2008年08月29日
骨髄移植の少年が、始球式で上原投手と約束の再会
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翔太君は、次第に体の自由が利かなくなる難病を抱え、昨年秋に唯一の治療法とされる骨髄移植を受けました。翔太君は白血球型(HLA)が適合する骨髄提供者が見つかって移植を受けることができましたが、同じ病気を発症した4歳上の兄・雄太君は、提供者が見つからず、2006年4月に10歳で亡くなりました。
翔太君の父親・秀雄さん(40)と母親・桂子さん(44)は07年夏、プロ野球選手になることを夢見ていた雄太君のことをつづった手紙を、骨髄バンクを支援している巨人軍に送り、斉木家と球団の交流がスタート。翔太君は昨年7月、雄太君の想い胸に東京ドームのマウンドに立ち、兄のグラブを着けて始球式を務めました。
骨髄移植は成功したものの、翔太君は、薬の副作用や免疫力の低下などで、高熱や下痢に加え、口中に広がった口内炎で食事ものどを通らなくなり、当時22キロあった体重は4キロも減るなど苦しみました。
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昨年12月、上原投手と木佐貫投手が神奈川県内の院内学級を慰問、同じ病院の無菌室に入院する翔太君を見舞いました。翔太君と2投手はこの時、「元気になったら、東京ドームで再会しよう」という約束を交わしました。
翔太君は、今年1月に退院しましたが、当初は少し運動しただけで1週間近く熱を出してしまうなど体調が安定せず、7月に主治医からお墨付きをもらうまでは感染防止のため映画館や飛行機など不特定多数の人が集まる場所に入ることを止められていました。そんな闘病生活が続いたものの、2投手との約束を支えに翔太君は順調な回復を見せ、始球式の日を迎えました。
28日の試合開始直前、翔太君は昨年と同じく上原投手の背番号入りTシャツに兄のグラブを着けて、上原投手と一緒に“約束”のマウンドに立ちました。雄太君の遺影を抱えた両親やドームの大観衆が見守る中、やや緊張しながらも、大きく振りかぶる豪快なフォームから投じた白球は、ワンバウンドながらも見事にストライクゾーンに収まりました。
大役を終えた翔太君は「(マウンドで)上原投手から『頑張ろうな』と言われた。去年は右に外れたけど、今回はストライクゾーンに投げられて良かった。お兄ちゃんの分まで元気に過ごして、将来はプロ野球のピッチャーになりたい」と満足そうに話していました。
上原投手は「昨年12月に病院で見舞った時、無菌室にいた姿を思い浮かべると、想像もできないような力強い球を投げていました。元気になった翔太君と再会して、うれしく思うと同時に、僕の方が励まされ、力をもらえた気がします。翔太君のように骨髄移植さえ受けられれば、治る病気はたくさんあるので、これからも自分にできることをしていきたい」と感想を述べました。
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