2019年08月31日

短編−縁日の夜


「さ、もどろうか」
 父が拓馬の手を引いた。神社のおまいりにいくこと、それがひとつめの目的だ。その後は道中に遠目で見ていた出店を、ふたたびながめる。そして拓馬とその姉が気に入る店へ立ち寄って、遊んだり買い物をしたりする。これからが子どもたちの、たのしいお祭りの本番だ。
 拓馬の姉はさっそく「あれやりたいな!」と言って、境内からいくらも離れていない射的の店へ駆けた。その店に寄ることは話し合いで決定していた。決め手は拓馬と背丈が同じくらいの子がチャレンジしていたことだ。
 身長のちいさな子どもでは、何段かある射的台のいちばん下の的さえねらいにくい。それゆえその子は店が用意した踏み台を使わせてもらい、踏み台のおかげでおもちゃの銃を一人前にあつかっていた。これなら拓馬にもできる──と姉が父に主張した。弟が遊べることを理由にしてこそいるが、いちばんやりたがっているのは姉である。だが拓馬も射的の銃をさわってみたいと思った。
「拓馬も射的をやる?」
 父はあらためて拓馬にたずねてくる。拓馬は頭を縦にふって、姉と意見を同じくした。
 父は店主に二人分の小銭を支払う。料金を受け取った店主が二丁の筒の長い銃を持ちだした。それを子どもたちに渡す。姉は嬉々として銃を受け取った。拓馬も慣れない銃におっかなびっくりしながら手にとる。見た目は大きく、本物の銃のごとくかっこいいが、手ざわりは意外と普通だと感じた。拓馬が家や幼稚園で使う遊び道具と、感触が似ている。ただ大きさと重さにはかなり差があり、こちらのほうが特別感がある。拓馬はいまこのときしか出会えないであろうおもちゃを持てて、とてもうれしくなった。
 しかし射的をしようにも、やはり拓馬の身長では射的台をうまくねらえない。姉の身長がぎりぎり、銃を持った腕を長机にのせられるくらいだ。そこで店主は屋台に用意してあった踏み台を持ってきて、拓馬の足元に置いた。その踏み台は、拓馬が片足でのぼるには高すぎた。踏み台か長机につかまれば安全にのぼれそうではある。しかし拓馬はおもちゃ銃のせいで両手がふさがっている。これでは踏み台にのぼれない。
 銃をいったん父にもってもらおうか、と拓馬は父の顔を見上げた。父はにっこり笑む。父の手は拓馬の両手にのびてくるかと思いきや、両腕を通りすぎて、拓馬の両脇へおさまった。父は銃でなく、拓馬を持とうとしているのだ。
 拓馬は父に抱っこしてもらえるとは思っていなかった。しかし自分の期待よりよほどうれしい事態だ。父による数秒の浮遊のあいだ、遊ぶときとはちがう楽しさをおぼえた。
「ほら、これで遊べる」
 拓馬は父のおかげで踏み台に立つ。的のあるほうへ向きなおって、さあ準備ができた、とばかりに、かかえていた銃をかまえてみる。そのとき店主が「まだ弾が入ってないよ」と笑いながら言った。
 店主はプラスチックのちいさな箱を二つ、手にもっていた。その箱を拓馬と姉のまえにある横長の台に置く。箱の中には蛍光色の細長い弾が入っている。弾の先端には丸い吸盤がついていた。拓馬は弾をひとつとってみて、銃の先端の穴と見比べた。これをどうやって銃に入れよう、と疑問に感じていたら、店主が「こうやって入れるんだ」と言って、予備の銃をもちだした。銃の持ち手を、横長の台へ垂直に置く。銃の先端に手持ちの弾の、とがっている部分を入れてみせる。おもちゃの銃が充填できたら右手で持ち手を、左手で銃身を支えた。射的台の的へ、銃口を向ける。引き金をカチャっとひいて、お菓子の四角い箱にパンっと当てた。その箱は重さがあったのか射的台からは落ちず、「ちゃんと落ちたらあげるからね」と店主はこの遊びのルールをつけくわえた。
 姉は店主の見本のとおりに弾を筒にこめる。拓馬も姉につづき、弾の細くなっている部分を筒に押しこんだ。二人の準備がととのったとき、店主が当てた箱はもとどおりの角度にもどっていて、弾もどこかへ片付けられていた。オマケしてくれないのか、と拓馬はちょっとざんねんに感じ、店主がいるほうをちらっと見る。露店のはしっこにいる店主はパイプ椅子に腰かけていた。そのうしろ、露店のすぐ外にあたる部分に人影が見えた。拓馬はその人影がなんなのか気になる。体の大部分は屋台のテントに隠れていて、拓馬の居場所からは全容が見えなかった。
(だれ……?)
 拓馬はなぞの人物に着目していたが、姉が弾を発射する音に意識をよびもどされる。そうして気持ちは射的にかたむき、露店での遊びに興じた。

 拓馬と姉はすべての弾を撃ちおえる。落とせた景品は小物だ。ほかにもあった景品の中ではもっとも小さいお菓子の箱が二つ。弾は十発ずつもらえたが、大物は得られなかった。姉は射的台の吸盤がついた大箱を見て「おしかったなぁ」とくやしがった。何発も弾を当てれば落とせるかと思ったのだが、うまくいかなかったのだ。言葉とは裏腹に姉の顔つきはにこにこしていて、射的をぞんぶんに楽しんだことがありありと伝わった。拓馬も遊びそのものに楽しみを感じたので、景品の大小や多いすくないはあまり気にならなかった。
 踏み台に立つ拓馬は父に手を支えてもらい、おりた。店主が景品をもってきて、拓馬たちにひとつずつ渡す。その際、紙箱に入っているお菓子のことを店主が言った。二つの菓子はパッケージのデザインがちがうものの、中身は同じキャラメルだという。どちらを選んでも姉弟ゲンカが起きるようなシロモノではないと見て、姉も拓馬も、店主の差し出す菓子箱を素直にもらった。
 拓馬が両手で箱を受け取ると、店主は「遊んでくれてありがとう」と言った。父も、
「はい、ありがとうございます」
 と店主にお礼をのべた。父と店主のやり取りのあいだ、拓馬は露店のそばに目を向ける。まだ人影があることに気付いた。あいかわらず、テントで体が隠れている。だから拓馬は視界がテントでさえぎられないところまで歩く。そして射的屋のわきにいる人物の全身を目の当たりにした。
 拓馬たちのちかくにいた人影とは、お面を被る人だとわかった。そのお面は全体的に赤く、祭りの露店で売られている変身ヒーローものと雰囲気は似ている。しかし拓馬が知るかぎり、今日の露店では飾られていなかった形だ。おまけにそのお面のキャラクターがどの作品のものなのか、拓馬はなにも連想できなかった。このお祭りのなかで見かけたお面はたいてい、拓馬のなじみがあったのだが。
(おみせの、おめんじゃない?)
 このお祭りで買ったお面ではないと、拓馬は思った。きっとその見慣れぬお面はこのお祭りが行なわれるまえに入手したものだ。たとえばむかしのお祭りで、露店で買った──おそらく時期は拓馬が物心つくまえ、ひょっとすると拓馬が生まれるまえかもしれない。
「あまりじっと見てはいけないよ」
 父は拓馬にそう注意するなり、拓馬の手をにぎる。父もお面の人に気付いたようだ。父の注意は「他人をずっと見つめることはよくないこと」というルールからくるものだ、と拓馬は思った。そこでどれだけ見つめてもよい父の顔を見上げる。父はちょっと怒ったような顔をしている。拓馬は自分がそんなにいけないことをしてしまったのか、と悲しくなった。拓馬がしょんぼりするのを見た父は、
「拓馬はわるいことをしていない。だから気にしないで……」
 そう言って不器用に笑み、
「ここはちょっと危ないだけなんだ」
 と奇妙なことを口走った。姉が「なんのこと?」と言ってくるが、父は答えない。拓馬の手を引いて、すぐに射的屋をあとにした。
 射的屋からいくらも離れないうちに、姉が「ねえ教えて」としつこく父に聞いてきた。姉はお面の人を見ていないのだろう。姉はなにかと注意力の足りない性格なので、そういう見過ごしはいつもやっていることだ。
 父は姉のしつこさに耐えかねてか、目についた露店を指さす。
「あれをやってみる?」
 その露店は水に流れるスーパーボールをすくうところだ。神社へまいる道中で、姉が興味をいだいた遊びでもある。姉はさきほどの疑問なぞどこへやら「やろう、やろう!」とはしゃいで、われさきに露店へ駆け寄った。
 拓馬は父に手を引かれて、姉がさきに到着した露店へちかよる。父がボールすくいの料金を支払うとき、ちらっと射的屋のあるほうを見た。この角度ではお面の人が立っていた場所が物陰に隠れてしまっていて、その居場所はよくわからない。
「拓馬、このポイを使うんだよ」
 父は小さな団扇のようなものを拓馬の目のまえに出した。白い紙を貼った面はすこし透けていてもろそうであり、持ち手は指でつまむ程度の太さしかない。そのたよりなさげな道具を使って、水面を流れるスーパーボールをすくう遊びなのだ。
「拓馬たちが持ってるお菓子、父さんがすこしあずかっておくよ」
 子どもたちの両手を空けるため、父は荷物持ちを申し出た。姉と拓馬は手にあった戦利品を父に渡した。そうして片手にポイを、もう一方の手にすくったボールを入れるステンレスの器を持って、水面に顔をちかづけた。
「ポイはそーっと水につけるんだ。いきおいよくうごかすと、やぶけやすくなるから」
 父は子どもらに助言をくりだした。遊びに参加しない父はずっと、拓馬のそばで立っていた。姉が父に声をかけても、父はその場をうごかない。不動の父の後方には、拓馬たちが遊んだ射的屋があった。

 露店の遊びに満足したあと、家で待つ母のおみやげに、ベビーカステラやたこ焼きなどを買う。そうした荷物は父が運ぶ。そのため帰り道では拓馬と父が手をつながずに歩いた。
 拓馬はときどきうしろを振り返っては、お面を被る人がいないかを確認する。なぜだか拓馬はあのお面の人が気になってしょうがなかった。もしお面の人がまた拓馬たちのそばにあらわれたらどうしようかと不安なのだ。
 さいわい帰路および家へ着いたときも不審なお面姿は見なかった。拓馬はやっと安心し、母と愛犬のいる家へと入った。
 家の玄関をまたいだとたん、白黒の犬が廊下で出迎えた。目のまわりが黒く、眉間から口元が白い、毛足の長い中型犬だ。犬はお祭りから帰った家族にしっぽをふり、歓迎した。
 拓馬たちが靴をぬいで、廊下へあがる。犬は父のもつ食べものの入った袋をしきりにかいだ。においに興味津々だ。露店でいろんなにおいをかいできた拓馬はそれが特別気になるものだとは思っていなかったが、お祭りに行っていない犬には真新しい感覚らしい。
(いっしょにつれていけたらな……)
 犬もお祭りの空気を味わえばきっとよろこぶ。そう思えるくらいに犬はご機嫌だ。今日は連れていけなかったけれど、こんどは父にたのんでみよう、と拓馬はいつ実行できるかわからない漠然とした予定を立てた。
 拓馬たちはリビングで母におみやげを渡し、食卓でそれらをならべた。母へのみやげ、とは言うものの実際は家族全員で分けて食べる。飼い犬には露店の食べものをあげられないのがざんねんだが、かわりに犬用のおやつをあげて、犬ともたのしみを分かち合った。
 父たちは食べながらの歓談をする。よくしゃべるのは姉だ。お祭りで遊んだことや獲得できた景品などを誇らしげに母に語る。姉が話せることは拓馬とほぼ同じなので、拓馬はだまって犬をなでているばかりだった。
 姉の話すことが尽きてくると、母は子どもに入浴をうながした。すでに母はすませたので、子とともに風呂に入るのは父の役目になる。父は子ども二人をつれて風呂場へ行った。
 入浴がすめば次は歯みがきにかかり、ねる支度がすんだ。拓馬は夜にねるとき、いつも母と姉と同じ布団でねる。それゆえ今晩も三人同時に就寝した。父はたいていひとりでねるか、飼い犬といっしょにねる。今日は犬といっしょにねるというので、父はずっと朝までリビングですごすのだろう。
 母は子どもたちが布団に入ると、部屋の照明を暗くした。そうして母自身も布団に入った。拓馬は母と姉が入眠前のおしゃべりをするのを聞きながら、目を閉じる。しかしいくら目をつむっても寝付けなかった。活発的だった姉がおとなしくなって、ついにはだまってしまっても、拓馬は心がもやもやしていて、ねむるにねむれなかった。

──ここはちょっと危ないだけなんだ。

 拓馬は父の言葉を思い出した。射的屋にいたとき、拓馬を叱責した父がそう言った。そのときの拓馬は父の言動をあまり気にしていなかったものの、いまになってふりかえると、なんだか変だと思うところがある。父のこの言葉は意味がよくわからない。父が子に向けて、不可解なことを言うことはまずないのに、父はこれきり同じ話題を口にしなかった。
 父がよくわからないことを言うときがないわけではない。母との会話では時々むずかしい話をする。そんなとき姉はしばしば両親の会話に入って、「どういうこと?」と聞く。父は子どもにわかりやすいよう、ていねいに答える。それがいつもの父だ。なのに、今日の父は姉の追究を無視した。ふだんのやさしい父とは思えない、冷たい態度だった。
(どうして、おこってたの?)
 拓馬は父の異変が気になり、そのことを父に聞きたくなった。
 寝息を立てている母と姉を起こさないように、拓馬は慎重に寝床をぬけだす。部屋の戸を開けた。廊下はまっくらだ。
 暗いのはこわい。このままでは階段まで行けない。だが、拓馬はくらがりがすぐに消える確信があった。拓馬がいる二階は廊下の電灯がすこし特殊で、うごくものがあると自動で点くようになっている。それゆえ、拓馬は廊下のフローリング床へすすみ出た。
 二、三歩あるくと廊下はパッとあかるくなる。その明かりが拓馬の恐怖心をかるくしてくれた。拓馬は階段にさしかかると、壁にある階段用の照明のスイッチを切り替えた。このスイッチは階段をおりたさきにも同じものがある。それゆえ、階段をのぼりおりするときだけ使うことにしている。
 拓馬は階段の手すりをつかんで、一歩ずつ父のもとへ向かった。そのうちに、一階の廊下からカシカシと音が鳴る。それは飼い犬が廊下をあるくときに鳴る足音にちがいない。犬の爪がフローリングの床に当たると、そんな音がいつも出る。
 拓馬は自分の足元ばかり注視するのをやめて、階下の床を見る。一階の廊下はすでに照明が消されていた。しかし階段用の照明とリビングからもれる光がかろうじて廊下を照らす。二か所からの光源を得た廊下には、やはり白黒の犬がいる。上階からもどってくる家族の気配を察知して、むかえにきたらしい。この犬はリビングの戸が閉まっていても自力で開けられるので、犬用の檻に閉じこめられないかぎり、こうして二階からおりてきた家族に寄ってくるのだ。
 犬が自身の白い口元を拓馬に向けながらしっぽをふる。それを見た拓馬はすっかり暗闇への恐怖が消え失せた。くらがりの中で、たのもしい友を見つけたおかげである。拓馬は人懐っこい犬を笑顔でむかえた。

 拓馬は階段をおりた。拓馬のそばに寄ってきた犬をなでたかったが、我慢する。犬をさわらずにおいた手は、まず照明を消すために使う。拓馬はスイッチに自分の手をかける。その手を目視すると、そのまま視線を階段にもどそうとした。すぐにスイッチを切り替えないのは、拓馬の失敗にもとづく対策だ。
 過去に「明かりを消した」と思って照明の状態を確認しないまま、立ち去ったことがあった。すると実は点けっぱなしだった、という意図せぬ事態が起きた。おそらく、いまのように拓馬のもとへきた犬に気を取られ、拓馬はスイッチをうごかしわすれたのだ。別段そのことを両親にとがめられた経験はないが、姉に「拓馬もうっかりさん〜」とからかわれ、拓馬はムっとした思い出がある。以後拓馬はちゃんと煌々と光る照明を見届けてからスイッチを切るようになった。
 拓馬が視線を上げたさきに、不審な物影があった。階段の踊り場に人が立っている。その姿は二階にいる母でも姉でもない。一階にいる父と似た体格だが、その人が父ではない証拠があった。階段にいる人物は、父が身につけるはずのないお面を被っているのだ。それも赤いヒーローを模したデザインの。
(シャテキのおみせに、いた──!)
 拓馬がそう気付いたとき、恐怖でふるえあがった。この家の者ではない存在が、家に侵入している。これは非常事態だ。とにかく大人に知らせなくてはいけない。そうとわかっていても、拓馬はうごけなかった。その理由は突然の侵入者におどろいてしまったせいもあるが、ほんとうにこのことを親に告げてよいものかという迷いも出た。
(また、クウソウだって、いわれる?)
 拓馬に見えるものが、周囲の人には理解されない場合がある。母と幼稚園の先生はとくにその傾向があり、「ときどき空想をしゃべる子だ」という評価が拓馬についてまわる。空想とは、現実にはない物事を頭の中で考えることを意味する。つまり、拓馬が見えるものの一部は、現実には無いものということである。拓馬が見えるもののうち、ほかの人が見えないものがある理由はわからない。そういうものなのだと拓馬は認識している。
 拓馬がまごついているとお面の人は階段を一段、おりた。拓馬に接近しようとしているのか。拓馬はいよいよ身の危険をおぼえた。階段の照明は点灯したままにし、あとずさりする。お面の人はまた一段、おりた。
 この調子ではすぐ追いつかれる、と感じた拓馬はくるっと背を向けた。リビングまで早歩きですすむ。明るいリビングではソファ前にあった座卓がどかされていて、そこに父が布団を敷いていた。しゃがんでいた父は子の足音に気付いて、ふりかえる。
「ああ、拓馬か。どうしたんだい?」
 父は温厚にたずねた直後、表情が硬くなる。
「拓馬、こっちにきて」
 父は強い語気でそう指示してきた。拓馬は最初からそのつもりでいたので、素直に父のもとへ小走りする。拓馬が走り寄る間に、父は腰をあげた。拓馬は立ち上がった父のうしろに隠れて、廊下のほうを見る。お面の人はやはり拓馬のあとをついてきていた。侵入者がリビングへと入ってくる。拓馬はとっさに父の服を両手でつかんだ。
「あなたはなんの用があって、うちの子を追いかけるのですか?」
 父はお面の人に話しかけた。父も侵入者が見えている。ならばこのお面の人は拓馬の空想ではないのだ。その事実が拓馬にちょっとした安堵を感じさせた。
「うちの子があなたを見ていたからですか」
 父は見ず知らずの他人と意志疎通を図る。
「こんなに小さな子が、あなたの無念を晴らせるはずはありません」
 「ムネン」という単語の意味を、拓馬は知らない。それを「ハらせる」という用法も聞き慣れない。それゆえ拓馬は父がなにを言っているのか、想像もできなかった。
「代わりに私が用件を聞きます。あなたはいったい、我々にどうしてほしいのですか」
 だが相手の反応は無きにひとしく、のろのろと接近してきた。このままでは部屋のすみまで追いこまれる。拓馬は父がどう対処するのか、不安げに見上げた。すると父はなぜかみずからお面の人に近づく。拓馬はつかんでいた父の服を放し、父を見守った。

 お面の人の両手が、父にのびる。節くれ立った手は父の首をつかんだ。それが敵意ある行動だと、おさない拓馬にも伝わった。拓馬はびっくりして体をこわばらせたが、固まっていてはいけないと自己を叱咤する。この場にいるのは自分だけ。父を助けられるのは、自分しかいないのだ。父を助けねばならないと思い、対策を練る。
(えっと、とうさんを、たすける──)
 拓馬はまわりを見て、ソファにボールがころがっているのを発見する。このボールは犬用の遊び道具だ。弾力のある材質で、体に当たるとなかなか痛い。これを父を襲う不届き者に当ててやれば、ひるむ。そう考えた拓馬はさっそくボールをつかみ、ふりかぶった。
 拓馬は幼稚園でやるドッジボールの要領で、お面の人の胴体をねらう。いま手にするボールはドッジボールで使うものより格段に小さく、外す可能性は高いが、それでも拓馬は臆せず投げた。ふだんから犬との遊びの中でこのボールを投げる経験があり、コントロールには自信があったのだ。
 拓馬の一投はややねらいの下方へ飛び、お面の人の太ももへ向かう。標的の足はその場をうごかず、確実にボールが命中する、はずだった。
 お面の人の体に当たったボールは一瞬姿を消した。と思うと床を跳ねる音が響いて、どこかへころがっていく。これは予想外の事態だ。
(ボール……あたった、よね?)
 拓馬は混乱した。いまのボールのうごきは完全に、ボールが人に命中しなかった場合のものだ。しかし拓馬の目ではたしかに自分の放ったボールが襲撃者を捉えていた。
 呆然とする拓馬の視界に、またも奇妙な現象が起きた。父がお面の人の手首をつかむと、相手の手が忽然と消えてしまう。両手を喪失した襲撃者はお面を左右にふって、自身の体の異変にとまどっていた。
「どうか、来世では幸福な生をむかえてください」
 父は片手をかざして、おもむろにお面の人に接近した。その手が困惑中の相手の肩に乗る。相手の肩が塵のごとく消えていく。消える部位はしだいに広がり、ついにはお面の人の体すべてが散り散りになった。
 まるで手品のような光景だ。だが父は手品師ではなく、手品を子らに披露したこともない。これはきっと、手品とはちがう。であればなんなのか、というと拓馬にはなにもわからず、呆然と立ち尽くした。
 カシカシ、と犬の足音が廊下から聞こえる。その音と前後して、ボールがリビングへころがってきた。さきほど拓馬が投げたボールだ。廊下にいた犬がそれで遊んでいるらしい。犬は平然とした顔でボールを取りにくる。家の中に侵入者があったことなどまったく気にしていないようだ。
 父は前屈みになり、犬が遊ぶボールを取る。
「今日はもうおしまい」
 父は犬用のおもちゃ箱へボールをしまった。犬に目をくれず、拓馬をまっすぐ見てくる。
「ちょっと座って、おしゃべりしようか」
 父がソファに腰掛ける。犬は父の足元に寄ってきて、伏せた。拓馬は父に座席の指定をされなかったので、ソファには座らず、中途半端に畳まれた布団に座る。拓馬は手を犬の体に置きながら、父の顔を見上げた。
 父は心配げな顔をして、拓馬の顔をのぞく。
「拓馬は……ここにいた人を見た?」
 拓馬は大きくうなずいた。なぜそんなことを聞くのかわからないくらい簡単な問いだ。
「その人は、赤色のお面をかぶってた?」
 再度、拓馬はうなずいた。父の表情から暗さが消える。父はソファの背もたれによりかかって、天井をあおぐ。
「そうか……」
 父はしばらく、考えこんだ。拓馬は父の言う「おしゃべり」がこれで終わったのかと思い、その不十分さに不満をいだく。
(ぜんぜん、おしゃべりじゃない……)
 拓馬はあてがはずれて、むくれた。
 父がむくっと上体を前へうごかす。
「拓馬が見た人は、ふつうの人に見えただろうけれど……」
 父の目はしっかりと拓馬を捕捉する。
「ほんとうは、死んでいる人だったんだ」
 父の使う単語は幼い子どもでもわかる、簡単な表現だ。しかし内容自体は拓馬の理解がおよばなかった。

 父が言うには、拓馬は死んだ生き物の姿が見える体質らしい。世間ではそれを霊視能力といい、父もその力をもっているという。
「拓馬はオバケが見えることをこわがらなくてもいい。父さんもいっしょだからね」
 ただ、父は自分の意思で霊を見たり、見えなくしたりと力を調整できる、と付け加えた。
「じつは真洋《まよ》も、オバケが見えてたんだ。いまの拓馬より小さかったころかな」
 姉も拓馬や父と同じだった──なのにどうして、姉はお面の人に気付かなかったのか。
「いまじゃ見えなくなった。見えていたときのことも、もうおぼえてないようだよ」
 それは姉が「オバケがこわい。見たくない」と思ったのをきっかけに、力を失ったということらしい。
「それか真洋は父さんみたいに、力の出し入れができるのかもしれないね。まあ『オバケを見る力がある』ことをわすれていたら、力の出しようがないけれど」
 父たちの霊視について、母は認識していないそうだ。父はいちど母に伝えたが、冗談だと思われて、それっきりだという。
「だから母さんには内緒にしよう。拓馬がこれからヘンなものを見かけたときは、父さんにこっそり教えてほしい」
 拓馬はうなずいた。父ならわかってくれるという思いは以前からあったので、父の意向は拓馬の希望と合致した。

 父は拓馬の就寝時刻が遅れるのを気にして、布団を敷きはじめた。今晩は父とねてもいい、という。拓馬は父と犬とともに夜をすごせるのをよろこんだ。
 拓馬は父の敷いた布団に入る。父はリビングの明かりを消して、同じ布団に入った。犬は拓馬の足元に寄りかかって、横になる。拓馬は布団ごしの愛犬を感じると、うれしさとたのもしさを得た。
 拓馬はすっかりウキウキとした気分になり、幸福にねむれる状態になる。しかしふと、さきほどのお面の幽霊はどうなったのか、疑問が出てきた。そのとき父が会話を切り出す。
「あのお面の人は、天国にいけたかな……そうなるように願ったんだが、いつも確かめようがないんだ」
 父はお面の幽霊が消え去ったときのことを話した。父はああやって敵意を向けてくる霊には退散と成仏の願望をこめて接するそうだ。そうすると彼らは消えていく。だがどこへ行くのかというと、わからないのだという。
「なんであの人が拓馬についてきたのか……聞けなかった」
 拓馬は消化不良な顛末をむかえたことに、もやもやを感じた。
「だけど、あの人が生きていたころの話かもしれないことは、父さん知ってる」
 父は確信のない噂話を、絵本の読み聞かせのごとく語った。
 あのお面の幽霊は、過去にこの町にいた人物の可能性があるという。その人は生前、難病をわずらった。治療をする資金もなく、ただ死を待つような暮らしをしていた。次第に生きる希望を見失ってしまう。ふと子どもがたのしそうにしているの見たとき、未来のある他人をねたんだ。哀れな病人は今日のような祭りの日に、露店でお面を買った。それをかぶって、親とはぐれた子どもを襲った。子どもはケガを負い、病人は警察に捕まった。子どもを襲った罪人は警察署で取り調べを受ける期間中に病が悪化し、病死したという。
「そのお面の人は……子どもを傷つけた。わるいことをしたんだ。もしその人がうちのきたオバケと同じ人だったら、ぜんぜん反省してないってことになるだろうね。だから天国に行けなくてもしかたない。でも、かわいそうな人だったと、父さんは思う」
 父はそっと拓馬の腕に触れる。
「もし拓馬が死んだ人のオバケを見たくないと思うんなら、そうねがえばいい。絶対とは言い切れないけど、たぶん、見えなくなる。ただ、オバケが見えててもいいと思うよ」
 父は拓馬の腕をつたって、拓馬の手を握る。
「拓馬がオバケを見るおかげで、だれかの助けになるかもしれない。それは生きている人、死んでいる人の両方にありうることだ」
 だれかの助けに──拓馬はその言葉が気になったが、ねむけに負けて、記憶にとどめられそうにない。
「人助けだなんて、拓馬がもっと大きくなってからやればいいな。今日はもう寝よう」
 父は拓馬の手をにぎったまま、しずかな呼吸を繰り返す。拓馬は朦朧とした意識の中で、父の他者へ対する深い愛情を感じた。
タグ:拓馬
posted by 三利実巳 at 23:50 | Comment(0) | 短編
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