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2021年03月31日

山~の族 その6

大山祇~と吾田
木花開耶姫は海濱にありて、秀起(さきた)つる浪の穂の上に八尋殿(やひろどの)を建て、手玉玲瓏(てだまもゆら)に機織りましきと、日本紀一書に見ゆ。
木花開耶姫一に鹿葦津姫(かあしつひめ)とも、~吾田津姫(かんあだつひめ)、豊吾田津姫、吾田鹿葦津姫などとも稱せらる。
鹿葦津姫とは、~吾田津姫の名の轉訛なるべく、其の「~」といひ、「豊」といふは、共に敬語美稱にして、吾田津姫といふぞ本名なるべき。
蓋し吾田の女子の義なり。
吾田は日本紀に吾田の笠狭の崎ともありて、天~遊幸して此の女を見給ひきといふ地なり。
別に隼人の首領に吾田ノ君あり。
隼人の部族に阿多ノ隼人あり。
隼人の國として知られたる薩摩國を古へ阿多國とも稱しき。
然らば吾田を名に負ふ木花開耶姫は、阿多ノ隼人に拘はりて、語部(かたりべ)によりて語り傳へられたりしものなるべし。
隼人は海幸彦(うみさちびこ)の後として海濱に縁あれば、木花開耶姫が浪の穂の上に八尋殿を建てて、機織り給ひきといふも、亦故なきにあらざるが如し。
更に釋日本紀所引伊豫風土記の逸文には、
乎知郡(越智郡)御島にます~の御名は、大山積~、一名和多志大~なり。
是の~は難波高津宮御字天皇(仁徳天皇)の御世に顕はれましき。
此の~百濟國より渡り來まして、津國の御島(攝津國三島郡)にませり云々。
とありて、これには大山祇~が百濟より渡り來り給へる~なりとの異説を傳ふ。

タグ:大山祇~

2021年03月30日

山~の族 その5

大山祇~と山岳の~
大山祇~は、其の名の如く山岳の~として仰がるる~なり。
ここに於てか中世以後火山の活動することなどある際には、これ山ノ~の怒りませるなりとして、屢々此の~を祭るの例となれり。
此の場合、或は其の御子~達を祭ることもあり。
其の他諸所の山地、此の~を祭れるもの多し。
天書に曰く、
大山祇~は中國にありて山を掌る~なり。
惠草木に及び、大に蕃息す。
仍て天~山嶺を掌らしむるなり。
と。
古人の解するところ以て見るべし。
然れども是はむしろ後の思想にして、當初此の~は山人(やまびと)の祖として仰がるる~なりしならん。
先住の民族新に優勢の民族と接觸せば、往々其の地を優先民族に譲りて、自ら山間に棲息の地を求め、或は當初より山間生活の習俗を有するものが、新來の里人(さとびと)と同化融合するの機を得ずして、其のまま山地に止まりて所謂山人(やまびと)と爲ることあるは、既に言へるが如し。
固より是等山人と稱せらるるものの中には、種々の系統の民族あるべく、随って山ノ~として仰がるる~の中にも、由來を異にするもの亦これなきにあらざらんも、而も是等の山人の祖~崇敬の思想が、山岳崇拝の思想と合致するに及びて、はては山を掌るの~として、一般的に大山祇~の名を以て祭らるるに至りしものならん。
タグ:大山祇~

2021年03月29日

山~の族 その4

大山祇~と天孫族との關渉
かく大山祇~は出雲系の民族と深き關係を有すると共に、一方には其の女木花開耶姫が、瓊瓊杵尊の妃として彦火火出見尊等の諸~を生み給ふとも傳へられて、大山祇は我が皇家にとりても、實に亦外戚の~にてまししなり。

タグ:大山祇~

2021年03月28日

山~の族 その3

大山祇~と出雲民族との關渉
國ツ~の一としての長狭の事は、海~と共に次節に説くべし。
同じく國ツ~たる大山祇~は、ただに此の日向のみならず、迹を各地に垂れて、古傳説上にも其の關係する範圍頗る廣汎なり。
彼の出雲の簸ノ川上にありて、八岐ノ大蛇の迫害を蒙りたる手摩乳(てなづち)、脚摩乳(あしなづち)の如きも、共に此の~の子なりと傳へらるる。
されば其の手摩乳、脚摩乳の女なる奇稻田姫の腹に生れまして、出雲系諸氏の祖と仰がるる彼の大國主~は、母系に於て實に此の大山祇~の曾孫にてますなり。
又同じ大山祇~の女~大市比賣(かむおほいちひめ)は、別に素戔鳴尊の妃として、大年~と宇迦之御魂~(うがのみたまのかみ)とを生み、木花知流比賣は素戔鳴尊の子八島士奴美命の妃として、布波能母遅久奴須奴~(ふはのもちくぬすぬのかみ)を生めりと傳へらるる。
更に古事記によれば、大國主~は此の布波能母遅久奴須奴~の玄孫にますともいふ。
孰れにしても此の~は、出雲系の諸~と交渉最も深き~として傳へらるるなり。
又其の外孫の~に、五穀の~なる大年~及び宇迦能御魂~のますことは、此の~が我が農業にも深き關係を有することを傳ふるものと謂ふべし。
宇迦能御魂~は一に倉稻魂~(うがのみたまのかみ)ともありて、稻荷~として祭らるる~なり。

2021年03月27日

山~の族 その2

天~と地祇
論者或は言はん。
天照大~亦伊弉諾尊の御子~にませば、天ツ~、國ツ~畢竟皆同一系統に屬すべしと。
然り、廣く之を言はば、諾冉二尊は世界の初にあらはれまして、人類の起原をなし給へる~なれば、一切の人類は亦悉く同一系統のものとなるべし。
されどこは人類を以て一源に歸するの論と同一にして、更に細かく之を言はんには、ここに數多の人種の別あり、更に同一の人種の中にも、數多の民族の區別あるべきなり。
既に天~、地~の別あり。
之を狭義に解して、別系統と見んも妨なかるべし。
されば彼の平安朝初期の編纂に係る新撰姓氏録を見るに、~別諸氏を分ちて天~、天孫、地祇の三となせり。
其の天~とは、高天原なる諸~の後裔なり、天孫とは同じく高天原の~の後ながらも、特に天照大~を祖~と仰ぐ~々の後裔なり。
而して之に對して地祇とは、天孫降臨以前より此の國土に存在せる諸~の後裔を云ふ。
姓氏録に、素戔鳴尊の御子~として傳へらるる出雲の大國主~の後裔諸氏を、地祇の中に列したるが如き是なり。
されば此の天~と天孫とを以て、皇別諸氏と共に、假りに天孫民族と稱せんには、之に對してここに所謂國ツ~、卽ち地祇に屬する先住の民族を、暫く別系統として區別せんは、其の理由なしと謂ふべからず。

2021年03月26日

山~の族 その1

第四章 天孫降臨以前に於ける日向地方の先住民族に關する傳説
 第二節 山~の族
大山祇~
天孫の降臨し給ふや、啻に高千穂に土蜘蛛の住みたりしことを傳ふるのみならず、笠狭崎(かささのさき)には事勝國勝長狭(ことかつくにかつながさ)と稱するものありて其の國を奉り、大山祇~(おおやまづみのかみ)はその女木花開耶姫(このはなさくやひめ)を納れて妃となし奉りきと傳へたり。
長狭は日本紀の一書に伊弉諾尊の子なりとあり。
又其の大山祇~は、古事記に、伊弉諾、伊弉冉二尊の婚(みあ)ひまして生みませる~なりとあり。
一説には伊弉諾尊が、其の妻~の火~軻遇突智(かぐづち)を生み給ふことによりて崩りませるを恨み、軻遇突智を斬りて三段となし給ふ時に、其の一段化して雷~(いかづちのかみ)となり、次の一段は大山祇~となり、最後の一段は高龗(たかおかみ)となれりとも、又之を斬りて五段となし給ふときに、其各段化して五つの山祇の~となる、頭は則ち大山祇、身中は則ち中山祇、手は則ち麓山祇(はやまづみ)、腰は則ち正勝山祇(まさかやまづみ)、足は則ち䨄山祇(しぎやまづみ)となりたりとも、或は其の斬り給へり劒の頭より垂るる血激りて、闇山祇等の~生れ出でたりとも傳へらる。
この外にも異りたる山祇の名の傳へらるるものあれども、ともかくも長狭及び大山祇~は、伊弉諾尊の御子にして、夙に此の國土に住し、高天原を祖國とする天孫民族とは、おのづから別系統に屬する國ツ~なりとして信ぜられたりしなり。
タグ:大山祇神

2021年03月25日

土蜘蛛 その11

土蜘蛛は先住民族の俗傳的稱呼
九州地方には、此の以外にも土蜘蛛に關する傳説甚多し。
日本紀には景行天皇西征の時、豊後に數多の土蜘蛛ありしことを記す。
又~功皇后征韓前に、筑後の山門縣(やまとのあがた)なる土蜘蛛の女酋田油津媛(たふらつひめ)を誅し給ふの記事もあり。
山門縣は漢史に見ゆる邪馬臺國なるべく、此の國は倭人國の一として、有名なる女王卑彌呼之を統治し、卑彌呼の死後一旦男王を立てしも國人服せず、更に宋女壹與を立てて王となすとあり、之が爲に女王國の名を以て漢人間に知られたりしものなり。
而して所謂土蜘蛛田油津媛なるものは、是が年代を案ずるに、實に其の女王國の王位を繼承せし一女王なりしものなるべし。
彼等は夙に志那と交通して其の文化を享受し、固より穴居の蠻族にあらず。
居るに屋室あり、葬るに土を封じて大塚を作る。
卑彌呼の邸には樓觀あり、城柵嚴に設け、常に人あり兵を持して之を守衛す。
其の死するや墳墓の徑百餘間、葬に殉ふもの奴婢百餘人に及びきといふ。
而も日本紀には、其の卑彌呼の後と認めらるる敗殘の女王を俗傳化して、呼ぶに單に土蜘蛛の稱を以てせるなり。
土蜘蛛の意義以て解すべし。
蓋し九州地方に於ける土蜘蛛傳説は、多くは先住の民族に關するものにして、上は石器時代の未開、半開の民族より、下は志那の文化を移植して、頗る開明の域に進める倭人王までをも包括し、其の皇命を拒みて敗殘者となれるものは、熊襲、隼人等、特別の名を以て呼ばれたるものの外、一般に貶稱して之を土蜘蛛と呼びしものなるべし。
然らば天孫降臨の際に於ける高千穂の土蜘蛛とは、そも如何なるものなりしか。
是は遺物、遺蹟研究の結果に俟ちて後之を推定すべく、更に次章に於て詳説すべし。
posted by うさぎ at 07:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月24日

土蜘蛛 その10

土蜘蛛と海人
其のひとしく土蜘蛛と稱せられたるものの中には、明かに隼人の系統に屬すと認めらるるものあり。
肥前風土記値嘉島(ちかのしま)(今の五島をいふ)の條に、景行天皇西征の時、此の島の土蜘蛛が死を免されたるが爲めに、御贄(みにへ)として代々水産物を奉る事を記し、「此の島の白水郎(あま)の容貌は隼人に似て、常に騎射を好み、其の言語俗人に異なり」とあり。
値嘉島の海人(あま)の容貌が隼人に似て、言語も亦俗人に異なりきとは、風土記編纂時の實際なり。
而して彼等は、實に土蜘蛛の後裔として認められたりしものなりき。
當時隼人は現に薩隅地方に住して、一種の異族として認められたりしものなり。
而して値嘉島の海人は、容貌此の隼人に類似し、言語亦普通人に異なりきと言はる。
蓋し彼等もと所謂隼人と同一系統に屬するもにして、ただ遠隔の地方に殘存したりしが爲に名稱を異にし、土蜘蛛なる俗傳的先住民の後裔として傳稱せられしものなるべし。
同風土記には亦、大家島の白水郎(あま)が同じく土蜘蛛の子孫なることを記す。
隼人はもと海幸彦(うみさちひこ)の後なりと言はれ、主として漁撈を業とする民族なりきと察せらる。
其の族類の海人(あま)として、斯る僻陬の地に殘存するもの、洵に其の故なきにあらざるなり。
posted by うさぎ at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月23日

土蜘蛛 その9

山人
次に詳悉する如く、俗に鬼といひ、或は山男、山姥などと稱せられたる山人は、實に是等の異族に關する事蹟を俗傳化せるものなり。
蓋し先住の民族が、良好なる土地を優勢なる民族に譲り、或は夙に是に同化融合して、蹟を日本民族中に没せし後に於て、なほ山間僻陬の地に餘喘を保ち、所謂浮世の風に觸るること少く、永く武陵桃源裏の原始的生活を繼續せしうちに、いつしか一般社會の進歩に後れて、つひには異類化生のものとして認めらるるに至りしものなるべし。
而して俗傳に所謂土蜘蛛なるものは、亦實に此の種の遺民に關するもの多きに居るを疑はず。
但其の民族的研究に至りては、なほ未だ完からざるものあり。
タグ:山人
posted by うさぎ at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛

2021年03月22日

土蜘蛛 その8

飛驒人
往昔飛驒國に住したりし飛驒人の如きも、亦一種の異族として認められき。
承和元年の太政官符に曰く、「其れ飛驒の民は言語容貌他國人に異なり。
姓名を變ずと雖も理り疑ふべきなし」と。
彼等は山人(やまびと)として木材の扱に慣れ、京畿に番上しては常に工匠の役に服し、爲に飛驒工(ひだのたくみ)と呼ばれき。
此の外山間僻陬の地には、遺族の民の後までも殘存せしもの少からず。
タグ:飛驒人
posted by うさぎ at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 土蜘蛛
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