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相模線 Sagami Line

 相模線は神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅から神奈川県相模原市の橋本駅まで33km、18駅を結ぶJR東日本の路線です。1921年に相模川の砂利を輸送するために相模鉄道として茅ヶ崎駅〜寒川駅が開通し、1931年に寒川駅〜橋本駅が開通しました。1944年に国有化されて相模線となりました。そして、1987年にJR東日本の路線になり、1991年に電化されました。

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↑ 1965年に登場した気動車キハ30系2輌編成、橋本行き。キハ30系は1991年まで走りました。(1988年 厚木−海老名)

 2015_1128_1001_相模線205系4輌編成橋本行(相武台下−海老名)改☆.jpg
↑ 1991年の電化時に登場した205系500番台4輌編成、橋本行き。205系500番台は2022年まで走りました。(2015年 海老名−入谷)

 2023_0331_1324_相模線E131系500番台4輌編成茅ヶ崎行(上溝ー南橋本)☆.JPG
↑ 2021年に登場したE131系500番台4輌編成、茅ヶ崎行。(2023年 上溝−南橋本)

宮山駅から徒歩5分の所に全国的に有名な 寒川神社 があります。





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横須賀線 Yokosuka Line

 横須賀線は神奈川県鎌倉市の大船駅から鎌倉駅、横須賀駅などを経て神奈川県横須賀市の久里浜駅まで24km、9駅を結ぶJR東日本の路線です。
 1889年に大船駅〜横須賀駅が開通し、1944年に横須賀駅〜久里浜駅が開通しました。横須賀線の電車は当初、大船駅から東海道線の線路に乗入れて東京駅まで運行されていましたが、1980年に東海道線と分離され、品川〜鶴見を結んでいた旧貨物線の品鶴線(ひんかくせん)などを通るようになりました。
 現在は横須賀線の電車は横浜駅、武蔵小杉駅などを経由して東京駅まで運行されているほか、総武線に乗入れて千葉駅、成田空港駅、君津駅などへ運行されています。

 1992_0929_横須賀線115系 (鶴見付近)☆.JPG
↑ 1969年に登場した113系1000番台15輌編成。113系1000番台は1999年まで走りました。(1992年 川崎−横浜)

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↑ 1994年に登場した軽量ステンレス車輌のE217系15輌編成(2015年 川崎−横浜)

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↑ 2020年に登場した軽量ステンレス車輌のE235系1000番台15輌編成(2023年 北鎌倉−鎌倉)

 思い出の歌…海と軍港が見える街…「♪ 横須賀ストーリー」(1976年)



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京王線 Keiō Line

 京王線は1913年に路面鉄道として東京都渋谷区の笹塚から東京都調布市の調布までが開業し、1925年までに東京都新宿区の新宿追分(現在の地下鉄・新宿三丁目駅付近)から東京都八王子市の東八王子(現・京王八王子)までの路線38kmが開通しました。1945年に起点を新宿追分から新宿に移し、路面鉄道から高速鉄道に変更しました。支線は東京都府中市の東府中から府中競馬正門前までの競馬場線0.9km(1955年開通)、東京都日野市の高幡不動から多摩動物公園までの動物園線2.0km(1964年開通)、東京都八王子市の北野から高尾山口までの高尾線8.6km(1967年開通)、東京都調布市の調布から神奈川県相模原市緑区の橋本までの相模原線23km(1971〜1990年開通)があります。

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↑ライトグリーンに塗られた1700形6輌編成、各駅停車新宿行。1946年から1972年まで走りました。(1971年 明大前)

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   ↑上の編成の八王子側。(1971年 明大前)

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↑国鉄の初代の湘南電車に倣った正面二枚窓の2000系6輌編成、各駅停車新宿行。1957年から1983年まで走りました。(1974年 桜上水−上北沢)

  1974 0503_京王5100(桜上水−上北沢)☆.jpg
↑アイボリー色にワインレッドの帯を付けた旧5000系6輌編成、快速新宿行。1963〜1969年に製造され、1996年まで走りました。(1974年 桜上水−上北沢)

  1974 0503_京王6000(桜上水車庫)☆.jpg
↑京王線初の車長20m、4扉の6000系。1972〜1991年に製造され、2011年まで走りました。(1974年 桜上水電車区)


  2015_0531_0945_京王7728等(仙川−つつじヶ丘)☆.jpg
↑1984年に登場した京王線初のステンレス車輌7000系10輌編成、快速新宿行。(2015年 仙川−つつじヶ丘)

  2015_0823_0937_京王8731等(桜上水−上北沢)☆.jpg
↑1992年に登場した洗練されたデザインのステンレス車輌8000系8輌編成、各駅停車新宿行。(2015年 桜上水−上北沢)


  2015_0823_0943_京王9749等(上北沢−八幡山)☆.jpg
↑2001年に登場した軽量ステンレス車輌9000系10輌編成、特急新宿行。(2015年 上北沢−八幡山)

  2019_1109_1023_京王5000LINER新宿行(代田橋−明大前)☆.jpg
↑2017年に登場した、クロスシートに転換できる軽量ステンレス車輌5000系10輌編成の京王ライナー新宿行き。京王ライナーは午前と夕方以降にクロスシートで座席指定列車として運行され、調布以外の特急停車駅に停車します。(2019年 代田橋−明大前)

2013年10月10日に多摩動物公園駅に「京王れーるランド」が開園しました。
 本格的な運転シミュレータを備え、HOゲージジオラマ、往年の名車などが展示されています。展示車輌は2400形、2010系、旧5000系、3000系、6000系です。


ワンポイント・アドバイス5
夏は結石に注意!
 茶葉には蓚酸(しゅうさん)が多く含まれています。日本茶、紅茶を摂ると腎臓などの排泄系で蓚酸とカルシウムが結合し、蓚酸カルシウムという固体が生成することがあります。これが結石で、特に尿道に結石が生じると七転八倒の激痛に襲われることもあります。
 夏は汗によって体の水分が減りやすく、その結果、蓚酸カルシウムが生成しやすくなります。ですから、夏は蓚酸を多く含む日本茶、紅茶より、蓚酸を含まない麦茶がおすすめです。太陽





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井の頭線 Inokashira Line

 井の頭線は1934年に帝都電鉄によって渋谷から下北沢、明大前を経て中央線の吉祥寺まで12.7kmが開業しました。1940年に小田原急行鉄道(現・小田急電鉄)に併合されたのち、1941年に東京急行電鉄に併合されました。そして、1948年に京王線とともに京王帝都電鉄の路線となりました。開業時は1輌で走っていましたが、現在は5輌編成となり、平日の朝は各駅停車だけの2〜3分間隔の運行、それ以外は概ね急行と各駅停車のそれぞれ7〜10分間隔の運行となっています。

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↑1200形等4輌編成の各駅停車富士見ヶ丘行。1200形は1952年から1980年まで走りました。(1976年 渋谷)

  1983_1112_0841_井の頭線1900等(駒場東大前−池の上)☆.jpg
↑1900形等5輌編成の各駅停車渋谷行。1900形は1954年から1983年まで走りました。(1983年 駒場東大前−池ノ上)

  1983_0409_0726_井の頭線1054等(浜田山−高井戸)☆.jpg
↑旧1000系等5輌編成の各駅停車渋谷行。旧1000系は井の頭線初の高性能モーターを使用した車輌で、1957年から1984年まで走りました。(1983年 浜田山−高井戸)

  1983_1112_井の頭線3700(片開)(高井戸−富士見ヶ丘)☆.jpg
↑井の頭線初のステンレス車輌3000系。1962年製造の片開き扉車輌4輌編成の2輌目に1973年製造の両開き扉で幅が10cm広い車輌を組込んだ編成の各駅停車渋谷行5輌編成。この編成は1996年まで走りました。(1983年 高井戸−富士見ヶ丘)

  1983_0409_0811_井の頭線3710等(高井戸−富士見ヶ丘)☆.jpg
↑1964年製造の両開き扉で幅広のステンレス車輌3000系の各駅停車渋谷行5輌編成。3000系は2011年まで走りました。(1983年 高井戸−富士見ヶ丘)

  2015_0802_1048井の頭線1753等×5 急行渋谷行(新代田−東松原)☆.jpg
↑1996年に登場した1000系5輌編成、急行渋谷行。井の頭線初の車長20m、側面4扉の車輌で、正面にも扉が設けられました。(2015年 新代田−東松原)

  2015_0524_1014_井の頭線1782等×5(東松原−明大前)☆.jpg
↑正面の表示部分が平面になった1000系5輌編成、急行渋谷行。(2015年 東松原−明大前)

渋谷から2つ目の駒場東大前駅付近に水田があります。これは筑波大学附属高等学校の実習用水田です。

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↑駒場東大前駅から吉祥寺駅方向へ発車して間もなく左側に見える水田(2008年)

 

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小田急線4 Odakyu Electric Railway 4

 今回は特別準急、特急の車輌です。

  1968_08_5000(豪徳寺-経堂)☆.jpg
↑ 1955年に登場した国鉄御殿場線乗入れ用のディーゼル車輌、初代5000形。長さは20m、クリーム色に朱色の帯の配色で4輌製造されました。特別準急として運行され、停車駅は新宿、松田、山北、駿河小山、御殿場でした。1968年の御殿場線の電化に伴い旧3000形と交代し、関東鉄道に譲渡されました。(1968年 豪徳寺−経堂)

  1964_08_3000(経堂車庫)☆.jpg
↑ 1957年に登場した特急車輌の旧3000形8輌編成。全長は108mで、1輌の長さは先頭車が16.0m、中間車が12.7mでした。塗色は下半分と正面窓上がオレンジ色、上半分がこのオレンジ色を引立たせるグレー、そしてこの2色の間に軽快感を演出するホワイトのラインを配しました。この車輌は走行試験で世界最高速度145km/hを記録し、その流線型の形状とともに新幹線車輌の開発に貢献しました。1968年に5輌編成に改造され、主に御殿場線乗入れの特別準急として運用され、1992年まで走りました。(1964年 経堂車庫)

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↑ 5輌編成に改造された旧3000形。(1982年 経堂−千歳船橋)

  1991_0119_3100形 (愛甲石田-伊勢原) 2☆4.jpg
↑ 運転席を2階に上げた特急車輌3100形11輌編成。全長は144mで1輌の長さは先頭車が16.5m、中間車が12.4mでした。塗色は旧3000形の塗色を踏襲した他、側面の下の方に3本の細いホワイトのラインを配しました。3100形は1963年に登場し、2000年まで走りました。(1991年 愛甲石田−伊勢原)

  1991_0203_7000形さがみ号 (祖師谷大蔵-成城学園前)☆4.jpg
↑ 1980年に登場した特急車輌7000形11輌編成。全長は145mで1輌の長さは先頭車が16.4m、中間車が12.5mでした。7000形は2018年まで走りました。(1991年 祖師谷大蔵−成城学園前)

  1991_0119_10000形 (愛甲石田-伊勢原)☆4.jpg
↑ 1987年に登場した特急車輌、10000形11輌編成。全長は145mで1輌の長さは先頭車が16.4m、中間車が12.5mでした。塗色はホワイトを基調にワイン・レッドと苺色を配していました。10000形は2012年まで走りました。(1991年 愛甲石田−伊勢原)

  2012_0311_20000形 (経堂-千歳船橋)☆4.jpg
↑ 1991年に登場した、JR御殿場線乗入れ用特急車輌20000形7輌編成。全長は142mで1輌の長さは先頭車が21m、中間車が20mで2輌が二階建て車輌でした。塗色はホワイトを基調とし、側窓周りと裾がオーシャン・ブルーとなっていました。JR東海の371系とともに新宿−沼津間を「あさぎり号」として約2時間で結びました。20000形は2012年まで走りました。(2012年 経堂−千歳船橋)

  2015_1229_0941_EXE10連_はこね_(祖師谷大蔵−成城学園前)☆4.jpg
↑ 1996年に登場した特急車輌、30000形10輌編成。1輌の長さは20mで1編成の定員は588人と従来の特急車輌に比べ3割増えました。6輌、4輌に分割可能となっています。(2015年 祖師ヶ谷大蔵−成城学園前)

  2010_0627_50000形(経堂-千歳船橋)☆4.jpg
↑ 2005年に登場した特急車輌、50000形10輌編成。全長は147mで1輌の長さは先頭車が18m、中間車が14mです。塗色はシルキー・ホワイトにオレンジ色のラインを入れたもので、アイボリー・ホワイトの一般車輌が少なくなってきた中で躍動感を放っていました。50000形は2023年まで走りました。(2010年 経堂−千歳船橋)

  2015_1229_1003_MSE10連_さがみ_(狛江−和泉多摩川)☆4.jpg
↑ 2008年に登場した特急車輌、60000形10輌編成。1輌の長さは20mで6輌、4輌に分割可能です。塗色はメタリック・ブルーで、都会の街並みにも、大自然の緑にも映える清新な色彩です。JR御殿場線と東京メトロの地下鉄千代田線に乗入れています。(2015年 狛江−和泉多摩川)

  2018_0422_1230_GSEはこね(祖師ヶ谷大蔵−成城学園前)☆4.jpg
↑ 2018年に登場した特急車輌、70000形7輌編成。1輌の長さは20mです。塗色は、かつての特急車輌を彷彿させる赤系統のローズバーミリオンで、一般車輌の青色、緑色のラインと好対照をなし、ひときわ鮮明な印象を放ちます。(2018年 祖師ヶ谷大蔵−成城学園前)

2021年4月19日に神奈川県海老名市の小田急線海老名駅の隣接地に小田急電鉄の実物の車輌などを展示する「ロマンスカーミュージアム」が開業しました。
 詳細は小田急電鉄株式会社の「小田急のおすすめ情報」の「ROMANCECAR MUSEUM」のフレームをクリックすると見られます。




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小田急線3 Odakyu Electric Railway 3

 一般車輌は1969年から新塗色で登場し、1988年からはステンレス製車輌が登場しました。

 1988_0124_5000×4輌 (栗平ー黒川)☆5.jpg
↑1969年に急行の8輌編成運行開始に伴い登場した旧5000形4輌編成。正面窓は2600形に比べ浅くなっていました。旧5000形は2012年まで走りました。(1988年 栗平−黒川)

 1982_0508_9000 準急綾瀬行 (向ケ丘遊園-生田)☆.jpg
↑1972年に登場した地下鉄千代田線乗入れ用9000形10輌編成(4輌編成+6輌編成)。側面窓は、この形式から1段下降式になりました。9000形は2006年まで走りました。(1982年 向ヶ丘遊園−生田)

 1995_0504_5200×6 (栗平-黒川)☆5.jpg
↑1978年に急行の10輌編成用に登場した5200形6輌編成。正面扉は5000形に比べ浅くなっていました。5200形は2012年まで走りました。(1995年 栗平−黒川)

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↑1983年に登場した8000形10輌編成(4輌編成+6輌編成)。(2015年 和泉多摩川−登戸)

 1989_0318_1000形 (豪徳寺-経堂)☆5.jpg
↑1988年に各駅停車の8輌編成用に登場した小田急線初のステンレス製車輌の1000形(4輌編成+4輌編成)。1989年に6輌編成が登場し、4輌編成と連結して2010年まで地下鉄千代田線に乗入れました。(1989年 豪徳寺−経堂)

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↑2002年に登場した3000形10輌編成。(2018年 代々木八幡−代々木上原)

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↑2007年に登場した地下鉄千代田線乗入れ用4000形10輌編成。(2010年 経堂−千歳船橋)

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↑2019年に登場した5000形10輌編成。(2024年 黒川−はるひ野)


ワンポイントアドバイス3
海水浴では離岸流に注意!
 離岸流(りがんりゅう)とは海岸から沖合に向かって局所的に生じる幅10mほどの強い引き潮のことで遠浅の海岸に発生しやすく、海水浴客が巻込まれ、沖に流されて命を落とすこともあります。
 離岸流は速いので水泳の選手でも前進することは困難です。ですから、離岸流に逆らって泳ぎ進むことは体力を消耗するだけです。
 離岸流の幅は10m程度なので海岸線と平行に進むことによって離岸流から脱出することができます。




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小田急線2 Odakyu Electric Railway 2

 1954年に高性能モーターを搭載した2200形が登場しました。それまでは低音の唸りを発生する低加速度のモーターを使用していましたが、高性能モーターは軽快な高音を出しながら高加速度で速度を増していくモーターで、車体の明色塗装とともに車輌の近代化に貢献しました。


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↑ 1954年に登場した2200形(急行片瀬江の島行き4輌編成+急行箱根湯本行き4輌編成)。それまで特急車の色であった黄色・青色を一般車の色として初めて採用した車輌で、他の一般車と同様に1970年頃、乳白色に青のラインに変わり、1984年まで走りました。(1970年 新宿−南新宿)

  1983_0429_2200(黒川-小田急永山)☆.jpg
↑ 新塗色の2200形(各駅停車新百合ヶ丘行き4輌編成)。一般車輌は1970年頃この塗色に変更されました。(1983年 黒川−小田急永山)

  1969_0429_2320 (経堂-千歳船橋)☆.jpg
↑ 1958年、各側面両開き2扉のセミクロスシートの準特急*用車輌として登場した2320形(各駅停車新宿行き4輌編成)。セミクロスシートながら各駅停車としても使用されましたが、1963年頃片開き3扉、ロングシートに改造され1984年まで走りました。(1969年 経堂−千歳船橋)
(*準特急はロマンスカーを補完するため1958年から1963年まで週末に運転された列車で、停車駅は特急と同じく新宿−小田原−箱根湯本でした。)

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↑ 新塗色の2220形(各駅停車相模大野行き、2220形2輌編成+2400形4輌編成)。2220形は1957年に一般用車輌として4輌編成で登場し、1962年に急行の中型6輌編成化のため2輌編成になりました。(1983年 経堂−千歳船橋)

  1970_03_2400(渋沢-新松田)☆.jpg
↑ 1959年から100輌以上製造され、急行にも各駅停車にも活躍した2400形(急行箱根湯本行き4輌編成)。中型車輌で収容力は大きくなく、乗客の増加に伴って1969年から大型の5000形などに置換えられ、1989年までに退役しました。(1970年 渋沢−新松田)

  1982_1212_2400+2200+2400急行(経堂-千歳船橋)☆.jpg
↑ 新塗色の2400形(急行新宿行き、2400形4輌編成+2200形2輌編成+2400形4輌編成)。(1982年 経堂−千歳船橋)

  1969_1231_2600(経堂車庫)☆.jpg
↑ 2400形に比べ車幅が2.9mと0.2m広く、車長が20mと2m長い、1964年に登場した2600形6輌編成。当初は5輌編成で、数年後6輌編成となり主に快速準急*や各駅停車に使用され、2004年まで走りました。(1969年 経堂東電車基地)
(*快速準急は1964年から1972年まで昼間に30分間隔で運転され、当時の急行停車駅の他に経堂、成城学園前、登戸に停車しました。)

  1969_0429_2600赤白塗装(南新宿)☆.jpg
↑ 1967年の新宿の小田急百貨店本館開店を記念して乳白色と朱色に金色のラインを配した3編成のうちの1編成の2600形6輌編成(各駅停車相模大野行き)。(1969年 南新宿)

  1983_0522_2600フラワー号(経堂−千歳船橋)☆.jpg
↑ 1983年3〜7月に向ヶ丘遊園で開催されたフラワーショーに合わせて乳白色と桃色の塗装を施した1編成の2600形6輌編成(各駅停車向ヶ丘遊園行き)。(1983年 経堂−千歳船橋)

  1969_0429_4000 (参宮橋)☆.jpg
↑ 2600形と同型で3輌編成の旧4000形(各駅停車相模大野行き)。(1969年 参宮橋)
 旧4000形は廃車になった1200形などの旧式モーターを流用し、新形車輌なのに旧形車輌のように低音の唸りを上げる車輌で、町田以西や昼間の近郊区間の各駅停車に使用された他、「4000形3輌+ 4000形3輌+1800形2輌」の8輌編成で朝の急行にも使用されました。また、1973年から中間車輌2輌を組込んで5輌編成としました。1977年からは2編成を連結して10輌編成の急行としても使用されました。1985年頃から、廃車になった2400形の高性能モーターを流用し4輌編成、6輌編成に組換えられました。旧4000形は2005年まで走りました。



小田急線1 Odakyu Electric Railway 1

 小田急線は東京の新宿から小田原までの路線83km(1927年開通)と、途中の神奈川県相模原市の相模大野から藤沢市の片瀬江の島までの江の島線28km(1929年開通)、神奈川県川崎市の新百合ヶ丘から東京都多摩市の唐木田までの多摩線11km(1974〜1990年開通)があります。

  1966_0817_1218 (小田原)明☆.jpg
↑各駅停車新松田行の1200形3輌編成。1927年の開通以来の車輌で各側面2扉の長距離用として製造されました。正面、側面の扉は1960年頃鋼製扉に交換され、1968年まで走りました。 (1966年 小田原)

  1969_07_1101等 (経堂-豪徳寺)☆.JPG
↑荷物電車1100形。これも1927年の開通以来の車輌で1960年頃まで客用車輌として使用され、その後側面中央の扉が両開きに改造されて荷物電車として使用され、1976年まで走りました。(1969年 豪徳寺−経堂)

  1970_03_1300(参宮橋−南新宿)☆.jpg
↑回送中の荷物電車用1300形。各側面3扉の短距離用の車輌として1927年の開通直後製造され、1960年頃正面窓がゴム支持に、各側面扉が2扉両開きに、側面窓がアルミサッシになりました。1965年頃まで客用車輌として使用され、その後荷物電車として使用され、1984年まで走りました。(1970年 南新宿−参宮橋)

  1978_1406教習車 (経堂)☆.jpg
↑1400形。1929年の製造で1968年まで走りました。この1406形はその後、現役時代に塗られることがなかった黄・青に塗られ、教習車として1987年まで経堂に置かれました。その後、海老名電車基地に移され、1995年に解体されました。(1978年 経堂)

  1969_0726_1600等急行片瀬江の島行(祖師谷大蔵−成城学園前)☆.jpg
↑急行片瀬江の島行の1600形等6輌編成。1942年の製造で小田急のイメージを一新した窓の大きい車輌で、1948〜1949年には特急として活躍しました。1960年頃正面窓がゴム支持に、側面窓がアルミサッシに変更され、1970年まで走りました。(1969年 祖師谷大蔵−成城学園前)

  1970_03_1700(経堂電車区)☆.jpg
↑1700形4輌編成。1951年に特急車として登場し、1960年頃3扉に改造され、一般車として1974年まで走りました。(1970年 経堂東電車基地)

  1970_0211_1705(経堂東車庫)☆.jpg
↑1970年頃塗色が黄・青から変更された後の張上げ屋根の1700形第3編成4輌編成。1952年に正面2枚窓の特急車として登場し、1960年頃改造され一般車として1974年まで走りました。(1970年 経堂東電車基地)
 1700形、1800形、1900形、2100形も1970年頃この塗色に変更されました。
                                   
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↑各駅停車新宿行きの1800形4輌編成。1946年に国鉄の63系の同型車として登場し、1958年頃大幅に改造されて外観が近代化され、1981年まで走りました。(1970年 豪徳寺−経堂)

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↑各駅停車新宿行きの1900形4輌編成。1949年に2扉の特急車として登場し、1960年頃3扉に改造され一般車として1976年まで走りました。(1969年 東北沢)

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↑小田急初の、窓の上下に帯状の出っ張りがない、のっぺり車体の2100形。取付け式の尾灯と低音のモーターを使用した最後の車輌です。1953年に登場し、1975年まで走りました。(1969年 経堂東電車基地)

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↑電気機関車のED1012(左)とED1031(右)。ED1012は1927年に製造され、1984年に廃車になりました。ED1031は1930年に製造され、1997年に廃車になりました。電気機関車は主に多摩川や相模川の砂利を積んだ貨車を東北沢付近まで牽引するのに使用されました。(1988年 海老名電車基地)

昔、東北沢−代々木上原には 側線 があり、その隣にはコンクリート工場がありました。砂利を輸送していた貨物列車は、この側線に入って砂利を降ろしていました。





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都電3 Toden 3

 今回は都電の保存車輌です。

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↑1960年頃の塗装を施した6152。(2015年 あらかわ遊園*)

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↑1954年製造の5501。低騒音・高加速の車輌で、通称「PCCカー」と呼ばれました。1系統(品川駅前〜上野駅前)で使用されました。(2015年 都電おもいで広場)

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↑1962年製造の7504。当時の都電としては珍しい2つの前照灯が特徴です。(2015年 都電おもいで広場)

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↑7504の車内。昔の都電の写真がたくさん展示されています。(2015年 都電おもいで広場)

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   ↑1962年製造の7508。(2015年 板橋交通公園)

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↑1962年に製造された車輌の車体を1984年に新製された車体に置換えた7506。(2015年 池之端児童公園)

保存場所
あらかわ遊園*:都電・荒川遊園地前下車、北へ徒歩3分
*あらかわ遊園はリニューアル工事のため2018年12月1日から休園していましたが、2022年4月21日に予約制で開園しました。
都電おもいで広場:都電・荒川車庫前下車、北側すぐ(開場日時をホームページで確認してください)
板橋交通公園:東京都板橋区大山西町21−1、東武東上線・大山駅下車、南西へ徒歩15分
池之端児童公園:東京都台東区池之端2丁目8−1、地下鉄千代田線・根津駅下車、南へ徒歩5分

思い出の歌 … 昔の東京の風景を振返りながら …「♪ 夢淡き東京」(1947年)…1959年の日劇前の風景に始まって1967年の銀座、昭和初期(1930年頃)の銀座…と巡ります。




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都電2 Toden 2

 今回は都電荒川線の車輌です。都電荒川線は常磐線南千住駅に近い荒川区の三ノ輪橋から東北線の王子駅前、山手線の大塚駅前を経て新宿区の早稲田大学に近い早稲田まで、12.2km、30停留場を結んでいます。王子駅前−飛鳥山間400mは道路を走る併用軌道となっています。

  2015_1122_1054_7010三ノ輪橋行(王子−飛鳥山)☆3.jpg
↑1977年頃、旧形車輌の車体を更新した7000形。台車はそのままだったので、昔ながらの低いモーター音を響かせながら走っていました。7000形は2016〜2017年に旧式モーターを高性能モーターに更新し、塗装を変えて7700形に変更されました。(2015年 王子駅前−飛鳥山)

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↑昔風の塗色の7000形。(2015年 王子駅前−飛鳥山)

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  ↑1990年に登場した8500形。(2015年 飛鳥山)

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↑2007年に登場した9000形。昭和初期の東京市電をイメージした車輌です。(2015年 王子駅前−飛鳥山)

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↑2009年に登場した8800形。塗色はローズレッド、バイオレット、オレンジ、イエローの4種があります。側面は白が基調となっています。(2015年 新庚申塚)

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↑2015年に登場した8900形。塗色はローズレッド、ブルー、オレンジ、イエローの4種があります。この形式も側面は白が基調となっています。(2015年 向原)

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↑2016〜2017年に7000形の旧式モーターを高性能モーターに更新し、塗装を変えて登場した7700形。(2021年 大塚駅前−向原)


「とあらん」は都電荒川線のマスコットキャラクターです。「荒川線の日」などの催し物に登場します。催し物の案内は 東京都交通局 の「都電」の ページの下部の「東京さくらトラム 新着情報」または 「→ 一覧はこちら」にあります。

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↑「とあらん」を描いた、かつてのラッピング車輌(2015年 王子駅前−飛鳥山)

思い出の歌 … 素朴な下町人情を描いた映画の主題歌 …「♪ 下町の太陽」(1963年)



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