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2012年07月02日
金魚のフン
まゆみさん、どうしても携帯の画像を取り込みたくて、カメラのキタムラに行って
とりあえずプリントしてもらってから、それをデジカメに写しなおそうと考えました。
ところがカメラやさんに行ってみても、SDカードに入っていないのでプリントができない。
「赤外線だったらプリントできますよ」と言われて早速赤外線でプリントしてきました。
さすがに携帯からプリントすると画像が見にくい。
まぁ、これでもいいや。
家に帰ってデジカメに写しました。
ところがっ
いざPCに取り込もうとしたらカメラの電源が切れてしまいました。
何度電源を入れなおそうとしても電源入らない
充電切れ?まさか!まだ充電してからそんなに使ってないし・・・と思いながら、充電器差し込んでみても赤いランプがつかない
マジで故障? つい最近買ったばかりなのに・・・
ネットで買ったから、カメラのキタムラでも保障してもらえないし参った。
とりあえず明日カメラのキタムラに行ってみて何日くらいで直るのか聞いてみよう。
というわけで、今手元にある画像を添付します。
金魚のフンが長〜くつながっているのを時々見かけます。
この前なんか5cmくらいあったかな?
これより長かったと思う。
珍しい(?)ので写してみました。
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2012年07月01日
猫ちゃんの習性
まゆみさんの携帯の中には殿君の面白画像がたくさんあるのですが、色々がんばってみても、ほんの一部しかPCに取り込むことができませんでした。
この画像は殿君が我が家に来る前に殿君を保護してくれていた方から送ってもらった写真です。
左の写真は私が携帯で写して以前の保護主さんに送ったものです。
猫ちゃんってなぜか高いところ、狭いところが大好きですよね。
最近でもカラーボックスを経由して本棚の上に上がるのですが
自分では降りられなくて、にゃーにゃー鳴いて私を呼んで
「降ろしてくれ」といいます。
カラーボックス経由で上がったんだからカラーボックス経由で降りればいいのに・・
どうも降りる方は得意ではないんですね。これが。
よく木登りをして降りられなくなった猫ちゃんの救出の場面を見ることがありますが、
やっぱり高いところは好き。でも降りられない。
これが猫ちゃんの習性なんですね。
2012年06月29日
父の誕生日プレゼント
まゆみさんの娘の命日は、父の誕生日でもありました。
父はとても厳格で厳しい人でしたが、まゆみさんは特にかわいがられていました。
姉、兄、私、妹の4人兄弟で、みんなが父を煙たがっていましたが、まゆみさんは父が好きでした。
まゆみさんの愛情が伝わっていたためか父は特にまゆみさんをかわいがりました。
小学校の3年か4年生の頃でしたが、父の誕生日が運動会と重なりました。
まゆみさんは走るのは早い方ではありませんでしたが、何かと要領がよくて、
障害物競走なら誰にも負けない気がしてました。
障害物競走に立候補して、練習の時にはかなり手加減しながら走ったのですが
トップでゴールインしました。
これはいけるぞ!
そう確信して、運動会の当日
「今日はお父さんの誕生日だからプレゼントに1等賞とるからね!」
そう宣言しました。
父は「誕生日プレゼントに1等賞か!」とすっごく喜んでいました。
そして障害物競走が始まり、本番は手加減しないで2位との差を10mくらい引き離して
ぶっちぎりで1位でゴールインしました。
父も母も大興奮!「まゆみーーっ!まゆみーーっ!!」と叫びました。
父は「俺の誕生日のプレゼントだ。俺の誕生日のプレゼントだ!!」
そう言って誇らしげでした。
すっごく喜んでもらえて、いいプレゼントになったーーとまゆみさんもとっても嬉しかったです。
2012年06月28日
善通寺
今日、6月28日はまゆみさんの娘の命日です。
今月のはじめに香川県の善通寺から1回忌の法要の案内が届きました。
日々娘のために供養してくださっていることに感謝の意を述べてから
生活が困難で香川までの交通費が捻出できないこと、健康面でも香川までの長旅に耐える体力がないこと、
本来ならばたった一人の母親である私がお参りに行くべきところなのに、参列できないことのお詫びの手紙を送りました。
すると下にあるようなものが善通寺から送られて来ました。
ところで、兵庫県で生まれ育ち後に青森に住んで、青森に本籍地のある娘の法要が何故香川県で執り行われているのかと言うと、娘は香川に仕事で転勤しましたが、香川をとても気に入っていました。
「あたしなぁ、生まれ育った明石も、お母さんのふるさとの青森も、ここが自分の居場所だと思った事なかってん。香川に来たらなぁ、あぁ、ここが自分のふるさとや、そう思ってん。」
生前からよくそう言っていて、亡くなる前の日に「あたしが死んだら必ず香川に来るんやで、電車賃だけは工面して必ず来るんやで。それからあたしが死んだらあたしの骨は香川に埋めてな」
そう言い残しました。
「わかった。」とは言ったものの、香川にお墓持ってないし、あったとしても私がお墓参りに行けない。
できることなら分骨して、香川のどこかに納めてもらいたい。
香川に向かう電車の中でそう思いながら、
片道分の電車賃と、家にあったご飯をおにぎりにしたものと、スーツと喪服、それだけを持って旅をしました。
電車の中で香川県警の人が、「葬儀屋さんを呼ばなあかんのですけどね、お母さんお金持ってないんやったら、市役所と連絡取ってもらって手配してもらえんやろか」
そう言われて連絡は取ったものの話が通じない。
また電話が来て、「娘さんの会社の人たちが自分たちで手作りの小さなお葬式をあげてやりたい、そういってますねんけどどないしはります?市役所にたのみますか?会社の方にお願いしますか?」
市役所はあてにならないし、会社の人たちの好意がありがたく、選択の余地はなく会社の人たちにお願いしました。
分骨して香川に骨を埋めてやりたいけれどお墓を持ってないし何とかならないものか
そのことも会社の上司に伝えました。
会社の上司は「風の音」という葬儀屋さんを選んで相談してくれました。
すると「善通寺に行けば永代供養をしていただけますよ」との返事でした。
お通夜には、東京の本社や、福島の上司、兵庫の上司たち、部長や次長の肩書きのつく人たちが社長の香典を預かってたくさん来てくれました。
「風の音」さんの葬儀は形式にとらわれないもの、「娘さんが好きだった音楽はありますか?」
そう聞かれて、ブルーハーツが好きだったこと、母の日には「母賛歌」という曲をプレゼントしてもらったことを話しました。
すると風の音さんは早速それらのCDをレンタルしてもらってきてくれました。
お通夜にはお坊さんを呼ばないで、お経ではなくブルーハーツを流しながら
娘の数々の武勇伝を語り合いながら、私にとっては会社の人たちはみんな初対面の人ばかりでしたが長年苦楽をともにした家族のように親しみを感じながら時間を共に過ごしました。
告別式では「母賛歌」を流しながら執り行われました。
さて分骨したお骨を持って善通寺へ行くと、
「弘法大師のご生誕の地」と書かれた看板がありました。
当時弘法大師に愛着を持っていた私は、娘が私をここに呼んだんだと思いました。
「お母さん、ここがお母さんの好きな弘法大師のお寺やで」と。
娘の会社の人たちにも、風の音という葬儀屋さんにも、善通寺にも
本当に感謝の思いは今でも薄れることはありません。
2012年06月27日
真理探究の道・仏教
今日の七戸は朝は電気ストーブ、日中は扇風機と、冷暖房両方の出番となっています。
山沿いなので寒暖の差が激しいんですよね。
さて、エホバの証人を辞めたとたんにいきなり体調がよくなってそれまでは自分の身の回りのことが何一つできなかったのに、2ヶ月後には社会復帰を果たすことができるようになりました。
店長男前だし、目の保養になるし楽しく仕事をしていましたが、それから2年くらい過ぎた頃に、原因不明でまたまた倒れてしまいました。
いったん仕事を辞めて療養生活に逆戻りしてしまいました。
買い物をしに町へ出かけて、ふと本屋さんの前に来ました。
本を買う予定じゃなかったのにふらっと入っていくと
「般若心経」の本が目について、迷わずそれを手に取り
レジへ向かいました。
何かに導かれているかのように・・・
そして今度は仏教に関心を持ち始め、仏教関係の本をたくさん読むようになりました。
特に、弘法大師・空海に愛着を持ち、弘法大師についてたくさん読みました。
弘法大師は唐の国の言語を学び、遣唐使の一人として危険な船旅をして今の中国へありがたい経典を授かるために留学しました。
そしてたくさんの写字生を雇い、当初20年の予定の留学をたった2年で成し遂げました。
あの中国の言葉といえ、漢字といえ、あんな難しいものを学ぶだけでも大変じゃないですか。
そして、たとえ日本語であったとしてもお経を学ぶことも考えただけでも大変じゃないですか。
弘法大師は本当に天才だったのだと思います。
古代では洋の東西を問わず、ありがたい経典というのは最初は口伝で伝えられました。
そのうち後世に伝えていくために文字に残すようになりました。
15世紀の半ばにグーテンベルグが活版印刷機を発明されたのは有名な話ですが、
実は世界最古の印刷物というのは西暦770年に日本で印刷されたものだそうです。
中国で活字が使われ出してまもなく日本に伝わったものなのだそうです。
東洋では経典として、西洋では聖書として、これを後世に伝えたい、その思いが
印刷技術を生み出したのです。
今日はここまで。
2012年06月26日
真理探究の道・聖書
まゆみさん、実は28歳から44歳までの16年間
あの世界規模のカルト教団
エホバの証人の信者だったんです。
えぇっ?あの輸血拒否で医者泣かせの?
そうなんです。
えぇっ?あの休みの日にゆっくりしたいのにそういうときに限って現れるあの鬱陶しい奴らの仲間?
そうなんです。
えぇっ?あの親が死んでも手も合わせない、線香の1本も上げないあの宗教の信者だったの?
そうなんです。
聖書の解釈が強引で、反社会的な団体ではありましたが
私はそこから多くの恩恵を受けました。
とにかくよく聖書を読んだので、聖書の知識だけは身につきました。
聖書から受けたインスピレーションによって救われた事は数え切れないほどありました。
また信者同士の結びつきが強かったために物質面でも助けられました。
阪神淡路大震災で住みかを失ったときも仮設住宅の入居の手配や
引越しのためのトラックや人手は全部仲間の信者の助けによるものでした。
世界中の信者から多額の寄付を日本支部に送られてきて
被災の程度に応じて現金も支給されました。
国からの義捐金が17万円だったのに対して、協会から私が個人的に受け取った金額は
100万円くらいでした。
彼らには愛がありました。
彼らは伝道や集会への参加を最優先していましたから
多くの人がバリバリ働く能力があるにも関わらず、パートタイムでつつましい生活をしていて
そのつつましい中から多くの義捐金が寄せられました。
離婚して七戸に帰ってきて、4年くらいが過ぎた頃に私は重度の鬱病を患いました。
自分でできることといったら排泄だけ。
食事も、家事も、通院も、全部仲間の信者がやってくれました。
一人ひとりが名乗り出て、「この日の食事は私が担当します」「通院の援助は私がします」と。
カルト教団とはいえ、私は実際に恩恵を受け、彼らがいなければ生き延びることも
できなかったのです。確かに彼らには愛がありました。
それでも聖書からインスピレーションを受けて私はいつも感謝と喜びを感じていましたが
ほかの信者全体も長老たちもそれを分かち合える存在ではありませんでした。
エホバの証人はいったん入信してしまうと協会の教えに疑問を抱いてはいけない。
協会の教えイコール神の教えでした。
私も多くの体験を積むうちに、自分が聖書を理解すればするほど、
協会の教えから遠ざかってしまうことを痛いほど感じはじめました。
エホバの証人のタブーのひとつ、
エホバの証人を辞めた人との交際をしてはならない、挨拶さえしてはいけない、
エホバの証人を辞めた人、つまり協会側から見れば背教者のサイトにアクセスしました。
見る見るうちに目が覚めました。
そのサイトを48時間ぶっ通しで調べまくりました。
「断絶しよう!」
そうと決めたら心がすぅっと楽になりました。
あんなにお世話になったのに、この組織がなければ生き延びることもできなかったのに、
偽者の教えだと確信した以上はとどまることはできませんでした。
かつては、食事、家事、通院の援助のために手を尽くしていただいた長老たちと
再び同じ席で、組織の教えの決定的な間違いについて徹底的に追及しました。
一人の長老は良心的な方でした。私の言葉に一言も反論することはありませんでした。
もう一人の長老は私が幻聴にそそのかされてこんなことを口走っているのだと思ったようです。
どんな風に思われても私にとってはこの組織から自由になったことはすがすがしいことでした。
エホバの証人に入信したことも、断絶したことも私の霊性の進化のためには
必要なプロセスでした。
2012年06月25日
水彩鉛筆画
これは、お兄さんの方の水彩鉛筆画です。
フラッシュをたいたら周りの余分なものが反射してしまいました。
水彩鉛筆画は私も挑戦したことがあって
一揃いで2万円もするような水彩鉛筆を何種類か買ったことがあります。
でも普通の水彩絵の具に比べると鮮やかな色が出ないのが不満で
全然やってませんでした。
この方の絵を見せていただいて、
「あぁ、水彩鉛筆画っていうものは鮮やかな色が出なくていいものなんだ。」
って思いました。
やはり制作に1年はかかるそうです。
「これでは食っていけませんよ。年金でつつましく暮らしています。
芸術家はみんな貧乏なんです。貧乏をしても絵が描ければ幸せなんです。
これでもバックアップしてくださる方がいるお陰で一応は成り立っていますがね」
そう話していました。
2012年06月24日
彫刻
これは七戸在住の彫刻家が彫った彫刻です。
郵便局で展示会があったときに見て、うわぁ、すごい!と思いました。
一本の木からこれだけのものを彫りあげるなんて相当な年月を要したに違いない、
顔の部分のアップも撮りました。
私の撮影の技術が下手なので細部にわたる緻密な部分がうまく写真では
表現し切れませんでした。
実物を見ると本当にすごいんですよ。
これだけの物を完成させれば彫った本人にも愛着があって
誰かが売って欲しいと言ったとしても、
もし私ならきっと手放せないんじゃないかと思います。
自宅兼作業場の場所は知っているので
一度訪ねて行っていろいろ見せていただきたいです。
店先にはふくろうや、大きな龍の彫刻を飾っていたのを何度か見かけています。
最近は店先を通りかかっても作品が見当たりません。
全部売れてしまったのかな?
郵便局で展示会があったときに見て、うわぁ、すごい!と思いました。
一本の木からこれだけのものを彫りあげるなんて相当な年月を要したに違いない、
顔の部分のアップも撮りました。
私の撮影の技術が下手なので細部にわたる緻密な部分がうまく写真では
表現し切れませんでした。
実物を見ると本当にすごいんですよ。
これだけの物を完成させれば彫った本人にも愛着があって
誰かが売って欲しいと言ったとしても、
もし私ならきっと手放せないんじゃないかと思います。
自宅兼作業場の場所は知っているので
一度訪ねて行っていろいろ見せていただきたいです。
店先にはふくろうや、大きな龍の彫刻を飾っていたのを何度か見かけています。
最近は店先を通りかかっても作品が見当たりません。
全部売れてしまったのかな?
2012年06月23日
日本のお線香
日本のお線香は大発社の丹花が気に入っていて、ずっとこれを使ってました。
ピンクのが150本くらい入っていて1050円、グリーンのが1785円と、ちょっと高級なお線香です。
とてもいい香りがします。
左側のは色んな種類のが入っているお線香で、試しに買ってみましたが、
インドのお香を使い出してからは日本のお線香はもったいなくてなかなか使えません。
左側の方は1本づつしか入っていないので、
2cmくらい折って、ちょっとだけ香りを楽しんでいます。
美術展でお茶をもてなしていただく機会がありまして、
そのときいかにも高級そうな香りが漂っていました。
お茶の先生をしている方を訪ねて行って、あのときのお香はなんですか?
どこで手にはいるんですか?
などと尋ねてみました。
「あれは練り香なんですよ」と言われて、
お茶の湯を沸かす時の炭火の中で焚くものらしく
「そこまでそろえるのは私にはとても無理ですね」と言ってあきらめました。
「普通のお線香だったら松榮堂とか鳩居堂にいいお線香があるわよ」
と聞いて、早速検索してみたのですが・・・やっぱり高い。
大発社のお線香の2倍くらいします。
商品のレビューを見ても評判がよくて、欲しい欲しいと思いながら
とても買えそうにありません。
いつかお金に余裕ができたら自分へのご褒美に買ってみたいです。
2012年06月21日
チベットのお香
これはチベットのお香です。
たったこれだけで1万円以上します。
1本につき100円くらいにつきます。
これ1本でインドのお香が1箱買えます。
チベットの高い修行をつんだ高僧が、
自ら山に行き、原料となる植物を採取し、
手作りで時間をかけて作り上げ、
乾燥させる期間の間に何万回ものお経を唱え、
強力なパワーをこめられたお香です。
皆さんもご存知のとおり、チベットは中国による
非道な扱いを受けています。
一人の日本人がチベットを訪れて、チベットの歴史や大変な生活ぶりに心を痛めて
「何か私たちにできることはありませんか?
日本に戻って活動することで支援ができれば・・」
そう高僧の方に申し出たそうです。
すると、返って来た言葉は
「何を言っているんですか!かわいそうなのは君たちのほうではないですか!
日本人は自殺や引きこもり、心に悩みを抱えている人たちが何万、何十万といるではないですか?
私たちが日本の皆さんのために何かすることで心が癒されるのであれば、
いくらでも協力したい」
驚くような返事ですよね。
その日本人は帰国してamanamanaというオンラインショップを作り
チベット支援のために
チベットのお香や、お経のCDなどを紹介しています。
あれだけの非道な扱いを受けているチベットが、
日本人の方がかわいそうだと!
チベット人の精神性の高さに私もとても感銘を受けました。