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2014年08月04日

本の処分

ちょいとバタバタとしていて更新が遅れました。何かしらのコレクションを充実させようとすると必ず頭を抱える問題として出てくるのは、ダブったり、時にはトリぷった本の始末がある。本をそのまま廃棄するというのも手なのだが、読みたい人のもとに行ってもらうために@人にあげる、A古本屋に売る、B個人的にオークションやアマゾンなどを利用して売却するという3つの方法をとることが多い。すでに1冊持っている状況であるので、2冊目を持っている意味がない。資源配分の観点から見ても無駄が生じてしまい効率的ではないので、ダブり本を少なくとも誰かにあげたり、処分する必要が出てくる。

@の場合は、新書が大半のため興味のある本をもっていってもらうことで資源配分の効率性が達成される。こちらは本のスペースができ、少なくとも本が処分できたことでハッピーになり、相手もただで本がもらえるのでハッピーである。これは現在の状況と比較しても効率的な状況にある。

Aの場合は、本の処分ができてかつ何らかの金銭的な授受があるため非常に喜ばしい。古本屋も商品を仕入れることができるため双方ともハッピーである。心理的なコストとしては古書店に連絡することや本を発送する手間がかかることぐらいであろう。また古書店に連絡するのが面倒であるという人も多いだろう。新書の処分の場合、査定額は相当低めになるので、セドリなどのような金銭的なプラスは低いと考えられる。

Bの場合は、登録等のコストがかかることを除けば自分で値付けができるためそこそのリターンが戻ってくることもある(時には購入額以上で売れること)。あとは購入されるのを待つだけだが、すぐに処分したいという人以外は時間がかかる可能性も出てくる。手続きコストなどの手間暇があるが、それなりに満足する方法である。

もちろんコレクションしている本自体も死蔵という言葉の通り、社会全体で見ると資源配分の効率性の意味では効率的ではない。しかしながらコレクターにとっては、コレクションこそが命。コレクションを蒐集するまでの過程での金銭へのコスト、時間的なコスト、機会費用などを考えるとその個人にとってはコレクションを所持すること自体が意味があるため、コレクションを処分することは、それまでの手間暇を含め、その人の満足度を下げてしまうので正当化はできない。死蔵という言葉があるが、コレクションを蒐集すること自身もまた社会に貢献することになる。なぜならまとまった数をしっかり保持し、それを後世に引き継ぐということ自体には計り知れない価値があると感じているからだ。よくコレクターが亡くなったり、家族の理解がないためにコレクションが散逸することがあるが、まとまって引き取られないことが大きな損失だと小生は感じるのだがいかだろうか?

脱線してしまったのだが、ダブり本の処分でも気を遣ってしまう当たりにまだまだ業が深いなと小生自身感じたのでした。
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posted by empirestar at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 古本
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