午前中鬱と不安で寝込む.
仕方無く頓服を飲んだ.
それで午後 2 時過ぎに何とか起きることができた.
昨日の認知療法では, 今の自分には自信が持てるものが何一つ無い, ということについて相談した.
本当に何も無い.
それは, 去年の 3 月から 5 月末まで入院して, 退院した後, 6 月の下旬に体調をひどく崩した時期から顕著になった.
コミュニケーションへの恐怖が入院前よりも強くなった.
そして, 個人的, 身近なところでショックだったのは大学ノートに付けていた日記を書けなくなってしまったことである.
ブログのほうは 9 月に再開することができたが, 紙の日記は未だに書くことができない.
この文章は何とか日々綴っていけているのに紙の日記が駄目なのはどうしてかと考えると, 紙の日記のほうにより個人的な事柄を書いていたためではないかと思う.
自分の内面を言葉という形で表に出すのがとても怖いのだ.
仮に何かを書いたとして, それを批判されたり, 内容について問い詰められた時に何一つ答えたり反論したりすることができず, 心が砕けてしまう予感がある.
誰が批判したり問い詰めたりするのかと言えば自分自身である.
鬱が苦しい時に, 罪悪感や自責の念の形をとって自分の心を攻撃してくる自分自身が非常に恐ろしい.
言葉という明確な媒体によって, 自分の曖昧な心が論理的・感情的に全否定されてしまうだろう.
自分に自信が無いというのはそういうことなのだ.
PSW さんは, 自分への自信は時間を経れば再び育ってくると言ってくれたが,... どうかなあ.
手書きで文章を書く行為自体は, 自分がものを考えるスピードによく合っているので好きなのだが, 日記を書くのはまだ苦しい. いつになるか...
ここまでで今日の文章は終わりにするつもりだったが, 書くにあたって 1 月 30 日の文章を読み返してみたら, コンピューターで絵を描くための数学を考えてみたい, というようなことが書いてある.
実際に, こういうことは学生の頃から興味があったので趣味のプログラミングでやっていたのだが, ここでのものは, 多分何気なく思い付いて書いた一節だと思う.
けれども, こうした内容に関してならば, もしかしたら考えていることの欠片くらいは書けるかも知れない.
少しヒントになった.
気が向いたら試してみる.
夕食は出汁をとった昆布の醤油漬け, 納豆とご飯と野沢菜.