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2018年01月15日

NHK大河ドラマ「西郷どん」第2回「立派なお侍」







 1月14日、NHK大河ドラマ「西郷どん」の第2回が放送されました。
 西郷吉之助は成長し、年貢の取り立てを担当する役人のはしくれとなりました。もちろん、まだまだ身分は低いです。
 ある時、貧しさの為に親が借金をつくり、その返済ができないために身売りされそうになる農民の娘と出会います。
 その娘を救うために奔走する吉之助。作物の出来が悪く収穫が少ないのに、納めなくてはならない年貢の額が決まっていることと、年貢取り立てを担当する役人の上役が不正を行っていることが原因で農民たちが苦しんでいることは明らかでした。
 不正と言うのは、たとえばこういうことです。年貢のコメを納めさせるとき、枡で量を計るのですが、わざと山盛りにしておいて、山盛りぶん全てを農民から取り上げ、枡で計る正確な量だけ藩に報告する。盛ったぶんは落とし、もちろん農民には返さず、自分の懐に入れるぶんとするのです。そうすれば「公」には損がなく、役人は役得で甘い汁を吸えるのです。 
 だから、農民がいくら苦しんでいても役人は知らん顔。むしろそういう悪しき慣習が続いていたほうがいいと考えるのです。
 吉之助は上役に農民の窮状を訴えたいが聞き入れてもらえるはずがありません。
 そこで、藩政を大きく動かしている家老・調所広郷(ずしょひろさと)に直接訴えるという、思い切った行動をとります。調所は宮アあおいさん主演の大河ドラマ「篤姫」でも登場した人物で、薩摩藩の財政を立て直した人物でもありますが、かなり強引な政治手法をとったというように描かれています。
 吉之助は領民あっての藩である、といい、庶民の立場で考え庶民の生活がたちゆくようにするのは本当の忠義だと、敏腕家老・調所の前でも思い切ったことを言います。そして、徴税のしくみを変えるように提案するのです。
 年ごとに、豊作不作の違いがあり、天候不順では凶作となるので、収穫高に関係なくあらかじめ納税額が決まっていては凶作の時に農民が苦しみます。決められた額を納められなければ借金をせざるを得なくなり、返せなければ娘を売るようになります。しかし年貢率を決めて収穫量に応じた額を納めるようにすれば豊作凶作関係なく、農民は苦しまなくていいにではないか、と吉之助は考えたのです。
 調所は吉之助の提案を了承します。喜び勇む吉之助ですが、調所は吉之助が去ったあと、「どうせうまくいくまい」と言います。
 なぜうまくいかないと考えるのか、そこにどんな障害があるというのか。それは、歴史にちょっとばかり関心がある者や政治にちょっとでも関心がある者だったら想像がつく事なのですが、この時点での吉之助には分かりません。
 西郷の税システム改革にたちはだかる障害の一部はすぐにスートーリー上で明らかになります。
 それに対して吉之助はどういう行動をとるのか、身売りされそうだった娘はどうなるのか。それも物語(第2回の)終盤であきらかになります。
 
 苦しむもの、弱い立場の為に汗をながし涙を流す。その姿がやがて多くの薩摩人に尊敬される「西郷どん」を生むのでしょう。





 

2018年01月14日

「必殺仕事人」第6話「主水は葵の紋を斬れるか?」







 1月12日の夜10時からBS朝日で「必殺仕事人」の第6話 「主水は葵の紋を斬れるか?」が放送されました。
 「必殺仕事人」は必殺シリーズの第15弾で、1979年5月から1981年1月までの期間、全84回という長きにわたって放送された作品です。また、「仕事人」とタイトルにつくのはこの作品からで、「仕事人シリーズ」の中でも特別なものといえるでしょう。
 中村主水を演じる藤田まことさんが主役であるのはいうまでもないですが、「かざり職人の秀」として三田村邦彦さんが登場したのもこの「必殺仕事人」で、畷左門役に伊吹五郎さん、仕事人の元締の鹿蔵役に中村鴈治郎さんが演じたり、仕事人の元締の配下として情報収集にあたる半吉役に「笑点」の座布団運びで有名な山田隆夫さんが演じていた李して、おもしろいキャスティングでした。
 主人公人気シリーズなので、何度も見ています。
 その中でも特に印象に残った回が第6話でした。
  目黒祐樹さん演じる松平聖二郎 という男が冒頭から登場します。この男、徳川の血を引き、二人の家来を従えて江戸の町を我が物顔で歩き、「葵の御紋」を振りかざして商家に押し入り無理難題を要求するやら乱暴狼藉し弱い者を泣かすやら、傍若無人の振る舞いで、非道の限りを尽くします。
 物語のはじめでも、唐津屋という店に入り傍若無人な行いの極みともいうべき行動をとり、店の者を恐れおののかせますが、そのとき、おそるおそる物陰で様子を見ていた唐津屋の娘に目を付けます。それはまるで血に飢えた獣のような目でした。
 ほかの者は外に出よ、と言って家来を使って娘以外を無理やり外に出させ、屋敷内で娘に襲い掛かり「てごめ」にします。身を汚され辱められたことを悲しむ娘は首をくくり、その母も同じく首をくくります。
 唐津屋は「仕事人」の元締・鹿蔵に松平聖二郎殺しを依頼します。
 しかし、相手は徳川将軍家の家紋である葵の御紋をふりかざす者。将軍家から録を受けている小役人・中村主水にその仕事はできません。
 主水も同僚もまた、聖二郎らによって屈辱を味わされますが、葵の御紋の前には、どんな屈辱にも甘んじて耐えなくてはならないのでした。
 そんな時、秀や左門の近所に住む「お美代」という美しい娘の輿入れが決まり、花嫁衣裳を左門の妻が仕立てます 。
 そのお美代の輿入れ当夜、輿の前にふと現れたのが松平聖二郎とその家来たち。夜更けに街中をゆく輿や行列に興味を持った聖二郎は輿の中をあらためます。白無垢の美しい花嫁を見た聖二郎はお美代をひきずり出して連れ去ろうとします。
 当然、行列の者たちもお美代の父も、お美代自身も、おそれおののきながら「おゆるしください」と懇願します。
 だが、そんな言葉を聞き入れて素通りさせる聖二郎ではありません。輿入れ当夜にわしに出会った不幸を嘆くのだな、とお美代を連れ去り、「男手一つで育てた一人娘の晴れの日です。どうぞおゆるしを!」と追いすがるお美代の父を斬り捨てます。
 お美代は怖さとショックで力なく、男の強引な腕に引っ張られるまま、拉致され、或る小舟の上に倒されます。そして足元に刀を突き付けられ、「手籠め」に遭うのです。そして、関係者たちがようやくお美代を探し当てたときに人々がみたのは変わり果てた姿でした。
 聖二郎には尼となった母がいました。はじめ、鹿蔵がその尼を訪れ、悪行をやめるよう諭してくれないかと言ったものの、尼は、私には関係ないとばかりに断りました。それがついにその尼も聖二郎のもとへ出向き、意見を言おうとしますが、聖二郎が聞く耳をもちません。聖二郎は葵の御紋の権威を使って悪行三昧で庶民を苦しめながら、なにやら、おのれの出生を恨んでいるかのようです。
 その聖二郎の知らぬところで、幕閣の要人・稲葉が鹿蔵に聖二郎殺害を依頼します。因幡の甥は、稲葉が我が子同然に可愛がっていた若者で、主水の目の前で聖二郎に斬り殺されていたのです。
 ついに聖二郎殺しに立ち上がる仕事人たち。そして主水。

 徳川将軍家の血を引く者が傍若無人、乱暴狼藉の限りをつくして武士も町人も逆らえず、目にとまった女は犯され、自害して……。その悪行に耐えかねた者が悪玉殺害を決行せんとして、というのは「十三人の刺客」のストーリーのようです。
 葵の御紋を振りかざす者が悪行の限りを尽くす、というのは「水戸黄門」や「松平長七郎」などの真逆をゆくものです。権力・権威をふりかざす者はけっして悪行を行ってはならない、というテーマがあるようです。
 「婚礼」という人生の一大事の「はれのひ」を汚され父を斬り殺され、よりによって身を汚される、という不幸のどん底に突き落とされるようなことは、これ以上ないというほどの不幸で、視聴者の心をふかくえぐるものです。それだけに、聖二郎が殺されるシーンは留飲をさげるものですが、それまでの聖二郎の悪行の数々はかなりショッキングでした。





2018年01月13日

時代劇 必殺アワー 「必殺仕事人X 風雲竜虎編」第6話「替え玉お見合い騒動」







 1月9日、午前9時から、テレ玉(テレビ埼玉)にて 藤田まことさん主演「必殺仕事人X 風雲竜虎編」第6話が放送されました。サブタイトルは「替え玉お見合い騒動」です。
 立派な家柄を誇る武家の若殿が家来を使い、屋敷内で若い女を「手籠め」にしようとします。家来どもに女を押さえさせ、自分の思うままにしようというのですが、女はもちろん激しく抵抗し、若様(バカ様)の思い通りになりません。それに腹をたてた若(バカ)は女を殴りつけ、ついには死なせます。
 母親(二宮さよ子さん演じる)は「おんな一人口説けなくてどうする?」と息子を責めますが、結局は罪を問うことなく事件を隠蔽しようとします。
 バカ息子の顔には、女に抵抗されたときに出来た傷がある。こんなことでは嫁がこないと、母親は偶然知った影太郎(三浦友和さん演じる)に目をつけ、お見合いの席での「替え玉」にさせようと企みます。
 結局、影太郎は替え玉となります。そしてバカ息子を溺愛する母の姿になんとなく惹かれます。
 影太郎自身は母の愛を知らないらしいのです。
 バカ息子はさらに悪事を重ねます。吉原の遊郭で花魁を初回で枕をかわそうとして断られます。吉原の遊郭の世界では、花魁を金で買ってもいきなり抱こうとしてはいけない、二回目三回目と登楼しないと臥所を共にすることができないという決まりがあります。そのことを花魁に言われたバカ様は腹を立て花魁を殴りつけ暴行事件を起こします。
 バカ様と、そのバカの悪行を隠蔽しようとする母・家来たちは裏の稼業の「仕事」の標的となります。そこで影太郎はどうするのか? そして息子が仕事人に狙われたと知ったときに、息子を溺愛する母がとった行動とは?
 
 この回の興味深いところは、単なる「悪を懲らしめる」とか「世の為人の為にならぬ悪を成敗する」ということだけでなく、バカ息子を溺愛する母の愛を描いたところです。
 出来の悪い子ほど可愛い、という言葉がありますが、「出来が悪いから可愛い」のか、「可愛がりすぎるから出来が悪くなる」のか?
 昔も今も、子どもの教育はいかにあるべきか、ということが大きなテーマなのでしょうが、家柄を誇るような家庭ほど、母も息子を可愛がりすぎ、悪事にも目をつぶったり隠蔽しようとしたりするものでしょうか。
 この回の母も息子の悪行をみて厳しく注意しているように見えて、結局は許してしまい悪事を放置して、どんどんひどい状態にしてしまっているのです。
 家来もまた、若(バカ)様の悪行を諫めません。お家がつぶれると自分も路頭に迷うからです。自分が可愛いから悪事を放置したり協力したりして増長させ、とんでもない事件を起こさせ、結局、隠しとおそうとして悪事を重ねるのです。
 そんな息子や家臣をどうすることも出来ず息子可愛さに自分も悪に手を染める母の溺愛ぶり。愚かでもあり哀しくもあります。
 甘やかすことが愛ではないのだ、厳しくすべき時にはとことん厳しくすべきだ。この回に登場する母にそういっても通じないでしょう。バカ息子だから溺愛するのか、溺愛したからバカになったのか。溺愛の結果の悪行だとしても、それでも母親は息子をかわいがり、かばう。それが母の「業」なのか。
 そういう哀しい姿が描かれた回でした。







 

2018年01月12日

「暗闇仕留人」第27話(最終話)「別れにて候」






 1月12日。CS放送の時代劇専門チャンネルで午後5時から放送された「暗闇仕留人」の第27話は、最終話で、「別れにて候」というサブタイトルがついていました。
 (以下ネタバレ)中村主水の義理の弟ふたりのうち、石坂浩二さん演じる糸井貢(このシリーズではいちおう糸井貢が主人公らしい)は、裏の稼業でのやる気をすっかり失った。
 しかし、この最終話の仕留(殺し)のターゲットは松平玄蕃頭という大物。時代劇の悪役を演じることでは有名な 戸浦六宏さんが演じていますが、いつも演じている役柄通り、政治を動かす大物だが裏ではやりたい放題のことをやっていて多くの人の恨みを買っています。だから中村主水などは裏の稼業の者として討つ気まんまんですが、それでも貢は仕事をする気がないといいます。
 松平玄蕃の娘( 西崎みどりさん演じる)がとうてい悪人とは思えず玄蕃を殺すことは娘を不幸のどん底に突き落とすことという思いもありました。
 結局は貢が玄蕃殺しに向かうのですが、当の相手の、わしを殺せば日本の夜明けが遅れるぞ、という言葉を聞いてためらいが生じます。その隙をついて玄蕃が貢を斬ります。
 主水が玄蕃を仕留めますが、貢は命を落とします。
 貢をなんとか生き返らそうと、主水は大吉に、いつも相手を仕留める時にやっていることを応用しろと言います。大吉は標的の胸に手を突き入れ心臓を握りつぶして殺します。それを応用するということは、つまり、止まった心臓を人の手で動かして蘇生を図るというわけで、一種の(強引な)心臓マッサージといっていいものです。
 その大吉の働きで、貢は一時的に目を開け蘇生しますが、すぐにまた死者の世界へ向かって、帰らぬ人おなってしまいます。
 主水と大吉は、海の向こうへ行きたかったという貢の思いをかなえようといって貢の遺体を海に流します。つまり水葬です。
 そして、もう潮時だな、と、裏の稼業のチーム解散を告げます。大吉は江戸を去ります。
 のちの必殺シリーズでもよくあることですが、最終話で、仕事人チームの重要人物が死ぬか、幕閣か江戸城内の大物を殺してチームが解散せざるを得ない状況となることが多いです。「暗闇仕留人」ではこの二つが最終話であるのです。
 非情に徹することのできない者は裏の稼業をまっとうすることができない。しかし、人間である以上、殺すことに悩みや迷いが生じる。殺したことによる影響が大きいからです。たとえば殺しのターゲットにも身内がいて……。とか。そういう苦悩を石坂浩二さんが演じていました。





松本幸四郎主演ドラマ「父子鷹」







 1月9日から、CS放送の時代劇専門チャンネルにて、松本幸四郎さん主演の時代劇「父子鷹」の放送が開始されました。放送時間は夜8時からです。「父子鷹」と書いて「おやこだか」と読みます。
 松本幸四郎さんといっても最近改名された旧市川染五郎さんのほうではなく、改名前の幸四郎さん、現白鴎さんです。制作時期が改名よりはるか前なので、旧名で書いた方が複雑でなくてむしろ分かりやすいかもしれません。
 子母澤寛さんの原作で、勝海舟とその父・勝小吉を描いた作品です。勝海舟が幕臣として出世するよりはるか前の時代を描いたものなので、勝海舟と呼ぶより勝麟太郎と書いた方がいいかもしれません。
 勝小吉を演じているのが松本幸四郎さん(旧名)で、勝麟太郎を演じているのが息子の市川染五郎さん(旧名)です。ドラマの上でも実際でも父子です。歌舞伎の舞台ではよくあることですが、映像作品では父子共演というのは、よくあることでもないので、そのあたり興味深くみました。
 時代劇専門チャンネルで「父子鷹」が放送される前、同じ夜8時から放送されていたのが藤田まことさん主演の「はぐれ医者」で、このドラマの中でも勝小吉が登場していたので(演じていたのは田村亮さん)、人物像を比較してみるのも面白いです。





 

2018年01月11日

滝沢秀明主演・大河ドラマ「義経」(平成17年放送)第39回「涙の腰越状」






 1月11日午後2時より、CS放送のチャンネル銀河で、大河ドラマ「義経」第39回「涙の腰越状」が放送されました。ジャニーズ事務所の滝沢秀明さん主演で平成17年にNHKで放送された作品です。
 まだ幼い時に実の兄(同母兄)たちと別れ、父のかたきである平清盛をほんとうの父と思って育った牛若丸は、やがて自分の出生の秘密を知ってしまった。源氏の残党から諸国の情勢を伝えられる中で、伊豆に腹違いの兄・頼朝がいることを知ります。そしてまだ見ぬ兄への思いを募らせました。
 そういう背景があっての「涙の腰越状」という話です。
 元服して義経と名乗り、奥州平泉の藤原氏のもとで成長した牛若丸は頼朝の挙兵を知って兄のもとへ駆けつけました。その初対面のときこそ涙の対面でしたが、以来、彼が求めていた「兄弟の情愛」を感じられないまま源氏の部将として働き、ついに平氏を倒しました。
 兄に自分の働きを認めてもらえると思っていたところ、後白河法皇から官位を受けたことで兄の怒りをかってしまった。
 なぜ頼朝が怒ったかと言うと、頼朝が目指していたものは朝廷に影響されず平氏のように法皇にゆさぶられることもない東国の武家政権であり、その武家政権は全国の武士をまとめ頼朝が武家の頂点にたつことだった。そのため、頼朝の手足となって働くべきはずの義経が兄に無断で官位をうけるということは、頼朝の目指す武家政権の秩序を大きく乱すものだということになる。義経に悪気はなくても、鎌倉側からみたら勝手きわまるものにみえるのだ。だから、しめしがつかないために頼朝は義経に対して怒りをあらわにし、鎌倉に入ることを許さなかった。
 
 足止めをくらった腰越の地で沙汰を待つ義経主従。
 一方、鎌倉では、中井貴一さん演じる頼朝が平家の総大将だった宗盛(鶴見辰吾さん演じる)と対面します。宗盛は平家の総大将としての誇りを捨て、頼朝に命乞いをします。
 そのとき、頼朝の妻の政子(財前直見さん演じる)は、娘の大姫の心の病をいやせるのは義経だとして、ひそかに義経に使いの者を送り、極秘に鎌倉に入って大姫に会うようにと伝えさせる。しかし、兄に無断で行動するわけにはいかないと義経は断ります。
 そんな義経に怒る政子。
 政子の言うことをきく、きかぬ。どちらにしても立場の悪くなる義経。
 松平健さん演じる武蔵坊弁慶は、義経に忠告します。頼朝様に肉親の情などないのです、と。そして、情を捨てて現実を見なされ、と義経言います。
 しかし、なおも兄の「情」を信じる義経には耳の痛い言葉であり腹の立つ言葉でした。自分の思いを伝えれば兄上は分かってくれるだろう、と。
 腰越の寺で謹慎している義経は頼朝の近臣・大江広元に書状を送ります。これが世にいう「腰越状」です。
 しかしその書状は情緒的な思いを綿々と綴っただけで、鎌倉の武家政権樹立という頼朝の意に反して官位を受けたということについての謝罪はまったくありませんでした。
 結局、鎌倉入りを許されなかった義経主従。
 義経や弁慶の苦悩や、そこから起こる悲劇が描かれた回でした。


 

2018年01月10日

NHK大河ドラマ「天地人」総集編 第一回







 正月七日の夜、九時から、CS放送の時代劇専門チャンネルでNHK大河ドラマ「天地人」総集編の第一回が放送されました。
 いうまでもなく平成二十一年に妻夫木聡さん主演で放送されたものの総集編で、上杉景勝重臣の直江兼続の生涯を描いたものです。
 放送当時から、直江兼続の少年時代・樋口与六を演じだ加藤清史郎くんの好演が話題となりました。その年のうちのクルマのCMで「こども店長」と呼ばれて有名になった加藤清史郎くんですが、大河ドラマ放送の当初から演技が評判になったものです。
 ちなみに加藤清史郎くんはこの「天地人」が大河ドラマ二度目の出演で、一回目は「風林火山」での武田太郎(武田晴信嫡男)役でした。
 大人の役者で一番光っていたのは、私個人の思いとしては、上杉謙信役の阿部寛さんでした。威風堂々としていて、上杉謙信のイメージに合っていたと思います。

 一方で、このドラマでは、主役とはいえ上杉家の一家臣(しかも若年)が単独で織田信長と対面する(しかも安土城の上層階で)とか、長澤まさみさん演じる真田昌幸の娘・はつねが織田信長のそば近くにいる、とか、歴史的にとうていありえないシーンが目立っていて残念なところがありました。




2018年01月09日

「鬼平犯科帳 THE FINAL 前編 五年目の客」








 正月7日の日曜日の夜、CS放送の時代劇専門チャンネルで「鬼平犯科帳 THE FINAL 前編」が放送されました。
 若村麻由美さん演じる旅籠屋の女房・「お吉」は、以前、遊郭で働く女郎だったが、ある客の持っていた大金を持ち逃げして女郎の身分でなくなり、過去を弟以外の誰にも分らぬように隠して旅籠屋の女房におさまっていたのだ。
 ところがある日、お吉が持ち逃げした商人(谷原章介さん演じる)がお吉の旅籠屋の客となる。男の顔をみて愕然となるお吉。
 男はお吉のことに気付いているのか、いないのか、お吉と二人っきりになると彼女を抱き寄せ肉体関係を迫る。男は自分に気づいているんだ、と恐れおののいたお吉は、昔のことをばらされたくないあまりに、男のいいなりになり、外での逢引きを重ねる。
 その男こそ、江戸に狙いをつけた凶悪な盗賊の一味だった。
 お吉は悩んだ挙句、ある決断をする。

 主人に明かせない自分の過去に苦悩する女を若村麻由美さんが好演しています。
 そしてお吉の苦悩を知った鬼平の「超法規的な人情裁き?」が心を打ちます。



 
 

NHK大河ドラマ「西郷どん」の配役について








 インターネットの記事などを見ていますと、今年のNHK大河ドラマの主役・鈴木亮平さんについて、「西郷隆盛のイメージではない」とか「ミスキャストだ」というような意見があるようですが、そういうことは一年を通してみないと分からないと思います。
 ドラマの冒頭で、明治になって西郷吉之助が死んでから、西郷像の除幕式があり、西郷の妻が西郷像の顔をみて「違う」と言ったシーンがあります。このエピソードは歴史的事実のようで、ほんとうに西郷自身の顔と違っていたようです。
 にもかかわらず、西郷像の顔が広く世間に知られているため、西郷像のような顔の役者さんが西郷を演じなくてはならない、という固定観念みたいなものが人々の心に植え付けられてしまったようです。だから西郷像と違う顔の人が演じたら「西郷のイメージではない」と?
 しかし西郷像の顔と本物の西郷の顔とが違う、と西郷の妻自身が言っている以上、西郷像とはかけ離れた姿の役者さんが演じても構わない、ということになるのではないでしょうか。
 問題は主役の鈴木亮平さんが一年通じて西郷吉之助という人物の生き方と、多くの人をひきつけた薩摩のカリスマ的人物としての魅力をどう演じるか、にかかっています。だから我々視聴者はずっと見守らなくてはならないのだと思います。
 それと、第一回放送はほとんどが子役たちのシーンだったので、西郷役がほさわしいか、大久保役がふさわしいか、なんて判断などまったくできません。
 ちなみに、昭和43年の大河ドラマ「竜馬がゆく」では、西郷吉之助役は小林桂樹さん、昭和49年の「勝海舟」では中村富十郎さん、昭和55年の「獅子の時代」でも中村富十郎さん、平成2年の「翔ぶが如く」では西田敏行さん、平成20年の「篤姫」では小澤征悦さんが演じました。
 「翔ぶが如く」で西郷吉之助役を演じた西田敏行さんが、今回ではナレーションを担当しているので「おもしろいなあ」と感じました。
 また、「翔ぶが如く」で大久保利通役を演じた鹿賀丈史さんが今回は島津斉彬の父の島津斉興を演じています。「翔ぶが如く」のオマージュだということが伝わってきます。
 大河ドラマで或る時代の人物を演じた役者さんが、また別の大河作品で以前のと同じ時代の作品を演じるにあたって、以前とは違う人物、とくに関係の深い人物を演じたりするのは、作品のストーリーそのものとは関係ないにしても、面白いものです。「翔ぶが如く」で島津斉彬の弟の久光を演じた高橋英樹さんが「篤姫」では島津斉彬を演じていました。
 ただ、その思いとは矛盾するようですが、今回大久保利通を演じる瑛太さんには、個人的な思いとしては小松帯刀を演じてほしかったです。
 唐沢寿明さんが「利家とまつ」だけでなく「功名が辻」でも前田利家を演じたり、古くは緒形拳さんが「太閤記」だけでなく
「黄金の日々」でも豊臣秀吉を演じ、高橋幸治さんが「太閤記」だけでなく「黄金の日々」でも織田信長を演じたように。





2018年01月08日

NHK大河ドラマ「西郷どん」第一回「薩摩のやっせんぼ」







 平成三十年のNHK大河ドラマが始まりました。
 「維新三傑」といわれる明治維新の立役者の代表格三人のうちの一人、西郷吉之助が主人公です。
 サブタイトルの「薩摩のやっせんぼ」の「やっせんぼ」の意味は、ドラマの中で登場人物の島津斉彬が語っています。
 斉彬が、若き日の、しかも少年の日の西郷吉之助(子ども時代は小吉といったそうで)に対して言った言葉が「やっせんぼ」で、「弱いものをみて助けないのは弱いもの以下だ」ということだそうです。その言葉にショックを受ける。そして、武士としてどうあるべきか考え、生き方を決めた、となっています。つまり「やっせんぼ」になるな、弱い者をたすける大きな人物になろう、と。
 西郷の人生をきめた決定的な言葉だということです。
 もちろんドラマですから、本当に西郷吉之助と島津斉彬がその時そういうふうに(ドラマで描かれたように)であったかは分かりません。フィクションでしょう。しかし、フィクションとしても、少年の日の西郷が斉彬と出会ってその時に言われた言葉が人生を決定づけたとするなら、面白い設定であり面白いストーリーの出発点です。
 
 この出会いの後、後の西郷吉之助(小吉)は或る少年から恨みを買ってケンカのすえ肩を斬られます。その傷がもとで、刀が振れない体になります。
 「刀は武士の魂」と言われます。その刀が振れなくなったということは、武士らしいことができなくなったといってもいいくらいで、例えていうなら、サッカー選手がボールを蹴れなくなったようなものです。
 もちろん、刀を実際に振れなくても刀以外の働きで武士としての務めを果たすとこはできるでしょう。しかし、武家の家に生まれた少年は、そうは考えません。
 そんな少年の絶望感を子役の子がよく演じていました。




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