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横浜線 Yokohama Line

 横浜線は横浜市の東神奈川から東京都八王子市の八王子まで42.6kmを結ぶ駅数20のJRの路線です。八王子や群馬県で生産されていた生糸を横浜港へ運搬することを目的として1908年に開業しました。「横浜線」ながら横浜駅は含まれていませんが、多くの電車が横浜駅の先の桜木町駅、磯子駅などへ乗入れています。
 1979年まで旧形のクモハ73、クハ79等が走っていました。現在はステンレス車輌8輌編成となっています。

  1975_0422_クモハ73等 (東神奈川)☆.jpg
         ↑ クモハ73等4輌編成(1975年 東神奈川)

  1974_0403_クモハ73等4連 (菊名-新横浜)☆.jpg
         ↑ クモハ73等4輌編成(1974年 菊名−新横浜)

  1974_0322_横浜線クハ79(S31)磯子行(横浜)☆.jpg
           ↑ クハ79等4輌編成(1974年 横浜)

  2008_0809_205系 (小机-鴨居)☆.jpg
  ↑ 205系8輌編成。205系は1988年から2014まで走りました。
                         (2008年 小机−鴨居)




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昔日の風景…歌舞伎座前 Scenery of ancient times, in front of Kabukiza

 2010年4月30日、改築のため閉鎖された歌舞伎座。5月2日朝のテレビ番組「サンデーモーニング」で昔の歌舞伎座前の風景を流していました。ここに映っているのは1924年〜1945年(大正13年〜昭和20年)の間存在した三代目の歌舞伎座。撮影時期は市電の配色から、上の映像が1925年〜1930年(大正14年〜昭和5年) の頃、下の映像が1930年〜1935年(昭和5年〜10年)の頃と思われます。

  
  ↑歌舞伎座と市電

  
  ↑歌舞伎座前から望んだ銀座方面の風景





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旧形車輌の車内 The inside of car of the old-model train

 1955年頃まで製造された旧形車輌の車内の特徴はニス塗りの木製の壁・窓枠・肘掛け、木製の床、中央のポール、白熱灯などです。私鉄の旧形車輌の多くが1960年頃からニスから薄緑色などのペンキの塗装に、窓枠をアルミに変更する中、国鉄の車輌は一部の車輌を除き、長い間、原状を保っていました。


 1972_0430_車内(肘掛木製・白熱灯) (鶴見線)☆.JPG
  1920年頃製造された木造車輌の車体を1935年頃、鋼製車体に置換えたクモハ
 11の車内。骨格は鋼製でしたが、床、肘掛け、壁、窓枠は木製でした。
                     (1972年 鶴見線・弁天橋電車区)


 1972_0430_車内運転室寄 (肘掛木製・白熱灯) (鶴見線)☆.JPG
      吊輪を吊るす横棒、網棚の横棒も木製です。(同上)


 1972_0430_クモハ12051車内運転室後部(鶴見線)☆.jpg
    クモハ12の新設した運転室付近(1972年 鶴見線・弁天橋電車区)


 1972_0104_クハ16215車内白熱灯(鶴見-国道)☆.jpg
  白熱灯が照らすクハ16の車内(実際はもっと明るいです)
                         (1972年 鶴見−国道)


 1972_0430_クハ16524 車内☆.JPG
  1945年の終戦から数年間、進駐軍専用室が車輌の半分を占めていたクハ16524
 の車内。ペンキ塗装で、天井の仕切りと手前の肘掛けの形状にその名残が見られ
 ます。                  (1972年 鶴見線・弁天橋電車区)


 1972_0430_クモハ11307車内☆.jpg
  1932年に製造された元33形のクモハ11307の車内。この車輌もペンキ塗装で
 肘掛けの形状は現代風になっていました。(1972年 鶴見線・弁天橋電車区)


 車内の木の温もりは現在でも鉄道博物館のクモハ40などで感じることができるでしょう。




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