大変失礼しました。
旅行へ行くと書いて、時間に余裕はあるからなるべくアップしますと書いておきながら、10日もアップできませんでした。
行ってみると、ほぼ時間に余裕がありません。
そもそも行った目的というのは母の見舞いです。見舞いといっても病気を患っているわけではありません。
しかし高齢なので、寝たきりです。特別養護老人ホームに入所しています。
また見舞いと同時に母の部屋にテレビを設置してきました。
前回、母のところへ行ったのは昨年の10月。入院した父の見舞いと、見舞いのあと、すぐに亡くなった父の葬儀のためでした。
母の部屋にテレビというのは私ども家族の切望でした。
2年前、ホームに入所して以来、歩行できなかった母にとってホールにあるテレビを自ら見に行くことができません。アメリカの大統領がトランプだというのもたぶん知らないでしょう。
それを気の毒に思った私たちからのプレゼントでした。
ただ、ホームの方々が言うには、この10月からの約半年で気力が失せてしまったのだとか。
確かに、10月には自分で口に運んでいた食事も今回は介助されてのものになっていました。
若い頃には散々悪いことをした父でしたが晩年は母を慕い、できる限りホームを訪れていた父。
亡くなったあと、普段母を訪ねる者はいません。
寝たきりで、一人で、一日中なにを考えているのだろう?
そう思うと遠く離れた私に手紙を書くことしか考えつきませんでした。
2019/2/14「休止のお知らせ」は、
ブログを書いている時間を母への手紙に費やしたいと思ったからでした。
でも今回、行ってみたことで考えがかなり変わりました。
ホームにはときどき電話をして、母の容態を聞いていました。
でも“百聞は一見に如かず”ですね。
電話で聞いてもホームの職員さんは悪くは言えないでしょう。オブラートに包んだ話になったようです。
母の様子というのは、食事以外ほとんど寝ています。ときどき起きてはまた寝る。その繰り返しです。
ホームの面会時間は午前7時から午後7時。職員に迷惑だろうと思いながらもなるべく付き添いました。
旅館の食事は朝夕ともに6時半からです。
また親戚の仕事が終った頃におみやげを持っていくなど、することは少ないけれど、時間は束縛されていました。
せっかく設置したテレビでしたが、母は全く興味がないようです。
そのホームにはかつて、亡き叔母も入所していました。叔母は晩年、意識もなく見舞っても反応がありませんでした。でも、それがあのときの叔母だったのですね。
すると母だって殆ど寝て過ごす今が、今の母なんです。
ときどき目を覚ましても少し具体的な話、例えば地名などを出すと会話にならなくなるときもあります。
なら、一生懸命に書く手紙だって、どれだけ理解できているのでしょうか。
そう考えると私の出す手紙は、母自身で読むことはできず、ホームの職員が読んで下さるわけですから、ホームの職員さんに負担を強いるだけだと思いました。
だからといって私は母を不幸だとは思いません。
意識がないように見えた叔母だって、立派に人生を全うしたのです。
ブログを休んでいる間、いくつもの話題が浮かびました。
が、歳なのでやがて忘れてしまいます。
前のように毎晩とは参りませんが、またブログを書いていきたいと考えています。
2月14日の休止宣言以来、訪問いただいている皆様に深く感謝します。
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