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2024年09月23日

三浦綾子の「道ありき」の相関関係について6

4 相関係数を言葉で表す

数字の意味を言葉で確認しておこう。 

-0. 7≦r≦-1.0 強い負の相関がある
-0.4≦r≦-0.7 やや負の相関がある
0≦r≦-0.4 ほとんど負の相関がない
0≦r≦0.2 ほとんど正の相関がない
0.2≦r≦0.4 やや正の相関がある
0.4≦r≦0.7 かなり正の相関がある
0.7≦r≦1 強い正の相関がある

5 まとめ

 三浦綾子の「道ありき」のデータベースのうち、言語の認知のカラム、思考の流れ1ある、2ないと、情報の認知のカラム、人工知能(気分障害)で1ある、2ないは、負の強い相関関係になることがわかった。

参考文献

花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
前野昌弘 回帰分析超入門 技術評論社 2012
三浦綾子 道ありき 新潮文庫 2004

三浦綾子の「道ありき」の相関関係について5

表2 計算表
A 2 3 5
偏差 -0.5 0.5 0
偏差2 0.25 0.25 0.5
B 5 0 5
偏差 2.5 2.5 5
偏差2 6.25 6.25 12.5
AB偏差の積 -1.25 -1.25 -2.5

◆相関係数は、次の公式で求めることができる。

相関係数=[(A-Aの平均値)x(B-Bの平均値)]の和/
√(A-Aの平均値)2の和x(B-Bの平均値)2の和

上記計算表を代入すると、

相関係数 = -2.5/√0.5 x 12.5 = -2.5/2.5 = -1

従って、負の強い相関があるといえる。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の相関について」より

三浦綾子の「道ありき」の相関関係について4

A 言語の認知(思考の流れ):1ある、2ない → 2、3
B 人工知能(気分障害):1ある、2ない → 5、0

◆A、Bそれぞれの平均値を出す。
Aの平均:(2 + 3)÷ 2 = 2.5
Bの平均:(5 + 0)÷ 2 = 2.5
◆A、Bそれぞれの偏差を計算する。偏差=各データ−平均値
Aの偏差:(2 – 2.5)、(3 – 2.5)= -0.5、0.5
Bの偏差:(5 – 2.5)、(0 – 2.5)= 2.5、-2.5
◆A、Bの偏差をそれぞれ2乗する。
Aの偏差2乗 = 0.25、0.25
Bの偏差2乗 = 6.25、6.25
◆AとBの偏差同士の積を計算する
(Aの偏差)x(Bの偏差)= -1.25、-1.25
◆AとBを2乗したものを合計する。
Aの偏差を2乗したものの合計 = 0.25 + 0.25 = 0.5
Bの偏差を2乗したものの合計 = 6.25 + 6.25 = 12.5
◆Aの偏差xBの偏差の合計を計算する。-0.75 + -0.75 = -1.5

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の相関について」より

三浦綾子の「道ありき」の相関関係について3

3 小説の場面に適用する 

表1 求道生活からの転機
A 言ってみれば、この世で望める限りの幸福を一心に集めていたわけだ。しかし彼は老人を見て、人間の衰えゆく姿を思い、葬式を見て、人の命の有限なることも思った。そしてある夜ひそかに、王宮も王子の地位も、美しい妻も子も棄てて、一人山の中に入ってしまった。 意味3 1、人工知能 1

B つまり釈迦は、今まで自分が幸福だと思っていたものに、むなしさだけを感じ取ってしまったのであろう。伝導の書といい、釈迦といい、そのそもそもの初めには虚無があったということに、わたしは宗教というものに共通する一つの姿を見た。 意味3 1、人工知能 1

C わたし自身、敗戦以来すっかり虚無的になっていたから、この発見はわたしに一つの転機をもたらした。
意味3 2、人工知能 1

D 虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつめられた時に、何かが開けるということを、伝導の書にわたしは感じた。
意味3 2、人工知能 1

E この伝導の書の終わりにあった、「何時の若き日に、何時の造り主をおぼえよ」の一言は、それ故にひどくわたしの心を打った。それ以来私たちの求道生活は、次第にまじめになっていった。
意味3 2、人工知能 1

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の相関について」より

三浦綾子の「道ありき」の相関関係について2

2 相関の作り方

 シナジーのメタファーのために作成しているデータベースは、データの種類で見ると、俗に言う測れないカテゴリーデータからなる。数量データといわれる身長、体重、気温、湿度などとは異なり、値が連続ではなく飛び飛びで離散的となる。前野(2012)によると、カテゴリーデータは、対象の性質を表したり、現象や区別を表したりする。性別、好き、嫌い、うまい、まずい、おもしろいなどあるものの性質や現象が示される。
 相関とは原因から結果が生じ、それが互いに関係しあっていることをいう。また、相関関係があるとは、ある測定値の変化に対して他の測定値も変化する場合に使われる。相関の強さは、ピアソンの相関係数で表す。合わせて共分散という統計用語が重要になる。 

(1) 共分散の公式
共分散=[(xの各データ−xの平均値)x(yの各データ−yの平均値)]の和/データ数
   =[(xの偏差)x(yの偏差)]の和/データ数
   = xとyの偏差積の和/データ数

正の相関があると0より大きく、負の相関があると0より小さくなる。

(2) 相関係数(ピアソン)
相関係数=XYの偏差平方和/√(Xの偏差平方和)x(Yの偏差平方和)

「道ありき」の問題解決の場面を使用して、簡単な例を見てみよう。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の相関について」より

三浦綾子の「道ありき」の相関関係について1

1 先行研究

 虚しい求道生活からの転機を解く「道ありき」のデータベースの一場面を使用し、既存の研究と照合すると、執筆時の三浦綾子(1922−1999)には、躁鬱を繰り返す気分障害による思考の流れが確認できる。
 この小論では、同じデータベースを使用して、相関関係を考察する。言語の認知のカラムは、思考の流れ、即ち、課題や問題が与えられたとき生じる一連の精神活動で、周囲の状況に応じた思考の流れは、虚無が1ある、2ない、情報の認知のカラムは、人工知能(気分障害)が1ある、2ないである。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の相関について」より

三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて7

3 まとめ
 
 リレーショナル・データベースの数字及びそこから求めた標準偏差により、「道ありき」に関して部分的ではあるが、既存の分析例が説明できている。従って、この小論の分析方法、即ちデータベースを作成する文学研究は、データ間のリンクなど人の目には見えないものを提供してくれるため、これまでよりも客観性を上げることに成功している。

【参考文献】

花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
三浦綾子 道ありき 新潮文庫 2004

三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて6

2.2 標準偏差による分析

 グループA、グループB、グループC、グループDそれぞれの標準偏差を計算する。その際、場面1、場面2、場面3の特性1と特性2のそれぞれの値は、質量ではなく指標であるため、特性の個数を数えて算術平均を出し、それぞれの値から算術平均を引き、その2乗の和集合の平均を求め、これを平方に開いていく。
 求められた各グループの標準偏差の数字は、何を表しているのだろうか。数字の意味が説明できれば、分析は、一応の成果が得られたことになる。 

◆グループA:五感(1視覚と2その他)
場面1(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
場面2(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、4個と特性2、1個)の標準偏差は、0.4となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、視覚情報が多いため、「道ありき」は、五感の中で視覚の情報が鍵になる作品といえる。

◆グループB:ジェスチャー(1直示と2隠喩)
場面1(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面2(特性1、4個と特性2、1個)の標準偏差は、0.4となる。
場面3(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
【数字からわかること】
「道ありき」は、闘病生活に人生を重ねた作品であるため、各場面を通して、隠喩が少ないことがわかる。

◆グループC:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)
場面1(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、0個と特性2、5個)の標準偏差は、0となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、新情報が多いため、ストーリーがテンポよく展開していることがわかる。

◆グループD:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)
場面1(特性1、5個と特性2、0個)の標準偏差は、0となる。
場面2(特性1、2個と特性2、3個)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、3個と特性2、2個)の標準偏差は、0.49となる。
【数字からわかること】
三浦綾子は、「道ありき」執筆中、場面の最後で問題解決を試みていることから、場面単位で作品の構成を考えている。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より

三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて5

場面3 綾子の退院

北大病院を退院して旭川に帰ったわたしは、精密検査の結果を、家人や三浦光世にあらためて報告した。血痰や喀血で、しばしば死の恐怖をわたしに与えた空洞が、いまや完全に治っていること、カリエスも、七年にわたってギプスベッドに忍耐したおかげで、堅実に治っていることをお互いに奇跡と喜び合った。
A2、B1、C2、D1

ただ、結核性腹膜炎から婦人科の方が少し冒されているため、引き続いて超短波の療法を、旭川の病院で受けることになった。毎日の通院が、わたしの体を次第に鍛えて行った。十貫足らずだった体重が、いつしか十四貫にまでなっていった。A1、B1、C2、D2

明けて昭和三十四年の正月である。三浦が一番先に年賀に来てくれた。わたしたちは新年初めての礼拝を、二人で待った。聖書を共に読み、賛美歌を歌い、共に祈った。わたしは彼に尋ねた。「来年のお正月も来て下さるでしょうね。」A1、B1、C2、D2

あべかわ餅を食べていた彼は、箸をとめ黙って首を横にふった。「まあ!来てくださらないの?」わたしは驚いて彼を見た。彼はおだやかに笑って言った。「来年の正月は、二人でこの家に年賀に来ましょう」「え?二人で?」彼の言葉にわたしはハッとした。何とも言えない喜びが胸にこみあげた。A1、B1、C2、D1

三浦光世が帰った後、わたしは母に彼の言葉を告げた。夕食の時、母が父に言った。「とうさん、今年はタンスを買わなくてはなりませんよ」「タンスを?どうしてだ」「だって、綾ちゃんがと嫁に行くんですって」「綾子がお嫁に?相手は誰だ、人間か」A1、B1、C2、D1

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より

三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて4

場面2 前川正の退院

わたしは、曾つて自分が、自殺を計ったことを思い出した。一人の人間が健康を取り戻すのに、これほどの苦しみを経なければならない。何とももったいないことを考えたのかと、その頃になってやっと自分の愚かさが悔やまれたりするのだった。A2、B2、C1、D2

彼の二回目の手術が終わった翌朝だった。うつらうつらしているわたしの病室に、彼の母と、弟さんが入って来た。私の所から借りたゴザを返しに来たという。そのゴザは、彼の母が病室に敷いて使うのに、わたしがお貸ししたのだった。A1、B1、C2、D1

驚いたわたしが、「どうして、もういらないのですか」と聞くと、「正が先ほど亡くなりましたから、もういらなくなったのです」と、おっしゃって、弟さんと二人で、わたしのベッドにつかまって泣かれるのだった。
A1、B1、C2、D2

「そんなはずがありません」
そう叫ぼうおもうのだが、なかなか声にならない。やっと声になったかと思った時、わたしは目をさました。いまのが夢だったとは思えないほど、あまりにありありとしていて、わたしは言いようのない不吉な予感がした。いやな夢を見たというより、いやな幻を見せられたという感じだった。A2、B1、C1、D2

だが、わたしの夢とは反対に、彼は再び日に日に元気になり、やがて三月の末に退院することになった。彼の父が迎えに来られ、わたしを見舞ってくださった時、わたしは目を真っ赤に泣きはらしていた。大きな手術も無事に終って、元気に反っていくのだから、わたしは誰よりも喜んでいいはずだった。それなのに、なぜかわたしは泣けて仕方がなかった。A1、B1、C2、D1

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より

三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて3

2 場面のイメージを分析する

2.1 データの抽出

 作成したデータベースから特性が2つあるカラムを抽出し、標準偏差によるバラツキを調べてみる。例えば、A:五感(1視覚と2それ以外)、B:ジェスチャー(1直示と2隠喩)、C:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)、D:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)というように文系と理系のカラムをそれぞれ2つずつ抽出する。

場面1 求道生活の転機

言ってみれば、この世で望める限りの幸福を一心に集めていたわけだ。しかし彼は老人を見て、人間の衰えゆく姿を思い、葬式を見て、人の命の有限なることも思った。そしてある夜ひそかに、王宮も王子の地位も、美しい妻も子も棄てて、一人山の中に入ってしまった。A1、B1、C2、D1

つまり釈迦は、今まで自分が幸福だと思っていたものに、むなしさだけを感じ取ってしまったのであろう。伝導の書といい、釈迦といい、そのそもそもの初めには虚無があったということに、わたしは宗教というものに共通する一つの姿を見た。A1、B1、C2、D1

わたし自身、敗戦以来すっかり虚無的になっていたから、この発見はわたしに一つの転機をもたらした。
A1、B2、C2、D1

虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつめられた時に、何かが開けるということを、伝導の書にわたしは感じた。
A1、B2、C2、D1

この伝導の書の終わりにあった、「何時の若き日に、何時の造り主をおぼえよ」の一言は、それ故にひどくわたしの心を打った。それ以来私たちの求道生活は、次第にまじめになっていった。
A1、B2、C2、D1

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より

三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて2

1.2 標準偏差

 標準偏差は、グループの全ての値によってバラツキを決めていく。グループの個々の値から算術平均がどれだけ離れているのかによって、バラツキの大きさが決まる。
 グループd(1、1、4、7、7)の算術平均は4である。それぞれの値から算術平均を引くと、1-4=-3、1-4=-3、4-4=0、7-4=3、7-4=3となる。この算術平均から離れている大きさを平均してやると、バラツキの目安が求められる。しかし、-3、-3、0、3、3を全部足すと0になるため、さらに工夫が必要になる。
 例えば、絶対値をとる方法とか値を2乗してマイナスの記号を取る方法がある。2乗した場合、9、9、0、9、9となり、平均値を求めると、5で割って7.2となる。但し、元の単位がcmのときに、2乗すればcm2となるため、7.2を開いて元に戻すと、√7.2 cm2≒2.68 cmというバラツキの大きさになる。
 
(1) 標準偏差の公式
σ=√Σ (Xi−X)2/n

 次にグループe(1、4、4、4、7)について見てみよう。算術平均は4である。それぞれの値から算術平均を引くと、1-4=-3、4-4=0、4-4=0、4-4=0、7-4=3となる。この算術平均から離れている大きさを平均すると、バラツキの目安が求められる。しかし、-3、0、0、0、3を全部足すと0になるため、それぞれを2乗して、9、0、0、0、9として平均値を求め、5で割って3.6を求める。
 但し、元の単位がcmのときに2乗すれば、cm2となるため、3.6を開いて元に戻すと、√3.6 cm2≒1.90 cmというバラツキの大きさになる。従って、グループdの方がグループeよりもバラつきが大きいことになる。
以下では、標準偏差(1)の公式を使用して、作成した三浦綾子の「道ありき」のデータに関するバラツキから見えてくる特徴を考察していく。 

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より

三浦綾子の「道ありき」のバラツキについて1

1 簡単な統計処理

1.1 データのバラツキ

 グループa(5、5、5、5、5)とグループb(3、4、5、6、7)とグループc(1、3、5、7、9)は、算術平均がいずれも5であり、また中央値(メジアン)も同様に5である。算術平均やメジアンを代表値としている限り、この3つのグループは差がないことになる。しかし、バラツキを考えると明らかに違いがある。グループaは、全てが5のため全くバラツキがない。グループbは、5が中心にあり3から7までばらついている。グループcは、1から9までの広範囲に渡ってバラツキが見られる。グループbのバラツキは、グループcのバラツキよりも小さい。  
 次に、グループd(1、1、4、7、7)とグループe(1、4、4、4、7)だと、どちらのバラツキが大きいことになるのだろうか。グループdは、中心の4から3も離れた所に4つの値がある。グループeは、中心に3つの値があって、そこから3離れたところに値が2つある。 
 バラツキの大きさを定義する方法で最も有名なのが、レンジと標準偏差である。レンジはグループの最大値から最小値を引くことにより求めることができる。グループdは、7-1=6で、グループeも7-1=6となる。レンジだけでバラツキを定義すれば、グループdとグループeは同じことになるが、グループ内の最大値と最小値だけを問題にするため、他の値が疎かになっている。そこでもう一つのバラツキに関する定義、標準偏差について見てみよう。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』から見えてくるバラツキについて」より

三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える9

A:情報の認知1は@ベースとプロファイル、情報の認知2はA新情報、情報の認知3は@計画から問題解決へである。
B:情報の認知1はAグループ化、情報の認知2はA新情報、情報の認知3は@計画から問題解決へである。
C:情報の認知1はB他の反応、情報の認知2はA新情報、情報の認知3は@計画から問題解決へである。
D:情報の認知1はB他の反応、情報の認知2はA新情報、情報の認知3は@計画から問題解決へである。
E:情報の認知1はAグループ化、情報の認知2はA新情報、情報の認知3は@計画から問題解決へである。

結果

 三浦綾子は、この場面で、聖書を読んで外部から情報を取り込み、釈迦を思い虚無に関する共通の姿を宗教に見出した。そして、虚無の生活からの転機により計画から問題解決に到達している。そのため「虚無と愛情」及び「虚無とうつ」という組が相互に作用する。

4 まとめ

 三浦綾子の執筆時の脳の活動を調べるために、まず受容と共生からなるLのストーリーを文献により組み立てた。次に、「道ありき」のLのストーリーをデータベース化し、最後に特定したところを実験で確認した。そのため、テキスト共生によるシナジーのメタファーについては、一応の研究成果が得られている。
 この種の実験をおよそ100人の作家で試みている。その際、日本人と外国人60人対40人、男女比4対1、ノーベル賞作家30人を目安に対照言語が独日であることから非英語の比較を意識してできるだけ日本語以外で英語が突出しないように心掛けている。 

参考文献

日本成人病予防協会 健康管理士一般指導員受験対策講座テキスト3 ヘルスケア出版 2014
花村嘉英 計算文学入門-Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?新風2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品-魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社2018
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日語教学研究会上海分会論文集 2018  
花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日語教学研究会上海分会論文集 2019 
三浦綾子 道ありき(青春編2004、結婚編2003、信仰入門編2011)新潮文庫 

三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える8

表3 虚無とうつの認知プロセス
虚無の生活から転機が訪れる場面

A 言ってみれば、この世で望める限りの幸福を一心に集めていたわけだ。しかし彼は老人を見て、人間の衰えゆく姿を思い、葬式を見て、人の命の有限なることも思った。そしてある夜ひそかに、王宮も王子の地位も、美しい妻も子も棄てて、一人山の中に入ってしまった。
情報の認知1 1、情報の認知2 2、情報の認知3 1

B つまり釈迦は、今まで自分が幸福だと思っていたものに、むなしさだけを感じ取ってしまったのであろう。電動の書といい、釈迦といい、そのそもそもの初めには虚無があったということに、わたしは宗教というものに共通する一つの姿を見た。 情報の認知1 2、情報の認知2 2、情報の認知3 1

C わたし自身、敗戦以来すっかり虚無的になっていたから、この発見はわたしに一つの転機をもたらした。
情報の認知1 3、情報の認知2 2、情報の認知3 1

D 虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつかれた時に、何かが開けるということを、電動の書にわたしは感じた。
情報の認知1 3、情報の認知2 2、情報の認知3 1

E この伝導の書の終わりにあった、「汝の若き日に、汝の造り主をおぼえよ」の一言は、それ故にひどくわたしの心を打った。それ以来私たちの求道生活は、次第にまじめになっていった。
情報の認知1 3、情報の認知2 2、情報の認知3 1

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える7

【連想分析2】

情報の認知1(感覚情報)
 
 感覚器官からの情報に注目することから、対象の捉え方が問題になる。また、記憶に基づく感情は、扁桃体と関係しているため、条件反射で無意識に素振りに出てしまう。このプロセルのカラムの特徴は、@ベースとプロファイル、Aグループ化、B条件反射である。
 
情報の認知2(記憶と学習)
 
 外部からの情報を既存の知識構造へ組み込む。この新しい知識はスキーマと呼ばれ、既存の情報と共通する特徴を持っている。未知の情報は、またカテゴリー化される。このプロセスは、経験を通した学習になる。このプロセルのカラムの特徴は、@旧情報、A新情報である。

情報の認知3(計画、問題解決、推論)
 
 受け取った情報は、計画を立てるプロセスでも役に立つ。その際、目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。しかし、獲得した情報が完全でない場合は、推論が必要になる。このプロセルのカラムの特徴は、@計画から問題解決へ、A問題未解決から推論へである。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える6

分析例

1 聖書を読んで釈迦を思い虚無の生活から転機が訪れる場面。
2 この小論では、「道ありき」執筆時の三浦綾子の脳の活動を「虚無とうつ」と考えているため、意味3の思考の流れ、虚無のありなしに注目する。
3 意味1の喜怒哀楽のうち喜楽は、聖書を渡した前川正との愛情につながる。
4 意味1:@喜A怒B哀C楽、意味2:@視覚A聴覚B味覚C嗅覚D触覚、意味3:@虚無ありAなし、意味4振舞い:@直示A隠喩B記事なし
5 疾病脳 虚無でうつ:@あるAなし、健常脳 うつからの回復:@あるAなし

テキスト共生の公式

ステップ1:意味1、2、3、4を合わせて解析の組「虚無と愛情」を作る。
ステップ2:うつ病の精神症状から「虚無とうつ」という組を作り、解析の組と合わせる。

A:B哀+@視覚+@虚無あり+@直示という解析の組を、うつ病の精神症状からなる虚無でうつあり+うつから回復なしという組と合わせる。
B:B哀+@視覚+@虚無あり+@直示という解析の組を、うつ病の精神症状からなる虚無でうつあり+うつから回復なしという組と合わせる。
C:@喜+@視覚+A虚無なし+A隠喩という解析の組を、うつ病の精神症状からなる虚無でうつなし+うつから回復ありという組と合わせる。 
D:@喜+@視覚+A虚無なし+A隠喩という解析の組を、うつ病の精神症状からなる虚無でうつなし+うつから回復ありという組と合わせる。
E:C楽+@視覚+A虚無なし+A隠喩という解析の組を、うつ病の精神症状からなる虚無でうつなし+うつから回復ありという組と合わせる。

結果 
表2については、テキスト共生の公式が適用される。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える5

【連想分析1】
表2 受容と共生のイメージ合わせ

虚無の生活から転機が訪れる場面
A 言ってみれば、この世で望める限りの幸福を一心に集めていたわけだ。しかし彼は老人を見て、人間の衰えゆく姿を思い、葬式を見て、人の命の有限なることも思った。そしてある夜ひそかに、王宮も王子の地位も、美しい妻も子も棄てて、一人山の中に入ってしまった。
意味1 3、意味2 1、意味3 1、意味4 1、疾病脳 1、健常脳 2

B つまり釈迦は、今まで自分が幸福だと思っていたものに、むなしさだけを感じ取ってしまったのであろう。電動の書といい、釈迦といい、そのそもそもの初めには虚無があったということに、わたしは宗教というものに共通する一つの姿を見た。
意味1 1、意味2 1、意味3 2、意味4 2、疾病脳 1、健常脳 2

C わたし自身、敗戦以来すっかり虚無的になっていたから、この発見はわたしに一つの転機をもたらした。
意味1 1、意味2 1、意味3 2、意味4 2、疾病脳 2、健常脳 1

D 虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつかれた時に、何かが開けるということを、電動の書にわたしは感じた。
意味1 1、意味2 1、意味3 2、意味4 2、疾病脳 2、健常脳 1

E この伝導の書の終わりにあった、「汝の若き日に、汝の造り主をおぼえよ」の一言は、それ故にひどくわたしの心を打った。それ以来私たちの求道生活は、次第にまじめになっていった。
意味1 4、意味2 1、意味3 2、意味4 2、疾病脳 2、健常脳 1

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える4

3 データベースの作成・分析

 データベースの作成法について説明する。エクセルのデータについては、列の前半(文法1から意味5)が構文や意味の解析データ、後半(医学情報から人工知能)が理系に寄せる生成のデータである。一応、L(受容と共生)は反映している。データベースの数字は、登場人物を動かしながら考えている。
 こうしたデータベースを作る場合、共生のカラムの設定が難しい。受容は、それぞれの言語ごとに構文と意味を解析し、何かの組を作ればよい。しかし、共生は、作家の知的財産に基づいた脳の活動が問題になるため、作家ごとにカラムが変わる。

【データベースの作成】
表1 「道ありき」のデータベースのカラム
項目名  内容         説明
文法1 名詞の格  三浦綾子の助詞の使い方を考える。
文法2 態  能動、受動、使役。
文法3 時制  アスペクト 現在、過去、未来、進行形、完了形。
文法4 モダリティ  様相の表現。可能、推量、義務、必然。
意味1  喜怒哀楽  感情との接点。
意味2  五感  視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。
意味3  思考の流れ  虚無ある、なし。
意味4 振舞い  ジェスチャー、身振り。直示と隠喩を考える。
医学情報 病跡学との接点 受容と共生の共有点。構文や意味の解析から得た組「虚無と愛情」と病跡学でリンクを張るためにメディカル情報を入れる。
記憶   短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述) 作品から読み取れる記憶を拾う。長期記憶は陳述と非陳述に分類される。
情報の認知1 感覚情報の捉え方  感覚器官からの情報に注目するため、対象の捉え方が問題になる。例えば、ベースとプロファイルやグループ化または条件反射。
情報の認知2 記憶と学習  外部からの情報を既存の知識構造に組み込む。その際、未知の情報についてはカテゴリー化する。学習につながるため。記憶の型として、短期、作業記憶、長期(陳述と非陳述)を考える。
情報の認知3 計画、問題解決、推論  受け取った情報は、計画を立てるときにも役に立つ。目的に応じて問題を分析し、解決策を探っていく。獲得した情報が完全でない場合、推論が必要になる。
疾病脳 虚無でうつ 何もなく虚しい心境。空虚であり自己も否定する。抑うつ感、不安感、思考や意欲に障害が出る。気分障害。
健常脳 うつから回復 気分障害からの回復。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える3

 綾子の交際相手の前川正も手術が決まる。第一回目に肋骨を四本取ることになる。前川は、麻酔が苦手らしい。手術の間無事に終わることを綾子は祈っていた。その年、昭和二十七年、綾子は洗礼を受けた。正月が来た。前川正は、二週間後に肋骨を四本取るため、二回目の手術を受ける。二回目の手術が終わってから、不吉な夢を見た。正が亡くなったといって彼の母が病室にゴザを返しに来た。あまりにありありとしていて何とも言えない不吉な予感がした。自身の自殺願望すら思い出す。自殺願望も気分障害の症状である。
 ギブスをはめたまま旭川へ帰郷する。31歳になっていた。発病してから8年が過ぎた。前川正の術後の症状を聞くと、血痰が出るという。つまり空洞は潰れていない。翌年の綾子の誕生日4月25日に母上の代筆で和紙に鉛筆書きで書かれた手紙が届いた。5月2日に前川正は亡くなった。前の晩、食事中に意識不明になって、そのまま意識が戻らず亡くなったという。綾子は、病室で号泣する。
 前川正の喪が明けてから、綾子の病室を訪問する客の中に三浦光世という男がいた。旭川営林署に勤務する会計係である。死刑因と文通し、慰め力づけている人であった。やはり腎臓結核の手術歴がある。確かに結核は、侵入経路の大多数が肺出る。しかし、肺や腸、腎臓などの臓器や骨、関節そして皮膚を侵し、胸膜炎や腹膜炎を起こす。三浦は、清潔で静かな表情をし、前川正と趣味や思想が似ていた。綾子は、熱が出て寝汗もかき、血痰が増え面会謝絶になる。病気を気づかう見舞いから、次第に三浦光世に惹かれていく。
 微熱や寝汗はあるも少しずつ体力がついたころ、万一のために遺言を書き、歌を整理していた。自分の死体を解剖してもらいたい。解剖用死体が不足していて、死後に何かの役に立ちたいという思いからである。三浦光世に渡すと、必ず治るといってノートを読んでくれた。三浦の手紙には、最愛なるという形容が綾子の名前についていた。愛の励ましのおかげで、綾子の体は元気になり、外出もできるようになった。
昭和三十四年の正月、三浦の年頭の挨拶のとき、婚約式が1月25日に決まった。式が終わると、結婚式は5月24日になった。よく晴れた日曜日に教会堂で牧師の言葉に二人で深く頷いた。
 回想録執筆時の記憶の中では、肺病のため虚しい思いがつきまとっている。そこで「道ありき」の執筆脳は、「虚無とうつ」にする。ツングの自己評価うつ病尺度(日本成人病予防協会2014)を「道ありき」に適用すると、スコアは53点となり、当時の三浦綾子は、中程度の抑うつ傾向にあったといえる。シナジーのメタファーは、「三浦綾子と虚無」である。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える2

2 「道ありき」のLのストーリー

 人生の中では失うものもあれば得るものもある。例えば、病気になれば気持ちが滅入り、物事を悪く考えるようになる。三浦綾子も20代に入って敗戦の翌年に肺結核の症状が出た。しかし、医師は肺結核とは言わず、問診で肺浸潤とか肋膜と説明した。肺結核と診断すれば、現代でいうがんを宣告するようなものであった。何れにせよ何を目標に生きればよいのかわからず、綾子は、何もかもが虚しく思われる虚無の心境となった。
虚無的生活は、人間を駄目にする。三浦綾子曰く、全てが虚しいから、生きることに情熱はなく、何もかもが馬鹿くさくなり、全ての存在が否定的になって、自分の存在すら肯定できない。但し、一つだけ否定できないものがあった。それは、教え子に対する愛情である。
 そんな時、医学生の前川正という人から聖書を進められる。聖書は、教訓めいたことのみならず、虚無的な物の見方も含み、自己を否定して追い込むと何かが開けると説く。綾子の求道生活は、次第に真面目になっていく。そこで「道ありき」の購読脳を「虚無と愛情」にする。
 旭川での入院当初、三浦綾子自身は、カリエスだと思っていた。カリエスとは、骨の慢性炎症、ことに結核によって骨質が次第に溶け、膿が出るようになる骨の病である。一方、肺結核は、結核菌によって起る慢性の肺の感染症、多くは、無自覚に起こり、咳、喀痰、喀血、呼吸促迫、胸痛などの局所症状、羸痩(るいそう)、倦怠、微熱、発汗または食欲不振、脈拍増加などの一般症状を呈する。カリエスは、症状が相当進まないと、医師はそのように診断しない。
 札幌に転院してから熱が続き体は痩せ血痰も出て排尿の回数が多くなり、夜だけで7、8回起きることがあった。病院では検査が続く。血液検査、尿検査、1.8リットルの水を飲む水検査など。それでも体はますます痩せていく。胸部に空洞が判明した。背中も痛み、下半身に麻痺が来て失禁も伴い、まさにカリエスである。絶対安静の診断が下される。こうした身体疾患が原因となり、気分障害が発症している。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

三浦綾子の「道ありき」で執筆脳を考える1

1 先行研究

 文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロに通じる分析方法である。基本のパターンは、まず縦が購読脳で横が執筆脳になるLのイメージを作り、次に、各場面をLに読みながらデータベースを作成し、全体を組の集合体にする。そして最後に、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探す、若しくは、脳のエリアの機能を探す。これがミクロとマクロの中間にあるメゾのデータとなり、狭義の意味でシナジーのメタファーが作られる。この段階では、副専攻を増やすことが重要である。 
 執筆脳は、作者が自身で書いているという事実及び作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読み及びそれに対する共生の読みと定義する。そのため、この小論では、トーマス・マン(1875−1955)、魯迅(1881−1936)、森鴎外(1862−1922)の執筆脳に関する私の著作を先行研究にする。また、これらの著作の中では、それぞれの作家の執筆脳として文体を取り上げ、とりわけ問題解決の場面を分析の対象にしている。さらに、マクロの分析について地球規模とフォーマットのシフトを意識してナディン・ゴーディマ(1923−2014)を加えると、“The Late Bourgeois World”執筆時の脳の活動が意欲と組になることを先行研究に入れておく。
 筆者の持ち場が言語学のため、購読脳の分析の際に、何かしらの言語分析を試みている。例えば、トーマス・マンには構文分析があり、魯迅にはことばの比較がある。そのため、全集の分析に拘る文学の研究者とは、分析のストーリーに違いがある。文学の研究者であれば、全集の中から一つだけシナジーのメタファーのために作品を選び、その理由を述べればよい。なお、Lのストーリーについては、人文と理系が交差するため、機械翻訳などで文体の違いを調節するトレーニングが推奨される。
 メゾのデータを束ねて何やら予測が立てば、言語分析や翻訳そして資格に基づくミクロと医学も含めたリスクや観察の社会論からなるマクロとを合わせて、広義の意味でシナジーのメタファーが作られる。

花村嘉英(2019)「三浦綾子の『道ありき』の執筆脳について」より

心理学統計の検定を用いて川端康成の「雪国」を考える7

3 まとめ

 川端康成の「雪国」に登場する男と女についてデータベースから心理学統計による人物評価をしてみると、採択した場面については、驚きの度合に関して差がないことが分かった。

参考文献

川端康成 雪国 講談社文庫 1979
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風社 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018  
花村嘉英 川端康成の「雪国」に見る執筆脳について-「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 2019    
花村嘉英 社会学の観点からマクロの文学を考察する−危機管理者としての作家について 中国日语教学研究会上海分会論文集 2020
花村嘉英 川端康成の「雪国」のデータベース 2017

心理学統計の検定を用いて川端康成の「雪国」を考える6

1 最初は驚きの度合に差がないと予測する。平均値を取ると、島村1.4と1.6、葉子1.4、駒子は0.2になる。この差は誤差の可能性がある。
2 具体度の1、2は独立変数であり、それにともなう驚きの度合は、従属変数になる。
3 独立変数そのものの1、2が要因で、独立変数の実際の値である驚きの度合が水準になる。
4 ここでは、どちらの水準も同じ標本からデータを集めているため、具体度という要因は、参加者内要因になる。
5 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する。危険率は通常5%未満のため、ここではt検定を採用する。  
6 t検定では、二つの平均の差を表す統計量(t値)、データの規模を表す自由度(df)、p値(p-value)を報告する。
[不安度のt検定]
島村1.5 、女平均0.8、よってt値=0.7。
自由度は、独立した標本の個数から1引いたものである。よってdf=8。
p値は0.2にする。ここでは5%未満のため、帰無仮説を採用し有意な差がないとする。

花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて川端康成の『雪国』を考える」より

心理学統計の検定を用いて川端康成の「雪国」を考える5

島村と葉子の驚き
「なにがおかしいんだ。」「だって、私は一人の人しか看病しないんです。」
「え?」「もう出来ませんの。」
「そうか。」と、島村はまた不意打ちを食わせて静かに言った。驚き度島村2 驚き度葉子1

「毎日君は蕎麦畑の下の墓にばかり参ってるそうだね。」
「ええ。」「一生のうちに、外の病人を世話することも、外の人の墓に参ることも、もうないと思ってるのか?」「ないわ。」驚き度島村2 驚き度葉子1

「それに墓を離れて、よく東京へ行けるね?」
「あら、すみません。連れて行って下さい。」
「君は恐ろしいやきもち焼きだって、駒子が言ってたよ。あの人は駒子のいいなずけじゃなかったの?」
驚き度島村2 驚き度葉子2

「行男さんの?嘘、嘘ですよ。」「駒子が憎いって、どういうわけだ。」
「駒ちゃん?」と、そこにいる人を呼ぶかのように言って、葉子は島村をきらきら睨んだ。「駒ちゃんをよくしてあげて下さい。」驚き度島村1 驚き度葉子2

「僕はなんにもしてやれないんだよ。」葉子の目頭に涙が溢れて来ると、畳に落ちていた小さい蛾を掴んで泣きじゃくりながら、「駒ちゃんはわたしが気ちがいになると言うんです。」と、ふっと部屋を出て行ってしまった。驚き度島村1 驚き度葉子1

花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて川端康成の『雪国』を考える」より

心理学統計の検定を用いて川端康成の「雪国」を考える4

2.3 「雪国」の驚きの度合

 「雪国」は、都会の人島村と温泉芸者の駒子や車中で出会った少女葉子とが織りなす雪国での生活ぶりが描かれている。ここでは、この小論の研究テーマ、性別による驚きの度合の違いについて、作成したデータベースを基に考察していく。

解答 性別による驚きの度合
具体度1
三曲目に都鳥を弾きはじめた頃は、その曲の艶な柔らかさのせいもあって、島村はもう鳥肌たつような思いは消え、温かく安らいで、駒子の顔を見つめた。そうするとしみじみ肉体の親しみが感じられた。
驚き度島村1 驚き度駒子0

細く高い鼻は少し寂しいはずだけれども、頬が生き生きと上気しているので、私はここにいますという囁きのように見えた。驚き度島村1 驚き度駒子0

あの美しく血の滑らかな脣は、小さくつぼめた時も、そこに写る光をぬめぬめ動かしているようで、そのくせ唄につれて大きく開いても、また可憐にすぐ縮まるという風に、彼女の体の魅力そっくりであった。
驚き度島村2 驚き度駒子0

粉はなく、都会の水商売で透き通ったところへ、山の色が染めたとでもいう、百合か玉葱みたいな球根を剥いた新しさの皮膚は、首までほんのり血の色が上がっていて、なによりも清潔だった。
驚き度島村2 驚き度駒子0

しゃんと坐り構えているのだが、いつになく娘じみて見えた。最後に、今稽古中のをと言って、譜を見ながら新曲浦島を引いてから、駒子は黙って撥を糸の下に挟むと、身体を崩した。
驚き度島村1 驚き度駒子1

花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて川端康成の『雪国』を考える」より

心理学統計の検定を用いて川端康成の「雪国」を考える3

2.2 実験計画

【研究テーマ】
質問 性別による驚きの度合の違い。
帰無仮説 男性と女性とで驚きの度合に差がない。
対立仮説 男性と女性とで驚きの度合に差がある。
【実験計画】
独立変数 実験や調査をする人が仮説を検証するために使用する変数。原因と結果でいうと原因である。
従属変数 独立変数の操作に応じて変化すると考えられる変数。原因と結果でいうと結果である。
【要因と水準】
要因 実験者が使用する変数。独立変数そのもの。
水準 実験者が使用する種類。独立変数が実際にとる値。
【参加者間要因と参加者内要因】
参加者間要因 水準のデータが異なる標本から集められる場合。
参加者内要因 水準のデータが同じ標本から集められる場合。
【有意確率】
帰無仮説を前提としたときに、誤差から偶然ある程度の差が標本に生じる確率のこと。危険率とかP値という。また、誤差には、本当はないのに誤って誤差があるとする第一種と誤差があるのに誤っていないとする第二種とがある。実吉(2013)では、5%水準を基準にしている。

花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて川端康成の『雪国』を考える」より

心理学統計の検定を用いて川端康成の「雪国」を考える2

2.1 有意性検定

 科学では全般的に仮説を立てて検証する方法が使われる。実吉(2013)によると、検定では仮説を立てて成り立つかどうか作ったデータから決めていく。検定の対象は、そこに有意性の差があるのかどうかである。例えば、男女で不安度に差があるのかどうか、高齢者と成人とで記憶の範囲に差があるのかどうか。こうした問題に対してデータを集めながら検定すると、解答が見えてくる。

【検定の流れ】
帰無仮説と対立仮説を立てる → 独立変数と従属変数を具体的に決め、実験計画を立てる → データを取る → 実験計画に応じた統計検定を行う → 得られた有意確率(p値)を有意水準と比較する → 帰無仮説の棄却、採択を決定する

 ここで、帰無仮説とは、比較する数値の間に差がないという仮説である。一方、対立仮説は比較する数値間に差があるとする仮説である。検定では、まず帰無仮説が正しいことを前提に検討され、帰無仮説が成り立たなければ、それを棄てて対立仮説に移り、差があるという結論にする。つまり、背理法による命題の証明である。

花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて川端康成の『雪国』を考える」より

心理学統計の検定を用いて川端康成の「雪国」を考える1

1 先行研究との関係

データベースを作成ながら購読脳と執筆脳を分析するシナジーのメタファーの研究も次第に安定してきている。これまでにバランスの調節のための二個二個のルールに基づき多くの組み合わせを作ってきた。統計についても、バラツキ、相関関係、多変量分析と進み、今回の心理学統計を含めれば、バラツキと相関、多変量と心理という組み合わせができる。この小論では、実吉(2013)の心理学統計の検定の手法に従い、川端康成の「雪国」を題材にして男女の驚きの度合について考えていく。 

2 心理学統計

心理学統計では、心の働きを数値化しながら客観性を計り、集計や分析を試みる。心を測定する時は、様々な要因がデータに含まれるため、データには誤差が付き物である。そのため、統計学により誤差を取り除き真の値を求めていく必要がある。そうすると、限られた人数のデータから人間一般に共通する心の働きも推測可能になる。

花村嘉英(2019)「心理学統計の検定を用いて川端康成の『雪国』を考える」より

川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分10

6 まとめ 

 データベースの数字を用いてクラスタ解析から得られた特徴を場面ごとに平均、標準偏差、中央値、四分位範囲と考察し、それぞれ何が主成分なのか説明できている。そのため、この小論の分析方法は、既存の研究とも照合ができ、統計による文学分析がさらに研究を濃いものにしてくれている。

【参考文献】
片野善夫 ほすぴ162号 知っているようで知らない五感のしくみ−視覚 日本成人病予防協会 2018
加藤剛 多変量解析超入門 技術評論社 2013
川端康成 雪国 講談社文庫 1979
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?新風舎 2005
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会 2015
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 華東理工大学出版社
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」のデータベース 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 華東理工大学出版社 2019

川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分9

◆場面3

二人は振り向くなり、「火事、火事よ!」「火事だ。」
火の手が下の村の真中にあがっていた。駒子はなにか二声三声叫んで島村の手をつかんだ。
A1+2B1C2D2

黒い煙の巻きのぼるなかに炎の舌が見えかくれした。その火は横に這って軒を舐め廻っているようだった。
A1B1C2D2

「どこだ、君が元いたお師匠さんの家、近いんじゃないか。」
「ちがう。」「どのへんだ。」「もっと上よ。停車場寄りよ。」炎が屋根を抜いて立ちあがった。
A1B1C2D2

「あら、繭倉だわ。繭倉だわ。あら、あら、繭倉が焼けてるのよ。」と、駒子は言い続けて島村の肩に頬を押しつけた。「繭倉と、繭倉よ。」A1+2B1C2D1

火は燃えさかって来るばかりだが、高みから大きい星空の下に見下すと、おもちゃの火事のように静かだった。そのくせすさまじい炎の音が聞こえそうな恐ろしさは伝わって来た。島村は駒子を抱いた。
A1+2B1C2D2

「こわいことないじゃないか。」
「いや、いや、いや。」と、駒子はかぶりを振って泣き出した。その顔が島村の掌にいつもより小さく感じられた。固いこめかみが顫えていた。A1+2B1C2D2

火を見て泣き出したのだが、なにを泣くのかと島村はいぶかりもしないで抱いていた。駒子は不意に泣きやむと顔を離して、「あら、そうだった、繭倉に映画があるのよ、今夜だわ。人がいっぱいはいっているのよ、あんた…。」A1+2B2C2D1

「そりゃあ大変だ。」「怪我人が出てよ。焼け死ぬわ。」二人はあわてて石段を駆け登った。
A2B1C2D2

上の方で騒ぐ声が聞こえるからだ。見上げると高い宿屋の二階三階も、たいていの部屋が障子をあけた明りの廊下に人が出て火事を見ていた。A1+2B1C2D2

庭のはずれに並んだ聞くの末枯が宿の燈か星明りかで輪郭を浮かべ、ふと火事が写っていると思わせたが、その菊のうしろにも人が立っていた。二人の顔の上へ宿の番頭などが三四人ころぶように下りて来た。
A1B1C2D2

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分8

◆場面3

二人は振り向くなり、「火事、火事よ!」「火事だ。」
火の手が下の村の真中にあがっていた。駒子はなにか二声三声叫んで島村の手をつかんだ。
A1+2B1C2D2

黒い煙の巻きのぼるなかに炎の舌が見えかくれした。その火は横に這って軒を舐め廻っているようだった。
A1B1C2D2

「どこだ、君が元いたお師匠さんの家、近いんじゃないか。」
「ちがう。」「どのへんだ。」「もっと上よ。停車場寄りよ。」炎が屋根を抜いて立ちあがった。
A1B1C2D2

「あら、繭倉だわ。繭倉だわ。あら、あら、繭倉が焼けてるのよ。」と、駒子は言い続けて島村の肩に頬を押しつけた。「繭倉と、繭倉よ。」A1+2B1C2D1

火は燃えさかって来るばかりだが、高みから大きい星空の下に見下すと、おもちゃの火事のように静かだった。そのくせすさまじい炎の音が聞こえそうな恐ろしさは伝わって来た。島村は駒子を抱いた。
A1+2B1C2D2

「こわいことないじゃないか。」
「いや、いや、いや。」と、駒子はかぶりを振って泣き出した。その顔が島村の掌にいつもより小さく感じられた。固いこめかみが顫えていた。A1+2B1C2D2

火を見て泣き出したのだが、なにを泣くのかと島村はいぶかりもしないで抱いていた。駒子は不意に泣きやむと顔を離して、「あら、そうだった、繭倉に映画があるのよ、今夜だわ。人がいっぱいはいっているのよ、あんた…。」A1+2B2C2D1

「そりゃあ大変だ。」「怪我人が出てよ。焼け死ぬわ。」二人はあわてて石段を駆け登った。
A2B1C2D2

上の方で騒ぐ声が聞こえるからだ。見上げると高い宿屋の二階三階も、たいていの部屋が障子をあけた明りの廊下に人が出て火事を見ていた。A1+2B1C2D2

庭のはずれに並んだ聞くの末枯が宿の燈か星明りかで輪郭を浮かべ、ふと火事が写っていると思わせたが、その菊のうしろにも人が立っていた。二人の顔の上へ宿の番頭などが三四人ころぶように下りて来た。
A1B1C2D2

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分7

【カラム】
A平均1.6 標準偏差0.55 中央値2.0 四分位範囲1.0
B平均1.2 標準偏差0.45 中央値1.0 四分位範囲1.0
C平均1.9 標準偏差0.42 中央値2.0 四分位範囲2.0
D平均1.7 標準偏差0.48 中央値2.0 四分位範囲1.25
【クラスタABとクラスタCD】
AB 平均1.4普通、標準偏差0.5普通、中央値1.5普通、四分位範囲1.0低い
CD 平均1.8高い、標準偏差0.45普通、中央値2.0普通、四分位範囲1.62高い
【クラスタからの特徴を手掛かりにし、どういう情報が主成分なのか全体的に掴む】
CDの平均と四分位範囲の数字が高いことから、新情報がテンポよく繋がっている。但し、問題解決はここではなく後回し。
【ライン】合計は、言語の認知と情報の認知の和を表す指標であり、文理の各系列をスライドする認知の柱が出す数字となる。
@ 5.5、視覚+それ以外、直示、新情報、解決 → 葉子は看病する人ではない。
A 4.5、視覚+それ以外、直示、旧情報、解決 → 一人だけ看病する。
B 7.5、視覚+それ以外、隠喩、新情報、未解決 → 駒子はやきもち焼き。
C 6.5、視覚+それ以外、直示、新情報、未解決 → 駒子をよくしてもらいたい。
D 6.5、視覚+それ以外、直示、新情報、未解決 → 島村は何もできないという。
E 5、視覚、直示、新情報、解決 → 島村内湯に出かける。
F 7、視覚以外、直示、新情報、未解決 → 葉子が子供と内湯に来る。
G 7、視覚以外、直示、新情報、未解決 → 葉子が内湯で歌う。
H 8、視覚以外、隠喩、新情報、未解決 → 葉子の歌は生き生きとしている。
I 6.5、視覚+それ以外、直示、新情報、未解決 → 葉子の声が湯上り後も残っている。
【場面の全体】
 視覚情報の割合が6割りであり、脳に届く通常の五感の入力信号の割合よりも低いため、視覚以外の情報が問題解決に効いている。

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分6

◆場面2 葉子が気持ちを打ち明ける

「なにがおかしいんだ。」
「だって、私は一人の人しか看病しないんです。」「え?」
「もう出来ませんの。」
「そうか。」と、島村はまた不意打ちを食わせて静かに言った。A1+2B1C2D1

「毎日君は蕎麦畑の下の墓にばかり参ってるそうだね。」「ええ。」
「一生のうちに、外の病人を世話することも、外の人の墓に参ることも、もうないと思ってるのか?」「ないわ。」A1+2B1C1D1

「それに墓を離れて、よく東京へ行けるね?」
「あら、すみません。連れて行って下さい。」
「君は恐ろしいやきもち焼きだって、駒子が言ってたよ。あの人は駒子のいいなずけじゃなかったの?」
A1+2B2C2D2

「行男さんの?嘘、嘘ですよ。」
「駒子が憎いって、どういうわけだ。」
「駒ちゃん?」と、そこにいる人を呼ぶかのように言って、葉子は島村をきらきら睨んだ。「駒ちゃんをよくしてあげて下さい。」A1+2B1C2D2

「僕はなんにもしてやれないんだよ。」葉子の目頭に涙が溢れて来ると、畳に落ちていた小さい蛾を掴んで泣きじゃくりながら、「駒ちゃんはわたしが気ちがいになると言うんです。」と、ふっと部屋を出て行ってしまった。A1+2B1C2D2

島村は寒気がした。葉子の殺した蛾を捨てようとして窓をあけると、酔った駒子が客を追いつめるるような中腰になって拳を打っているのが見えた。空は曇っていた。島村は内湯に行った。A1B1C2D1

隣の女湯へ葉子が宿の子をつれて入って来た。着物を脱がせたり、洗ってやったりするのが、いかにも親切なものいいで、初々しく母の甘い声を聞くように好もしかった。そしてあの声で歌いだした。
A2B1C2D2

裏へ出て見たれば 梨の樹が三本 杉の樹が三本 みんなで六本
下から鳥が 巣をかける 上から雀が 巣をかける
森のなかの螽斯 どういうて囀るんや お杉友達墓参り
墓参り一丁一丁一丁や A2B1C2D2

手鞠唄の幼い早口で生き生きとはずんだ調子は、ついさっきの葉子など夢かと島村に思わせた。
A2B2C2D2

葉子が絶え間なく子供にしゃべり立てて上がってからも、その声が笛の音のようにまだそこらに残っていそうで、黒光りに古びた玄関の板敷きに片寄せてある、桐の三味線箱の秋の夜更けらしい静まりにも、島村はなんとなく心惹かれて、持ち主の芸者の名を読んでいると、食器を洗う音の方から駒子が来た。
A1+2B1C2D2

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分5

【カラム】
A平均1.3 標準偏差0.48 中央値2.0 四分位範囲1.24
B平均1.3 標準偏差0.48 中央値2.0 四分位範囲1.24
C平均1.8 標準偏差0.45 中央値2.0 四分位範囲2.0
D平均1.6 標準偏差0.55 中央値2.0 四分位範囲1.0
【クラスタABとクラスタCD】
AB 平均1.3普通、標準偏差0.48普通、中央値2.0高い、四分位範囲1.24普通
CD 平均1.7高い、標準偏差0.5普通、中央値2.0高い、四分位範囲1.5高い
【クラスタからの特徴を手掛かりにし、どういう情報が主成分なのか全体的に掴む】
平均はクラスタABの方が小さい、つまり視覚と直示が多く、新情報も多いことから、登場人物の島村が駒子を観察していることがわかる。
【ライン】合計は、言語の認知と情報の認知の和を表す指標であり、文理の各系列をスライドする認知の柱が出す数字となる。
@ 5.5、視覚+それ以外、直示、新情報、解決 → 場面の始まりで落ち着きがある。
A 7、視覚、隠喩、新情報、未解決 → 駒子が囁いている。
B 6、視覚、直示、新情報、未解決 → 駒子の身体の魅力。
C 7、視覚、隠喩、新情報、未解決 → 駒子の皮膚は清潔。
D 5、視覚、直示、新情報、解決 → 駒子が身体を崩す。
E 7、視覚、隠喩、新情報、未解決 → 色気が溢れる。
F 5、視覚以外、直示、旧情報、解決 → 都々逸で誰の三味線かわかる。
G 6.5、視覚+それ以外、直示、新情報、未解決 → 三味線の稽古の様子。
H 5、視覚、直示、旧情報、未解決 → 島村の問いかけに答える。
I 5、視覚以外、直示、新情報、解決 → 駒子は夜明けに帰らず昼までいる。
【場面の全体】
 全体で視覚情報は7割5分であり、脳に届く通常の五感の入力信号の割合よりも低いため、視覚意外の情報が問題解決に効いている。

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分4

◆場面1 駒子の三味線の稽古

三曲目に都鳥を弾きはじめた頃は、その曲の艶な柔らかさのせいもあって、島村はもう鳥肌たつような思いは消え、温かく安らいで、駒子の顔を見つめた。そうするとしみじみ肉体の親しみが感じられた。
A1+2B1C2D1
細く高い鼻は少し寂しいはずだけれども、頬が生き生きと上気しているので、私はここにいますという囁きのように見えた。A1B2C2D2
あの美しく血の滑らかな脣は、小さくつぼめた時も、そこに写る光をぬめぬめ動かしているようで、そのくせ唄につれて大きく開いても、また可憐にすぐ縮まるという風に、彼女の体の魅力そっくりであった。
A1B1C2D2
白粉はなく、都会の水商売で透き通ったところへ、山の色が染めたとでもいう、百合か玉葱みたいな球根を剥いた新しさの皮膚は、首までほんのり血の色が上がっていて、なによりも清潔だった。A1B2C2D2
しゃんと坐り構えているのだが、いつになく娘じみて見えた。
最後に、今稽古中のを言って、譜を見ながら新曲浦島を引いてから、駒子は黙って撥を糸の下に挟むと、身体を崩した。A1B1C2D1
急に色気がこぼれて来た。
島村はなんとも言えなかったが、駒子も島村の批評を気にする風はさらになく、素直に楽しげだった。
A1B2C2D2
「君はここの芸者の三味線をきいただけで、誰だか皆分けるかね。」
「そりゃ分かりますわ、二十人足らずですもの。都々逸がよく分るわね、一番その人の癖が出るから。」
A2B1C1D1
そしてまた三味線を拾い上げると、右足を折ったままずらせて、そのふくろはぎに三味線の胴を載せ、腰は左に崩しながら、体は右に傾けて、
「小さい時こうして習ったわ。」と、棹を覗き込むと、
「く、ろ、かあ、みい、の・・・・・。」と、幼げに歌って、ぽつんぽつん鳴らした。
A1+2B1C2D2
「黒髪を最初に習ったの?」
「ううん。」と、駒子はその小さい時のように、かぶりを振った。A1B1C1D2
それから泊まることがあっても、駒子はもう強いて夜明け前に帰ろうとはしなくなった。
「駒子ちゃん。」と、尻上がりに廊下の遠くから呼ぶ、宿の女の子を火燵へ抱き入れて余念なく遊んでは、正午近くにその三つの子と湯殿へ行ったりした。A2B1C2D1

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分3

3 多変量の分析

 多変量を解析するには、クラスタと主成分が有効な分析になる。これらの分析がデータベースの統計処理に繋がるからである。
 多変数のデータでも、最初は1変数ごとの観察から始まる。また、クラスタ分析は、多変数のデータを丸ごと扱う最初の作業ともいえる。似た者同士を集めたクラスタを樹形図からイメージする。それぞれのクラスタの特徴を掴み、それを手掛かりに多変量データの全体像を考えていく。樹形図については、単純な二個二個のクラスタリングの方法を想定し、変数の数や組み合わせを考える。
 作成したデータベースから特性が2つあるカラムを抽出し、グループ分けをする。例えば、A:五感(1視覚と2それ以外)、B:ジェスチャー(1直示と2比喩)、C:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)、D:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)というように文系と理系のカラムをそれぞれ2つずつ抽出する。
まず、ABCDそれぞれの変数の特徴について考える。次に、似た者同士のデータをひとかたまりにし、ここでは言語の認知ABと情報の認知CDにグループ分けをする。得られた変数の特徴からグループそれぞれの特徴を見つける。
 最後に、各場面のラインの合計を考える。それぞれの要素からどのようなことがいえるのであろうか。「雪国」のバラツキが縦のカラムの特徴を表しているのに対し、ここでのクラスタは、一場面のカラムとラインの特徴を表している。
 なお、外界情報の獲得に関する五感の割合は、視覚82%、聴覚11%、嗅覚4%、触覚2%、味覚1%とする。(片野2018)

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分2

2 「雪国」の執筆脳は認知発達

 「雪国」の購読脳を「無と創造」という組にする。無については、川端(1979)の中で高田瑞穂が次のように定義している。
 無は、孤児として育った川端の原点ともいえる感情であり、あらゆる存在よりも広くて大きい自由な実在である。無とはこの青空よりも大きい見たこともない父母に通じ、愛と死が融けあって康成の文学が誕生した。特に、雪国の中では、無が愛と組になると止揚の暗示、つまり愛情となり、愛と死が組になれば、天井へ飛躍したり、時には地下へ埋没する。二つの矛盾対立する概念は、止揚により相互に否定し合いながら、双方を包むより高次の統一体へ発展していく。
 また、創造についても、川端が作品を書きながら、動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を定め、人工的に畸形的に育てているとする。「雪国」の中では、島村がふと思い、呟き、動く存在で、駒子については指で覚えている女、葉子も眼に火がついてる女として繰り返されるところに康成の創造がある。
 共生の読みのゴールは、「無と創造」という購読脳の出力が入力となり、リレーショナルなデータベースを作成しながら、一文一文をLに読むと次第に見えてくる。人工知能の世界でいう何がしとか健常者の脳の活動でいう何がしということがつかめればよい。イメージとして、まだ知識のない人工知能が特定の目的を意識して次第に育っていく感じがよい。そう考えると、人間に見たてて川端と組みが作れそうである。
 花村(2018)では、購読脳の「無と創造」という出力が、人工知能の認知発達で目的達成となるかどうかを問題にした。また、人工感情と組になりそうな情報の認知1のセカンドのカラムとして顔の表情を設定し、(1)の公式を考えた。

(1)「無と創造」(購読脳の出力)→「(五感)情報の認知1と顔の表情」→「人工感情」→「認知発達」

 同時にデータベースを作成しながら(1)を確認し、川端康成の執筆脳について「川端と認知発達」というシナジーのメタファーを考察した。

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分1

1 先行研究との関係

 これまでに、「雪国」の執筆脳を感情として、「川端康成と認知発達」というシナジーのメタファーを作成している。(花村2018)この小論では、さらに多変量解析に注目し、クラスタ分析と主成分について考察する。それぞれの場面で川端康成の執筆脳がデータベースから異なる視点で分析できれば、自ずと客観性は上がっていく。

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」の多変量解析−クラスタ分析と主成分」より

川端康成の「雪国」から見えてくる相関関係について10

6 まとめ

 脳内は、電気信号が縦横無尽に高速で回っている。川端康成の「雪国」執筆時の脳の活動として、人間一般のものではなく、特筆すべきこととして、駒子の三味線の稽古の場面で見えてくる目的達成型の認知発達を取り上げた。この小論の実験を通して、正の相関があることが分かった。平たく意義としたい。
 作家の執筆脳を探るシナジーメタファーの研究は、花村(2018)でも記したように、@LのストーリーやAデータベースの作成、さらにB論理計算やC統計によるデータ処理が必要になる。しかし、最初のうちは、一つの小説について全てを揃えることが難しいため、4つのうちとりあえず3つ(@、A、Bまたは@、A、C)を条件にして、作家の執筆脳の研究をまとめるとよい。ここでは、@、A、Cの条件を満たしているため、「川端康成と目的達成型の認知発達」というシナジーのメタファーは、成立していると考える。


参考文献

川端康成 雪国 講談社文庫 1979
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方について-トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 シナジーのメタファーについて考える−ナディン・ゴーディマ意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとはー「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 華東理工大学出版社 2019
前野昌宏 回帰分析超入門 技術評論社 2012

川端康成の「雪国」から見えてくる相関関係について9

【A、B、Cの相関係数の比較】

相関の特性
相関係数 AとB 0.5 BとC 0.5 AとC 0.5
相関の特性 AとB かなり正の相関 BとC かなり正の相関 AとC かなり正の相関

 表7は、駒子が三味線の稽古をしている場面のカラムの相関の特性であり、Aの無と創造、Bの情報の認知1と顔の表情、Cの人工感情と認知発達それぞれの相関の特性を表している。購読脳と想定している無と創造と目的達成型の認知発達と正の相関関係があることがわかる。

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』の相関関係について」より

川端康成の「雪国」から見えてくる相関関係について8

【AとCの相関係数】
◆ A、Cの偏差同士の積を計算する。
(Aの偏差)x(Cの偏差)= 0、4、0

◆ B、Cの偏差を2乗したものの合計を計算する。
Aの偏差の2乗したものの合計=4+4+0=8
Cの偏差の2乗したものの合計=0+4+4=8

◆ (Aの偏差)x(Cの偏差)の合計を計算する=0+4+0=4

計算表
A 4 0 2 6
偏差 2 −2 0 0
偏差2 4 4 0 8
C 2 4 0 6
偏差 0 2 −2 0
偏差2 0 4 4 8
AC偏差の積 0 4 0 4

◆ 相関係数を求める

相関係数=[(A-Aの平均値)x(C-Cの平均値)]の和/
√(A-Aの平均値)2の和x(C-Cの平均値)2の和

上記計算表を代入すると、

相関係数= 4/√8 x 8= 4/√64= 4/8 = 0.5

従って、かなり正の相関がある。

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』の相関関係について」より

川端康成の「雪国」から見えてくる相関関係について7

【BとCの相関係数】

◆ B、Cの偏差同士の積を計算する。
(Bの偏差)x(Cの偏差)=-0、0、4

◆ B、Cの偏差を2乗したものの合計を計算する。
Bの偏差の2乗したものの合計=4+0+4=8
Cの偏差の2乗したものの合計=0+4+4=8

◆ (Bの偏差)x(Cの偏差)の合計を計算する=0 + 0 + 4 = 4

計算表
B 4 2 0 6
偏差 2 0 −2 0
偏差2 4 0 4 8
C 2 4 0 6
偏差 0 2 −2 0
偏差2 0 4 4 8
BC偏差の積 0 0 4 4

◆ 相関係数を求める

相関係数=[(B-Bの平均値)x(C-Cの平均値)]の和/
√(B-Bの平均値)2の和x(C-Cの平均値)2の和

上記計算表を代入すると、

相関係数=4/√8x8= 4/√64=4/8 = 0.5

従って、かなり正の相関がある。

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』の相関関係について」より

川端康成の「雪国」から見えてくる相関関係について6

計算表
A 4 0 2 6(合計)
偏差 2 −2 0 0(合計)
偏差2 4 4 0 8(合計)
B 4 2 0 6(合計)
偏差 2 0 −2 0(合計)
偏差2 4 0 4 8(合計)
AB偏差の積 4 0 0 4(合計)

◆ 相関係数を求める

相関係数=[(A-Aの平均値)x(B-Bの平均値)]の和/
√(A-Aの平均値)2の和x(B-Bの平均値)2の和

上記計算表を代入すると、

相関係数= 4/√8x8=4/√64= 4/8 = 0.5
従って、かなり正の相関がある。


花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』の相関関係について」より

川端康成の「雪国」から見えてくる相関関係について5

3.2 相関係数を求める−相関の実験

 表2のデータ分析に相関係数を求める統計処理を試みる。その際、データベースのそれぞれの値は、質量ではなく指標であるため、特性の個数を数えて計算できるようにしたい。数値変換により特性があるかないかで識別していく。抽出したカラム「無と創造」、「情報の認知1と顔の表情」、「人工感情と認知発達」からその特性として「ありあり」、「ありなし」、「なしあり」を置く。

A無と創造(4、0、2)B情報の認知1と顔の表情(4、2、0)C人工感情と認知発達(2、4、0)

 A、B、Cそれぞれの平均値を出す。その際、分子に違いを出すために、「ありあり」に0.1加算する。相関の強さは「ありあり」に出るからである。Aの平均(4+0+2)÷3=2、Bの平均(4+2+0)÷3=2 Cの平均(2+4+0)÷3=2

◆ A、B、Cそれぞれの偏差を計算する。偏差=各データ−平均値
Aの偏差(4-2)、(0-2)、(2-2)= 2、-2、0
Bの偏差(4-2)、(2-2)、(0-2)= 2、0、-2
Cの偏差(2-2)、(4-2)、(0-2)= 0、2、-2

◆ A、B、Cそれぞれの偏差をそれぞれ2乗する。
Aの偏差の2乗=4、4、0
Bの偏差の2乗=4、0、4
Cの偏差の2乗=0、4、4

【AとBの相関係数】
◆ A、Bの偏差同士の積を計算する。
(Aの偏差)x(Bの偏差)=4、0、0

◆ A、Bの偏差を2乗したものの合計を計算する。
Aの偏差の2乗したものの合計=4+4+0=8
Bの偏差の2乗したものの合計=4+0+4=8

◆ (Aの偏差)x(Bの偏差)の合計を計算する=4+0+0=4

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』の相関関係について」より

川端康成の「雪国」から見えてくる相関関係について4

3 川端康成の「雪国」のデータベースに見る相関

3.1 川端康成の「雪国」のデータベースについて考察してみよう。

 花村(2019)では、データベースを伝わる信号の中で相関の組合せとして「無と創造」、「情報の認知1と顔の表情」、「人工感情と認知発達」を抽出し、「川端康成と認知発達」というシナジーのメタファーが作れるかどうか考察した。

データベースからの抜粋
 三曲目に都鳥を弾きはじめた頃は、その曲の艶な柔らかさのせいもあって、島村はもう鳥肌たつような思いは消え、温かく安らいで、駒子の顔を見つめた。そうするとしみじみ肉体の親しみが感じられた。
無と創造 1、1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1+2)2、11
人工感情と認知発達 1、2

 細く高い鼻は少し寂しいはずだけれども、頬が生き生きと上気しているので、私はここにいますという囁きのように見えた。
無と創造 1、1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1)1、3
人工感情と認知発達 1、2

 あの美しく血の滑らかな脣は、小さくつぼめた時も、そこに写る光をぬめぬめ動かしているようで、そのくせ唄につれて大きく開いても、また可憐にすぐ縮まるという風に、彼女の体の魅力そっくりであった。
無と創造 1、1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (2)1、4
人工感情と認知発達 1、2

 粉はなく、都会の水商売で透き通ったところへ、山の色が染めたとでもいう、百合か玉葱みたいな球根を剥いた新しさの皮膚は、首までほんのり血の色が上がっていて、なによりも清潔だった。
無と創造 1、1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1)1、10
人工感情と認知発達 2、2

 しゃんと坐り構えているのだが、いつになく娘じみて見えた。最後に、今稽古中のをと言って、譜を見ながら新曲浦島を引いてから、駒子は黙って撥を糸の下に挟むと、身体を崩した。
無と創造 2、1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1+2)2、11
人工感情と認知発達 2、1

 急に色気がこぼれて来た。
島村はなんとも言えなかったが、駒子も島村の批評を気にする風はさらになく、素直に楽しげだった。
無と創造 1、1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1)1、10
人工感情と認知発達 2、1

 データベースからの抜粋は、駒子が三味線の稽古をしている場面である。駒子と島村は、やり取りをしている間に、お互いに気持ちの整理がついてきた。三曲目にもなれば、いつもの稽古の様子を体が覚えているし、聞き手にもそう聞こえてくる。新曲浦島を引いたところで駒子の目的は達成された。

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』の相関関係について」より

川端康成の「雪国」から見えてくる相関関係について3

データベースの作成
文法1 名詞の格(助詞) は3が1を1
文法2 動詞の時制・態 2
文法3 態 2
文法4 様相 1
意味1 1
意味2 1+2
意味3 2
意味4 1
意味5 創造 1
意味6 取れる数字 1
医学情報 3
情報の認知1 2
セカンド顔の表情 11
情報の認知2 2
情報の認知3 1
人工知能1 人工感情 1
人工知能2 認知発達目的達成 2

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』の相関関係について」より

川端康成の「雪国」から見えてくる相関関係について2

2 データベースの作成

 「雪国」のデータベースを作成する際、カラムが文理でリレーショナルになるように並べ方を工夫している。(花村2018)購読脳のカラムには、構文論として助詞、時制、態、様相を置き、意味論には、喜怒哀楽、五感(1視覚、2聴覚、3味覚、4臭覚、5触覚)、振舞い(直示、隠喩)、無と創造(其々1ある2なし)を置いている。
 次に、顔の表情については、情報の認知1(情報の捉え方 1ベースとプロファイル2グループ化))のセカンドのカラムとして数字を作りたい。例えば、1眉を動かす、2瞼を動かす、3頬を動かす、4唇を動かす、5口を開ける、6顎を動かす、7息を吐く、8鼻を動かす、9目を動かす(細目、薄目、ウインク、瞬き)、10肌色(赤らむ、青ざめる、日焼け、化粧)、11中立を置き、顔の表情の数字と五感及び情報の認知1を組みにする。
さらに驚き、恐れ、怒り、嫌悪などといった感情の基本表現のうち、川端文学では愛情が重要となるため、人工感情の要素は、1原点(無+愛→愛情)と2創造(理想の型+加工→人格)にする。愛が無と組になって愛情となるか、または人格が形成されれば、認知発達でいう目的達成のときにシナジーのメタファーが成立する。

(2)データベースの各場面の信号の流れ

「文法1(助詞)」→「文法2(時制、相)」→「文法3(態)」→「文法4(様相)」→「意味1(喜怒哀楽)」→「意味2(五感)」→「意味3(振舞い)」→「意味4(無)」→「意味5(創造)」→「意味6(数字)」(言語の認知の出力は「無と創造」、これが情報の認知の入力となる)→「医学情報」→「情報の認知1(情報の捉え方)」→「セカンド 顔の表情」→「情報の認知2(記憶と学習)」→「情報の認知3(問題解決)」→「人工感情(1愛情2人格)」→「認知発達(1目的達成2非ず)」(情報の認知の出力)

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』の相関関係について」より

川端康成の「雪国」から見えてくる相関関係について1

1 先行研究

 文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロの分析方法である。基本のパターンは、縦が購読脳で横が執筆脳となるLのイメージを作り、各場面をLに読みながらデータベースを作成して全体を組の集合体にし、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探していく。
 これまでに考案しているシナジーのメタファーは、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」、「森鴎外と感情」そして「ナディン・ゴーディマと意欲」である。それぞれの作家が執筆している時の脳の活動として文体を取り上げ、とりわけ、問題解決の場面を分析の対象にする。今回は、川端康成(1899−1972)の「雪国」(1948)を題材にし、購読脳の「無と創造」及び執筆脳とする「目的達成型の認知発達」について考察する。
 シナジーのメタファーの作り方については、花村(2018)の中で詳しく説明している。その中で執筆脳の定義は、作者が自身で書いているという事実並びに作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読みとした。つまり、この小論では、定番の読みと組みになる川端の「雪国」執筆時の脳の活動がリレーショナルデータベースを通した分析から目的達成型の認知発達に届けばよい。
 購読脳の出力「無と創造」と執筆脳のゴール「目的達成型の認知発達」を調節するために、存在の論理の中でバルカン文を置いた。ロジックが想定できると、文理のバランスを取ることができ、全体をまとめる上で役に立つ。さらに双方の脳の活動を合わせてシナジーのメタファーとするために、セカンドのカラムとして顔の表情を設け、データベースの分析を濃くする方法について考察した。顔の表情にも無と創造があるためである。

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』の相関関係について」より

川端康成の「雪国」のバラツキについて7

3 まとめ
 
 リレーショナル・データベースの数字及びそこから求めた標準偏差により、川端康成の「雪国」に関して部分的ではあるが、既存の分析例が説明できている。従って、この小論の分析方法、即ちデータベースを作成する文学研究は、データ間のリンクなど人の目には見えないものを提供してくれるため、これまでよりも客観性を上げることに成功している。

【参考文献】
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 森鴎外の「山椒大夫」のDB化とその分析 中国日语教学研究会江苏分会 2015
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとはー「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018

川端康成の「雪国」のバラツキについて6

2.2 標準偏差による分析

 グループA、グループB、グループC、グループDそれぞれの標準偏差を計算する。その際、場面1、場面2、場面3の特性1と特性2のそれぞれの値は、質量ではなく指標であるため、特性の個数を数えて算術平均を出し、それぞれの値から算術平均を引き、その2乗の和集合の平均を求め、これを平方に開いていく。
 求められた各グループの標準偏差の数字は、何を表しているのだろうか。数字の意味が説明できれば、分析は、一応の成果が得られたことになる。 

◆グループA:五感(1視覚と2その他)
場面1(特性1、5と特性2、0)の標準偏差は、0となる。
場面2(特性1、5と特性2、0)の標準偏差は、0となる。
場面3(特性1、4と特性2、1)の標準偏差は、0.4となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、視覚情報が多いため、「雪国」は、五感の中で視覚情報が鍵になる作品といえる。

◆グループB:ジェスチャー(1直示と2隠喩)
場面1(特性1、3と特性2、2)の標準偏差は、0.49となる。
場面2(特性1、2と特性2、3)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、4と特性2、1)の標準偏差は、0.4となる。
【数字からわかること】
「雪国」は、当時の世相を反映させた作品のため、場面1、場面2、場面3を通して、隠喩が少ないことがわかる。

◆グループC:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)
場面1(特性1、2と特性2、3)の標準偏差は、0.49となる。
場面2(特性1、2と特性2、3)の標準偏差は、0.49となる。
場面3(特性1、0と特性2、5)の標準偏差は、0となる。
【数字からわかること】
場面1、場面2、場面3を通して、新情報の2が多いため、ストーリーがテンポよく展開していることがわかる。

◆グループD:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)
場面1(特性1、1と特性2、4)の標準偏差は、0.4となる。
場面2(特性1、0と特性2、5)の標準偏差は、0となる。
場面3(特性1、1と特性2、4)の標準偏差は、0.4となる。
【数字からわかること】
「雪国」は、戦中戦後の日本の一つのストーリーを反映した作品のため、場面1、場面2、場面3を通して、問題未解決が多いことがわかる。

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』のバラツキについて」より

川端康成の「雪国」のバラツキについて5

場面3 駒子の叫び

駒子の叫びは島村の身内を貫いた。葉子の腓が痙攣するのといっしょに、島村の足先まで冷たい痙攣が走った。なにかせつない苦痛と悲哀とに打たれて、動悸が激しかった。
A2B1C2D2

葉子の痙攣は目にとまらぬほどかすかのもので、すぐに止んだ。
その痙攣よりも先きに、島村は葉子の顔と赤い矢絣の着物を見ていた。葉子は仰向けに落ちた。片膝の少し上まで裾がまくれていた。地上にぶつかっても、腓が痙攣しただけで、失心したままらしかった。
A1B1C2D2

島村はやはりなぜか死は感じなかったが、葉子の内生命が変形する、その移り目のようなものを感じた。
A1B2C2D2

葉子を落とした二階桟敷から骨組の木が二三本傾いて来て、葉子の顔の上で燃え出した。葉子はあの刺すように美しい目をつぶっていた。あごを突き出して、首の線が伸びていた。火明りが青白い顔の上を揺れ通った。
A1B1C2D2

幾年か前、島村がこの温泉場へ駒子に会いに来る汽車のなかで、葉子の顔のただなかに野山のともし火がともった時のさまをはっと思い出して、島村はまた胸が顫えた。
A1B2C1D1

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』のバラツキについて」より

川端康成の「雪国」のバラツキについて4

場面2 東京

「君が東京でさしずめ落ちつく先とか、なにをしたいとかいうことくらいきまってないと危ないじゃないか。」
「女一人くらいどうにでもなりますわ。」と、葉子は言葉尻が美しく吊り上がるように言って、島村を見つめたまま、
「女中に使っていただけませの?」
A1B1C2D1

「なあんだ、女中にか?」
「女中はいらんです。」
「この前東京にいた時は、なにをしてたんだ。」
「看護婦です。」
「病院か学校に入ってたの。」
「いいえ、ただなりたいと思っただけですわ。」
A1B1C1D2

島村はまた汽車のなかで師匠の息子を介抱していた葉子の姿を思い出して、あの真剣さのうちには葉子の志望も現れていたのか微笑まれた。
A1B2C1D2

「それじゃ今度も看護婦の勉強がしたいんだね。」
「看護婦にはもうなりません。」
「そんな根なしじゃいけないね。」
「あら、根なしじゃいけないね。」
「あら、根なんて、いやだわ。」と、葉子は弾き返すように笑った。
A1B2C2D2

その笑い声も悲しいほど高くすんでいるので、白痴じみて聞こえなかった。しかし島村の心の殻を空しく叩いて消えてゆく。
「なにがおかしいんだ。」
「だって、私は一人の人しか看病しないんです。」
A1B2C2D2

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』のバラツキについて」より

川端康成の「雪国」のバラツキについて3

2 場面のイメージを分析する

2.1 データの抽出

 作成したデータベースから特性が2つあるカラムを抽出し、標準偏差によるバラツキを調べてみる。例えば、A:五感(1視覚と2それ以外)、B:ジェスチャー(1直示と2隠喩)、C:情報の認知プロセス(1旧情報と2新情報)、D:情報の認知プロセス(1問題解決と2未解決)というように文系と理系のカラムをそれぞれ2つずつ抽出する。

場面1 三味線の稽古

三曲目に都鳥を弾きはじめた頃は、その曲の艶な柔らかさのせいもあって、島村はもう鳥肌たつような思いは消え、温かく安らいで、駒子の顔を見つめた。そうするとしみじみ肉体の親しみが感じられた。
A1B1C1D2

細く高い鼻は少し寂しいはずだけれども、頬が生き生きと上気しているので、私はここにいますという囁きのように見えた。
A1B2C1D2

あの美しく血の滑らかな脣は、小さくつぼめた時も、そこに写る光をぬめぬめ動かしているようで、そのくせ唄につれて大きく開いても、また可憐にすぐ縮まるという風に、彼女の体の魅力そっくりであった。
A1B1C2D2

白粉はなく、都会の水商売で透き通ったところへ、山の色が染めたとでもいう、百合か玉葱みたいな球根を剥いた新しさの皮膚は、首までほんのり血の色が上がっていて、なによりも清潔だった。
A1B2C2D2

しゃんと坐り構えているのだが、いつになく娘じみて見えた。
最後に、今稽古中のを言って、譜を見ながら新曲浦島を引いてから、駒子は黙って撥を糸の下に挟むと、身体を崩した。
A1B1C2D1

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』のバラツキについて」より

川端康成の「雪国」のバラツキについて2

1.2 標準偏差

 標準偏差は、グループの全ての値によってバラツキを決めていく。グループの個々の値から算術平均がどれだけ離れているのかによって、バラツキの大きさが決まる。
 グループd(1、1、4、7、7)の算術平均は4である。それぞれの値から算術平均を引くと、1-4=-3、1-4=-3、4-4=0、7-4=3、7-4=3となる。この算術平均から離れている大きさを平均してやると、バラツキの目安が求められる。しかし、-3、-3、0、3、3を全部足すと0になるため、さらに工夫が必要になる。
 例えば、絶対値をとる方法とか値を2乗してマイナスの記号を取る方法がある。2乗した場合、9、9、0、9、9となり、平均値を求めると、5で割って7.2となる。但し、元の単位がcmのときに、2乗すればcm2となるため、7.2を開いて元に戻すと、√7.2 cm2≒2.68 cmというバラツキの大きさになる。
 
(1) 標準偏差の公式
σ=√Σ (Xi−X)2/n

 次にグループe(1、4、4、4、7)について見てみよう。算術平均は4である。それぞれの値から算術平均を引くと、1-4=-3、4-4=0、4-4=0、4-4=0、7-4=3となる。この算術平均から離れている大きさを平均すると、バラツキの目安が求められる。しかし、-3、0、0、0、3を全部足すと0になるため、それぞれを2乗して、9、0、0、0、9として平均値を求め、5で割って3. 6を求める。
 但し、元の単位がcmのときに2乗すれば、cm2となるため、3. 6を開いて元に戻すと、√3. 6 cm2≒1.89 cmというバラツキの大きさになる。従って、グループdの方がグループeよりもバラつきが大きいことになる。
以下では、標準偏差(1)の公式を使用して、作成した川端康成の「雪国」のデータに関するバラツキから見えてくる特徴を考察していく。 

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』のバラツキについて」より

川端康成の「雪国」のバラツキについて1

1 簡単な統計処理

1.1 データのバラツキ

 グループa(5、5、5、5、5)とグループb(3、4、5、6、7)とグループc(1、3、5、7、9)は、算術平均がいずれも5であり、また中央値(メジアン)も同様に5である。算術平均やメジアンを代表値としている限り、この3つのグループは差がないことになる。しかし、バラツキを考えると明らかに違いがある。グループaは、全てが5のため全くバラツキがない。グループbは、5が中心にあり3から7までばらついている。グループcは、1から9までの広範囲に渡ってバラツキが見られる。グループbのバラツキは、グループcのバラツキよりも小さい。
 次に、グループd(1、1、4、7、7)とグループe(1、4、4、4、7)だと、どちらのバラツキが大きいことになるのだろうか。グループdは、中心の4から3も離れた所に4つの値がある。グループeは、中心に3つの値があって、そこから3離れたところに値が2つある。 
 バラツキの大きさを定義する方法で最も有名なのが、レンジと標準偏差である。レンジはグループの最大値から最小値を引くことにより求めることができる。グループdは、7-1=6で、グループeも7-1=6となる。レンジだけでバラツキを定義すれば、グループdとグループeは同じことになるが、グループ内の最大値と最小値だけを問題にするため、他の値が疎かになっている。そこでもう一つのバラツキに関する定義、標準偏差について見てみよう。

花村嘉英(2018)「川端康成の『雪国』のバラツキについて」より

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”12

6 About the future

 I apply the Balcan principle in existential logic to adjust the output of the reading brain “nothingness and creation” and the goal of the writing brain “object achievement type cognitive development”. Assuming some logic, a balance between arts and science could be achieved, and it is critically useful in seeing the whole picture. Moreover, when using both brain activities to make synergic metaphors, I incorporate the facial expression and consider this method to enhance the analysis of the database. Because the facial expression also encompasses “nothingness and creation”.
 I will make a statement about the future. I construct a network with database of authors and global magnitude and set the crisis management or the risk avoidance as the human condition to analyze the interdependence of relationship as the brain activity of a group, and I will sociologize my research. That is, I will conduct research of the risk avoidance of several authors, for example, Thomas Mann, Luxun, Ogai Mori, Nadine Gordimer and Yasushi Inoue (Hanamura 2019).
 Furthermore, the research of synergic metaphors targets all countries in the world, therefore synergic metaphors can be applied to any language.

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”11

Scene Analysis
A There is the expression to intend to love and the character is formed(the column of nothingness and creation). The information of eyesight and hearing is grouped and the facial expression is neutralized, for example (five senses) informative cognition 1 and facial expression. The feelings of AI become an affection. But the aim isn’t achieved (artificial feelings and cognitive development)
B There is the expression to intend to love and the character is formed.
The information of eyesight is captured by base and profile and the facial expression is cheek movement. The feelings of AI become an affection. But the aim isn’t achieved.
C There is the expression to intend to love and the character is formed.
The information of eyesight is captured by base and profile and the facial expression is lips movement. The feelings of AI become an affection. But the aim isn’t achieved.
D There is the expression to intend to love and the character is formed.
The information of eyesight is captured by base and profile and the facial expression is flesh color. The feelings of AI is the character. But the aim isn’t achieved.
E There is no expression to intend to love and the character is formed. The information of eyesight and hearing is grouped and the facial expression is neutralized. The feelings of AI is the character and the aim is achieved.

 As can be seen by formula(1)and the analysis of table 2, when each signal A, B, C, D and E flows from the reading brain to writing brain, the aim is achieved at the end, therefore the synergic metaphor “nothingness and cognitive development” comes into effect with some success.

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”10

 Table 1 is the scene where Komako practices on the shamisen. Komako and Shimamura gave up in their minds while they reciprocate each other. If she would play three songs, her body remembers the usual practice and the listener could hear so. When she played “Urashima”, her aim was achieved.
 The setting of the second column in the database has the effect of analyzing precisely. For example, the writing brain of an author can be understood by considering the facial expression gestures of characters with a focus on the column of the behavior (ostension and metaphor). Because this is related to the way to transfer signals of the brain. The features of the columns are outlined in Table 1.

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”9

Excerpt from database
Training of Shamisen

A When Komako started playing the third song “Miyakodori”, Shimamura had no goose bumps and saw her face warmly and peacefully because the song was very soft. Her feelings were deep and physical.
Nothingness & creation 1, 1
(five sens)infomatic cognition 1 & facial expression (1+2) 2, 11
Artificial feelings & cognition development 1, 2

B Thin high nose seems to indicate some loneliness, but cheeks were vividly flushed, and seemed to be whispering as if I was here.
Nothingness & creation 1, 1
(five sens)infomatic cognition 1 & facial expression (1) 1, 3
Artificial feelings & cognition development 1, 2

C Beautiful moist puckered lips move in the light and even if she opens her mouth, it shrinks the lily soon, therefore it seems similar to her bodily charm.
Nothingness & creation 1, 1
(five sens)infomatic cognition 1 & facial expression (2) 1, 4
Artificial feelings & cognition development 1, 2

D Bare skin that has no powder and is translucent by liquor trade and is dyed by mountain color and hides bulbs like lily or onion looks well up to her neck and seems very clean.
Nothingness & creation 1, 1
(five sens)infomatic cognition 1 & facial expression (1) 1, 10
Artificial feelings & cognition development 2, 2

E She sat up and held herself ready, but looked unusually as a girl. At the end she played a new song “Urashima” in rehearsal from the music and Komako tucked string under the thread silently and broke her body.
Nothingness & creation 2, 1
(five sens)infomatic cognition 1 & facial expression (1+2) 2, 11
Artificial feelings & cognition development

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”8

5  Creation and analysis of database

 When creating the database for “Snow Country”, I arrange the relational columns as follows. The reading brain columns are arranged by syntax as; particle, tempus, voice and modus and as semantics delight, anger, sorrow and pleasure, five senses (1 eyesight, 2 hearing, 3 taste, 4 smell and 5 touch), behavior (ostension and metaphor), nothingness and creation (1 with, 2 without).
 Next, I will create a figure as the second column of informative cognition 1 (1 base and profile, 2 grouping). For example, 1 move eyebrows, 2 move eyelids, 3 move cheeks, 4 move lips, 5 open mouth, 6 move jaw, 7 breath heavy, 8 move nose, 9 move eyes (squinted eye, half-closed eyes, wink, blink), 10 flesh color (blush, go pale, sunburn, makeup), 11 neutral. I will combine the figure of facial expression with the five senses and informative cognitive 1.
 Moreover, Kawabata’s literature sees affection out of basic expression of feelings like astonishment, fear, anger and dislike as important. Therefore, the element of artificial feelings is 1 original point (nothingness + love → affection) and 2 creation (ideal type + processing → character). If love combines with nothingness to become affection or to make a character, synergic metaphor comes into effect by objective achievement of cognitive development.

(2)Signal flow of each scene in the database

syntax 1(particle)→ syntax 2(tempus, aspect)→ syntax 3(voice)→ syntax 4(modus)→ semantics 1(five senses)→ semantics 2(delight, anger, sorrow, pleasure)→ semantics 3(behavior)→ semantics 4(nothingness and creation)(the output of linguistic cognition is “nothingness and creation” and the input is informative cognition)→ medical information → informative cognition 1(the way to acquire the information)→ second column: facial expression → informative cognition 2(memory and learning)→ informative cognition 3(problem resolution)→ artificial feelings(1 affection 2 character)→ cognitive development(1 objective achievement 2 not so)→(the output of informative development).

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”7

Moreover, there is a model structure where the Balcan sentence and contrapositive Balcan sentence are not effective. Possible world α applies to the affirmation that an individual a is p, but no individual appears except a. Possible world β applies to the affirmation that an individual a is p.
 But b also appears except a and it is not p, therefore it becomes that the possible world is different from α. That is, the Balcan sentence doesn’t become efficient by the transition of the possible world. Therefore, one considers the world consists of substance without creation-annihilation, and individuality with creation-annihilation; and divides an existing concept into two kinds: subsist and exist. Considering so, for example, a character is a subsist by himself and there is the world of an individual where one inserts themselves in an ideal type and processes and nurtures themselves.
 When one moves from one area to another, the event of one area could not exist in another area. For example, the individual area is not only D, but also is divided into inner and outer area. And then it moves to multi-value logic and attempts to expand the semantic range of existential concept that existential quantum shows. That is, one recognizes not only actual, but also an existential person. (/∃y)(y=x) shows that x exists and (∃y)(y=x) shows that x is existing.

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”6

5 Existential logic

 The problem isn’t what is the presence, but I consider logically that something exists. Hanamura (2019)explains that “nothingness and creation” appears in the analysis of the language of modal quantity logic and the model structure.
 There is a modal sentence called the Balcan principle. One part is the Balcan sentence ( (∀x) NPx → N(∀x) Px): N is necessity, P is existence) which means “if Q exists, Q already exists” to the model structure MQ <K,R,D>(K is a non-empty set of ‘possible world’, R is the reflexive relation with K, and D is the domain of individuality)and is the statement that dispels the creation from nothingness out of nowhere.
 The other is the contrapositive Balcan sentence (N (∀x) Px → (∀x) NPx) that means “Q is existing and it is impossible that Q can’t exist in future” and denies the extinction to nothingness.
 When the nothingness of Kawabata intersects with love, it sublates. In other words, it already exists and does so in future. Considering this, existing nothingness can adjust with the Balcan principle and the combination of “nothingness and creation” becomes possible. But what is it in terms of a scientific approach? To resolve the problem, I define Kawabata’s creation as the ideal form composed of theorem and formula, and see the characters as artificial and deformed processing.

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”5

 Feelings are divided into instantaneous emotion and continual awe, and emotion can be classified into internal emergence and external inducement. Feelings are supposed to combine with behavior, and when I analyzed “Sansho the Bailiff” and “Jingoro Sahashi” of Ogai Mori, I explained how to make the synergic metaphor of “Ogai and feelings” (Hanamura 2017). Facial expressions get stimulated from five senses, therefore they are induced. But if repressed feelings appear for some reason, the feelings emerge.
This paper explains the issue of whether the output of “nothingness and creation” of the reading brain can reach its objective or not. Moreover, I set facial expression as the second column of informative cognition 1 to combine with artificial feelings and I derive the formula (1).

(1)“nothingness and creation”(the output of the reading brain)
“(five senses)informative cognition 1 and facial expression”
“artificial feelings”
“cognitive development”

 Where I can confirm (1), the synergic metaphor of “Yasunari Kawabata and cognitive development” will come into effect.
 Hanamura (2019)explains that “nothingness and creation” appears in the analysis of the language of modal quantity logic and the model structure.
 There is a modal sentence called the Balcan principle. One part is the Balcan sentence ( (∀x) NPx → N(∀x) Px): N is necessity, P is existence) which means “if Word Q exists, Q already exists” to the model structure MQ <K,R,D>(K is a non-empty set of ‘possible world’, R is thea reflexive relation with K, and D is the domain of individuality)and is the statement that dispels the creation from nothingness out of nowhere.
 When the nothingness of Kawabata intersects with love, it sublates. In other words, it already exists and does so in future. Considering this, existing nothingness can adjust with the Balcan principle and the combination of “nothingness and creation” becomes possible. But what is it in terms of a scientific approach? To resolve the problem, I define Kawabata’s creation as the ideal form composed of theorem and formula, and see the characters as artificial and deformed processing.
 Hanamura(2019)explains that facial expressions show human character and the mental state or physiological state of human beings. Character is used to evaluate character physiognomically and psychology, and physiology uses the facial information to understand the other person and physical condition. The creation by Kawabata also tries to set the ideal type and to form the character including artificial abnormality.
 Moreover, artificial feelings are applied to create a photomontage of police.

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”4

4 Cognitive development type robotics

 Conventional robotics set out as the coalescence between intelligence and body. But it is hard to fit in, therefore one would conclude that such a robot acts and learns by itself in the design stage. This is so-called cognitive development type robotics.
 Hanamura (2019)explains that cognitive development type robotics is the dynamic intelligence that initially starts with an incomplete robot (intelligence and body), and then lets the robot develop this from communication and behavior.
 Cognitive development robots start with undeveloped intelligence and body, and team up with objective achievement type robots. For example, a cleaning robot doesn’t understand at first where a room gets dusty. But, by cleaning repeatedly, the robot learns that the room gets dusty under the sofa. Then when it moves there, the suction action commences automatically.
 In Kawabata’s “Snow Country”, the nothingness that sublates by combining with love is an uneducated intelligence and love is the active body, and they disallow each other and develop into a higher unity. The unity is an affection which Kawabata wrote gratefully, and it combines with objective achievement type AI. Love is to appreciate and hold near and dear, for example, a love of study or embracement of man and woman or parent and child, and an affection is the heart to give someone their love.
 A main character originally exists as substance and there is an individual that Kawabata molds the main character and gradually shapes him. This is his creation. I will research the substance and the individual which Kawabata pursued, while associating the facial expressions read from “Snow Country”. The facial expression is used in every roman letter when explaining the characters, and it is compatible with the input and output of a facial system besides sense organs (five senses) receiving information from the external world.

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”3

3 Synergic reading

 The output of the reading brain (linguistic cognition) seen as “nothingness and creation” slides aside during the input of informative cognition. This process needs to adjust to academic achievement by actual practice and qualification to prevent non-special lines (social science, informative science, biological science and medical science) from being kept intact as a black box (Hanamura 2015 and Hanamura 2017). Actually, there is a L format such as “culture and nourishment” and “law and energy” in cultural science and social science, but art and science do not have any L model or the like.
 However, in this paper I set the research format to the vertical axis as linguistic cognition and the horizontal as informative cognition on the L model because it is useful to merge the reading and writing brain. I can recognize what an author wanted to convey by writing because I can not only understand the language, but also my reading brain draws near to the writing brain of the author.
 When the research format is only vertical, I adjust the poles of art and culture or other minor subjects by sliding the cognitive ruler.
 When reading each sentence by L, I can find the goal gradually while creating the relational database. What does it show in the world of AI or the brain activity of healthy people? I believe that an uneducated AI will grow bit by bit in consideration of a specific purpose. In this sense, I could create the combination with Kawabata by imaging a person.
 Furthermore, the database of a novel is the relational research tool by which I can check against existing literature analyses and various science research. It is the combination between arts and informatics that humanities researchers should deal with besides corpus, parser, machine translation (memory) and quantitative linguistics.

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”2

2 Nothingness and creation

 I interpret the reading brain of “Snow Country” with “nothingness and creation”, because a researcher Mizuho Takada defined his nothingness as follows.
 His nothingness is the feeling that can be seen as the origin of Kawabata who grew up as an orphan, in a wider, bigger and more free reality than all existence. The nothingness stemming from his little-known father and mother can lead to being bigger than a blue sky, and Kawabata’s literature came into the world with a fusion of love and death. In particular when nothingness goes with love, the implication of sublation, that is, an affection appears and with love comes death, the combination makes a grand leap forward to the sky, or it lies buried in the ground. Two conflicting concepts reply to each other by sublation, while they develop as a high level unit.
 Moreover Takada explains the creation of Kawabata. Kawabata plays with animal life and biology when writing his novels and defines an ideal form and grows it as artificial and deformed. For example in Snow Country, Shimamura is an introspective, muttering and emotional being, Komako is a woman with memorable fingers, and Yoko is a woman with a fire in her eye. These are the creations of Kawabata.
 Actually, his own background is lonely and the novels of Kawabata including Snow Country reflect a grateful heart. Shimamura reciprocates with Komako in Snow Country. For example, Komako thanks the old lady for her care of the child, but scolds her a little. Komako receives thanks as a servant for the small acts of kindness from the old lady, while she considers her own situation because nobody sets up a clean bed for her.

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

Synergic metaphor viewed from “Snow Country” of Yasunari Kawabata - from “Nothingness and Creation” to “object achievement type cognitive development”1

1 Synergic metaphor

 The analysis of literature is based on the interpreting mind of a reader, while a synergic metaphor is the macro analysis method used to research the writing brain of an author.Basically, I use the shape of an “ L ” to denote the reading brain on its vertical arm and the writing brain on the horizontal arm.I then create a database by plotting each scene on the L graph.Next, I build an ensemble of many combinations to merge both cognitive activities, and look for the path of a signal within the brain.
 Synergic metaphors that I devised previously are “Thomas Mann and fuzzy”, “Luxun and chaos”, “Ogai Mori and feeling” and “Nadine Gordimer and motivation”. I considered the writing style as the writing brain of each author, in particular the problem-solving scene is a significant object of analysis. This time I selected “Snow Country” (1948) by Yasunari Kawabata (1899 - 1972) and consider “nothingness and creation” as his reading brain, and the object achievement type cognitive development as his writing brain.

花村嘉英(2019)「川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−『無と創造』から『目的達成型の認知発達』へ」より translated by Yoshihisa Hanamura

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 11

6 今後について

 購読脳の出力「無と創造」と執筆脳のゴール「創造と目的達成型の認知発達」を調節するために、存在の論理の中でバルカン文を置いた。ロジックが想定できると、文理のバランスを取ることができ、全体をまとめる上で役に立つ。さらに文理双方の脳の活動を合わせてシナジーのメタファーとするために、セカンドのカラムとして顔の表情を設け、データベースの分析を濃くする方法について考えた。顔の表情にも無と創造があるためである。 
今後についても一言述べる。他の作家のデータベースと地球規模に集団の脳の活動として相互依存関係を作り、作家としての人間の条件に危機管理ないしリスク回避を設けて、社会学に基づいた考察を試みた。花村(2018)の中で取り上げた作家(トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖)が試みるリスク回避の研究をさらに展開させるためである。作家同士の依存関係は、クラウドからの束ねるリボンとして医療、観察、数理、文化、家族、教育、福祉、比較などの社会学が管理する。また、国地域に関しては、言語や文化による分け隔てはなく、地球上のどこもが研究の対象となるため、シナジーのメタファーは、すべての言語に適応可能な研究方法といえる。

【参考文献】

遠藤弘 1974 『存在の論理』 早稲田大学出版部 
大宮信光 2010 『ロボットのしくみ』 日本文芸社 
川端康成 1979 『雪国』 講談社文庫 
花村嘉英 2005 『計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?』 新風舎 
花村嘉英 2015 『从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む』 華東理工大学出版社 
花村嘉英 2017 『日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで』 南京東南大学出版社 
花村嘉英 2018 「シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖」『中国日語教学研究会上海分会論文集』華東理工大学出版社 
原文雄・小林宏 2004『顔という知能−顔ロボットによる人工感情の創発』共立出版 

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 10

場面A
分析例 愛を意味する表現があり人格形成もある(無と創造のカラム)。視覚と聴覚の情報は、グループ化とし、顔の表情は、中立にする((五感)情報の認知1と顔の表情のカラム)。AIの感情は愛情となる。しかし、目的は達成されない(人工感情と認知発達のカラム)。

場面B
分析例 愛を意味する表現があり人格形成もある。視覚の情報は、ベースとプロファイルで捉え、顔の表情は、頬を動かすにする。AIの感情は愛情となる。しかし、目的は達成されない。

場面C
分析例 愛を意味する表現があり人格形成もある。視覚の情報は、ベースとプロファイルで捉え、顔の表情は、唇を動かすにする。AIの感情は愛情となる。しかし、目的は達成されない。 

場面D
分析例 愛を意味する表現があり人格形成もある。視覚の情報は、ベースとプロファイルで捉え、顔の表情は肌色にする。AIの感情は人格となる。しかし、目的は達成されない。 

場面E
分析例 愛を意味する表現はなく人格形成がある。視覚と聴覚の情報は、グループ化とし、顔の表情は中立にする。AIの感情は人格となり、目的が達成される。

 (1)の公式と表2の分析例から分かるように、駒子の三味線の稽古の場面でA、B、C、D、Eそれぞれの信号が購読脳から執筆脳へ流れていく中で、最後に目的が達成されているため、この場面では「川端康成と認知発達」というシナジーのメタファーが一応成立している。

花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 9

 表1は、駒子が三味線の稽古をしている場面である。駒子と島村は、やり取りをしている間に、お互いに気持ちの整理がついてきた。三曲目にもなれば、いつもの稽古の様子を体が覚えているし、聞き手にもそう聞こえてくる。新曲浦島を引いたところで駒子の目的は達成された。
 データベースのセカンドのカラムの設定は、分析をさらに詳細にする効果がある。例えば、振舞いのカラム(直示と隠喩)の焦点を絞って、特に登場人物の顔の表情というジェスチャーについて調べながら、これが脳の信号の伝わり具合とどのように関連しているのか考えることが作者の執筆脳との関係を解き明かしてくれる。表1のカラムの要素を確認していこう。

花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 8

表1 データベースからの抜粋

A 三曲目に都鳥を弾きはじめた頃は、その曲の艶な柔らかさのせいもあって、島村はもう鳥肌たつような思いは消え、温かく安らいで、駒子の顔を見つめた。そうするとしみじみ肉体の親しみが感じられた。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1+2) 2, 11
人工感情と認知発達 1, 2
B 細く高い鼻は少し寂しいはずだけれども、頬が生き生きと上気しているので、私はここにいますという囁きのように見えた。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1) 1, 3
人工感情と認知発達 1, 2
C あの美しく血の滑らかな脣は、小さくつぼめた時も、そこに写る光をぬめぬめ動かしているようで、そのくせ唄につれて大きく開いても、また可憐にすぐ縮まるという風に、彼女の体の魅力そっくりであった。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1) 1, 4
人工感情と認知発達 1, 2
D 粉はなく、都会の水商売で透き通ったところへ、山の色が染めたとでもいう、百合か玉葱みたいな球根を剥いた新しさの皮膚は、首までほんのり血の色が上がっていて、なによりも清潔だった。
無と創造 1, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1) 1, 10
人工感情と認知発達 2, 2
E しゃんと坐り構えているのだが、いつになく娘じみて見えた。最後に、今稽古中のをと言って、譜を見ながら新曲浦島を引いてから、駒子は黙って撥を糸の下に挟むと、身体を崩した。
無と創造 2, 1
(五感)情報の認知1と顔の表情 (1+2) 2, 11
人工感情と認知発達 2, 1

花村嘉英 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 7

5 データベースの作成と分析

「雪国」のデータベースを作成する際、カラムが文理でリレーショナルになるように並べ方を工夫している。購読脳のカラムには、構文論として助詞、時制、態、様相を置き、意味論には、喜怒哀楽、五感(1視覚、2聴覚、3味覚、4臭覚、5触覚)、振舞い(直示、隠喩)、無と創造(其々1ある2なし)を置いている。
 次に、顔の表情については、情報の認知1(情報の捉え方 1ベースとプロファイル2グループ化))のセカンドのカラムとして数字を作りたい。例えば、1眉を動かす、2瞼を動かす、3頬を動かす、4唇を動かす、5口を開ける、6顎を動かす、7息を吐く、8鼻を動かす、9目を動かす(細目、薄目、ウインク、瞬き)、10肌色(赤らむ、青ざめる、日焼け、化粧)、11中立を置き、顔の表情の数字と五感及び情報の認知1を組みにする。
 さらに驚き、恐れ、怒り、嫌悪などといった感情の基本表現のうち、川端文学では愛情が重要となるため、人工感情の要素は、1原点(無+愛→愛情)と2創造(理想の型+加工→人格)にする。愛が無と組になって愛情となるか、または人格が形成されれば、認知発達でいう目的達成のときにシナジーのメタファーが成立する。

(2)データベースの各場面の信号の流れ

「文法1(助詞)」→「文法2(時制、相)」→「文法3(態)」→「文法4(様相)」→「意味1(五感)」→「意味2(喜怒哀楽)」→「意味3(振舞い)」→「意味4(無と創造)」(言語の認知の出力は「無と創造」、これが情報の認知の入力となる)→「病跡学との接点」→「情報の認知1(情報の捉え方)」→「セカンド 顔の表情」→「情報の認知2(記憶と学習)」→「情報の認知3(問題解決)」→「人工感情(1愛情2人格)」→「認知発達(1目的達成2非ず)」(情報の認知の出力)

花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 6

 川端のいう無は、愛と組むと止揚するため、すでに存在しており、将来もしかりである。こう考えると、愛と組むと止揚する無が存在するなら、存在する無は、バルカンの原理と調節ができ、「無と創造」の組み合わせは可能である。 しかし、それが理系でいうところの何に当たるのかという問題がある。そこで問題解決のために、川端の創造を定理や公式からなる理想の型とし、登場人物は、人工的で畸形に加工できるものとする。
 原・小林(2004)によると、顔の表情は、人の人格や人の心理状態または生理状態を表すという。人格は、人相学に基づく人物評価に用いられ、心理と生理は、相手の気持ちや体の具合を理解するための顔の情報として使われる。川端の創造も、上述したように、理想の型を置いて人工的で畸形も含めた人格の形成を試みる。なお、人工感情は、警察のモンタージュ写真の作成などに応用例が見られる。

花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 5

 主人公は、実体となりそもそも存在し、主人公を理想の型に入れて加工しながら育てる世界に個物がある。これが川端の創造である。これを「雪国」から読み取れる顔の表情と関連づけながら、川端が求める実体と個物の説明を追っていく。顔の表情は、登場人物の説明の際にどんな作品の中でも使われているし、外界からの情報を受ける感覚器官(五感)とともに顔のシステムの入出力に対応している。
 感情は、階層で考えると瞬時の情動と継続の畏敬に枝分かれし、情動は、内からの創発と外からの誘発に分類できる。感情については、行動と組みになることを想定し、森鴎外の「山椒大夫」と「佐橋甚五郎」を分析したときに、バラツキによる統計も含めて「鴎外と感情」というシナジーのメタファーの作り方を説明した。(花村2017)顔の表情は、五感情報により刺激を受けるため誘発の方が多い。しかし、堪えていた感情が何かの拍子に出てしまうのは、創発の表情である。
 この論文では、購読脳の「無と創造」という出力が、人工知能の認知発達で目的達成となるかどうかが問題となる。また、人工感情と組になりそうな情報の認知1のセカンドのカラムとして顔の表情を設定し、(1)の公式を考える。

(1)「無と創造」(購読脳の出力)→「(五感)情報の認知1と顔の表情」→「人工感情」→「認知発達」

(1)が確認できれば、川端康成の執筆脳について、「川端と認知発達」というシナジーのメタファーが成立する。遠藤(1974)によると、様相論理の言語とそのモデル構造の分析の中に「無と創造」という組み合せがでてくる。バルカンの原理と呼ばれる様相文がある。モデル構造MQ <K、R、D>(Kは空でない可能世界の集合、RはK上の反射関係、Dは個物の領域)に対して「語Qであるものが存在しうるなら、Qでありうるものがすでに存在している」という意味のバルカン文 ((∀x) NPx → N(∀x) Px)(ここでNは必然でPは存在者)であり、何もない無からの創造を否定する言明である。

花村( 2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 4

4 認知発達型ロボティックス

 従来のロボティックスは、知能と身体の合体を目指していた。しかし、知能の組み込みが困難なため、設計の段階でロボットが自ら行動して学習し、内容を発達させていくような仕掛けを組み込もうと考えた。それが認知発達ロボティックスである。
 大宮(2010)によると、認知発達ロボティックスとは、知能発達機能が組み込まれた未完成の知能と胴体を合わせて未完成のロボットをまず作り、コミュニケーションや行動からロボット自身が活動の中で知能を発達させていく動的知能学のことをいう。つまり、身体を動かして初めてわかることがロボットの世界でもいえることになる。しかし、ここでは生まれたばかりの赤ん坊のような脳の活動ではなく、あくまで目的達成型の脳の活動を考えていく。
 認知発達ロボティックスは、未完成の知能と身体からなる組が上位で目的達成型ロボットと組になると考える。例えば、床掃除のロボットの場合、初めは部屋のどこに埃が溜まりやすいのか分からない。掃除を繰り返す経験知からソファーの下に溜まりやすいことがインプットされると、そこを掃除するときに、自動で吸引力が上がる。
 川端の「雪国」では、愛と組むと止揚する無が未知の知能で、愛が行動する身体となり、互いに否定し合いながら、両者を包むより高次の統一体に発展する。この統一体は、「雪国」の中で川端が感謝の気持ちを持って書いている愛情とし、それが目的達成型のAI(=認知発達)と組になると考える。愛とは、価値を認めて大切に思うこと、例えば、学問への愛とか男女や親子の抱擁であり、愛情とは、死んだ親とか恋人を慈しむ心である。

花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 3

3 共生の読み

 「無と創造」という購読脳の出力は、情報の認知のための入力となって横にスライドしていく。このプロセスでは、非専門の系列(社会、情報、バイオ、メディカル)がブラックボックスにならないように、実務や資格などで実績を調節していく必要がある。(花村2015、2017)確かに文化科学や社会科学には、文化と栄養や法律とエネルギーなどLの研究フォーマットが存在する。しかし、人文科学には存在しない。あるいはなくてもよい。
 そもそも存在しないことについて考える場合でも、解を出せる分析法があれば、それは存在してもいいはずである。そこで、縦軸を言語の認知とし、その出力が入力となり、共生の読みのために横に滑って情報の認知を経てLの出力が出るフォーマットを考える。このLのモデルは、購読脳と執筆脳をマージするときに役に立つ。作家が執筆中に伝えようと思っていたことが理解できるのは、ことばの理解のみならず購読脳が執筆脳に近づいて行くためである。
縦の柱の研究フォーマットであれば、Tの逆さの認知の定規をスライドさせながら、人文や文化の柱とその他の副専攻の柱を調節するだけである。
 共生の読みのゴールは、「無と創造」という購読脳の出力が入力となり、リレーショナルなデータベースを作成しながら、一文一文をLに読むと次第に見えてくる。人工知能の世界でいう何がしとか健常者の脳の活動でいう何がしということがつかめればよい。イメージとして、まだ知識のない人工知能が特定の目的を意識して次第に育っていく感じがよい。そう考えると、人間に見たてて川端と組みが作れそうである。
 なお、小説のデータベースは、既存の文学分析や様々な理系の研究と照合ができる文理のリレーショナルな研究ツールであり、コーパス、パーザー、翻訳メモリーさらには計量言語学と並んで、人文科学の人たちが取り組むべき人文と情報の組み合わせである。

花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 2

2 無と創造−川端康成の定義

 「雪国」の購読脳を「無と創造」という組にする。無については、川端(1979)の中で高田瑞穂が次のように定義している。
 無は、孤児として育った川端の原点ともいえる感情であり、あらゆる存在よりも広くて大きい自由な実在である。無とはこの青空よりも大きい見たこともない父母に通じ、愛と死が融けあって康成の文学が誕生した。特に、雪国の中では、無が愛と組になると止揚の暗示、つまり愛情となり、愛と死が組になれば、天井へ飛躍したり、時には地下へ埋没する。二つの矛盾対立する概念は、止揚により相互に否定し合いながら、双方を包むより高次の統一体へ発展していく。
 また、創造についても、川端が作品を書きながら、動物の生命や生態をおもちゃにして、一つの理想の鋳型を定め、人工的に畸形的に育てているとする。「雪国」の中では、島村がふと思い、呟き、動く存在で、駒子については指で覚えている女、葉子も眼に火がついてる女として繰り返されるところに康成の創造がある。
 確かに孤独な生い立ちもあって、「雪国」のみならず川端の作品には、愛情に対して感謝の気持ちがあるといわれている。(川端康成1979: 153)愛とは、価値を認めて大切に思うこと、例えば、学問への愛とか男女や親子の抱擁であり、愛情とは、死んだ親とか恋人を慈しむ心である。「雪国」に記された島村と駒子が交わすやり取りの中に次のような一節がある。
 「でも、これが奉公かしらと思うことがあるくらい、うちの人はずいぶん大事にしてくれのよ。子供が泣いたりすると、おかみさんが遠慮して表へ負ぶって出て行くわ。なんの不足もないけれど、寝床の曲がってるのだけはいやね。帰りがおそいと敷いといてくれるのよ。敷布団がきちんと重なってなかったり、敷布がゆがんでたりでしょう。そんなのを見ると、情なくなって来るのよ。そうかって、自分で敷きなおすのは悪いわ。親切がありがたいから。」(川端康成1979: 84)
 おかみさんが子供を世話してくれることに対する駒子の感謝の気持ちと小さい注文が見え隠れする。奉公の身分にある駒子は、おかみさんの小さな親切がありがたい一方、布団もきれいに敷いといてもらえない自分の立場を考えもする。

花村 (2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 1

1 シナジーのメタファー

 文学分析は、通常、読者による購読脳が問題になる。一方、シナジーのメタファーは、作家の執筆脳を研究するためのマクロの分析方法である。基本のパターンは、縦が購読脳で横が執筆脳となるLのイメージを作り、各場面をLに読みながらデータベースを作成して全体を組の集合体にし、双方の脳の活動をマージするために、脳内の信号のパスを探していく。
 これまでに考案しているシナジーのメタファーは、「トーマス・マンとファジィ」、「魯迅とカオス」、「森鴎外と感情」そして「ナディン・ゴーディマと意欲」である。それぞれの作家が執筆している時の脳の活動として文体を取り上げ、とりわけ、問題解決の場面を分析の対象にする。今回は、川端康成(1899−1972)の「雪国」(1948)を題材にし、購読脳の「無と創造」及び執筆脳とする「目的達成型の認知発達」について考察する。
 シナジーのメタファーの作り方については、花村(2018)の中で詳しく説明している。その中で執筆脳の定義は、作者が自身で書いているという事実並びに作者がメインで伝えようと思っていることに対する定番の読みとした。つまり、この論文では、定番の読みと組みになる川端の「雪国」執筆時の脳の活動がリレーショナルデータベースを通した分析から目的達成型の認知発達に届けばよい。

花村(2018)「川端康成の『雪国』から見えてくるシナジーのメタファーとは」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」でオッズ比を考える4

表2に数字を(1)を公式に当てはめてオッズ比を計算する。 

甚五郎 創発あり4 創発なし1 
蜂谷 創発あり3 創発なし2 縦計5
創発あり 甚五郎4 蜂谷3 横計7
創発なし 甚五郎1 蜂谷2 横計3

要因Aありのオッズ=4/1=4
要因Aなしのオッズ=3/2=1.5
オッズ比=4÷1.5=2.67 オッズ比は、2.67ということになる。  

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』でオッズ比を考える」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」でオッズ比を考える3

2 森鴎外の「佐橋甚五郎」でクロス集計表を分析する

源太夫はこういう話をした。甚五郎は鷺を撃つとき蜂谷と賭をした。蜂谷は身につけているものを何なりとも賭けようと言った。甚五郎は運よく鷺を撃ったので、ふだん望みをかけていた蜂谷の大小をもらおうと言った。甚五郎 創発1 蜂矢 創発1

それもただもらうのではない。代わりに自分の大小をやろうというのである。しかし蜂谷は、この金熨斗付きの大小は蜂谷家で由緒のある品だからやらぬと言った。甚五郎 創発2 蜂矢 創発1

甚五郎はきかなんだ。「武士は誓言をしたからは、一命をもすてる。よしや由緒があろうとも、おぬしの身に着けている物の中で、わしが望むのは大小ばかりじゃ。ぜひくれい」と言った。甚五郎 創発1 蜂矢 創発2

「いや、そうはならぬ。命ならいかにも棄ちょう。家の重宝は命にも換えられぬ」と蜂谷は言った。「誓言を反古(ほご)にする犬侍め」と甚五郎がののしると、蜂谷は怒って刀を抜こうとした。
甚五郎 創発1 蜂矢 創発1

甚五郎は当身を食わせた。それきり蜂谷は息を吹き返さなかった。平生何事か言い出すとあとへ引かぬ甚五郎は、とうとう蜂谷の大小を取って、自分の大小を代りに残して立ち退いたというのである。 
甚五郎 創発1 蜂矢 創発2

指数のため、甚五郎は、創発あり1なし4、蜂谷は、創発あり4なし1になる。

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』でオッズ比を考える」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」でオッズ比を考える2

 オッズ比が1とは、対象とする事象の起こりやすさが両群で同じということであり、1より大きいとは、事象が第1群(第2群)でより起こりやすいということである。オッズ比は必ず0以上である。第1群(第2群)のオッズが0に近づけばオッズ比は0(∞)に近づく。但し、bやcが0の場合、オッズ比の公式の分母に0が入るため、オッズ比が無限大(∞)になり95%信頼区間もできなくなる。
 そこで4つのセルに0.5を加えて、(a+0.5)x(d+0.5)/ (b+0.5)x(c+0.5)をオッズ比とする。これは、ウォルフ−ハルディンの補正と呼ばれている。

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』でオッズ比を考える」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」でオッズ比を考える1

1 オッズ比とは

 ある事象の起こりやすさを二つの群で比較する統計の尺度である。オッズ比の考え方は、2x2分割表であり、a/bが要因Aあり群の要因Bのオッズ、c/dが要因Aなし群の要因Bのオッズで、両者の比(a/b)/(c/d)=ad/ bcがオッズ比である。

表1
要因Aあり 要因Bありa 要因Bなしb 縦計a+b
要因Aなし 要因Bありc 要因Bなしd 縦計c+d
横計    a+c     b+d

n=a+b+c+d
要因Aありのオッズ=a/b
要因Aなしのオッズ=c/d
オッズ比=(a/b)/(c/d)=ad/bc

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』でオッズ比を考える」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」でカイ二乗検定を考える3

3 まとめ

 森鴎外の「佐橋甚五郎」で自覚症状と検査に関しクロス集計表を作成し、行要素と列要素の関連を計算し、カイ二乗値を計算し数字の意味を考えた。カイ二乗検定の分析に関心がある人は、試してもらいたい。 

参考文献

中村好一 基礎から学ぶ楽しい保険統計 医学書院 2016
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 莫言の「蛙」でカイ二乗検定を考える ファンブログ 2020
花村嘉英 莫言の「蛙」でファイ係数を考える ファンブログ 2020
いちばんやさしい、医療統計 カイ二乗検定 best-biostatistics.com

森鴎外の「佐橋甚五郎」でカイ二乗検定を考える2

カテゴリーとして、自覚症状と検査で治療があるかどうかの件数を考える。

表2 観測データ
甚五郎 創発3 行動2 縦計5
蜂谷 創発4 行動1 縦計5
創発 甚五郎3 蜂谷4 横計7
行動 甚五郎2 蜂谷1 横計3

@ 甚五郎で創発ありのカテゴリー。10 x 5/10 x 7/10 = 3.5  
A 甚五郎で創発なしのカテゴリー。10 x 5/10 x 3/10 = 1.5
B 検査で治療ありのカテゴリー。10 x 5/10 x 7/10 = 3.5  
C 検査で治療なしのカテゴリー。10 x 5/10 x 3/10 = 1.5  

表3 期待度数
甚五郎 創発あり3.5 創発なし1.5
蜂谷 創発あり3.5 創発なし1.5

カイ二乗検定は、表2と表3の差を計算する。(観測データ−期待度数)2 / 期待度数の公式で各カテゴリーを計算すると、表4になる。

表4 差の計算
自覚 治療あり0.07 治療なし0.17
検査 治療あり0.07 治療なし0.17

カイ二乗検定は、表4の値を全て足したものになる。0.07 +0.07+0.17+0.17=0.48
カイ二乗値、つまり、観測と期待度数の差は、0.48になる。

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』でカイ二乗検定を考える」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」でカイ二乗検定を考える1

1 カイ二乗検定とは

 カイ二乗検定とは、カテゴリーデータを対象とし、期待値に対し実測値の編りを調べるために使用する検定方法である。実測値は、森鴎外の「佐橋甚五郎」の一場面より作成した。期待値は、そこから一つ一つ計算している。 

2 森鴎外の「佐橋甚五郎」でクロス集計表を分析する

表1
源太夫はこういう話をした。甚五郎は鷺を撃つとき蜂谷と賭をした。蜂谷は身につけているものを何なりとも賭けようと言った。甚五郎は運よく鷺を撃ったので、ふだん望みをかけていた蜂谷の大小をもらおうと言った。

それもただもらうのではない。代わりに自分の大小をやろうというのである。しかし蜂谷は、この金熨斗付きの大小は蜂谷家で由緒のある品だからやらぬと言った。

甚五郎はきかなんだ。「武士は誓言をしたからは、一命をもすてる。よしや由緒があろうとも、おぬしの身に着けている物の中で、わしが望むのは大小ばかりじゃ。ぜひくれい」と言った。

「いや、そうはならぬ。命ならいかにも棄ちょう。家の重宝は命にも換えられぬ」と蜂谷は言った。「誓言を反古(ほご)にする犬侍め」と甚五郎がののしると、蜂谷は怒って刀を抜こうとした。

甚五郎は当身を食わせた。それきり蜂谷は息を吹き返さなかった。平生何事か言い出すとあとへ引かぬ甚五郎は、とうとう蜂谷の大小を取って、自分の大小を代りに残して立ち退いたというのである。

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』でカイ二乗検定を考える」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」でファイ係数を考える4

3 まとめ  

 森鴎外の「佐橋甚五郎」の虚無ありの読みと虚無なしの読みで結核に関しクロス集計表を作成し、行要素と列要素の関連の強さを計算した。ファイ係数から感度や特異度そして正確度や適合度も計算し、統計データから得られた数字の意味を考えた。ファイ係数の分析に関心がある人は、試してもらいたい。 

参考文献

花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
https://best-biostatistics.com/design/kouraku2.html(いちばんやさしい医療統計)
https://ash-d.click/2018/01/08/st_0108/(性別と購入の関連性)
https://www.cresco.co.jp/blog/entry/5987/(感度とか特異度)

森鴎外の「佐橋甚五郎」でファイ係数を考える3

さらに表4の数字を公式(1)に当てはめてファイ係数を計算する。

表4
甚五郎 創発2 行動3 縦計5
源太夫 創発1 行動4 縦計5
創発 甚五郎2 源太夫1 横計5
行動 甚五郎3 源太夫4 横計7

(2)2 x 4 -3 x 1 / √3 x 7 x 5 x 5 = 0.22

 ファイ係数、即ち、行要素と列要素の関連の強さは、弱い関連があるになる。次に、その他の関連する数字を見てみよう。 

感度= a ÷ (a + c)のため、2÷ (2+1)=0.5。結核ありの真性の割合である。 
特異度 = d ÷ (b+ d) のため、4 ÷ (3+4)=0.57。結核なしの真性の割合である。
正確度=(a + d)÷(a +b+ c + d) のため、(2+4 )÷ (4 +3+1+ 4) =0.5。全体の真性の割合である。
適合度= a÷(a +b) のため、2÷ (2+3)=0.4。虚無ありと判定したものが正解である割合である。

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』でファイ係数を考える」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」でファイ係数を考える2

2 森鴎外の「佐橋甚五郎」でクロス集計表を分析する

表3
源太夫はこういう話をした。甚五郎は鷺を撃つとき蜂谷と賭をした。蜂谷は身につけているものを何なりとも賭けようと言った。甚五郎は運よく鷺を撃ったので、ふだん望みをかけていた蜂谷の大小をもらおうと言った。
甚五郎創発/行動2 源太夫創発/行動2

それもただもらうのではない。代わりに自分の大小をやろうというのである。しかし蜂谷は、この金熨斗付きの大小は蜂谷家で由緒のある品だからやらぬと言った。甚五郎創発/行動2 源太夫創発/行動2

甚五郎はきかなんだ。「武士は誓言をしたからは、一命をもすてる。よしや由緒があろうとも、おぬしの身に着けている物の中で、わしが望むのは大小ばかりじゃ。ぜひくれい」と言った。
甚五郎創発/行動2 源太夫創発/行動2

「いや、そうはならぬ。命ならいかにも棄ちょう。家の重宝は命にも換えられぬ」と蜂谷は言った。「誓言を反古(ほご)にする犬侍め」と甚五郎がののしると、蜂谷は怒って刀を抜こうとした。
甚五郎創発/行動1 源太夫創発/行動1

甚五郎は当身を食わせた。それきり蜂谷は息を吹き返さなかった。平生何事か言い出すとあとへ引かぬ甚五郎は、とうとう蜂谷の大小を取って、自分の大小を代りに残して立ち退いたというのである。
甚五郎創発/行動1 源太夫創発/行動1

連関を見るため、表3の数字を加算する。

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』でファイ係数を考える」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」でファイ係数を考える1

1 ファイ係数

ファイ係数は、2行x2行のクロス集計表における行要素と列要素の関連の強さを示す指標である。例えば、

表1
喫煙 肺がんありA 肺がんなしB 計N1
非喫煙 肺がんありC 肺がんなしD 計N2
肺がんあり 喫煙A 非喫煙C 計M1
肺がんなし 喫煙B 非喫煙D 計M2

ファイ係数は、次の式で求められる。絶対値が大きいほど関連が強い。 
(1)φ = A x D –B x C /√M1 x M2 x N1 x N2

表2
係数(絶対値)  評価
〜0.2      殆ど関連なし。
0.2〜0.4      弱い関連あり。
0.4〜0.7 中程度の関連あり。
0.7〜1 強い関連あり。

 その他の関連する数字として、感度や特異度そして正確度や適合度がある。
感度とは、ある対象に与えた刺激とそれに対する応答の関係に関わる指標である。 感度 = a ÷ (a + c)で計算できる。問題があることを見逃さない割合ともいえる。
 特異度とは、臨床検査の性格を決める指標の1つで、ある検査について「陰性のものを正しく陰性と判定する確率」として定義される値である。特異度 = d ÷ (b+ d)で計算できる。問題のないことをむやみに疑わないことを表す指標である。
 正確度とは、全体の正解率であり、(a + d)÷(a +b+ c + d) で計算できる。正答の数を全体の数で割る。
 適合度とは、問題ありとなったとき、それがどれだけ実際に問題があるのかを表す指標である。適合度 = a÷(a +b) で計算できる。

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』でファイ係数を考える」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」で交絡を考える3

3 まとめ  

 周知のように、満たされない欲求は、不満、怒り、不快感につながる。そのため、森鴎外の「佐橋甚五郎」のデータベースを分析する場合、情動に関連するデータを制御しながら分析レポートを作成すると面白い。交絡の分析に関心がある人は、試してもらいたい。 

参考文献

中村好一 基礎から学ぶ楽しい保険統計 医学書院 2016
高城和義 パーソンズ 医療社会学の構想 岩波書店 2002
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用 日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 シナジーのメタファーの作り方−トーマス・マン、魯迅、森鴎外、ナディン・ゴーディマ、井上靖 中国日语教学研究会上海分会論文集 2018
花村嘉英 川端康成の「雪国」から見えてくるシナジーのメタファーとは−「無と創造」から「目的達成型の認知発達」へ 中国日语教学研究会上海分会論文集 2019
花村嘉英 社会学の観点からマクロの文学を考察する−危機管理者としての作家について 中国日语教学研究会上海分会論文集 2020
森鴎外:山椒大夫・高瀬舟・安部一族 角川文庫 1995
https://best-biostatistics.com/design/kouraku2.html(いちばんやさしい医療統計 交絡因子とは?)

森鴎外の「佐橋甚五郎」で交絡を考える2

2 実例 

 森鴎外の執筆時の脳の活動を感情として、「森鴎外と感情」というシナジーのメタファーを考えたことがある。感情の下に情動と畏敬があり、情動の下に創発と誘発がある。「山椒大夫」と「佐橋甚五郎」の違いは、前者が誘発の強い情動(外から内)で、後者が創発の強い情動(内から外)というところにある。感情と対になる概念は行動である。  
 武芸に優れ遊芸も巧者であった佐橋甚五郎は、欲求が満たされず怒りの情動が攻撃的な行動を促す。蜂谷との賭けであれ、小山城攻めの軍功であれそうである。思いが満たされないため、不快感が生じて情動が現れている。ここでは、満たされない欲求が原因で結果を攻撃的な行動にする。金品は、原因結果の一例になる。一方、情動はどうであろうか。隠れた因子として交絡因子になりうるであろうか。
  
1 ある時、信康の物詣の際に、通りすがりの沼に下りていた鷺を撃てるかどうかで小姓の蜂谷と口論になった。そこで何かを賭けることにした。鉄砲の銃弾は運良く鷺に命中した。甚五郎は、蜂谷に金熨斗付きの大小を求めた。しかし、蜂谷は拒んだ。翌日、蜂谷は傷もないのに死んでいた。甚五郎の行方がわからない。武士の意地を内から外への思考とすると、脳の活動としては創発が考えられる。甚五郎の欲求は、蜂谷が拒絶したために満たされない。欲求の充足は阻止された。そこで怒りが生じ情動が生まれる。こうした創発は、人に攻撃的な行動を促すため、1は成立する。 
2 家康は事情を察してから源太夫に言い放つ。奉公として甚五郎に武田方の甘利四郎三郎を討たせることになった。甚五郎は、目の上の瘤であった小山の城で甘利を討ち、さらには北條氏に対陣を張って軍功を収めた。ところが甚五郎に賞美の言葉はなかった。その上、甘利に可愛がられていたとのことで、大阪へ遷った羽柴家への使いを見送られる。その後、源太夫の邸へも立ち寄らずに行方がわからなくなった。不快感が生じて情動が現れているため、2は成立である。 
3 24年の月日を経て朝鮮からの使いとして朝鮮人になりすまして甚五郎は家康の前に現れる。不快感があればあるほど、情動が働いて、攻撃的な行動になる。然りである。武士の意地が働いて、気持ちが高揚している。従って、情動は中間因子になる。3は成立である。1から3の全てが成立するため、情動は、交絡因子になりえる。   

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』で交絡を考える」より

森鴎外の「佐橋甚五郎」で交絡を考える1

1 交絡因子

 観察する2つの因子と相互に関連していて、これらの因子間の観察結果に影響を及ぼす第3の因子のことを交絡因子(confounding factor, confounder)という。ある因子が交絡因子になるためには、以下の3つの条件が必要である。

1 アウトカムに影響を与える。交絡因子➩アウトカム
2 要因との関連がある。交絡因子⇔要因
3 要因とアウトカムの中間因子ではない。要因×➩中間因子×➩アウトカム

 以上の3つが揃っていれば、因子は交絡因子になる。なお、交絡、交絡因子、交絡バイアスという用語を確認しておく。

花村嘉英(2021)「森鴎外の『佐橋甚五郎』で交絡を考える」より
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花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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