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2019年05月29日

もう、ダメですね。


2019/1/16「可能性」でも採り上げています。

「可能性」って、良いことに使う言葉だったはずです。
なのに今ではテレビを中心に悪いことにも平気で使われていますね。

ひどいのは「ガンにかかる可能性」とか。
そんなにガンになりたいの?
そう聞きたくなってしまいます。

そうではなくて、「ガンにかかる恐れ」と言えば良いだけなのに。
今では結果がふた通り考えられるケースには必ず「可能性」だけ使われるようになってきました。

これは
現代人のボキャブラリーが貧弱になった証だと思っています。

あと、某外資系保険会社のテレビCMですっかり馴染んでしまった、
「お気軽にお電話ください。」
この二重敬語。

何度も何度も書いてきましたが、日本の敬語はワンフレーズにひとつだけ使うから美しいのです。
「気軽にお電話ください。」

「お気軽に電話ください。」
のどちらか。

このどちらを選ぶのかが話し手のセンスであり、技量なんです。
しかも言葉を組み立てながら、リアルタイムに話していくのも技量です。
しかし周囲から聞こえてくるのは、
「お手数おかけしますが」「お時間おありでしたら」
など。
私は聞こえるとすぐに“妖気アンテナ”がピンと立ちます。

正しい日本語は聞いていて美しい。

なのに近い将来きっと、何が美しい日本語で何が美しくないのか。
また、何が正しくて何が間違えなのか。
それすらわからなくなっていくのでしょう。悲しいことです。

 そう言っている私ですら、「ゆかしい」という言葉を使ったことがほぼありません。
使われない言葉から消えていくのも悲しいことだと思います。

でもここまで来てしまったらもうダメですね。
それでも私は地道に小さな小さな抵抗を続けていこうと考えています。







右脳と左脳


 診断サイトで試してみると、私は右脳と左脳のバランスが良いのだそうです。

昨日、珍しく知人から小遣い稼ぎの話が来ました。
プログラムを書いて欲しいという。

私がある先輩から強制的にコンピュータのプログラムを習ったのは中学に入った頃です。
そのときは「へえ〜」だったのですが、性格的に合っているのでしょうね。

一時期、数年だけプログラムを書く仕事をしていました。
辞めてから10数年経つので、もう使い物にならないだろうと思っていました。
でも、やっぱり大好きなんですね。

今日は休みだったので、少し書いてみました。
が、

どうも足りない。
何かとても大事なものが足りない。

依頼が来たのはデータを変換するプログラムです。
これをこう変換して欲しいという依頼。

こうして欲しいというデータは、ネットでサンプルが何種類も入手できます。
しかし元のデータはメールで受信した添付ファイルの一つだけ。
またその添付ファイルには変換後のデータもない。

それでは
「これをこうして欲しい」
のはずが、
「こうして欲しい」
しかない。

「絵を描いて」
「何の絵を?」
「わからない」

そんな感じです。

データというのは競馬の予想データです。
察すると長い歴史があるのでしょう。
きっと会員制の有料サイト。

そもそも変換プログラムは存在します。
しかし試しにダウンロードしてセットアップしてみるとエラーになります。
でも当初からの開発元はもうこのプロジェクトから外れたと聞きました。

なるほど、だから回ってきた仕事なんだ。

 オプションサービスとして分析用にデータ変換するプログラムを無償で配布していた。
しかしWindowsが新しくなっていくにつれ、変換プログラムが対応できなくなってしまった。
でも会員制の有料サイトは継続しています。

古くからあるサイトで継続しているものの、力を注ぐプロジェクトではない。
そんな背景が目に浮かぶようです。

 さて、それでもプログラムが好きな私はできるところまでやってみました。
プログラムを書いているときは左脳が動いていると感じます。今日はブログを書こうと思っていました。
しかしそんなとき、このブログのテーマすら何にも考えられません。

ブログを書くときは右脳が動いていると感じます。
また、書いているプログラムを操作する人たちが見る画面のデザインも右脳がします。

プログラムを“ロジック”と呼ぶことがあります。“論理”です。“理屈”と言った方が良いか。
理屈や仕組み、計算は左脳が行い、人との接点は右脳が動いていると実感します。

だから面白いことに、プログラムを書いている途中、気晴らしに画面デザインをしようとしても、すぐに左脳から右脳に切り替えることができないのです。









posted by CSおじさん at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2019年05月28日


 最近の若い人、敬語は使うけど、敬っていないですね。

あえて、そういう“人種”と言わせていただきますが、初めて見たのは私が札幌に来た頃だから10数年前。
「たまにいるな」
って感じでした。
それが今では
「○○よ、お前もか。」
で、若者(主に30代以下)のほとんどがそうなってきました。

私の世代には考えられません。
だって敬うから敬語でしょう。

敬っていないとはどういうことか。
敬語は使うけど、言ってる内容が同じ立場なんです。

たとえば目上の人が
「こうなんじゃないか?」
そう言ったとします。
私の世代なら自分が目下であった場合、たとえそうじゃない考えを持っていたとしても、
「そうですね。」
と、まずは肯定していました。

けど今の若者は
「いやいや、」
と自分の意見をぶつけてきます。

しかしその意見、偏りがあるというか経験を積んでいません。

“想像力”がないんです。
前にも書いています。

私たちの世代が文句なく目上を立てるのは、目上の人は必ず経験を積んでいると思うからです。
それをわかっているからです。

 まだ私が二十歳の頃です。
あの7月1日の事故で車を全損にしました。

ところが全損で廃車にした車の抹消登録をしていなかった。
車屋さんに頼んであったのですが、信じられない話、抹消登録をしてくれなかったのです。
7月の事故であったにもかかわらず、次年度の自動車税納付書が来たことでわかりました。
それも元の持ち主から。

私が車屋に代わって手続することにしました。
納付書、廃車証明書、委任状が必要です。

当時の私にはまだ委任状がわからず、ひと回り以上、上の先輩に尋ねました。
すると先輩は「お前、委任状も知らんのか?」といった感じで教えてくれました。

 委任状
 私、氏名は住所、氏名を代理人と定め、下記の権限を委任します。
 記
 一、○○の件
 年月日
 住所、氏名、印

あと当時は200円の収入印紙を貼る必要がありました。
こともなげに教えてくれる先輩に、私はスゲエと思いました。

また、当時の会社に“文藝春秋”が取材に来ることになりました。
同じ先輩にそのことを話すと、
「文藝春秋?ああ、そんな雑誌あるな。」
と。私はこの人、何でも知っていると尊敬しました。

先輩と接している中で私たち世代というのはいつも、学びたい姿勢があったのだと思います。
学ぶから先輩に奥行きを感じ、尊敬でき、敬語が敬語であったのだと思います。

今は情報にあふれているからか、それとも人付き合いが疎かになったのか、若者は学ぼうとしているように感じません。
だから自分はもう、あたかも完成しているように接してきます。あくまで同等に。

ばかを言っちゃいけない。
私自身が本当に自分が大人になったと実感できたのは40代です。
なぜ、20代のお前らが親と同じ世代の私たちと同じ目線で話してくるのか。

やっぱり想像力が足りない。
自分と比べて歳上の人間が歳の差分、苦労をして経験を積んでいることを考えられないのでしょう。
そして何かあったとき、とてつもない力になってあげられることも。

それでも40歳になる頃にはわかるんでしょうか。







posted by CSおじさん at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2019年05月22日

帰ってきました。


大変失礼しました。

旅行へ行くと書いて、時間に余裕はあるからなるべくアップしますと書いておきながら、10日もアップできませんでした。

行ってみると、ほぼ時間に余裕がありません。
そもそも行った目的というのは母の見舞いです。見舞いといっても病気を患っているわけではありません。
しかし高齢なので、寝たきりです。特別養護老人ホームに入所しています。

また見舞いと同時に母の部屋にテレビを設置してきました。
前回、母のところへ行ったのは昨年の10月。入院した父の見舞いと、見舞いのあと、すぐに亡くなった父の葬儀のためでした。

母の部屋にテレビというのは私ども家族の切望でした。
2年前、ホームに入所して以来、歩行できなかった母にとってホールにあるテレビを自ら見に行くことができません。アメリカの大統領がトランプだというのもたぶん知らないでしょう。

それを気の毒に思った私たちからのプレゼントでした。
ただ、ホームの方々が言うには、この10月からの約半年で気力が失せてしまったのだとか。
確かに、10月には自分で口に運んでいた食事も今回は介助されてのものになっていました。

若い頃には散々悪いことをした父でしたが晩年は母を慕い、できる限りホームを訪れていた父。
亡くなったあと、普段母を訪ねる者はいません。

寝たきりで、一人で、一日中なにを考えているのだろう?
そう思うと遠く離れた私に手紙を書くことしか考えつきませんでした。

2019/2/14「休止のお知らせ」は、
ブログを書いている時間を母への手紙に費やしたいと思ったからでした。

でも今回、行ってみたことで考えがかなり変わりました。
ホームにはときどき電話をして、母の容態を聞いていました。
でも“百聞は一見に如かず”ですね。

電話で聞いてもホームの職員さんは悪くは言えないでしょう。オブラートに包んだ話になったようです。
母の様子というのは、食事以外ほとんど寝ています。ときどき起きてはまた寝る。その繰り返しです。
ホームの面会時間は午前7時から午後7時。職員に迷惑だろうと思いながらもなるべく付き添いました。

旅館の食事は朝夕ともに6時半からです。
また親戚の仕事が終った頃におみやげを持っていくなど、することは少ないけれど、時間は束縛されていました。

せっかく設置したテレビでしたが、母は全く興味がないようです。
そのホームにはかつて、亡き叔母も入所していました。叔母は晩年、意識もなく見舞っても反応がありませんでした。でも、それがあのときの叔母だったのですね。

すると母だって殆ど寝て過ごす今が、今の母なんです。

ときどき目を覚ましても少し具体的な話、例えば地名などを出すと会話にならなくなるときもあります。
なら、一生懸命に書く手紙だって、どれだけ理解できているのでしょうか。

そう考えると私の出す手紙は、母自身で読むことはできず、ホームの職員が読んで下さるわけですから、ホームの職員さんに負担を強いるだけだと思いました。

だからといって私は母を不幸だとは思いません。
意識がないように見えた叔母だって、立派に人生を全うしたのです。

ブログを休んでいる間、いくつもの話題が浮かびました。
が、歳なのでやがて忘れてしまいます。
前のように毎晩とは参りませんが、またブログを書いていきたいと考えています。

2月14日の休止宣言以来、訪問いただいている皆様に深く感謝します。








2019年05月12日

意外


2019/3/31「ちょっとな〜...」の続編です。

 いまの発信業務は他社契約をこっちの契約に切り替えてもらうものです。
発信業務ができる程度の知識を身に付けると、“メリット”しかないと思います。断る理由が見つかりません。

例えば同じ商品がAスーパーでは150円、Bスーパーでは140円で売っているとしましょう。
ずーっとAスーパーに通っているから、Bスーパーが安いと知っても慣れたAスーパーを使い続けたい。
または単純にAスーパーが好きである。あるとすれば、そんなことしか考えつきません。

スーパーであればAスーパーの方が近いからとか、そんな理由もあるかも知れません。
しかし今、扱っているのは店に行って買ってくるものではなく、どの家庭でも契約しているものです。

「ちょっとな〜...」では一度の電話で契約まで至らなかったお客様に、後日電話を架けても出てくれないという話を書きました。
相変わらず、出てくれないお客様が多いのですが、そもそも私の勧めている契約自体がお客様にとって、どうでも良い次元の話なのかと思うようになってきました。

勧めると「はい」というが、時間が経てばどうでも良い話。時間がもったいない。

ただ、お客様から後日電話してと頼まれ、時間まで約束したにもかかわらず出てくれないのはマナーに反しています。口約束であってもプチ契約違反です。

さらには新たな“手口”とも取れるほど巧妙な手段も現れています。
それは後日の電話に出てくれないのではなく、出てはくれます。
するとお客様は
「10分後に折り返します。」
と言います。

よほど忙しいのか。

ただ、折り返してもらうのは悪いですし、100%信じているわけでもないので、
「私から改めて電話します。」
と一旦終話します。

そして10分後に架け直すと、やはり出ないんです。
正当な理由を付けて、逃げているとしか思えない私は間違っているのでしょうか。

 でも、そうではないことが先日ありました。

やはり10分後に折り返すというお客様です。
こっちから架け直すと言いました。
するとやはり出ません。

一応、30分後にもう一度架けてみました。
すると今度は出てくれました。

さて、手続きの話を進めると、契約に必要な番号が不明と言います。
その番号は請求書に書いてあるのですがお客様が皆、請求書を保管しているわけではありません。
番号を現在の契約会社に問い合わせてもらうことはできます。
でもあのときは時間も遅かったので、問い合わせ窓口も終了していました。

私は今日の契約は無理だと思いました。
でも後日にするとお客様だって仕事があるでしょうし、何しろ後日の電話は危険です。
なので、このお客様は無理だなと、そう思ったときでした。

お客様が
「10分後にもう一度、架け直してください。」
と言います。
“10分後”という言葉に今では嫌悪感すら感じる私。

反射的に
「どうなさいましたか?」
と聞きました。

お客様はユーザー登録するというのです。
その番号は請求書がなくても、ネットで調べることができます。
ただしネットで調べるにはまず、サイトにユーザー登録する必要があります。

そのユーザー登録を10分の間にしてくれるというのです。
10分後に電話すると、番号をしっかりと調べてくれていました。
私にとって、初めてのことでした。そこまでしていただいたお客様は。

私は精一杯、感謝の言葉を伝えました。


 また、これは今日のことです。
奥様が契約切換えを承諾、ご主人に説得するが私からも説明して欲しいというお客様。
ご主人は
「切換えしても良いが番号が不明、忙しい。わかり次第ハガキかネットで申し込んでも良いのだろう?」
そう言います。

確かにそうなんです。
クライアントの仕事をしているのですから、クライアントの顧客が増えるのに手段は問われません。

しかしそのお客様は続けます。
「でも担当者の実績もあるんじゃないか。」
と。
結果、電話で私に手続きさせてくれました。

私のしている仕事はお客様に利益を運ぶ仕事です。
でもお客様によっては同様に、こちらの事情まで察してくれる方も極々、稀にいらっしゃいます。
私はもちろん、こちらの状況にまでご配慮いただいてありがとうございました。と感謝を伝えました。

 さて、
前にも書いた記憶があります。
私のいるコールセンター業務は、“若い人がしている”という固定概念があるのかも知れません。
だからか、今日のあるお客様は、私のことを「お兄さん」と呼んでいました。

女性だったら若く見られることに躊躇はないでしょう。でも私は複雑です。
2019/5/16「老婆心」にも書いた通り再来月、娘が結婚します。
早ければ来年にも「爺さん」になれるかも知れません。

この仕事をして面白いのは、電話で話を始めるとお客様によって同世代のなぁなぁ口調で話してくる、きっと30代くらいの人。また、ときには上から口調で来る人もいます。
でもひと通り電話が終るときには、みな敬語に変わっていることです。会話にも年代が表れるのですね。


 私、明日から旅行です。
仕事を早退して帰宅、それから出発します。
時間に余裕はあるはずなので、なるべく記事はアップします。
ただ、スマホからなので内容は薄いかもです。





2019年05月06日

老婆心


 再来月、愛娘が結婚します。

私は酒もタバコも大好きで、娘が選んだ相手は酒もタバコもやりません。
親だから子供の素行にはときに口をはさみたくなります。しかしうるさく思われるばかり。
これ以上注意したら本当に嫌われてしまうと気づいたのは娘が二十歳を過ぎた頃でした。

親からすると子供はいつまでも子供に映るものですが、自分を振り返っても二十歳といえば成人でした。
もう自律しているんですね。

また、成人したといっても“大人”って何を境に決められるのでしょう。
私の場合、本当に大人になったと思えたのは40代でした。

結婚式で親の挨拶に、「まだ未熟な二人」という表現があると思います。
自分を顧みると確かに未熟だったと思います。

だけど幾多の困難に対処できる経験だけは積んでいるのでしょう。
例えばいきなり地上30mに到達するのは無理だけど、まず5mのはしごを立てて5m上り、そこからまた5mのはしごを掛けるというように。

 私の歳になると何か困難にぶつかっても、対処する前からもう結果は見えている気がします。
あとは見えている結果に到達するまで、ただ面倒な過程を済ましていくだけ。
でも若いときには見えなかった。それが“青春”なんでしょうね。

 娘を嫁に出す。

これはもう、娘がいなくなるのに近いものだと思っています。

何年も前から家を出て一人住まいしている娘です。
でも何か用事があれば二人で食事をすることも、家族みんなで帰省することもできた。
それがこの先、できなくなるんだろうなぁと思います。
恥ずかしい話、昨年娘と食事したレシートをいまだ財布の中に取ってあります。

 昨年、父が亡くなりました。
亡くなる前、遠くに住む父を見舞いに行きました。
仕事の都合から見舞いに行けたのは私と娘だけ。

まだ結婚を聞かされていない私に、娘との二人旅は誰がくれたプレゼントだったのでしょう。
父だったのか、それとも神だったのか。

 私は十字架を背負っています。
妻を育ててくれた義父に償いきれない罪を犯してしまいました。
結婚後、忙しいあまり義父に妻を会わせてあげられなかった。そして義父はそのまま他界。
そんな私は余計に、今後娘を頼ってはいけないのだと思っています。

 とはいえ、めでたい話です。
老人ホームの母に早く伝えたかった。もちろん娘から母に。
若い二人はまず2月、こっちの家に挨拶に。そして4月にあちらの家に挨拶に行きました。

挨拶が終り正式に結婚へ向かい、手紙で母へ報告した娘。
そのときの母、様子を老人ホームの寮母さんに電話で聞きました。

「しっかりしているねぇ。」

母は昭和ひとケタ生まれです。が高学歴です。
娘の性格、目立つ方でなく控えめ
いろいろありますがそんな娘の結婚を一番的確に、しかもたったひと言で表現した名言だと、笑ってしまいました。








posted by CSおじさん at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2019年05月05日

バイクの習性

へえ、、

(YouTube:綾人サロン)






2019年05月02日


2019/02/02「敬語があふれる時代」にも少し書いているのですが。

いまだにブース内ではライバル企業に「様」を付けて電話案内しているのが気になります。
今の業務は、そのライバル企業と契約しているお客様を、こちらの企業の契約に切り替えてもらうことです。

発信業務をおこなっているセンターには大抵「スクリプト」なる台本があり、あるセンターではスクリプトに書いてある通りに話しなさいとか、またあるセンターではスクリプト通りでなくても良いとか様々です。

今のセンターはスクリプト通りでなくてもよく、私はスクリプト無視で話しています。
他のオペレーターたちもスクリプト通りに話している人は少ないように感じます。
しかし、スクリプトに〇〇〇〇(会社)様と、「様」が付いているから困ってしまいます。

そのせいか、そうでないのか、ほとんどのオペレーターたちがライバル企業を「様」付けで呼んでいます。
それがおかしいと思うのには二つの理由があります。

一つはなぜ、ライバル企業に敬称を付けるのかということ。
“敬称”だから敬(うやま)っているのですね。
しかし仕事はそのライバル企業のお客様を横取りすることです。

・相手がたとえ法人であろうと、大切なお客様を奪うのが敬っていることになるかです。

もう一つは、仮に私たちのクライアントがA社としましょう。そしてライバル会社がB社とします。
B社の顧客を私たちA社に引っ張ってくるのが仕事です。

お客様の立場からすると、私どもA社から〇〇様と敬称で呼ばれるのは至って当たり前です。
でもそのお客様はまだB社のお客様でもあります。
ということはB社よりもお客様の立場が上です。

なのに「B社様」と、自分と同等に呼ばれたら好い気はしないと思います。
少なくとも私ならそうです。

・お客様とお客様が使っている“業者”を同じく“様”付けで呼ぶなってことです。

この誰構わず様を付ける風習は5年前にはあったと思います。
あのときは大手通信会社の受信をしていました。

大手通信会社といっても回線はNTTを使います。
そのため回線工事の日程はNTTの都合に合わせます。
そこでもオペレーターたちは「NTT様」と呼んでいました。

 先日、私は携帯のキャリアを変えたことから、ネットの業者も変えました。
元の業者を解約するため、電話しました。
業者は撤去工事が必要と言います。そして撤去工事は「NTT様」がおこなうというのです。

それを聞いてやはり、私は少し不快に思いました。
だって私はあんた(ネット業者)の客だけど、NTTのお客様でもあるのですから。

 “スクリプト”はクライアントか、請け負っているコールセンターが作成します。
作成するのはそこそこの立場である人間でしょう。
現場の人が作ったとしても、上の役職である人の許諾は受けているはずです。

悲しいのは携わった、そこそこの立場である人間が、そこまで配慮できていないということ。
そしてまた、鵜呑みにしてそのまま読んでしまうオペレーターたちも、何も考えていないことです。





2019年04月15日

ママ友


 昨日のことです。仕事が終り帰り道。バスを降りようとしたときです。

私の前に3組の、恐らくママ友がいました。
ひと組目は二人の子供を連れており、ジャラジャラと札を小銭に両替します。
ふた組目は子供が一人。ICカードにチャージを始めました。
そして三組目は小銭の投入口へ子供の手から入れさせようとしています。子供は一人。

 なぜ?
気が利かないの?
後ろで待っている人たちに。

子供は幼稚園か、もしかするともう少し小さいかも知れません。
小学生には見えなかったので、バスの乗車は無料でしょう。
なら、運賃はお母さん一人分で210円です。

ひと組目、
210円くらい、小銭を用意してからバスに乗れ!

ふた組目、
バスを降りるときにチャージしないで、オートチャージにしておけ!
小さい子連れなので信号待ちの間にチャージするのが無理なのはわかります。
けど、バスを降りるとき、停車時間を延ばしてまでチャージする者が多すぎる。
私なら他の乗客に申し訳なくてできませんね。だからオートチャージにしています。

さん組目、
そんな小さな子供に入れさせてどうする?
お母さんが抱っこしなければ精算機まで届かない子供です。
お母さんにすれば、バスの乗り方“教育”と思っているのかも知れません。
でも、そんなに小さな子供にはまだ社会勉強は無理でしょう。
あるとすれば、お母さんの“自己満足”。

その三組が降りるまで私は2〜3分待たされました。
昨夜は買い物がなかったので良いのですが、あった場合、店の閉店時間ギリギリなので、もっとイラっとしたでしょう。

 何かが足りない。

思うのですが、
「こうしたら、人はどう思うのだろう?」
そう自分の行動、言動に気遣いができない人、増えてきたように思います。





posted by CSおじさん at 14:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 通勤

2019年03月31日

ちょっとな〜...


 いま発信で獲得業務をしています。

北海道から関西地方へ架けているのですが。
ちょっとな〜と思うことがあります。
はっきり言うと、許せません。

獲得の発信をするところでは必ずあることです。
電話を架けて、説明して納得いただいて、獲得する。
しかし、初めて電話がつながって話をして、その場で決まらないことがあります。

例えば申し込みに必要な事柄を確認しなければならないとか、家族の承諾を得る必要があるとかです。
また、外出先や仕事中など申し込みにかかる時間が取れないときなど。
そんなとき、後日に架け直す約束を交わします。

それは“確約”とか“検討”とか、センターによって呼び方は違うにせよ獲得で発信するところには必ずあります。

「では明日、11時にまたお電話します。」
とか
「来週、日曜日の同じ時間に架け直します。」
とか。
また、お客様から
「明日の夕方、また電話してください。」
など。

“ちょっとな〜”と思うのは、今の業務に就いてから、架け直しがつながらないのです。

今日もそうでした。
今日、架け直すと約束したのは8名でした。
8名に電話して、何名つながったと思います?

一人ですよ。

あとは全部、コール音のみか、留守電です。
前回架けたときには「加入します」と言ってくれたんですよ。
ただ、申込するのに書類を確認しなければならないとか、出先で時間がないとか。

8名に電話して一人しかつながらない。
はっきり言って、“無視”しているとしか考えられません。

電話では「加入します!でも明日にして下さい」など、約束しているんです。
一度決めたことは、そうして下さい!

私は一度口にしたことを守らない人間が大嫌いです。


 今まで獲得で発信するセンターには何ヵ所も勤務してきました。
どこでも“約束”、“後日”というのはありました。
しかし、
ここまで約束した電話に出てくれないのは、このセンターが初めてです。
それが、相手が関西なのです。

関西人には失礼ですが、私はいま関西人を疑っています。

ひどい!





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