2019年02月12日
私的流用
“第二原図”ってご存知ですか?
別名“デルミナ感光紙”と呼ばれた、図面の“原図”です。
よく図面を描く役所で使われていました。
図面は手書きで原稿が描かれ、コピーして使います。
A4判とかB4判といったものでなく、A1とかB2といった大判です。
今だったら白い普通紙コピーが大型になり、原稿をそのままコピーできるのでしょう。
でもまだ当時は大判のコピー機もなく、大きな図面は“青焼き”という大型の機械が使われました。
これは光で原稿を透過し、描かれた部分は光を通さないので黒く、それ以外は白くする、“日光写真”の原理を利用したコピー方法でした。
原稿は鉛筆で描かれ汚れやすく、第二原図にコピーすることで次の原稿として利用できます。
原稿が第一原図なら、原稿から起こす“第二原図”だったのです。
この第二原図は841mmや594mmなどの幅で巻かれており、50m巻きや100m巻きがあったと思います。
841mmや594mmというのは、841mm幅なら594mmで切るとA1判になり、594mm幅なら841mmで切るとA1判、420mmで切るとA2判です。
素材は半透明なフイルムで重く、非常に高価なものでした。
841mm幅で100m巻きだと35,000円くらいしたと思います。
昨夜の続きになりますが、この第二原図が“化ける”のです。
化けるとき、1万円くらいのものは980円のファイル10冊で9,800円です。
しかしこの第二原図が化けると、10巻で35万円です。
ファイル10冊で電卓なら、第二原図10巻だとパソコンです。
でも実際には当時、ノートパソコンならもっと高額でした。
では、ふた月にまたがり第二原図20巻を買うとどうなるか。
パソコン本体と拡張機器まで買えそうです。
当時というのは今から30年近く前です。
今ならオフィスにはひとりに一台ずつパソコンが並んでいます。
しかし30年近い昔にはどうだったのか。
確か事務所には一台の大型ワープロ専用機が置かれ、皆で共有していました。
職員の机の上にはパソコンはおろか、ワープロ専用機も置かれていなかったように思います。
帳簿は手書きされ、今のように事務作業はオートメーション化されていなかった時代。
そんなとき、納入されたパソコンは誰が使っていたのか。
職員の机の上にはワープロ専用機もなかった時代に、パソコン1台。
それがもし、事業所で使われる専用システムだったとしましょう。
なら、果たして化ける必要がどこにあったというのでしょうか。
官費で購入した第二原図がパソコンに化け、個人に流用されたことが考えられます。
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