2015年08月17日
1本5千円のビニール傘を月千本も売る老舗『ホワイトローズ』、その成功への軌跡とは?
ビニール傘と言えば、急な降雨の際に、コンビニなどで購入した経験がある人は少なくないはずです。ワンコインで購入できて、雨をしのげる便利グッズですね。実は現在、そのほとんどが外国製であることをご存知でしょうか。
一方で、お札が数枚ないと買えない高級な国産ビニール傘というものもあり、しかも人気を集めています。こちらの製造に取り組んでいるのは、江戸時代から続く老舗メーカー『ホワイトローズ』の10代目。注目を集める老舗の裏側に迫ります。
食器や調理器具などの問屋が並ぶ東京・西浅草の合羽橋商店街から近い下町の一角に、傘の花が咲いている店があります。それが老舗「ホワイトローズ」。須藤宰さん(60)はビニール傘の開閉を繰り返し、骨組みのチェックに余念がありません。
須藤さんは、ビニール傘について、「使い捨ての象徴のように捉えられているのは残念。ただ、価格では勝負にならない。中身で勝負だよ」と語ります。
先述の通り、ビニール傘市場は、安い外国製がほぼ独占。そんな中、須藤作は最も安くて1本5400円もします。一般的なビニール傘の約10倍ですね。最高値になると、1万2960円で、有名ブランド並みとなっています。
これらの高級傘は、「本当に必要な人に使ってもらいたいから」との理由で、この店舗でしか販売していません。1カ月で1000本作り、ほとんど売れてしまうそうです。入荷を待つ顧客も多いとのかと。安い牛丼店が人気の一方で、高級レストランも予約が取れないという現代日本の“二極化”は、実は、ビニール傘業界にも起きていたんですね。
現在普及しているビニール傘は実は須藤さんの父、三男さんが1950年代に開発したもの。64年の東京五輪で来日した米国人バイヤーの目に留まり、まずニューヨークで大ヒット。その勢いで国内でも売れに売れました。しなかしながら、80年代に入ると安価な中国製が登場し、中小企業が多い国内メーカーのほとんどは姿を消してしまいました。
そんな中、家業を継いだ須藤さん。売り上げは半年ごとに半減。「あしたは何を売って食いつなごうか」と考える毎日だったそうです。シャワーカーテンや洗濯機カバーなどのビニール製品を作ってしのぎました。
転機は80年、都議会議員からの依頼でした。「庶民的なイメージで、顔が見えることにプラスして頑丈なものを」という要望に応えたビニール傘が、各地の選挙の立候補者たちの間でも評判になりました。やがて、宮内庁からも「園遊会で皇族のお顔が見えて壊れないものを」と注文が寄せられました。須藤さんはこうした経験から、安い外国製品が出回っても、「ニーズに合ったものだったら、欲しい人は高くても買ってくれることを学んだ」と話しています。
ホワイトローズは、ただ売るだけでなく環境対策にも取り組んでいます。従来製の素材は塩化ビニールで、低温で焼却すると有害なダイオキシンが発生します。このため、ホワイトローズでは、害の少ないポリオレフィン系樹脂に素材を替えました。骨は折れにくいグラスファイバー製。大雨の翌日、骨だけになって道端に捨てられるビニール傘を、1本でも少なくしようと考案したものです。
実は、ホワイトローズは、江戸時代中期の享保6年(1721年)にタバコ店「武田長五郎商店」として創業された歴史を持っています。その後、雨がっぱの製造に乗り出し、190年間にわたって、雨具製造を行なってきました。10代目の須藤さんは今、2020年の東京五輪・パラリンピックに、新たな商機を見いだそうとしています。
具体的には、「雨の日に来日したVIPが飛行機のタラップを下りる際、出迎えた人がうちの傘を差し出してくれるようにPRしていく」とのこと。
折しも、東京五輪・パラリンピックが開催される7月24日〜8月9日は、都心でゲリラ豪雨が多い時季。透明なビニールの下に顔が見える特長をアピールする狙いです。
安ければ売れるだろうということではなく、品質を限りなく追求することによって付加価値を生み出すという逆転の発想が、成功の秘訣になった訳ですね。
この傘を買って、周りを眺めてみれば、何か違う風景が見えるかもしれませんね。
一方で、お札が数枚ないと買えない高級な国産ビニール傘というものもあり、しかも人気を集めています。こちらの製造に取り組んでいるのは、江戸時代から続く老舗メーカー『ホワイトローズ』の10代目。注目を集める老舗の裏側に迫ります。
食器や調理器具などの問屋が並ぶ東京・西浅草の合羽橋商店街から近い下町の一角に、傘の花が咲いている店があります。それが老舗「ホワイトローズ」。須藤宰さん(60)はビニール傘の開閉を繰り返し、骨組みのチェックに余念がありません。
須藤さんは、ビニール傘について、「使い捨ての象徴のように捉えられているのは残念。ただ、価格では勝負にならない。中身で勝負だよ」と語ります。
先述の通り、ビニール傘市場は、安い外国製がほぼ独占。そんな中、須藤作は最も安くて1本5400円もします。一般的なビニール傘の約10倍ですね。最高値になると、1万2960円で、有名ブランド並みとなっています。
これらの高級傘は、「本当に必要な人に使ってもらいたいから」との理由で、この店舗でしか販売していません。1カ月で1000本作り、ほとんど売れてしまうそうです。入荷を待つ顧客も多いとのかと。安い牛丼店が人気の一方で、高級レストランも予約が取れないという現代日本の“二極化”は、実は、ビニール傘業界にも起きていたんですね。
現在普及しているビニール傘は実は須藤さんの父、三男さんが1950年代に開発したもの。64年の東京五輪で来日した米国人バイヤーの目に留まり、まずニューヨークで大ヒット。その勢いで国内でも売れに売れました。しなかしながら、80年代に入ると安価な中国製が登場し、中小企業が多い国内メーカーのほとんどは姿を消してしまいました。
そんな中、家業を継いだ須藤さん。売り上げは半年ごとに半減。「あしたは何を売って食いつなごうか」と考える毎日だったそうです。シャワーカーテンや洗濯機カバーなどのビニール製品を作ってしのぎました。
転機は80年、都議会議員からの依頼でした。「庶民的なイメージで、顔が見えることにプラスして頑丈なものを」という要望に応えたビニール傘が、各地の選挙の立候補者たちの間でも評判になりました。やがて、宮内庁からも「園遊会で皇族のお顔が見えて壊れないものを」と注文が寄せられました。須藤さんはこうした経験から、安い外国製品が出回っても、「ニーズに合ったものだったら、欲しい人は高くても買ってくれることを学んだ」と話しています。
ホワイトローズは、ただ売るだけでなく環境対策にも取り組んでいます。従来製の素材は塩化ビニールで、低温で焼却すると有害なダイオキシンが発生します。このため、ホワイトローズでは、害の少ないポリオレフィン系樹脂に素材を替えました。骨は折れにくいグラスファイバー製。大雨の翌日、骨だけになって道端に捨てられるビニール傘を、1本でも少なくしようと考案したものです。
実は、ホワイトローズは、江戸時代中期の享保6年(1721年)にタバコ店「武田長五郎商店」として創業された歴史を持っています。その後、雨がっぱの製造に乗り出し、190年間にわたって、雨具製造を行なってきました。10代目の須藤さんは今、2020年の東京五輪・パラリンピックに、新たな商機を見いだそうとしています。
具体的には、「雨の日に来日したVIPが飛行機のタラップを下りる際、出迎えた人がうちの傘を差し出してくれるようにPRしていく」とのこと。
折しも、東京五輪・パラリンピックが開催される7月24日〜8月9日は、都心でゲリラ豪雨が多い時季。透明なビニールの下に顔が見える特長をアピールする狙いです。
安ければ売れるだろうということではなく、品質を限りなく追求することによって付加価値を生み出すという逆転の発想が、成功の秘訣になった訳ですね。
この傘を買って、周りを眺めてみれば、何か違う風景が見えるかもしれませんね。
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