2015年11月01日
京都信行寺「花卉図」
「奇想の画家」として人気の若冲の最晩年の傑作といわれる天井画「花卉図」が、初めて公開されています。
今回限りかもしれないとのことで急遽日帰りで訪ねました。(入り口より中はカメラ撮影出来ません)
信行寺は浄土宗総本山知恩院の末寺です。もとは摂津国西宮にありましたが、開山順公上人のとき京都三条東洞院に移り、天正十七年(一五八九)には、秀吉の命で寺町丸太町(現在の新島襄旧邸あたり)に移ります。そして宝永五年(一七〇八)、御所や公家の邸宅、町屋や寺院など広く京都を焼き尽くした大火により、現在地洛東東山仁王門へと移転。本堂の落慶は享保元年(一七一六)だそうです。
本堂外陣の格天井には、江戸中期の京都の画家伊藤若冲(一七一六〜一八〇〇)の花卉図天井画167図があり、。若冲最晩年の傑作といわれています。
元は、若冲が晩年を過ごした石峰寺の観音堂にあったそうです。
外陣天井は、南北約四.八メートル、東西約十一.五メートル。南北に八段、東西に二十一列、計168の格子面に分割された格天井。各格子面は、縦横約三十八センチの板地に、直径三十三.六センチの円相が施され、その中に、それぞれ一種類の花卉が描かれています。円相の外部は群青色に塗りつぶされ、花卉図とのコントラストが鮮やか。花卉とは観賞用の植物のことですが、167図にもっとも多く描かれている花卉は牡丹(30図以上)。菊、梅がそれに続く。さらには、朝顔、蓮、桃、紫陽花、水仙、藤、百合、芍薬、鶏頭、オモダカなど数多くの花卉が描かれ、また、江戸時代に南蛮から持ち込まれたサボテンやヒマワリもあって実に変化に富んだ美しい天井です。構図は若冲らしいこだわりも。真っすぐ伸びるはずのアヤメはくるりと曲線を描いて花が下を向き、青いアサガオが群れるのは画面の端で真ん中は広い余白。赤いボタンの花は恥ずかしがりなのか、茎から後ろを向いて咲く――。
遊び心もふくめ、円形に適うよう、機知に溢れたいかにも若冲らしいデザインの構図となっています。
東北角のひとつは若冲の落款になっています。落款には、米斗翁八十八歳、若冲居士とあるそうですが良く見えませんでした。若冲はほんとうは84歳で没したらしいのですが、四という数字は縁起が悪いということで、末広がりの八になっていると説明がありました。
これほどたくさんの絵を若冲は1人で描きあげたのではなく、いくつもの下絵を持っていて、専門工房の絵師に描かせたことも考えられるということです。
劣化を防ぐため、信行寺はこれまで公開せずにきましたが、今回、京都市内の寺社など21カ所が参加する秋の「京都非公開文化財特別公開」で披露することになりました。
寺のすぐ横を幹線道路が通り、排ガスや振動の影響が懸念される。天井から下を向いた絵は、ただでさえ絵の具が落ちやすい。次の公開があるかどうかはわからないといいます。
白い花や、赤い花が分かりやすかったです。
私が行ったのは9時過ぎでしたが、既に行列。ただ入れ替え制なので、中に入ればゆっくり鑑賞できます。日が陰ると、暗くてあまり見えないので、晴れた日をおすすめします。日がさすと絵が浮かび上がり本当に美しい!
一茎二花の蓮を持つ木造観音菩薩像と信行寺大悲尊像縁起絵巻も拝観できました。
信行寺
アクセス 市バス「東山仁王門」「東山二条」下車、地下鉄東西線「東山」駅下車
こちらのサイトで写真が拝見できます。
http://www.asahi.com/and_M/gallery/koto/2015_autumn_3/
【観音菩薩像 伝慈覚大師円仁作】
本堂内陣左脇壇に安置された一茎二花の蓮を持つ木造観音菩薩立像は、天台宗第三代座主慈覚大師円仁の彫刻によるものと伝えられる。
当観音菩薩像にまつわる縁起は、同志社大学学術情報センター所蔵の「信行寺大悲尊像縁起絵巻」にたいへん興味深く記されている。
【信行寺大悲尊像縁起絵巻】
今回、同志社大学のご好意により、天保九年(一八三八)山田道貞作「信行寺大悲尊像縁起絵巻」をあわせて展示する。流れるような達筆、克明に描かれた絵、含蓄ある詞書、金の縁どりなど、特徴をそなえた縁起絵巻で、そこには、円仁の経歴にはじまり、観音菩薩像が、数度の火災をくぐり抜ける中で、多くに人々に厄難消除、福寿延命の利益、功徳を授け、信仰を集めていく様子が興味深く記されている。
今日はその後奈良へ。
今回限りかもしれないとのことで急遽日帰りで訪ねました。(入り口より中はカメラ撮影出来ません)
信行寺は浄土宗総本山知恩院の末寺です。もとは摂津国西宮にありましたが、開山順公上人のとき京都三条東洞院に移り、天正十七年(一五八九)には、秀吉の命で寺町丸太町(現在の新島襄旧邸あたり)に移ります。そして宝永五年(一七〇八)、御所や公家の邸宅、町屋や寺院など広く京都を焼き尽くした大火により、現在地洛東東山仁王門へと移転。本堂の落慶は享保元年(一七一六)だそうです。
本堂外陣の格天井には、江戸中期の京都の画家伊藤若冲(一七一六〜一八〇〇)の花卉図天井画167図があり、。若冲最晩年の傑作といわれています。
元は、若冲が晩年を過ごした石峰寺の観音堂にあったそうです。
外陣天井は、南北約四.八メートル、東西約十一.五メートル。南北に八段、東西に二十一列、計168の格子面に分割された格天井。各格子面は、縦横約三十八センチの板地に、直径三十三.六センチの円相が施され、その中に、それぞれ一種類の花卉が描かれています。円相の外部は群青色に塗りつぶされ、花卉図とのコントラストが鮮やか。花卉とは観賞用の植物のことですが、167図にもっとも多く描かれている花卉は牡丹(30図以上)。菊、梅がそれに続く。さらには、朝顔、蓮、桃、紫陽花、水仙、藤、百合、芍薬、鶏頭、オモダカなど数多くの花卉が描かれ、また、江戸時代に南蛮から持ち込まれたサボテンやヒマワリもあって実に変化に富んだ美しい天井です。構図は若冲らしいこだわりも。真っすぐ伸びるはずのアヤメはくるりと曲線を描いて花が下を向き、青いアサガオが群れるのは画面の端で真ん中は広い余白。赤いボタンの花は恥ずかしがりなのか、茎から後ろを向いて咲く――。
遊び心もふくめ、円形に適うよう、機知に溢れたいかにも若冲らしいデザインの構図となっています。
東北角のひとつは若冲の落款になっています。落款には、米斗翁八十八歳、若冲居士とあるそうですが良く見えませんでした。若冲はほんとうは84歳で没したらしいのですが、四という数字は縁起が悪いということで、末広がりの八になっていると説明がありました。
これほどたくさんの絵を若冲は1人で描きあげたのではなく、いくつもの下絵を持っていて、専門工房の絵師に描かせたことも考えられるということです。
劣化を防ぐため、信行寺はこれまで公開せずにきましたが、今回、京都市内の寺社など21カ所が参加する秋の「京都非公開文化財特別公開」で披露することになりました。
寺のすぐ横を幹線道路が通り、排ガスや振動の影響が懸念される。天井から下を向いた絵は、ただでさえ絵の具が落ちやすい。次の公開があるかどうかはわからないといいます。
白い花や、赤い花が分かりやすかったです。
私が行ったのは9時過ぎでしたが、既に行列。ただ入れ替え制なので、中に入ればゆっくり鑑賞できます。日が陰ると、暗くてあまり見えないので、晴れた日をおすすめします。日がさすと絵が浮かび上がり本当に美しい!
一茎二花の蓮を持つ木造観音菩薩像と信行寺大悲尊像縁起絵巻も拝観できました。
信行寺
アクセス 市バス「東山仁王門」「東山二条」下車、地下鉄東西線「東山」駅下車
こちらのサイトで写真が拝見できます。
http://www.asahi.com/and_M/gallery/koto/2015_autumn_3/
【観音菩薩像 伝慈覚大師円仁作】
本堂内陣左脇壇に安置された一茎二花の蓮を持つ木造観音菩薩立像は、天台宗第三代座主慈覚大師円仁の彫刻によるものと伝えられる。
当観音菩薩像にまつわる縁起は、同志社大学学術情報センター所蔵の「信行寺大悲尊像縁起絵巻」にたいへん興味深く記されている。
【信行寺大悲尊像縁起絵巻】
今回、同志社大学のご好意により、天保九年(一八三八)山田道貞作「信行寺大悲尊像縁起絵巻」をあわせて展示する。流れるような達筆、克明に描かれた絵、含蓄ある詞書、金の縁どりなど、特徴をそなえた縁起絵巻で、そこには、円仁の経歴にはじまり、観音菩薩像が、数度の火災をくぐり抜ける中で、多くに人々に厄難消除、福寿延命の利益、功徳を授け、信仰を集めていく様子が興味深く記されている。
今日はその後奈良へ。