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2014年07月17日

巨大帯の起源

ビニールカバー時代の中公新書の帯について、考察を続けてみたい。初期(〜200番)までは帯の色は統一性はなく、170番前後から徐々に肌色の帯になり、その後はベージュ色の帯へと変遷。600番台後半から内容による色帯(赤、茶、黄、オレンジ、緑)の5色で色分けされる。帯の大きさは初版から変わらず、現在の中公新書のような大きな帯を持つケースは重版や増補版のケースで見られる。その場合でもビニールカバーの内側帯が大半であったと考えられる。今回紹介する帯は現在の中公新書の帯の形態に近く、本の半分を占める大きさである。その帯がついた中公新書は1981年に発売された森毅『数学受験術指南』(中公新書・607)、1981年1月である。本自体は2012年に中公文庫で再刊し、読むことができる数学エッセイの名著である。

数学受験術指南(表・帯)数学受験術指南(赤帯・裏)

このように赤い帯がまかれ、当時の中央公論社の気合いを感じることができる。本書はこれが初版であり、ビニカバ時代における初版の巨大帯はたぶん本書が初めてではないかと愚察する。その後、重版になった本(たとえば『元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世』など)では、巨大帯が宣伝用の飾り帯としてきわめて有効に活用されている。この帯を見てもわかるように、図版または写真+宣伝文句というスタイルが見られるようになってきている。

赤帯をとった『数学受験術指南』の写真はこちら。あ、普通のビニカバの中公新書なんです…。何かを期待していた人、ごめんなさいw。

数学受験術指南(帯のみ)数学受験術指南(帯のみ・裏)

しかし巨大帯を外してノーマル帯にすると、なんだか服を脱がされて下着だけになってしまったような感じ?で寂しい。それもあって、今のでか帯に変化し、インパクト度を高めたのかもしれない。帯がビニカバ内部にある時代の名残でした。

2014年07月16日

続刊予定

中公新書の初期には、続刊予定リストが付属している。刊行された本もあれば、諸般の事情により出版されなかったものもあるようだ。以下写真に示した続刊予定リストは池見酉次郎『心療内科』(中公新書・29)および神田錬蔵『アマゾン河』(中公新書・10、昭和38年3月発売)の巻末より引用したものである。これらのリストを見ていると、名だたるメンバーに執筆を依頼していたことがわかると同時に、なかなかに興味深い中身であろう本がそれぞれリストの中にあった。まず最初に『アマゾン河』の巻末のリストから見てみよう。 
続刊予定リスト


『アマゾン河』巻末で予告されたのに出版されなかった本は以下の通りである。
塚本善隆『遣唐使 - 長安の留学生たち』、小川環樹『漢詩入門』、武田泰淳『東京裁判』、神島二郎『戦後日本の政治家』、古賀忠道『ズーオロジイ −動物・人・管理』、梅棹忠夫『日本群島』、柴田徳衛『都市社会学 −便所からの考察』、奥野健男『日本の技術者』、山田亮三・三輪芳郎『国産品 −日本産業の実力』、伊藤整『翻訳 −理解と誤解の間』、松本三之介『明治維新 −幕臣勝海舟の生涯』、橋川文三『昭和維新 −その思想と行動』の11冊である。タイトルが当初のものとは異なり、出版されたものもある(和歌森歌太郎『修験堂』→『山伏』、野田一夫『日本の経営者 −ビジネス・ヒストリィ』→『財閥』)。お蔵入りしてしまった本のタイトルを見るだけでわくわくする人も多いだろう。あの梅棹忠夫が日本についてどのような考察をするのか、タイトルから想像するだけでもきっと面白い本だったに違いない。ちなみに武田泰淳が書く予定になっていた『東京裁判』は上下巻で児島襄が書いており、武田泰淳も傍聴して東京裁判をどのように捉えたのか、今になってはわからないがきっと児島氏の『東京裁判』とは違った何かになっていたに違いない。

写真 (3).JPG


その後昭和38年12月に発売された池見酉次郎『心療内科』の巻末リストによると、以下の本が刊行予定になっていた。そのうち刊行されなかったものをピックアップしてみよう。上記の本に加え、以下の本が刊行予定であったことがわかる。宮本又次『江戸の広告』、中田喜直『作曲法』、森有正『パリとその周辺』、古賀正義『誤判』が新たに加わっていたが、何らかの事情で本は刊行されなかった模様である。また刊行された本で、当初のタイトルと異なって無事に刊行された本は西村通男『西村屋中兵衛』→『海商三代 −北前船主西村屋の人びと』である。

さまざまな理由で刊行されなかったこれらのタイトルの新書たち。今となってはわからないが、刊行されていたらどのようなインパクトがあったのか、好奇心が尽きない。

2014年07月15日

レア中公新書

発行部数もそこそこにあるはずの中公新書の中には入手困難になってしまった本も多い。小生が中公新書クエストをしている中でレアだと思われる本私的トップ10を紹介。順不同ですが、主観的に見てこのあたりの中公新書は古書店で見つけるのがなかなかに大変なもの、ということでもし入手できたらラッキーかと思います。読んだ本もあるのですが、読んでいない本も多いのでこのブログで紹介をしていくことができれば、と思います。

1.吉川忠夫『侯景の乱始末記―南朝貴族社会の命運』(中公新書・357)…本自体は神保町古書市の中公新書のワゴンセールで入手。確かにあまり見かけない一冊かなと。
2.松岡英夫『岩瀬忠震―日本を開国させた外交家』(中公新書・630)…探している人が多い本で、確かにあまり見かけない。
3.麻井宇介『ワインつくりの思想』(中公新書・1606)…帯付を見つけるのがなかなかに大変。帯なしだとたまに見かけます。
4.林周二『流通革命』(中公新書・4)…のちに増補版が出版されており、2種類ほどある。こちらもあまり見かけない本です。『流通革命新論』もないかも。
5.伊藤隆『近衛新体制』(中公新書・709)…これまでレアな本になってしまいました。
6.池田徳眞『プロパガンダ戦史』(中公新書・601)…佐藤優さんが紹介して以来レア度が上がってしまい、入手が困難になってしまった本。対米プロパガンダに関する日本軍の戦略が記されている本です。
7.池田徳眞『日の丸アワー』(中公新書・545)…対アメリカに対するラジオ放送についての本です。こちらもあまり見かけません。
8.谷口 研語『流浪の戦国貴族 近衛前久』(中公新書・1213)…戦国時代が好きな人は一読をお勧めしたい。
9.孫崎亨『日本外交 現場からの証言―握手と微笑とイエスでいいか』(中公新書・1134)…日米同盟や国境問題で有名人になってしまったこともあり、やや品薄状態かと思われる。
10.倉田 保雄『エリセーエフの生涯―日本学の始祖』(中公新書・465)…色帯版(赤帯)は割と見かけるのだが、白帯版は少ないかも。本自体も現在は少ないのかもしれません。

あと次点としては、宮崎哲弥が紹介していた桂 紹隆『インド人の論理学』(中公新書・1442)あたりはやはりあまり見かけない。インド関係(『マヌ法典』あたり)も少し見つけにくいので、これから集めたいと思う奇特な人は1〜10あたりを確保できると、少し楽ができるかもしれません。

posted by empirestar at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 古本

2014年07月14日

アレフの彼方へ

中公新書を集めるというそもそもの動機は何だったのかを記すことにする。過去、海外小説を中心に蒐集していた程度で、学生時代よりぼちぼちと足しげく古本屋をまわったりして本を入手していた。そのためあまり新書には興味はなかった。海外文学を蒐集していたころの新書のイメージは「第一線で活躍する学者が啓蒙を含めて一般人にわかりやすく教養を与えたり、入門書的な役割をする本」というものであった。

小生の場合何がきっかけだったのか忘れてしまったのだが、帯がない本はよほどの入手困難本でないと買わなくなってしまった。その意味では啓示を受けたようにある時期に突然、帯原理主義者・ビオビスト(美帯にこだわる人)・初版という制約条件のもとで本を探すようになった。新書を蒐集しはじめたのが3、4年前。本だけであれば新書はそろえることは今の世の中は便利になったので、不可能ではない。一般的に古書は保存状態に依存するが、帯がやけていたり、本本体に書き込みがあったりと、本のコンディションはよくないものもある。そのため古書店で自分の目でみて現物を確認することが重要である。新書蒐集を始める気があったのかといえば、当初は全くなかったのだが、はじめてしまったところに自分のコレクター属性たる所以かもしれない。山を制覇すると、次の山を制覇したくなるあの快感にはまってしまった。

実は前置きがある。某2chスレを見て別途蒐集していたちくま新書(この話もおいおい書く)が一段落したので、過去に読んだ本が面白かった中公新書でも集めてみるかと思いはじめたのが、転落人生の始まりであった。歴史があり、冊数もあり、蒐集困難が多いことを後々知ることになるのだが、完全に中公新書に虜にされてしまった、ということである。

それは忘れもしないある夏の暑い日。神保町の@ワンダーというSF・推理小説が強い古本屋がある。そこのワゴンセールに風塵社という古書店が大量に中公新書を均一200円ワゴンセールに出したため、じゃあとりあえず気になるタイトルを購入してみたことがきっかけであった。その後、なんとなく後ろ髪を引かれてしまい、時間がある際には毎日足しげく通い(その当時は、店員の人におぼえられた)、夏の間に1000冊ほど買った。冷静になって考えてみてもこれはどうもおかしい。単価が安いので、気づいたときには恐ろしい額に…。絶版や品切れになったような本に興味もあったので、中公新書の全容を明らかにするというなんだか変な感覚に囚われ、そのときはまさに悪魔にとりつかれたかのように、「2日に一度中公新書の束を買っていく修羅」として@ワンダーの店員さんに認識されていたに違いない。

このワゴンセールで、ビニカバ期の中公新書をかなり大量にゲットし、今のコレクションの基礎をなす。次に同じビルに入っている金沢書店さんが1000番以降の状態のよい中公新書を均一棚に置いたのがきっかけで、ここでもかなり大量に購入した。その後何度か、金沢書店さんから直接中公新書を買入れ、たぶん200冊ぐらいは購入させてもらった。その時はコレクションを充実させて家路についたのだが、冷静になって考えてみると置く場所がない!そのためなんとかしてスペースを確保し、現在に至る。ほかに足しげくコレクションを充実させるために通ったのが、ブックオフ、日本特価書籍センター、長島書店さんからはかなり買わせてもらった。特に日本特価書籍センターさんには無理を言って、開封前の新書から抜かせてもらったのはいい思い出。その後徐々に入手したいと思っていた本が7、8年前程度のものが多くなり、ブックオフやら新御茶ノ水駅に近い長島書店さんなどで購入し、ようやく自分の基準(初版・帯付・セヤケなし・ヤニ臭勘弁)を満たすような本を探すようになっていった。ということで、コレクションの大半は神保町から構成されている。もちろんそのほかにもささま書店とか、よみた屋さんとか吉祥寺・荻窪近辺の古本屋も回ってコレクションを完璧なものにすべく努力している。

修羅道に入ることが決まったのはあの夏の暑い日に出会った@ワンダーのワゴンセールであった。なおこの当時はセヤケには無頓着で、後ほどに買換えという終わりのないゾンビループにはまりこんでしまった。ということで、1から蒐集を始めた名もなき古本修羅はまだ未所持中公新書のためのリストを片手に足しげく神保町や各種古本屋に行っているのである。

栞について

先日書いたように、中公新書は昭和38年12月に発行された岡本良知『豊臣秀吉』(中公新書・28)より内容に関する栞が付属しており、写真にあるような感じである。

豊臣秀吉


見ていただけるとわかるように、聚楽第の地図、関白秀吉の花押が記されている。白井晟一装丁で、本本体には紐栞も付属している。今の中公新書にはない2点が付属しており、なんともマニア泣かせのつくりになっている。完本を探すためには、@ビニカバが付属していること、A内容栞が付属していること、B帯が完備していること、C初版であることの4つの条件を満たしていないといけないので、特に重版になっていたり、古いものになると探すのが大変である。本書も偶然、神保町の古本市でゲットしたが、それ以前に入手したものは内容栞が付属しておらず、『豊臣秀吉』にはないものと信じていた。ちなみに林健太郎『ワイマール共和国』(中公新書・27)には内容栞が付随していないので、たぶん大丈夫だと思うのだが、内容栞が付随しているものがあれば、ぜひご教示いただきたい。また修羅の道が始まるので鬱になりそうですが…。小生の所有する『ワイマール共和国』には黄色の注文伝票がたまたま付属しており、当時の定価は200円となんとなく時代を感じさせる。

内容栞が最後であると思われるのは、永井芳夫・神原周『高分子物語』(中公新書・199)昭和44年発行である。こちらも写真をご参照いただきたい。偶然だが肌色帯。内容栞は化学工業略年表である。紐栞があったのは中岡哲郎『人間と労働の未来』(中公新書・234)昭和45年10月までで、このときには写真にあるような小さな栞が付随している。このころの栞でもわかるように、25日発売が固定していたわけですね。

栞


紐栞がなくなるのは、手元の本を確認したところ藤田健治『ニーチェ』(中公新書・235)昭和45年11月からである。このときから小さい栞のみになる(どこまで継続したのかは、また調査して報告する予定)。

高分子物語


ということで、中公新書の初期は本の状態だけではなく内容栞があるかどうか、付属品のチェックなど古書好きにはたまらない仕掛けがたくさんあるわけだが、時代が変遷するにつれて600番台前後は割りとセヤケに強いつくりになっているのはありがたい(が、色帯になってから背やけで、赤色と緑色が消えやすいのでビオビストとしては困る)。初版を探すのは楽だと思いきや、ものによっては重版が出すぎて初版が見つかりにくいものもあるため、重版のかかった初版の中公新書を探すのはなかなかに大変だったりする。ただやはり神保町はさすがで、まとまって状態の良い中公新書がワゴンセールなどで出るので、小生と同様、新書修羅になりたい方はぜひ定点観測をすると神保町がまた違って見えるでしょう。まさに「狩場」です。

posted by empirestar at 19:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 新書

2014年07月13日

初版帯付セヤケなし

増補版などを除いて、小生は初版にこだわっている。のちほど画像等で示そうと思っているのだが、本は売れ行きが好調であったり、何らかの学術賞をとるなどして重版がかかると初版の帯と異なる帯が装着されてしまう。そのため重版の帯は解説文が初版と異なるもになってしまうために、売り出すことが全面に出てしまうこともあり面白みがなくなる(が、もちろん重版がかかるということは、需要が高いということだから、それだけ社会のニーズがあるということ。将来の本の原資にもなるので、本が売れることはとても重要である)。重版がかかる前に初版を買わないと、新刊本屋のはしごをしないといけなくなるので、無駄なコストがかかる。そのため、できる限り発売日(中公新書の場合25日前後)に予約注文しておくと確実である(小生は現在そのようにして購入している。安定の定期購読)。

古本仲間のうちでは、小生は帯厨と揶揄されることが多いのだが、帯の存在証明とその意義について語ると不思議と納得をしてもらえる。その結果、帯には目をくれなかった古本仲間が知らぬ間に帯厨になっていたこともあるので、小生的にはマニアが語ればその熱気は伝播するということを森見登美彦の京都ワールドよりも狭い世界で実感はしている。その意味では今まで帯を捨てたり(ありえない!)、破いたり(信じられない)して本本体にしか興味のない人たちの存在は不可能性定理の証明ぐらい難しいと感じている。ということでそれは買い手である我々も作り手である編集部と著者でも同じで、熱気が重要なのである。その熱気ポテンシャルが伝わってくるのが、帯なのである。

帯には編集部が「この本を出すことは、私たちにとっての使命である」ということがひしひしと伝わってくる不思議な熱気がある。この熱気に呼びこまれるように、あの緑と白を基調にした中公新書を手に取る人も多いと想像する。中身は著者の熱気が込められ、二重の喜びがある。本棚に飾るためという理由で、セヤケのことを考えずに情けないデザインにしてしまった某K社のような改悪はせずに、むしろ帯を進化させたことでより付加価値を高めた中公新書の判断をほめたたえたい。

ビニカバ時代の中公新書の帯は、先日示したように紙の色帯である。ビニカバの内部に入っており、ビニカバが劣化して縮んだり、ビニカバがなくなってしまわない限り、セヤケに気を付けていれば基本的には状態はよいまま保持できる。普通カバーになってからは1500番中盤ぐらいまでは赤・緑・黄・オレンジ・茶色の5色で内容で色分けされていた。これらの帯は焼けやすくて、個人が暗所で保管したり、書店でもらえる書皮がないと簡単にセヤケしてしまう。小生は帯保存のために、グランジ紙もしくはトレッシングペーパーを巻いているのだが、紫外線対策にならず、昨日のエントリーに書いたように帯やけしてしまって買い直し無間地獄に陥ってしまったのが去年の話(この話はまたおいおいにでもしたい)。ものすごいコレクターはたぶん帯をクリアファイルに入れて丁寧に保管しているに違いないのだが、そうする勇気もないのでとりあえずこれらの帯のついているものは書棚の奥に入れている(ので、読みたいときに取り出すのに不便で仕方がない)。

1500番台から困ったことに帯にバラエティが出てきて、金帯(指紋が付くタイプ)やら蛍光オレンジ(紫外線の最大の敵)、小さい帯(これは保存に困る)と変遷し、現在の白帯と背に色で分類されるタイプに進化した。今のタイプはセヤケには強く、帯には大きな写真(たとえば『昭和天皇』あたりを見てほしい。若き日の昭和天皇の御写真が入れられている)とキャッチフレーズというスタイルが定着。もともと緑地のデザインなので白と調和する(ある種黒板みたいというつっこみはあるかもしれないが、意外と我々になじみが深い色合いなのかもしれない)スタイルになったことは素直に喜ばしいと個人的には思う。

2014年07月12日

おまけ:ジンボ系リスト

以前某所に書いたものを転載しておきます。興味のある方は100項目あるのでこそっとカミングアウトしてくださいw。

三度の飯より古本が好き、デートするなら古本屋というあなた。あなたには古本病と呼ばれる病が発病している恐れがあります。そこで東京で古本街として有名な神保町から名前をとって、「ジンボ系」の住人のリストにどれだけちかづいているのか、チェックリストを作ってみました。重複等あるかもしれませんが、アップデートしていきたいのでぜひ何かございましたらぜひご指導の程よろしくお願いいたします。

(ジンボ系チェックリスト)
1.本が好き(じゃなきゃやってられない)
2.彼女(あるいは彼氏)より本を大切に思いたい(鹿島茂先生みたい)
3.三度の飯より古本屋(本に金が!)
4.服装にこだわらない(服より本だ!)
5.小銭をたくさん持っている(100円均一!)
6.駅を古本の位置で覚えている(基本じゃない?)
7.本をたくさん所有しているが、中身はほとんど読んでいない(多すぎて読めない)
8.新刊は買わない(どうせBookoffに…)
9.リュックサックを背負っている(これで重くなってもオッケー!)
10.公共の場に本をたくさん持ち込んで、一般人から笑われたことがある(あるよね?)
11.古本屋に寄っていて待ち合わせに遅刻したことがある(気をつけましょう)
12.彼女(あるいは彼氏)とのデート中に古書店、ブックオフを見かけると寄ってしまう(別れの原因)
13.家の中が本で埋まっている(草森紳一風に、本が、く・ず・れ・る)
14.引っ越した先でもなぜか家で本が占拠されている(あれ、こんなはずではなかったのに?)
15.倉庫代わりの家がある(探すのに苦労しますね)
16.本が多すぎて場所がわからなくなり、泣く泣く買いなおすことがある(あのあたりにあったよね?でもない?なら買うしかない?)
17.同じ本を複数所持している(ま、トリぷる事も普通だよね?)
18.古書価が高く、貴重な本が新刊で復刊して悶絶したことがある(生ける屍とか、ジュリアとバズーカ、女郎ぐもとか…)
19.サンリオというとキティではなくてSF文庫を想像する(当然だよね?)
20.セヤケが嫌いので、太陽が苦手(まるでドラキュラのようだ)
21.本には帯付、月報、元パラ付は当然(そろっていなければ、探すのみ)
22.海外でも古書店に寄ってたくさん本を買う(ま、本がない人生なんてありえません)
23.アマゾンのマーケットプレイスがなんだか知っている
24.オークションにおける勝者の呪いが何であるかを知っている(よくぶち込んでしまいます。共通価値オークション)
25.オークションで本を転売したことがあり、古本で稼いだことがある
26.書庫(あるいはトランクルーム)を本気で借りようと思っている
27.その結果、家まで設計して書庫をたててしまい、古本屋を稼業してしまった(人を知っています…)
28.結婚の際の条件に、「本の分配」への条項がある
29.離婚の際に本の分配でもめたことがある
30.本が原因で別れたことがある
31.引越しの際に本を処分できない
32.100円均一棚が好き
33.ブックオフで流れている有線で最新流行歌を知ったことが多い
34.古書店のおやじと仲良くなって、売り出す前に本を購入することがある
35.古書市で一番乗りを目指すために、朝一で並んだことがある
36.そのために体力を鍛えている(古本体力)
37.インターネットで古書をよく検索する
38.懇意なインターネット古書店がある
39.神保町のさぼうるで古書漫談をしたことがある
40.古本特集号を買うと、まだまだ知らない古本屋があってショックを受けることがある
41.古書を買った費用でどれだけ他のことができたか、後悔することがある
42.ホームページに処分本のリストを並べている
43.オークションで熱くなることがある
44.人に本を薦めるのがうまい(特に古書店でのマーケティングは天才的)
45.古本遠征旅行をしたことがある
46.機嫌が悪くても古書店にいけば、機嫌が直る
47.古本系のエッセイを読んで同じ分野の本を漁られていると不機嫌になる
48.ほしい本を背で覚えている
49.探求本リストを持っている
50.10年以上探している本がある
51.食えなくなったら古書店を経営したいと思っており、そのときはいやな古書店の店主になろうと思っている
52.本に理解のない人と同居したくない
53.本を捨てられて、一日嘆いたことがある
54.水濡れした本が入手困難本で、一日落ち込んだことがある
55.神保町は実は好きではない、なぜなら値段が強気だから
56.一度シリーズを集め始めると揃えるまでは気がすまない
57.本の整理が好き
58.本の整理をはじめると、1週間以上かかる
59.本に囲まれているのが好き
60.購入したと思っていなかった本が、本の山から出てきて、ラッキーと思ったことがある
61.逆に新刊本屋で買ってきた本が、自分の本の山から出てきて鬱になったことがある
62.ディキンスンだと思ったらジョイス・キャロル・オーツで超げんなりしたことがある(生ける屍)
63.目の前で探求本を抜かれ、殺意を抱いたことがある(あるいはそのことを恨みに思っている)
64.活字中毒者である
65.サイン本が好き
66.人と会うとき必ず3冊以上の本がカバンの中に詰まっている
67.勝手に古本屋の値づけをしたことがある(植草甚一?)
68.古本屋もしくは本屋でバイトしていたことがある
69.古本屋で自分の強い分野のコンサルタントをしたことがある
70.古書の適正価格があると信じている
71.自分から本を捨てることができない
72.ブックオフの100均でレア本を見つけて喜んでいたら、中身が違って一気にorz...となったことがある
73.他人が状態のいい本を持っていると羨ましくなる
74.本体はいらないけど、帯がほしいと頼んだことがある
75.帯の品評会をしたことがある
76.状態が悪くなった本を買い換えることがある
77.貴重な本なら何冊でも買う。
78.好きな本なら何冊でも買う(もし安かったら)
79.ベストセラー本が嫌い
80.世界の中心で愛を叫ぶとという台詞を聞いて、ハーラン・エリスンと素で答える
81.ブックオフでたくさん本を買って、クーポンを一度に500円以上もらったことがある。
82.友人と古書ツアーをしたことがある
83.ポケミス・銀背は函つきじゃないと満足しない
84.どんな小さな古本屋でも必ず入る
85.人から新しい古書店の情報を入れると、どんな予定が入っていても必ずその日のうちに立ち寄る
86.ブックオフの開店日に並んでいる
87.連れ合いが古本者あるいは面倒なので独身
88.本の題名だけで馬鹿話が出来る
89.本で床が抜けたことがある
90.適正価格ではないと思って、オークション等でわざと値段を上げたことがある
91.貴重な本を整理していて、カバー(あるいは帯)を破ってしまい、泣く泣く古書店で探したことがある
92.古書の中に呪いの手紙(あるいはそれに順ずる怖いもの)を見つけたことがある
93.研磨処理が大嫌い
94.古書店(あるいはブックオフ)の店員の対応に腹をたてたことがある
95.古本屋で探求書を見かけて購入したのはいいが、中身を見たら落丁あるいはそれに順ずる状態で鬱になったことがある
96.シール剥がしようのツールを持っている
97.消毒用アルコールもしくはベンジンを持っている
98.セドリなど古書業界の言葉を知っている
99.自分が死んだ後の本の処分がどうなるか悩んでいる
100.古本コレクターになって後悔していない
posted by empirestar at 13:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 古本

本の状態と帯について

コレクターは本の状態をとても気にする人が多く、自分もその中の一人である。古本コンディションで問題とされるのは、以下のようなコンディションと認識している。水濡れ、紫外線によるヤケ(本も人間の肌のようにデリケートなのです!)、紙魚という本を食べる小さな虫のダメージ、長年のホコリの累積による天のシミ、タバコ臭、ヤニによる黄ばみ、本本体のペンによる書き込み、本本体やカバ、帯の破れなど数えだしたらきりがない。特にタバコ特有のヤニの黄ばみやたばこ臭は耐え難いので、マケプレで買わずに古書店をこまめに回って入手するようにしている。

現在の悩みは、膨大な数になってしまった新書の置き場所とその保存である。それは現在蒐集している中公新書も例外ではない。中公新書は@ビニカバ期、A表紙カバー期にわかれるため、本の取り扱いは微妙に異なってくる。特に表紙カバー期では帯の取り扱いに細心の注意を払う必要があり、いかに状態のよいまま保存するかに悪戦苦闘している。帯はちょっとしたタイミングで破れることが多く、破れた時のショックは奈落の底に落とされて、そのまま底なし沼に落とされて這い上がれないような気分といえば一部の人に伝わるのではないかと思う。過去にはそのような苦い経験をしたのだが、最近はそのようなショックを受けるのは苦労して集めた本がセヤケしてしまい、帯が脱色してしまうことである。このときは、「また一からふりだしにもどるのか!」という暗澹とした気分になるのだが「いや本本体はあるのだから、地道に探せばいいじゃないか」という少し楽観的な気分になって、再び古本街に向かうことになる。古本街にいく理由ができるので良いのかもしれないのだが、状態のよい本を買うとダブり(あるいはトリプる、これ以上は推奨しません)こともあったり、何を所有しているのかいまいち不明になったりと、本が増えてくると自分でもわけがわからなくなる。まさに草森紳一『本が崩れる』(文春新書)のエッセイで、本を取り出して本が崩れて、本の位置がわからなくなるという悲劇。こちらはまだ新書なので暴力的ではないが、あちらは重い本が多いので地震などで直撃すれば死に至ることもあるかもしれないという意味ではより暴力的である。特に本が崩れてしまい、氏が風呂場に閉じ込められてしまった話は本の蒐集で死ぬことがあるのか!と戦慄した記憶がある。とあるSF・ミステリの編集者の本を整理する機会があったのだが、あまりの本の多さに本で人生が台無しになってしまうと思い、反省した。このときは「何事も中庸こそが素晴らしい。本の蒐集もほどほどにしないといけないな」と思って早何年。しかしながらのど元過ぎれば忘れてしまい、今や修羅の道にはまってしまい現在にいたる。嗚呼、ダメすぎる。増えてしまった本の処分についてはまたいずれかの機会に。

閑話休題。中公新書は、創刊当時から深緑色と白色が基調のデザイン。そのため、帯がアクセントを醸し出し、ある種のインパクトを与えている。写真は中根美宝子『疎開学童の日記』(中公新書 74)初版帯ビニカバの写真。

写真 1.JPG写真 2.JPG

アマゾンのイメージは重版(あと帯)のもの。こちらを見ると、毎日出版文化賞を受賞。帯の文句も「非常時の出来事と心情を綴った一少女の生活記録」とあり、初版帯のものと異なる。初版帯は黄色で、帯の文句もなんとなく切実さが出ていたのがわかるだろう。200番前後までは中公新書も帯にアクセントをつけ、何らかの意味があったのかもしれないが、そのあたりのことは本の内容や歴史的経緯などを調べていかないとわからないかもしれない。変遷を調べていくだけでも、中公新書はとても興味深い情報を提供してくれる。
posted by empirestar at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 新書

2014年07月11日

増補版など

中公新書を探すにあたり注意しなければならないのは、改版、増補版、増補改訂版など、初版とは内容が異なったり、改版されているものである。初版よりも見つけるのが難しいものもある。未だに見かけたことがないものも多く、入手できたときは本当にラッキーでもある。ただの重版ではなく、内容まで改変されているとコレクターとしては、改版が入った刷りで入手しなければならない。横田順彌さんの小説(『古書狩り』(ちくま文庫))に「書棚の奥」という短編に、重版をすべて集めるコレクターの話があるのだが、中公新書の量を考えると同じような気分になってしまう。それがいかに同じではないとはいえども。そしてその改版や増補版、増補改訂版には帯がついているのかなど、情報がないものもあり、ガチで中公新書さんのtwitter(https://twitter.com/chukoshinsho)に聞いてみようと思い、悶々としたこともある。

でもって通巻2000冊突破記念として無料配布された『中公新書の森 2000点のヴィリジアン』は、2009年前半期までの本のあらすじと内容紹介、そしてマニア泣かせだった増補版の有無についての情報を全て網羅しており、非常に重宝する必携の小冊子である。このおかげで改訂などの情報の全貌が明らかになり、集めるのがやや楽になったといえる。しかしそれでも厳しい本も多い。例えば写真にある森浩一『古墳の発掘』(中公新書65)は、昭和47年6月に第11版が出ており、その際に11版あとがきが新たに挿入され、古墳保護についての森先生の見解が記されている。このように初版と増補版では内容や中身が異なることがあり、内容の差異を比較するためにも出来る限り大きな改訂などがあった場合は入手すべきであると思う。ちなみに11版を入手するのは時間がかかり、先日偶然に神保町の@ワンダーの均一棚でたまたま運よく入手したことを付記しておく。

古墳の発掘

ビニカバ版だけではなく、増補版として出しなおしているものでも名著は多い。山室信一先生の『キメラ』はそのうちの1冊。最近では『日本の選挙』なんかもそうである。時間が経過し、内容が古びたり、新たな研究や知見のおかげで情報をアップデートしたおかげで解釈が新しくなることもあるだろう。内容が良い本であれば、増補版や改訂版などの措置をとってもよいと思われる本を、うまく世に問うている中公新書のセンスにはいつも畏敬の念すら感じる。



2014年07月10日

中公新書の魅力

中公新書の魅力はなんといっても、内容にあるだろう。各分野の一流の学者たちがそれぞれの領域について、最新の学説をわかりやすく、啓蒙的なスタイルで紹介してくれることにある。1000円以下で歴史などの人文科学から自然科学、社会科学を網羅し、多用な世界を繰り広げている。引き続き中公新書について、内容ではなく本本体について調べたことを記してみたい。

中公新書はなんといっても帯が素晴らしい。様々な色の帯があるが、途中からデザインが変わり今は白地で大きなタイプの帯になった。従来より、帯のキャッチコピーも非常にハイセンスでエレガント。今後こちらでも紹介する予定だが、読者が読みたくなるような推薦文や内容紹介が実に心憎い。当時はビニールカバー(ビニカバと略)で、内容について簡潔かつわかりやすくキャッチフレーズがつけられた紙の帯で、濃い緑のカバーと調和している。本全体がほしくなるような作りになっているといえるかもしれない。ちなみに1〜937番までは、ビニカバ・帯で完本。また28番の『豊臣秀吉』から200番までは内容に関する栞が同封され、栞帯もついている。マニア泣かせのスタイルになっている。

また『音楽の現代がはじまったとき』(通し番号938番)からビニカバではなく、現行のカバー体制になった。ビニカバは古くなると経年劣化のため縮んでいくために、本本体が折れたり、ビニカバが入らなくなってしまい、悲しいことになることもある。またヤニなどが付くと、塩ビのカバーのためか取りにくいことこの上ない。

ということで、ややマニアックな話になったが中公新書の全貌を明らかにする旅を今後も探求していきたい。

お勧めの中公新書についてはNaverまとめも併せて参考にしてほしい。

posted by empirestar at 23:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 新書
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