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2014年07月24日

1962年11月の封入物

本日は初期の1冊である加藤一朗『象形文字入門』(中公新書・5)に封入していたものを紹介したい。古書で入手しているため、偶然黄色のスリップが入っていたので、それも紹介する。

封入物1は、はがきである。1〜5までの封入物としては、愛読者カードが各巻に付属していたものと考えられる。そのため、1〜5についてはそれぞれについての愛読者カードが付属しており、切手を貼らずに投函するものであった。項目はそれぞれ(1)本編についての感想、(2)今後出る予定の中公新書の中で興味のある本、執筆者、(3)読んでいる雑誌・新聞、(4)最近購入した本、(5)将来的に読みたい内容・テーマ・執筆者、(6)装丁・価格について、(7)「中公新書」に寄せるあなたのアイディアとなっている。

はがき(象形文字入門)はがき(象形文字入門・裏)

興味深いのは、できたばかりの新書ということで読者に寄り添う形でテーマや内容を考案していく形である。また予告などを見ても、ある程度の執筆陣は固まってはいても、それなりの柔軟性を出していく方向にあったのはこのはがきのおかげかもしれない。装丁・価格についても方向性を模索していたことも、これから作っていくという感じを出していてとても好感度が高い。これはやはり、宮脇俊三氏の「何度でも」という姿勢が出ているのかもしれない。

他に封入されていたのは、中公でベストセラーになったシリーズ、<世界の歴史>の紹介。今回は偶然スリップが入っていたのでそれも併せて紹介する。

スリップ

初期のスリップは黄色で、100冊スリップをおくると中公新書の発売記念で1枚につき弐円もらえるとのこと。当時の物価を考えると、そこそこの報酬であったと考えられる。大卒男子の給与が16115円のころに200円の報酬。これは日本銀行の消費者物価指数を考えると、大体5倍ぐらいで換算される(東京都)ので、1万円ぐらいの報奨金になる。大体今現在の報奨金と比べると、創刊のお祝い相場になっていたこともあり、中央公論社も販売に力を入れていたことが、このスリップからもよくわかる。

スリップ(裏)

2014年07月22日

メタモルフォーゼ帯

大久保


松岡英夫『大久保一翁』(中公新書、536)の変遷。ちなみに発行年月は1979年初版。帯だけ付け直されて出されたバージョンである。600番台後半より帯は内容に応じて5色(赤、茶、黄、黄緑、橙)になった。装丁は白井晟一だったが、茶色帯のバージョンでは、安野光雅デザインとなり、帯のマークも変化している。ということで、600番台後半までは帯は写真の左帯のようなもので、ビニールも不透明なもので、ややざらざらしたものである。あと帯のものはビニカバもなめらかで、色帯になっている。値段は変わらずなのだが、この場合賞をとったというプレミアムの分だけ帯の大きさが微妙に異なっている。その後本書は重版を重ね、表紙カバー版も存在する。よって真のコレクターであれば、多分重版後のものを購入すべきだと思うのだが、あまりにも死蔵になるし、置き場所にも困るため、この程度でやめておいた方が身の丈にあっていると思う。

このあと帯のことを当時知らなくて、初版・帯・ビニカバだけで集めていた。ところがワゴンセールで同じ本があるのに、帯が違うことに気が付き、調査を開始したところ600番台後半までは左側の装丁であった。なのでいくつかの本は色帯になってしまっていたので気が付かず、長らくそのバージョンが正しいものだと思っていたのでありました。のちのち知って、色帯でないバージョンを探すことになりましたが、結構レアなものになってくるとそろえるのが大変でした。

2014年07月20日

未所持リスト

中公新書の未所持リストを公開しておきます。 もし譲っていただける、発見して確保していただけるという方がいらっしゃいましたらご一報ください。条件は本の横に書いてあります。

会田雄二『アーロン収容所』(中公新書・3) ビニカバ・初版
池見 酉次郎『心療内科』(中公新書・29)の栞(だけでも構いません)
万成 博『ビジネス・エリート』(中公新書・71)ビニカバ・帯・初版
高坂 正堯『国際政治』(中公新書・108)栞
矢内原伊作『サルトル 実存主義の根本思想』(中公新書・124) 栞だけ希望

実質的に持っていない本は、『アーロン収容所』のみで、栞がない本が2冊。早く揃うとうれしいのですが、重版の多い会田先生の初版本が見つかりません…。

また入手したものの、状態がいまいちだったり、セヤケによる帯の痛みなどで買いなおしたい本のリストは以下の通りで、こちらも絶賛捜索中であります。

加茂 隆康『交通事故賠償』(中公新書・1076)
関満博『フルセット型産業構造を超えて―東アジア新時代のなかの日本産業 』(中公新書・1158)
佐藤淑子『日本の子供と自尊心』(中公新書・1984)
中塚 裕 『カラー版 スイス―花の旅』(中公新書・1692)
柘植 雅義『学習障害(LD)』(中公新書・1643)
松井正文『カエル』(中公新書・1645)
一坂 太郎『仁王』(中公新書・1995)
小山 慶太『犬と人のいる文学誌』(中公新書・1996)
牧野 雅彦『ヴェルサイユ条約』(中公新書・1980)

意外と色ヤケがあるのは、蛍光オレンジの帯ではなくて青系の帯は焼けると結構色むらが出てしまうので比較的発行年が新しくても、見つけるのが大変。ブックオフだと蛍光灯焼けするし、運よく誰かが処分した際に出会わない限りはたぶん入手は難しいかな…。

一部の本が焼けてしまったために気がつきましたが(あとの祭でしたが)、帯やけ対策はパラフィンだけではだめで、遮光カーテン(あるいは本屋の紙カバー)を本気で導入しないとセヤケには対処できないことが判明しました。そのため後半の帯本は今のところ、箱詰め状態になっているため、探すのがとても大変だったり。

アリソン・フーヴァー・バートレット 『本を愛しすぎた男』(原書房)を読んだのですが、以下のセリフが印象に残っていますので、紹介。コレクターの業とは際限がないことを表現した素晴らしい言葉だと思う。

「結局、蒐集という観点から言うと、本を探し出して自分のものにすることでコレクターのやる気が出てくるし、コレクションは充実する。だがときにコレクターが力尽きてしまったり、コレクションを手放すことがある。それは、彼らがコレクションの対象を絞り込むあまり、新しいものに手を出さなくなるからだ。コレクションがこう着状態に陥ると、コレクターは燃え尽きてしまうんだ」 (引用源、同書)

ということでこれまではSF・ファンタジー・海外文学・専門系のみに絞ってコレクションを充実させていたのですが、新書のせいでこう着状態から脱却し、新たな世界に入ったおかげでやる気が出ました。でもある程度集めきってしまったので、何となくこう着状態になりつつあるかなと感じてはいます。

2014年07月18日

帯の管理

本の保存については、小生よりも愛書家や蔵書家の方々が日々悪戦苦闘して様々な手段で頑張っておりこのブログで紹介するのはおこがましいかもしれないが、帯にこだわりを持って新書を集めている自分としては少しそのことについて記しておきたい。

ビオビストの小生は、帯の管理に気を使っている。帯にはいろいろな天敵があり、特に紫外線との戦いは長期戦に及んでいる。特に中公新書は、黄色・オレンジ・赤などの暖色系の帯も多く、蛍光灯や太陽光の紫外線によって帯が焼けて、帯の色が均一ではなくなり、白っぽくなったりして、ビオビストとしては悲しい状態になることもしばしばある。こうなると仕方がないので買いなおすしかなくなる。また帯は破れたり、濡れたり、スレたりすることもあり、一定の防御策が必要になってくる。防御策として考えられる1手は、カバーである。カバーがないとちょっとした衝撃の際に帯が破れたり、スレてしまったりと、帯本体の防御のために非常に重要になってくる。目下のところ、切る手間などを考えるとグラシン紙よりもトレッシングペーパーの方が便利なので、ここ数年愛好している。トレペをかけるだけで、帯の痛みが減少するし、紙本体が透明なため、本を探す際に背が見えるために、探すのが楽だったりする。またトレペ自体が丈夫なので、ちょっとしたことでは帯に痛みを伴わないのもありがたい。

これまではグラシン紙を入手し、適度な大きさに切って巻いていたが、昨今はトレッシングペーパーを巻くようにしている。トレッシングペーパーの利点は安くて入手しやすい。愛用しているのはコクヨS&T トレペ40g 薄口 A4 50枚で、薄口なので巻きやすく、コスパもよく重宝している。またこのトレペは長期保存に向いている中性紙であることもポイントが高い。特にビニカバから現在のカバーに移行し、帯が外帯になってしまったことで、帯の破れ、ヤケなどの恐れがある。そのためいかにして、紫外線対策をして、帯を大切に守るかということにある。一番の方法は、ケース等に入れて保存するのが大切だと思うが、それはやはり寂しい。そこで紫外線が強い場合は、トレペだけではやけてしまうために書店でもらえる書皮を利用して本棚の前面におくか、箱の中で保存するなどするしかない。そのため、小生の場合、焼けないように箱詰めして、読む際には取り出すという手間をかけて楽しんでいるのだが、果たしてこれでよいのか、疑問に思う瞬間もある。探す手間を考えたのならば、実は遮光カーテンを買うべきなのだろうが、それをしていないのはマニアとしてはまだまだなのかもしれない。まるでドラキュラのごとく、住む場所は暗い方が好きになってしまうのは古書マニアの悲しい性である。ほかの蔵書家の方々がどのような帯の保存をしているのか、ぜひご教示いただければ幸甚でございます。

コクヨS&T トレペ40g 薄口 A4 50枚

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2014年07月17日

巨大帯の起源

ビニールカバー時代の中公新書の帯について、考察を続けてみたい。初期(〜200番)までは帯の色は統一性はなく、170番前後から徐々に肌色の帯になり、その後はベージュ色の帯へと変遷。600番台後半から内容による色帯(赤、茶、黄、オレンジ、緑)の5色で色分けされる。帯の大きさは初版から変わらず、現在の中公新書のような大きな帯を持つケースは重版や増補版のケースで見られる。その場合でもビニールカバーの内側帯が大半であったと考えられる。今回紹介する帯は現在の中公新書の帯の形態に近く、本の半分を占める大きさである。その帯がついた中公新書は1981年に発売された森毅『数学受験術指南』(中公新書・607)、1981年1月である。本自体は2012年に中公文庫で再刊し、読むことができる数学エッセイの名著である。

数学受験術指南(表・帯)数学受験術指南(赤帯・裏)

このように赤い帯がまかれ、当時の中央公論社の気合いを感じることができる。本書はこれが初版であり、ビニカバ時代における初版の巨大帯はたぶん本書が初めてではないかと愚察する。その後、重版になった本(たとえば『元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世』など)では、巨大帯が宣伝用の飾り帯としてきわめて有効に活用されている。この帯を見てもわかるように、図版または写真+宣伝文句というスタイルが見られるようになってきている。

赤帯をとった『数学受験術指南』の写真はこちら。あ、普通のビニカバの中公新書なんです…。何かを期待していた人、ごめんなさいw。

数学受験術指南(帯のみ)数学受験術指南(帯のみ・裏)

しかし巨大帯を外してノーマル帯にすると、なんだか服を脱がされて下着だけになってしまったような感じ?で寂しい。それもあって、今のでか帯に変化し、インパクト度を高めたのかもしれない。帯がビニカバ内部にある時代の名残でした。

2014年07月16日

続刊予定

中公新書の初期には、続刊予定リストが付属している。刊行された本もあれば、諸般の事情により出版されなかったものもあるようだ。以下写真に示した続刊予定リストは池見酉次郎『心療内科』(中公新書・29)および神田錬蔵『アマゾン河』(中公新書・10、昭和38年3月発売)の巻末より引用したものである。これらのリストを見ていると、名だたるメンバーに執筆を依頼していたことがわかると同時に、なかなかに興味深い中身であろう本がそれぞれリストの中にあった。まず最初に『アマゾン河』の巻末のリストから見てみよう。 
続刊予定リスト


『アマゾン河』巻末で予告されたのに出版されなかった本は以下の通りである。
塚本善隆『遣唐使 - 長安の留学生たち』、小川環樹『漢詩入門』、武田泰淳『東京裁判』、神島二郎『戦後日本の政治家』、古賀忠道『ズーオロジイ −動物・人・管理』、梅棹忠夫『日本群島』、柴田徳衛『都市社会学 −便所からの考察』、奥野健男『日本の技術者』、山田亮三・三輪芳郎『国産品 −日本産業の実力』、伊藤整『翻訳 −理解と誤解の間』、松本三之介『明治維新 −幕臣勝海舟の生涯』、橋川文三『昭和維新 −その思想と行動』の11冊である。タイトルが当初のものとは異なり、出版されたものもある(和歌森歌太郎『修験堂』→『山伏』、野田一夫『日本の経営者 −ビジネス・ヒストリィ』→『財閥』)。お蔵入りしてしまった本のタイトルを見るだけでわくわくする人も多いだろう。あの梅棹忠夫が日本についてどのような考察をするのか、タイトルから想像するだけでもきっと面白い本だったに違いない。ちなみに武田泰淳が書く予定になっていた『東京裁判』は上下巻で児島襄が書いており、武田泰淳も傍聴して東京裁判をどのように捉えたのか、今になってはわからないがきっと児島氏の『東京裁判』とは違った何かになっていたに違いない。

写真 (3).JPG


その後昭和38年12月に発売された池見酉次郎『心療内科』の巻末リストによると、以下の本が刊行予定になっていた。そのうち刊行されなかったものをピックアップしてみよう。上記の本に加え、以下の本が刊行予定であったことがわかる。宮本又次『江戸の広告』、中田喜直『作曲法』、森有正『パリとその周辺』、古賀正義『誤判』が新たに加わっていたが、何らかの事情で本は刊行されなかった模様である。また刊行された本で、当初のタイトルと異なって無事に刊行された本は西村通男『西村屋中兵衛』→『海商三代 −北前船主西村屋の人びと』である。

さまざまな理由で刊行されなかったこれらのタイトルの新書たち。今となってはわからないが、刊行されていたらどのようなインパクトがあったのか、好奇心が尽きない。

2014年07月14日

アレフの彼方へ

中公新書を集めるというそもそもの動機は何だったのかを記すことにする。過去、海外小説を中心に蒐集していた程度で、学生時代よりぼちぼちと足しげく古本屋をまわったりして本を入手していた。そのためあまり新書には興味はなかった。海外文学を蒐集していたころの新書のイメージは「第一線で活躍する学者が啓蒙を含めて一般人にわかりやすく教養を与えたり、入門書的な役割をする本」というものであった。

小生の場合何がきっかけだったのか忘れてしまったのだが、帯がない本はよほどの入手困難本でないと買わなくなってしまった。その意味では啓示を受けたようにある時期に突然、帯原理主義者・ビオビスト(美帯にこだわる人)・初版という制約条件のもとで本を探すようになった。新書を蒐集しはじめたのが3、4年前。本だけであれば新書はそろえることは今の世の中は便利になったので、不可能ではない。一般的に古書は保存状態に依存するが、帯がやけていたり、本本体に書き込みがあったりと、本のコンディションはよくないものもある。そのため古書店で自分の目でみて現物を確認することが重要である。新書蒐集を始める気があったのかといえば、当初は全くなかったのだが、はじめてしまったところに自分のコレクター属性たる所以かもしれない。山を制覇すると、次の山を制覇したくなるあの快感にはまってしまった。

実は前置きがある。某2chスレを見て別途蒐集していたちくま新書(この話もおいおい書く)が一段落したので、過去に読んだ本が面白かった中公新書でも集めてみるかと思いはじめたのが、転落人生の始まりであった。歴史があり、冊数もあり、蒐集困難が多いことを後々知ることになるのだが、完全に中公新書に虜にされてしまった、ということである。

それは忘れもしないある夏の暑い日。神保町の@ワンダーというSF・推理小説が強い古本屋がある。そこのワゴンセールに風塵社という古書店が大量に中公新書を均一200円ワゴンセールに出したため、じゃあとりあえず気になるタイトルを購入してみたことがきっかけであった。その後、なんとなく後ろ髪を引かれてしまい、時間がある際には毎日足しげく通い(その当時は、店員の人におぼえられた)、夏の間に1000冊ほど買った。冷静になって考えてみてもこれはどうもおかしい。単価が安いので、気づいたときには恐ろしい額に…。絶版や品切れになったような本に興味もあったので、中公新書の全容を明らかにするというなんだか変な感覚に囚われ、そのときはまさに悪魔にとりつかれたかのように、「2日に一度中公新書の束を買っていく修羅」として@ワンダーの店員さんに認識されていたに違いない。

このワゴンセールで、ビニカバ期の中公新書をかなり大量にゲットし、今のコレクションの基礎をなす。次に同じビルに入っている金沢書店さんが1000番以降の状態のよい中公新書を均一棚に置いたのがきっかけで、ここでもかなり大量に購入した。その後何度か、金沢書店さんから直接中公新書を買入れ、たぶん200冊ぐらいは購入させてもらった。その時はコレクションを充実させて家路についたのだが、冷静になって考えてみると置く場所がない!そのためなんとかしてスペースを確保し、現在に至る。ほかに足しげくコレクションを充実させるために通ったのが、ブックオフ、日本特価書籍センター、長島書店さんからはかなり買わせてもらった。特に日本特価書籍センターさんには無理を言って、開封前の新書から抜かせてもらったのはいい思い出。その後徐々に入手したいと思っていた本が7、8年前程度のものが多くなり、ブックオフやら新御茶ノ水駅に近い長島書店さんなどで購入し、ようやく自分の基準(初版・帯付・セヤケなし・ヤニ臭勘弁)を満たすような本を探すようになっていった。ということで、コレクションの大半は神保町から構成されている。もちろんそのほかにもささま書店とか、よみた屋さんとか吉祥寺・荻窪近辺の古本屋も回ってコレクションを完璧なものにすべく努力している。

修羅道に入ることが決まったのはあの夏の暑い日に出会った@ワンダーのワゴンセールであった。なおこの当時はセヤケには無頓着で、後ほどに買換えという終わりのないゾンビループにはまりこんでしまった。ということで、1から蒐集を始めた名もなき古本修羅はまだ未所持中公新書のためのリストを片手に足しげく神保町や各種古本屋に行っているのである。

2014年07月13日

初版帯付セヤケなし

増補版などを除いて、小生は初版にこだわっている。のちほど画像等で示そうと思っているのだが、本は売れ行きが好調であったり、何らかの学術賞をとるなどして重版がかかると初版の帯と異なる帯が装着されてしまう。そのため重版の帯は解説文が初版と異なるもになってしまうために、売り出すことが全面に出てしまうこともあり面白みがなくなる(が、もちろん重版がかかるということは、需要が高いということだから、それだけ社会のニーズがあるということ。将来の本の原資にもなるので、本が売れることはとても重要である)。重版がかかる前に初版を買わないと、新刊本屋のはしごをしないといけなくなるので、無駄なコストがかかる。そのため、できる限り発売日(中公新書の場合25日前後)に予約注文しておくと確実である(小生は現在そのようにして購入している。安定の定期購読)。

古本仲間のうちでは、小生は帯厨と揶揄されることが多いのだが、帯の存在証明とその意義について語ると不思議と納得をしてもらえる。その結果、帯には目をくれなかった古本仲間が知らぬ間に帯厨になっていたこともあるので、小生的にはマニアが語ればその熱気は伝播するということを森見登美彦の京都ワールドよりも狭い世界で実感はしている。その意味では今まで帯を捨てたり(ありえない!)、破いたり(信じられない)して本本体にしか興味のない人たちの存在は不可能性定理の証明ぐらい難しいと感じている。ということでそれは買い手である我々も作り手である編集部と著者でも同じで、熱気が重要なのである。その熱気ポテンシャルが伝わってくるのが、帯なのである。

帯には編集部が「この本を出すことは、私たちにとっての使命である」ということがひしひしと伝わってくる不思議な熱気がある。この熱気に呼びこまれるように、あの緑と白を基調にした中公新書を手に取る人も多いと想像する。中身は著者の熱気が込められ、二重の喜びがある。本棚に飾るためという理由で、セヤケのことを考えずに情けないデザインにしてしまった某K社のような改悪はせずに、むしろ帯を進化させたことでより付加価値を高めた中公新書の判断をほめたたえたい。

ビニカバ時代の中公新書の帯は、先日示したように紙の色帯である。ビニカバの内部に入っており、ビニカバが劣化して縮んだり、ビニカバがなくなってしまわない限り、セヤケに気を付けていれば基本的には状態はよいまま保持できる。普通カバーになってからは1500番中盤ぐらいまでは赤・緑・黄・オレンジ・茶色の5色で内容で色分けされていた。これらの帯は焼けやすくて、個人が暗所で保管したり、書店でもらえる書皮がないと簡単にセヤケしてしまう。小生は帯保存のために、グランジ紙もしくはトレッシングペーパーを巻いているのだが、紫外線対策にならず、昨日のエントリーに書いたように帯やけしてしまって買い直し無間地獄に陥ってしまったのが去年の話(この話はまたおいおいにでもしたい)。ものすごいコレクターはたぶん帯をクリアファイルに入れて丁寧に保管しているに違いないのだが、そうする勇気もないのでとりあえずこれらの帯のついているものは書棚の奥に入れている(ので、読みたいときに取り出すのに不便で仕方がない)。

1500番台から困ったことに帯にバラエティが出てきて、金帯(指紋が付くタイプ)やら蛍光オレンジ(紫外線の最大の敵)、小さい帯(これは保存に困る)と変遷し、現在の白帯と背に色で分類されるタイプに進化した。今のタイプはセヤケには強く、帯には大きな写真(たとえば『昭和天皇』あたりを見てほしい。若き日の昭和天皇の御写真が入れられている)とキャッチフレーズというスタイルが定着。もともと緑地のデザインなので白と調和する(ある種黒板みたいというつっこみはあるかもしれないが、意外と我々になじみが深い色合いなのかもしれない)スタイルになったことは素直に喜ばしいと個人的には思う。

2014年07月11日

増補版など

中公新書を探すにあたり注意しなければならないのは、改版、増補版、増補改訂版など、初版とは内容が異なったり、改版されているものである。初版よりも見つけるのが難しいものもある。未だに見かけたことがないものも多く、入手できたときは本当にラッキーでもある。ただの重版ではなく、内容まで改変されているとコレクターとしては、改版が入った刷りで入手しなければならない。横田順彌さんの小説(『古書狩り』(ちくま文庫))に「書棚の奥」という短編に、重版をすべて集めるコレクターの話があるのだが、中公新書の量を考えると同じような気分になってしまう。それがいかに同じではないとはいえども。そしてその改版や増補版、増補改訂版には帯がついているのかなど、情報がないものもあり、ガチで中公新書さんのtwitter(https://twitter.com/chukoshinsho)に聞いてみようと思い、悶々としたこともある。

でもって通巻2000冊突破記念として無料配布された『中公新書の森 2000点のヴィリジアン』は、2009年前半期までの本のあらすじと内容紹介、そしてマニア泣かせだった増補版の有無についての情報を全て網羅しており、非常に重宝する必携の小冊子である。このおかげで改訂などの情報の全貌が明らかになり、集めるのがやや楽になったといえる。しかしそれでも厳しい本も多い。例えば写真にある森浩一『古墳の発掘』(中公新書65)は、昭和47年6月に第11版が出ており、その際に11版あとがきが新たに挿入され、古墳保護についての森先生の見解が記されている。このように初版と増補版では内容や中身が異なることがあり、内容の差異を比較するためにも出来る限り大きな改訂などがあった場合は入手すべきであると思う。ちなみに11版を入手するのは時間がかかり、先日偶然に神保町の@ワンダーの均一棚でたまたま運よく入手したことを付記しておく。

古墳の発掘

ビニカバ版だけではなく、増補版として出しなおしているものでも名著は多い。山室信一先生の『キメラ』はそのうちの1冊。最近では『日本の選挙』なんかもそうである。時間が経過し、内容が古びたり、新たな研究や知見のおかげで情報をアップデートしたおかげで解釈が新しくなることもあるだろう。内容が良い本であれば、増補版や改訂版などの措置をとってもよいと思われる本を、うまく世に問うている中公新書のセンスにはいつも畏敬の念すら感じる。



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