アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2020年12月23日

檍原の古傳説地 その11

住吉~社
義祐が、「住吉の里近く見え渡り、八重の潮路の松の秋風、冷々として袖吹き送る」と云ひし筒男の三~を祭れりと稱せらるるなり。
人或は云ふ、此の~延喜式内に列せられず、國史に著はれず、何ぞさる由緒ある古社なりとせんやと。
然れども、卽に云へる如く、日向は僻遠の國なれば、古代に於て中央と交渉極て少く、~祖發祥の地として信ぜられたる古國にてありながら、なほ且式内の~社僅に四社を數ふるに過ぎざる程なれば、此の住吉社の所見なき、必ずしも怪しむを要せざるなり。

閑話休題
タグ:住吉神社
posted by うさぎ at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 檍原

檍原の古傳説地 その10

一ノ宮巡詣記檍原
降りて延寶三年九月橘三喜の一ノ宮巡詣記にも、
十六日江田の御社へ參り、それよりあをきが原の住吉に詣でて、
  尋ね來て聞けば心も住吉の、松はあをきが原の松原。
 此の海邊に伊弉諾尊の身そぎし給ふ、上中下の三つの瀬ありと傳へし。
 十七日、鵜戸山法花嶽へ參りたる山伏を、花が島より案内に頼み、うどの岩屋へ赴き、上別府を通り、赤江川舟あり。此の處を小戸の渡りと云ふ。此にも三つの瀬あり。古歌に、
  日向なる小戸の渡りの鹽せみに、顯れ出でし~ぞまします。
 此の鹽せみとは、北山大明~立ち給ふ上の瀬を云ふと聞きて、
   あなたふと、詣でぬる身の心まで、あらふあかゐの北の~垣。
 此の三つの瀬より諸人は初まりけり。
   日向なる、小戸の瀬の浦こそは、人草の初めなりけれ。
  と賤しき渡守の古歌を語りければ、所がらやさしくぞ思ひける。
とも見ゆるなり。
此の地大淀川西北より來りて海に注ぐ。
之を一に赤江川と云ふ。
河口に近く宮崎あり。
橘橋を架して南の方大淀に通ず。
架橋以前は渡船場にして、是れ卽ち所謂小戸の渡なりといふ。
嘗ては河畔の上別府を小戸別府とも稱しき。
今、河口に近き吉村、新別府、江田、山崎の諸村を合して、檍村(あをきむら)と呼び、其の北方なる鹽路、芳士、新名爪、廣原、島之内の諸村を合して、住吉村といふ。
こは其の地が諾尊禊祓の舊蹟なりと稱することによりて、新に命じたるものなれば、之を以て直に其の古傳説地たるの證とすべきにはあらざれども、説の由來する所、必ずしも近時の事にあらざるは之を認めざるべからず。

閑話休題
タグ:大淀川
posted by うさぎ at 09:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 檍原

檍原の古傳説地 その9

飫肥紀行の檍原
急ぎける程に、檍が原の波間より露はれ出でし住吉の里の近く見え渡り、八重の潮路の松の秋風、冷々として袖吹き送る。玉鉾の道の行衞に見渡せば、人王の始、宮崎の京、神武天皇の御前近き所にて、辱さに泪落ちけりと云ひし古事まで、思ひ合せられて通りけるに、其の里人に事問へば、平家の一門景清の御墓もありと聞くままに、六字一編手向して行けば、程なく小戸の渡に至りぬ。神道の秘密數々に思ひ出づるとて、
 神代より其の名は今もたちばなや、小戸の渡りの舟の行く末。
とよみ侍りぬ。
とあり。
此の書義祐の作として、果して信ずべくば、少なくも戰國時代の頃、此の地に此の説のありしことを認むべし。

閑話休題
タグ:飫肥紀行
posted by うさぎ at 05:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 檍原
ファン
検索
<< 2020年12月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
うさぎさんの画像
うさぎ
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。