしたのを思い出した。
うまく説明できないから「・・・知らない人に怒られた」としか、、
わが子の状況をいつも見ていないから、察することもできない母親は
「やあね、その人、変な人ね、気にしないで」みたいな返し。
そうだ、私は悪くない、怒る相手が悪いのだ、と受け取る私。
これ以外にも、、ゆがんだ流れ。
といっても、うちの家庭が特殊で、基盤がすでにおかしかったから、ゆがんだんだろうけど。
筋ママの育て方がまずいとか思わない。
ただ、「育つ力を邪魔しない」と距離を置くことに、私のトラウマが勝手にうずいてしまう。
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