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2019年03月24日

天空の帝国インカ その謎に挑む

山本紀夫 PHP研究所

インカ帝国の自然環境や文化について。

アンデスの他では見られないような特異な自然環境や文化からインカ帝国の性質を探るような内容。

例えばアンデスでは複雑な自然環境、というのも赤道に近くかつ標高差が大きいため、少し移動するだけで一気に寒くなったり熱くなったりする、雨量も少ない距離で変わるなど特殊な環境になっており、インカはそれに適応している。
パラモ(スペイン語で荒地)という湿潤な自然環境があるのだが、そこは雨量の多さから植物が生い茂り、結果開発が困難になっている、そのためパラモが広がるインカの北側の北部アンデスでは大きな勢力は育たなかったとしている。

インカは放牧地として使える乾燥地帯のプナ、主にジャガイモ生産に使えるスニ、トウモロコシに適したケチュア、そして熱帯作物が育つユンガなどを複合的に使用していたとのこと。
そして高地は概ね虫や疫病が少なく過ごしやすく、そのためインカの発展の原動力になったとも書いている、似たようなパターンにエチオピアがあり、こっちも高原(低地は病気のために住みにくい)。

またインカ帝国では通常から逸脱したものを神聖なもの「ワカ」としてまつる習慣があり、変な形のトウモロコシや双子から奇形まで、みなワカ扱いされるとのこと。
またそのワカを保存する性質から、突然変異を保存する文化が生まれ、それがアンデスの大量の作物の品種を支える文化になっていることを指摘している。
そして白人もまたそのグループに入っていたのがインカ滅亡の原因の一つであったとしている。

大月氏

小谷仲男 東宝書店

史記に登場するなぞの遊牧民「月氏」この月氏は何者なのか、ほとんどない史料と考古学からその正体を追う…って内容です。

史記の月氏はかつて匈奴の西方で強い勢力を持っていたのが、匈奴に敗れて西方へのがれ、それを聞いた漢武帝は張騫を西方に派遣、しかし月氏は現在の土地が豊かで満足しているので匈奴と戦う気はないというスタンスで、張騫の派遣は徒労に終わったものの、張騫のおかげで西方の知識が大量に漢に流れ込むことになったという形。

著者は月氏をもともと西方(アムダリア流域)にいた民族が東方に勢力を拡張、しかし匈奴に敗れて元居た西方に戻っただけ、そして月氏は遊牧民でも主に交易で財を成した民族で、匈奴が月氏を滅ぼしたのも冒頓単于が月氏に人質に取られている間に西方との交易のうまみを知ったのではないかと仮定している。
月氏系の遺跡は東方の影響が少なく、もともと東方にいた民族ではないという過程である。
さらに漢書に見える塞を架空の民族として、史記のほうの記述が史実に沿っているとしている。

あとは主に大夏(バクトリア)の年遺跡やその後の謎の遊牧民の遺跡、カザフスタンに眠る月氏と関係がありそうな遺跡などに多くのページを割いており、その点からもやはり月氏はもともと西方の民族説を挙げている。
一部の遺跡は前に黄金のアフガニスタンで展示されてたやつだこれってなりました。

戦火のサラエボ100年史 

梅原季哉 朝日新聞出版

第一次世界大戦の始まりとなったサラエボ事件、その後ユーゴスラビア紛争の戦場になり再び破壊されたその都市の歴史を、サラエボに暮らすいくつかの一家を取材するという内容。

前半は主にサラエボ事件にかかわる内容。
スペインを追われたユダヤ人や、チェコからやってきた鉄道関係者の子孫(便宜上クロアチア人を名乗っているが、当人のアイデンティティはヨーロッパ人とのこと)などのアイデンティティを持つ人間がおり、複数の民族が暮らす複雑な都市。
その中には100年前に祖父がサラエボ事件を目撃したという家に取材したりとのこと。

後半はユーゴスラビア紛争の時にサラエボに住んでいた人物の言葉。
ボスニアヘルツェゴビナにはボシュニャク人(イスラム教徒のスラブ人)が主体で、それ以外にセルビア人、クロアチア人が多く住む、ボシュニャク人ですら過半数を超えることはなく、旧ユーゴスラビアの中ではかなり複雑な民族構成。その結果ユーゴスラビアが崩壊していく中で、セルビア人とボシュニャク人およびクロアチア人との関係が悪化、大規模な紛争に発展していく、その中で苦しい生活を強いられたサラエボ市民の回想がメイン。

ちょうどその前に読んだブルガリアの歴史といろいろ時期がかぶっており一部の事件には関連性があり(ブルガリアは隣国)理解するには便利だったり。

ブルガリアの歴史

RJクランプトン 高田有現 久原寛子訳

そのまま、ブルガリアの歴史。多くがオスマン帝国衰退期におけるブルガリアの変容→独立後の両大戦での混乱と苦悩→東側陣営に入ってから冷戦終了までに割かれている。

ブルガリアは初期にはブルガール人(チュルク系)とスラブ系が混合しスラブ化され、さらにキリスト教が広まるまで。ブルガールとはチュルク語で混ぜ合わさるという意味で、複数の集団の混成集団だったとのこと。

初期はビザンツを圧倒したものの、その後はビザンツの反撃やマジャール人の攻撃もあり調子が悪くなり、最終的にオスマン帝国に併呑される。

とそんな感じで始まってその後はオスマン帝国の衰退と混乱による度重なる増税に耐え兼ね反乱が頻発、最終的に独立を達成も、第一次世界大戦において同盟側についてしまったために敗戦国になり、第二次世界大戦では紆余曲折を経て東側へ、その後冷戦の終わりの混乱の途中で本書の内容は終わっている。

内容は多くが独立から第一次世界大戦までの部分に割かれています。

2019年03月12日

戦争関東の覇権戦争 北条氏VS関東管領上杉氏55年の戦い

黒田元樹 洋泉社

前半は両上杉氏、後半上杉謙信と北条氏の戦い。

戦国に多数存在した国衆と大名との関係がメインで、小規模な領国を形成し各地に割拠した国衆が双方の陣営につくことで、戦争の流れが大きく変わると言うことを強調している。

大名と国衆の差は規模の大小くらいで厳密さはないようで、ここでは基本大名扱いの佐竹、里見も国衆よりの扱いっぽくなっている。

とくに大量の上杉謙信による関東出兵は上杉寄りの国衆の効果が大きく、特に1561年は関東の国衆が軒並み謙信についたため、北条はあっさり小田原まで追い込まれている、結局領地の問題などで多くの国衆が上杉から離れて北条は息を吹き返すことになる。

2019年03月07日

消えたイングランド王国

桜井俊彰 集英社

一度はアングロサクソンの王国を統一したが、ノルマンコンクエストで滅びた短命のイングランド王国、そのイングランド王国の歴史。
概ね内容は前半は概要でイングランド王国と現在イングランドの関係など、中盤のデーン人の襲来に疲弊、後半はノルマンコンクエストと滅亡とその後。

エゼルレッド無策王の無策と言うか無能の中で僅かにデーン人と戦う戦士の歌、そこから相当な劣勢の中でノルマン軍を迎撃した最後の王ハロルドへと流れが続く。

ノルマンコンクエストの詳細を一切知らなかったのですが、感覚的に鎧袖一触だったと思いこんでいましたが、これを読む限りむしろ凄まじい劣勢(数日前にヨークに襲来したノルウェー軍を撃退し直後にノルマン軍を迎撃、その際に強行軍過ぎて一回軍解散後少数でロンドンに入り農民兵を4日で集める羽目になり弓兵も騎兵も不在で斧と盾と地の利に頼った陣形、有力者もやる気薄)の中でイングランド軍は善戦しており、弓の一斉射、騎兵突撃などを全て撃退、最終的に偽装退却によって陣形を崩され崩壊という流れで印象とちがった感じ。
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