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2015年12月06日
「ボーイズビーアンビシャス」クラーク博士と札幌時計台(空道V5)
札幌時計台、北海道土産といえば、時計台のシルエットが載っています。
やっぱり、札幌市内ですから見ないわけはありません。
金曜の夜、嵐コンサートの真っ只中、入れる居酒屋を探すのも一苦労です。
渡航3名、二日目の夜の宿はバラバラです。タクシーでも一時間近くかかってしまいました。
よって、3名で飲み始めた時間は既に9時近くだったように思います。
座ってじっくり食べるというより、二日目はもつ鍋で、腹ごしらえです。
これもまた具材が新鮮で美味しかったです。
さて、本題の札幌時計台は、ホテルへの徒歩での帰途途中だったため札幌駅へ向かって歩き始めました。
大通り公園の電波塔を横目に進めば、時計台です。
見たからどうだってことは特にありません。一応観光地です。
これではネタにならないので、調べてみました。
大介です。
ネットで調べてみると、この札幌時計台は、旧札幌農学校演武場だったようです。時計は後からついたようです。
明治35年ころまでは「農学校の大時計」といわれていました。
何時のころから時計台とよばれるようになったかはっきりしません。
初めは「農学校の大時計」と呼ばれていました。
有島武郎の星座(大正10年)では「演武場の片隅にある時計台」とあり、大正11年に高階哲夫は「時計台の鐘」を作詞作曲しています。
これらから明治時代は農学校の大時計、又は演武場の時計台といわれていたものが、大正時代に「時計台」と呼ぶのが一般化したようです。 札幌時計台HPより引用
また、「ボーイズビーアンビシャス」クラーク博士の言葉は、日本を立つときの言葉。クラーク博士は明治9年に農学校の初代教頭になった人物で教育方針を決めた人だったようです。
と、クラーク博士は、有名な割に、在任期間8ヶ月と短かったんですね。
このくらい、覚えておげば、時計台を見たかいがあった。このブログを読んでくれたかいがあっんじゃないかと自己満足です。
札幌市の公式観光サイト
札幌時計台HP
さっぽろテレビ棟のHP
やっぱり、札幌市内ですから見ないわけはありません。
金曜の夜、嵐コンサートの真っ只中、入れる居酒屋を探すのも一苦労です。
渡航3名、二日目の夜の宿はバラバラです。タクシーでも一時間近くかかってしまいました。
よって、3名で飲み始めた時間は既に9時近くだったように思います。
座ってじっくり食べるというより、二日目はもつ鍋で、腹ごしらえです。
これもまた具材が新鮮で美味しかったです。
さて、本題の札幌時計台は、ホテルへの徒歩での帰途途中だったため札幌駅へ向かって歩き始めました。
大通り公園の電波塔を横目に進めば、時計台です。
見たからどうだってことは特にありません。一応観光地です。
これではネタにならないので、調べてみました。
大介です。
ネットで調べてみると、この札幌時計台は、旧札幌農学校演武場だったようです。時計は後からついたようです。
明治35年ころまでは「農学校の大時計」といわれていました。
何時のころから時計台とよばれるようになったかはっきりしません。
初めは「農学校の大時計」と呼ばれていました。
有島武郎の星座(大正10年)では「演武場の片隅にある時計台」とあり、大正11年に高階哲夫は「時計台の鐘」を作詞作曲しています。
これらから明治時代は農学校の大時計、又は演武場の時計台といわれていたものが、大正時代に「時計台」と呼ぶのが一般化したようです。 札幌時計台HPより引用
また、「ボーイズビーアンビシャス」クラーク博士の言葉は、日本を立つときの言葉。クラーク博士は明治9年に農学校の初代教頭になった人物で教育方針を決めた人だったようです。
と、クラーク博士は、有名な割に、在任期間8ヶ月と短かったんですね。
このくらい、覚えておげば、時計台を見たかいがあった。このブログを読んでくれたかいがあっんじゃないかと自己満足です。
札幌市の公式観光サイト
札幌時計台HP
さっぽろテレビ棟のHP
2015年12月05日
北海道庁、日本で3番目のレンガ数の建物。(空道V3)
V2では、帰り道の途中、「北海道大学植物園」を書きました。
北海道大学植物園、人口200万都市札幌のど真ん中(空道V2)
赤れんが庁舎(北海道庁旧本庁舎)の紹介HP
V3は、その近くの旧北海道庁です。
昨夜の嵐のコンサートの余波は早朝の駅前にはなさそうです。
24時間営業の居酒屋には、金曜日ということもありますが、ガラガラを引いた泊まる所のないファンと思われる女性達が並んでいました。
特に、ガイドを見たわけでもなかったのですが、植物園をすぎて右手を見ると、何やら森が見えたので向かってみました。
大きな、北海道庁の敷地です。遠目で観察してみると入れそうだったので、行ってみると、レンガの建物が見え、人も歩いているようなので大丈夫そうです。
敷地に北側から入っていったので、レンガの北海道庁舎は横から・・・・石碑があったので、一応観光スポット。
正面まで行ってみると、お決まりの大陸からの来訪者達が記念撮影していました。
大抵、蛍光や原色を含んだ洋服や靴、サングラスにポーズをとって写真におさまるのが定番のようです。
正面から、土木遺産として北海道の舗装の発祥の地とやらの道路です。
はじめは、アスファルトではなく、表面が木だったようです。丁度鉄道の枕木を、レンガのような大きさにカットしたものを敷き詰めていたようです。
読んでみると、この道路の正面に札幌駅があったようです。
今は、位置的に90度ずれていますよね。ちなみになんとなく、札幌駅は殺風景です。
何が殺風景って、看板がほとんど無い建物で、駅名も目に付かないことや色合いがないので、ぱっと見は駅というより、公会堂や大きな会館ていう趣です。
まだ、待ち合わせや電車の時間があったので、KIOSKに立ち寄り、お土産を物色。
北の大都会は、全てゆったり広々スペースでいいですよね。
曇り空の晩秋の朝の景色はちょっと寂しげな様子でしたが、これもまた趣の一つです。
ネットで建物のレンガ数を検索すると、
東京駅、旧カブトビル、北海道庁の順番らしい。
「東京駅も見ておきたいが、周辺ビルのお店も見ておきたいね。」
また、土木建築で言えば、碓氷峠のトンネルらしいです。
「碓氷峠、碓氷第三橋梁 日本で最初のアプト式鉄道の地です。」
「ブラタモリ」で碓氷峠を放送、鉄道文化むらを見た気分に。
北海道大学植物園、人口200万都市札幌のど真ん中(空道V2)
赤れんが庁舎(北海道庁旧本庁舎)の紹介HP
V3は、その近くの旧北海道庁です。
昨夜の嵐のコンサートの余波は早朝の駅前にはなさそうです。
24時間営業の居酒屋には、金曜日ということもありますが、ガラガラを引いた泊まる所のないファンと思われる女性達が並んでいました。
特に、ガイドを見たわけでもなかったのですが、植物園をすぎて右手を見ると、何やら森が見えたので向かってみました。
大きな、北海道庁の敷地です。遠目で観察してみると入れそうだったので、行ってみると、レンガの建物が見え、人も歩いているようなので大丈夫そうです。
敷地に北側から入っていったので、レンガの北海道庁舎は横から・・・・石碑があったので、一応観光スポット。
正面まで行ってみると、お決まりの大陸からの来訪者達が記念撮影していました。
大抵、蛍光や原色を含んだ洋服や靴、サングラスにポーズをとって写真におさまるのが定番のようです。
正面から、土木遺産として北海道の舗装の発祥の地とやらの道路です。
はじめは、アスファルトではなく、表面が木だったようです。丁度鉄道の枕木を、レンガのような大きさにカットしたものを敷き詰めていたようです。
読んでみると、この道路の正面に札幌駅があったようです。
今は、位置的に90度ずれていますよね。ちなみになんとなく、札幌駅は殺風景です。
何が殺風景って、看板がほとんど無い建物で、駅名も目に付かないことや色合いがないので、ぱっと見は駅というより、公会堂や大きな会館ていう趣です。
まだ、待ち合わせや電車の時間があったので、KIOSKに立ち寄り、お土産を物色。
北の大都会は、全てゆったり広々スペースでいいですよね。
曇り空の晩秋の朝の景色はちょっと寂しげな様子でしたが、これもまた趣の一つです。
ネットで建物のレンガ数を検索すると、
東京駅、旧カブトビル、北海道庁の順番らしい。
「東京駅も見ておきたいが、周辺ビルのお店も見ておきたいね。」
また、土木建築で言えば、碓氷峠のトンネルらしいです。
「碓氷峠、碓氷第三橋梁 日本で最初のアプト式鉄道の地です。」
「ブラタモリ」で碓氷峠を放送、鉄道文化むらを見た気分に。
2015年11月05日
湯西川温泉「平家の里」紅葉など自然を満喫。
シンプルに疲れを癒す温泉、道の駅「湯西川」
道の駅「湯西川」の温泉をレポートしましたが、そもそも、湯西川温泉は平家の落人が発見した温泉らしく渓谷沿いのもっと奥地のようです。
今回紹介するのは、湯西川温泉の「平家の里」です。
秋の午後、もうすぐ夕暮れという時間のため、場内にはほとんど来場者がいませんでしした。
さて、この平家の里ですが、歴史的な興味がなければ、山里の古民家を移築し復元した集落といった感じてす。
とはいえ、静まり返った場内もまた、秋の気配と、森林や茅葺き屋根の古民家が落ち着いた静けさを醸し出しています。
10棟近くの建物には、それぞれ昔から伝わる道具や武具、調度品が飾られています。
大人一人500円、歴史に興味のある方ならよいかもしれません。
歴史にあまり興味が無い方なら、春の新緑、子供と夏休みの自由研究なんてどうでしょうか。
四季の景色を撮るなんて趣味があったらいいかもしれません。
平家の里に限らず、この辺一体が秘境といった感じで自然を満喫できそうです。
歴史には疎い大介です。
あちこちで、平家の落人が・・・・という話を聞くが、平家時代って何時ごろって、12世紀頃のようである。
従って、今から約900年前、で、温泉はそれから500年後ぐらいに発見されたようです。
豪雪地帯の辺境の地であることで、鯉のぼりを上げない・鶏を飼わないなど、昔からの習慣や風習が今でも残っているそうです。
平家が有名なのは、平清盛「祇園精舎の鐘の声、諸行無常響あり。」の書き出しの「平家物語」です。って書きながら自分のお勉強です。
これ以上調べると、疑問が疑問を生み出し、長い記事になるので、省略!
近くには、
日光旅ナビ のホームページはここから
道の駅「湯西川」の温泉をレポートしましたが、そもそも、湯西川温泉は平家の落人が発見した温泉らしく渓谷沿いのもっと奥地のようです。
今回紹介するのは、湯西川温泉の「平家の里」です。
秋の午後、もうすぐ夕暮れという時間のため、場内にはほとんど来場者がいませんでしした。
さて、この平家の里ですが、歴史的な興味がなければ、山里の古民家を移築し復元した集落といった感じてす。
とはいえ、静まり返った場内もまた、秋の気配と、森林や茅葺き屋根の古民家が落ち着いた静けさを醸し出しています。
10棟近くの建物には、それぞれ昔から伝わる道具や武具、調度品が飾られています。
大人一人500円、歴史に興味のある方ならよいかもしれません。
歴史にあまり興味が無い方なら、春の新緑、子供と夏休みの自由研究なんてどうでしょうか。
四季の景色を撮るなんて趣味があったらいいかもしれません。
平家の里に限らず、この辺一体が秘境といった感じで自然を満喫できそうです。
歴史には疎い大介です。
あちこちで、平家の落人が・・・・という話を聞くが、平家時代って何時ごろって、12世紀頃のようである。
従って、今から約900年前、で、温泉はそれから500年後ぐらいに発見されたようです。
豪雪地帯の辺境の地であることで、鯉のぼりを上げない・鶏を飼わないなど、昔からの習慣や風習が今でも残っているそうです。
平家が有名なのは、平清盛「祇園精舎の鐘の声、諸行無常響あり。」の書き出しの「平家物語」です。って書きながら自分のお勉強です。
これ以上調べると、疑問が疑問を生み出し、長い記事になるので、省略!
近くには、
日光旅ナビ のホームページはここから