2014年07月12日
本の状態と帯について
コレクターは本の状態をとても気にする人が多く、自分もその中の一人である。古本コンディションで問題とされるのは、以下のようなコンディションと認識している。水濡れ、紫外線によるヤケ(本も人間の肌のようにデリケートなのです!)、紙魚という本を食べる小さな虫のダメージ、長年のホコリの累積による天のシミ、タバコ臭、ヤニによる黄ばみ、本本体のペンによる書き込み、本本体やカバ、帯の破れなど数えだしたらきりがない。特にタバコ特有のヤニの黄ばみやたばこ臭は耐え難いので、マケプレで買わずに古書店をこまめに回って入手するようにしている。
現在の悩みは、膨大な数になってしまった新書の置き場所とその保存である。それは現在蒐集している中公新書も例外ではない。中公新書は@ビニカバ期、A表紙カバー期にわかれるため、本の取り扱いは微妙に異なってくる。特に表紙カバー期では帯の取り扱いに細心の注意を払う必要があり、いかに状態のよいまま保存するかに悪戦苦闘している。帯はちょっとしたタイミングで破れることが多く、破れた時のショックは奈落の底に落とされて、そのまま底なし沼に落とされて這い上がれないような気分といえば一部の人に伝わるのではないかと思う。過去にはそのような苦い経験をしたのだが、最近はそのようなショックを受けるのは苦労して集めた本がセヤケしてしまい、帯が脱色してしまうことである。このときは、「また一からふりだしにもどるのか!」という暗澹とした気分になるのだが「いや本本体はあるのだから、地道に探せばいいじゃないか」という少し楽観的な気分になって、再び古本街に向かうことになる。古本街にいく理由ができるので良いのかもしれないのだが、状態のよい本を買うとダブり(あるいはトリプる、これ以上は推奨しません)こともあったり、何を所有しているのかいまいち不明になったりと、本が増えてくると自分でもわけがわからなくなる。まさに草森紳一『本が崩れる』(文春新書)のエッセイで、本を取り出して本が崩れて、本の位置がわからなくなるという悲劇。こちらはまだ新書なので暴力的ではないが、あちらは重い本が多いので地震などで直撃すれば死に至ることもあるかもしれないという意味ではより暴力的である。特に本が崩れてしまい、氏が風呂場に閉じ込められてしまった話は本の蒐集で死ぬことがあるのか!と戦慄した記憶がある。とあるSF・ミステリの編集者の本を整理する機会があったのだが、あまりの本の多さに本で人生が台無しになってしまうと思い、反省した。このときは「何事も中庸こそが素晴らしい。本の蒐集もほどほどにしないといけないな」と思って早何年。しかしながらのど元過ぎれば忘れてしまい、今や修羅の道にはまってしまい現在にいたる。嗚呼、ダメすぎる。増えてしまった本の処分についてはまたいずれかの機会に。
閑話休題。中公新書は、創刊当時から深緑色と白色が基調のデザイン。そのため、帯がアクセントを醸し出し、ある種のインパクトを与えている。写真は中根美宝子『疎開学童の日記』(中公新書 74)初版帯ビニカバの写真。
アマゾンのイメージは重版(あと帯)のもの。こちらを見ると、毎日出版文化賞を受賞。帯の文句も「非常時の出来事と心情を綴った一少女の生活記録」とあり、初版帯のものと異なる。初版帯は黄色で、帯の文句もなんとなく切実さが出ていたのがわかるだろう。200番前後までは中公新書も帯にアクセントをつけ、何らかの意味があったのかもしれないが、そのあたりのことは本の内容や歴史的経緯などを調べていかないとわからないかもしれない。変遷を調べていくだけでも、中公新書はとても興味深い情報を提供してくれる。
現在の悩みは、膨大な数になってしまった新書の置き場所とその保存である。それは現在蒐集している中公新書も例外ではない。中公新書は@ビニカバ期、A表紙カバー期にわかれるため、本の取り扱いは微妙に異なってくる。特に表紙カバー期では帯の取り扱いに細心の注意を払う必要があり、いかに状態のよいまま保存するかに悪戦苦闘している。帯はちょっとしたタイミングで破れることが多く、破れた時のショックは奈落の底に落とされて、そのまま底なし沼に落とされて這い上がれないような気分といえば一部の人に伝わるのではないかと思う。過去にはそのような苦い経験をしたのだが、最近はそのようなショックを受けるのは苦労して集めた本がセヤケしてしまい、帯が脱色してしまうことである。このときは、「また一からふりだしにもどるのか!」という暗澹とした気分になるのだが「いや本本体はあるのだから、地道に探せばいいじゃないか」という少し楽観的な気分になって、再び古本街に向かうことになる。古本街にいく理由ができるので良いのかもしれないのだが、状態のよい本を買うとダブり(あるいはトリプる、これ以上は推奨しません)こともあったり、何を所有しているのかいまいち不明になったりと、本が増えてくると自分でもわけがわからなくなる。まさに草森紳一『本が崩れる』(文春新書)のエッセイで、本を取り出して本が崩れて、本の位置がわからなくなるという悲劇。こちらはまだ新書なので暴力的ではないが、あちらは重い本が多いので地震などで直撃すれば死に至ることもあるかもしれないという意味ではより暴力的である。特に本が崩れてしまい、氏が風呂場に閉じ込められてしまった話は本の蒐集で死ぬことがあるのか!と戦慄した記憶がある。とあるSF・ミステリの編集者の本を整理する機会があったのだが、あまりの本の多さに本で人生が台無しになってしまうと思い、反省した。このときは「何事も中庸こそが素晴らしい。本の蒐集もほどほどにしないといけないな」と思って早何年。しかしながらのど元過ぎれば忘れてしまい、今や修羅の道にはまってしまい現在にいたる。嗚呼、ダメすぎる。増えてしまった本の処分についてはまたいずれかの機会に。
閑話休題。中公新書は、創刊当時から深緑色と白色が基調のデザイン。そのため、帯がアクセントを醸し出し、ある種のインパクトを与えている。写真は中根美宝子『疎開学童の日記』(中公新書 74)初版帯ビニカバの写真。
アマゾンのイメージは重版(あと帯)のもの。こちらを見ると、毎日出版文化賞を受賞。帯の文句も「非常時の出来事と心情を綴った一少女の生活記録」とあり、初版帯のものと異なる。初版帯は黄色で、帯の文句もなんとなく切実さが出ていたのがわかるだろう。200番前後までは中公新書も帯にアクセントをつけ、何らかの意味があったのかもしれないが、そのあたりのことは本の内容や歴史的経緯などを調べていかないとわからないかもしれない。変遷を調べていくだけでも、中公新書はとても興味深い情報を提供してくれる。
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