昨日の夕方、担当者の方と打ち合わせをしました。
担当者の方は「こちらでのチェックが不十分だったこと、遅れたことには私にも責任があります。お客様への謝罪については、私が責任者として底彦さんと一緒に行うつもりです。今日はざっくばらんに話し合ってどうするのが一番いいのかを考えましょう」と仰いました。なかなか言える言葉ではないです。立派な方だと思いました。
とりあえず、納品はクライアントさんからの要求通り 11 月 4 日に行う、それは私が犯した欠陥を含んだものです。
同時に担当者の方からクライアントさんに今回の納品には問題があることを伝えていただき、具体的な対策、謝罪をどうするか等はクライアントさんに委ねることとなりました。
このように、担当者さんとの打ち合わせは意義のあるものとなったのですが、担当者さんと私とで食い違った事が一つあります。
欠陥の部分をどうするか? です。
私はできれば私以外の方に担当してほしいとお願いしました。理由としては、欠陥部分の修正は、直す部分の量はたくさんあるけれど、ミスのパターンはすべて同じなので、自動検索・置換と関数名や変数名の手作業による修正で済むから、ということです。さらに私自身の鬱の状態が現在良くないため、私が修正を行った場合、寝込んだり発作が起きたりで時間がかかってしまうし、集中力が欠けているのでさらなるミスを作り込んでしまう可能性があるから、とも付け加えました。
担当者さんは私に最後までやって欲しい、最後までやるべきだ、という立場でした。底彦さんが鬱病だということは私も知っているけれど、鬱病だから他の人に、というのは甘えですよ。鬱病の人だって食事もするしトイレにも行くし風呂にも入るんでしょ。普通の人と同じじゃないですか。鬱だからというのは甘え以外の何物でもないですよ。最後まで責任を持つのが大人ではないですか。
この話し合いは平行線に終わりました。
心情的には、担当者の方の言っていることが正しいと思います。大人は自分のした事に責任を持つのです。
しかしできないものはできない。コンピューターの前に座るまで怖くて数時間かかる人間が取れる責任というのは何だろう? 気合いや心構えでどうにかなるのだろうか?
担当者の方とはあらためて話し合います。
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