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2016年12月31日

混乱の中, ポトフを作る

朝, 目が覚めた時から体調が良くない.
自分が駄目な人間だという意識が強くて動けない.
苦しい.

頓服を飲んで気分が落ち着くのを待つ.
これまでが駄目だったとしても, 今の自分は日々しっかり生きている, と考えようとする.
こういう時はいつも考えの幅が極端に狭くなってしまっている.
自分は駄目だ, 人間の屑だという考えがなかなか頭から離れない.

11 時半に起き上がる.

何とか起きたもののどうにも苦しい.
罪悪感にさいなまれ続ける.

苦しさに堪えられず, また頓服を飲む.

少し気分が穏やかになってきた.
天気が良かったので散歩に出かける.
まだ体調が悪いせいか, 散歩というより, 小一時間ふらふらと彷徨っていた.

けれども外の光を浴びて気分は上向いた.

食事を作ることにする.
ポトフを作ることにした.
温かい野菜の料理を食べたかったのと, 気分転換に料理がしたくなったから.

先日買ってきた豚ばらブロックを使う.
ナツメグと塩を摩り込んで, フライパンで表面だけ焼き目をつける.
それからローリエやらセロリやらと一緒に大鍋に放り込んで弱火で煮込む.
適当に灰汁取りもやる.

野菜はキャベツ, 人参, 玉葱, じゃが芋.
大雑把に刻む.
豚ばら肉が柔かくなってから野菜とブイヨンを入れてまた弱火で煮込む.
でき上がるちょっと前にセロリの葉っぱを入れる.

ポトフができあがるのを待っている時間に本を読んで絵を描き, 数学をやった.
鍋をゆっくりと煮込んでいる時間, その横で何かをするのが楽しい.
好きである.

しかし, 今日は本を読んでも内容が頭に入ってこない.
心ここにあらずという感じ.
心がふわふわしている.
不安定.

絵は, 昨日までの絵の上から, 絵の具を滅茶苦茶に塗り散らかしてしまった.
何か今日の鬱々とした気分を破壊したかったのだろうと思う.
気持ちはスッキリした.
絵はまた一からやり直す.

心が静かになったのか, 数学には集中できた.
昨日までの練習問題を解き終わる.
明日から新しい練習問題に取りかかる.
今度の問題はスライス圏の性質に関するもので面白そう.

ポトフを食べる.
熱くて美味しい.

たくさん作ったので正月の 3 日くらいまでは持つかな.
posted by 底彦 at 21:07 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年12月30日

読書: ネットワークによる思考の共有

11 時半起床.

やや鬱がいつもより苦しく, 頓服を飲んで何とか起きた.

無気力で何もやる気が起きない.
今日は部屋の大掃除をするつもりだったが無理だ.
掃除機をかけるだけ, というのも非常に難しいことに思える.

体調が優れず, また頓服を飲む.
横になって休む.

夕方になって少し動けるようになった.
シャワーを浴びる.

それから読書・絵・数学をやった.
頓服のせいか, 頭がぼうっとしている.

読んでいる本 Sucan Cain 『Quiet』の今日読んだ箇所がとても面白かった
Linux や Wikipedia などバザール型の開発が成功した影響で, 90 年代後半, アメリカの起業ではオープンオフィス環境 (パーティションを取り去って従業員同士のアクセスの自由を優先したオフィスデザイン) の導入とそれによるオフィス内グループでの Linux 型開発モデルの促進が進んだ.
けれども幾人もの心理学者が中心となってその実効性を検証したところ, 開発やデザインなどの創造性が要求される仕事に対して, オープンオフィスの導入は, 従業員一人一人が個別に作業を行う場合と比較してかえって非効率であることが判明する.

Linux に象徴されるバザール型の開発モデルはコンピューターネットワークという媒体が存在する場合において初めてその力を発揮するのである.
それは孤独に思索する人々が, 「思索の合い間」にネット上にアイディアを提供し, それが他の孤独に思索する人々に共有されることにより創造の連鎖が起きることによる.
グループオフィスでは, すでに始めから孤独に思索することができない.

この結果自体, 自分は初めて知ったし, 非常に面白い.
けれどもそれ以上に, こういうことをきちんと検証するのはすごいと思う.

その後, 絵を描き, 数学をやった.
絵も数学も一人で集中して行うものだから, 上の話と無関係ではない.
孤独に思索する個人が, ネットワーク上で他者と触れ合うことの意味が重ね合わされる.

少し励まされた.
posted by 底彦 at 20:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 勉強

2016年12月29日

昨日のお笑いライブのこと

昨日の夜はコントのライブを観に行った.

『エレ片 IN 両国国技館』というライブ.
タイトル通り両国国技館で開催された.

始まる前は緊張と恐怖で動悸が苦しかったが, 頓服を飲んで何とか乗り切り, 最後まで観た.

エンターテインメントでは, 映画や音楽, 芝居も好きである.
けれども 2 年前に入院して以来, そういうものに触れることが怖くなった.
受ける刺激や情報量, その大きさに堪え切れない.
だからそれらのイベントには今は行けていない.

お笑いは大丈夫なのだが, 聴けるものが少なくなってしまった.
落語は概ね大丈夫である.
漫才は好きなのだが, スピードについていけないと感じることもある.
コントも同様.

けれど, この夜にコントライブを開催したエレ片というコントユニットのラジオ番組, そしてコントライブだけは自分から聴いたり観に行ったりできる.

なぜなのかはわからない.
他とどこが違うのだろう.

そういうことで昨日は楽しかったが, ライブに出かけるのには気持ちの面で無理をしないといけない.
人が怖いからで, これは相変わらずだ.
posted by 底彦 at 20:35 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日常生活

散髪をする

朝から疲労感が強く午前中ずっと休む.

12 時半に起きて昼食をとる.
ご飯に納豆と目玉焼きをのせた目玉焼き丼.
簡単で美味いし, 元気が出る気がする.

夕方, 散髪に行って髪を短く整える.
すっきりした.

それから読書・絵・数学をやる.
数学は練習問題の証明の内容のチェックを行った.
式の変形での間違いが一箇所, それから証明の文章が冗長過ぎて意味がわかりにくいところが数箇所, それぞれ直す.
昨日の時点では問題無いと思っていたが, 日をあらためて読み直すと引っ掛かる箇所というのは見つかるものである.

絵は一箇所色を塗り直したが, 何かまだうまくいかない感じ.

もう少し早起きができればいいと思っているが, 現在の自分の体調を考えるとまだ無理をするのはよくないと感じる.
posted by 底彦 at 20:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活

2016年12月28日

雑多な一日

9 時半起床.

午前中は買い出しに出かける.
近所のスーパーで 10 % 割り引きセールをやっている.
大根, 人参, キャベツ, ブロッコリー, 長芋, 納豆, 豚肉, 鶏肉, 牛乳など買い込む.

昼食は目玉焼きとご飯.

午後は数学と絵をやる.
こんなことをしても何にもならない, という無価値感はまだある.

けれども, 今日で数学の練習問題の LaTeX での清書はひとまず終わった.
圏 $\mathscr{C}$ が与えられたとき, $\mathscr{C}$ の射の集まり $\text{Ar}(\mathscr{C})$ を対象とする 2 つの圏 ── 射圏 (arrow category) ${\mathscr{C}}^{\rightarrow}$ と捩れ射圏 (twisted arrow category) ${\mathscr{C}}^{\leftarrow}$ ── が実際に圏になることの証明を行ったもので, 圏を定義する条件が具体的な圏ではどのような形になるのかがわかって面白い.
自分のような, 何かを理解することにとても時間がかかる者にとって, こういうことは実際に練習問題をやって初めて納得できるようになる.
明日, 証明を読み直して内容のチェックを行うつもり.
問題が無ければこの問題は終了である.

絵も, 現在描いている 2 枚どちらとも 8 割程度まで完成した.
最初に思い描いていたイメージとはかけ離れた絵になったが, あと少しでできあがる.

絵や数学を日々続けることに意味があるかどうかは別にして, 毎日続けていれば何らかの進展はある.
別にその進展で自分が変わるとか新しい視野が開けるとかいうことは特に無いみたいだ.
しかし進む.

夜はお笑いのライブを観に行った.
楽しかったが, 大勢の人の中にいたことで帰宅してから精神的な疲労が滲み出てきた.
ひとまず休む.
posted by 底彦 at 23:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活

2016年12月27日

夕方まで寝込む

抑鬱感が強い.
無気力で何もやる気が起こらず, ずっと布団の中で休んでいた.

夕方になって何とか起き上がることができた.
シャワーを浴びる.

読書, 絵, 数学をやる.
これを日々行うことにどんな意味があるとか, 正直なところ自分にもよくわからない.
けれども元々, これを続けることの力に憧れたので, とりあえずやり続ける.
絵は色を塗るつもりだったが, 結局どんな色で塗ったらいいのか思い付かず, 眺めているだけで終わった.

下手をすると一日中沈んだ気分の中で過ごす中, 読書・絵・数学には精神的な昂揚をうながす力が確かにある.
これだけでも毎日続けている意味はあるのではないかと思うが...

そう言えば午前中に体調がすぐれず, 夕方になって動けるようになるというのは鬱の症状の現れ方の一つだ.
今はそういう体調なのだろう.
午前中から活動ができないのも仕方が無い.

少しずつでも午前中に何かしらできるようになっていければいいと思う.

夕食は納豆とご飯と野沢菜漬け.
posted by 底彦 at 20:37 | Comment(2) | TrackBack(0) |

2016年12月26日

終日寝込む

一日寝込んでしまった.
自分は駄目だという意識が強い.
日々のいろいろなことがものすごく難しいように感じて何もできない.
何だか疲れたなあ, と思う.
タグ:鬱病
posted by 底彦 at 19:41 | Comment(0) | TrackBack(0) |

2016年12月25日

午後から寝込む

9 時起床.

天気が良く散歩に出かける.
帰宅して本を読み, 数学を少しやる.

昼食はご飯の残りでハムライス.

昼食後から少し体調が崩れる.

絵を描いたり, 数学をやったりしたって何にもならない.
病気に甘えているだけであって, 駄目な人間であることには何の変わりもない.

というような考えに襲われてしまってどうにもならない.

障害年金を受けてかろうじて生きさせてもらっている身だということを忘れてはいないか.
世間から隠れるように生きているのに, 今日は絵や数学ができたなどと書いている.
自分はいかにも病と闘っていますというように自慢げにここに文章として書くのは, 他者を不快にさせる傲慢で無礼な行為ではないか.

こういう風になると駄目だ.
消えてしまいたい.
弱い... 弱過ぎる.

気分が沈み, 動けなくなり, 布団に潜って寝込む.
posted by 底彦 at 19:59 | Comment(2) | TrackBack(0) |

2016年12月24日

無気力な日 ── 年賀状のこと

9 時半起床.

今日は一日自由な時間なのだが, 無気力状態で何もやる気にならない.
体も心もそんなに疲れているわけではないのに体がだるく, ちょっと動いて何かするのも難儀である.

何もできない.

無気力な時には何かを始めるのがとても難しい.

夕方になって, やっと少し無理をしてシャワーを浴びることができた.
シャワーを浴びると気分が少し上がる.

読書・絵・就学を少しやった.
この 3 つは幾度も書いているように何とか日々の習慣にしたいと思っている.
けれどもこのところ, 今日のように夕方の時間でちょっとだけやることしかできない日が多い.

特に現在, 数学では練習問題の証明を PC 上の LaTeX ドキュメントとして清書しているのだが, このための時間がもっと欲しい.
証明を確認しながら書いていくのと, 自分のキーボード入力の速度が遅いので時間がかかるのだ.
できれば朝早く起きて集中してやりたい.

今は無理に焦ることをするつもりはないが, 午前中の時間が使えるようになればいいなとは思う.

ところで, 今年も年賀状を書くのは諦めた.
9 月に知り合いに葉書を一枚書けたのだが, 手紙を書くのは精神的な敷居が今でも非常に高く, どうしても力が出ない.

電話も駄目, メールも駄目, SNS も駄目, 紙の手紙も駄目, 直接会って会話するのも駄目.
人との関わりは未だにこんな調子だ.

夕食は納豆, ほうれん草お浸し, 卵かけご飯と白菜の漬け物.
posted by 底彦 at 19:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活

2016年12月23日

嫌な夢を見る 〜 昨日の会話を思い出す

9 時半起床.

昨晩は嫌な夢でうなされた.
その夢の記憶が起きた後も残っていて, 午前中はずっと横になって休んでいた.
過去の記憶の断片.
今回の夢はかなり鮮明で, その中に色, 音, 匂いがあった.
特に煙草の匂いをはっきり覚えている.
考えてみると, こういうものも脳が自分の感覚を操作している結果であって, 脳とは不思議だと思う.

午後, 散歩に出かける.
歩きながら, 昨日作業療法のアトリエに来ていたメンバーの男性と行った会話の内容を思い出した.
昨日, 彼と会話をしている時には自分は完全にてんぱっていた.
会話の中で彼の名前を間違えて呼んでしまったこともあり, その内容はどこかに飛んでしまっていたのだろう.

今日になってそれを振り返ることができたが, 面白い話をしていたのだ.
ひどい緊張状態ではあったが, 会話を楽しんでいたのではないかと思う.

彼は子供の頃から一つのことをずっと続けることができない, と言っていた.
高校の頃は暗黒時代だったそうである.
それでお互いの体調の話をした.

自分は彼に, 何一つ自分に自信を持てるものが無く, こうして会話をしていてもちゃんと会話をできているかどうか, 相手に対して失礼なことを言ったりしていないかばかりが気になって苦しいと伝えた.
そうしたら彼が最近読んだある本の内容を引用しながら彼自身もそういう経験があると言う.
共感が持てた覚えがある.

その文章は森岡正博という哲学者がウィトゲンシュタインについて書いた自分と世界との関わりについてのもの.
別に哲学そのものを勉強したくて読むのではない.
苦しさから救われたかったり, 生きる力が欲しかったりした時にふと哲学に頼るのだ.

そういったような話の続きを, 散歩をしながら今度は一人であらためて考えた.

世界と双方向で関わること・繋がることは自身の内的な知覚と, 他者との間の普遍的な了解を介して初めてできるようになる.
自分の勝手な解釈だがそういう考え方がある.
多分現象学とか, その周辺のような分野だと思うが, よくわからない.

作業療法の時には自分は絵を描いているが, その絵は自分の表われである反面, 他者にとっては絵のイメージだけがあり自分の表われそのものが伝わっているわけではない.
他者がそれについて語ったり感じたりしたことと, 自分が絵画として表わしたものとの間に何かしら通じるものがあれば, 自分とその他者との間にはある繋がりができたことになる.

今年, 読書が普通にできるようになってから図書館に通うようになったが, 鬱・貧困・ひきこもりなどとの関わりでそういう本に出会えた.
ある時期, コミュニケーションへの恐れを何とかしたいと思っていた.
その時に上のようなことを書いた本を見つけて読んだのだ.

少し救われたし, コミュニケーションへのこういう向き合い方があるのだと知った.
それを入口にしてフッサールやメルロ=ポンティの文章の断片にもあたることができた.

森岡正博も今度読んでみたい.
図書館で検索してみる.

ひどい文章になってしまった.
posted by 底彦 at 19:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日常生活
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