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2019年10月03日

その船の名前すら知ら無い 徴用工とは何か(3)




 その船の名前すら知ら無い 徴用工とは何か(3)


              〜47NEWS 10/3(木) 11:42配信〜


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 1942年 貨物船として使われて居た頃の浮島丸 シンガポールで横浜市の福井静夫さん撮影


 




 大型船が湾内にユックリと入って来た。敗戦から9日後の1945年8月24日午後5時過ぎの京都・舞鶴湾。予兆は無い。
 突然、湾内に「ドカーン」と云う大音響が響き渡った。船は中央が盛り上がって「へ」の字に為り、次に「V」の形に為って、前へ進みながら沈んで行った。沢山の人が零れ落ちる様に船から海中に落ちて行く・・・(47NEWS編集部 共同通信編集委員佐々木央)

 死者は500人以上とされる。「以上とされる」と書くしか無いのは、正確な数が分から無いからだ。日本の海難史上最悪とされる1954年の洞爺丸事故が死者1.155人。それに次ぐ規模なのに、国は正確な死者数さえ把握して居ない。又、不思議な事に、当時全ての新聞がこの爆発・沈没に付いて沈黙した。
 船名「浮島丸(うきしままる)」4730トン。元々は民間の貨客船だったが、海軍に徴用され輸送船として使われて居た。戦争は民間船に迄、徴用から爆沈へと受け入れ難い運命を与えたのだ。


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       事件から70年の追悼集会 手前は「殉難の碑」京都府舞鶴市


 港に響く「マンセイ!」の大合唱

 浮島丸がこの時、運んで居たのは何か。浮島丸はその2日前、8月22日の夜、青森県下北半島の大湊港から出航した。大湊は陸奥湾に面した良港である。出航前の光景を「下北の地域文化研究所」所長だった斎藤作治が、元海軍飛行予科練習生・赤田年巳から聞き取り、次の様に記録して居る。

 「赤田さんが浮島丸に乗って釜山港に帰ろうとして居た朝鮮人を見たのは終戦から間も無くの日、潜水艦基地からでした。大湊海軍施設部の朝鮮人労務者の宿舎が潜水艦基地から近い宇曽利川(うそりがわ)に在ったが、赤田さんが見たのは恐らくその人達であったと思われます」(1994年8月 地域誌「はまなす」創刊号))

 斎藤はそう説明した後、赤田の証言をそのまま採録する。

 「黒に近い濃紺の作業服を着た朝鮮人が大勢トラックに立ったママ乗って居ました。2台や3台では無かったと思います。そうだ。同じ色の帽子も被って居ました。潜水艦基地には軍艦が1隻係留されて居たので、恐らく此処を自分達が出航する菊池桟橋と勘違いしたのでしょう。こちらに向かって<マンセイ! マンセイ!>と大合唱が始まりました。物凄い迫力でしたね」(同)
 
 浮島丸が乗せて居たのは戦争中、朝鮮半島から連れて来て下北半島で働かせて居た人達や家族の内約4千人とされる。実はこれも人数がハッキリしない。軍はその人達を「釜山港に送り返す」として集め、船に乗せた。
 8月22日と云う出航日は、偶然であろうが、1910年の日韓併合条約調印の日である。朝鮮の人達に取っての「屈辱の日」に船上の人と為り、それは帰還への旅立ちの「歓喜の日」と為る筈だった。「マンセイ!」の大合唱に、彼等の抑え難い思いを聞く。


 




 大間鉄道のタコ労働者は居たか
 
 では、この人達に大間鉄道のタコ部屋労働者は含まれて居たのか。大間鉄道の工事は1943年12月に中止に為ったから、その前後に飯場は消えて居る。その時点でタコ部屋の労働者は解放されたと考えれば、含まれて居ないと云う事に為る。
 だが、折角の労働力を手放す筈は無い。他にも人手が必要が現場は幾らでもあった。昨年死去したノンフィクション作家金賛汀は、著書「浮島丸 釜山港へ向かわず」で、当時の下北半島の朝鮮人飯場20カ所以上を図示、更に大湊警備府が本土決戦に備え、下北半島の軍事要塞化を急ぎ、大規模な防空壕、地下倉庫、隧道を建設して居たと述べる。

 そして、大間鉄道のタコ部屋に付いて「そこで働いて居た朝鮮人労働者は、ソックリ、大湊警備府の防空壕作りに転用された」とする。そうだとすれば、大間鉄道のタコ労働を生き延びた者が、浮島丸に上船した可能性は高い。だが金は、その転用を裏付ける資料的根拠を示して居ない。
 浮島丸出航前の朝鮮人達の風景を聞き取った斎藤作治らのグループは「アイゴーの海・・・浮島丸事件 下北からの証言・・・」を出版して居る。中に「証言の部」があり、28人の記憶が刻まれて居る。

 その1人、むつ市の郷土史家・鈴木和一の記録に注目したい。鈴木は先ず、戦前に補助憲兵だった知人(原文は実名)の話を紹介し、朝鮮人労働者募集の実態に迫る。

 「労務者募集の事で朝鮮に渡った事がある。その時、面事務所(日本の村役場に当たる)に、人数の割り当てをして、何日迄に集める様に予め頼んで置くんだが、予定通りに集まら無い時には員数を合わせる為に、強制的に連行した者も有った。そんな事もあったので、日本へ向かう途中で汽車から飛び降りる者や、海のど真ん中で飛び込んだ者が在った」

 海のど真ん中に飛び込んだら、余程泳ぎが達者でも生存は覚束なかっただろう。

 「祖国へ帰る」の期待虚しく
 
 鈴木は更に、大間鉄道着工に先立つ大湊線(1921年開通)工事の頃、大湊の海軍病院で働いて居た看護師の談話を記す。

 「大湊線の工事では多くの朝鮮人と日本人のタコが酷い労働に従事させられて居ました。それは、まさに奴隷そのものの様に残酷な重労働を強制されて居ました。鬼の様な棒頭(ぼうがしら・監視兼人夫頭 筆者注)の厳しい監視付きで、怠けたり反抗したりすると棒頭に殴り付けられて、好く手や足の骨を折られて治療に担ぎ込まれて来ることがありました」

 強制労働が行われた時期に付いての重要な証言だ。鈴木は文末をこうまとめる。

 「これ等の事実から朝鮮人への迫害は、逼迫した太平洋戦争の特別な状態がもたらしたものでは無く、今から82年前の日韓併合による朝鮮の植民地支配からズーッと続いて居たものだと云う事が理解されます」

 「証言の部」では他にも、大湊港の1万トンドック建設に従事した宇曽利川(うそりがわ)飯場、樺山(かばやま)飛行場建設の飯場、安部城(あべしろ)鉱山の飯場における朝鮮人労働者が、悲惨な境遇で働いて居たと、地元の人達が明かして居る。
 辛うじて分かって居る事を繋げれば、下北半島の各地に奴隷労働や差別に苦しんだ朝鮮の人達が居た。そう云う人を含む数千人が、1945年8月22日「要約祖国に帰れる」と信じて浮島丸に乗った。だが浮島丸は2日後、舞鶴湾で爆沈し夥しい人が亡く為った。


 




 誰を乗せ誰が死んだのか

 日本政府はこの事件に付いて、対外的な謝罪処か、真面な調査もして居ない。それ故、爆発原因も科学的に確定されて居ない。国による朝鮮人の帰還事業が緒に就くのは9月に入ってからだが、何故大湊警備府は帰還をこれ程急いだのか。本当に釜山に行く積りだったのか。そして何より、誰を船に乗せ誰を死なせてしまったのか。だが、日本人の多くは、浮島丸の名前すら知ら無い。


              終わり


 



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【世界史】モンゴル帝国の盛衰 世界を変えた遊牧民




 



 
 【世界史】モンゴル帝国の盛衰 世界を変えた遊牧民


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 歴史学者  京都大学大学院研究科教授 杉山 正明 氏

      10-3-2.jpg

 杉山 正明(右)1952年静岡県生れ 1974年京都大学文学部史学科卒業 1979年同大学大学院文学研究科東洋史学専攻博士課程修了後 京都女子大学文学部東洋史学科専任講師 助教授 1992年京都大学文学部史学科助教授を経て1995年現職に。
 1992年に放送されたNHKの番組『大モンゴル』の監修を行う 著書に『大モンゴルの世界』(1992年角川書店)『クビライの挑戦』(1995年朝日新聞社)『モンゴル帝国の興亡(上・下)』(1996年講談社)『耶律楚材とその時代』(1996年白帝社)『遊牧民から見た世界史』(1997年日本経済新聞社)等


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 歴史的に重要な存在だった遊牧民

 ・・・先生はモンゴル時代史を研究されて居ますが、著書「遊牧民から見た世界史」を読みまして、目から鱗が落ちたと言いますか驚きました。
 と云うのは、私達が中学や高校で習った世界史は、エジプトを初めインダス・メソポタミア・黄河等の文明が、広大なユーラシア大陸の大河の河口に点在し、それが段々滲む様に広がって行って、世界の文明が作られ今日に至ったと云う事だったんです。
 しかし先生は、そうでは無く、丁度その時代の地図で国の名前が記されて居ない空白の部分・・・ユーラシアの真ん中が、歴史を動かした原動力だった。又、その人達が或る意味の主役だったと。


 杉山 勿論、エジプト等一般的に教科書で教わるそれ等文明は、事実素晴らしいものを生み出しました。しかし、それ等「文明圏」の人達に取ってユーラシアの真ん中に居た人々コソが、実は大変重要な存在だったのです。
 彼等は遊牧民と言って、あの広大な大地を移動しながら生活して居ました。そして彼等のお蔭で、点在して居た文明圏は各々孤立する事を免れ、広がりを可能にしたと言えます。彼等が居たからコソ、文明が世界に広がって行った。
 どの時代でも、遊牧民は歴史に大きく関わって居たんです。後に、驚異的な勢力拡大を見せ、ユーラシア一帯を手中に収めもしました。世界史の教科書に登場するチンギス・カンは、それを遣って退け、巨大な「モンゴル帝国」を作ったのです。

 ・・・しかし、それ程までの歴史を持って居る彼等に付いて、何故それ迄世界史上では空白だったのでしょう。

 杉山 一般的に教え込まれて居る歴史像は、ヨーロッパ人が19世紀末から20世紀の初めに作ったものなんです。彼等は「ヨーロッパ以外は文明じゃ無い」と思って居ましたから、自分達中心の「歴史」を作り出してしまったんです。

 ・・・モンゴルの歴史には野蛮、残酷と云った様な負のイメージが有りますが、これも彼等が植え付けたのでしょうか。

 杉山 それも有ります。しかし実際の被征服民よりも、その子孫とされる後世の人達によって作り上げられてしまったと思われます。彼等は「近代文明社会」の優位を無条件に信じたい余り、無意識にモンゴルの過去を見下してしまったんでしょう。ヤッと最近、モンゴルとその時代について、東西一通りの文献が眺められる様に為りました。


 




 遊牧民は「仲間」と云う意識を持った集団

 ・・・しかし、当時の地図で空白だった所の人達、所謂遊牧民が天下を取れたのは何故でしょう。

 杉山 一番の理由は、何と言ってもモンゴル帝国が、素晴らしい戦闘力・機動力を備えて居た事です。当時の戦力と言えば馬と弓が必需品でした。遊牧民の彼等は馬に乗り慣れて居り、騎乗し乍ら弓矢も使える最強で最大の軍隊でした。そして、異様とも言える程統制されて居たんです。

 ・・・アレだけ広い地域ですから、顔や言葉、生活だってマチマチの筈です。そう考えると、凄い事をチンギス・カンは遣って退けたんですね。

 杉山 本当にそうです。チンギスがアノ広大な土地を統合する前は、大小幾つもの集団が入り乱れ割拠して居ました。モンゴル帝国形成の中核と為った「モンゴル」も、その内の一つに過ぎず、余り強い集団ではありませんでした。
 しかし、チンギスと云う人が出現した事で、一つにマトメ上げる事が出来たんです。モンゴル帝国には、色んな集団が集まって居り、まさに「連合体」と云う感じでしたが、現代の様に民族や人種、言語、宗教に囚われず「仲間」と云う意識で集団を形成出来る人達だったから出来た事だと思います。

 ・・・モンゴルと云う所は、砂漠あり荒野ありの非常に厳しい大地だと思います。そう云う中で培われた忍耐力と言いますか、精神的な強さを持って居たからと云うのも在ったのでは無いでしょうか。

 杉山 それも有ると思いますね。モンゴルや中央アジアでは、冬は非常に寒いし、草が生えて居ると言ってもポツポツ程度の所も少無くない。近くで見ると地肌だけが目に入って来ます。そこで暮らすと云うのは、本当に大変な事ですよ。


 


     

 モンゴル帝国では、既に紙幣が使用されて居た

 ・・・日本とモンゴルの最初の出会いは、鎌倉時代の「元寇」ですね。アノ時、日本は天候等が味方に付いて、運良く逃れる事が出来ましたが、本当は強大な軍事力を持って居たんですね。

 杉山 軍事だけで無く、既に日本とは比べものに為ら無い位の経済活動が進んで居た凄い国だったんです。特にチンギスの孫のクビライの統治以降、経済を重視した政策が執られました。
 当初は、ムスリム・ウイグルと云う2つの国際商業組織が、モンゴル帝国に資金や物資の調達をして居たんですが、商業や貿易が活発化するに連れ、仲間・組合と云う意味の「オルトク」と呼ばれる企業・会社組織の形に発展して行ったんです。

 ・・・今で云う処の企業グループの様なものですか。


     10-4-7.jpg  塩引・交鈔


 杉山 そうです。又、帝国の財政運営は、専売と通商の商業利潤で殆ど賄われる重商主義でした。専売とは、その頃非常に貴重だった為、専売品とされて居た塩の引換券「塩引(えんいん)」を発行し、通貨である銀と交換して収入を得ると云うものです。これは塩そのものを転売するのでは無く、塩とリンクさせた言わば有価証券の様なもので、紙幣としても使用されて居たんです。

 ・・・この頃既に紙のお金が有ったんですか。それは凄いですね。

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 杉山 この頃の通貨は銀でしたが、帝国の拡大に応じ切れる程の銀が産出出来無かった為、それを補う意味もあったんです。
 そして、もう一つの収入源の方は、商取引から徴収する「商税」です。クビライは、都市、港湾、関門等を通る人々から徴収して居た通過税を撤廃し、最終売却地で売却代金の約3%を商税として1回だけ払えば良い事にしたんです。
 これにより、遠距離貿易の活発化に繋がり流通量が増え、結果的には商税収入も増大しました。その上、民衆の税金負担額も低く抑える事が出来た訳です。これは、所謂間接税ですが、消費者が直接納税しない点で、内税方式の消費税とも言えます。歴史的に見ても可なり先進的な政策です。


 




 今も昔も軍事力が大国を支える

 ・・・モンゴル帝国を支えたのは、まさにその経済力だったんですね。

 杉山 結果的には経済ですが、実は軍事力が在ったからコソなんです。モンゴル帝国は、本当に途轍も無い広さで、それだけの富を持って居た国ですから、手に入れたいと思って居た国が居ても不思議ではありません。弱ければアッと云う間に他の国に吸収されてしまったでしょうし、或は内側から、何処かの集団が独立しようとしたかも知れません。
 強大な軍事力が在ったあったからコソ、刃向かう者も無く分裂もせず、長期に渉り安定的に続く事が出来ました。そのお蔭で、通商の安全も保障され経済も発展し得たのです。

 ・・・しかし、それだけの強い軍事力を持ったモンゴル帝国が、滅亡したのは何故ですか。

 杉山 一番の理由は、クビライの死後、巨大な帝国を治めるだけの器を持った人が居なかったからです。これにより中央政局内で暗殺が起き内戦が勃発し、軍事力が弱まりました。丁度同時期に、黄河の大氾濫の為近くに在った塩の大生産地を失いました。
 そしてこの氾濫を防ぐ為に召集した農民達が反抗し、反乱軍と為ってしまったのです。最早帝国には、それを抑えるだけの軍事力も無く、耐え切れ無く為った帝国は、1388年に等々滅亡してしまいました。

 ・・・処で現代は、世界経済に可なりの影響力を持つアメリカが「帝国」的な存在に為って居ます。世界を制すのは経済の様に思いますが・・・

 杉山 イイエ、ヤッパリ今も変わらず軍事力アリキです。誰が見てもアメリカの軍事力は世界最強です。彼等は、その軍事力をチラつかせ、他国に物言わせ無い処がありますからね。又、モンゴル帝国は陸と海を制しましたが、アメリカは空をも制して居ます。更に、文化の様な見え無い処迄支配して居る事を考えると、最早「モンゴル帝国が人類史上最大の世界帝国だ」とは言え無く為ってしまいました。
 只、モンゴル帝国の良い処は、人種的な問題を抱えて居るアメリカとは違い、民族とか人種、言語、宗教等を超越して居た国家と云う事ですね。


 ・・・今、世界を見回すと、そうしたものに振り回され、憎み合い、戦う事を余儀無くされて居る人々が沢山居ます。特定の理念とかイデオロギーを押し着け無いモンゴル帝国は、人間社会としては、或る意味進んで居たと云えるかも知れません。私達現代人にも、沢山見習うべき点がありますね。本日は有難うございました。

               以上


 




 【管理人のひとこと】

 管理人は、世界史の中で「モンゴル帝国」の壮大な建国のロマンに心からの感嘆と夢を持って居ます。このブログでも何度も取り上げましたが、アノ広大なユーラシア大陸を一望する(広大過ぎて一望出来無いのだが・・・)、中華帝国・文化を超越した強大な帝国を築き上げた人間の偉大さを感ずるのです。
 今でこそ人口14億を抱える広大な中国の、その何十倍以上のもの広大な領土を支配したのですから、その力たるや比類出来ぬ奇跡とも思われる壮大な国家建設の事業だったのです。キナ臭い世の中に為った時には、必ずや「モンゴル帝国」の治世を学び、世界平和の道への一大模範として参考にするべきです。特に中国の習近平氏は「偉大な中国」と余り誇らず、モンゴル帝国の平和的な帝国統治を見習う事も必要です。



 



 





2019年10月02日

大量の自殺者を出した「ノモンハン事件」敗北のヤバイ真相




 大量の自殺者を出した 「ノモンハン事件」敗北のヤバイ真相


          〜現代ビジネス 10/2(水) 11:01配信〜







 「腹きり」を躊躇(ちゅうちょ)しない

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 〜ノモンハン事件(1939年5月11日〜9月16日)は、当時の満州国とモンゴルの国境地帯で起きた地域紛争だ。日本に取っては、日露戦争(1904〜'05年)後、初めての本格的な近代戦争だった〜
 

 日本・満州連合軍対ソ連・モンゴル連合軍の間で展開された戦闘であったが、実質的には日本軍とソ連軍の戦いだった。この戦いで日本軍は壊滅的な打撃を受けた。
 10日余りの戦いで、ノモンハン事件の帰趨(かすう)は決した。関東軍第二十三師団はその7割が損耗し、事実上壊滅した。ソ連側の死傷者数は2万5000人、一方、日本側は2万人。死傷者数ではソ連の被害が甚大だが作戦目的を達したのはソ連だった。関東軍はソ連・モンゴルの主張する国境線の外に完全に追い遣られたのである。

 ノモンハンを勝利に導いたジューコフは、その翌年、大将の称号を与えられた。スターリンにも謁見が許され、ジューコフは日本軍に付いてこう報告した。


 スターリンとはこれ迄会った事が無かったので、私は強く興奮して引見に臨んだ。(中略)スターリンはパイプたばこを吸い着けながら直ちに尋ねた。
 「君は日本軍をどの様に評価するかね」
 「我々とハルハ川で戦った日本兵は好く訓練されて居る。特に接近戦闘でそうです」と私は答え、更に「彼等は戦闘に規律を持ち、真剣で頑強、特に防御戦に強いと思います。若い指揮官達は極めて好く訓練され、狂信的な頑強さで戦います。若い指揮官は決った様に捕虜として降らず『腹切り』を躊躇しません。士官達は、特に古参・高級将校は訓練が弱く、積極性が無くて紋切型の行動しか出来無い様です(後略)」(『ジューコフ元帥回想録』) 


 乏しい装備で物量に優るソ連軍と対峙し、最善を尽くした現場の兵士達に対し、軍の中枢を担う将校達は己の面子を守る事に汲々とし、敵の姿は愚か、自軍の姿さえ見えては居なかった。日本軍は己を知らず、敵を侮り、無謀な作戦を実行に移した。
 祖国から遠く離れた辺境の地、ノモンハンで、無数の日本兵が命を落とした。その遺骨は、今も風雨に晒されたママ残されて居る。

 兵士や下士官は好く訓練され、優秀で現場指揮官も責任感が強いが、幹部が無責任で紋切り型の思考しか出来無いと云うのは、日本陸軍が官僚化してしまったからだ。
 





 

 予め手榴弾を渡されて居た

 1905年に日露戦争が終わってから34年間も本格的な戦争を経験して居ない軍隊では、文書の作成が上手で、上司の覚えが目出度い者が出世する。又、中国大陸における戦闘でも、現場の部隊が企画し実行した上で評価する。失敗と云う評価が為されると、出世に悪影響を与える。こう云う仕組みだと、評価は「成功」か「大成功」にしか為ら無い。
 中国大陸における「成功」と「大成功」によって培われた誤った自画像が、無謀な対米戦争に日本が踏み切る原因に為ったのである。

 処で、優勢だったソ連軍は、このママ戦闘を続ければ、日本軍を完全に駆逐出来たにも関わらず、1939年9月14日に突如、停戦に応じた。当時、モスクワの駐在陸軍武官を務めて居た土居明夫の回想が興味深い。


 〈「(前略)9月の13日にモロトフ(評者注・外相)が急に呼んだんだ、東郷大使をモロトフが。それが夜中だったの。アイツら重要な交渉する時は夜中だから、何時も。(中略)我々は大使の官邸で、大使館で待っとるんだ。朝まで帰ら無いんだよ(中略)」
 ロシア側の軟化を知った東郷は、その日の内にソ連側との交渉をマトメて来た。土居も含め、豹変したソ連に不審を感じる大使館員は居無かった様だ。
 「東郷いわく、ヤッと妥結をしたと。マア半々と言いたいけれどもマア四分六で、コッチが四分で向こうが六分優秀で妥結したと。しかしマア妥結したんだからね。全般的に(関東軍は)冬季作戦が出来て居ないし、戦車・飛行機、そう云うもの、大砲の数が非常に少ないんだよ。だからこれで寛いだと。ヤッと安心だと。それでマアシャンパンでも抜いて、それでその日は大いにお祝いをしたんだよ。それが14日」〉


 ノモンハン停戦から3日後の9月17日、ドイツに続いてソ連がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が始まった。この戦争に備える為にスターリンはノモンハン事件を終結させたかったのだが、日本はその様なソ連の思惑に全く気付いて居なかった。
 ノモンハン事件の悲劇は、戦いで敗れただけに留まら無い。捕虜に為るなと云う日本軍の対応も太平洋戦争を先取りして居た。
 

 〈ノモンハンで戦った長野近松(101歳)さんは、自決用に予め上官から手榴弾を渡されて居たと語る。「捕虜に為ったら自殺して、その為に手榴弾をポケットに取っと居てね。それだけに厳しいんだよ。最初から、最初から日本軍は絶対捕虜に為ってはいかん自殺しろって。それで手榴弾を皆持ってる。もう自殺者は多いですよ」陸軍刑法には捕虜を処罰する為の法的な裏付けは無い〉

 太平洋戦争末期のサイパン島や沖縄の戦いでは、軍人だけで無く、一般住民にも自殺が強要される様になった。

 本書を読むとノモンハン事件の敗戦に付いて陸軍は検証を行い、問題点は洗い出されて居た事が好くわかる。ソ連軍は圧倒的な物量で日本を壊滅させると云う手段を採用した。ソ連を遥かに凌ぐ経済力と技術力を持った米国と戦争する事に為れば、物量戦で日本が不利に為る事は明白だった。
 にも関わらず、日本は精神力によって物量を補う事が出来ると考え、ノモンハン事件の敗北から学習することを怠った。日本の組織文化を理解する上でも本書は役に立つ。



         10-4-6.jpg 佐藤 優氏  

 『週刊現代』2019年9月28日号より 佐藤 優   以上


 



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国歌斉唱で胸に手を当てる「なでしこジャパン」に違和感




 国歌斉唱で胸に手を当てる「なでしこジャパン」に違和感


             〜2019年07月10日(水)11時10分〜


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 〜サッカー女子ワールドカップを見ていて驚いた、日本人選手の「胸に手」愛国心を見せ着けるアメリカ的習慣が何故、何時から取り入れられた?〜






 先日僕が映画を観て居た時、登場人物の1人がかの有名なジョークを口にした・・・世界には2種類の人間が居る。世界を2種類の人間に分ける人間と分け無い人間だ。その日、僕は丁度、人間を或は「国民」を2種類に分けて考えて居た処だったので、この言葉には思わずハッとした。国歌斉唱の時に胸に手を当てる国も有れば、そうし無い国も有るなと。

 そんな事を考えて居たのは、サッカー女子ワールドカップ(W杯)で日本対オランダ戦を見て居た時だった。(日本はこの試合で不運に見舞われ勝利を逃したが、それは此処では話題にしないで置く)試合開始前、僕はなでしこチームが『君が代』斉唱の間、右手を左胸に当てて居るのに気付いて驚いた。何時からこう為ったのだろうか?

 大まかに言えば、僕はこの「手を胸に置く」国々は警戒して居る。何と無く、愛国心レベルが一段上がる様に見えるからだ。今危機に有る国や存在が脅かされて居る国(独立したのが比較的最近であるとか、巨大で脅威的な国と隣り合って居るとか)の場合は、こうした行為を採用するだろう事も理解出来る。
 でもそうで無い場合、特に昔からの伝統でも無く突然取り入れて居る場合は、この行為はアカラサマ過ぎる様に見える。

 何処の国が遣って居て何処が遣って居ないかをリストにした事は無いが、僕が思うに西ヨーロッパの国々でこれを習慣にして居る処は無い様だ。オランダチームは遣って居なかった。イギリス人も遣ら無いし、僕だって絶対にし無いだろう。
 だが「胸に手を当て無い」事を以てして、これ等の国々の愛国心を疑問視すると云う事には為ら無い。寧ろ、その愛国心をどう表現するか、そしてそれを或る決まった形で表現する事が要求・期待されて居るかと云う問題だ。





 イングランド選手はバラバラ

 「胸に手を当てる」はアメリカの習慣であり、僕が以前にアメリカで暮らして居た時、彼等の愛国心見せ付けの度合いに違和感を覚えたものだった。例を挙げれば、国際試合だけでは無く、殆どのプロスポーツの試合で国歌が流れるのも奇妙に感じた。
 アメリカを批判する時、外国人だけで無くアメリカ人がアメリカ批判を口にする時でサヱも、如何に気を使って発言する必要があるかを目の当たりにして僕は衝撃を受けた。

 1992年に僕が初めて日本に渡った時、君が代を斉唱する人が殆ど居ないのは、独特な感じはするけど不自然とは思わ無かった。アンナにユックリしたテンポの曲なら、上手に歌うのはそうそう簡単じゃ無いだろう。月日が経って、これは変化して行った様だ。恐らく今、日本は「2種類」の「もう一方」の方に足を踏み入れ掛けて居る。

 個人的には、特別な事情でも無い限りは、国歌斉唱(自国でも他国のものでも)で起立するのは正しい事だと思う。自国の国歌で声を出して歌うか黙って起立して居るかは、個人の選択に任せるべきだろう。これを強制すべきだとは思わ無いし、遣ら無いからと言って「大袈裟に騒ぎ立てる」のは間違って居ると思う。
 僕なら絶対に、イギリス国歌を歌えと強制されたら抵抗するだろうし(そんな羽目には為りたく無い)、手を胸に置けと強いられても拒絶するだろう。

 イングランドのサッカー選手を見てみれば、国歌を歌う選手も居れば歌わ無い選手も居て、真剣な表情の選手も笑顔の選手も、頻りに足踏みして居る選手も(ソワソワして居るのか、試合に備えて体を動かして居るのだろう)注意深く耳を傾けて立つ選手も、ガムをクチャクチャして居る選手も居る。
 こうした行動によって、画一的な行動規範に隠れて全選手が「埋没」する代わりに、選手の個性を幾らか「見る」事が出来ると思う。

 ここ数年、アメリカではNFL選手だったコリン・キャパニックが国歌斉唱中の起立を拒否した事に端を発して激しい議論が巻き起こって居る。正直に言って、僕は彼の行為をどう捉えれば好いか分から無い。一方では、彼はこう云う形で自らの考えを表明する権利があると思うものの、他方ではこんな手段が必ずしも正しいとは言え無いのではと思ったりもする。
 此処イギリスで言えば、僕が覚えて居る中で一番有名で似た様な「物議を醸す」例は、1990年のサッカーW杯で国歌斉唱中、ポール・ガスコイン選手が丁度テレビカメラに映され時に舌を突き出した事だろう。国中が注目する重要な試合がまさに始まろうと云う処で、ガスコイン、愛称「ガッザ」はその空気を茶化さずには居られ無かったのだろう。

 彼のこの行動が敬意を欠く、或は少なくとも愚かな行為だと考える人も居た。だが殆どの人は「ガッザでしょ?アノおバカの......」と笑って終わりだった。可笑しな話に聞こえるかも知れないが、こんな風に誰かが一寸馬鹿気た道の外し方をし、人々がそれを大した問題にし無い様な国に生まれた事を僕は誇りに思う。
                
          以上


 




 【管理人のひとこと】

 何かの機会に「スポーツでの国旗掲揚と国歌斉唱」の決まり事に付いて取り上げ様と考えて居た。特に他国を交えた国際大会の際の試合開始前のセレモニーなのである。「国旗に向かって起立し国家を斉唱してください」との会場案内が放送されるのだが・・・もしかしたら起立のみかも知れ無いが、それは相手国の場合も自国の場合も含め、国際親善の儀礼としての最低限の「挨拶」と考えて理解出来る。
 そして国歌斉唱に付いては「これが、この国の国歌なのか」との知識を得られる機会でもあり何等問題も無いのだ。が、規律正しく画一的に斉唱して欲しいとは思わ無いし、軍隊の様に直立起立し強張った顔で歌う態度は、どうしても親善の名に相応しく無いとも思うのだ。

 最近も、ラグビーやバレーボールの大会で好く目にするのだが、外国のマーチの様な朗らかで元気な歌は聞いていても楽しいのだが、日本の君が代の陰鬱(いんうつ)で悲しそうな雰囲気の歌詞とメロディーは、華やかで活動的なスポーツの場面には不向きでは無いかとサヱ思うのだ。
 折角、楽しい競技の始まりを期待しワクワクする心が、一変に凹んでしまう恐れが高いのである。しかし、中にはこの荘厳なメロディーに愛着を覚え胸が高鳴る方も居られ様。だから、君が代の全てを否定する者では無い。しかし大方の観客は、この湿っぽく陰鬱なメロディーの束縛から解放され、これがケジメだと考えて早く忘れ様と努力を要する。一時の辛抱なので多くの観客は次第にスポーツの興奮へと引き摺り込まれる。
 この国歌斉唱、特に君が代の流れる時間は、ナカナカ手に入らぬチケットを獲得した者への嫌がらせ、消費税為らぬ「一つの罰」の様な気分だ。








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低成長⇒消費増税⇒少子化 【三重苦】でも楽観して好い



 

 低成長消費増税少子化 【三重苦】 でも日本人は楽観して好い


            〜ニューズウィーク日本版 10/2(水) 12:19配信〜


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 〜状況は決して真っ暗では無い。未来は不透明だが、日本は未来を先取りする国だからだ。変化の時代を乗り切り、損をし無い為に知って置きたい事とは?本誌「消費増税からマネーを守る 経済超入門」特集より〜


 好むと好まざるとに関係無く、変化は遣って来る

 必要の無い消費増税の様に、歓迎出来無い変化もあれば、キャッシュレス化の進展の様に好い面と悪い面の両面を併せ持つ変化もある。キャッシュレス化は買い物を便利にする半面、プライバシーに関する不安は拭え無い。米中貿易戦争の様に、影響が読み難い変化も有る。
 世界を景気後退に引き摺り込む可能性もあるが、日米同盟の強化に繋がったり、将来的に中国を好ましい方向に変える要因に為ったりするかも知れない。未来は不透明だが、日本人は楽観して好い。理由は2つある。

 第1に、構造的な低成長に悩まされて居る国は日本だけでは無く為った。「Japanification(日本化)」と云う英単語を検索すると何万件もヒットする。世界中で超低金利状態が加速して居る事からも明らかな様に、多くの国で成長への期待が萎んで居る。
 第2に、日本はこれ迄数十年に渉り、この状況を経験して来た。低成長時代への心理的対応が既に出来て居て、新たな対処法も見い出して居る。少子化の進行でも、世界が日本を追い掛けて居る様だ。

 今ヨーロッパには、日本より出生率の低い国が10カ国以上在る。男女平等と手厚い子育て支援で知られる北欧のフィンランドでも、合計特殊出生率は日本と大差無い。バングラデシュやネパール等の貧しい国も、人口の維持に必要な出生率を辛うじて保って居るに過ぎ無い。人口減少は世界的な問題に為りつつある。
 日本社会で高齢化が進んで居る事は事実だが、人々が引退生活を送る年数が増え無ければ高齢化は問題で無い。日本銀行のエコノミストの関根敏隆によれば、今の日本の高齢者は昔より生物学的に若く為って居る。今日の70〜74歳の平均的な歩く速度は、10年前の65〜69歳と同程度だと云う研究もある。
 現在、65歳以上の日本人の就業率は約25%。西欧ではこの割合が5%に満た無い国もある。日本には80代でエベレスト登頂に成功した人やAV男優として活躍して居る人も居る。日本は高齢者が元気な国なのだ。

 日本に深刻な経済的不均衡が存在する事は否定出来無い。企業収益が過去最高に達して居るのを尻目に、一般市民の賃金が停滞して居る事はその最たる例だ。この状況で消費税率を引き上げれば、弊害の方が大きい。ソモソモ、日本の国家財政が危機に直面して居ると云う認識も正しく無い。日本は世界最大の対外債権国だからだ。

 



 日本の賃金は上昇に向かう可能性が高い

 しかし、日本の賃金は上昇に向かう可能性が高い。構造的な人手不足に悩まされて居る日本では、働き手の交渉力が強まると予想されるからだ。そう為れば、会社は高価な労働力を有効に活用し無くては為ら無い。その結果、労働環境が改善し柔軟でオープンな企業文化が形成され、女性や高齢者や外国人の受け入れも進むだろう。
 超低金利により、日本の預金者が受け取る利息はホボ消滅した。しかし、株式の配当が増えれば状況は好転する。日本企業の配当は昔に比べれば可なり増えたが、欧米に比べれば未だ少ない。株式投資からもっと安定的な配当収入がもたらされる様にすべきだ。

 そうした変化が実現すれば、株式相場が何十年も上昇し無くても、個人投資家は配当収入を当てに出来る。その場合、配当を老後の生活資金に回せるし、増税の様な試練にも対処し易い。「銀行口座族」と「配当族」の差は天と地程大きく広がるだろう。

 悪いニュースばかり?ニュースは悪いものと覚悟して置いた方が好い。大事なのは、賢く投資し続けること。そして、高齢に為っても元気であり続ける事だ。日本では、人々の生活水準、健康状態、資産、暮らしの快適さが向上し続けて来た。変化への適応能力に長けた日本では、今後もそうした進歩が続くだろう。世界は日本から目を離さ無い方が好い。未来は此処にある。


(筆者は近著に『On Kurosawa: A Tribute to the Master Director』〔写々者・刊〕がある)

<本誌2019年10月8日号「消費増税からマネーを守る 経済超入門」特集より>

 「消費増税からマネーを守る 経済超入門」特集では、経済の各分野の専門家達に税金や貿易、年金、貯蓄、住宅、投資、キャッシュレス等経済の仕組みを分かり易く解説して貰い「損をし無い為にはどうすれば好いか」をアドバイスして貰いました。

     ピーター・タスカ 経済評論家   以上


 




 【関連報道】消費増税が痛い 今こそ見直したい 不合理で結局は損な消費行動

  〜Edge of Europe  コリン・ジョイスのコラム 2019年10月01日(火)16時00分〜


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 〜10ポンドを2人で分けるなら?6000円で買ったチケットが余ったら?・・・行動経済学で見た人間の行動はかくも合理的とは程遠い〜


 記者をして居て素晴らしい事は、その道の専門家達から、興味深い経験や洞察に付いて話を聞ける事。一方で囁かな欠点は、彼等が話して呉れた面白い話のホンの10%でさえ、2ページの記事にはとても書き切れ無い事だ。
 まさにそんな思いをしたのが、最近、本誌10月8日号(10月1日発売)の「消費増税からマネーを守る 経済超入門」特集で行動経済学の記事を書いた時だった。もっと幾つかエピソードを盛り込みたかったのだが、その1つがこれだ。20191008issue_cover200.jpg

(※編集部注 コリン・ジョイス記者による「消費」に付いて解説した記事「お金がらみの決断は思っている以上に不合理」では、周りに並ぶ商品によって選択を意図も簡単に左右される例や「決断疲れ」「授かり効果」と云った消費行動の謎を解明。何故人は時に損な選択をしてしまうのかを探って居ます。
 その他「消費増税からマネーを守る 経済超入門」特集では、経済の各分野の専門家達に税金や貿易、年金、貯蓄、住宅、投資、キャッシュレス等の経済の仕組みを分かり易く解説して貰い「損をし無い為にはどうすれば好いか」をアドバイスして貰いました)

 行動経済学に基づいて、より最適な顧客への働き掛け方を企業にアドバイスして居る「ビヘイビアラル・ワークス」と云う会社を経営して居るマーク・モロイは、講演の際に時々こんな事をすると僕に話して呉れた。
 聴衆の中から2人を前に呼び、Aには10ポンドを渡してBと分ける様にと指示する。Aは分け方を自分の好きな様に決められ、Bはそれを受け取る事も拒否する事も出来る。但し、Bが拒否すると、2人ともお金は全く貰え無く為る。伝統的な経済学の理論に従えば、AはBに最低限の1ペニーだけ渡せば好いし、Bはそれを受け取れば好い、何故なら他の選択肢(何も貰えない)よりは増しだからだ。だが、実際には決してそう為ら無い。

 どうやら、最も有り勝ちな分け方は1人5ポンドずつと云うパターンで、そこには利他主義や公正の精神が働いて居る。だがAが何らかの形で10ポンドを「稼いだ」と告げられて居たら、状況は違って来るのでは無いだろうか。
 或は2人がステージ上に居るので無かったら、又違う事に為るかも知れない。何れにせよ興味深いのは、Aが可なり少額(例えば2ポンド以下)を差し出すと、Bは拒否する場合が多いと云う事だ。

 これは或る意味、僕達がいかに「不合理」かを示して居るとモロイは言うが、彼はより広い視野で見る事も出来ると指摘する。即ち、僕達は社会の中で生きて居るのであって、延々と取引を繰り返す単なる経済単位などでは無い。
 事実上、Bは1ポンドや1ペニーを拒否する事で、Aの強欲さや反社会性を罰し、自分が損をしてでもAに教訓を与えて居るのだ。

 当然ながらこの話を聞くと直ぐに、僕は自分だったらどうするだろうかと考え、結局の処モロイに、僕がAだったらBに3ポンドを渡すだろうと言った。「自分の物」と考えて居る10ポンドをBと分け合う側なのだから、3ボンドならキッとBが受け入れるであろう最低限の額だろうと推測したのだ。僕は自分の論理にとても満足した。「ワア、貴方は反社会的人間ですね!」とモロイは笑って言った。

 



 サンクコスト(埋没費用)の罠

 有名な事だが、2017年にノーベル経済学賞を受賞した行動経済学者のリチャード・セイラーは、自分の個人的な経験を基に不合理な行動に関する研究をまとめた。僕だって、幾つか研究のネタに為りそうな経験がある。これでノーベル賞を取れるかは怪しいけれど。

 或る時僕は、日本でサッカーの試合を見に出掛けたが、チケットは売り切れだった。とは言え、例えば土壇場で友達が来られ無く為ったとかで、チケットが余って居る人が好く居る事は、以前の経験から分かって居た。そこで、暫く待ってみて誰かから買えるか試してみることにした。
 案の定、チケットが1枚余っているグループを見付けた。問題は、僕は安いテラス席(約2000円)しか考えて居なかったのに、彼等のチケットは一番高い席(約6000円)だった事だ。僕は、そこ迄の金額は予定して居なかったと言い、3000円でどうかと提案した。「もしかしたら6000円で買って呉れる人が見付かるかも知れないけれど、居なければ僕の処に戻って来てよ」と僕は言った。

 彼等は5分程その場に留まって居て、暫く相談すると、結局チケットを売らずにスタジアムに入って行った。所謂「サンクコスト(埋没費用)」だろう。
 3000円を「損」して迄6000円のチケットを売ってしまう事が受け入れられ無かったのだ。或は、そんな安い値段で買おうとした僕を罰して遣ろうとしたのかも知れ無い。或はもしかすると、僕の事が気に入ら無かっただけで、僕の近くで観戦する位だったら僕が提案した3000円ナンて放棄して構わ無いと思ったのかも知れないが。


    以上


 




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誤解だらけのエネルギー・環境問題 日本の原子力に未来はあるか?



 誤解だらけのエネルギー・環境問題

 日本の原子力に未来はあるか?



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       〜国際環境経済研究所理事・主席研究員 竹内 純子 2018/01/〜


 〜NPO法人国際環境経済研究所理事・主席研究員 筑波大学客員教授 1994年慶応義塾大学法学部法律学科卒業後東京電力入社。尾瀬の自然保護や地球温暖化等主に環境部門を経験。2012年より現職。政府委員も多く務め、エネルギー・環境政策に幅広く提言活動を行う〜

  「環境管理」からの転載 2018年1月号







 我が国が原子力基本法を制定し、原子力技術の利用を正式に決定したのは1955年。僅か終戦から10年後の事であった。

 その時の判断が、メリットとデメリットを比較衡量する国民的議論に基づくもので在ったのか否かは、筆者には語り得無い注1)  
 しかし東京電力福島原子力発電所事故を経験し原子力政策が見直されて居る今、将来に向けては我々国民が判断する権利があり、又義務があると言えるだろう。勿論、世論に判断を丸投げする事は、政治或は関係者の責任放棄でしか無い。

 原子力発電を利用する事によるメリットとデメリット、青森県との関係や日米原子力協定等これ迄の歴史的経緯による制約条件等を踏まえる必要があり、十分な情報提供が為される事が前提だ。
 政府は2030年の電源構成において、22〜20%を原子力で賄うとするが、2030年時点でそれだけの原子力発電所を維持出来るのか、維持出来無かった場合温暖化の国際目標の達成等長期エネルギー需給見通しの前提をどうするのか、更にその先に向けてはどうするのかに付いて、具体的な方針は示されて居ない。

 原子力技術の維持や人材育成の観点から考えれば早急に方向性を示す事が求められる。日本のエネルギー政策を考える上では、原子力事業をどうするかで取り得る選択肢が全く異為って来るのであり、議論されるべき論点に付いて整理したいと思う。

 原子力発電のメリットに付いて

 震災前原子力は、エネルギー政策の3E全ての点において強みを持つとされた。具体的に挙げれば下記の通りである。

 ・少量の燃料で大きなエネルギーが取り出せる為、安定して大量の電力を供給出来る。
 ・燃料資源(ウラン燃料)が地域的に偏在して居ない(調達の安定性)。
 ・燃料の備蓄性が高く、準国産エネルギーとして国のエネルギー自給率向上に寄与する。
 ・発電時に地球温暖化の原因となる温室効果ガスを排出しない。


 原子力発電のエネルギー安定供給・安全保障上、及び地球温暖化対策としての意義は今も変わるものでは無いが、同様の意義を持つ再生可能エネルギーのコスト低下と云う変化を踏まえる必要がある事は付言して置きたい。
 そして再生可能エネルギーとの違いとしてこれ迄国民に最も強く喧伝されて来た経済性は、事故リスクの顕在化・安全対策コストの増大等により大きく変化したのであり、改めて検証が求められる。再生可能エネルギーに付いても、大量導入の段階に為れば系統安定性の確保等のコストが大きく掛かって来る事には留意が必要。

 これまで述べて来た通り、減価償却が終わった様な原子力発電所の再稼働は圧倒的な競争力を持つ。しかし今後を考えるに当たっては、モデルプラント方式による発電コスト比較によるのが妥当である。
 コスト等検証委員会や発電コスト検証ワーキングによる試算では、矢張り原子力発電のコストが最も安価という結論に為ったが、それは前提とした割引率や稼働率次第である。前提条件次第である事は、勿論他の電源も同様だが、原子力は資本費の比率が大きい分、割引率や稼働率の変動による影響が大きい。

 電力自由化をすれば、発電事業者は比較的短期の利潤を追求する事と為る為、原子力と云う長期の投資回収を必要とする技術を維持し、且つそれによる安価な電気を手にしようと思えば、英国がFIT-CfDを導入した様に、卸電力市場価格の短期のボラティリティに左右され無い投資回収を可能にする制度が必要だ。しかしそうした制度的手当てに対して国民の理解を得るのは非常に難しいだろう。
 これ迄「原発の電気は安い」としか説明されて来なかった国民に取っては、安い電源である為らば自由化による価格競争の導入によって益々有利に為る筈、特別扱いをする必要があるのは結局原発の電気が高い事を言い繕って居るだけと感じて居る方も多いからだ。

 本誌で原子力事業のコスト構造に付いて採り上げようと思った切っ掛けは、その構造が余りに理解されて居ないと感じた事にあるが、福島原子力事故で決定的に為った原子力行政への不信と相まって「原発の安全神話」のみ為らず「原発の経済性神話」も崩壊して居る

 更に言えば、原子力事業の経済性以外のメリットは実感をもって理解する事は難しい。今後の我が国のエネルギー政策に取って大きな意味を持つのは、化石燃料購入時の交渉力や燃料価格のボラティリティ対策としての原子力の価値・低炭素電源である事の価値等であろうが、それ等の価値は可視化し辛いからだ。
 環境性に付いては他の技術によるCO2削減コストとの比較等は可能であろう。しかし、エネルギー安全保障・安定供給の経済価値は評価し辛い。

 少し古い研究だが、2004年にRICE UNIVERSITYの出した我が国の原子力発電の価値に関する報告書注2)では「原油価格の急騰をもたらす様な事態が生じた場合、原子力発電所の価値はMW当たり1.54億円程度(日本の原子力発電所の建設コストの57.8%に相当)に迄上昇」との試算もある。
 社会情勢の変化や技術進展も踏まえて、今我が国が原子力発電を利用する意義を問い直し、その価値を可視化する等の工夫を講じた上で国民に対して説明を尽くす必要があるだろう。







 原子力発電のデメリットに付いて

 原子力発電のデメリットとは何か。第一には事故のリスク。原子力発電所では多種多層の安全対策が実施されて居るが、リスクは「ゼロ」には為り得無い。
 第二に高レベル放射性廃棄物の課題がある。技術的には地層処分(物質を閉じ込める力を持って居る地下深部の地層に埋設する事)が国際的に妥当とされて居るが、処分場所は決まって居ない。
 第三に、潜在的リスクとして核物質の兵器転用やテロに悪用される可能性を指摘して置く必要がある。これを防ぐ為に「核拡散防止条約」や「核物質防護条約」等の国際的な枠組みがあり、国内的には「原子炉等規制法(炉規制法)」による管理・規制が行われて居る。

 こうしたリスクは原子力技術の利用を継続する限りゼロには出来無い。その為、原子力発電所のリスクがどの程度であれば社会的に受け入れられるのかと云う「安全目標」を社会で共有する事が必要と為る。先ず関係者間で安全目標の共有に向けた議論を行い、それを判り易く国民に提供する事が必要だろう。その上で、原子力技術に関するリスクを低減する為に更に求められる事を下記に整理したい。

 (1)事業者の自主的安全性向上の仕組み

 今後日本が原子力発電の利用を継続するとしても、二度とあの様な原子力災害を起こす事は許され無い。事業者に求められるのは、一にも二にも、原子炉を安定的に安全に運営する能力である。
 この能力の有無は一義的には新規制基準の適合審査によって担保される。東電福島事故を経て、規制組織は抜本的に見直され、新たに策定された新規制基準は「世界で最も厳しい基準」と謳うたわれて居る。確かに各発電所のリスク評価を見れば、安全性が高まった事は確かであるし、規制機関及び事業者が東電福島事故に何を学びどう改善したのか、しようとして居るのか、国民にも是非関心を持って頂ければと思う。

 しかしそれで十分なのであろうか。規制基準をクリアする事は安全対策のゴールでは無い。東電福島事故において未だ規制基準違反があった事実等は確認されて居ない。それでも事故を防げ無かった事を考えれば、規制基準をクリアする事を「最低限度」と捉え、発電所の安全に一義的な責任を負う事業者が安全性向上に向けて不断の努力を講じる事、それが事業者の「努力」に委ねられるのでは無く制度的に担保されて居る事が必要だ。
 事業者の自主的な安全対策や防災対応に付いて格付けする様な制度の導入や、その評価結果が原子力損害賠償責任保険の料率や定期検査による停止日数の軽減・オンライン検査の活用等に反映され稼働率にも影響する様な仕組みも一案であろう。

 (2)安全規制の合理化・実効化  

 東電福島事故により、原子力の安全規制はその組織体制から見直された。アノ混乱の中で、新たな規制基準を構築し、審査活動を進めて居る事には大きな敬意を表したい。その上で今後に向けてより合理的・実効的な規制の在り方を模索すべきである事を指摘したい。

 米国の原子力規制に倣(なら)い、我が国でも「原子炉監視プロセス(Reactor Oversight Process: ROP)」の検討が進められて居る。これは、成績の良い発電所に対しては自主性を尊重し、悪い発電所に対しては規制の関与を強化する事で、事業者にインセンティブを付与するものだ。安定的且つ安全に炉を運転する能力の有無で事業者が篩(ふる)いに掛けられる事と為る。
 適切な篩にする為には、事業者と規制者が安全性向上に向けて実効的なコミュニケーションを取って行く事が必要不可欠である。

 米国の原子力発電会社・設計やエンジニアリング会社・燃料供給会社等から組織されたNuclear Energy Institute(NEI、原子力エネルギー協会注3)を参考に、原子力の安全性向上と云う共通の目的を有する関係者の連携の場を確保する事も必要と為るだろう。こうした能力を向上させて行く仕組みと評価、国内外の事業者によるアライアンス等を含めて手を尽くす事が求められる。

 (3)オフサイトを含めた深層防護の構築、原子力損害賠償制度の再検討
 
 オンサイトにおける安全性向上の努力が継続的に行われる事は大前提だが、繰り返しに為るがリスクはゼロには出来無い。「それでも事故が起きた場合」に備える事が必要だ。被害を最小化する為の避難計画等が継続的に充実される仕組み、もし損害を発生させた場合に事業者が損害賠償を迅速かつ責任をもって遂行する為の枠組みも整理して置く必要がある。

 前者については、科学的なエビデンスに基づく避難や除染の基準を事前に確定して置くべき事、風評被害の低減に向けた放射線教育等社会全体としての取り組みが求められる一方で、立地地域・周辺地域における避難計画が常にブラッシュアップされる様政府及び規制庁の積極的な関与や事業者と地域との連携も求められるだろう。
 これまで規制機関と立地地域とのコミュニケーションが十分であったとは言い難く、その改善は喫緊の課題であろう。又、どう評価するかの課題はあるが、地域と良好なコミュニケーションを維持出来て居る事を事業者適格の要件の一つとする事も一案であろう。

 後者に付いては、原子力損害賠償法および原子力損害賠償・廃炉等支援機構法(以下、機構法)が整備されては居るが、多くの課題がありその改正が議論されて居る。東電福島事故で明らかに為った原子力損害賠償制度の課題は数多くあるが、発災直後に生じる課題として、原子力災害により生活の基盤を失った被害者に対して、直後に一定程度の資金を提供する事(仮払い)が求められる。
 事業者の責任の有無等は後日司法の判断を仰ぐ事等もあり得るだろうが、社会不安を払拭する為にも迅速な被害者救済が急がれる事、原子力災害の発災当日から数万人規模の避難が生じる可能性がある事は東電福島事故の経験を観ても明らかだ。 
 事故収束を的確に進める一方で、被災者の生活の混乱を最小限に抑える為に、財務体力や支払い手続きに人員を確保して置く事も事業者には求められる。勿論この点にも複数の事業者が連携やアライアンスを組んで対策を講じる事も認められるべき事は付言して置きたい。

 現在、原子力規制庁が事業者の経理的基礎を審査する事には為って居るが、どの様な基準で評価して居るかは明らかでは無い。発災直後の混乱を最小限にし得る様、迅速な対応を可能とするには、どの様な枠組みを事前に構築して置く必要があるのか、改めて東電福島事故に学ぶ必要がある。
 こうした事故リスクの低減、事故が起きた場合に被害を最小限に抑える取り組みに加えて、国民に情報提供されるべきなのは「原子力発電事業のアキレス腱」と言われるバックエンド事業に付いてであろう。

 これまで我が国では、規制の下で投資回収が確保される事を前提として「半官半民」と言われる電力会社がそのリスクを抱えて来た。しかし、そもそも民間事業者には過大なリスクであり、自由化によりその事が顕在化した。
 2016年5月に公布された再処理等拠出金法により、国が再処理事業のハンドルを握る事が出来る様に為った事は大きな進歩ではあるが、改めて政府が担うべきリスクと、事業者が負うべき負担に付いて根本的な議論が求められるだろう。

 核燃料サイクル政策の有り方によって、原発の経済性も大きな影響を受ける。廃棄物処分に関する基準の明確化が無ければ、真の「原子力のコスト」も明らかに為ら無い。何時まで経っても原子力発電のコストの上振れ要因が残る事を避ける為にも、科学的議論に基づき基準策定を急ぐべきだ。その上で、バックエンドも含め負うべき負担を負える事業者のみが原子力事業の担い手として認められる。
 放射性廃棄物の処分場所が決まって居ない状況において、メリットとデメリットの比較衡量と云った議論すらすべきでは無いと云う声も多い。高レベル廃棄物の最終処分地に付いては、科学的特性マップが公表されたばかりで議論はこれからであるし、核燃料サイクル政策決定当初と現在では様々な状況・条件が大きく異なってしまっており、これを堅持する理由が国民には理解し辛い。

 これまでの政策方針の積み上げや歴史的背景、外交・安全保障関連の制約、政策転換に伴う政治的・経済的コスト等が複雑に絡み合い、採れる選択肢が相当に制限されて居る事は確かであるが、そうした状況を詳らかにし、今後執り得るオプションを出来得る限り提示した上で、国民的な議論を喚起する必要があるだろう。


 




 我が国の原子力に未来はあるか

 福島復興の加速や福島第一原子力発電所の廃炉の着実な進展は大前提であるし、人材育成や技術の維持も大きな課題である。我が国の「原子力に未来はあるか」と云う問いに答える事は容易では無い。

 そもそも、脱炭素化に向けた政策的措置と低コスト化によって、再生可能エネルギーに投資が集まり、自由化市場に置かれる従来型電源はその維持が難しく為る。蓄電技術が相当な進歩をする迄は再生可能エネルギーの調整役を果たす電源が必要であり、従来型電源が淘汰されるに任せて置く訳には行かないのではあるが、従来型電源の中でも原子力は柔軟性の価値に乏しい

 電化の進展により電力需要が何処まで増えるか、再生可能エネルギーが何処まで拡大するか、そして従来型電源の中で火力発電と原子力発電のどちらがどれ程社会に必要とされるかで原子力の未来は変わって来る。
 原子力発電を利用し無い事によるリスクと勘案して、当面は利用すると云う事であれば、徹底してそのメリットを最大化しリスクを最小化すべきであるし、その上で、依存度の低減と云う「撤退戦」をどう進めるかを考え無ければ為ら無い。
 「無くなれ」と言えば無く為る訳では無いので、役割を終えた原子炉に付いては安全に且つ出来るだけ国民負担を掛けずに寿命を終えさせる事を考えねば為ら無い。

 また、当面我が国が原子力発電を利用するのであれば、その担い手に「原子力事業を担う資格」を厳しく問わねば為ら無い。資格を問うと云う事は、現状の様に過大な事業リスクを事業者に負わせる事では無い。安全対策が何処まで求められるかの予見可能性に乏しい規制活動、選挙の度に脱原発を争点に掲げ政争の具にされる不安定性、訴訟による稼働停止リスクを事業者に負わせて居る現状は、社会がその技術を利用する上で健全な状況とは言え無い。
 寧ろ担い手に付いては適切な篩に掛ける、或は体制を再構築した上で、事業環境を整備し事業者が原子力発電所の安全性向上に専心出来る様にすべきではないか。我が国の原子力に未来はあるか、と云う問いは、我々社会の覚悟を問う問いでもある。


                 以上


 




 【管理人のひとこと】

 竹内 純子氏のプロフィールを観ると、決して原子力技術者では無く東電の法務関係の社員であって、政治的・社会的・法律的な立場で「原子力行政」を語る人の様で、永い間政府の原発に関わる各種の民間委員として活動して来た人の様だ。
 言わば、外部の人間として広く高い処から原子力行政全般を俯瞰(ふかん)して来たのだろう。時には事業者の立場に時には行政側に、そして女性・国民目線での広範囲での知見を以てこの様なレポートを出したのだろう。

 原発に対する、原子力技術者としての深い知見は無く、その思想は素人の電力利用者・国民の立場でも発言出来るのだが、残念な事に原発事故の際の被害者への影響を、単に経済的救済の迅速な措置を求めるのものであり、被災者への身体問題・原発事故に依る社会的・経済的損失・・・農林漁業・社会的環境破壊等には視界が届いて無い様な、官僚的単一視感が強く感じられる。
 未だ解明され無い放射能への低年齢者への影響や、廃棄物処分に対しても地層処理の現実的管理・・・100年1000年〜何万年共管理出来るものが果たして可能なのかに付いても思量が届か無い、近視眼的な思考しか出来無い・・・勿論科学的に未知ものなので今は何も言え無いのだが、それだけ未知な問題を含む危険なものだとの事は最低限言わなくては為ら無いのだが。





 


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