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2015年11月07日
「プラド美術館展――スペイン宮廷 美への情熱」
スペイン・マドリードの国立プラド美術館は、世界中の美術ファンがあこがれる美の殿堂。10月10日(土)から来年1月31日(日)まで東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「プラド美術館展――スペイン宮廷 美への情熱」の内覧会に参加しましたので、その魅力をレポートします。
1819年に王立美術館としてスペイン・マドリードに開館したプラド美術館のコレクションは、15世紀以降の王たちが、情熱を傾けて収集した作品が核となっています。そのため、豊かな審美眼を持つ歴代王たちの趣味が色濃く反映された、個性的な作品群がこの美術館の大きな魅力のひとつです。
今回の展覧会は2013年にプラド美術館で、翌2014年にバルセロナで開催され、大成功を収めた展覧会を再構成した特別バージョン。もちろん、国外では初めてお披露目される内容で、日本ではこの三菱一号館美術館のみの単館開催という、とても贅沢な展覧会です。スペインの3大巨匠、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤなどのスペインの巨匠たちの作品が揃って日本に来ています!
プラド美術館展は、日本では過去に2回開催されたことがあります。本展は、日本で開催される3度目のプラド美術館展となりますが、過去2回の展覧会とは大きく異なります。本展の特徴は、小品のすばらしさ。美術館の膨大な数の大作に目を奪われて見逃してしまいがちな、小さなサイズの傑作の素晴らしさに意識を向けることができる構成になっています。
実は大作よりも、小品の中でこそ、巨匠の技が輝いているのです。出品リストを見ると、30〜50メートル四方ほどの「キャビネットペインティング」という作品が多いことに気がつきます。キャビネットペインティングとは、貴族たちが私的空間として設けた小部屋(キャビネット)を飾るための絵画。さほど広くない部屋に飾り、間近で作品を鑑賞することを前提としているため、「細部こそこだわる」という意識で描かれてるようです。
また、大作は工房の弟子などに依頼して完成させたものが多いのに比べ、小品は巨匠たち本人が自ら腕を振るい、最後まで工夫を凝らして描かれているものがほとんど。そのため、巨匠たちの技の繊細さや緻密さを、より実感することができるのです。
「絵画には、その大きさによってふさわしい価値と印象がある」というのは、高橋館長のコメント。たとえば大きな絵には、教会や城、宮殿などの大空間を飾るという役割があります。一方で、小さな作品は、まるで手にとって見るために制作されたかのように、私的な楽しみを与えてくれるのです。小さな作品に秘められた巨匠のひと筆ひと筆の美しさを、間近で鑑賞できる展覧会です
本展覧会の会場は、以下の 7 つの章に分類・構成されています。
I 中世後期と初期ルネサンスにおける宗教と日常生活
II マニエリスムの世紀:イタリアとスペイン
III バロック:初期と最盛期
IV 17 世紀の主題:現実の生活と詩情
V 18世紀ヨーロッパの宮廷の雅
VI ゴヤ
VII 19世紀:親密なまなざし、私的な領域
本展で真筆が初来日となり、話題になっているヒエロニムス・ボスの《愚者の石の除去》も、「キャビネットペインティング」として描かれた作品です。
フランドル派の画家であるメムリンクの《聖母子と二人の天使》も、同じような特徴を持つとのこと。同じコーナーに展示されているので、見比べてみてください。
15世紀後半からネーデルラントで活躍したヒエロニムス・ボス(Hieronymous Bosche/1450頃-1516)は、現存する真筆がわずか20点という寡作の画家です。そのため、 世界中の名だたる美術館を訪れても、ボスの真筆に出会えるのは稀なこと。画家の生きた時代にあっても、その作品は高く評価され、ボスの死後、スペイン王フェリペ2世(Felipe II/1527-1598)は、ボスの多くの名作を収集しました。その遺産は、現在プラド美術館の至宝として収蔵されています。今回はそのボスの真筆のうちの貴重な1点が来日しました。
《愚者の石の除去》と冠された本展出品作は、現存作品の中で唯一の風俗画でもあります。患者の頭から取り出しているのはチューリップといわれていますが・・?、絵の前で確認してみてくださいね。
ベネチアやローマで修業を積んだ後、宮廷画家になる夢を抱きスペインへやってきたエル・グレコ(1541〜1614年)の作品もあります。グレコも工房を持ち注文をこなし、大作は弟子たちとの共同作業で行っていましたが、本展の「受胎告知」はサイズが小さいため、習作か工房用の見本としてグレコ自身が手がけたと思われます。同じ画題による大作のような迫力はないが、ドラマチックで流麗な色彩はグレコらしい。ガラスケースなしで拝見できます。
左《受胎告知》 エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプロス) 1570-72年
《東方三博士の礼拝》(中央)三人の博士たちは、高価な贈り物をもってベツレヘムを訪れ、聖母に抱かれたイエスを礼拝しました。博士たちは、しばしば異なる人種と年代で描かますが、これは様々な民族の様々な世代の人々がイエスを信仰することを象徴するためです。
高橋館長が目玉としてあげていて図録の表紙にもなっている、ベラスケスの《ローマ、ヴィラメディチの庭園》も、48.5×43センチメートルの小ささながら、存在感は抜群です。
ベラスケスはフェリペ4世に気に入られて宮廷画家となり、以後三十数年にわたり国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画を描いた画家。代表作『ラス・メニーナス』(女官たち)をご存知の方も多いと思います。
今回の出展作品は、室内にて理想化された古典的主題を描くのが主流だった時代に、2世紀以上先に出現する印象派のスタイル、すなわち風景を主題とし、屋外で対象物を描くという方法がとられている可能性が極めて高い、革新的な作品。午後の遅い時間に夕日色の光がうっすらと漂い、木々がそよいでいる様子がわかります。
1788年にブルボン朝のスペイン王カルロス4世の手に渡り、エル・エスコリアル修道院に飾られた作品です。
左:ディエゴ・ベラスケス ローマ、ヴィラ・メディチの庭園 1629-30
ほぼ同時代に活躍した、古典的風景の巨匠クロード・ロランの風景画も、右隣に展示されています。比較してみると、2人の違いがよくわかります。右:クロード・ロラン 浅瀬 1644頃
また、ヤン・ブリューゲルUの《豊穣》には、カタツムリが隠れているとのこと。咲き乱れる花々、果物、子供たち、動物たちの中に6つの乳房を持つ女性といった、豊穣の角をもつこの作品。40×50センチメートルというキャビネットペインティングの中に、自然の産物がギュッとつまっています。
ポスターになっているカルロス4世妃 マリア・ルイサ・デ・パルマ は、その美しさで目を惹きます。ゴヤの「カルロス4世の家族」 1800-1801 にも中央に描かれています。
アントン・ ラファエル・メングス 《マリア・ルイサ・デ・パルマ》 1765年
小品づくしのなか、堂々たる大作も来日しています。ムリョーリョの《ロザリオの聖母》は、2013年のスペインでの展覧会では出品されませんでした。しかし、プラド美術館における大型作品の神髄も、小品の素晴らしさとともに感じてほしいという思いから、貸出を交渉したとのこと。
鮮やかな赤いチュニックと青いマント、透き通ったベールがふんわりとまとわれています。宗教画の荘厳さだけではなく、聖母と幼子の優しく整った表情に、安らぎを覚える作品1788年にブルボン朝のスペイン王カルロス4世の手に渡り、エル・エスコリアル修道院に飾られた作品。
右:バルトロメ・エステバン・ムリーリョ ロザリオの聖母 1650-55
大きさでパッと目を引く、コルネリ・デ・フォスの《アポロンと大蛇ピュトン》の横にその絵のもとになっている小さなルーベンスの下絵描きの《アポロンと大蛇ピュトン》があります。
下の2枚の絵、左下の小さい方がルーベンスの下絵です。絵の大きさに関係なく、迫力が感じられます。
このようなユニークな展示も多く見られます。
左下:ペ ー テ ル・パ ウ ル・ル ー ベ ン ス 《アポロンと大蛇ピュトン》
右:コ ル ネ リ ス・デ ・フ ォ ス《アポロンと大蛇ピュトン》
17世紀のフェリペ4世は祭壇画や神話画などに力を発揮したバロック期フランドルの画家、ペーテル・パウル・ルーベンス(1577〜1640年)がお気に入りでした。マドリード郊外の森にある狩猟休憩塔を飾るための神話画連作をルーベンスに注文。「アポロンと大蛇ピュトン」や「狩りをするディアナとニンフたち」はその油彩のための下絵だそうです。
ゴヤの作品も見逃せません。今回展示されているのは、怪物とか魔女とかの激しい絵ではなくて、明るい色彩の絵です。庭で人びとが遊んでいる光景だったり…。
右:フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《トビアスと天使》1787年頃
《バベルの塔の建設》 ピーテル・ブリューゲル(2世) 1595年頃
左から フランシスコ・バイェウ・イ・スビアス《オリュンポス、巨人族の戦い》1764 年
ジャンバッティスタ(ジョヴァンニ・バッティスタ)・ティエポロ《オリュンポス、あるいはウェヌスの勝利》1761-64 年
マリアノ・サルバドール・マエーリャ《大地に収穫物を捧げる女神キュベレ》1798 年
ミシェランジュ・ウアス《エル・エスコリアル修道院の眺望》1720-22
カルロス・デ・アエス 左:《ヤシの林(エルチェ)》1861年 右:《エルチェのヤシ》1861年頃
作品保護の為に輸送が難しい板絵なども来日しています。これだけの作品が日本で公開される機会はもうないかもしれません。貴重な作品を間近に堪能することができるすばらしい展覧会、ぜひ足を運んでみてください。
名称:「プラド美術館展 ― スペイン宮廷 美への情熱」
会場:三菱第一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2)
会期:2015年10月10日(土)〜2016年1月31日(日)
営業時間:10:00〜18:00(金曜日・会期最終週平日は20:00まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(祝日の場合、12月28日、1月25日開館)
当日券:一般1,700円 高校・大学生1,000円・小中学生無料
公式サイト:http://mimt.jp/prado/
注)写真は内覧会開催時に主催者の許可を得て撮影したものです。
1819年に王立美術館としてスペイン・マドリードに開館したプラド美術館のコレクションは、15世紀以降の王たちが、情熱を傾けて収集した作品が核となっています。そのため、豊かな審美眼を持つ歴代王たちの趣味が色濃く反映された、個性的な作品群がこの美術館の大きな魅力のひとつです。
今回の展覧会は2013年にプラド美術館で、翌2014年にバルセロナで開催され、大成功を収めた展覧会を再構成した特別バージョン。もちろん、国外では初めてお披露目される内容で、日本ではこの三菱一号館美術館のみの単館開催という、とても贅沢な展覧会です。スペインの3大巨匠、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤなどのスペインの巨匠たちの作品が揃って日本に来ています!
プラド美術館展は、日本では過去に2回開催されたことがあります。本展は、日本で開催される3度目のプラド美術館展となりますが、過去2回の展覧会とは大きく異なります。本展の特徴は、小品のすばらしさ。美術館の膨大な数の大作に目を奪われて見逃してしまいがちな、小さなサイズの傑作の素晴らしさに意識を向けることができる構成になっています。
実は大作よりも、小品の中でこそ、巨匠の技が輝いているのです。出品リストを見ると、30〜50メートル四方ほどの「キャビネットペインティング」という作品が多いことに気がつきます。キャビネットペインティングとは、貴族たちが私的空間として設けた小部屋(キャビネット)を飾るための絵画。さほど広くない部屋に飾り、間近で作品を鑑賞することを前提としているため、「細部こそこだわる」という意識で描かれてるようです。
また、大作は工房の弟子などに依頼して完成させたものが多いのに比べ、小品は巨匠たち本人が自ら腕を振るい、最後まで工夫を凝らして描かれているものがほとんど。そのため、巨匠たちの技の繊細さや緻密さを、より実感することができるのです。
「絵画には、その大きさによってふさわしい価値と印象がある」というのは、高橋館長のコメント。たとえば大きな絵には、教会や城、宮殿などの大空間を飾るという役割があります。一方で、小さな作品は、まるで手にとって見るために制作されたかのように、私的な楽しみを与えてくれるのです。小さな作品に秘められた巨匠のひと筆ひと筆の美しさを、間近で鑑賞できる展覧会です
本展覧会の会場は、以下の 7 つの章に分類・構成されています。
I 中世後期と初期ルネサンスにおける宗教と日常生活
II マニエリスムの世紀:イタリアとスペイン
III バロック:初期と最盛期
IV 17 世紀の主題:現実の生活と詩情
V 18世紀ヨーロッパの宮廷の雅
VI ゴヤ
VII 19世紀:親密なまなざし、私的な領域
本展で真筆が初来日となり、話題になっているヒエロニムス・ボスの《愚者の石の除去》も、「キャビネットペインティング」として描かれた作品です。
フランドル派の画家であるメムリンクの《聖母子と二人の天使》も、同じような特徴を持つとのこと。同じコーナーに展示されているので、見比べてみてください。
15世紀後半からネーデルラントで活躍したヒエロニムス・ボス(Hieronymous Bosche/1450頃-1516)は、現存する真筆がわずか20点という寡作の画家です。そのため、 世界中の名だたる美術館を訪れても、ボスの真筆に出会えるのは稀なこと。画家の生きた時代にあっても、その作品は高く評価され、ボスの死後、スペイン王フェリペ2世(Felipe II/1527-1598)は、ボスの多くの名作を収集しました。その遺産は、現在プラド美術館の至宝として収蔵されています。今回はそのボスの真筆のうちの貴重な1点が来日しました。
《愚者の石の除去》と冠された本展出品作は、現存作品の中で唯一の風俗画でもあります。患者の頭から取り出しているのはチューリップといわれていますが・・?、絵の前で確認してみてくださいね。
ベネチアやローマで修業を積んだ後、宮廷画家になる夢を抱きスペインへやってきたエル・グレコ(1541〜1614年)の作品もあります。グレコも工房を持ち注文をこなし、大作は弟子たちとの共同作業で行っていましたが、本展の「受胎告知」はサイズが小さいため、習作か工房用の見本としてグレコ自身が手がけたと思われます。同じ画題による大作のような迫力はないが、ドラマチックで流麗な色彩はグレコらしい。ガラスケースなしで拝見できます。
左《受胎告知》 エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプロス) 1570-72年
《東方三博士の礼拝》(中央)三人の博士たちは、高価な贈り物をもってベツレヘムを訪れ、聖母に抱かれたイエスを礼拝しました。博士たちは、しばしば異なる人種と年代で描かますが、これは様々な民族の様々な世代の人々がイエスを信仰することを象徴するためです。
高橋館長が目玉としてあげていて図録の表紙にもなっている、ベラスケスの《ローマ、ヴィラメディチの庭園》も、48.5×43センチメートルの小ささながら、存在感は抜群です。
ベラスケスはフェリペ4世に気に入られて宮廷画家となり、以後三十数年にわたり国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画を描いた画家。代表作『ラス・メニーナス』(女官たち)をご存知の方も多いと思います。
今回の出展作品は、室内にて理想化された古典的主題を描くのが主流だった時代に、2世紀以上先に出現する印象派のスタイル、すなわち風景を主題とし、屋外で対象物を描くという方法がとられている可能性が極めて高い、革新的な作品。午後の遅い時間に夕日色の光がうっすらと漂い、木々がそよいでいる様子がわかります。
1788年にブルボン朝のスペイン王カルロス4世の手に渡り、エル・エスコリアル修道院に飾られた作品です。
左:ディエゴ・ベラスケス ローマ、ヴィラ・メディチの庭園 1629-30
ほぼ同時代に活躍した、古典的風景の巨匠クロード・ロランの風景画も、右隣に展示されています。比較してみると、2人の違いがよくわかります。右:クロード・ロラン 浅瀬 1644頃
また、ヤン・ブリューゲルUの《豊穣》には、カタツムリが隠れているとのこと。咲き乱れる花々、果物、子供たち、動物たちの中に6つの乳房を持つ女性といった、豊穣の角をもつこの作品。40×50センチメートルというキャビネットペインティングの中に、自然の産物がギュッとつまっています。
ポスターになっているカルロス4世妃 マリア・ルイサ・デ・パルマ は、その美しさで目を惹きます。ゴヤの「カルロス4世の家族」 1800-1801 にも中央に描かれています。
アントン・ ラファエル・メングス 《マリア・ルイサ・デ・パルマ》 1765年
小品づくしのなか、堂々たる大作も来日しています。ムリョーリョの《ロザリオの聖母》は、2013年のスペインでの展覧会では出品されませんでした。しかし、プラド美術館における大型作品の神髄も、小品の素晴らしさとともに感じてほしいという思いから、貸出を交渉したとのこと。
鮮やかな赤いチュニックと青いマント、透き通ったベールがふんわりとまとわれています。宗教画の荘厳さだけではなく、聖母と幼子の優しく整った表情に、安らぎを覚える作品1788年にブルボン朝のスペイン王カルロス4世の手に渡り、エル・エスコリアル修道院に飾られた作品。
右:バルトロメ・エステバン・ムリーリョ ロザリオの聖母 1650-55
大きさでパッと目を引く、コルネリ・デ・フォスの《アポロンと大蛇ピュトン》の横にその絵のもとになっている小さなルーベンスの下絵描きの《アポロンと大蛇ピュトン》があります。
下の2枚の絵、左下の小さい方がルーベンスの下絵です。絵の大きさに関係なく、迫力が感じられます。
このようなユニークな展示も多く見られます。
左下:ペ ー テ ル・パ ウ ル・ル ー ベ ン ス 《アポロンと大蛇ピュトン》
右:コ ル ネ リ ス・デ ・フ ォ ス《アポロンと大蛇ピュトン》
17世紀のフェリペ4世は祭壇画や神話画などに力を発揮したバロック期フランドルの画家、ペーテル・パウル・ルーベンス(1577〜1640年)がお気に入りでした。マドリード郊外の森にある狩猟休憩塔を飾るための神話画連作をルーベンスに注文。「アポロンと大蛇ピュトン」や「狩りをするディアナとニンフたち」はその油彩のための下絵だそうです。
ゴヤの作品も見逃せません。今回展示されているのは、怪物とか魔女とかの激しい絵ではなくて、明るい色彩の絵です。庭で人びとが遊んでいる光景だったり…。
右:フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス《トビアスと天使》1787年頃
《バベルの塔の建設》 ピーテル・ブリューゲル(2世) 1595年頃
左から フランシスコ・バイェウ・イ・スビアス《オリュンポス、巨人族の戦い》1764 年
ジャンバッティスタ(ジョヴァンニ・バッティスタ)・ティエポロ《オリュンポス、あるいはウェヌスの勝利》1761-64 年
マリアノ・サルバドール・マエーリャ《大地に収穫物を捧げる女神キュベレ》1798 年
ミシェランジュ・ウアス《エル・エスコリアル修道院の眺望》1720-22
カルロス・デ・アエス 左:《ヤシの林(エルチェ)》1861年 右:《エルチェのヤシ》1861年頃
作品保護の為に輸送が難しい板絵なども来日しています。これだけの作品が日本で公開される機会はもうないかもしれません。貴重な作品を間近に堪能することができるすばらしい展覧会、ぜひ足を運んでみてください。
名称:「プラド美術館展 ― スペイン宮廷 美への情熱」
会場:三菱第一号館美術館(東京都千代田区丸の内2-6-2)
会期:2015年10月10日(土)〜2016年1月31日(日)
営業時間:10:00〜18:00(金曜日・会期最終週平日は20:00まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(祝日の場合、12月28日、1月25日開館)
当日券:一般1,700円 高校・大学生1,000円・小中学生無料
公式サイト:http://mimt.jp/prado/
注)写真は内覧会開催時に主催者の許可を得て撮影したものです。
2015年11月01日
特別展「蘇州の見る夢−明・清時代の都市と絵画−」
中国の古都・蘇州の盛衰を切り口に明・清時代の絵画を紹介する特別展「蘇州の見る夢−明・清時代の都市と絵画」が、奈良市の大和文華館で開かれています。
重要文化財を含む68件を展示。前期は11月1日まで、後期は同3日〜15日。
明代中期以降、市場経済の発展を受けて、江南地域の杭州・蘇州・南京・松江・揚州などでは、次々と個性ある都市文化が花開いていきました。中でも重要なのが、「呉」と呼ばれる古都・蘇州です。蘇州は中国江南地方に位置する水の都です。 春秋戦国時代(紀元前585〜473年)の呉の首府で「呉越同舟」「臥薪嘗胆」の4文字熟語で有名です。
元時代には多くの知識人が往来し、文人文化が栄えましたが、元末に反明勢力の本拠地となったため、明初にはさまざまな弾圧を受けます、その後、王朝が安定するに従って往時の繁栄を取り戻し、経済的にも文化的にも中国を代表する都市となりました。
14世紀から19世紀にかけて経済的・文化的に繁栄を極めました。在野の文化人・学者のサロンの中心地でもあり、彼らの間で繊細な筆墨と甘美な彩色を特徴とする、山水図や花卉図が多く作られました。一方、街頭でも、富裕な市民を対象に、絢爛豪華な都市図や仕女図が大量に売買されるようになります。
蘇州画壇の中心は在野の文人たちの社交サークルでした、明の中・後期にかけては、その間で蘇州好みの典雅な山水画や花卉図が制作されていきます。 15〜16世紀には沈周(しんしゅう)とその後継者文徴明といった文人サークルのリーダーが出現。動乱の明末清初期には、西洋画風の伝播や奇古趣味の流行、近隣都市との文化競争の中で、蘇州の文人画風も変容を迫られます。ただ一方で、蘇州らしい甘美なイメージは、清後期に至るまで画家を魅了し、再生産され続けました。
明代後期の蘇州では、都市の興隆に伴う絵画受容層の拡大も顕著に認められます。宋代宮廷画を模した、華やかな青緑山水や仕女図が広く人気を集め、大量生産されて店頭で売買されるようになります。清時代にはより大衆向けに、都市風俗を描いた版画も多く制作されます。
この展覧会では各地の美術館や個人からの貴重な所蔵品が多く展示されています。
展示は「蘇州文化の土壌」「呉派文人画の成立と継承」「雅俗の交錯」「絵画市場の発展」など6テーマで紹介。展示品のうち、「菊花文禽(きん)図」(大阪市立美術館蔵、全期間展示)は在野の知識人だった沈周の最晩年の作で、キクとニワトリ、チョウが描かれ長寿を寿(ことほ)ぐ雰囲気。趙浙作で重文の「清明上河図巻」(林原美術館、同)は店舗と大勢の人たちが描かれ、にぎやかな都市の雑踏の雰囲気を伝えています。
主な出展作品
重要美術品 九段錦画冊 沈周筆 京都国立博物館
重要美術品 夢筠図巻 唐寅筆 東京国立博物館蔵
重要文化財 四万山水図 文伯仁筆 東京国立博物館蔵
「万竿烟雨」 「万壑松風」 「万頃晴波」 「万山飛雪」の4幅からなる大作です。
重要文化財 山水図 謝時臣筆 相国寺蔵
重要文化財 秋景山水図 李士達筆 静嘉堂文庫美術館蔵
険しくも穏やかな山の断崖を目の前にして、峡谷を挟んで、岩の上に東屋。文人が風流をめでています。 友が訪ねる道が続き、霧が峡谷にかかっています。まさに王道の山水画です。
重要文化財 竹裡泉声図 李士達筆 東京国立博物館蔵
画面下に道士と子供達5人が描かれています。
雲山平遠図巻 邵弥筆 大阪市立美術館蔵
重要文化財 金谷園桃李園図 仇英筆 知恩院蔵
左右逆に展示しても良いのでは?というお話も。
重要文化財 清明上河図巻 趙浙筆 1577林原美術館蔵
世界で80点以上はあるという「清明上河図」。中でもこれは遼寧省博物館のものについで細密だそう。巻頭が最も細密で途中から筆が粗くなり、複数の人が書いている可能性もあるそうです。
蘭竹図 雪窓1343年 宮内庁三の丸尚蔵館
雪窓は蘭の名手だそうです。蘭の葉の曲線が何とも美しい。
菊花文禽図 沈周 1509 大阪市立美術館
大阪市立美術館もいい中国絵画を多くお持ちだなと今回改めて思いました。
越中真景図冊 張宏 1639 大和文華館旅で越の名勝を見たまま描いた絵だそうです。
倣李唐山水図 1673 根津美術館
中国絵画好きには見逃せない展覧会。
この日はシンポジウムも開催されていて、日本だけでなく中国、台湾からいらした方もいたようです。
http://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/yamato/pdf/event151031.pdf
庭園の酔芙蓉の花もきれいでした。
2015年10月10日(土)〜11月15日(日)
前期:10月10日(土)〜11月1日(日) 後期:11月3日(火)〜11月15日(日)
月曜日休館(ただし、10月12日〈祝〉は開館し、翌13日〈火〉が休館)
入館料:一般930円、高校・大学生720円、小学・中学生無料
大和文華館のホームページhttp://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/yamato/
重要文化財を含む68件を展示。前期は11月1日まで、後期は同3日〜15日。
明代中期以降、市場経済の発展を受けて、江南地域の杭州・蘇州・南京・松江・揚州などでは、次々と個性ある都市文化が花開いていきました。中でも重要なのが、「呉」と呼ばれる古都・蘇州です。蘇州は中国江南地方に位置する水の都です。 春秋戦国時代(紀元前585〜473年)の呉の首府で「呉越同舟」「臥薪嘗胆」の4文字熟語で有名です。
元時代には多くの知識人が往来し、文人文化が栄えましたが、元末に反明勢力の本拠地となったため、明初にはさまざまな弾圧を受けます、その後、王朝が安定するに従って往時の繁栄を取り戻し、経済的にも文化的にも中国を代表する都市となりました。
14世紀から19世紀にかけて経済的・文化的に繁栄を極めました。在野の文化人・学者のサロンの中心地でもあり、彼らの間で繊細な筆墨と甘美な彩色を特徴とする、山水図や花卉図が多く作られました。一方、街頭でも、富裕な市民を対象に、絢爛豪華な都市図や仕女図が大量に売買されるようになります。
蘇州画壇の中心は在野の文人たちの社交サークルでした、明の中・後期にかけては、その間で蘇州好みの典雅な山水画や花卉図が制作されていきます。 15〜16世紀には沈周(しんしゅう)とその後継者文徴明といった文人サークルのリーダーが出現。動乱の明末清初期には、西洋画風の伝播や奇古趣味の流行、近隣都市との文化競争の中で、蘇州の文人画風も変容を迫られます。ただ一方で、蘇州らしい甘美なイメージは、清後期に至るまで画家を魅了し、再生産され続けました。
明代後期の蘇州では、都市の興隆に伴う絵画受容層の拡大も顕著に認められます。宋代宮廷画を模した、華やかな青緑山水や仕女図が広く人気を集め、大量生産されて店頭で売買されるようになります。清時代にはより大衆向けに、都市風俗を描いた版画も多く制作されます。
この展覧会では各地の美術館や個人からの貴重な所蔵品が多く展示されています。
展示は「蘇州文化の土壌」「呉派文人画の成立と継承」「雅俗の交錯」「絵画市場の発展」など6テーマで紹介。展示品のうち、「菊花文禽(きん)図」(大阪市立美術館蔵、全期間展示)は在野の知識人だった沈周の最晩年の作で、キクとニワトリ、チョウが描かれ長寿を寿(ことほ)ぐ雰囲気。趙浙作で重文の「清明上河図巻」(林原美術館、同)は店舗と大勢の人たちが描かれ、にぎやかな都市の雑踏の雰囲気を伝えています。
主な出展作品
重要美術品 九段錦画冊 沈周筆 京都国立博物館
重要美術品 夢筠図巻 唐寅筆 東京国立博物館蔵
重要文化財 四万山水図 文伯仁筆 東京国立博物館蔵
「万竿烟雨」 「万壑松風」 「万頃晴波」 「万山飛雪」の4幅からなる大作です。
重要文化財 山水図 謝時臣筆 相国寺蔵
重要文化財 秋景山水図 李士達筆 静嘉堂文庫美術館蔵
険しくも穏やかな山の断崖を目の前にして、峡谷を挟んで、岩の上に東屋。文人が風流をめでています。 友が訪ねる道が続き、霧が峡谷にかかっています。まさに王道の山水画です。
重要文化財 竹裡泉声図 李士達筆 東京国立博物館蔵
画面下に道士と子供達5人が描かれています。
雲山平遠図巻 邵弥筆 大阪市立美術館蔵
重要文化財 金谷園桃李園図 仇英筆 知恩院蔵
左右逆に展示しても良いのでは?というお話も。
重要文化財 清明上河図巻 趙浙筆 1577林原美術館蔵
世界で80点以上はあるという「清明上河図」。中でもこれは遼寧省博物館のものについで細密だそう。巻頭が最も細密で途中から筆が粗くなり、複数の人が書いている可能性もあるそうです。
蘭竹図 雪窓1343年 宮内庁三の丸尚蔵館
雪窓は蘭の名手だそうです。蘭の葉の曲線が何とも美しい。
菊花文禽図 沈周 1509 大阪市立美術館
大阪市立美術館もいい中国絵画を多くお持ちだなと今回改めて思いました。
越中真景図冊 張宏 1639 大和文華館旅で越の名勝を見たまま描いた絵だそうです。
倣李唐山水図 1673 根津美術館
中国絵画好きには見逃せない展覧会。
この日はシンポジウムも開催されていて、日本だけでなく中国、台湾からいらした方もいたようです。
http://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/yamato/pdf/event151031.pdf
庭園の酔芙蓉の花もきれいでした。
2015年10月10日(土)〜11月15日(日)
前期:10月10日(土)〜11月1日(日) 後期:11月3日(火)〜11月15日(日)
月曜日休館(ただし、10月12日〈祝〉は開館し、翌13日〈火〉が休館)
入館料:一般930円、高校・大学生720円、小学・中学生無料
大和文華館のホームページhttp://www.kintetsu-g-hd.co.jp/culture/yamato/
京都信行寺「花卉図」
「奇想の画家」として人気の若冲の最晩年の傑作といわれる天井画「花卉図」が、初めて公開されています。
今回限りかもしれないとのことで急遽日帰りで訪ねました。(入り口より中はカメラ撮影出来ません)
信行寺は浄土宗総本山知恩院の末寺です。もとは摂津国西宮にありましたが、開山順公上人のとき京都三条東洞院に移り、天正十七年(一五八九)には、秀吉の命で寺町丸太町(現在の新島襄旧邸あたり)に移ります。そして宝永五年(一七〇八)、御所や公家の邸宅、町屋や寺院など広く京都を焼き尽くした大火により、現在地洛東東山仁王門へと移転。本堂の落慶は享保元年(一七一六)だそうです。
本堂外陣の格天井には、江戸中期の京都の画家伊藤若冲(一七一六〜一八〇〇)の花卉図天井画167図があり、。若冲最晩年の傑作といわれています。
元は、若冲が晩年を過ごした石峰寺の観音堂にあったそうです。
外陣天井は、南北約四.八メートル、東西約十一.五メートル。南北に八段、東西に二十一列、計168の格子面に分割された格天井。各格子面は、縦横約三十八センチの板地に、直径三十三.六センチの円相が施され、その中に、それぞれ一種類の花卉が描かれています。円相の外部は群青色に塗りつぶされ、花卉図とのコントラストが鮮やか。花卉とは観賞用の植物のことですが、167図にもっとも多く描かれている花卉は牡丹(30図以上)。菊、梅がそれに続く。さらには、朝顔、蓮、桃、紫陽花、水仙、藤、百合、芍薬、鶏頭、オモダカなど数多くの花卉が描かれ、また、江戸時代に南蛮から持ち込まれたサボテンやヒマワリもあって実に変化に富んだ美しい天井です。構図は若冲らしいこだわりも。真っすぐ伸びるはずのアヤメはくるりと曲線を描いて花が下を向き、青いアサガオが群れるのは画面の端で真ん中は広い余白。赤いボタンの花は恥ずかしがりなのか、茎から後ろを向いて咲く――。
遊び心もふくめ、円形に適うよう、機知に溢れたいかにも若冲らしいデザインの構図となっています。
東北角のひとつは若冲の落款になっています。落款には、米斗翁八十八歳、若冲居士とあるそうですが良く見えませんでした。若冲はほんとうは84歳で没したらしいのですが、四という数字は縁起が悪いということで、末広がりの八になっていると説明がありました。
これほどたくさんの絵を若冲は1人で描きあげたのではなく、いくつもの下絵を持っていて、専門工房の絵師に描かせたことも考えられるということです。
劣化を防ぐため、信行寺はこれまで公開せずにきましたが、今回、京都市内の寺社など21カ所が参加する秋の「京都非公開文化財特別公開」で披露することになりました。
寺のすぐ横を幹線道路が通り、排ガスや振動の影響が懸念される。天井から下を向いた絵は、ただでさえ絵の具が落ちやすい。次の公開があるかどうかはわからないといいます。
白い花や、赤い花が分かりやすかったです。
私が行ったのは9時過ぎでしたが、既に行列。ただ入れ替え制なので、中に入ればゆっくり鑑賞できます。日が陰ると、暗くてあまり見えないので、晴れた日をおすすめします。日がさすと絵が浮かび上がり本当に美しい!
一茎二花の蓮を持つ木造観音菩薩像と信行寺大悲尊像縁起絵巻も拝観できました。
信行寺
アクセス 市バス「東山仁王門」「東山二条」下車、地下鉄東西線「東山」駅下車
こちらのサイトで写真が拝見できます。
http://www.asahi.com/and_M/gallery/koto/2015_autumn_3/
【観音菩薩像 伝慈覚大師円仁作】
本堂内陣左脇壇に安置された一茎二花の蓮を持つ木造観音菩薩立像は、天台宗第三代座主慈覚大師円仁の彫刻によるものと伝えられる。
当観音菩薩像にまつわる縁起は、同志社大学学術情報センター所蔵の「信行寺大悲尊像縁起絵巻」にたいへん興味深く記されている。
【信行寺大悲尊像縁起絵巻】
今回、同志社大学のご好意により、天保九年(一八三八)山田道貞作「信行寺大悲尊像縁起絵巻」をあわせて展示する。流れるような達筆、克明に描かれた絵、含蓄ある詞書、金の縁どりなど、特徴をそなえた縁起絵巻で、そこには、円仁の経歴にはじまり、観音菩薩像が、数度の火災をくぐり抜ける中で、多くに人々に厄難消除、福寿延命の利益、功徳を授け、信仰を集めていく様子が興味深く記されている。
今日はその後奈良へ。
今回限りかもしれないとのことで急遽日帰りで訪ねました。(入り口より中はカメラ撮影出来ません)
信行寺は浄土宗総本山知恩院の末寺です。もとは摂津国西宮にありましたが、開山順公上人のとき京都三条東洞院に移り、天正十七年(一五八九)には、秀吉の命で寺町丸太町(現在の新島襄旧邸あたり)に移ります。そして宝永五年(一七〇八)、御所や公家の邸宅、町屋や寺院など広く京都を焼き尽くした大火により、現在地洛東東山仁王門へと移転。本堂の落慶は享保元年(一七一六)だそうです。
本堂外陣の格天井には、江戸中期の京都の画家伊藤若冲(一七一六〜一八〇〇)の花卉図天井画167図があり、。若冲最晩年の傑作といわれています。
元は、若冲が晩年を過ごした石峰寺の観音堂にあったそうです。
外陣天井は、南北約四.八メートル、東西約十一.五メートル。南北に八段、東西に二十一列、計168の格子面に分割された格天井。各格子面は、縦横約三十八センチの板地に、直径三十三.六センチの円相が施され、その中に、それぞれ一種類の花卉が描かれています。円相の外部は群青色に塗りつぶされ、花卉図とのコントラストが鮮やか。花卉とは観賞用の植物のことですが、167図にもっとも多く描かれている花卉は牡丹(30図以上)。菊、梅がそれに続く。さらには、朝顔、蓮、桃、紫陽花、水仙、藤、百合、芍薬、鶏頭、オモダカなど数多くの花卉が描かれ、また、江戸時代に南蛮から持ち込まれたサボテンやヒマワリもあって実に変化に富んだ美しい天井です。構図は若冲らしいこだわりも。真っすぐ伸びるはずのアヤメはくるりと曲線を描いて花が下を向き、青いアサガオが群れるのは画面の端で真ん中は広い余白。赤いボタンの花は恥ずかしがりなのか、茎から後ろを向いて咲く――。
遊び心もふくめ、円形に適うよう、機知に溢れたいかにも若冲らしいデザインの構図となっています。
東北角のひとつは若冲の落款になっています。落款には、米斗翁八十八歳、若冲居士とあるそうですが良く見えませんでした。若冲はほんとうは84歳で没したらしいのですが、四という数字は縁起が悪いということで、末広がりの八になっていると説明がありました。
これほどたくさんの絵を若冲は1人で描きあげたのではなく、いくつもの下絵を持っていて、専門工房の絵師に描かせたことも考えられるということです。
劣化を防ぐため、信行寺はこれまで公開せずにきましたが、今回、京都市内の寺社など21カ所が参加する秋の「京都非公開文化財特別公開」で披露することになりました。
寺のすぐ横を幹線道路が通り、排ガスや振動の影響が懸念される。天井から下を向いた絵は、ただでさえ絵の具が落ちやすい。次の公開があるかどうかはわからないといいます。
白い花や、赤い花が分かりやすかったです。
私が行ったのは9時過ぎでしたが、既に行列。ただ入れ替え制なので、中に入ればゆっくり鑑賞できます。日が陰ると、暗くてあまり見えないので、晴れた日をおすすめします。日がさすと絵が浮かび上がり本当に美しい!
一茎二花の蓮を持つ木造観音菩薩像と信行寺大悲尊像縁起絵巻も拝観できました。
信行寺
アクセス 市バス「東山仁王門」「東山二条」下車、地下鉄東西線「東山」駅下車
こちらのサイトで写真が拝見できます。
http://www.asahi.com/and_M/gallery/koto/2015_autumn_3/
【観音菩薩像 伝慈覚大師円仁作】
本堂内陣左脇壇に安置された一茎二花の蓮を持つ木造観音菩薩立像は、天台宗第三代座主慈覚大師円仁の彫刻によるものと伝えられる。
当観音菩薩像にまつわる縁起は、同志社大学学術情報センター所蔵の「信行寺大悲尊像縁起絵巻」にたいへん興味深く記されている。
【信行寺大悲尊像縁起絵巻】
今回、同志社大学のご好意により、天保九年(一八三八)山田道貞作「信行寺大悲尊像縁起絵巻」をあわせて展示する。流れるような達筆、克明に描かれた絵、含蓄ある詞書、金の縁どりなど、特徴をそなえた縁起絵巻で、そこには、円仁の経歴にはじまり、観音菩薩像が、数度の火災をくぐり抜ける中で、多くに人々に厄難消除、福寿延命の利益、功徳を授け、信仰を集めていく様子が興味深く記されている。
今日はその後奈良へ。
2015年10月25日
特別展「根津青山の至宝」
東京・南青山の根津美術館で開催されている、「財団創設75周年記念特別展 根津青山の至宝 初代根津嘉一郎コレクションの軌跡」展に行ってきました。
初代根津嘉一郎は、明治、大正、昭和を生きた実業家で、同時に茶人としても知られ、根津青山(せいざん)と号しました。その青山、嘉一郎が亡くなったのが1940(昭和15)年。同年、青山の長男、二代目根津嘉一郎が初代の遺志を継ぎ、財団法人根津美術館を設立。本年はそれから75年目に当たるわけです。
同展では財団創立75周年を記念し、書画と茶道具を中心に初代嘉一郎のコレクションの軌跡をたどtっています。
第1〜2展示室は「コレクションの形成と茶の湯」と題し、嘉一郎が東京に活動の場を移して実業の傍ら集めた古美術を収集順にラインアップ。1906年、オークションで当時16,500円という大金で落札し、嘉一郎の名が古美術界に知れ渡るきっかけとなった「花白河蒔絵硯箱(はなのしらかわまきえすずりばこ)」(重要文化財、日本・室町時代)や、一筋の滝の姿に自然への畏敬の念が込められた「那智瀧図(なちのたきず)」(国宝、日本・鎌倉時代)などが並び、嘉一郎の好みや審美眼、茶道具へ関心を深めていった様子を伝えています。
ほかに、仏教美術をあつめた第3室、中国古代の青銅器を並べる第4室、全10巻中8巻が正倉院に収蔵される国宝「根本百一羯磨」の第6巻など古写経コレクションをそろえる第5室が展開。第6室では「永久決別の茶会」と題し、1940年に80歳で逝去した嘉一郎が、亡くなる一週間前に青山の自邸で開催した茶事を再現。茶室に見立てた畳の展示スペースに、赤く焼けた肌に丸い同部が愛らしい「赤楽茶碗」(日本・江戸時代)や「石山寺蒔絵源氏箪笥(いしやまでらまきえげんじだんす)」(重要美術品、日本・江戸時代)などを並べられていました。
国宝の「那智瀧図」は、最新の照明手法により、那智の瀧が白く輝いてみえます。さらに照明が明るくなったことで、この滝のまわりに描かれている杉木立などのディテール、拝殿の屋根などの彩色、この拝殿の屋根を突き抜いて天にのびる杉の大木、地面に塗られた金地等も、よくみることができるようになりました。 滝のまわりの杉の木の木肌には、苔むした緑以外に、打ち付けられた御札が描かれていました。
画面上部の丸いものは月なのか太陽なのか? それは長年、美術界で論争になっており、未だ結論が出ていないそうです。この絵を神道的見地からみると月となり、仏教的見地からみると太陽になるのだということですが、どちらにしろその美しさ、神秘性が私たちみるものを捉えてやまないのはいうまでもありません。
フランスの文化大臣だったアンドレ・マルローは、この「那智瀧図」をみた瞬間に、「アマテラス!」と叫んだと伝えられています。 古来、多くの人の信仰を集めた(今でいうなら最高のパワースポット)、熊野の那智の瀧。多くの絵巻物や曼荼羅図に描かれているのですが、那智の瀧だけを描いたものはたったこの1点だけだそうです。 神仏習合という日本独自の宗教観に基づき、自然の中に宿る神を描いているという意味では宗教画であり、日本の自然への畏敬を描いた風景画でもあります。
今回の展覧会では、他にも国宝「鶉図」、重要文化財「山水図」(祥啓筆)、「猿猴図」(黄筌印)、「蓮燕図」(伝牧谿筆)など、魅惑的な中世絵画の数々を堪能できます。
同時に、初代嘉一郎、青山が茶人であっただけに、茶道具の数々も見逃せません。
秋野蒔絵手箱 14世紀
山水図 祥啓筆1幅 室町時代 15世紀
江天遠意図伝 周文筆・大岳周崇ほか11僧賛 室町時代 15世紀
鶉図 伝・李安忠筆 中国・南宋時代 12−13世紀
周茂叔愛蓮図 伝 小栗宗湛筆 室町時代 16世紀
馬麟筆『夕陽山水図』は、よく見ると雲が夕日に染まる様子や、遠山の山肌や樹木、さらに手前の空を舞う四羽の燕も丁寧に描かれています。画面の大半を埋めるのは、南宋第5代の皇帝・理宗の賛。
伝・牧谿筆『蓮燕図』は、松平不昧公旧蔵で、根津嘉一郎が購入後、記念写真を撮って、すぐ売却してしまい、現在は三井記念美術館の所蔵になっています。
展示室2には、やはり松平不昧公旧蔵品の大きな銅鑼がありました。美音で知られた銅鑼で、嘉一郎の歳暮茶会では、自由に試し打ちして楽しむのを慣例としたそうです。
また、基本的には、展示作品は根津美術館のコレクションによるものですが、中には、石川県立美術館蔵の 《色絵白雁香合》 のように、初代根津嘉一郎が見たがった、または欲しがった美術品も紹介されていました。
秋のさわやかな休日、都心の一等地で第1級の古美術と少し早い紅葉も楽しめました。
財団創立75周年記念特別展 根津青山の至宝
〇開催:2015年9月19日(土)〜11月3日(火・祝)
〇時間:10:00〜17:00 ※入場は16:30まで、月曜休館(一部祝日などをのぞく)
〇会場:根津美術館/港区南青山6-5-1
〇料金:大人1,200円ほか
〇公式:http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html
初代根津嘉一郎は、明治、大正、昭和を生きた実業家で、同時に茶人としても知られ、根津青山(せいざん)と号しました。その青山、嘉一郎が亡くなったのが1940(昭和15)年。同年、青山の長男、二代目根津嘉一郎が初代の遺志を継ぎ、財団法人根津美術館を設立。本年はそれから75年目に当たるわけです。
同展では財団創立75周年を記念し、書画と茶道具を中心に初代嘉一郎のコレクションの軌跡をたどtっています。
第1〜2展示室は「コレクションの形成と茶の湯」と題し、嘉一郎が東京に活動の場を移して実業の傍ら集めた古美術を収集順にラインアップ。1906年、オークションで当時16,500円という大金で落札し、嘉一郎の名が古美術界に知れ渡るきっかけとなった「花白河蒔絵硯箱(はなのしらかわまきえすずりばこ)」(重要文化財、日本・室町時代)や、一筋の滝の姿に自然への畏敬の念が込められた「那智瀧図(なちのたきず)」(国宝、日本・鎌倉時代)などが並び、嘉一郎の好みや審美眼、茶道具へ関心を深めていった様子を伝えています。
ほかに、仏教美術をあつめた第3室、中国古代の青銅器を並べる第4室、全10巻中8巻が正倉院に収蔵される国宝「根本百一羯磨」の第6巻など古写経コレクションをそろえる第5室が展開。第6室では「永久決別の茶会」と題し、1940年に80歳で逝去した嘉一郎が、亡くなる一週間前に青山の自邸で開催した茶事を再現。茶室に見立てた畳の展示スペースに、赤く焼けた肌に丸い同部が愛らしい「赤楽茶碗」(日本・江戸時代)や「石山寺蒔絵源氏箪笥(いしやまでらまきえげんじだんす)」(重要美術品、日本・江戸時代)などを並べられていました。
国宝の「那智瀧図」は、最新の照明手法により、那智の瀧が白く輝いてみえます。さらに照明が明るくなったことで、この滝のまわりに描かれている杉木立などのディテール、拝殿の屋根などの彩色、この拝殿の屋根を突き抜いて天にのびる杉の大木、地面に塗られた金地等も、よくみることができるようになりました。 滝のまわりの杉の木の木肌には、苔むした緑以外に、打ち付けられた御札が描かれていました。
画面上部の丸いものは月なのか太陽なのか? それは長年、美術界で論争になっており、未だ結論が出ていないそうです。この絵を神道的見地からみると月となり、仏教的見地からみると太陽になるのだということですが、どちらにしろその美しさ、神秘性が私たちみるものを捉えてやまないのはいうまでもありません。
フランスの文化大臣だったアンドレ・マルローは、この「那智瀧図」をみた瞬間に、「アマテラス!」と叫んだと伝えられています。 古来、多くの人の信仰を集めた(今でいうなら最高のパワースポット)、熊野の那智の瀧。多くの絵巻物や曼荼羅図に描かれているのですが、那智の瀧だけを描いたものはたったこの1点だけだそうです。 神仏習合という日本独自の宗教観に基づき、自然の中に宿る神を描いているという意味では宗教画であり、日本の自然への畏敬を描いた風景画でもあります。
今回の展覧会では、他にも国宝「鶉図」、重要文化財「山水図」(祥啓筆)、「猿猴図」(黄筌印)、「蓮燕図」(伝牧谿筆)など、魅惑的な中世絵画の数々を堪能できます。
同時に、初代嘉一郎、青山が茶人であっただけに、茶道具の数々も見逃せません。
秋野蒔絵手箱 14世紀
山水図 祥啓筆1幅 室町時代 15世紀
江天遠意図伝 周文筆・大岳周崇ほか11僧賛 室町時代 15世紀
鶉図 伝・李安忠筆 中国・南宋時代 12−13世紀
周茂叔愛蓮図 伝 小栗宗湛筆 室町時代 16世紀
馬麟筆『夕陽山水図』は、よく見ると雲が夕日に染まる様子や、遠山の山肌や樹木、さらに手前の空を舞う四羽の燕も丁寧に描かれています。画面の大半を埋めるのは、南宋第5代の皇帝・理宗の賛。
伝・牧谿筆『蓮燕図』は、松平不昧公旧蔵で、根津嘉一郎が購入後、記念写真を撮って、すぐ売却してしまい、現在は三井記念美術館の所蔵になっています。
展示室2には、やはり松平不昧公旧蔵品の大きな銅鑼がありました。美音で知られた銅鑼で、嘉一郎の歳暮茶会では、自由に試し打ちして楽しむのを慣例としたそうです。
また、基本的には、展示作品は根津美術館のコレクションによるものですが、中には、石川県立美術館蔵の 《色絵白雁香合》 のように、初代根津嘉一郎が見たがった、または欲しがった美術品も紹介されていました。
秋のさわやかな休日、都心の一等地で第1級の古美術と少し早い紅葉も楽しめました。
財団創立75周年記念特別展 根津青山の至宝
〇開催:2015年9月19日(土)〜11月3日(火・祝)
〇時間:10:00〜17:00 ※入場は16:30まで、月曜休館(一部祝日などをのぞく)
〇会場:根津美術館/港区南青山6-5-1
〇料金:大人1,200円ほか
〇公式:http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html
2015年10月24日
「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」
東京ミッドタウン内にあるサントリー美術館で開催中の「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」展に行ってきました。
久隅守景は狩野派中興の祖で幕府の御用絵師、狩野探幽の一番弟子といわれ、山水画、人物画、花鳥画、仏画など幅広く活躍しました。子どもの不祥事が続き、狩野派を離れますが、詩情豊かに庶民らを表現した「四季耕作図」を多く制作し、子ども、動物を温かく描いたことで知られています。晩年は加賀藩前田家の招きで金沢に滞在したと伝えられています。そして京で最晩年を過ごしたようです。山あり谷ありの生涯でしたが生没年などの詳しいことが謎に包まれている画家でもあります。基準作というものも少ないので画業を辿る事が難しい絵師の一人ですが、サントリー美術館が果敢に謎多き絵師に迫っています。
冒頭には、狩野探幽に入門し、画家としてのスタートを切った守景の比較的若い頃の作品が並びます。気に入ったのは、知恩院小方丈の『四季山水図襖』。中国の桂林漓江(りこう)下りのような風景。
遠景の山が、お椀を伏せたように連なり、とても詩情豊かに描かれています。
知恩院の大方丈や小方丈は昨年公開されたときに行きましたが、他の部屋の襖絵は狩野尚信・信政ら狩野家の中枢絵師が描いていますが、本展に出ている小方丈下段の間西側の夏景四面は守景がこれらの中枢絵師とともに障壁画制作に参加した最初期の例だそうです。
瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長の菩提を弔うため三代藩主前田利常によって高岡に建立された寺。 瑞龍寺の仏殿、法堂、山門が国宝に、総門、禅堂、高廊下、回廊、大茶堂が重要文化財に指定されています。 今回出展の「四季山水図襖」は「瑞雲閣」と呼ばれる書院にあり、前後期四面ずつが展示されます。
久隅守景の代表作といえば、国宝に指定されている「納涼図屏風」です。前期のみ出展です。昼間の厚さが落ち着いた夏の夜の団欒が描かれています。男女で線描を変えたりと守景の技量の豊かさも見れる作品です。
また今回は「十六羅漢図」は四幅づつ展示替えで全幅見れます。神奈川県津久井の光明寺に『十六羅漢図』16幅が伝わっていることを初めて知りました。人間的で生き生きした姿に描かれていて、あまり怖くない羅漢図です。動物もかわいい。展示替えがあるので、最終週は雀に注目。
そして、守景が繰り返し描いた「四季耕作図」の世界。今回の展示では中国の農村を描いているのですが、なぜ中国なのでしょうか?東京国立博物館の耕織図が良かった。
また屏風は通常右から左へ四季が移ろうのですが、守景の四季耕作図は左から四季が始まるものがほとんどです。3Fに移動すると、「賀茂競馬図屛風」の作品があり、京都へ移り住んだ時期の作品になります。守景は四季耕作図でも、このような祭事を題材にした作品での様々な身分の人物を描かいています。
石川県立美術館の「花鳥図屛風」は琳派風。他にも「都鳥」など琳派風の作品もあって意外な面を発見しました。
最後は子供たちの作品。春に実践女子学園香雪記念資料館で開催された「華麗なる江戸の女性画家たち」でも清原雪信は展示されていました。探幽の大和絵の優美さを継承した雪信は当時から現在も人気があり、江戸時代を代表する女性画家の一人です。繊細優美な作品が前期展示には並んでいます。
作品数は多くはありませんが、全体を通して「個人蔵」の作品をたくさん見ることができ、ゆったり鑑賞できたたのは、貴重な機会でした。
「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」展
所在地:東京都港区9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階 サントリー美術館
開館期間:2015年10月10日〜11月29日
開館時間:10:00~18:00(金・土および10月11日、11月2日、11月22日は20:00まで開館)
休館日:火曜日(11月3日は開館)、11月4日
料金:一般1,300円、大学・高校生1,000円、中学生以下無料 ※20名様以上の団体は100円割引
電話番号:03−3479−8600
公式サイト:http://suntory.jp/SMA/
※期間中展示替えがあります。
久隅守景は狩野派中興の祖で幕府の御用絵師、狩野探幽の一番弟子といわれ、山水画、人物画、花鳥画、仏画など幅広く活躍しました。子どもの不祥事が続き、狩野派を離れますが、詩情豊かに庶民らを表現した「四季耕作図」を多く制作し、子ども、動物を温かく描いたことで知られています。晩年は加賀藩前田家の招きで金沢に滞在したと伝えられています。そして京で最晩年を過ごしたようです。山あり谷ありの生涯でしたが生没年などの詳しいことが謎に包まれている画家でもあります。基準作というものも少ないので画業を辿る事が難しい絵師の一人ですが、サントリー美術館が果敢に謎多き絵師に迫っています。
冒頭には、狩野探幽に入門し、画家としてのスタートを切った守景の比較的若い頃の作品が並びます。気に入ったのは、知恩院小方丈の『四季山水図襖』。中国の桂林漓江(りこう)下りのような風景。
遠景の山が、お椀を伏せたように連なり、とても詩情豊かに描かれています。
知恩院の大方丈や小方丈は昨年公開されたときに行きましたが、他の部屋の襖絵は狩野尚信・信政ら狩野家の中枢絵師が描いていますが、本展に出ている小方丈下段の間西側の夏景四面は守景がこれらの中枢絵師とともに障壁画制作に参加した最初期の例だそうです。
瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長の菩提を弔うため三代藩主前田利常によって高岡に建立された寺。 瑞龍寺の仏殿、法堂、山門が国宝に、総門、禅堂、高廊下、回廊、大茶堂が重要文化財に指定されています。 今回出展の「四季山水図襖」は「瑞雲閣」と呼ばれる書院にあり、前後期四面ずつが展示されます。
久隅守景の代表作といえば、国宝に指定されている「納涼図屏風」です。前期のみ出展です。昼間の厚さが落ち着いた夏の夜の団欒が描かれています。男女で線描を変えたりと守景の技量の豊かさも見れる作品です。
また今回は「十六羅漢図」は四幅づつ展示替えで全幅見れます。神奈川県津久井の光明寺に『十六羅漢図』16幅が伝わっていることを初めて知りました。人間的で生き生きした姿に描かれていて、あまり怖くない羅漢図です。動物もかわいい。展示替えがあるので、最終週は雀に注目。
そして、守景が繰り返し描いた「四季耕作図」の世界。今回の展示では中国の農村を描いているのですが、なぜ中国なのでしょうか?東京国立博物館の耕織図が良かった。
また屏風は通常右から左へ四季が移ろうのですが、守景の四季耕作図は左から四季が始まるものがほとんどです。3Fに移動すると、「賀茂競馬図屛風」の作品があり、京都へ移り住んだ時期の作品になります。守景は四季耕作図でも、このような祭事を題材にした作品での様々な身分の人物を描かいています。
石川県立美術館の「花鳥図屛風」は琳派風。他にも「都鳥」など琳派風の作品もあって意外な面を発見しました。
最後は子供たちの作品。春に実践女子学園香雪記念資料館で開催された「華麗なる江戸の女性画家たち」でも清原雪信は展示されていました。探幽の大和絵の優美さを継承した雪信は当時から現在も人気があり、江戸時代を代表する女性画家の一人です。繊細優美な作品が前期展示には並んでいます。
作品数は多くはありませんが、全体を通して「個人蔵」の作品をたくさん見ることができ、ゆったり鑑賞できたたのは、貴重な機会でした。
「逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし」展
所在地:東京都港区9-7-4 東京ミッドタウン ガレリア3階 サントリー美術館
開館期間:2015年10月10日〜11月29日
開館時間:10:00~18:00(金・土および10月11日、11月2日、11月22日は20:00まで開館)
休館日:火曜日(11月3日は開館)、11月4日
料金:一般1,300円、大学・高校生1,000円、中学生以下無料 ※20名様以上の団体は100円割引
電話番号:03−3479−8600
公式サイト:http://suntory.jp/SMA/
※期間中展示替えがあります。