アフィリエイト広告を利用しています
UA-128204775-1

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2022年10月02日

第23訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて

明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第23訓を垣間見てみます。


序文

自分に克つための自己修養は、歴史に学ぶことであります。


原文

学に志す者、
規模を宏大にせずば、
有る可からず。

さりとて唯此にのみ偏倚すれば、
或は身を修するに、疎に成り行くゆゑ、
終始己に克ちて、身を修する也。

規模を宏大にして、己に克ち、男子は人を容れ、
人に容れられては、済まぬものと思へよと、
古語を書いて授けらる。


恢宏其志気者、人之患莫大乎、自私自吝。
安於卑俗、而不以古人自期。


古人を期するの、意を請問せしに、
尭舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ。



仮名入り

がく こころざ もの
学に志す者、
きぼ   こうだい
規模を宏大にせずば、
あ   べ
有る可からず。

       ただここ     へんい
さりとて唯此にのみ偏倚すれば、
あるい み  しゅう     おろそか なえ   ゆ
或は身を修するに、疎に成り行くゆゑ、
しゅうしおのれ か       み  しゅう   なり
終始己に克ちて、身を修する也。

きぼ   こうだい       おのれ か    だんし    ひと   い
規模を宏大にして、己に克ち、男子は人を容れ、
ひと  い             す         おも
人に容れられては、済まぬものと思へよと、
こご    か    さず
古語を書いて授けらる。

そのしきをかいこうするものは ひとのうれいだいなるはなし じしじりん
恢宏其志気者、人之患莫大乎、自私自吝。
ひぞくにやすんして しこうしてこじんをもってみずからきせず
安於卑俗、而不以古人自期。

こじん   き          い  せいもん
古人を期するの、意を請問せしに、
ぎょうしゅん もっ てほん      こうふし   きょうし
尭舜を以て手本とし、孔夫子を教師とせよとぞ。


歴史jhdf.PNG


私流訳

学問を志す者はその規模を広くしなければならない。

しかし、ただその事のみに片寄ってしまうと、身を修める事がおろそかになってゆくから、
常に自分にうち克って修養することが大事である。

知識の規模、範囲を大きくして自分にうち克つことに努めよ。
男というものは、人を自分の心の中に呑み込んでしまうくらいの寛容さが必要で、
人に呑まれてはだめであると思えよと言われて、昔の人の教えを書いて与えられた。

その志を、おし広めようとする者にとって、
もっとも憂えるべき事は自己の事をのみを考えてしまうことである。
けちで低俗な生活に安んじ、昔の人を手本となして自分からそうなろうと修業をしようとしないことだ。

古人を期するというのはどういうことですかと尋ねたところ、
尭・舜(共に古代中国の偉大な帝王)を以って手本とし、
孔子(中国第一の聖人)を教師として勉強せよと教えられた。


私流解釈

この23訓は、前の22訓と同じで自分に克つことの重要性を示している。
違いは22訓は、常に自己修養の時間を説いており時間軸が主であるが、
23訓は、自己修養するには学ぶことの必要性を説いており、
しかも、それは尭・舜や孔子などの昔の教えから学ぶと説いている。

世の中にいろいろ学ぶものありますが、
身につけるべき素晴らしい哲学とは、歴史という風雪に耐え、
人類が長く継承してきたもので、
人間のあるべき姿、持つべき考え方を明らかにし、
我々によき感化を与えてくれる聖賢の教えのことです。
こういった教えを繰り返し学び、理解し、常に実践をはかるように務めることです。
「第二の人格」をつくりあげるぐらいの心構えが必要であり、
そのために日々を振り返り反省をして、いたらぬ自分に気づき。自分なりの創意工夫をして
歴史の素晴らしい教えが身につくと感じる次第であります。

尭・舜や孔子はたしかに、素晴らしい教えでありますが、
この南洲翁遺訓も素晴らしいです。
西郷隆盛が没後125年でも、
この教えは洋々と令和の時代にも通じるものと確信する次第であります。


現代に顧みて

西郷の多くの遺訓は、自分に克つことを説いているが、
西郷の時代の明治では、日本の文化や精神を堕落させるような西洋のものとか、
自分の私利私欲をする財界や政治家を批判するようなものが遺訓の中にもある。
こういったものから律するように自分に克つといっているのであるが、
現代は、そういったものよりもより進化したものが多数でた。
テレビ・ラジオは当たり前であり、今やパソコンやスマートフォンがある。
もう、外で娯楽を楽しむだけでなく、家の中でも世界中の音楽、映画を楽しめ、
自分の好みに合うSNSやYouTubeで楽しむことができ、
ゲームは様々な興奮を与えてくれるのである。
企業は様々な人の欲求を満たす食品・製品・アプリ・コンテンツ金融商品を開発し、
購買を煽り、稼ぐに人から財と時間を奪うのである。

西郷の言う人を自分の心の中に呑み込んでしまうくらいの寛容になる
学びがなかなかできない時代であります。
明治の時代の自分に克つ対象が令和の時代では、
変わったが、やはり本質は変わらないものではないかと感じる次第であります。

令和の時代のモノは、楽しみを与えて面白いものを提供して、
人から様々なことを奪うが、その逆もしかりであります。

自己修養にそういった令和のモノやネットや様々使うことによってさらに
飛躍できると感じる次第であります。

自己に克つを終始、心がけたいと感じる次第であります。


最後まで読んで頂きまして有難うございます。



押して頂くと励みになります。

人気ブログランキング





稲盛和夫の南洲翁遺訓の解説本 
経営者の視点では素晴らしい本です。




森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。




ファン
<< 2022年10月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
最新記事
カテゴリーアーカイブ
最新コメント
世界のカジノ会社が日本を狙う。 by ブランドコピー (04/07)
世界のカジノ会社が日本を狙う。 by ビビアン 財布 スーパーコピー 2ch (03/23)
日本人が韓国にキリスト教を伝播 by 金 国鎮 (01/18)
殿(しんがり) ポンペイオ国務長官 by 愛信 (01/13)
日本でも不正選挙? by 愛信 (01/11)
プロフィール
田中さとしさんの画像
田中さとし
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。