2011年03月19日
茨城交通(茨城線・湊線) Ibaraki Kotsu
茨城交通茨城線は茨城県水戸市の常磐線赤塚駅から茨城県城里町の御前山駅まで25km、16駅を結んでいた、1927年に開業した単線の鉄道です。沿線人口は多くなく、1966年に石塚駅−御前山駅間9kmが廃止になり、1968年に茨城大学近くの大学前駅−石塚駅間12kmが廃止になりました。1971年に電化区間であった赤塚駅−大学前駅4kmが廃止になり、全線が廃止になりました。
茨城交通湊線は茨城県ひたちなか市の常磐線勝田駅から阿字ヶ浦駅まで14km、9駅を結ぶ非電化の単線の鉄道です。1913年に勝田駅−那珂湊駅間が開業し、1928年に阿字ヶ浦駅まで開業しました。1990年以降は利用者が減少し赤字経営となったため、ひたちなか市と茨城交通株式会社が出資する「ひたちなか海浜鉄道」に2008年に移管されました。
↑1955年製造の茨城線の気動車ケハ401(1963年 大学前−堀(赤塚方向を撮影。当時この区間は1日数本の運行があるのみでしたが運良く出会うことができました。撮影地は現在の渡里市民センターの西、堀町894の石井薬局前の交差点で現在、線路は道路になっています。筆者9歳の時、買ってもらったばかりのフジペットEEで撮影しました。フジペットEEは露光調整やピント合わせの要らない、シャッターを押すだけで撮れる当時最新鋭のカメラでした。))
↑1936年製造の茨城線の気動車ケハ502(1967年 赤塚)
茨城線の起点であった赤塚駅前は1995年から2000年にかけて開発が行なわれ、現在では水戸駅前と見間違うほどの変貌ぶりです。
↑懐かしい昔日の赤塚駅(1991年)
↑現在の赤塚駅(北口)(2019年)
↑湊線阿字ヶ浦行きの客車(1970年 勝田)
↑湊線のステンレス気動車ケハ601。1992年まで走りました。(1991年 那珂湊)
↑湊線の気動車キハ22。1970年頃、羽幌炭礦鉄道から移籍し、2000年頃まで走りました。(1986年 中根付近)
↑田植えが始まった水田地帯を行く気動車キハ22(1986年 中根付近)
↑1965年頃製造された湊線の気動車キハ200(1991年 磯崎−阿字ヶ浦)
↑湊線の終点の阿字ヶ浦駅に佇む気動車キハ200。キハ200は2005年頃まで走りました。(1991年)
現在、湊線は「ひたちなか海浜鉄道株式会社」が運営しています。
→ ひたちなか海浜鉄道株式会社
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茨城交通湊線は茨城県ひたちなか市の常磐線勝田駅から阿字ヶ浦駅まで14km、9駅を結ぶ非電化の単線の鉄道です。1913年に勝田駅−那珂湊駅間が開業し、1928年に阿字ヶ浦駅まで開業しました。1990年以降は利用者が減少し赤字経営となったため、ひたちなか市と茨城交通株式会社が出資する「ひたちなか海浜鉄道」に2008年に移管されました。
↑1955年製造の茨城線の気動車ケハ401(1963年 大学前−堀(赤塚方向を撮影。当時この区間は1日数本の運行があるのみでしたが運良く出会うことができました。撮影地は現在の渡里市民センターの西、堀町894の石井薬局前の交差点で現在、線路は道路になっています。筆者9歳の時、買ってもらったばかりのフジペットEEで撮影しました。フジペットEEは露光調整やピント合わせの要らない、シャッターを押すだけで撮れる当時最新鋭のカメラでした。))
↑1936年製造の茨城線の気動車ケハ502(1967年 赤塚)
茨城線の起点であった赤塚駅前は1995年から2000年にかけて開発が行なわれ、現在では水戸駅前と見間違うほどの変貌ぶりです。
↑懐かしい昔日の赤塚駅(1991年)
↑現在の赤塚駅(北口)(2019年)
↑湊線阿字ヶ浦行きの客車(1970年 勝田)
↑湊線のステンレス気動車ケハ601。1992年まで走りました。(1991年 那珂湊)
↑湊線の気動車キハ22。1970年頃、羽幌炭礦鉄道から移籍し、2000年頃まで走りました。(1986年 中根付近)
↑田植えが始まった水田地帯を行く気動車キハ22(1986年 中根付近)
↑1965年頃製造された湊線の気動車キハ200(1991年 磯崎−阿字ヶ浦)
↑湊線の終点の阿字ヶ浦駅に佇む気動車キハ200。キハ200は2005年頃まで走りました。(1991年)
現在、湊線は「ひたちなか海浜鉄道株式会社」が運営しています。
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