2019年02月13日
転リース
転リースとは、リース物件を第三者にリースする、いわゆる“また貸し”です。
通常、また貸しはリース契約で禁じられているものの、リース会社の許諾を得ることで認められます。
例えば官公庁がパソコンを購入することを考えてみましょう。
パソコン1台30万円として、少人数の事務所で購入する場合、30台とすると30万円×30台=900万円です。
しかし一括で購入するなら900万円という予算は高額で、簡単に予算付けできるものではありません。
また官公庁は基本、単年度決算ですから何年も使うものを一括購入するのは好ましくありません。
個人で1台購入するなら、クレジットやカードの分割払いが考えられます。
これと同様に、900万円を分割できると便利です。
が、単年度決算の官公庁では何年にも及ぶクレジット契約は結べません。
さらに官公庁は地元の企業で調達できる場合、地元企業を優先させる責務がありました。
リース会社があるのは大抵、都市部です。
そこで地元企業はリース会社と契約し、リース物件を官公庁に賃貸借契約するという転リースをします。
企業とリース会社は5年契約であったとしても、企業と官公庁は毎年単年度で契約を更新していきます。
官公庁暗黙の承諾で5年、更新すれば企業とリース会社との契約も終了します。
私がいた会社でも転リース物件がいくつもありました。
ところがいろいろあり、会社が存続できなくなりました。いわゆる倒産です。
転リースは官公庁と企業との契約だったのが、企業がなくなるのです。
そこで想定し得なかった例外として、官公庁とリース会社との直接契約に切り替えてもらいました。
しかし、すべての官公庁がその例外を受け容れてくれたわけではありませんでした。
ある役所では契約書の業者がなくなったのだから、契約自体白紙だといいます。
そしてリース中のパソコンはみな返却、新たな業者と新契約との意向です。
確かに筋です。
ですが、その前に先の、
「官公庁暗黙の承諾で5年」
というのがあります。
暗黙というのは、単年度予算の官公庁に対して元は5年リースだよ。
という前提を表に出せません。
よくある、
「本契約は5年間自動更新される」
などとは謳えないのです。
しかし、そこは紳士協定で暗黙だったのです。
いくら紳士協定であっても、業者がなくなってしまったのでは暗黙もへったくれもないという考えもあるでしょう。しかし、
なくなった業者に対して何をしようと構いませんが、リース会社は返品されても困ります。
他の官公庁はそのことを踏まえ、例外の直接契約をしてくれました。
また、その強行に出た役所の思惑は見え見えでした。
現在の転リースを破棄し、新たにリースを組めばパソコンが一新されます。
当時はパソコンの進歩も今より急激で、“日進月歩”ならぬ“秒進分歩”といわれていたのです。
見方を変えれば、リース会社が困ろうと知ったことではない。
我々が新しいパソコンを使えればそれだけで良い。
きっとそんな考えだったのでしょう。
また事務担当者はそういった意見を収束させる役割だと思います。
が、そのときの担当者はサムライ、、いや、紳士ではないサムライでした。
役所とリース会社とに挟まれ、社長はそこで“あぐら”をかいてしまっても良かったと思います。
しかしリース会社を裏切ることはできませんでした。
取引のあるリース会社は数社あったと思います。
しかし社長は他のリース会社に鞍替えすることなく、一社とだけ組んでいました。
官公庁といってもいくつもあります。
国の機関、都道府県の機関、市町村の機関など。
その役所は都道府県の機関でした。
北海道なので、道の機関です。
困った社長は知人の道議会議員に相談したようでした。
わかり易いものです。
翌朝、その役所から電話があったといいます。
リースを白紙に戻さないで、そのままリース会社と直接契約しますと。
2019年02月12日
私的流用
“第二原図”ってご存知ですか?
別名“デルミナ感光紙”と呼ばれた、図面の“原図”です。
よく図面を描く役所で使われていました。
図面は手書きで原稿が描かれ、コピーして使います。
A4判とかB4判といったものでなく、A1とかB2といった大判です。
今だったら白い普通紙コピーが大型になり、原稿をそのままコピーできるのでしょう。
でもまだ当時は大判のコピー機もなく、大きな図面は“青焼き”という大型の機械が使われました。
これは光で原稿を透過し、描かれた部分は光を通さないので黒く、それ以外は白くする、“日光写真”の原理を利用したコピー方法でした。
原稿は鉛筆で描かれ汚れやすく、第二原図にコピーすることで次の原稿として利用できます。
原稿が第一原図なら、原稿から起こす“第二原図”だったのです。
この第二原図は841mmや594mmなどの幅で巻かれており、50m巻きや100m巻きがあったと思います。
841mmや594mmというのは、841mm幅なら594mmで切るとA1判になり、594mm幅なら841mmで切るとA1判、420mmで切るとA2判です。
素材は半透明なフイルムで重く、非常に高価なものでした。
841mm幅で100m巻きだと35,000円くらいしたと思います。
昨夜の続きになりますが、この第二原図が“化ける”のです。
化けるとき、1万円くらいのものは980円のファイル10冊で9,800円です。
しかしこの第二原図が化けると、10巻で35万円です。
ファイル10冊で電卓なら、第二原図10巻だとパソコンです。
でも実際には当時、ノートパソコンならもっと高額でした。
では、ふた月にまたがり第二原図20巻を買うとどうなるか。
パソコン本体と拡張機器まで買えそうです。
当時というのは今から30年近く前です。
今ならオフィスにはひとりに一台ずつパソコンが並んでいます。
しかし30年近い昔にはどうだったのか。
確か事務所には一台の大型ワープロ専用機が置かれ、皆で共有していました。
職員の机の上にはパソコンはおろか、ワープロ専用機も置かれていなかったように思います。
帳簿は手書きされ、今のように事務作業はオートメーション化されていなかった時代。
そんなとき、納入されたパソコンは誰が使っていたのか。
職員の机の上にはワープロ専用機もなかった時代に、パソコン1台。
それがもし、事業所で使われる専用システムだったとしましょう。
なら、果たして化ける必要がどこにあったというのでしょうか。
官費で購入した第二原図がパソコンに化け、個人に流用されたことが考えられます。
2019年02月11日
備品費と消耗品費
よく“化ける”という言い方をしていました。
けっこうどこの官公庁でもやっていました。
伝票と違うものが購入されていたこと。
官公庁が物品を購入する予算には、消耗品費と備品費に分かれていたりしますね。
当時の金額でいうと、10,000円未満のものは消耗品費で、それ以上は備品費。
たとえ1,500円であっても印箱(ゴム印を差し込んで立てておく箱)はずっと使えるものだから備品です。
備品費で購入するときは課長決済が必要だけど消耗品費ならいらないとか、備品費で購入したものは備品台帳に記入が必要だとか手続きが変わってきます。
なのでなるべく消耗品費で購入したいもの。
私が営業をしていた頃は電卓も事務用だと1万円以上するものがたくさんありました。
だから備品費で購入しなければなりません。
しかし備品費は手続きが面倒なことから消耗品費で購入できると便利です。
なので、伝票上で“化ける”のです。
電卓1台が12,800円だとすると、伝票に980円のファイルが10冊と、300円のポストイットが10個と書けば12800円です。
こうすると電卓が消耗品費で買えるのです。
今だったらどうなのでしょう。
POSシステムで仕入れから販売まで単品管理ているところでは無理ですよね。
当時は手書きの伝票で仕入れから販売まで単品ごとに管理されていません。
仕入れた電卓が1台売れたのに、ファイルが売れたことになってしまうと在庫に狂いが生じます。
手書き伝票でどんぶり勘定だったからできたことでしょう。
と、
これはまだ良い方ですね。
好ましくないのは、これが“日常化”してしまう“感覚”です。
職員「電卓1台持ってきてくれ」
私「消耗品で買うんですか?」
職員「そうだ」
私「じゃあ、いつものですね」
この「化ける」は、いろいろなものが化けていました。
女子職員の制服だったり、食器だったり、
バーベキューのオードブルが化けたこともありました。
確かバーベキューは夕方からで、夕方に納入するまで預かっていました。
預かっているうちに“ウニ”の鮮度がだんだん落ちていったのを憶えています。
2019年02月10日
財源(続、出張販売)
昨夜の続編です。
読んでいない方は、
2019/02/09「出張販売」を一読ください。
タバコというのは利益が少なく、自動販売機は高額なため、小さな事業所に置くにはリスクを伴います。
知人にタバコ屋がおり、そこでは国道沿いの店舗前に販売機を置いていました。
一日の販売額を聞くと、約25,000円と言っていました。
当時の単価だとだいたい100個ですね。
まだ“タスポ”のない時代には私も販売機でタバコを買うことがよくありました。
タバコの利益は1割。知人の店舗前だから出張販売ではありません。
2%の手数料を考えなくて良いのです。
25,000円の1割は2,500円、一年365日で912,500円。
20銘柄で180万円くらいの販売機でも2年で元を取れます。
元を取るまで180万円の出資が難しいなら、リースにすれば良いのです。
多少の金利はかかりますが。
このくらい売上げを見込める場所であれば販売機に投資する価値もあります。
しかし、官公庁の出張販売でタバコの利益から販売機代を捻出するには無理がありました。
結果、官公庁が財源を賄ってくれました。
官公庁には担当者がいます。
そういった事務関係のことを扱う係です。
担当者は販売機の入れ換えについて、職員の要望をかなえる立場としての“面目”があります。
事務の係だから予算を動かす権限があるのでしょう。
しかし予算を動かすといってもタバコの自動販売機です。
私には、公費、、、もとは税金を使ったとしか考えられないのです。
また警察署にワープロを納めたことがありました。
そのときも財源不明。
もともと警察署とは取引がなかったので、はっきりしたことは言えません。
ただ、「あれ?」と思ったのは、ワープロの代金は、現金を封筒に入れて渡されました。
いろいろな官公庁と取引がありました。
普通、官公庁からの入金は振り込みか小切手です。それ以外は聞いたことがありません。
公費を支出するのに現金で、というのは不自然な気がしてなりません。
タバコの出張販売について、別なリスクもあります。
利益の少ないタバコを売る上でのリスク。
実際にあったことで、職員数が少ない現場に出張販売するとき、
「この銘柄は○○さんが吸うから置いている」
ということが当然のように起こります。
問題はその職員が吸うタバコの銘柄を変えたいときです。
手販売の出張販売なら、担当者が考慮の上「在庫がなくなるまで変えないで」と内部で気遣ってくれます。
しかし自動販売機であれば、そうはいきません。
出張販売先から
「販売機の中身を入れ替えて」
となります。
すると、その時点で販売機に残っているタバコを引き上げなくてはなりません。
その銘柄が一般的なものなら店舗で売っても良いんです。
しかし、銘柄を変えたがる人は、往々にして個性を出したいため、マイナーなタバコを変えるのです。
マイナーなタバコは店舗に置いても売れません。
また、タバコは返品できません。
タバコ屋が行き先のない在庫として引き取るのです。
タバコの原価は90%。
仮に200円のタバコとして仕入れ値は「9掛け(くがけ)」だから180円。
自動販売機はひと銘柄あたり60個くらい装填できるものでした。
40個残っていたら、40×180=7,200円。
まだ良い(マシな)ことには、タバコをやめるのではなく銘柄を変えるのです。
次のタバコ代で回収できます。
しかし8%の粗利益。200円のタバコなら一つ16円。
7,200円の返品タバコを16円で返すなら450個売らなくてはなりません。
言い換えれば、引き取った不良在庫の元を取るのに、450個を売るまで利益がないのです。
450個といえば約、段ボール一箱分です。一銘柄は段ボールに500個入っています。
いまだに“定価”があって、わかり易い商品であるタバコ。
でも、ちょっとしたイレギュラーがあると、利益がなくなる商売です。
次回はもっとイケナイ公費の使われ方です。
2019年02月09日
出張販売
今では“タバコ”も嫌われ者になり、喫煙者は肩身の狭い思いを強いられるようになりました。
タバコを売るときに“出張販売”というのがあります。
今では制度が変わっているかも知れません。
あくまで私が知る時代の話です。
タバコを吸ったことのない人は馴染みがないかも知れません。
今ではめっきり少なくなりましたがタバコの自動販売機ってありますね。
タバコ屋さんの前に置いてある販売機は対象ではありません。
しかし自動販売機は普通、タバコ屋と関係のない場所に置いてあることが多くあると思います。
例えば、居酒屋さんとかカラオケボックスとか駅とか。
その自動販売機に問合せ先のシールが貼ってあるのをご存知でしょうか。
その自動販売機が“出張販売”です。
貼ってあるシールに記された店が設置しています。
また出張販売は自動販売機を使わず、職員が手で販売することもあります。
労働組合、職員組合などが多いかと思います。
出張販売先にはタバコ屋さんが手数料を払います。
毎年年末に、入金額の合計に2%、ないし3%をかけた額を手数料として渡します。
自動販売機を置いているところには2%を。
手販売するところには3%を払います。
手販売は手数料、自動販売機は電気代ということでしょう。
タバコの粗利益は10%です。
さらに手数料を払うと、7%か8%になってしまいます。
これは大変に低い利益率です。
昔の話です。
ある官公庁の出先機関にタバコの自動販売機を置いていました。
出張販売です。
出先機関だから職員数は30名くらいだったでしょうか。
昔はタバコの銘柄も種類が少ないときでした。
私が子供の頃など、タバコといえば“日本専売公社”の国産のみ。
チェリー、セブンスター、ハイライト、ショートホープ
この四つがあれば、だいたいカバーできた時代です。
だからタバコの自動販売機も4種類くらいしか売っていなかったし、それで十分でした。
ただ、これは大昔の話です。
官公庁の出先に置いていた販売機は確か6銘柄くらいのもの。
ところが当時、輸入たばこが解禁になり、国産たばこも負けじと種類を増やした時代でした。
種類が増えると人は個性を競うようになるんですね。
「自分は○○○○を吸っているんだ!」
6銘柄ではぜんぜん足りなくなってしまいました。
人数少ない出先機関でも職員の個性をカバーできなくなりました。
また古い自動販売機だったので、1982年に登場した500円硬貨が使えなかったのです。
そこで出先機関から打診されます。
銘柄の多い、新しい販売機に替えてくれないかと。
しかし自動販売機は高額です。
6銘柄でも当時確か50万円くらい。
12銘柄だと120万円くらいしました。
考えて下さい。
出張販売だと8%の粗利益です。
当時のタバコは確かひとつ200〜250円くらい。
250円の8%は20円。
ひとつ売れて20円の利益です。
もし120万円の販売機を20円の利益で充当すれば、6万個売らなければなりません。
当時、週休二日になっていたかどうか、憶えていません。
もしなっていなかったとしても、稼働日は一年365日として約300日。
まだ喫煙率の高い時代、仮に20人が喫煙者だとして一日一箱吸うと、一年で6,000個。
販売機代を回収するのに10年かかるのです。
また3年で回収するなら、一日ひとり3箱以上吸ってもらわなければなりません。
採算が合わないとはこのことです。
断りたいタバコ屋と、替えて欲しい官公庁。
そしてどうなったかというと、自動販売機は中古を購入。
確か50万円くらいだったと思います。
それでも50万円は負担したくなかったタバコ屋。
その50万円は官公庁が負担したのですが、財源はどこだったのでしょうか。
2019年02月08日
談合(後編)
新しい施設などができると、備品の購入など入札が行われます。
入札が公示されると説明会に各社の社長が出席します。
説明会では購入する物品のリストが配られます。
リストには物品のメーカーや品番などが書いてあります。
ときにはメーカーと品番が書いてあり、その“同等品”という場合があります。
各社、取引先により得意不得意なメーカーがあるので、同等品の場合は得意なメーカーで入札します。
しかし同等品でなくメーカー指定であった場合、すでにその時点で“勝負あり”ともいえます。
各社、得意なメーカーがあります。
毎年暮れになるとメーカーから総合カタログが発売されます。
各社、得意なメーカーのカタログを得意先に配ってまわり、必要なときに使ってもらうものでした。
一冊1,500円くらいする分厚いカタログを、各課にメーカーごと数社分を置いて歩くのです。
勝負ありというのは、入札リストがメーカー指定であった場合、もう落札すべき会社が決まっているのです。
新たに施設ができる場合、半年とか、早ければ年度をまたいで事前にわかっているときがあります。
その情報をもとに、各社では担当課に営業をかけます。
メーカー指定があるというのは、そのメーカーを得意とする会社の営業努力が認められたのです。
もっといえば、施設ができるという情報をいち早くつかむことがすでに営業努力と言って良いでしょう。
そして“談合”が始まります。
思うと大胆にやっていたなと思うのは、社長さんたちが一堂に会すのです。
場所はある社の中であったり、喫茶店であったりしたと思います。
狭い町で、ある業種の社長たちが集まればすぐにバレると思うのですが、そこは寛容な昔だったのでしょう。
そして社長たちの奪い合いが始まります。
リストを見ながら、
「この商品はうちで落札する!」
と、いうのは仲の良い方で、大抵は
「全部うちが落札する」
のぶつかりあいです。
ただ、
先のメーカー指定があった場合は、他の社長たちも企業努力は認めているので、ある程度“平和”に終わります。
そして入札があり、落札する会社が決定。
施設ができあがり、物品が納入されます。
そして官公庁などから入金があると、落札した会社は粗利益を等分して各社に振込みます。
利益は各社同額です。
すると落札した会社は納入する手間暇を損すると思いがちですが、メーカーに対して“実績”ができます。
なので、それでよしとしていたようです。
“予定価格”が官公庁から漏れることは普通、ありませんでした。
しかし当時は“定価”が決まっていたので、業者ではだいたい“何割引”とわかっていました。
予定価格内で納まり、業者も利益を等分します。
これが“談合”です。
もちろん、絶対にやってはいけないことです。
でもこういった均衡状態がいつまでも続くわけではありません。
“同等品”とあったとき、さらには会社の資金繰りもかかわってくると“是が非でも”となります。
そうなれば“談合”も決裂します。
すると当然、分け前もありませんから各社、だいたい原価(仕入れ値)で入札します。
原価で落札しても利益はありません。しかしメーカーに対して実績をつくるとか、売り上げが欲しいとか、資金繰りがかかわってくれば利益よりも落札するのが大切です。
もし資金繰りに切羽詰まった会社であれば原価を下回ってでも落札するか知れません。
そういう状況であれば、仲良く談合して少しの“配当金”を手にするより、赤字でも落札して売上げが欲しいかもしれないですね。
官公庁にすれば予定価格より大幅に安く購入できるので助かるのでしょう。
“談合”をしてはいけません。
しかし“談合”がなければ“利益”もないでしょう。
“入札”や“見積もり合わせ”にかかわった人間として肌で感じます。
“必要悪”という言葉はありますが、談合を必要悪という言葉にして逃げるのは良くないと思います。
ですが、同時に利益のない商売を強要されるのもどうかと思います。
と、今日はグレーに終わります。
“ブラック”な話はまだあります。
2019年02月07日
談合(前編)
昔、営業をしていたことがあります。
コールセンターもいろいろ面白いことを経験できますが、世間を知るなら営業の方が良いかも知れません。
まず“談合”です。
特に役所では備品や消耗品の購入方法は二つあります。
“随意契約”と“競争入札契約”です。
“随意契約”は、官公庁が発注する際、任意に業者を決めることができる契約です。
主に10万円以下とか、ファイル、コピー用紙といった消耗品を注文する場合です。
“競争入札契約”は、官公庁が安価で購入するため、競争原理を利用して業者を決める契約です。
ただ、
私が携わっていた“販売”の仕事は大きなものではありませんでした。
例えば公共事業や工事といったものでなく、大きくても1千万円未満の取引でした。
なので、実際には“競争入札契約”より、“見積もり合わせ”が大半を占めていました。
この“見積もり合わせ”も競争原理を利用しているには変わりません。
違いは契約額が“見積もり合わせ”は少額で、業者も発注側が信頼できる数社に限られることです。
また“見積もり合わせ”は必ずしも最低価格の業者が契約できるとは限らないようです。
しかし、私が知っている限りでは最低価格の業者が契約をしていました。
私は当時、僻地で仕事をしていました。
人口も少ないので、官公庁と業者間に公平性が少なかった気がします。
人口が少ないから契約の金額も少額。
すると随意契約が増えるので、官公庁の担当者はお気に入りの業者を選定することが多かったのでしょう。
そんなとき、印刷機の購入のため、見積もり合わせをする文書が届きました。
相手は高校です。
取引がなかったところなので、営業をかけている最中でした。
なので全力投球します。
印刷機を納品できれば、インクや消耗品等の受注は優先されるはずです。
それを足掛かりにできればと考えました。
高校が新規の取引先になれば、印刷機本体の利益などなくてもいい。
印刷機メーカーと相談して、これ以下はないだろうという金額で見積書を提出しました。
メーカーが提示してきた金額です。
これを下回る金額というのはあり得ないものでした。
しかし、契約には至りません。
落札額を聞いても教えてくれるわけはありません。
そのときに学んだ用語が “下をくぐる” という言葉。
“見積もり合わせ”は業者を選べるという“随意契約”に近いものです。
そのため、私のいた会社の見積書を、競合業者に見せたのではないかという結論になりました。
“競争入札契約”なら、全社がそろった会場で入札します。
ですが、“見積もり合わせ”にも期限はあるものの、業者が一堂に会すわけではないので、本当に期限が守られたかどうか、官公庁の担当者しか知り得ないのです。
業者間で手を組むのが“談合”です。
発注者と業者が手を組むと“癒着”ですね。
また続きも書いてみたいと思います。
2019年02月06日
新聞の“おくやみ”欄
新聞の“おくやみ”欄って見ていますか?
私は毎朝見るようにしています。
ただ、旅へ行くなど4泊くらいして帰ってきたときは溜まっており、けっこう時間がかかります。
目的は世話になった人に何かなかったかの確認です。
親しい人であれば電話か何かで連絡が入ってくるでしょう。しかし
そこまで深い付き合いでなくても、亡くなったことは知っておきたいものです。
すべての知人に対してではないにしても、香典を持って参列することもあるでしょうし、遠くの場合、送る人には送るし、故人の近くの知人に立て替えてもらうこともあります。
もちろん死んで欲しい人などいる訳がありません。
おくやみ欄は地域別に載っていますね。
見るときは地域ごとに
「○○○○さんは載っていないこと。」
と、知人に不幸のないことを祈りながら見ています。
ちょっと変わってますよね。
「載っていないこと」という確認方法が。
それでも地域ごとに知人すべて把握しきれてはいないので、想定を超えて知人が載っている場合があります。
おくやみ欄を見るようになったのはいつ頃だったのか、憶えていません。
初めは誰がいつ頃亡くなったというのを記憶できていました。
それがだんだんと
「いつ頃だったっけ?」
になり、今ではへたをすると
「誰だっけ?」
になりかねません。
苦し紛れに今では知人がおくやみ欄に載ると、そこを写メするようになりました。
これは本意ではありません。
だって、あまり人聞きの良いことではないですよね?
しかし、忘れてしまうのは返って失礼になるだろうと、写メに頼ることにしています。
2019年02月05日
因果
“因果”とはつくづく面白いものです。
“因果”という言葉自体はあまり良い意味で遣うものではないのでしょう。
仏教では前世も含めて、自分のした行為は必ず我に返ってくるものだとしています。
逆の言葉で“情けは人の為ならず”というのもありますね。
これは他人にしてあげた善行は、周り回って自分に返ってくるというものですね。
先月、派遣先を急に辞めてしまった私。
12月から本命のセンターに出向するため、11月から別のセンターへ“つなぎ”で派遣されました。
1社目は言葉遣いに関してうるさい。小休憩は一日にたった一度だけ。
タバコを吸うにはエレベーターで大移動。
そのことを派遣元に告げたところ、
「じゃあ他のセンターに移りましょう!」
と。
私は
「お互い派遣先に対して大丈夫?」
と気づかいしましたが、
「大丈夫。うちは派遣先に対して実績があるから。」
と。
そして2社目にまた“つなぎ”で派遣されました。
辞める前提という後ろめたさがありながら、本命であるセンターの始まる前日まで勤務しました。
“本命”というのは時給が高いから派遣会社とも、お互いに取り分が大きいのです。
そして本命であるセンターの研修が始まりました。
私にピッタリのセンターだと、太鼓判を押されていましたが行ってみると、そうではありません。
平均年齢が低く、覚えることも多く、何か私がいるのは場違いな気がしてなりませんでした。
もちろん、私にピッタリだと推してくれた派遣会社の担当者に何の悪意もなかったでしょう。
しかし私より若い人たちが大半を占める業界で、私の気持ちは予想できなかったのでしょう。
本音をいえば、私があなたたちの年齢のときにはもっと大人だったぜ。
という若者たち。
知識の吸収も速いし、私よりも早く戦力になるのでしょう。
その意味で私は悔しいかな歳を取ってしまったと自覚させられます。
でもなぁ、今を比べられると仕方がないけど、私だってあなたたちの年齢だったとき、活躍した。
そして、さらにその上に現在まで経験を積んできているんだよと。
それを理解して話をしているのかい?
確かに若い人は“例外時の対応”とか“補足”とか、いつの間にかきちんと覚えていて、私にはついていけないところもあるんです。
そして、それを指摘してくれるのはありがたいのですが、敬語をつかっても態度がタメなんです。
きっと私の娘と同じか、もっと若いか。
トレーナーにしてもそうです。
いわゆる“ダメ出し”をするときも敬ってきません。
私が若い頃、年上への話し方として考えられなかったことです。
目上が目下にするのは“叱る”です。
でも目下が目上に対しては“いさめる”です。
きっとその違いを知らないのでしょう。
“いさめる”という言葉すら知らないかも知れません。
そして私はそこを辞めることにしました。
その前に派遣会社に私の意思として伝えておきました。
“高をくくる”といいます。
そのときの私はまさにそれだったのでしょう。
“本命”を辞めても、次の派遣先はいくらでもあると思っていました。
しかし、派遣会社に次の派遣先を相談しても相手にしてくれません。
「え?」
理由は、“つなぎ”を替わったからと。
さらに“本命”を辞めたから。
あれ?
“つなぎ”を替わるのは「任せておけ!」ではなかったっけ?
また派遣先で聞いたのは、私の派遣会社が“新顔”だということです。
だから、“本命”に実績を作りたかった。でも私は辞めてしまった。
そのため、担当者は“サジを投げてしまった”そう考えられます。
私はその派遣会社はもうダメだと思っていました。
しかし担当の上司から連絡があり、他の派遣先を紹介してくれました。
私が以前、勤務したセンターのようです。
快諾すると同時に、一抹の不安がありました。
勤怠を悪くした会社だからです。
しかし問題なく手続きは進んでいるようで、安堵していました。
しかし、明日から勤務というとき、朝、派遣先からのドタキャン。
派遣先で私の実績が悪かったというのです。
仕方ない。
勤怠が悪かったのだから、業務実績などあるわけない。
それでも“勤怠”を理由にされるよりいくらかマシでしょう。
明日からまたプー太郎か?
そう思ったところに夕刻、電話がありました。
明日から別の派遣先があると。
なんと、ドタキャンしてきた派遣先のライバル企業です。
私は今、そこへ行っています。
サッカーでいうならチーム移籍、プロ野球ならFAのようだと思います。
相手チームが強豪だった場合、引け目があると思います。
事実、ドタキャンされたセンターにいたとき、ライバル企業がうらやましいと思ったことあります。
しかし今、そこでプレイ、、いや、勤務しているのです。
“捨てる神あれば拾う神あり”
少し前にも同じことを書きました。
でも、捨てたものではないですね。
2019年02月04日
JIN-仁-
JIN-仁- は漫画家、“村上もとか”さんによるスーパージャンプ連載の作品です。
南方仁という医師が江戸時代にタイムスリップして医学に携わる物語でした。
2009年にTBS開局60周年記念|TBSテレビ日曜劇場として第一部。
2011年に第二部が、テレビドラマとして放映されました。
(YouTube:suchaJesson)
(JIN-仁-のメインテーマを1時間、リピートします。)
特に第一部では連載とドラマ放映が同時進行したため、原作ではどうなっているのかとハラハラしました。
主人公の南方仁は“大沢たかおさん”が、ヒロインの橘咲は“綾瀬はるかさん”が演じています。
ふと、思い出したように見てみましたが、ストーリーの設定が緻密なんですね。
またエピソードについ、泣かされてしまうこともあります。
コロリ(コレラ)に感染した男の子が回復したことを聞き、泣き崩れる母、タエ“戸田菜穂さん”。
江戸時代後期に実在した医師、蘭学者の緒方洪庵(おがた こうあん)“武田鉄矢さん”。
洪庵が労咳(ろうがい、肺結核)であることを聞きつけ、見舞いに駆けつける南方仁。
洪庵だけは、南方仁が未来から来たことを見抜いていました。
見舞った仁に洪庵は尋ねます。
「未来ではこの労咳は、治せる病になっておるんですな?」
泣きながら、うなずく仁。
洪庵は二度、「あゝ、あゝ」と言います。
恐らく、ひとつめは進歩する医学へ称賛の「あゝ」。
ひとつは、未来なら自分は死なずに済んだんだという、嘆きの「あゝ」。
第一部の最終話は、不評極まりなかったと思います。
オチのない、中途半端な最終回でした。
第二部の最終話は皆、納得したのではないのかな。
また見たくなってしまう、良いドラマでした。