2019年08月02日
泣かずに観光できた理由は。
今回、思い出の地を1泊の弾丸で
旅行してきた中で、
個人的に意外だったのは、
一度も泣かなかったこと。
もちろん、思い出にふける瞬間はあったけど、
涙が込み上げてくるまでには至らず、
割と淡々と観光を楽しんだ。
→「思い出巡りの弾丸旅行。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/253/0
「花畑に1人、佇んで。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/254/0
5月、
父との過去に決着をつけると意気込んで行った
故郷への旅の時は、
何時間も泣いた後、夕方に同じ場所へ戻り、
さらにずっと泣き続けたくらいだというのに。
→「再出発の故郷へ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/178/0
「泣かないと決めてたのに。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/179/0
「じいちゃん、ばあちゃんへ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/180/0
今回の、さっぱり感は何なのだろうと考えた時、
5月と比べたら
僕は誰かとの過去を直視して受け入れたり
過去は過去と区切って未来を見据えたり
いい意味での割り切りができたからかも知れない。
あるいは、
5月の時点では僕の中にある怒りや悲しみを、
吐き出し切れていなかったか、
感情を吐き出す術を知らなかったか。
今回はある程度、感情の整理がついて
さっぱりした気持ちで純粋に観光を楽しむ
余裕が生まれていたのかも知れない
今回の旅行は、自分の親が絡む思い出ではなく、
離婚という大きなライフイベントへの決着。
ただ僕は、5月の旅行の時と違って、
出発する前からある程度、心の整理がついていた。
思い出の地を再び踏んでも泣かないだろうなぁ、
という予感もなぜかしていた。
1年という時間が僕を納得させてくれたんだろうか。
誰も悪くなく、どうすればよかったという
”たられば”世界を妄想するでもない。
当時はそりゃ言いたいことはたくさんあったけど、
仕方なかった、お互いの人生にとって必要だったと、
時間が割り切らせてくれたのかも知れない。
そして、失ったものばかりに目を向けていた僕に
自分の人生を自由に生きることを教えてくれたから、
今となっては必要なライフイベントだったと思える。
旅行してきた中で、
個人的に意外だったのは、
一度も泣かなかったこと。
もちろん、思い出にふける瞬間はあったけど、
涙が込み上げてくるまでには至らず、
割と淡々と観光を楽しんだ。
→「思い出巡りの弾丸旅行。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/253/0
「花畑に1人、佇んで。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/254/0
5月、
父との過去に決着をつけると意気込んで行った
故郷への旅の時は、
何時間も泣いた後、夕方に同じ場所へ戻り、
さらにずっと泣き続けたくらいだというのに。
→「再出発の故郷へ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/178/0
「泣かないと決めてたのに。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/179/0
「じいちゃん、ばあちゃんへ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/180/0
今回の、さっぱり感は何なのだろうと考えた時、
5月と比べたら
僕は誰かとの過去を直視して受け入れたり
過去は過去と区切って未来を見据えたり
いい意味での割り切りができたからかも知れない。
あるいは、
5月の時点では僕の中にある怒りや悲しみを、
吐き出し切れていなかったか、
感情を吐き出す術を知らなかったか。
今回はある程度、感情の整理がついて
さっぱりした気持ちで純粋に観光を楽しむ
余裕が生まれていたのかも知れない
”「悲しみ」も止む時がくる”
大きな悲しみもいつかは消える時がくる。
それまでには時間がかかるが、それは漠然とした長さではない。
かかる時間は、自分が失ったものについての事実を寄せ集め、
現実を受け入れるまでの長さである。
それは、過去の痛みから現在を生まれ変わらせ、
ポジティブな未来へ向けてエネルギーの方向を
変えるまでの時間といってもよい。
『毒になる親』 第十二章 より
今回の旅行は、自分の親が絡む思い出ではなく、
離婚という大きなライフイベントへの決着。
ただ僕は、5月の旅行の時と違って、
出発する前からある程度、心の整理がついていた。
思い出の地を再び踏んでも泣かないだろうなぁ、
という予感もなぜかしていた。
1年という時間が僕を納得させてくれたんだろうか。
誰も悪くなく、どうすればよかったという
”たられば”世界を妄想するでもない。
当時はそりゃ言いたいことはたくさんあったけど、
仕方なかった、お互いの人生にとって必要だったと、
時間が割り切らせてくれたのかも知れない。
そして、失ったものばかりに目を向けていた僕に
自分の人生を自由に生きることを教えてくれたから、
今となっては必要なライフイベントだったと思える。
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