2019年05月06日
老婆心
再来月、愛娘が結婚します。
私は酒もタバコも大好きで、娘が選んだ相手は酒もタバコもやりません。
親だから子供の素行にはときに口をはさみたくなります。しかしうるさく思われるばかり。
これ以上注意したら本当に嫌われてしまうと気づいたのは娘が二十歳を過ぎた頃でした。
親からすると子供はいつまでも子供に映るものですが、自分を振り返っても二十歳といえば成人でした。
もう自律しているんですね。
また、成人したといっても“大人”って何を境に決められるのでしょう。
私の場合、本当に大人になったと思えたのは40代でした。
結婚式で親の挨拶に、「まだ未熟な二人」という表現があると思います。
自分を顧みると確かに未熟だったと思います。
だけど幾多の困難に対処できる経験だけは積んでいるのでしょう。
例えばいきなり地上30mに到達するのは無理だけど、まず5mのはしごを立てて5m上り、そこからまた5mのはしごを掛けるというように。
私の歳になると何か困難にぶつかっても、対処する前からもう結果は見えている気がします。
あとは見えている結果に到達するまで、ただ面倒な過程を済ましていくだけ。
でも若いときには見えなかった。それが“青春”なんでしょうね。
娘を嫁に出す。
これはもう、娘がいなくなるのに近いものだと思っています。
何年も前から家を出て一人住まいしている娘です。
でも何か用事があれば二人で食事をすることも、家族みんなで帰省することもできた。
それがこの先、できなくなるんだろうなぁと思います。
恥ずかしい話、昨年娘と食事したレシートをいまだ財布の中に取ってあります。
昨年、父が亡くなりました。
亡くなる前、遠くに住む父を見舞いに行きました。
仕事の都合から見舞いに行けたのは私と娘だけ。
まだ結婚を聞かされていない私に、娘との二人旅は誰がくれたプレゼントだったのでしょう。
父だったのか、それとも神だったのか。
私は十字架を背負っています。
妻を育ててくれた義父に償いきれない罪を犯してしまいました。
結婚後、忙しいあまり義父に妻を会わせてあげられなかった。そして義父はそのまま他界。
そんな私は余計に、今後娘を頼ってはいけないのだと思っています。
とはいえ、めでたい話です。
老人ホームの母に早く伝えたかった。もちろん娘から母に。
若い二人はまず2月、こっちの家に挨拶に。そして4月にあちらの家に挨拶に行きました。
挨拶が終り正式に結婚へ向かい、手紙で母へ報告した娘。
そのときの母、様子を老人ホームの寮母さんに電話で聞きました。
「しっかりしているねぇ。」
母は昭和ひとケタ生まれです。が高学歴です。
娘の性格、目立つ方でなく控えめ
いろいろありますがそんな娘の結婚を一番的確に、しかもたったひと言で表現した名言だと、笑ってしまいました。
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