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ツノコトバ

5月の展示を最後に、
今年の展示はもう終わりかなーなんて言っていましたが、
実はコラボレーションを行うことになりました。

アクセサリー作家だけでなく、魔法少女宇宙空間の住人(こころのご近所!)
ののこちゃんのはじめたブランド、「ツノガアル」の展示に参加します。

参加するのは、
「ツノガアル」のイメージからつくった散文。
称して「ツノコトバ」の展示になります。

会場ではあっちこっちに「ツノコトバ」をちりばめる予定。


ツノガアル
可愛くってすみません。
可愛いだけじゃすみません。




6/20-6/25
ツノガアル 「発見」展
代官山コルヌイユ
【ツノガアル×しらくまいく子「ツノコトバ」展の最新記事】

Gerda Steiner & Jörg Lenzlinger - Power Sources

つづき)

水戸芸術館の中へ。


展示会場に入ってすぐに現れたのは、
でーんとかまえるわりに、コミカルでばかばかしい、
携帯電話の神様の像。
もうほんとうにそれ以外言いようがなくて、
その気持ちはポケットの中の携帯に続いてしまって、
わかってるよ?わかってるさ!と言いたくなる。

後ろ指さされるような気持ちで進んでいくと、
博物館のような、あるいは理科室のような空間が現れる。

空間の中に、学校の机が幾つも並べられ、
その上にあらゆるものが載っている。
たとえば、



このようなものなど。
たったひとつの言葉では表せないものたち。
ひょっとするとちゃちで、ちっぽけなものが、
なんとも凛々しく、そして大切に丁寧に並べられていたりする。


中でもいちばん目を引いていたのは、
並んでいた机のひとつを持ち去る動物たち。







この空間は全体でひとつの作品でした。


Nursery(苗床


苗床とは成長のための場所。
学校の机をひっぱりあげる、どうぶつたち。
絶妙なバランスで成り立つ静動感に息がとまりそうになる。

私の観ている世界の、ほんの一部が
ファンタジーにうつろいだ瞬間、
かさかさのものがすこしだけはがれる音が聞こえる。

(やっぱりまだつづく

ブログアップしました。

「するところ」では何度かせんせいをやってくださった、
ミロコマチコさんのワークショップへ遊びにいったときの記事を
制作しました。

「ミロコマチコさんのワークショップへたんけん!」

レッツ プッシュ Like!!!

げりら

とつぜんのあめ
とつぜんのはれ

天気予報があたれば、にんげんはすごーい!と拍手
天気予報がはずれれば、しぜんってすごーいと拍手

よこなぐりの雨にうたれながら帰宅して、
おうちについたら後光がさして。
ふりまわされても大丈夫。
なんたって、乾くからね。

そういうときにポジティブを思う。

今こうやってポジティブに考えることができるのは、
自然のちからに生かされてこそ。

ときどきにがてな かちかん(かっちかーん)にぶつかって
あたまわられっぞ といたいいたい
になりながらも、
私は全てのことに理由をつけている。

今日はひとつ思った。

わたしたち、ひとりひとりが宇宙なのだから、
どんなに勉強したって調べつくせるはずがない。
あの星をみるように、何万光年の光と、
世界の神秘に首をかしげ、ただきれいだなって、
すきだなっておもうだけでしあわせ。

もちろん、
へんてこなかたちをつくって
ニコニコしたりするのもわすれずに。

あしたのわたしもしぜんになーれ




「おほしさま」

ほしいってきもちに

ひきよせられるように

てがのびて

すくいあげて

ぎゅっとしたときに

めがさめた

ブログアップしました。

「するところ」ワークショップレポートアップしました!
この日のワークショップはグリーン!
たねばくだんでまちをグリーンにかえちゃうっていう、とてもおもしろいワークショップでした。
できないかもしれないですが、
こどもたちといっしょになげたかったなーたねばくだん!

今回も記事と詩を書いています〜♪
SHIBAURAHOUSE、あおぞらのテラスはきもちがいい!


レッツ プッシュ Like!

Gerda Steiner & Jörg Lenzlinger - Power Sources

5月2日。
前日から体調がわるく、吐き気がとまらない。
のどもいたい。

それでも、
それでも、
私にはどうしてもいきたい場所があった。

水戸芸術館である。
5月6日まで開催されていた、
ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガーー力が生まれるところ
がどうしても見たかったのです。

なかなか休みもなく、
展示もあったので、
行く事ができる日は5月2日しかなかった。

雨は降っていたけれど、
諦める選択肢はぜったいになかった。

東京駅でアーモンドチョコと野菜ジュースを買って、
準備ばんたん。
水戸行きのバスへ!

久しぶりのバス旅行。
車からの景色は、スピッツの「運命の人」が似合う。
寝て行こうと思ったけれど、
興奮して眠れない。

水戸について最初に向かったのはお食事。
納豆てんぷらやお刺身など
水戸の味を満喫し、
芸術館へ。

ついてすぐに見えたのは、
まるで夢のようなものだった。

さわっていいの?
あるいていいの?

きもちはたかぶってとまらない。
しんぞうがどきどきときめいた。



これ、わかる?

歩行を補助する車に、
いっぱいすてきなものがついているの。

あるいているうちにきっと花が咲いたんだ。
葉っぱも色がかわったんだよ。

春や夏、いろとりどりの空間が
ここにあるみたい。
わたしがつくっているみたい。

一瞬でひきこまれた。
ここへきて、
ほんとうによかったって思った。

(つづく

ジャクソン・ポロック展

遅ればせながら、
5月1日にジャクソンポロック展に行ったので、
その感想を書き留めておきたくて。

ジャクソン・ポロック
彼のことを初めて知ったのは、
美術館のアルバイトだと思う。
確か高校生のとき。
理数系の高校に行ってしまった私は、
美術とはほど遠く、美術の授業もデッサンも知らない子でした。
しかしながら突然フィルムで映像が撮りたくなったり、
プロダクトやってみたくなったり、
全部ができる美術学校に行きたくなったりしていた時期でした。

たまたま紹介されたアルバイトは
美術館のスタッフ。
展示物をみまもる仕事でした。

偶然にジャクソン・ポロックの前の担当になった私は、
朝10時から閉館まで、
ひたすらに彼の絵をみもり続けました。
抱き合いながら作品を見ているカップルや、
なんだこれはとおどろいた顔のこども。
私だってかけるんじゃ?と笑うおばちゃま。
彼の作品はいつだってクエスチョンをなげかけていました。

通りかかった人に、
「彼は何を伝えようとしているのか」
と聞かれたこともありました。

思いもよらない質問に、
いっしょに考えてみましょうとしか言えなかったわたし。

作者がいなくて、
彼を完璧に知っているひとなんて誰もいなくて、
作品がそこにある。
その作品を守り続けるひとがいて、
クエスチョンをびっくりマークにする人がいる。
朝から夜までじーっと絵を見つめ、
アートとライフについてずいぶんとかんがえました。
彼の絵は私に、
「考え過ぎだよ」ということもあり、
「いいんじゃん?」と慰めてくれることもあり、
ずんずんリズムを与えてくれることもあり。
当時の私は、彼の絵について説明できるようにするためには
いったいどうしたらいいのかと、よくわからない本を読んだりもしていたけど、
途中から思ったんです。
私が全て。
言葉と同じ。
音楽と同じ。
感じたことが全てだと。

今の私はだいぶ歳をとって、
そんなことじゃなくて、
もっと説明的なことや事実も知っておかなくてはならないのでは?
と思う事もあります。

だけど、それはそれ。
感覚は感覚。

そんなことを思い出しました。




みらい

ミランダ・ジュライの新作が見られる。
というわけで、イメージフォーラム・フィルムフェスティバルにいってきた。
実はイメージ・フォーラムフェスは、自身の作品応募でしかいったことない。
しかもそれはヤングパースペクティブというイベントだったので、
ちょっとちがう。

ために、初参戦。
実は展示期間中だったために、
チケットを購入にいけず、
同行者に朝早くから会場にいってもらった。(ありがとう

というのも、
この映画、イベントではたった2回しか上映されない。
のうえに、前回4月に上映した際は買えなかった。
立ち見席も完売という。

そんなに!
なので、5月12日はどうしても朝1で行かなくては!
だったのです。

展示でくたくたになって
はらぺこで体調不良もあったけど、
でも、見た。

ネタバレはしないので
安心して読んでください。

私は女性だからかもしれないけど、
「彼女」のきもちがてにとるようにわかる。

ずれたきもち、
はがれたきもち、
でもつなぐきもち。

一瞬、一瞬にちらつく、なにかの残光に
胸がとにかく苦しい。

「彼女」のきもちがわかる一方で、
「彼」に想いを重ねて、涙がとまらない。

物語は私にいちいち突き刺さる。
物語ではなく、これはぜったいに「未来」だった。

今、感じてはいたけれど、
いずれやってくる未来に違いなかった。

ミランダ・ジュライは憧れである。
誰かに好きなアーティストを聞かれると、
近代で、まっさきに浮かぶのが彼女だった。

その彼女が感じている不安や「未来」は
はんぱなく痛かった。怖かった。

どうしたらいいのわからなかった。

まだ考えてます。

もういちど、もういちどと
頭のなかで繰返し、
誰にとも言わずに問いかけながら。

そういう映画は久しぶりでした。




ハロー、グッバイ

阿佐ケ谷/元我堂で行われたハロー、グッバイ展。
先日無事に終了いたしました。
ご来場いただきました方、
気にしてくださった方?
ありがとうございました。

初めてのオリジナル詩の展示、
そしてオリジナル詩をのせたハンカチ販売!
ハラハラドキドキでしたが、
大盛況でほぼ完売することができました。
本当に、本当にありがとうございました。


ハロー、グッバイという展示のタイトルは、
元我堂のギャラリーオーナーが卒業されることにちなんで、
明るい別れをイメージしました。
新しく、何かがはじまるような。
(そのために、端切れを使用した作品になったわけです)

というわけで、
今回の展示が終わっても、
それははじまりに過ぎないのだ!

私はもうちょっと歩いていきます。

うしろから、
あるいは横から、
あるいはとなりで、
そっと見守って注目していただけたらハッピーです。

ありがとうございました。

※詩集をご注文いただきましたみなさま。
もうしばらくお待ちくださいませ。
何かご質問などありましたら、こちらまで。
info@ikukoshirakuma.com



ハロー、ハロー

5月とともに始まった展示も、
気がつけば残すところあと3日。

今回の展示では、
初めての自作詩展示と
初めての作品販売を行いました。

私のつくった詩が
だれかのこころに届いた。

その音を聞いたような気がしました。
それは鈴のようにりんと鳴る音ではなくて、
つぼみからはなびらがほどけるような、
小さくて、でも変化の音。

なにかが変わろうとしている。
2年前に、作品制作を再開し始めたとき、
感じました。
そのなにか、を確実に言葉にできぬまま、
目の前に起こる出来事にひたすら夢中になってただけ。

その途中では投げ出しそうになったり、
大切なのかどうかわからなくなったり、
あるいは見極められずに放ってしまったものもあったはず。
あのときは、別の音を聞いていた。
壊れる音だったり、落ちる音だったり。
とても怖かった。
何かを始めることで、変化していくことが
こんなにも恐ろしいことだったなんて、と。

でも今は違う。
かすかに響く、私にしかわからない音を聞き、
確実にわたしは幸福に思っているし、
変化を受け入れ、対応している。
できていないときもあるけど、
していく意志がちゃんとある。

だから、
その音に、どきどきに、
反応して、耳をすませていたいと思う。

すみません。
これでもライターなんですが、
言いたい事まとまってないかんじですかね。

兎に角、
あと3日。
まだまだ駆けます。



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プロフィール

しらくまいく子
携帯アプリのシナリオライターと、    『するところ』のライター、ポエガールをしています。
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