アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
プロフィール

ゆべ
ご訪問いただきありがとうございます、すみませんが助けてください。3月に勤務先倒産で失業。先日老母も倒れ急遽介護を要します、記事左右の大きな提携先バナーをぽちっとして覗き、1円お恵みください!!
最新記事
リンク集

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2011年08月16日 Posted by ゆべ at 20:51 | 哲学 | この記事のURL
ロバと張り合えってか?
資格を取りたい、語学も勉強したい、トップの成績で会社から表彰されたい...。

目標を掲げ、それに邁進することはもちろんよいことですが、一度に多くのことを成し遂げようというのは、ちょっと虫のいい話かもしれません。

インディーズ音楽配信サービス会社「CD Baby」の創業者であるDerek Sivers氏は、「ビュリダンのロバ(Buridan's donkey)」を例に、このテーマについて、次のように述べています。

ビュリダンのロバは、干草の山と水が入ったバケツとの間に立ちつくし、干草か水かを選ぼうと、左右を何度も見ていた。結局、どちらかを選ぶことができず、空腹と水分不足で死んでしまった。

これはつまり、すべてを一度にやろうとすると、実際にはどれも前進しづらいということ。Sivers氏は、1年に掲げる目標は、1つか2つにすべきと説いています。また、どの目標からはじめればいいのかわからないときは、その目標の「消費期限」をベースに整理するのも一法。タイミングがポイントとなる目標は早めに着手し、そうでないものは、しばらく置いておくのです。

人生は長い道のり。短期間で多くのことを求めるよりも、ひとつひとつの目標を着実に成し遂げ、これを積み重ねていくほうが、結果としてより多くの成果をあげられるということのようですね。

2011年07月31日 Posted by ゆべ at 17:08 | 哲学 | この記事のURL
今の自分には重い
「もうダメだ……」「これ以上何をやっても無駄だ」と思う瞬間

学業、就職、人間関係、結婚、育児、介護、老後……人生のあらゆる局面で、つまずき、傷つき、壁にぶちあたる瞬間は、誰にでも起こりうることです。
そんなときには、とことん悩み、考えることが自分との対話になり、より一歩成長していくためにも大切なステップです。

しかし、悩むほどに希望を見失い、絶望の底へと沈んでいくように思う場合には、
少し視点を変えて自分と自分の問題を捉え直してみることも、また一つの大切なステップでもあります。
「もうダメだ……」と思ったときに、たとえばこんな2つの質問を投げかけられたなら、あなたはどう答えますか?

「何があったから、ここまでやってこれたのでしょう?」
「その問題は、本当にあなたのせいなのでしょうか?」

☆「何があったから、ここまでやってこれたのでしょう?」

ちょっと重いお話しをしますが、「もうダメだ……」と思ったあなたなら、「人生の幕を下ろしてしまおう」と思った瞬間も、きっとあったのではないでしょうか? 
でもその幕を下ろさず、今こうしてここにいます。踏みとどまったのはなぜでしょうか? なにが最後の一線を超えることを、思いとどまらせてくれたのでしょうか?

ある人は、子どもの寝顔を見ながら「頑張ろう」と思ったのかもしれません。かわいいペットを残していくのは忍びなくて、頑張ってきたのかもしれません。
一線を超える勇気を持てなかったという人もいるでしょうし、後のことが気がかりでその気になれなかった、という人もいるでしょう。

あなたを頼りに思う存在があること、一線を超えられないほど人生に執着があること、そして思いとどまる冷静さを持っていること――「もうダメだ……」という思いながらもとどまっていることこそ、あなたがこれからの人生の地図を自分で書いていく力を持っているからではないでしょうか?

困難な状況にありながらも、生き抜いている人のことを「サバイバー」と言います。
人生の幕を下ろそうと思うほどの強い困難を抱えるなかで生きているなら、困難を切り抜ける強い力を持ったサバイバーだという証拠なのです。

今を生きている自分の強さに意識を向けてみましょう。そして、自分を必要としている事柄を思い浮かべてください。
それは、子ども、パートナーや親、友だち、または愛するペットかもしれません。
やり残してきか、またはまだ完成されていない、さまざまなチャレンジなのかもしれません。

それらを持っている自分の力、サバイバーとして生き抜いてきた自分の力を信じてみてください。


☆「その問題は、本当にあなたのせいなのでしょうか?」

人は「問題」を抱えると、「自分が非力だから」「自分がしっかりしていないから」というように、自責感に駆られてしまうことがあります。
しかし、その問題は本当にあなた自身のせいなのでしょうか?

たとえば、毎日強い落ち込みを感じ、「もう生きていたくない」と思うほどの悩みを抱えている場合、その悩みの原因は本当にあなた自身にあるといえますか?

ひょっとしたら、「うつ病」という病気を背負ったことにより、過剰な自責感にとらわれているのかもしれません。
うつ病は、日本人の15人に1人、データによっては7〜8人に1人がかかるといわれる、とても一般的な病気です。
脳に一時的な神経伝達のトラブルが生じて、過剰な絶望感や自責感などの特徴な考え方が現れるのです。しかし、薬を飲むことで回復し、その考えからはいずれ必ず脱出できます。

病気は重くになるにつれて、その病感「つまり自分は病気なのかもしれない」という実感が薄れるもの。
だから、自分ではそう思えなくても、実際には自分に問題があるのではなく、病気が自責感を生じさせている可能性は高いのです。

また、子どもの問題で悩んでいる人の場合はどうでしょう。たとえば自分の子どもがいわゆる“正道”といわれる道を歩めないとき、それは親だけの責任だといえるでしょうか?


☆問題の原因は1つに限定できますか?

「子どもの問題は親の責任」という世間の常識が、「自分のせい」と思わせているのかもしれません。
しかし、子どもの問題には、親子関係だけが影響しているわけではないはずです。

原因は、一つに限定できるはずがありません。子どもの感受性がとても強いことが、関係しているのかもしれません。
あるいは、友達や異性との関わりがうまくいかないことが、影響しているのかもしれません。たくさんの原因が複雑に絡み合い、「○○のせい」などと特定できるはずがないのです。

また、そもそも“正道”とはなんでしょう? 問題行動を起こすことこそ、子どもが“自分の正道”を探るために必要なプロセスなのかもしれないのです。

問題や問題を引き起こしている原因を、いったん自分から引き離してとらえ直してみてください。すると、自責的な思考パターンに陥っている自分のくせに気づけるかもしれません。

絶望の底に沈んでいるときには、自分は無価値だと考えます。
しかし、そんなときには「何があったから、ここまでやってこれたのでしょう?」そして、「その問題は本当にあなたのせいなのでしょうか?」――この2つの質問を自分に投げかけてみてください。
そして、自分自身にかけがえのない人生の歩みをもう一度続けるチャンスを与えてみてください。

2011年07月30日 Posted by ゆべ at 20:14 | 哲学 | この記事のURL
有事における思考
今回の震災で、「いざという時に、本当に大事な人や物がわかった」「こんな時だからこそ、その人の本質がわかった」と思った人も多いでしょう。

 もちろんそういう部分もあると思うのですが、処世術では、あまりそう思いすぎない方がいいと思っています。

 正確に言えば、「震災のような有事の時に、大事な人や物がわかった」「有事の時の、その人の性格がわかった」ということだけだと思うのです。

 もちろん、食事や水道や電気やガスや安全というものは、有事の時には本当に大事であることがわかります。でも「それだけあれば生きていられる」というわけではなく、私たちにはやはり文化だったり娯楽だったり趣味だったり、そういう「無駄なもの」だって必要なのです。

 むしろ、「無駄なものを守ること」のほうが「人間らしさ」なのかもしれない、と私自身は思うのです。

 また例えば、「震災の時に夫(彼、家族など)が思ったより役に立ってくれて見直した」という人もいれば、逆に「あまり役に立たなくてがっかりした」という人もいるでしょう。そして「夫という人の人間性がこれでわかった」と思ってしまうかもしれません。

 でもそれは人間性とか人間の本質などではないと思うのです。 

 要するに、「有事に強いタイプ」と「有事に強くないタイプ」の人がいるのです。
 
私自身も、わりと有事には強いタイプです。今回の震災でもいろいろ準備をしていたのであまり慌てませんでした。でもそれは「そういう性格」だというだけです。

 そのかわり、私は日常のちょっとしたことの方が苦手です。

 たとえば近所の人と立ち話するとか、美容師さんと楽しく雑談するとか、そういうことが本当にできないのです(人間オンチなんですね)。できればこういう部分は直したいのですが、なかなか難しいものです。

 つまりは、「有事に強くて日常に弱いタイプ」というだけで、それ以上でもそれ以下でもないのです。

 誰にだって得意なこともあれば、不得意なことがあるというだけです。

 もしも、自分や夫が「有事に弱いタイプ」だということがわかったら、それに向けて手を打つしかないのです。今後の有事に対して十分に準備をする、信頼できる人に相談する、いろいろ調べるなど、できることはいろいろありますから、それをやればいいのです。

 人間の本質とか人間性などという、おおげさな問題にしてしまってはいけません。

 有事の時には、どうしてもあれこれ考えてしまうことが多いでしょう。

 でもこういう時に、物事を大げさに考えたり、「何かをわかった」と思いすぎてしまうことは、恐怖への防衛反応のようなものなのです。

 「有事の時だから、こう思ってしまうんだな」とひと呼吸置いて、深く考えすぎず、手を打てることだけを考え、考えるのも疲れてしまうなら、少し休んだ方がいいのです。

2011年06月23日 Posted by ゆべ at 19:32 | 哲学 | この記事のURL
メンタルコントロール
猛暑でも冷んやり快適!! 冷んやりメッシュベスト 【送料無料・代引手数料...

自己管理ができる人とできない人がいることを考えると、自分を律することができるかどうかは、生まれ持った性質によるのかもしれません...。

しかし、「Scientific American」の記事でDan Ariely氏は、自己管理が必要な状況において、人間は自分をごまかす方法を発見することがあると指摘しています。

ライフハッカーでも何度か登場した、マシュマロを前にした子どもに「食べずに我慢できたら後でもっとマシュマロが食べられる」と言って我慢させる、Walter Mischelのマシュマロテストに関して、Dan氏は以下のように言及しています。

子どもにとって、後でもっとたくさんのマシュマロがもらえるからといっても、目の前にあるマシュマロを食べずに我慢するのは難しいことです。

しかし、実験中の子どもは、誘惑に打ち勝つために自然と我慢する方法を発見し、それによって耐える時間を延ばしていることが分かりました。ある子どもは手を出さないように手の上に座って我慢し、ある子どもは歌ったり、おしゃべりしたり、マシュマロを見ないようにして、気をそらしていました。

また、そういった誘惑をごまかす何らかの手段を教えられると、すべての子どもが我慢できる時間を前よりも伸ばせたのです。
このことから、自己管理能力は必ずしも先天的ではない可能性があることが分かります。むしろ、自分を上手くごまかしたり、きちんと律する方法が分かれば、自己管理できるのです。自分に置き換えて考えてみると、思い当たるふしがありませんか?

誘惑から自分をごまかすには、動き回ったり、実際に他のことをするのが一番いい方法だといえるでしょう。他の行動に自分の心と体が縛られれば縛られるほど、マシュマロを食べたいといった誘惑を考える力は減っていきます。

自分を律するのが苦手な方、何か我慢しなければならない方、目の前の誘惑に打ち勝たなければならない方は、ぜひ試してみてください。


×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。