アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
プロフィール

ゆべ
ご訪問いただきありがとうございます、すみませんが助けてください。3月に勤務先倒産で失業。先日老母も倒れ急遽介護を要します、記事左右の大きな提携先バナーをぽちっとして覗き、1円お恵みください!!
最新記事
リンク集

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog
2011年08月04日 Posted by ゆべ at 20:36 | 家族 | この記事のURL
肝に銘じよう(いつ役立つかは別)
猛暑でも冷んやり快適!! 冷んやりメッシュベスト【送料無料・代引手数料...

◎妻が働き始めた時、男はどうすべきか

子どもが手がかからなくなった頃合いを見て、あるいは将来のお金のことを考えて、再就職したりパートに出る女性がいます。
ところが、こうした妻にキレる夫がいるそうです。
先日のテレビでは仕事帰りの妻に理由もなく2時間説教する夫がいるとか、私にとってみればほとんど意味不明です。

たぶん、こういう男性は妻が働き始めるということの意味と、そのとき男はどうするべきかが分かっていないのでしょう。

そこで、フィナンシャルプランナー目線&男性目線から、「妻が働き始めた時、男はどうすればいいか」というコラムを見つけてきました。

以下の5箇条を守れば、共働きで仲良く、かつ幸せな生活になること間違いなし(FP的にもバッチリ!)だそうです。その5箇条とは…

1.妻自身の稼ぎから「おこづかい」枠を与えること
2.男の家事負担は当然。外食等の予算もある程度認める
3.自分の稼ぎはキープすること(家事育児協力なら減少もOK)
4.お互いの家計は公開し、共通認識をもつ
5.そしてもちろん……しっかり貯め、しっかり殖やすこと!

それでは1つめからチェックしていきましょう。


1.妻自身の稼ぎから「おこづかい」枠を与えること

仮に妻が仕事に出て1カ月8万円稼いできたとします。学費が100万円はかかるからと、これを全額貯金させるのは共働き的にNGです。

ここはむしろ「妻が働いてくれなければ、家計はもっと大変なことになっていた」と構えて、「毎月1万円は自由に使っていいよ」としてあげるのが夫の度量というものです(金額は例えなので相談して各自決めてください)。

もし、もともと夫の稼ぎから妻のおこづかい枠が1万円あったとしても、それを廃止し妻自身の稼ぎからおこづかいを取ってもらいます。
同じことですが、なぜか妻の気分は変わるはずです。もし余裕があればおこづかい枠を1.5万円のように今までよりも少し増やしてあげるともっと喜ぶでしょう。

自分で稼いで自分のために使えるお金をもつ、ということは仕事をする人にとって、とても重要な役割があります。
全部搾り取られる感覚は、働く気持ちを削ぎます。

もし、お互いのおこづかい枠が不明であれば、これを機に金額は明確にしておきましょう。もちろん、自分のおこづかい枠もはっきりさせなくちゃダメですよ!

2.男の家事負担は当然。外食等の予算もある程度認める

「働いても家事は100%こなせ」というのが男性の勝手な理屈というのは分かりますよね? 
でもそれを、上手に行動するのは意外に難しいものです。最初の数カ月は特に意識して家事参加を考えてください。

このとき「俺が500万円、妻が100万円の年収だから、家事負担は6分の1くらいやればいいな」と案分する男性が多いのですが、これはNGです。
こういうときは6分の2くらい参加することを意識するといいでしょう。そのほうが夫の度量の広さを伝えることができますし、妻の仕事への応援メッセージにもなります。
(あと、6分の2のつもりで家事を手伝っても、結果的に6分の1ということもありますが、このとき最低限のノルマは果たされたことになります)

また、今までより家庭内の自由時間は減ったわけですから、できあいの食事が増えたり、部屋が片付いていないことにも怒ってはいけません。
むしろそういう部分に男性が家事参加するべきですし、少し追加予算(外食費用等)がかかることについては認めていくことが大切です。

今までは夫の月収30万円で出費25万円だった家庭が(収支は+5万円)、夫婦の合計収入40万円になったとき、出費が28万円に増えても、収支は+12万円にアップするわけです。妻の稼ぎは全額残す、という無理な計画に押し込めないことが大切です。

ときどき外食したり、ときどきリフレッシュにでかけるお金は決してムダではありませんので、稼ぎを超えない範囲でしたら認めてあげましょう。
先のおこづかい予算と合わせて「稼いだら、あえて使うお金も増やす」ということを考えてみてください。


3.自分の稼ぎはキープすること(但し家事育児協力なら減少もOK)

妻が稼ぎにでたとき、夫は自分もしっかり働く、という意識は持ちましょう。
会社の業績が悪い時期で年収が下がるということもあるでしょうが、基本的には共稼ぎの効果を出すために、自分の年収はキープを目指しましょう。

しかし、ひとつだけ自分の年収を下げてもいい、というケースがあります。それは、家事や育児に協力するため、定時退社するなどして残業時間が減った場合などです。
こうした場合に年収が下がることはやむをえません。

妻が正社員で働く場合は、一気に200〜400万円(あるいはもっと!)年収が増えるチャンスがありますが、時間の自由度はどうしても下がってしまうと思います。
こういう場合には、家事や育児を協力しながら、最終的には夫婦合計でプラスになるようコントロールしていきましょう。

4.お互いの家計は公開し、共通認識をもつ

また、共働きを始めたときは、必ず自分の年収を公開してください。毎月の生活費は渡しているからと、年収ベースでの意識共有をしていない男性がけっこういます。
正確な数字をオープンにしないのと、男らしさは関係ありません。

共働きが始まり、妻の年収をしっかり把握するためには、自分の年収も開示するしかありません。自分は教えないけど、お前の年収は教えろ、はうまくいかないわけです。

お互いにどれくらい稼げるのか、どれくらい稼いでいこうとするのかをすりあわせし、それは何のために稼がなければいけないのか(住宅ローンを返す、子の学費準備をする、老後の準備にもつなげるなど)という意識も共有しておきたいところです。
目的があれば、がんばれます。あなたが家族のためにがんばって仕事をしているように、同じ気持ちで夫婦でがんばるのです。

何も細かい数字を詰めなくてもかまいません。それこそ100万円単位でもいいので、お互いに確認しておくことが大切です。
「自分が500万円だけどこれだけでは学費の準備が足りないし、老後の備えまで手が回らない。だから、共働きで合計600万円にして準備のペースをあげよう」というくらいでも共通意識を持つとうまくいきますよ。

このとき、「きみは無理をせず働いてくれればいい。メインの稼ぎ頭は自分がちゃんと担うから」と上手に伝えられるといいですね。


5.そしてもちろん……しっかり貯め、しっかり殖やすこと!

最後はもちろん、共働きで馬力の増えた「稼ぎ力のエンジン」を「貯める力」「殖やす力」につなげていくことです。
せっかく年収が100万円増えたのに、欲しい買い物にお金を回して結果としてプラスマイナスゼロ、というのはあまりにももったいない話です。

ふたりで稼ぐ、ということはお金を稼ぐエンジンを2つ持つということです。つまり、今までよりも早く目標に到着できる力を手に入れることができたわけです。
学費の準備、老後の備え、住宅ローンの早期返済……。お金に関する悩み事をできるだけ早く、できればより充実した形でクリアするチャンスです。

仮に100万円増えた年収があったとき、それを全額貯めようとしない、という話はすでにしていますが、半分以上は必ず、できれば7〜8割くらいは貯めたいところです。

   ■   ■

共働きをスタートさせたとき、最初は大変ですから、ぜひ妻をいたわる気持ちを持ってあげてください。自分が初めて就職した数カ月のことなど思い出してみるといいでしょう。
そして、できるだけ長く共働きが続くように、男性のほうから支えてあげてください。共働きは長く続けられれば続けられるほど、経済的余裕につながります。

子どもの成長に従い年収が増えるほど簡単なご時世ではありません。ふたりで協力して稼いでいくことがとても重要になっています(できれば早く、共働きがスタートできるともっとラクになります)。

間違っても、疲れて帰ってきた妻を怒鳴り散らすような最低の男にならないようにしてください。自分だって、仕事で疲れて帰ってきたとき、玄関で妻に怒鳴られたら、イヤじゃないですか!


2011年07月23日 Posted by ゆべ at 20:21 | 家族 | この記事のURL
マインドセットの成功例


その大小に関わらず夢を叶えようと思ったら、自ら動き出さなければ決して実現することはない。
何もせずに諦める前に、強い気持ちを持って1つずつハードルを乗り越えていけば、その分だけ実現への道が開かれていくはずだ。

現在50歳の英国のある男性は今から3年前、普通に考えれば無茶だと思われるような夢を妻との会話をきっかけに追い始め、
40代後半にして見事に実現させた。その夢は「ジョッキーになりたい」というもの。
当時、体重は約100キロと大柄な体格だったものの、夢を叶えるためにダイエットや練習に励み、ジョッキーとしてレースに騎乗するという悲願を達成したそうだ。
少し前の出来事だが、昨年この体験をまとめた書籍が出版されたことを受け、英メディアを中心に話題を呼んでいる。

この男性は英国で雑誌記者をしているドミニク・プリンスさん。その道30年のキャリアを持つベテラン記者の彼は、現在フードライターの妻と、13歳の息子と10歳の娘を持つ良きパパだ。

英紙ガーディアンやデイリー・メールなどによると、13歳のときに馬の素晴らしさを知り、病気になった父への悲しみを癒してもらったという経験を持つプリンスさん。
しかし28歳のときにアイルランドで乗馬をしていた際に、乗っていた馬が壁を飛び越えようとして失敗、大ケガを負ってしまう。
この事故にショックを受けた彼は、その日を「馬に乗る最後の日」(英紙デイリー・メールより)と心に決めた。

以来、馬に乗らなくなった彼は、日ごろの生活習慣が大きく影響してみるみる肥大化。
運動嫌いで酒やタバコは大好き、さらにはフードライターをこなす愛妻の料理を食べ続けた結果、身長約177センチの彼の体は、体重約105キロまで成長した。

そして迎えた3年前の誕生日。すっかり太ってしまった夫が肥満の影響で病気になるのではないかと心配した妻は、
「私のために痩せられないというなら、何のためなら痩せられるの」と体の話を切り出した。すると彼は、「また馬に乗るために痩せる」と宣言。
これに妻は当初ただの乗馬だと思っていたようで、その表情はプリンスさんの目には「不服そうに見えた」という。
しかし、彼が目指したのは乗馬ではなく、「馬に乗ってレースに出ること」。
これは乗馬を辞めたときに心残りだった夢のひとつで、話を聞いた妻は態度を一変させ、夫のチャレンジを応援することになった。

そこからプリンスさんのダイエット生活がスタート。
目標の体重はアマチュアレースに出場するための上限約76キロで、1か月に3キロずつ減らし、2008年9月までに目標へ到達しようと食生活を大幅に変え、運動も毎日「水泳と自転車」を取り入れた。
すると、4か月経った5月中旬に彼の体重は約82キロに。
体重に目途がついたプリンスさんは、今度は自分が乗る馬を探すために友人の調教師に相談すると、この調教師が話を引き受け、そこから騎乗練習が始まった。

時には顔を蹴られケガをしながらも週に数回調教師のもとへ通い、練習に励む日々。
そんな生活がしばらく続いた後、出場レースをノーサンプトンシャー州の競馬場で開催されるアマチュアレースに定め、レース数日前に騎乗試験をパス、夢の実現はもうすぐそこに迫った。

そして2008年11月6日、彼はついにジョッキーとして競馬場に足を踏み入れる。
当日の体重は約77キロと規定より1キロオーバーというミスはしたものの、12頭立てのレースに出走し、結果は7着だった。
妻は子どもたちと共に応援に駆け付け、レース後には夫をキスでお出迎え。苦しいダイエットを成し遂げ、約束と夢を同時に叶えた夫を祝福したという。

猛暑でも冷んやり快適!! 冷んやりメッシュベスト 【送料無料・代引手数料...

2011年07月15日 Posted by ゆべ at 18:47 | 家族 | この記事のURL
夜な夜な路上で寝てみればいい?

★☆売り切れ必至!お急ぎください☆★



猛暑でも冷んやり快適!! 冷んやりメッシュベスト 【送料無料・代引手数料...

どんな職業にも、その道を極めたプロは存在するもの。
例えばテレビなどでは実にたくさんの芸能人を目にするが、活躍しているのは全体から見ればほんの一握りしかおらず、そうした人たちは何かしらの役割に徹したプロであることが多い。
いかに自分のポジションを見つけられるかは成功のカギと言えそうだが、米国には40代にして俳優を志し、今ではすっかり有名になった男性がいる。
自分なりに考えた末、彼が目指したポジションは“死体役”専門の俳優だった。

この男性は、オハイオ州ギャロウェイで普段はコンピュータープログラマーの仕事をしている、52歳のチャック・ラムさん。
彼が本業のほかに死体役の仕事を行うようになったのは、5年前の思い付きがきっかけだった。
結婚して6人の子どもを抱えているラムさんだが、テレビや映画に出演したいと40代にして本気で考え始めたそうだ。

ただ、残念ながらラムさんはかっこいい男性……というわけではない。特に目立つような顔立ちではなく、身長こそ約185センチあるが、体重も約100キロとガッシリとした体格をしている。
自らも「私は確かに美形ではない」(英紙メトロより)と、そのことは充分理解していた。しかし、彼は俳優の夢を諦めず、発想の転換を図ったという。

そこで思い付いたのが“死体役”専門の俳優になることだ。
「やりたいことはすべてやってきた」(米放送局CBSより)と話すラムさんは、妻サイラーさんの協力も得て、自分たちで小道具などを用意し、死体となったラムさんの写真を撮り始めた。
それらの写真を2005年12月に開設した自身のサイト「Dead Body Guy」に掲載し、さらに映画関係者に自分の売り込みを図る。

すると、この作戦が見事に成功。ほどなくして開設したサイトはネットで人気を集め、開始1か月にして30万アクセス/日を超えるほど注目された。
その評判はメディア関係者にも伝わり、テレビやラジオに取材されることも増え、CBSやNBC、CNNといった米大手放送局だけでなく、英国やカナダ、ロシアのメディアもラムさんの話題を取り上げた。

その勢いでラムさんは2007年に念願の映画出演を果たし、現在は死体役として毎年数本の映画に出演するようになっている。
サイトも好調で、彼は夢を実現させた現状に大いに満足しているようだ。
「最も有名な死体役になりたい」(メトロ紙より)と話すラムさんは、今でも週末ごとに妻と新たな死体のシチュエーションを考えるのが「とても楽しい」という。
40代になってからの夢を実現させ、「死体役として出演し、実際にスクリーンの中で死ねたら素晴らしい」と理想を語るラムさん。人間いくつになっても、諦めなければ夢は実現できるのかもしれない。


2010年12月20日 Posted by ゆべ at 18:51 | 家族 | この記事のURL
自作家の「鑑」
愛するパートナーの気持ちが込もった手作りのプレゼントはやはり嬉しいものだが、中国には、足の悪い妻のためにエレベーターを自作してプレゼントした男性がいる。
妻はこれに「結婚よりも嬉しい!」と大喜びしたそうだ。

中国紙中国日報や城市新報などによると、この夫婦は山東省臨沂市で暮らす王忠玉さんと卓保蘭さん。
ともにもうすぐ70歳を迎える老夫婦だ。

王さんの妻は2000年12月に脳溢血のため半身不随となり、以来、王さんは妻の面倒を見続けてきた。
もちろん、妻がトイレへ行ったり、寝たりするときはいつもサポートしてあげなければならない。
中でも大変なのが外出するときで、妻を背負い、1時間もかけて階段を上り下りしていたそうだ。

そうした生活がしばらく続いたが、歳を重ねるにつれて王さん自身も自分の力に限界を感じ始めた。
妻の体重は90キロ程度あり、老体にはこたえる重さだ。とは言え、仮に妻を外出させないようにしてしまったら、退屈な毎日を送らせるハメになってしまう。
王さんは何とかしようと悩んだが、これといった策も見つからないまま悶々とした日々を過ごすことになった。

そんなとき、王さんは外で見た工事現場のエレベーターにピンと来た。
「妻のために、エレベーターを作ってあげられるかもしれない!」と、さっそく模型の制作を開始。
そして2009年3月、市内の中古金属市場を歩き回って部品をかき集め、エレベーターの自作に取りかかる。

王さんはもともと自動車修理工を生業としていたため技術を持っており、また、たまたまエレベーターに詳しい友人もいたことから、制作開始から約2か月でエレベーターは完成。
しかし、重石を載せて試験運転をしたところ、昇降移動に問題が生じてしまい、運用開始とはいかなかった。

しかし、それでもあきらめなかった王さんは研究に研究を重ね、最初の失敗から約1か月後となる5月28日に試験運転に成功する。
そして6月6日、王さんは妻を初めてエレベーターに乗せ階下へ運んだ。その日、妻は新しい靴、新しい服で精いっぱいのオシャレをしてエレベーターに乗り込んだという。

なお、この話はブログに王さん夫妻の写真が掲載されたことをきっかけに、メディアを通じて多くの人が知ることになった。
中国のネットではその夫婦愛に称賛や感動の声が上がるとともに、素人の自作エレベーターの「安全問題」を不安視する声もあったが、
王さんは「私たちの40年余りの夫婦生活のように堅固です」と冗談を飛ばしているという。
また、今年12月現在、王さん夫婦はエレベーター付きの別の家に引っ越しており、自家製エレベーターは「天寿をまっとうした」とのことだ。

2010年12月10日 Posted by ゆべ at 18:37 | 家族 | この記事のURL
実は後ろに
ある英国人男性は以前、別れた妻に連れられ所在が分からなくなった娘に会いたくなり、捜索の旅へ出た。
そのうちに自分の力だけではムリだと限界を感じた男性は地元紙に連絡。記事にしてもらうため、取材を受けることになったのだが、この記事に掲載された写真が、まさに奇跡的と言える一枚だったという。

英紙デイリー・メールによると、ロンドンで暮らすマイケル・ディックさんは10年以上前に最初の妻と離婚。
娘を連れて出た妻とは、それから連絡を取っておらず、具体的な所在は分からなくなっていた。
ところが時間が経ち、ディックさんは娘の姿を一目見たいとの欲求を抑えられなくなり、“娘捜し”を決意。
最後に会ったときは21歳だったという娘リサさんが、
いまどのように生活しているのか、彼はサフォーク州サドベリーに引っ越したという情報だけを頼りに捜索の旅に出発した。

とはいえ、有力な情報を持ち合わせているわけでもなく、やはり個人の力だけではなかなか見つからない。
そこでディックさんは地元紙サフォーク・フリープレスに連絡を取り、自分たちの話を記事にしてもらえないかと頼んだ。
協力を求めるディックさんの申し出を同紙も快諾し、記者が彼のもとに駆けつけて取材を行い、掲載を約束。
一緒に連れてきた2人の娘と共に写真にも収まり、あとは良い知らせが届くのを待つだけとなった。

結論からすると、ディックさんがサフォーク・フリープレス紙に連絡を取った判断は大正解で、数日後には彼の話が掲載された記事を娘のリサさんも見つけ、父親の思いを知ることに。
しかしそれ以上に、リサさんが驚いたのは記事に添えられた写真だ。よくよく見てみると、写真に映った父親の後ろに自分の姿を発見。
実はディックさんが取材を受けていたとき、偶然にもリサさんと母親は同じ場所に出かけており、たまたま近くを通りかかったところでシャッターが切られたようだ。
これには、気が付いたリサさんも「ものすごく驚いたわ」と話している。

ちょうどこの頃、リサさんも別れた父親を思い、捜す決意を友人らに話していたそう。
そこに掲載された記事に加え、期せずして父と1枚の写真に収まっていた事実を知り、彼女は「とても奇妙ね。多分、運命だったの」(サフォーク・フリープレス紙より)と語っている。
すぐにリサさんは記事に載っていた電話番号で連絡を取り、アッという間に解決。ディックさんも当初は半信半疑だったという。

かくして31歳となって現れた娘と待望の再会を果たしたディックさん。それは、リサさんが連れてきた3人の孫のおじいちゃんとなった瞬間でもあった。
再会を喜んだ2人は、その後も連絡を取り続けることを約束したという。

2010年11月22日 Posted by ゆべ at 19:24 | 家族 | この記事のURL
むしろ今の日本で推奨したい?
近年は10代前半の女の子が出産したというニュースが報じられては、各方面に波紋を広げるケースが少なくない。
低年齢での出産は身体的な負担や、生まれてきた子どもの養育をどうするのかといった懸念材料があるため、倫理的な観点からも否定的に捉えられることがほとんどだろう。
10月下旬のある日、スペインでも10歳のルーマニア人少女が赤ちゃんを出産するケースがあり、同国や近隣国のメディアなどで話題を呼んでいる。
幸い母子ともに健康で無事に退院したそうだが、気になるのはやはり家族や周囲の反応。
低年齢で娘が出産することに憤りや不安を抱いたとしても不思議ではないが、この少女の母親は10歳での出産は「普通の出来事」と考えており、孫の誕生を大いに喜んでいるそうだ。

英紙デイリー・メールによると、エレナと伝えられる10歳の少女は、ルーマニアで13歳のボーイフレンドと交際して妊娠。
3週間前に親族の結婚式と自身の出産のためスペインに入国し、10月26日にスペイン南部へレスの病院で約2,900グラムの女の子を出産した。
母子とも健康な状態で、現在はヘレス近くの街レブリハに住む親族の家で過ごし、そのままスペインで生活をしていく予定だという。

スペインのニュースサイト「ザ・リーダー」には、エレナちゃんの母オリンピアさんのインタビューが掲載されている。
それによるとオリンピアさんは仕事のためにスペインに滞在しているときに、ルーマニアで生活していたエレナちゃんの妊娠が発覚。
ボーイフレンドとも別れたため、スペインに来て出産するよう説得したそうだ。

また、スペインでは出産した母親全員に2,500ユーロ(約28万円)が支給されることも、スペインに呼び寄せた理由だと地元紙は伝えている。
しかし実際には、2年以上スペインで生活していなければ受給資格がないそうで、残念ながらエレナちゃんにこの手当ては支給されない模様だ。

ただ、いずれにせよ娘が出産したことについて、オリンピアさんは喜びを隠しきれない様子。
ルーマニアンジプシーの家系という母親にとっては、10歳での出産は「普通だと思う」と話している。
彼女の友人だという男性も「私の妻は12歳で子どもを生んだ」と話し、彼らにとってこの年齢での出産は「全く普通で、何も心配ない」出来事なのだそうだ。

オリンピアさんはエレナちゃんの現在の状況を「非常に健康」と明かした上で、「彼女はとても幸せでいるし、完璧な母親」と娘を称賛。
また、ニコレッタちゃんと名付けられた孫娘の誕生は「みんな大喜び」している状態だ。

しかし、唯一の懸念材料はニコレッタちゃん誕生の話を、現在アンダルシア州当局が調査していること。
「母親と赤ちゃんがきちんとした世話を受けているか」(デイリー・メール紙より)を評価している最中だそうで、問題なしと判断されれば、今後もそのまま2人一緒に生活できるという。

2010年11月17日 Posted by ゆべ at 18:54 | 家族 | この記事のURL
祖父への手紙
子どもの頃に書いた作文や手紙。押し入れの中を整理していて見つけたことはありませんか?
それらを読んでみると、自分の幼い頃の言葉に微笑ましさを感じたり、また、「なんて変な子ども
だったんだろう、私は……」と赤面してしまうこともあるかもしれません。  

米ニュースサイトのハフィントンポストに先日、一枚の手紙を撮した写真が投稿されました。
これはヘザー・Lさんという女性が10歳のときに書いたもの。亡くなったおじいちゃんに宛てた手紙です。

おじいちゃんが亡くなったとき、ちょうど旅行中でお葬式に間に合わなかった彼女は、子ども心に責任を
感じていました。
そのため、手紙は謝罪の気持ちを込めてつづったそうですが、その内容が大きな反響を呼んでいます。

「ラリーおじいちゃんへ」と始まる手紙は、冒頭でお葬式に行けなかったことを謝罪。
そして「お葬式はお花がいっぱいだった?」「おじいちゃんはクリスマスに何をして過ごしたの? 私はメキシコに行っていたの」と、亡くなったおじいちゃんに向けて子どもらしい質問をしたり、自分の近況を話したりしています。

当時10歳だったヘザーさんは、さらに大人だったら考えつかないような視点でおじいちゃんに語りかけます。
「お墓を持つってどんな気分? 誇らしい? 私だったら自分の名前の書かれた墓石があったら、すごく自慢になるわ」。「追記:死んだらどんなホリデーを過ごすの?」とも。

この手紙に対し、ハフィントンポストのコメント欄には「愛らしい」「子どもの目線で『祖父の死』を理解しようとしている」「イノセントなんだけど……」と、さまざまな反響が寄せられている状態です。でも、やはり次の一節からは、どれだけヘザーさんがおじいちゃんを愛していたのかがうかがえます。

「おじいちゃんがいなくなって本当に寂しいの。だから私が死んだときにはまず一番最初に会いにいくからね」

2010年10月19日 Posted by ゆべ at 18:16 | 家族 | この記事のURL
棺桶からの生還
ペットを家族のようにかわいがっていても、いずれ必ず、辛い別れのときはやってくる。
米国のある男性は先日、苦渋の思いでそのときを迎えてしまった。脊椎に問題を抱え、歩くのもままならない愛犬の状態を悲観した男性は獣医に連れて行き、安楽死の措置をとることに。
そして獣医が死亡を確認し、埋葬するために家へ連れ帰ったのだが、翌朝になるとなぜか犬は目を覚ましていたという。
この事態に男性は「怖い映画を観たよ…。『ペット・セメタリー』のワンシーンのようだった」(米紙デトロイト・ニュースより)と驚きと恐怖を感じているようだ。

ミシガン州デトロイト郊外で暮らす27歳のマット・オリバレスさんは、初めての息子が生まれた9年前から1匹の犬を飼っている。
「(息子には)一緒に育つ仲間がいる」(デトロイト・ニュース紙より)。そう思ったオリバレスさんが育て始めたのが、現在10歳になるメスのロットワイラー(犬種)のミアだ。
彼らは愛情を注いでかわいがり、息子とともに順調に成長したミアだったが、それ故に最近になってわかった体の問題がオリバレスさんを悩ませた。     

脊椎の問題からミアは歩行もやっとという状態になってしまい、痛みも相当感じている様子だったという。
愛犬のそんな姿を見続けていたオリバレスさんは、「痛みを和らげるためにしてやれることがない」(米放送局ABC系列WXYZ-TVより)と、心を痛めていた。
そして、彼は悩みに悩んだ末に、ミアを安楽死させることを決意する。10月9日、意を決したオリバレスさんはミアを連れ、獣医のもとへと向かった。

獣医が2本の注射を打つと、ミアは間もなく目を閉じた。飼い主として最期の瞬間を見届けたオリバレスさんに、獣医は死亡を宣告。
そして、家族みんなでかわいがっていたミアを翌朝埋葬しようと一旦家に連れて帰り、ガレージに一晩安置していた。
ところが、翌朝ガレージをのぞいたオリバレスさんはビックリ仰天。死んだはずのミアが目を覚ましていたのだ。 

「『昨夜、私に何をしたのよ』と訴えるように見つめていた」(MyFoxダラス・フォートワースより)というミアに、オリバレスさんはすっかり蛇に睨まれたカエル状態。
「怖い映画を見ているよう」(デトロイト・ニュース紙より)と慌てた彼はすぐに獣医に連絡すると、獣医は事実関係の調査を約束すると共に、今回の結果を謝罪、安楽死措置にかかった費用177ドルの返済を申し出たという。

オリバレスさんは今回の一件が相当こたえた様子で、もうミアを安楽死させようとは思っていない。
再び痛みに耐える生活に戻ったミアだが、オリバレスさんは優しく世話をしていくという。

2010年10月15日 Posted by ゆべ at 18:58 | 家族 | この記事のURL
あの世への土産
ネットで検索したことをきっかけに、何十年も生き別れになっていた家族が再会したという話は、欧米を中心にしばしば聞かれる。
先日も米国の養子縁組サイトの情報から、65年前に養子へ出した息子との再会を果たした女性がいた。
ネットが発達した今だからこその再会劇は、どのような経緯で現実のモノとなったのだろうか。

米放送局KXLY-TVによると、ワシントン州コルファックスで暮らすキャロリン・ヘイナーさんは今年9月、孫が見つけた情報に驚かされた。
ネットで家族史を調べていた孫は養子縁組サイトで、見知らぬ男性のプロフィールページにあった“母”の欄に、へイナーさんの母親と同じ名前「タワナ・ジョー・イェイデン」と記されているのを偶然発見したという。

なぜ母親の名前が――不思議に思ったヘイナーさんは当初、親族にこの話をしてみたが、誰も母親の過去を知る人はいなかった。
それでも何か不安が拭えずにいたヘイナーさん。「『タワナ・ジョー・イェイデン』という名前の人が、2人いるなんて考えられない」と2〜3日悩み、思い切ってプロフィールページの男性フレッド・カイザーさんと連絡を取ることを決意する。
最初に調べた電話番号は繋がらなかったが、次にFacebookで検索してカイザーさんのページを発見。彼女は母親のことをたずねるメッセージを送った。

このメッセージに、今度はカイザーさんが驚くことに。オクラホマ州の「良い家庭」で育てられたというカイザーさんだったが、小さい頃から自分が養子であるのは知っていたという。
そのため、1971年からずっと実の母親を捜し続けていたものの、捜索は難航し、母親の存在を確かめられないまま40年の月日が経過。そこに突然舞い込んできたのがヘイナーさんからの知らせだった。

2人は電話とメールでやり取りを重ねる中で、お互いが兄妹、すなわち母親が同一人物の「タワナ・ジョー・イェイデン」さんだと確信。
そこでヘイナーさんはこれが事実であるかを確かめるため、母親にカイザーさんの存在を伝えた。すると「ノー」と弁解を始め、明らかに取り乱した様子を見せたそうだ。

実は、母イェイデンさんが頑なに息子の存在を誰にも明かさないまま現在に至ったのには、暗い理由があった。
1944年、まだ10代だったイェイデンさんは不幸にも男性に襲われてしまい、その結果、1945年1月1日にカイザーさんを出産。
敬虔なキリスト教徒だった彼女は、望まずして生まれた男の子をすぐに養子へ出し、その数週間後には家族と共にオクラホマ州からカリフォルニア州へと引っ越したという。

その後、1946年にイェイデンさんは結婚。2人の子どもに恵まれ、幸せな家庭を手に入れた彼女は、この暗い過去を誰にも話さず心に封印していた。
しかし、ヘイナーさんから話を聞いたイェイデンさんは、男の子を養子に出した当時「もう会えないだろうと何度も泣いた」ことを吐露。
母親の過去を知ったヘイナーさんは「母がどれだけ強い心で過ごさなければならなかったかと知り、胸が痛かった」と話している。

この“告白”のあと、ヘイナーさんは2人が会えるように尽力。まず、カイザーさんに連絡先を伝えて母親の声を初めて聞かせ、さらに先日、カイザーさんをオクラホマ州から呼び寄せる形で65年ぶりの再会を実現させた。

メールをもらうまでは母親との再会は半ば諦めだったというカイザーさんは「いますぐ死んでも良いくらい幸せ」と嬉しい気持ちでいっぱいに。
一方、アルツハイマー病を患っているイェイデンさんも、彼を見るなり力強く抱き寄せ、ずっと会えずにいた息子との再会を心から喜んでいたという。

2010年10月12日 Posted by ゆべ at 18:40 | 家族 | この記事のURL
支援の輪
今年9月、米国で暮らす5歳のある少年に、白血病との診断が下った。
完治の確率は97%。これから2〜3年間にわたって化学療法を受け続ければ、病気は克服できるという。
しかし、そこに大きく立ちはだかったのがお金の問題だ。入院費用や治療費など、莫大なお金が必要だとわかった家族は、絵を描くのが大好きな少年の“作品”を販売し、治療費の一部に充てようと考えた。
すると、少年の話はネットで話題を呼び、絵を買って支援しようとの動きとなり、1枚12ドル(約1,000円)の数々の絵はすでに2,000枚以上も売れている。  

この少年の名はエイダンくん。彼は現在、病院で治療を受けている最中で、その様子はおばが開設したブログで随時報告されている。
ブログによると、病気が判明してからすぐにエイダンくんの治療を始めた両親だったが、問題となったのは今後も発生するであろう莫大な治療費。
父親は2つ目の仕事を探し始めたほか、家の売却も視野に入れていた。そんなときに家族が思い付いたのがエイダンくんの描いた絵の販売だ。
現時点ではこれから先のお金の調達方法が不透明なため、少しでも足しになればと悩んだ末の決断だった。

以前からイラストをよく描いていたというエイダンくんは、入院してからも、治療の合間を縫っては絵を描き続けているそう。
「怪物やピエロを描いたり、変装したりするのが好き」と意外にホラーっぽいモノが好きらしく、描かれる作品の数々も確かに個性的。
それらの絵は自主制作物の売買ができる米国のサイト「Etsy」で売りに出された。

藁にもすがる思いで始めた絵の販売だったが、10月18日、米チャリティーサイト「Regresty」で紹介されたことをきっかけに、すぐに注目を集めることになる。
このサイトは売り上げの利益を「さまざまなチャリティーのためにハンドメイドの製品を作る人を雇うか、困っている『Etsy』販売者に直接渡す」活動を行っているそうで、利益の行き先としてエイダンくんが紹介されたのだ。

これを受け、エイダンくんのもとには多くの励ましが寄せられることに。
この日のブログには「たくさんの人たち、特に『Regresty』とそのフォロワ―から押し寄せるサポートに驚いています」と記され、
また、10月20付のコメントには、「(エイダンくんや家族が)絵に対する反応の大きさにビックリした」ともつづられている。

その後もエイダンくんの話題はネットで広がり、支援の輪は着実に広がっている。現在14点の絵が「Etsy」で販売中だが、
ページに表示されている販売枚数の数字は、11月1日現在で2,200枚を突破。1日100〜200枚程度のペースで売れており、ここ最近の伸びが顕著なようだ。
こうした動きに、エイダンくんと家族はブログに感謝のコメントを掲載。エイダンくんも自分の絵に対する大きな反響に興奮しているそうで、意欲的に新たな絵を描き続けているという。

>> 次へ

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。